「小説の材料を最大限に活かしきるために、その使い方と作品のルールについては、頭がちぎれるぐらい考えて書いてください」

 6月の講師には、大沢在昌氏をお迎えした。

 1956年愛知県出身。1979年『感傷の街角』で第1回小説推理新人賞を受賞しデビュー。1990年に『新宿鮫』で日本推理作家協会賞と吉川英治文学新人賞をダブル受賞しベストセラーを記録。その後は直木賞、柴田錬三郎賞、日本ミステリー文学大賞、吉川英治文学賞を受賞している。
 和製ハードボイルド/冒険小説のブームを牽引した中心的作家のひとりであり、また、2006年から2009年まで、日本推理作家協会の理事長を務めた、ミステリ界の重鎮である。

 また、今回はゲストとして、西川太基氏(講談社)、坂本栄史氏(集英社)、富岡薫氏(KADOKAWA)、松尾賢次氏(徳間書店)をお迎えした。また、本講座出身作家である柚月裕子氏(大藪春彦賞、日本推理作家協会賞作家)と吉村龍一氏(小説現代長編新人賞作家)も、講座に参加した。

 講座の冒頭では、世話人をつとめる池上冬樹氏(文芸評論家)がマイクを取り、講師を紹介した。

「こんにちは。今日は大沢在昌さんをお迎えしました。ここに来ていただくのは、2011年以来5年ぶりとなります。今日はよろしくお願いします」
 続いて大沢氏もマイクを取る。
「大沢在昌です。そうですね、震災の年だったんだね。今日は柚月裕子さんも来てるね、目立たないように端っこのほうに(笑)。今いちばん売れっ子のくせして(笑)。ついこないだもね、私は反対したんだけど日本推理作家協会賞を受賞しやがって(笑)今ノリノリです。これから数年以内に、直木賞とか大きな賞を取っていくと思います。偉そうになる前に、今のうちに芽を摘んでおこうという私の考えで(笑)、最近は会うたびにいじめています。今日はちょっと天気が心配だったんだけど、意外とよくて、青空も出てて、新幹線がトンネルを抜けたときの景色もよかったので、ぼんやりと景色を眺めてきました。山形は盆地だから暑いかと思ったけど、涼しくてよかったです。今日はよろしくお願いします」

 今回のテキストは、エッセイが1本、小説が3本の計4本。

・座光寺修美「そらっ」(8枚)※エッセイ
・塩崎憲治『残照』(50枚)
・みつときよる『朽ちたバスと幽霊』(58枚)
・佐藤祐『亡夫のお年玉』(67枚)

◆座光寺修美「そらっ」(8枚)※エッセイ
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8567914
 車を運転していた筆者は、突然警察官から声をかけられる。シートベルトを装着し忘れていたのだった。
 ゴールド免許が取り消されることに我慢ならない筆者は、警察官の態度に反感を覚え、ささやかな抵抗を試みるのだが……。

・池上氏の講評
 短くまとまっていて、それに作者の年齢を知らないで最後まで読むとびっくりする仕掛けがある。この人はなんでこんなにあわてふためいてバタバタしているのか、と思ったら実は81歳で、ゴールド免許で運転歴を終わりたかったとわかる。その辺のオチが非常に面白い。テンポもいいし、感情も上手く書けています。
 ただし注文もある。コミカルな心の動きをテンポよく快調に書いてはいるんだけど、あともうひとつ、ラストに何かほしい。「そらっ」というタイトルと、青い空をかけてあるんだけど、ここがいまいち効いていない。もっとすっとぼけて、しかも何か人生の真実を描いているようなところに行ければ、もっとよかったと思います。
 
・大沢氏の講評
 私はね、免許とって30年以上、いちどもゴールド免許になったことがないんですよ(笑)。
 最初のところでひっかかったんですね。「どうして車道に人が……」とあるんだけど、これは制服警官だから、制帽を被って制服を着ているわけで、ひと目見ただけで警官だとわかりません? 「人が」という前に。
(座光寺氏「白いシャツにチョッキみたいなのを着ていたので、おまわりさんだとはわかりませんでした」)
 ああ、夏の制服だったんですね。でも制帽は被っていたはずですよ。
 まあ、捕まったのが本当に腹立ったんでしょうね。それはすごく伝わってきます(笑)。正直いえば、それ以外に何も感じようがない作品なので。これはエッセイなんですよね? 小説としては、オチがあるわけでもないですし。ただ、警官とのやり取りの部分は、オマワリってのはだいたいこういう言い方をするんで(笑)、やたら低姿勢なんだけど決して引かない、っていうね。彼らはそういう訓練を受けてますから。そういうところで、リアリティはあるんだけども、それだけかな、っていう感じですね。
 俺ね、覆面パトカーに捕まったことがあるんですよ。横浜横須賀道路というところで、釣りの帰りにね。ちょうど今ぐらいの時期だったもんで、天気も夕立で真っ暗になってて、前の追い越し車線にすっごいトロい車が走っててね。いくらパッシングしても全然どかなくて、ようやくどいたんでアクセルをバーンと踏んだら、後ろからピタッときたもんで「こいつも焦ってたんだな」と思ってミラーを見たら、パトランプが出て「はい左に寄って」って言われて、「俺かよ!」と思いながら止まったら、オマワリがふたり乗り込んできてね。何とか許してもらえねえかな、と思って、そんとき一度だけですけど、正体を自ら言ったんですよ。『新宿鮫』を書いてる者なんですけど、って言ったら「ああ知ってる知ってる。アレ、警視庁でしょ? ウチ神奈川県警だから」って言われて(笑)それで終わっちゃった、っていう話があるんですよ。警視庁と神奈川県警って仲悪いから。
 まあ、そんなぐらいですかね。でもまあ、ゴールド免許をなくすってのはたしかにつらいでしょうけど、僕ね、これ書いた人の運転が想像できてね(笑)。この人の後ろは走りたくねえな、って正直思いました(笑)。

◆塩崎憲治『残照』50枚
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8567980
 田村信也は外資系医療機器メーカーを定年で退職した。半年ほどが経ったころ、二十五年間共に闘ってきた同い年の大山が自殺する。大山の妻の話によると、再就職に奔走している矢先、遺書も残さず死を選んだという。葬式の帰りに信也は、このままではいつか自分もと戦慄を覚える。
 ハローワークの帰り信也は、公園で掃除をしている若者たちに出会う。信也は、社会から見過ごされそうな仕事に精を出す人々に興味を持ち、ポプラ商会という清掃会社に就職する。

・富岡氏の講評
 冒頭の同僚の自殺から、定年退職後の居場所の問題や孤独感など、考えさせられるものがあるな、と思いながら拝読しました。
 気になったのは、この小説を読んで、「作者の一番書きたい事」がわからなかったんですね。長篇だったらいろいろ書き込めるんですけど、これは短篇ですから。企業戦士たちの退職後の孤独感や疎外感を書くのか、外資系メーカーのことを企業小説として書くのか、それとも、その後のポプラ商会という新たな場所での、人々との交流を書くのか。メリハリをつけるべきかな、と思いました。
 あとは、前半、関係の無さそうなひとつひとつのエピソードが長くなってしまっているので、中盤から後半、クライマックスが駆け足になっているとも感じました。何かひとつ「ここ」という盛り上がりを決めて、そこを丹念に書き込んで、あとは適度に、その盛り上がりをさらに際立たせる要素に留めるのが良いのでは、と思いました。

・松尾氏の講評
 非常に好感触を持って読ませていただきました。いま富岡さんがおっしゃったことにも通じると思うんですけど、僕はこの全体を通して読んで、長篇向きのテーマだな、と思いました。
 なぜかといいますと、おそらくこの小説は4つのブロックに分けられると思うんですね。そういう組み立てで構築されたと思うんですけど、そのブロックごとに70~80枚ぐらいの中篇が1本ずつできると思うんです。僕は「問題小説」編集部にいたときに、それぐらいの分量の中篇を山ほど読ませていただいたんですけど、もったいないなという感じが強くします。
 だからこそ、全体を貫く軸がしっかりしていないと、散漫になる傾向があるんですね。そこが、長篇向きだと思いました。
 それと、物語の設計についてですが、流れとして起承転結になっているんですね。それはいいんですが、読み手の側から「こういう構造になっているな」というのが透けて見えると、実は小説としてはあまりよろしくない。それを感じさせないで一気に読ませる力、というのが、このぐらいの長さの中篇には必要だと思います。
 それぞれのブロックは、たいへん楽しく読ませていただきました。

・池上氏の講評
 塩崎さんは今回は別の作品も出してくれたんですけど、わりと定型のハードボイルドに感じられたので、会社小説のほうがいいかなと思って、ストックから『残照』を選びました。実体験もあるのでしょうが、会社関係の話は面白い。ただ、細かい書き込みがほしい部分もある。50枚では足りなくて、80枚ぐらいに膨らませてほしかった。後半の掃除グループの面々も、もうちょっと書いてくれたらもっと良くなる。
 エンディングは出来すぎですね。気持ちよく読めますけど、たぶんラストはみんなが迎えに来るんだろうなと読めてしまう。なんでみんな見舞いにこないのか、冷たいやつらだなと思わせる(ミスリードさせる)要素をいれる。何か人間関係が壊れたようなことを書いて、それでもみんなちゃんと主人公のことを思っていた、というひねりの手続きが欲しかった。
 あとはですね、奥さんの話ですね。夫がウソをついていても意外とわかってしまうものなので、奥さんの心情を書いてほしかった。主人公はいい人過ぎるし、それはわかってしまうもの(笑)。前半の、自殺した友人の遺体を片付ける場面なんかは非常にてきぱきとしていていいんですけど、もうちょっと屈折して、なおかつ孤独感を描くともっとよかったと思います。

・大沢氏の講評
 塩崎さんはけっこう書いてらっしゃる方だと思うんですが、まず文章に関して言うとですね、説明しようという意識が強すぎて、くどいんですね。たとえば、1行目から「遅い朝食を済ませ書斎に向おうとした時だった。突然ダイニングにある電話が鳴りだした」とあるんだけど、これは「ダイニングにある電話が鳴りだした」あるいはただ「電話が鳴りだした」でもいいですよね。家族で住んでいるわけだから電話は固定電話で、固定電話っていうのはだいたいリビングとかダイニングにあると決まっていますから。昔は玄関にあったりもしましたけど。そうすると、いちいち「ダイニングにある」とか「リビングにある」とかいう説明は不要ではないかなと。
 文章に関して、ていねいなんだけど雑なところもあって、「受話器の向こうから、蒼白な声が伝わってきた」というのは、声に色なんかあるわけないので、これはおかしいですよね。「ざわりとする不安を覚えながら」というのも、ちょっとピンとこない。それからこの後ね、「世田谷の大山の自宅の前でタクシーを降りた。広い玄関アプローチに白のクラウンが停まったまま、道路に面する車庫のシャッターが閉まっていた」。これすごくわかりにくいよね。だって、車庫のシャッターが閉まっていたら、道路からは車のことは見えないわけだから。そうすると、車庫の出入り口は道路側で、そのシャッターは閉まっているけど、この主人公がタクシーを降りたときは、車庫の中が見えていることになるわけですよね。そこはわかりにくい。
 ここでちょっと、みなさんにも参考になると思うので、板書していきます。
(ホワイトボードに書く)

・文章 音読する
・立場に沿った行動
・作品の狙いに自覚的に

 いいですか、5ページ目にある「信也が学んだ空手の流派は松涛館流という伝統派に分類される空手道だった」くどいよね、これ。「信也が学んだ空手の流派は松涛館流という伝統派だった」で済むと思うんですよ。自分の文章は、音読してみてください。そうすると、自分の文章が読みやすいか読みにくいか、わかります。文字だけ見ていると、つい書き込んでしまいたくなりますから。だけど実際読む側からすると「わかってるから! まだこの上に重ねて書くのか」ということが起きます。これは塩崎さんだけでなくみなさんに言えることなんですけど、自分の書いた文章を音読するのはけっこう役に立ちますので。短い文章だったらする必要はないです。けど、ちょっと長い地の文を書いたときに、その文章が適切かどうか自分でわからなくなる。そういうことは我々プロでもありますから、そのときは音読する。これはけっこういい方法です。
 それから2番目、登場人物の立場に沿った行動を考えること。これは何を言いたいかというと、この作品だと、大山の奥さんね。旦那さんが自殺しているのを見つけたとき、主人公の信也に電話してきますよね。みなさん、考えてみてください。男性でも女性でも、自分の旦那さんや奥さんが、同じ家の中で首を吊っているのを見たとき、最初に友だちに電話しますか。ふつう、生きてると思ったら119番して救急車を呼ぶでしょう。あるいは、死んでいたら110番でしょう。友だちに電話をする、という行動自体が本来あり得ないですよね。たとえばすごく田舎で、警官が来るのにパトカーですっ飛んできても30分かかるとかならわかるけど、これは東京の世田谷という設定ですから、近所の交番からチャリンコでオマワリが5分もかからず駆けつけるような状況の中で、わざわざタクシーに乗ってこなければ着けないようなところにいる、しかも旦那とは仲良かったかもしれないけど、奥さんからすればそんなに親しくもない人を、家まで呼び出しますか。しかも理由も言わず。あり得ないですよね。
 しかも、この信也が来て、奥さんに「毛布とタオルを持ってきてください」と言って、ロープを外して死体を降ろす。これ、警察にメチャクチャ怒られますから。これは自殺だったのか、自殺を装った他殺だったのか、これで証拠が失われる可能性がありますから。死んでいたら、なんで触ったんですか、と。奥さんがやったのならまだわかりますが、わざわざタクシーでやってきた人間がこんなことをしたら、この場で解放なんてまずしてもらえません。取り調べに連れて行かれますよ。非常に軽はずみな行動を、この主人公は取っているんだけど、取らせているのは作者なんです。だから塩崎さん、ここも考えが足りてない。
 それから、塩崎さんはご自分が実際に外資系の会社におられて、その特殊さは書いてもわかってもらえない、とおっしゃっていますが、僕はそれは傲慢だと思う。というのはね、小説というのはどんな人が読むかわからない。あなたよりもっと複雑な企業に勤めていた人もいるだろう。そして、外資の特殊さというのは、小説の材料としてはむしろおいしいわけですよ。それをどうわかりやすく描くか。たとえば、外資の激しい競争社会の中で、自分には性格的に向かないと思った、だから敢えて無能を装ったり笑いを取りにいったりして自分の立場を守っていた、であるならそれを説明することが、むしろ主人公のキャラクターや生きてきた世界の厳しさをわからせるいい材料になるわけじゃないですか。事細かに書く必要はない。何か印象的なエピソードをひとつ書けばいい。ハッキリ言って、このジョークのエピソードはあまり面白くないです。だけど、そういうことがあって非常に苦労した、ということはわかっていいと思うし、そこを「特殊だから書いてもわかってもらえない」というのは作者の傲慢さです。むしろ、わからせるように書くことこそが小説だ、と私は思う。
 それから9ページ。私も還暦になりまして、サラリーマンなら定年退職の歳ですから、「記憶に残る黄金の日々も、陰で妻と子供たちが粛々と刻んできた、賞賛されることのない日常の上に成り立っていたに違いない。信也がそれを見ていなかっただけだ」。これはいい文章だな、と思いました。そして「自分抜きでも楽しくやっているように見える家族を見て、絶望を感じるか、そのささやかな幸福さえも自らの闘いの報酬として授かったものと感謝するかが、戦士の運命を決めたようだ」。これはちょっと大袈裟だけど、まあいいと思いますよ。実に、この人は定年退職を経験した人だな、というのがヒシヒシと伝わってくる文章です。ただ、絶望は感じないでしょう(笑)。ふつう、「俺が頑張ったからこいつらの家庭団欒があるんだな」と思いますよ。ねえ、いまは保育園通いでつらい集英社の坂本くんも(笑)、いまはつらいかもしれないけど、きっと将来そう思うと思うんだよ。だから、ここは実にいいというか、ご自分の経験が文章に出ていて、いい。ただ、こういう人は世の中に何十万、何百万といるわけですから、そこを当たり前のように「俺しか知らない」みたいな書き方じゃなくて、みんなが「俺もそうだった」と共感できるような、何かそういう書き方があっていいと思うんですね。
 ただ、すごく気になったことがひとつある。
 信也っていう主人公は、奥さんと子どもがいるんですよね。でも子どもはこの小説の中にまったく出てきませんよね。娘なのか息子なのか。たぶん、お母さんと仲良くやってるんだろうから息子じゃなくて娘なんだろうけど。当然、自分が家庭の中で孤独を感じる瞬間というのは、母親と娘の特殊な、ある年齢になると生じる姉妹にも似た関係みたいなものが、エピソードとしてあってもいいと思うんだけど、どうも奥さんのことしか出てこない。娘さんは「パパ嫌い」とか言って寄りつかないのかもしれないけど、たとえば入院したりしたら、娘さんも当然くるでしょう。そういう場面があってもよかったんじゃないかな、と思うんですね。
 この小説は、外資のサラリーマンだった時代の話があって、それから定年退職して第2の職を探すんだけどなかなか見つからない。そこでポプラという清掃会社に入る。そこでようやく働くことの面白さに目覚めたころ、トラブルに巻き込まれて、かつて覚えのある空手で何とかしようと思ったけどあべこべにやっつけられちゃった、という話なんですけども、この作品に限らないことですが、全体に、みなさんに覚えておいていただきたいんですけど、作品を書くときに、何を読者に伝えたいのか、ということにより自覚的になってほしい。
 この小説で、塩崎さんは読者に何を伝えたかったのか。定年退職後の中年男の悲哀なのか、それとも、再就職先で得た新しい人の絆のすばらしさなのか、それとも、小さくてささやかだけど彼の冒険譚を書きたいのか。いずれにせよ、何を伝えたいのか、どこに主眼が置かれているのか、この作品ではハッキリしてない。これは、ほかの作品を書かれた人にも、問題として出てくると思います。おそらく、アマチュアの書く小説は必ずそうなるし、プロでもそうなることはありますが、何を言いたいのか、エンターテインメントなら何をもって読者を楽しませようとしているのか。要は、売りはこれなんだ、ということ。たとえば「泣かせたい」とか「ほのぼのとさせたい」とか、あるいは「ハラハラドキドキさせたい」とか。その物語の中でね。もちろん、それぞれのパートでいろいろありますよ、ほのぼのさせたり泣かせたりハラハラさせたり。だけども、トータルとしてこの作品の中で読者に訴えたいものは何か。読者はそこにお金を払うわけです。そこで我々はお金をいただくんだ、ということに自覚的でなければいけない。
 たとえば、みなさんがお菓子を作って売っている。あるいはお弁当を作って売っているとする。それが「おいしいかどうかわからないけど買ってください」と言っていても、誰も買わないですよ。「おいしいですよ、とくにこの煮物は自信があります」とか、そういう世界じゃないですか。あるいは「このケーキはそんなにしつこくないけど、甘いです」とか「甘いけど太らないですよ」とか、そういう売りがあるからお客さんはお金を払うわけです。とくにいまの時代というのは、本屋さんで本を買うお客さんは、すごくシビアに選んでいます。まずベストセラーになっていれば間違いない、という買い方をしたり、あるいは帯に「泣ける」とか「笑える」と書いてあると、そのわかりやすいところにお金を払うんです。そういう時代ですから、何が売りなのかということに、書く人は自覚的になる必要がある。それはアマチュアであっても同じで、小説というものは、自分ひとりのために書いているんだったらそれは日記の延長でかまわないわけだけど、常に「誰かに読まれる」ということを意識して書いているなら、読んでくれた人がこれを読んでどう思うのか、そして自分はどう思ってほしいのか、そこを自覚して書かないとダメだと思うんだよね。ただ書いたから読んで、と言っても、そりゃ友だちとか親子兄弟だったら読んでくれるだろうけど、まったく知らない人に読ませるためには、なぜ読まなきゃいけないんだ、ということがそこに来ると思う。で、「読んでよかった」と思えるかどうかなんだよね。
 ハッキリした感情が読者の中に残ったとき、それは喜びだろうと悲しみだろうと、あるいは「?」マークでもいい。考え込んじゃうのでもいいんです。そういうものが残れば、読んだ甲斐があった、と読んだ人は思う。でも、読み終わったときに「何が言いたいのかよくわからないんだけど」となってしまったら、読んだ甲斐がなかった作品になってしまう。だから、みなさんには、そのことについてすごく自覚的になって、小説を書いてもらいたい。これが私からのアドバイスで、編集者っていうのはあまりこういうことは言ってくれないですから。でも作家はそういうことを考えています。これで何を訴えたいのか、何を読ませたいのか。今日は柚月さんもいるし、あとでそういう話になると思うんだけど、プロ作家は本当にそこを考えないとダメですから。編集者も、そこにあるという前提で、これから書く作品について、作家と打ち合わせをしますから。これから書く作品には、何か言いたいことがあるんでしょう、と。もちろん、黙っててもベストセラーになるんだったら、そこにお金があるんだから書いてもらうという話になるんだけど、そういうことはまれですから。本当に「何を言いたいんですか」「この作品の売りは何ですか」「読者にどう伝えたいんですか」ということに、編集者も自覚的だし、作者も自覚的にならないと、優れた作品はなかなかできないです。これは塩崎さんに限らず、みなさんに僕は言いたい。
 つまり、さっき挙げた「文章は音読する」ということ、それから「登場人物は立場に沿った行動をする」ということ。この作品では、奥さんを材料として書いてしまっている。つまり、主人公の信也に連絡する係としてこの奥さんを書いちゃったからこういう行動になったけど、よくよく考えたら奥さんの立場だったらこんなことするわけない。ここが最初からものすごくひっかかっちゃって、いやないでしょそれは、と。たとえば警察が現場検証をしているときに「来てください」と連絡があって、行ってみたらちょうど死体が降ろされる場面で、救急車は帰っちゃってて、もう死体だから葬儀社を呼んでくれ、となっている。こういう状況ですと、ふつう死体は警察署へ運ばれます。そして検死官のチェックを受けて、事件性がないと判断されれば葬儀屋に渡されますけど、事件性があるかどうか不明であれば司法解剖に回されますから。ここまで含めてわかって書かないと。首吊りというのはいちばん偽装されやすい自殺ですから、そんな簡単に警察は解放してくれません。まして遺書がない、となるとなおさらで、奥さんが保険金目当てで殺した可能性は十二分にあるわけで、しかもワケのわからない同僚だったという男がいたら「この男とデキてて、ふたりで示し合わせて殺したんじゃないの」というところまで疑うのが警察ですから、そこを考えて書いてください。
 それは要するに、奥さんの立場であると同時に、来ている警官の立場に沿ったものの考え方をしないといけない、ということですよ。
 そして、いま言った「作品の狙いに対して自覚的になること」。この3点、塩崎さんの作品を借りましたけど、みなさんには考えていただきたいと思います。

◆みつときよる『朽ちたバスと幽霊』58枚
 人を殺して逃げてきた俺は、道ばたに棄てられているバスにたどり着く。俺はバスの中で生活を始める。ある朝、俺は後部座席に置かれていた荷物に頭をぶつけて起きる。バスの中には見知らぬ子どもがいた。子どもは数日前から俺と一緒に生活しているというが、俺は子どもと過ごした記憶が全くない。頭をぶつけた拍子に、記憶喪失になったのではないか、と子どもは言う。子どもは俺の息子の名前を知っており、俺が人を殺して逃げていることも知っていた。
 冗談交じりに話した内容から、俺は子どもが、他人から忘れられる性質を持っていることを知る。俺は捕まらずに生活していくために、子どもを利用できないかと考える。

・西川氏の講評
 全体の道具立てはぜんぶ既視感があり、これまでの小説などで使われていたものではあります。とはいえ、苦々しいラストに行きつくまでの心理描写は、小説という表現方法が得意とするところです。こういうふうなものを書きたい、と思って書き進めたからできたものであって、その点は書き手の良い資質だな、というふうに思いました。
 作品全体を引き締める説得力や、この話でなければ書き切れない題材みたいなものを、探していけば、この方はもっと良い小説が書ける、と思いました。

・坂本氏の講評
 今回3本読ませていただいた中で、この作品がいちばん、読み手を楽しませようという意図を感じました。さらに、いちばんまとまりがよかったと思います。
 短期記憶を失う、というアイデアはあちこちで使われていますし、よくよく読むと、どうなっているんだろうと疑問に思うところもあります。ただ、このアイデアを生かし、追い詰められた男の心の揺れ動きが非常によく表現されていたと思います。
 一方で、最終的な読後感として、この話はいったい何だったんだろう、と消化不良気味にも感じました。また、さらに話を盛り上げ、読み手を楽しませる仕掛けもできたのではないでしょうか。
 具体的に言いますと、少年が小さな商店に入り、盗みを実演してみせますね。この小さなエピソードが短期記憶を失わせる能力の裏付けになっていますが、例えばこの部分、さらに派手にエスカレートさせることも出来たのでは。少年の能力を試す意味も含めて、里に下りて大きな盗みを実演し、場面が変わると男の身なりがぜんぶ一新していたぐらいの変化を付けても良かったのでは。記憶をなくさせるという性質がこんなに面白いんだということを、何らかの形で強調して欲しかったように思います。
 さまざまなアイデアをうまく換骨奪胎して、読み手を驚かせ、楽しませる。そんな姿勢を保ちつつ、今後も書き続けていただけたらと思います。

・富岡氏の講評
 私もすごく楽しく読ませていただきました。最後に、少年が泣きそうな表情で笑うじゃないですか。そのあたりで、少年の置かれている状況と特殊な体質を持つことの切なさに、かなりぐっときました。ただ、「忘れられる」という特殊な体質の条件を、もっとわかりやすく提示しておくべきかなと思います。たとえば、主人公のようにその少年といっしょにいる人も「忘れられる」のかとか、どのくらいの期間「忘れられる」のかとか。
 そして、その体質を使って、さっき大沢先生がおっしゃったように、何がしたいのか、最後に何を伝えたいのか、というのをもう少しわかりやすく書けたらいいなと思いました。男と少年の心の交流なのか、少年の体質を使ったミステリ的な驚きなのか。先ほども申し上げた通り、私はここが一番いいと思ったんですけど、少年の、その性質ゆえの切なさとか、やりきれなさとか。どこかに焦点をしぼって、しっかり書いていただきたいと思いました。

・池上氏の講評
 僕の感想は、いま富岡さんが言ったのとは逆ですね。少年ではなくて、やっぱり主人公の記憶が飛んでしまうこと、罪の記憶を失ってしまうことのうれしさ、あるいは悲しさ。そっちのほうに持っていったほうがよかったような気がするし、この主人公はぜんぜん苦労しないというか、ほとんど周辺の話を聞いているだけなんですよね。もうちょっと主人公が謎を解くというか、主体的な行動がほしい。
 それから、記憶のルールですね。どんなルールがあるのか、明確にしてほしい。
 あと、坂本さんもおっしゃったけど、こういう記憶を扱った作品は多い。映画などもいっぱいありますので、もっと映像的な感じで読ませる工夫がほしいと思いました。

・大沢氏の講評
 これね、オチはなんだろうと思いながら読んだんですよ。M ・ナイト・シャマランって映画監督がいますよね。彼の作品だったら、きっと主人公が死んでるというオチだろうなと。そこでオチてたらお前ふざけんなよ、と思って読んでたらそうじゃなくて、そのオチすらなくてびっくりしたんだけど(笑)。
 いま池上さんもおっしゃったけど「ルール」ということですね。これはすごく大事なもので、「作品のルール」ということですね。
 小説というのは作りものですから、作者は何を書いてもかまわない。たとえば僕が『新宿鮫』の中で、歌舞伎町でどんなすごい撃ち合いがあって、自動小銃が乱射されてもそれはOK。でも、『新宿鮫』の世界に宇宙人が出てきたら、これはアウトです。なぜかはわかりますよね。『新宿鮫』の世界のルールと、宇宙人が出てくるようなSF小説のルールは違う。
 で、こういう小説の場合は、作品のルールがすごく大事になる。この中で、少年は、そばにいる人の記憶を失わせてしまうという、特殊な能力を持っているとする。これが、主人公の「俺」と少年がバスの中で話をする、冒頭の段階ではまださほど明確でなくてもかまわないんです。なぜかというと、イニシアチブをすべて少年が持っているから、あなたは忘れたんだ、と言い続けることで、主人公も混乱しているし、そのルールを受け容れざるを得ない状況になる。ところがその後、少年が商店へ万引きに入っていく。ここでルールが試されるわけです。つまり、第三者が登場することによって、この作品のルールを決めているのはどんなものであるか、客観的に読者は確認することができる。
 でもこの書き方は、僕は上手だと思いました。おばちゃんが、入ってきたときは見ているんだけど、ふっと目をそらした瞬間にもうその少年のことを忘れてしまう。これは上手な書き方です。
 で、少年はそこから食料を持ってくるんだけど、だけどね、この舞台ってものすごい田舎の設定だよね。バスが放置されてて、みんなほっとくようなところに一軒だけ商店があって、そのおばちゃんはその店で本当に食えてるのかどうかわかんないけど、ふたりの人間が一年間も食いつなぐぐらいのものが盗まれ続けたら、この商店は潰れちゃうよね(笑)。それがすごく気になってね。ほとんど人通りのないようなところにある店がそんなことになったら、潰れちゃうから。あるいは、おばちゃんが「あたし頭がおかしくなったのかしら」といって店を閉めちゃうとか、そういうことが起きちゃうと思う。
 だから、この物語の中で僕が期待するとしたら、主人公が、黒沢という同僚にひっかかって詐欺に遭う。で、子どもの学資にしていたなけなしのお金も突っ込んで、とぼけられて頭にきて人殺しをするっていう話なんだけど、これ、こんなに説明をフラッシュバックしながら入れてく必要はないと思うのね。っていうのはね、こういう黒沢みたいなやつにだまされたあげくに殺人を犯す話っていうのは、まったく世の中で珍しくないし、小説世界だったらもっと珍しくない。むしろ当たり前のことです。だけど、もうひとりの、そばにいると記憶を失わせてしまう少年というのは、なかなか出てこない。こんな人はいないし、現実でも小説の中でも、そういうものってなかなかない。
 だとしたら、読者は当然「俺」の問題よりも、この少年の能力と、「俺」とこの少年はどうなっていくのか、が読みたいわけですよ。ということは、この物語がここで終わってしまうのは、すごくもったいない。だから、たとえばこの58枚を70枚にしてもいい。70枚にしてもいいけど、主人公の過去の部分はさくっと削って、そのかわりもうひとつクライマックスがほしい。たとえば山狩りが始まった。主人公の姿を見て警察官が来た。あるいは、おばちゃんが騒いだ結果、自警団みたいな、消防団みたいな連中が法被を着て主人公たちのいるバスに迫ってくる。で、ふたりで逃げる。どうする、と相談があって、そして、じゃあ逃げ延びるのか。逃げ延びるとしても誰かに見つかるだろう。そのとき少年の能力はどのように発揮されるのか。そして、最後に主人公は捕まるのか捕まらないのか。捕まってもいい。警察に捕まって、パトカーに載せられるときに、少年の姿はそこにあるんだけど誰も気づいてない。そこまで、少年がまたひとりぼっちになった寂しさを訴えかけるような目を見ながら、主人公はパトカーで連行されていく。
 そこまで作れば、この小説はけっこういけますよ。不思議な味の短篇小説として、既存の雑誌とか単行本の中に入っていてもおかしくない。みつときさん、あなたはそういうものを書く才能はおありになると思うので、それをどんどん続けていっていい。そして、こういう特殊な存在のことというのは、本当に、頭がちぎれるほど考えてください。考えて考えて。そこで考えるのは何かというと、ルールのことです。考えすぎると、ルールを無視してしまうことがある。だから、ここまではこのルールで通ったけど、ここから先はこのルールでは通らない、ということを起こしたらアウトなのね。新人賞でも、ここはルールが違うよ、となったら落とされてしまう。でも、ルールにこだわって、いま言ったような、たとえば主人公が捕まるかどうかというようなクライマックスまで書き切ったら、この小説は新人賞を受賞できるレベルになると思う。
 だから、そこはお好きな世界なんだから、どんどん考えて。そしてこういうネタ帳をいっぱい作るんです。1冊分作れるぐらい、こういう不思議な短篇のアイデアを大事にしてください。文章に関しては、あなたは問題ないと思います。

◆佐藤祐『亡夫のお年玉』(67枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8568000
 亨子(きょうこ)は暮れに夫を自殺で亡くし、新年早々から夫の姉弟と相続の話し合いを行っていた。しかし夫と離婚協議中だったことにより、義姉から猛反発を受けてしまう。
 その晩、亨子は夫の部屋で不可解な体験をする。そしてそれを機に、義姉の態度に変化が起こり、亨子の望む通りに話がまとまりかける。ところが水を差すように、死んだ夫から年賀状が届く。それは遺言書でもあった。その内容は亨子が受け入れられるものではなく、またしても亨子は落ち込んでしまう。しかしその遺言書には、大きな問題が潜んでいたのだった。

・西川氏の講評
 登場人物たちの人間関係を、読者にどのように見せたいのか、さっぱりわかりませんでした。こう見せかけて実はこうだ、というふうにしたいんでしょうけど、義理の弟との関係についてはすぐにわかるし、そこに意外性はない。キャラクター造形にたいする書きっぷりと人間関係の作り込み方が全然ダメで、がっかりはしました。
 でも、旦那が年末に死んで、正月になって年賀状で遺言が来る、という設定はとても興味がひかれました。財産分与で揉めているという、誰もがあるかもしれない日常風景を入口に、いくつかのネタを組み合わせて小説として読ませる。最初の入り口から、いったいどうなるんだろうと楽しみに読み始めて、まあがっかりはしたんですけれども、そういうことを考える能力やセンスはあると感じました。

・坂本氏の講評
 先ほどのみつときさんの作品と同様に、ご自分の考えたもので読者に楽しんでもらいたい、という意図は非常に感じます。ひねりがたくさんあって、その点にはとても好感を持ちました。
 ただ、何より家族間の人間関係ですね。ふつうに生きている人間とはかけ離れた会話や感情の描写が続いているように感じます。最初から最後まで、キャラクターの感情の動きにどこか違和感を覚えつつ読みました。
 全体に、トリックに合わせて人間を駒として動かしているきらいがあるように思います。最低限、読んでいる側に無用な疑問を抱かせないようにキャラクターの感情を整理した方が、トリックの面白みもより生きるのではないでしょうか。
 最後のオチのところも、旦那はなんでこの女に財産を残したのか、ということが不思議なんですよね。いずれにしても、誰がどういう感情や意図で行動しているのかというのをもっと詰めて考えた上で、様々なトリックを駆使していただけたら良いのではないかと思いました。

・松尾氏の講評
 この主人公の女性と、旦那さんの関係というのが、あまり胸に落ちてこないんですね。おそらく、中小企業を経営するということで、経理を担当して二人三脚でやってきて、そうとうヤバい場面もあったでしょうし、努力してきたところもあったでしょうし、他人にはわからない夫婦の機微みたいなところもあったはずなんだけれども、設定では、もう何ていうか、すれ違いというか。まぁ男と女にはそういうこともあるかもしれませんけれども、決定的に決裂していて、しかも義弟と不倫している、というのはやはり無理があるんじゃないかな、と。
 お葬式的は、親族のドロドロしたところはいかにもいかにもで、そこはエンタメとして非常に楽しませていただいたんですけど、最後のほうで、ミステリ的な仕掛けがあって、どんでん返しがあって、というのが「これって要るのかな?」という感じがしたんですね。
 僕が読み通して思ったのは「このどんでん返しが書きたかったから、ここへ向かっていったんだ。逆だったんだ」ということだったんですよ。そこに違和感があって。
 それにしては、最後の最後にどんでんをやるときに、義弟のベッドに裸になって入っていくんですけど、見限った男に、女性がそんなことをするかな、というのがものすごく大きな疑問として残りました。ミステリとして読んだらいいのか、お葬式的な親族のドタバタ劇、心理劇として読んだらいいのか、というふうな乖離があるな、と感じました。

・池上氏の講評
 これは、人工的な構築物としてのミステリとして読むのか、それとも現実の人間ドラマを描いたリアリズムの小説として読むのか。本当は両方兼ね備えていて、どちらでも読めるというのが理想ですが、この作品に関しては前者ですね。だって年賀状で遺言書を出す人なんていないじゃないですか(笑)。それはあり得ないけど、でもアイデアとして面白いし、一生懸命悩んでいるドタバタの中に年賀状として遺言書が届きました、というのが非常に面白い。なおかつ、最後にどんでん返しも用意している。
 若干、人物関係をリアリズムで見てしまうと、非常に機械的で作り事すぎるので、そこは練り上げる必要があるんですけど、でもよくここまで設定を作ったな、と思いました。
 実は、この原稿は2回ぐらい直してもらったんです。佐藤さんの初めての作品です。最初のものから比べるとずいぶんよくなりました。ただ、書き直しているうちに主人公の設定にズレが生まれましたね。この女はいい人なのか悪い人なのか、義理の姉とは仲が良くなかったはずなのに、いつのまにか良くなってしまった。ただでも、初めて書いた作品にしてはアイデアもあるし、非常によく作り上げたなと思います。期待していますので、2作目もよろしくです。

・大沢氏の講評
 通夜の席で財産争いって、本当に多いらしいです。私がよく行く飲み屋さんのママで、昔は葬儀屋さんに嫁いでいたという人がいまして。もうね、斎場があって、遺体を安置する冷蔵庫もあるんだけど、いきなり、ものすごいやり取りをしてるらしいです。財産をどうするか、って。
 あのね佐藤さん、書き始めるときに人物表は作りましたか? 私はね、表をよく作るんですよ。ええと主人公が享子で、夫が仁、その姉が孝子、その弟が貴志、ですね。
 で、享子と孝子はどうやら仲が良くない。享子と貴志はデキている。そういう関係だと思って読んでいくと、最後に、貴志を罠にかけているよね。享子と孝子が組んで、貴志が年賀状の遺言状をビリビリにしちゃうというオチなんだけど、これ、最初に書いた構図からズレているよね。享子の真意は、孝子の味方だったのか貴志の味方だったのかわからない。いちばん混乱するのはここなんですよ。
 つまり、享子と貴志はデキていて、通夜の席でもふたりですることはシテいるわけだから、ここで裏切ったら、貴志がアタマにきて全部バラすということになったときに、貴志と孝子は実の姉弟だから、バラしたときに悪者になるのは享子なわけですよ、「姉ちゃん、俺、実はあの女に騙されてたよ。今までごめん」っていったら、当然この孝子と貴志はセットになって、享子からすべてを持っていくという終わりだってあり得るわけで。
しかも、夫の死は自殺でしょう? 会社がうまくいかなくて、自殺した。保険金でもろもろ何とかしようとした、ということですよ。で、保険金が出るまでは、自殺するぐらい会社がうまくいってなかったわけだから、お金なんて全然ないはずなんですね。現金が多少あったとしても、ここに書かれている通り死んだ途端に凍結されますから。
 そして、社長が死んだ途端に、借金取りは会社に押し寄せてきますから、こんな状況の中で財産分与なんてないでしょ、っていう話ですよ。となると、そもそもこの冒頭のやり取りからして、不誠実になってしまう。保険金がすべて出たら動けるけど、それまでにはいろいろな書類を出したりする手続きが必要になりますから。
 もう1個の問題は、仁の幽霊というのはこの小説に出てくる。幽霊だか何だかよくわからないまま出てくるんだけど、これがさっき言った作品の狙いね、ホラーなのか逆転劇なのか、それが読んでいてわからない。
 年賀状で遺言状が届く、というのはものすごく面白いと思ったのね。それが実際、法的に有効なのかどうかは専門家に聞いてみないとわからないけど、年賀状というのは必ず、12月25日とかに投函しても、元旦までは届かないわけだから。その間に死んじゃっても、遺言状を見ることはできない。法的に有効かどうかは、実印を捺してあるのかとかいろいろ問題あると思うけど。

(池上氏「佐藤さんは行政書士をやってらっしゃるから、わかるんじゃないですか」)
(佐藤氏「はい、法的には有効だということで書きました」)

 そうなんですか。だったら、ネタとしてはすごく面白いんだから、そこに合わせて物語を作りましょうよ。ヘンな怪談話とか、あるいは、わかりにくい人間関係をひっくり返しちゃうんじゃなくて、むしろ敵は敵でくっきりさせちゃったほうがいいと思うのね。最後、孝子と敵だったのが味方になって、貴志とデキてたのが敵になっちゃったりするんじゃなくて、ここは敵は敵で、味方は味方でいいじゃない。ヘタしたら、ふたり共謀して仁を殺しちゃったぐらいのこともある。僕もその可能性は読んでいて考えたけど。
 さっきも言ったけど、小説は何を書いてもいいんだから。どんなに極悪非道なことを書いたって、佐藤さんがひどい人だとは誰も思わないんだから。だから、ここは敵は敵、味方は味方でハッキリした上で、年賀状の遺言状という面白いネタを最大限に活かし切る、時間のトリックとか、そういうものを考える。
 年賀状の遺言状、というのを考えたのは、死んだ仁じゃないですか。ということは、幽霊が年賀状を送ってきたわけじゃないですか。でもこれは幽霊であって幽霊じゃないの。生きてた人だから。怪談にする必要はないの。でもゾッとするでしょう、死んだ人間が、自分が死んでから10日後に手紙が届くということを考えたら。ふつうはそういうことはあり得ないわけだから、弁護士に預けて「俺が死んだら出してくれ」っていうんじゃない限り。でも年賀状ならそれができる。すごくいいアイデアです。だから、それをセンターに据えて、もっと考えて。悪役と味方、怖いと思う気持ち、あるいは夫に対する享子の中の複雑な思いとか。そういうものを全部入れて、もう1回シャッフルして、きちんと自分の作品の狙いに自覚的になってこの短篇を書いたら、面白いミステリになりますよ。
 言葉遣いに関しては、ところどころ粗忽なところもあります。「ビリビリに破く」というのが「散り散り」になっちゃったりとか。「散り散り」というのは、人と人がバラバラになっちゃうことを言います。そういうところはありますけど、初めて書かれたにしては文章はしっかりされていて、引っかからないで読みました。だから、狙いと材料との組み合わせをよく考えて、もう1回組み直して。ここは書く前にいっぱい頭を使ってください。プロになると、頭を使いたくても時間がなくて、頭を使わないで書いて、あとで後悔しますけど、いまは時間があるんだから、頭を使って書いてください。

※以上の講評に続き、後半ではキャリアについての考え方や、「食材と料理法」にたとえた物語の作り方、作家と編集者の関係などについて、幅広くお話ししていただきました。その模様は本サイト内「その人の素顔」にてアップいたします。

【講師プロフィール】
◆大沢在昌(おおさわ・ありまさ)氏
1956年、愛知県生まれ。79年『感傷の街角』で小説推理新人賞を受賞しデビュー。91年『新宿鮫』で吉川英治文学新人賞&日本推理作家協会賞、94年『無間人形 新宿鮫4』で直木賞、2004年『パンドラ・アイランド』で柴田錬三郎賞受賞を受賞し、10年これまでの業績に対して日本ミステリー文学大賞が授与される。14年『海と月の迷路』で吉川英治文学賞受賞。評論『売れる作家の全技術』は創作術の本として大ヒット。日本ミステリー文学大賞、日本推理作家協会賞、大藪春彦賞の選考委員を務めている。

「ALL ABOUT 大沢在昌」  (宝島社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4796644989

「灰夜 新宿鮫7」  (光文社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/B00NM75XNM/

「かくカク遊ブ、書く遊ぶ」  (小学館文庫)
※エッセイ集
https://www.amazon.co.jp//dp/4094020616/

「感傷の街角」  (角川文庫)
※解説=池上冬樹
https://www.amazon.co.jp//dp/4041671078/

「絆回廊 新宿鮫10」 (光文社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4334768245/

柚月裕子 「孤狼の血」  (KADOKAWA)
※日本推理作家協会賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/404103213X/

「ライアー」  (カッパノベルス)
https://www.amazon.co.jp//dp/4334077293/

「魔女の笑窪」 (文春文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4167676079/

「魔女の封印」 (文藝春秋)
https://www.amazon.co.jp//dp/4163903747/

「無形人形 新宿鮫4」  (光文社)
※直木賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4334767486/

「パンドラ・アイランド」  (集英社文庫)
※柴田錬三郎賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4087468224/

「新宿鮫」 (光文社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4334766986/

「冬芽の人」 (新潮文庫)
※解説=池上冬樹
https://www.amazon.co.jp//dp/410126032X/

「海と月の迷路」  (講談社ノベルス)
※吉川英治文学賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4062990571/

「小説講座 売れる作家の全技術」  (角川書店)
https://www.amazon.co.jp//dp/4041102529/

「雪蛍」  (講談社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4062645076/

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