「遠いところを見る視線をもつこと。人間が生活している街、風景、土地にもう少し目をやってほしい。それこそが小説と映画を輝かせる」

 第76回は評論家の川本三郎さん。前半の講評でも触れた「遠くを見る視線」に裏打ちされた「旅と文学」について詳しくうかがいます。さらに、楠瀬氏が担当し山本周五郎賞にノミネートされた押切もえ氏の作品に言及しつつ、多く作家とその人柄について幅広くお話していただきました。

◆「遠くを見るまなざし」を持つ作家たち/旅人と風景の関係/人の魅力、土地の魅力

――先ほどの講評で出た「遠くを見るまなざし」というのは、いい表現ですね。これは前から使っている表現なんでしょうか。

川本 そうですね。昔、新潮社から「言葉の中に風景が立ち上がる」というタイトルの評論集を出しているんですけど、そこで現代作家の作品の中で、さっき私が言ったような、あまり人間関係のことよりも、小説の中の風景ですね。たとえば丸山健二の小説であるとか、あるいは近年再評価されている佐藤泰志さんの小説であるとか、その本の中には入れませんでしたけど、池上さんも高く評価されている、北海道の桜木紫乃さん。あの人の小説なんかは、たしかにテーマは恋愛だったり不倫だったりするんですけど、背景になってる、北海道のいまのさびれた街の様子とか、廃坑になった炭鉱町の様子とか、ああいったものが、ものすごくうまく作品の中に取り入れられていますよね。これは本当に僕の個人的な趣味なんですけど、風景描写がまったくない小説はダメなんですよね。

――若い人の作品には本当に風景描写がない。風景を見る目がない。その中で桜木紫乃さんは、北海道の風景を非常に印象深く入れていますよね。

川本 あの人が北海道にずっとい続けるのも、わかりますよね。あの人の作品の原点は、さびれゆく北海道の風景です。それが自分の作品を支えているというのがわかっている人なんですよね。

――桜木さんは、3月にここで講師をされたんですよ。

川本 そうなんですか! 面白いですね。

――以前、川本さんは桜木さんと対談されていましたよね。桜木さんはそのとき、ずいぶん川本さんに褒められて、嬉しかったそうですよ。

川本 そうですか。あの人は、作品は暗いんですけど、人物はものすごく明るいんですよね(笑)。

――『小説を、映画を、鉄道が走る』(集英社)という名著がありますが、川本さんは鉄道旅行のエッセイもたくさん書かれていますね。鉄道がお好きなんですか、それとも旅行がお好きなんでしょうか。

川本 両方とも好きですね。つまり、旅というのは風景を見るのが好きなんです。散歩や街歩きも含めてなんですけど。私は、結婚はしたけどかみさんに死なれて、子どももいないひとり暮らしなので、ひとりで旅したり街を歩いたりするのが好きなんですね。そうすると、ひとり旅をしているときというのは、自分と風景との関係だけになるんです。団体旅行のときはどうしてもおしゃべりばっかりになってしまって、風景を見ていないんですね。それから、団体旅行の場合だとどうしても、目的地が観光地や名所旧跡に限られますよね。ところがひとりで歩いてると、ぜんぜん知らない町の駅で降りて、ぶらぶら歩いて、誰かが見ているのかもしれないですけど、風景と自分との一対一の関係になれる、というのがありまして。それで好きなんですね。

 日本の近代文学というのは先ほども言いましたように、夏目漱石からはじまり太宰治に至るまで、ほとんどが人間関係の小説なんですね。もちろんそれも大事なんですよ。大事なんですけど、その中で私がいちばん好きな永井荷風という人は、風景描写がすばらしい作家といわれています。彼の代表作『墨東綺譚』は、戦前の向島にあった、私娼窟の玉ノ井を舞台にして、売春婦との関わりを描いた小説なんですけど、メインのストーリーはたしかにその「私」と売春婦との関係なんですけど、あの小説がすばらしいのは、玉ノ井という街の、路地一本一本に至るまで、実に丁寧に描いていることなんですね。それで、男女の話も大事なんだけれども、こういう街があって、こういう街に人が生きているんだ、ということが伝わってくるんですね。

――そうですね。街が主人公でもあり、その街を風景が生かしているともいえる。山形のような地方に住んでいる人は、自然の風景が豊かなのでそれを普通に描くんですけども、都会に住んでいると自然がなくなってしまうから、そういった風景を描かなくてもよくなります。とくに現代では、東京の街は「渋谷」「新宿」という記号で描ける。逆にいうと、地方の話のほうがその点ではいい。僕はよく言うんですが、伊坂幸太郎がなんであんなに素晴らしいかというと、もちろんプロットや語り口やキャラクターもいいんですけど、仙台という土地の、短い風景描写があるんですよ。ああいったところが新鮮なんですよね。新しい、消費されていない街の風景を出すのが作家にとっては大事ですね。そこに生きている人間がいる、というのが、やっぱり新鮮ですよね。

川本 そういえば、池上さんは6月に佐伯一麦さん、小池昌代さんとトークショーをやるそうですが、佐伯さんの『鉄塔家族』(上下巻、朝日文庫)という仙台を舞台にした作品がありましたね。新幹線から見える、山の上に鉄塔が立っているところを舞台にしているんですが、あれもいいですね。あれも、半分ぐらいが人間の魅力で、プラス半分ぐらいは街の魅力ですよね。

――『鉄塔家族』は傑作ですね。最新作の『空にみずうみ』(中央公論新社)も見事で、本当に自分の身の周りの日常生活を描いていて、野草園の近くに住んでいるので、フクロウが来ましたとか、ヘビの抜け殻がありましたとか、自分が目に見る風景を毎回毎回書くんです。それを、自分の毎日の風景と、自分がいま読んでいる過去の文学の風景描写とを重ねて、思索を重ねていくという、実に佐伯さんらしい丹念な仕事ぶりで、本当にいいです。みなさんもぜひお読みください。

川本 それから、もう亡くなって20年近く経つ、佐藤泰志さんの小説も、近年ものすごく読まれるようになって、作品もほとんど文庫になりましたけど、あの人の小説も、初期の青春小説は正直そんなにいいと思わないんですけど、故郷の函館に帰ってきてからは、俄然よくなるんですね。何年ぶりかで東京から函館に帰ってきたら、かつては賑やかだった街が、いま風にいえばシャッター通り化していく。さびれてゆく、その街の中で生きていく人間たちを主人公にした作品を次々に書くようになってからは、俄然よくなるんですね。『海炭市叙景』(小学館文庫)もすばらしい作品だと思いますけれども、そういう、街、風景、土地ですね。そういう部分にももう少し目をやってほしいなと思いますね。
 あまりにもね、恋愛小説、不倫小説、情事小説、そういうのが多すぎるんですよね。

――実は、仙台在住の直木賞・山本賞作家の熊谷達也さんも、『海炭市叙景』を読まれたそうなんです。東日本大震災を経験されて、目の前の風景に打ちのめされて、活字ではこの現実に対抗できない、筆を折ろうとまで考えたそうなんですが、『海炭市叙景』を読んで、こういうふうに書ければいいのではないか、と思って書いたのが『希望の海 仙河海叙景』(集英社)だとのことです。気仙沼市をモデルにした「仙河海市」を舞台にしたシリーズをずっと書かれていて、これは第5弾なんですが、タイトルは『海炭市叙景』にオマージュを捧げています。連作短篇なんですが、震災前が7篇、震災後が2篇。その、震災前後で展開する話がすごくいいんです。美しいリアス式海岸の風景が、すっかり変わってしまう。その中で生きている、兄と妹の話です。これは感動作ですので、みなさんぜひお読みください。

◆『有給休暇と甘くないショコラ』/自然を見る余裕/現代の空気を書ける人

――実は、今日のゲストとして来ていただいている楠瀬さんが、『永遠とは違う一日』で今回の山本周五郎賞にノミネートされた押切もえさんの担当をつとめていらっしゃるんですよね。最後の最後まで受賞を争ったそうですが。

新潮社 楠瀬氏 「押切」という姓はもともと山形だと聞きました。尾花沢におばあさんがいらっしゃって、その辺に押切姓が多いそうなんですが、山本賞の候補になった『永遠とは違う一日』は10代から40代の働く女性たち6人を主人公にした連作短篇集で、人生や恋愛など、さっき川本さんがおっしゃったような人間関係を描く小説です。そのうちの1篇「有給休暇と甘くないショコラ」という、4本目の作品が、山形を舞台にしているんですよ。東京から、幼馴染ふたりが、山形のさくらんぼテレビみたいなところの女子アナになっている子のところに遊びにくるという話で、その女3人が旅行しながらなんやかんやというお話なんですが、加茂水族館に行ったり、蔵王の樹氷を見たり、瀬見温泉に泊まったり、で最後は山寺に行って、ある描写をして、そこで一瞬、遠くを見る視線というのをやりたかったんですけど、あとちょっと足りなかったかもしれません。

――いやいや足りないどころか受賞もおかしくなったと聞いています。山本賞は2作受賞ではなく1作受賞と決めているので湊かなえさんの『ユートピア』(集英社)1本になったのでしょうが、1作縛りがなければ楽々受賞していたと。そもそも若いうちに「遠くを見る視線」はは難しいですよね。やっぱりまだ、若いときは余裕がないし、自分の内面にしか目が行かない。

川本 若いうちはしょうがないですよ。ある程度歳を取らないと、自然を見る余裕はない。自分のことだけに一生懸命な毎日ですから。

――僕の好きな作家に島本理生さんがいますが、彼女はわりと、本当の1行2行で描写するのがうまい。遠くではなく近景なんですが、風景に心情を託すという、日本文学に古くからある手法がうまいんです。
 ところで、楠瀬さん、押切さんに小説を書かせようと思ったのはどうしてなんですか。

楠瀬氏 7~8年前に、太宰治生誕100年の年があったんですが、芸能人にも太宰ファンは多いんですよ。ピースの又吉さんも、爆笑問題の太田光さんもそうですが、押切さんも、渋谷で遊んでいた10代のころから『人間失格』を持っているというので。そのとき『人間失格』についてのエッセイを10枚ほど書いてもらったら、これがすごく出来がいい。自分なりの思索も、ちゃんと自分なりの体験に落とし込むところもあるし、文章にもこだわりがあったので、じゃあ小説をお願いします、と。

――エッセイから小説って、なかなか行かないんじゃないですか。

楠瀬氏 でも、それこそ人生経験がないと、エッセイって難しくないですか。この辺が微妙なところで、押切さんの美点は、やっぱり芸能人の人って、2016年現在の空気を呼吸している感じの小説は書けるんですよ。自然描写がそのまま人生と結びついたりする書き方は経験が必要で、若いうちはまだ無理ですけど。やっぱり、ある最先端での経験は積んでいるから、ぜんぜん芸能界の話ではない、たとえば派遣社員の人が山形へ来るような地味な話でも、あるところに2016年の空気を盛り込めるというのは、同じ30代で、小説プロパーでやってきた方より何か別の空気感があるな、という気がします。

――2作目の準備はもうされているんですか。

楠瀬氏 2作目は長篇小説を考えています。最初は6篇の連作短篇でしたが、短篇のいいところは、書き直せるじゃないですか。長篇小説は書き直しが難しいですけど、短篇小説でいろんな球を投げて、筋肉をつけてみようと。で、次は長篇小説で、どんなものができるか、いま相談しているところです。

――いい作品ができましたら、いずれこの講座にもお招きしたいと思いますので、その時はよろしくお願いします。

◆古希を過ぎての評論/「第三の新人」と風景描写/映画の中のある風景

――川本さんは書評もされていますが、やはり、いい作品がないか絶えず探しているんですか。

川本 それは評論家としての仕事ですからね。とくに私はもう70歳を過ぎちゃったので、ほとんどの書き手や映画の作り手が、自分より年下なわけですよ。そうすると、私は本当にこの人たちのことをわかっているのかな、というような弱気な気分も、最近は出てきちゃってね。だから、評論家がわれわれの年齢になると、最後に行きつくのは永井荷風なんですね(笑)。つまり、永井荷風は79歳まで生きましたから、まだ俺より上の人がいるから大丈夫だ、と。そうすると、さすがにもう70いくつの人が、40代で死んじゃった作家のことを書くのはもうね。つまり、その人たちは老いというものを経験していないわけですから、たとえば芥川龍之介のこともあんまり書くべきじゃなくなるというか。行きつくところは永井荷風と谷崎潤一郎なんですね。両方とも長寿の作家なので、いま谷崎の評論もやってるんですけども。どうしても歳を取ると、そりゃ若い作品も読まなければいけないんだけど、やっぱり古いもの、昔の小説に惹かれてくるのは、これはいかんともしがたいですね。やっぱり荷風がいい(笑)、あんまりそればかりだと発展がなくなるんですけれども。

――今回、川本さんをお招きするにあたって、楠瀬さんと何回もメールをしたんですが、楠瀬さんもわりと「第三の新人」がお好きなんですね。最近出た、安岡章太郎の『文士の友情』(新潮社)なども担当されていて。他にも出されているんですよね。

楠瀬氏 ええ、阿川弘之さんの『鮨 そのほか』(新潮文庫)ですね。

――僕なんかは高校時代から読んでいるので、「第三の新人」という言葉もふつうにしゃべるし、佐伯一麦さんなんかともよく話すんですけど、いまは「第三の新人」といってもぴんとこない人が多いでしょう。そういう時代なんですね。吉行淳之介、遠藤周作、安岡章太郎、阿川弘之、島尾敏雄も入りますか。そういった作家たちですね。

楠瀬氏 小島信夫も入りますね。

――そうですね。川本さんは、この辺の世代はどうですか。

川本 ええ、好きですよ。吉行淳之介も、意外なことに風景描写が多い。これがまたうまいんですよね。

――初期の『原色の街』(新潮文庫)なんかも、玉ノ井を舞台にしていますね。

楠瀬氏 第三の新人までの世代は、風景描写がちゃんとありますよね。安岡さんももちろん書いてますし。

――まず冒頭で、主人公の心情を紹介するのに「悲しい」とか「寂しい」じゃなくて、そういった通奏低音を描くために風景描写を使って、悲しさや孤独を伝えてそこから話が始まる。そのオープニングは必ず風景描写ですね。

川本 これは小説ではなくて映画なんですけど、是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』という映画があるんですね。これは去年の『海街diary』よりずっといいと思いました。これは家族の話で、さっきの私の話でいえばそれこそ人間関係のドラマなんですけど、実は舞台が非常に重要で、主人公の50歳ぐらいの男を阿部寛が演じてるんですが、彼は小説家志望で、一回新人賞を取ったんだけどその後は鳴かず飛ばずで、小説が書けない男なんですね。お父さんは亡くなっていて、樹木希林が演じるお母さんは、郊外の団地でひとり住まいをしている。そうすると、ご存じのように団地というのは、われわれの若いころは憧れの住居だったんです。団地に住みたいために何度も応募して落胆する、というのをだいたい私の世代では経験しているんですが、ここ10年ぐらい前から、団地というのが現代の規格に合わなくなって、さびれてきている。しかも高齢化が進んで、ひとり暮らしの老人も住んでいるようになる。その母親が住んでいる寂しい団地が舞台になっている。
 是枝監督自身も10代のころ、東京郊外の清瀬という町の団地に住んでいたんですね。で、あるとき久しぶりに訪ねてみたら、さびれていたのにショックを受けて、この映画を作ることにしたそうなんです。物語は人間関係、親子関係で、阿部寛演ずる主人公は離婚しているんですけど、そういう夫婦関係も丁寧に描かれているんですが、そのドラマはいつも、さびれている団地という風景の中に溶け込んでいるから、落ち着きが出てくるんですね。
 で、先ほどから私が言っている「遠いところを見る視線」というのは、映画の場合はとくに大事だし、ある意味簡単にできるんです。つまり、カメラをパンすれば(固定したカメラの向きを振れば)いいわけですから。『海よりもまだ深く』の中で、本当にいいと思ったシーンは、離婚した妻(真木よう子)と子どもが、団地の中でお母さんを訪ねていくときに、台風に閉じ込められるんですね。これはよくある設定なんですけども。で、ひと晩過ごす。そして次の日、台風が去った後に団地の外に出るんですね。そうすると、カメラがパンしていくと、雨に洗われて緑がものすごくきれいなんですね。すると、前半というか、それまで一時間半も見ていた、さびれていく団地とはまったく違う、緑の風景がぐわあっと立ち上がってくるんですね。現実の物語、近景の物語が、最後にそういう遠景に向かう。遠いところを見る目が出る、というのはそういうことなんですね。

◆滅びゆくものへのまなざし/「街歩き」のパイオニア/好きなものについてしか書かない

――それが、舞台の持っている力ということなんですね。東京の雑踏ではこれはダメで、落ち着いた、さびれた、崩れかかった時代の中で生きている人間たちの哀歓みたいなものなんですね。それが、風景との対比でよく出るんですよね、おそらく。

川本 面白いもので、やっぱり日本人の感覚でいうと、さびれていく風景というものを美しいと思うんですね。桜木紫乃さんの小説でも、人がだんだん住まなくなっちゃった北海道の小さな町とか、荒涼とした、荒れ果てた漁村であるとか、ああいうものに何か惹かれる。これは自分自身が歳を取ったせいかもしれないんですけれども、あんまり元気のいい、活力のある風景よりも、何かそういう、ちょっと盛りを過ぎちゃったところのほうがね。果物も、盛りを過ぎたぐらいのほうが美味しいっていうから(笑)。腐り始めたときが美味しいみたいな感じでね。

楠瀬氏 川本さんは昔、『感覚の変容』(1987年、文藝春秋)で都市の新しい描き方について書いていらっしゃいましたよね。

川本 それも、都市の中で滅んでいくものについてですね。あのころはまだそういう言葉はなかったけど、廃墟論とかね。だから、鉄道に乗るのが好きだというのも、北海道の鉄道なんかに乗ってると、本当に「こんなところに人が住んでいるんだろうか」と思うようなところに駅があったりするんですよ。そういうのにものすごく惹かれますね。

――鉄道はいつごろからお好きなんですか。

川本 鉄道はね、旅をするようになった30過ぎぐらいでしょうかね。

――ウィキペディアを見ると「街歩きを一般化させたのは、川本三郎である」というふうに書いてあります。いまは本当に、街歩きのテレビ番組とかエッセイとかたくさんありますけど、川本さんがこういった視点をはじめて打ち出して、人気を博した、といわれています。

川本 それは光栄です(笑)。ありがたいことですね。

楠瀬氏 東京の下町を、定年退職後のカップルみたいな方々が、デイパックを背負ってぐるぐる回る姿がよく見られるようになりましたが、それを20年前から始めた方なんですよね。

川本 お金がかかんないからね(笑)。

――やっぱりああいうところがお好きなんですか。

川本 まあ、『マイ・バック・ページ』(平凡社)にも書きましたけど、いろいろつらい人生を送ったので、あんまりみんなでにぎやかに騒ぐというのが好きではなかったんですね。ひとりで歩いてた時期があって。

――僕なんかも映画について書くことがあるんですけど、映画を書く場合は必ず「ほめてください」という無言の圧力みたいなものがありますね。川本さんぐらいになるとあまり、そういう圧力もないでしょう。

川本 ただ、私の場合は文芸評論も映画評論もそうですけど、嫌いなものについては書きませんから。好きになったものについてしか書かないようにしています。新聞の書評では、定期的に書いているのは毎日新聞なんですけど、あれがいいのは、編集会議というのがなくて、自分が読んで「これがやりたい」と手を挙げれば、他の方とバッティングしないかぎりは、それを書かせてもらえるんです。したがって、自分が本当に好きな本について書ける。
 ときどき困るのは、他の新聞社から「これについて書評してください」と電話がかかってくるじゃないですか。読んでないうちに「この作家なら大丈夫だろう」と思って受けて、読んでみると「この作家なのに、こりゃダメだ」というときがありますね。これは本当に困ります。池上さんなら、そんなときどうされますか。

――いやあ、そういうときはうまく逃げますよ(笑)。テクニックで。ただ、本当に逃げられなくなったことは一回だけあります。作品名はここでは申し上げられませんが(笑)。

川本 昔、テレビの洋画劇場で淀川長治さんが解説をやっていたでしょう。「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」って。毎週やるわけで、あの方の好きな映画ばかりやるわけにもいきませんから、ときには嫌いな映画のときもあるわけですよね。そういうときは、だいたいわかるんですよね(笑)。一生懸命に解説をやるんだけど、いちばんよくやる手は、その映画の話じゃなくて、出演している俳優の話になる。「この人はあの映画にも出てましたね、あれはよかったですね」みたいな感じで(笑)。

――つまり、周辺の話で埋めるということですね。ぼくも同じような手を使ったことがありますよ(笑)。

◆『ハッピーアワー』5時間の衝撃/藤沢周平と農村の風景/近代文学のある風潮

楠瀬氏 去年、川本さんが新鮮だとおっしゃっていたのが『ハッピーアワー』(濱口竜介監督)という映画です。5時間ぐらいある映画で、こんな映画に出会ったのは初めてで批評言語がない、と悩んでおられるのを見ました。これは評論家にとっては幸運なこと、と言っていいのでしょうか。

川本 そうですね。みなさんご存じかな、去年の暮れに公開された映画なんですけど。神戸に住む、4人の35歳の女性の、簡単にいえば友情の物語なんです。離婚する女性がいたり、夫に浮気される女性がいたり、あるいはバツイチの看護師さんがいたり、4人4様なんですけど、その人たちの日常生活をずっと描いていくんですね。で、上映時間は5時間もありますし、面白いのは、演じているのが素人なんですね。神戸のワークショップで演技指導をして、その人たちが役者として演じているという。最初は、5時間だし素人が出るんだし、まったく期待しないどころか、途中で眠くなったらどうしようと思うくらいだったんですけど、観にいったらどんどん引き込まれていくんですね。結局、物語の面白さで惹かれて観ているのか、素人が女優を演じている面白さで観ているのか、いろんな要素が混じり合ってて、もう3回ぐらい文章を書いたんですけど、いまだに、なぜ自分がこの映画に感動したのかわかってないんですね。
 楠瀬さんにもぜひ観たほうがいいと勧めて、面白いと言ってもらえました。

楠瀬氏 なんでこのシーンが延々と撮られているのかわからない、そんなシーンが魅力的なんですね。たしかに、なんで魅力的なのかは本当にいわく言いがたい。物語としてできていないわけではないし、おそらくワークショップで当て書き的に役を振っているので、ストーリー通りに順撮りしているでしょうから、素人女優の演技もだんだん慣れていって、よくなっていくんですね。映画が完成していくライブ感と、長時間いっしょに観ていくことで、観客の生理現象と映画がシンクロしていくというか。これは、小説ではあまり味わえない不思議な感覚でした。

川本 これもまた最前から言っている、ひとりになるということ、遠くを見るということですね。その映画も、4人の女性の物語なんですけど、ふだんはいつも4人いっしょでお酒を飲んだりおしゃべりしたりしているんですけど、ときどき、4人がそれぞれひとりっきりになるシーンがあるんですね。たとえば、看護師さんがタバコを吸いたくなって、病院のベランダでタバコを吸おうとして、神戸の遠い海を見る。別に何も説明はしないんですよ。あるいは、中学生の子どものいる主婦が、買い物か何かに行くんで、神戸の電車に乗る。電車のドアのところにひとり立って、外を見ている。これも台詞は何もなく、約1分ぐらい、ずっとその姿を見せている。それから、もうひとりの女性は、離婚裁判をして、神戸から離れるんですね。その、離れるときに、神戸港から船に乗る。船のデッキにひとりで佇んで、遠ざかっていく六甲の山々を見つめるのを、後ろからカメラがとらえる。
 かならず、4人いっしょのところと、4人がひとりになるところを、それも大げさではなく、日常にこういうことってあるよな、というとらえ方で描いていくんですね。
 これはね、観た人はほとんどが驚くんですね。こんな映画があったんだ、と。みなさんもぜひご覧になってください。

――そういった孤独というか、遠くを見る、何か思いを馳せる、自分の心の中に埋もれているものと、風景を見ながら思い出してしまったものが、ふと風景と同一化する、という感じですかね。やはり風景を描くというのは、映画なら簡単ですけど小説では難しいですよね。

川本 難しいですよ。

楠瀬氏 ちょっと話は変わりますが、昨日たまたま押切もえさんと宮本輝さんの対談があって、名文とは何か、という話になったんです。そこで、歌ってはダメだ、説明するのもダメだということで挙げたのが、森敦の「月山」(文春文庫『月山・鳥海山』所収)なんですよ。冒頭の文章を激賞されていました。

――たしかに独特のうねりはありますね。

川本 森敦もいいかもしれないけど、風景描写で思い出したのは藤沢周平ですね。あの人は時代小説なのに、こんなに風景描写がいい作家っていないんじゃないかと思いますね。私は、いまから15年ぐらい前になるかな、鶴岡市に呼ばれて、藤沢周平についてお話したことがあるんですよ。まだ記念館ができてないころですが、そのときに話したのが、藤沢周平は実は農民文学である、ということです。あの人は鶴岡といっても田舎のほうで、農村で育って、ずっと田園風景を見てきているので、ああいうものを書けるんですね。山の描写とかね。

――藤沢周平は俳句もやってましたしね。昔の作家は、風景を描写しなければいけないとか、風景の中に人間の気持ちがあるとか、あるいは季節感を表現するとかがありましたね。

川本 日本の近代文学でいけないのは、女を描けないと作家ではない(笑)、という風潮が長く支配していて、そのために苦労した作家がけっこう多いんですよね。無駄な苦労だったんじゃないかと思うんですけど(笑)。
 日野啓三さんという作家がいらっしゃいましたが、あの方はあるときから作風がまるで変りましたよね。私がいうところの、風景小説に変っていくんですよ。あるとき、日野さんと対談したときに、日野さんの風景描写がよくて好きなんですと言ったら、「われわれの世代は、女が描けないとダメだと言われ続けてきて、苦労したんだよ」と言ってましたね。

――いまはもう、そんなことを言う作家もいませんよね。

◆人柄も才能のうち/旅の風景に溶け込む瞬間/感情の流れをいったん冷却する

川本 それにしても、山形という土地には作家が多いですよね。藤沢周平でしょ、井上ひさしでしょ、丸谷才一でしょ、すばらしいですよね。この講座からも、すでに6人ぐらい出ているそうですし。

――まだまだ待機している人もいますしね。さまざまな賞で、最終候補まで残った人が何人かいます。

川本 昔はね、作家は性格が悪くてもいい、と言われていたんです。むしろ、性格が悪くないと作家ではない、ぐらいに言われていたんだけれども、近年は、お気づきでしょうけど、性格のいい女性作家が多くなりましたよね。今日の講評で取り上げた作品でいうと、女性おふたりの作品は、いかにも性格のいい人が書いているなとわかりますね。お母さんの年金の話と、お医者さんの跡取りの話と。いかにも性格がいい。
 性格の良さも、才能なんですよ。これは私が最近知った言葉で、樹木希林さんがおっしゃっていたんですけど、是枝裕和さんを褒めていた言葉です。映画監督も、性格が悪いといわれる人が多いんですが、是枝さんは誰もが認める好人物で、人柄が本当にいいんですよ。だから、樹木希林さんは「是枝さんは、人柄も才能だ」とおっしゃっているんです。
 作家だから、性格がねじ曲がらなければいけないとか、あまりそういうことは考えないで、人柄よく生きてください(場内笑)。

――結論が出たみたいなので(笑)、では質疑応答に入りたいと思います。質問のある方は挙手をお願いします。

女性の受講生 先ほどから風景についてのお話が出ていましたが、私が感じたのは、風景と心情を重ねるという手法が、ある程度、形式化してしまっているのではないかということなんです。やはり、悲しいときにはこういう風景なんじゃないか、というのがある程度想像がついてしまうんですが、そういうものを使ってもいいのかな、と思ってしまいます。
 あとひとつ、これはまったく別なんですが、川本先生はたくさん旅をされているということで、その旅で見た風景から思い浮かぶのは、たとえば小説や映画の一場面なのか、それともご自分の過去の思い出なのか、お聞かせ願えればと思います。

川本 これは非常に難しい質問ですね。まず後のほうの、旅の風景について言いますと、街を歩いてたり旅をしていたりするとき、いちばんいい状態というのは、自分のことを考えていないときだと思うんですよ。それは、そんなにはないんですけど、ある瞬間、もう自分のふだんの生活だとか、これからの旅の予定だとかいうことを、忘れてしまう瞬間というのがあるんですね。その街の風景に溶け込む瞬間というか。それは、綺麗な風景とか、美しい風景とかとはまたちょっと違うんですね。何かさびれたものだったり、そこを説明するのは難しいんですけど。言ってみれば、私はひとり暮らしの老人なので、最近とくに感じるのは、街を歩いていて、この街に1日か2日住んでみたいな、と思うかどうかですね。それがすごく大きいですね。もし、そこにある空き家になっている建物に住んでいたら、自分はどうなっているだろうとか、それを考えますね。
 私はあんまりね、家庭的な人間じゃないんですよ。子どもを作らなかったことでもわかるように。カミさんはいつも「あなたは賄い付きの下宿に住んでいるつもりでしょう」って言って怒っていましたけど、ひとりでぶらっとしているのが本当に好きなので、カミさんには悪いことをしたと思っています。
 あ、ごめんなさい。最初の質問は何でしたっけ(笑)。ああ、風景描写を使うことについてですね。もちろん、ありきたりな風景描写は困りますけど、風景描写をすることによって、それまで自分の内面にこだわっていたぐじぐじしたものが、一回浄化されるということはあると思うんですよ。これは読む側にとってもそうだと思うんです。それがまったくないと、いつまでもこの人の悩みに付き合わされている、という感じになっちゃう。私は実は太宰治が嫌いで、太宰には『津軽』のように小説とも紀行文ともつかない作品もありますけど、彼の作品にはほとんど風景描写がないんですよね。人間関係だけです、あの人の作品は。そういうのが私は苦手でね。だから、感情の流れを一回冷却するという意味でも、目を一回遠くに向けるのは大事だと思います。

◆締め切りがあるから書ける/エッセイの根本は古今東西からの引用/「私の嫌いな言葉たち」

女性の受講生 私は「小説を書いてみたい」と思ってこの講座に来ているんですが、勉強不足で、参加するごとに書けなくなってきちゃって。みなさんすごいし、毎回いらっしゃる講師の先生方もすごいし。いちおう予習してくるんですが、川本さんの『大正幻影』(岩波現代文庫)を読み始めたら、1ヶ月かかっちゃったんですね。ああすごいなあ、こんなふうにして作家はものを見ているんだな、と、メモを取りながら読みました。後ろに参考文献がありましたが、実際にはもっと多くの本を読んでいらっしゃるんですよね。いったい、どのぐらいの資料を読んで、どれぐらいの時間をかけて書かれたのでしょうか。

川本 あれはですね、年に4回出る季刊誌で連載したものなんです。たぶん池上さんもそうだと思うんですが、原稿というのは、締め切りがないと書けないものなんですね(笑)。書き下ろしでいつか書こう、なんて思っていると、まったくダメです。で、季刊誌の連載だったために、3ヶ月に1回締め切りが来ます。「あと1週間、あと5日、あと4日」と刻々と迫ってきて、最後の2日間ぐらいに、青ざめながら書いていた、というのが現状です。で、書き上がるともう「終わった終わった」と旅に出ていました。
 参考文献についてですけど、評論家というのは本を読むことが仕事のうちです。それから、評論やエッセイも実はそうなんですけど、私の本を読んでくださるとおわかりになると思うんですが、私の評論やエッセイはちょっとふつうの人と違うんです。それはですね、ほかの人が書いた文章からの引用を、なるべく多くするようにしているんです。
 これは、現在のエッセイストやコラムニストと呼ばれている人たちの、エッセイに対する考え方とは違います。いまの人たちのエッセイというのは、私はお寿司が好きだ、お寿司の中ではどれが好きだ、私はどうした、こうした、というのを書くのがエッセイだと思われています。私は評論家として、そういう文章は書きたくないんです。お寿司が好きな作家にはこういう人がいました、とか、お寿司といえばこの小説にはお寿司が出てくるこういう場面がある、とか。そういう、なるべく引用によって文章を作ろうとしています。それがたぶん、ほかの方のエッセイと違うところではないかと思うんですが、ただ、実はエッセイというのはそもそもそういうものだったんです、昔は。だから、随筆を書く人というのは、暇があって、本をたくさん読んでいる人がいちばんいい、と言われていたんです。ところがいまは、本を読まない人が随筆を書くようになっちゃったために、私はどこでこの買い物をしたというような日記みたいな文章があふれかえってますよね。そういうことはしたくない。
 ただ、これは時代遅れの考え方だということはよくわかっているので、みなさんにはお勧めしません。たぶん、いまの読者は「私はお寿司が好きだ」と書いている文章のほうが好きだと思うので、みなさんにはお勧めしないんですけど、でも、随筆の根本というのは、古今東西の本をたくさん読んで、その中から、いい言葉を見つけ出して、それを引用することにあるという基本は、頭のどこかに入れておいてください。

女性の受講生 川本先生は、言葉を信頼していますか。すごく言葉を信頼していらっしゃる方だな、と思ってお話を聞いていたんですが。

川本 もちろんです。

楠瀬氏 最近、何か嫌いな言葉はありますか。

川本 これは楠瀬さんとよく話すことなんですが、小説の場合は違うと思うんですけど、評論やエッセイの文章で大事なことは、みんなは使っているけど自分は使いたくない、という嫌いな言葉をたくさん持つことも、大事なことですよ、と。
 ただ、小説の場合は会話の中でどうしても使わなければならないことがありますから、それは成り立たないと思うんですけど、でもエッセイや何かの文章を書くときには、自分は絶対こういう言葉は使わないぞ、というこだわりはお持ちになっておいたほうがいいと思います。
 私の場合は、まず流行り言葉ですね。絶対に使いたくない、いやでいやでしょうがない最近の言葉がいくつかありまして。まず「目線」ね。それから「真逆」。それから「生きざま」。これは70年代から使われている言葉で、いまや辞書にも載ってますけど。

楠瀬氏 「ほぼほぼ」なんて言葉もありますね。

川本 最近はそんな言葉もありますね。それから、私がいやなのは、やたらと無生物に「○○たち」をつけるんですね。「私の好きな映画たち」とか、「私の好きな本たち」とか。あれが、歳を取るともういやでいやでしょうがないんですけれども。
 みなさんの中には、それのどこが悪いんだと思う方もいらっしゃるでしょうから、それはそれでいいんですけれども、大事なのは、自分の中で、みんな使っているけど自分は嫌いだから使わないよ、という言葉を持つことだと思うんですね。いっとき流行った「独断と偏見で言わせていただきます」なんてのも、これも使うといやですね。

――それが個性になるんですよね。きちんと言葉に対して、使っていいかどうか自分でよく考えることが。

川本 身の丈に合った言葉を使う、ということですね。あまり背伸びして、観念的な言葉は使わない。だから、文章論のいちばん好きな言葉は「誰もが使っている言葉で、誰もが言わなかったことを言うことだ」という。これが文章論の基本だと思うんですね。変に小難しい文章は、使わないほうがいいと思いますね。

――まだいろいろおうかがいしたいところですが、残念ながら時間となりました。今日は本当にありがとうございました。

(場内大拍手)

【講師プロフィール】
◆川本三郎(かわもと・さぶろう)氏
 1944年、東京生まれ。文学、映画、東京、旅を中心とした評論やエッセイなど幅広い執筆活動で知られる。著書に『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞・桑原武夫学芸賞)、『白秋望景』(伊藤整文学賞)、『マイ・バック・ページ』『いまも、君を想う』『今ひとたびの戦後日本映画』など多数。訳書にカポーティ『夜の樹』『叶えられた祈り』などがある。現在、読売文学賞、サントリー学芸賞(社会・風俗部門)の選考委員を務めている。

●ぼく東奇譚 永井荷風  (新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101069069/

●白秋望景 (新書館)  ※伊藤整文学賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4403211054/

●林芙美子の昭和 (新書館)※毎日出版文化賞・桑原武夫学芸賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4403210821/

●今ひとたびの戦後日本映画 (中央公論文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/412203650X/

●いまも、君を思う  (新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101271615/

●荷風と東京「断腸亭日乗」私註  (岩波現代文庫)※読売文学賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4924831387/

●海炭市叙景  佐藤泰志(小学館文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4094085564/

●叶えられた祈り トルーマン・カポーティ (翻訳=川本三郎 新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4102095071/

●マイ・バック・ページ ある時代の物語  (平凡社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4582834841/

●永遠とは違う一日  押切もえ (新潮社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4103399317/

●鮨 そのほか  阿川弘之 (新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101110190/

●小説を、映画を、鉄道が走る  (集英社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4087452387/

●大正幻影 (岩波現代文庫)※サントリー学芸賞
https://www.amazon.co.jp//dp/400602133X/

●鉄塔家族  佐伯一麦  (朝日文庫)※大佛次郎文学賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4022644044/

●夜の樹 トルーマン・カポーティ (翻訳=川本三郎 新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4102095055/

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