「生の感情表現が出てきちゃうと、読者は逆に感情移入できなくなってしまう。作者が感じた気持ちを、自然描写で表現できれば一番いいと思います」


カンボジアのトンレサップ湖の船上にて
 12月講座には、ノンフィクション作家の野村進(のむら・すすむ)先生を講師にお迎えした。
 1956年東京都出身。1981年『フィリピン新人民軍従軍記』でデビュー。1997年『コリアン世界の旅』で大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞。アジア各国の現在や先端医療、老舗企業など幅広い題材でノンフィクションを執筆し、また拓殖大学国際学部教授として教育にも力を注いでいる。
 講座の冒頭では、世話人をつとめる池上冬樹氏(文芸評論家)がまずマイクを取って講師を紹介し、続いて野村氏が受講生に挨拶をした。

「野村です。今回は新作を出してから講座に来る予定だったのですが、このコロナ禍で、最後のキーパーソンとの対談ができず、刊行できない状態が続いています。今日は、そういう執筆と社会状況についてのお話などもできればと思います。よろしくお願いします」

 今回のテキストは、エッセイが4本。
・のまさん『通常運転な夫婦のカタチ』(7枚)
・遠井ふたりさん『ツアーガイドは特訓中』(20枚)
・角谷良子さん『1986年の東西ベルリンとその後』(65枚)
・和田裕哉さん/海上快星さん/鈴木智也さん『20歳のエッセイ集』(18枚)
◆のまさん『通常運転な夫婦のカタチ』(7枚)
 夫婦の日常生活をユーモア豊かに描くエッセイの一篇。今回は、コロナ禍でスポーツクラブに通えなくなった筆者が、 Zoom でインストラクターが配信してくれるリモートトレーニングに参加しながら、ミュートを忘れて、夫とのやり取りをそのまま Zoom で配信してしまった失敗談を語る。
・池上氏の講評
 のまさんのエッセイはいつも面白いんだけど、今回はタイトルと中身と出口が違うのが問題。ミュートをし忘れて夫婦喧嘩をそのままインストラクターに聞かれてしまった、私の名誉はどう回復すればいいかと訴えるけれど、タイトルはそうではない。ミュートし忘れて失敗したけど、この口論ありきの夫婦関係が通常運転なのだ、というところにもっていってはいない。タイトルはそうなっているけれど。出口を間違えましたね。
 でも、通常運転の夫婦喧嘩の会話は面白い。この夫婦の、山形弁の会話は抜群。旦那さんに感情移入すると、ぽっちゃりしている人が好きなのに、妻が痩せていくのはどういうことか、という気持ちもわかりますし、少しはそれに応えてほしい。エッセイの中でね(笑)。多少は旦那さんの気持ちに応えてダイエットをゆるめるというかね。でも自分は太りたくないという葛藤が書かれているとよかった。読者も「しょうがないよなあ」と笑い呆れながら楽しんでしまう。そこに着地すればよかったんですがね。

・野村氏の講評
 すごく面白いです。笑わせるエッセイって、なかなか書けないんですよ。文章って、泣かせるより笑わせるほうが難しいですから。私はこれを読んで声を出して笑いましたから、かなり面白いエッセイだと思います。
 細かいところを指摘していきますが、1ページ目の「中村倫也に雰囲気が似ている」というところがありますが、こういうとき注意してほしいのが、中村倫也を知らない人もいっぱいいるわけです。タモリとか明石家さんまとか、日本中の誰もが知っているような人ならいいんですけれど、ここは別の表現にしたほうがいいです。それから、旦那さんがデタラメな歌を歌い出しますよね。ここはもっと詳しく歌詞を書くべきでしょう。もしここに書いてあるだけなら、そう書くべきで、もっと何回も、しつこいぐらい繰り返してもいいと思います。
 それから2ページ目「カッチィーンときた」は、「カッチィーン!」にしたほうが、強調できます。このやり取りは面白いのですが、最後のくだりはまるごとカットしたほうがいいと思います。「痩せたのは、フィギュアスケートの宇野昌磨選手のためだから、夫の期待には応えられないのさ」でスパッと終わるほうがいい。そのほうがキレが出るし、余韻も残ります。その後は、読んでいくとちょっと生臭い感じがするんですよね。「寝室さ、さっさといくべ」みたいな(笑)。ノロケにとられちゃうんですよ。そこまではうまく、ノロケとそうでない文章とのバランスが取れていたんですけれど、この部分は完全にノロケなので、ここはいらないと思いますね。
 でもね、このエッセイはうちと完全に逆なんですよ(笑)。うちでは私がマッサージしているので、うらやましい(笑)。こっちのほうが肩凝ってるのに、大変ですよ(笑)。
 それからまた細かいところなんですが、1ページ目の「ズンバ」というのは、これはスポーツクラブの名前ですか? ああ、エクササイズの種類ですか。ここはわからない人も多いから、別の書き方のほうがいいです。それと、「リモートトレーニング」は「リモート・トレーニング」とナカグロを入れたほうがいい。「20時」も、「夜8時」にしたほうがすんなり読めます。「ひとり晩酌」も「ひとりでの晩酌」と書いたほうがいい。「というように」は「といった具合に」にしたほうがいい。そんなところですかね。ともあれ、最初にも言いましたが、笑えるエッセイというのはなかなか書けないので、これは上出来だと思いますよ。

◆遠井ふたりさん『ツアーガイドは特訓中』(20枚)
 中国の小さな工場に駐在するダンナは、日本人が一人だからめったに休みも無い。春節連休に、大同の石窟を観に行こうと誘われて北京に飛んできた。着いたとたんに「お前をツアーガイドとして特訓する」と宣言して、次々難題を仕掛けてくる。
 弾丸ツアーのように大同を観光し、一日早く北京に戻ったので「円明園」を観光することにした。これにも「タクシーを使うな、バスと地下鉄にしろ」と無茶を言うダンナに、何とか目的を達したが、日本に帰る時になって訓練の意味が分かった。
・池上氏の講評
 これは、次に取り上げる角谷さんの作品との比較として読むと面白い。ツアーというか旅行記というのは、何が起きるかわからないトラブルがあると面白いんですが、トラブルも書いてあるし、どう乗り越えていくのかも書いてある。なおかつ、ツアーガイドの極意もちょこちょこと出てくるんですが、これがまた面白い。「お客様の我儘をしっかり受け止めること」とか、「すぐあきらめないこと」「忍耐強くお客の希望を聞く」「物おじしないこと」「軽快なフットワーク」、こういったツアーガイドの極意みたいなものをきちんと入れて、ちゃんと文脈がわかるように書かれているし、それがユーモラスに聞こえてきて、面白いですね。
 風景描写がしっかり書かれているともっと良かったけど、この短い枚数の中でメリハリがきいていて、中国の国柄もよくわかるし、過不足ない書き方で、とても面白く読みました。夫婦の関係もさらりと書いてあって、それに5ページ目で駐車場管理のおばさんから素朴なクッキーをもらって食べるシーンなんかも、生姜の香りと歯ざわりが伝わってくるような描写ができているし、エピソードとして活きていて、短いながらもよく書けていると思います。

・野村氏の講評
 僕は、池上さんとは違う見方をしているかもしれないですね。ガイドの話はいいんですが、これだとあまりにも男尊女卑っぽく読めてしまうので、奥さんがそれに逆らうようにしたほうがいいんじゃないかな。ガイドの心得を書くのは全然かまわないと思うんだけれど、たとえば4ページ目の真ん中にある「ガイドとして私を鍛えようなど、ガイドの基本『計画と準備』のできない人に言われたくない」みたいな文章を、もっと入れたほうがいいと思うんですよ。これは奥さまの視点から書かれていると思うんですが、今の時代だと男尊女卑と思われちゃう部分が結構あるので、ご主人の言葉に奥さんがいちいち反発するようにしたほうが、アクセントがつくと思うんですね。
 あと、ちょっと気になったのが漢字の使い方なんですけれど、たとえば冒頭の「帰りの切符は無い」というところは、ひらがなで「ない」と書くのが一般的です。その5行ぐらいあとの「我儘が通る訳がない」も、「我がままが通るわけがない」のほうが読みやすい。このように、漢字にしなくてもいいのではという箇所がいくつかあります。
 それと、中国の地名にはルビをふったほうが、いかにも中国らしくなり、説得力があると思います。全体に文章はお上手で、リズミカルで読みやすい。たとえば、2ページ目の末尾にある「北京駅でまずやるのは、自分の乗る列車の待合室を探すことだ。待合室正面に電光掲示板があり、大同行きの表示があるのを確かめる。連休の待合室には、大きな荷物を抱えた乗客であふれ、話し声が高い天井に響いている」というあたりは、簡潔な文章でうまく北京駅を描写されていると思います。
 あと、3ページ目にある、列車の窓から見える風景は、もっと具体的に書かれたほうがいいですね。それまでの、ご夫婦のいろんな出来事を回想するとか、長い結婚生活への感慨があると思うんですよ。車窓から景色を見ながら何かを回想するというのはよくあるパターンではありますが、ここはそのパターンが使える場面だと思います。
 それから、5ページ目の、石窟でいろんな仏像を見ながら「この仏様は男前だ。この観音様は美人だ」という場面も、仏様がどんな顔をしていて、似ている誰かの顔が思い浮かぶ、みたいな表現にしたほうが、もっと身近に感じられると思います。それと、池上さんもおっしゃっていた駐車場のおばさんの場面はとてもいいので、この人の表情や言葉の調子など、もうちょっと書き込まれたほうがいいと思いました。
 最後の終わり方なんですが、「こんなことではツアーガイドの免許はまだまだかな」で終わるのではなくて、夫のほうはこういうことを繰り返し体験して苦労してきたわけですから、そういう体験をしてきた夫に対する思いを、妻の側から表現すると、余韻が残る終わり方になったのではないかと思います。
 あっ、それから、夫のことを「主人」と書いていますが、これは若い人からすると違和感を持つ人も多いので、「夫」がベターかな。僕は「主人」でも全然問題ないと思うんですが、ひっかかる人も今は多いですからね。

◆角谷良子さん『1986年の東西ベルリンとその後』(65枚)
 大学卒業を目前に控えた1986年の春休み、著者は親友の美和と共に、当時『ベルリンの壁』で分断されていた西ベルリンと東ベルリンを訪れた。東欧諸国に民主化の嵐が吹き荒れる三年前、東西に分断したベルリンは冷戦対立の最前線だった。東ドイツによる国境管理、民族分断の悲劇、東ベルリンの乾いた空気感、西ベルリナーの葛藤とたくましさを、若き著者が実際に経験したできごとや美和との友情に関わるエピソードを通じて回顧する旅行記。旅行後のベルリンと著者の変遷も加えることで今何故、『1986年の東西ベルリン』なのかも語った一遍。
・池上氏の講評
 これはさっきの遠井さんに比べると、観光になってしまっているんですね。トラブルがありそうでないというか、安全地帯から観察しているので、読んでいるとメリハリがなくて、長い印象を受けてしまう。ラストシーンの、コロナの話から始めたほうが絶対いいので、そこから再構成して、真ん中のベルリン探訪記を短くしてもいいでしょう。現在の角谷さんの、ニューヨークの話を思い切り書いて、ちょっと回想を挟む感じでベルリンの話を入れるといい。ニューヨークとベルリン、現在と過去が呼応する形で書いたほうが、メリハリができるし、現代の読者にとっても親しみがわきます。
 ある種の歴史学というか、そういう地域のそういう時代があったんだな、という感想で終わってしまうところがあるんですね。角谷さんがおそらく一番書きたいのは、最後のコロナの部分だと思います。ここが一番いいので、ここをふくらませたほうが、構成としてうまくなると思います。

・野村氏の講評
 僕もちょうど同じ時期にベルリンにいたので、この感じはよくわかります。崩壊直前に行って、崩壊直後にもまた行っているので、実感がよく伝わってきます。
 全体的なお話は池上さんがしてくださったので、テクニカルな話をしたいんですが、まず原則として、冒頭はすべて短めの文章にしたほうがいいと思うんですよ。「『ママにおみやげ』と渡された小さな箱を開けると、ちっぽけな灰色の瓦礫の欠片が入っていた。交換留学生として北イタリアの大学で夏期課程を終えた息子が、秋の気配が感じられるようになったニューヨークに帰省してきたのだ」。これではちょっと長いので、たとえば「小さな箱を開けるとちっぽけな灰色の欠片が入っていた」。「灰色の瓦礫の欠片」はちょっと長いんです。「『ママにおみやげ』と、北イタリアの大学で夏期過程を終え、ニューヨークの我が家に帰ってきた息子が手渡してくれた」にする。「秋の気配が感じられる」というのは取っちゃっていい。そして「取り出してみると瓦礫の欠片だった」というふうに、リズミカルに短めに書いていって、長い話につなげていったほうがいいと思います。
 それと、1ページ目の真ん中に「『これって、まさか!』と叫んだ私に」とありますね。感情表現の強弱というのがあるんですけれど、文章にする場合は、強くしないほうがいいんですよ。「『これってまさか』と小さくつぶやいた」のほうが効果的になるんです。強い言葉で書いてしまうと、逆に読む側にはインパクトがないんですね。同じようなところは、たとえば2ページ目の「虚しさと寂しさがこみ上げてきた」「沈んだ気持ちになったのは」など、全体にいくつかあるんですけれど、こういう生の感情表現が出てきちゃうと、読者は反対に感情移入できなくなってしまうんですね。難しいんだけれども、作者が感じた虚しさとか寂しさとか、沈んだ気持ちを、自然描写で表現できれば一番いいと思います。
 それから3ページ目。レストランで、先客がいて「ドイツ語のメニューは全くわからなかったから、彼のテーブルを指さして同じ物を注文した」。ここで謎がかかっているわけですね。でも次のセンテンスで、ここまでの旅の道のりが説明されている。ここが余計なんですよ。それに続く、チーズフォンデュを食べる描写がとてもいいので、そのままつなげたほうがいいですね。ここでも「貪った」という表現は強すぎるので普通に「食べた」でいいと思います。
 この作者のよさは、トイレの話をきちっと書いていることです。こういう話は、特に女性はなかなか書きづらいんですけれど、生理現象をきちんと書くというのは、読者をひっぱる大きな要素です。たとえば、直木賞をとった東山彰良さんの『流』(講談社文庫)もそうですね。冒頭に野糞をする場面があって、使い方によっては“劇薬”なんですけれど、これが実に利いているんですよ。生理現象をうまく、恥ずかしがらずに書くのはすごく大事なことで、角谷さんも意識的に書かれたわけではないかもしれないけれど、とても活きています。あと、さっきのチーズフォンデュの場面以外にも食事の描写がいくつかありますが、非常に効果的なので、もっと食事の場面を描写したほうがいいと思います。
 18ページ目にベルガモン博物館の話が出てきますが、ここら辺が観光旅行みたいになっているんですよね。むしろベルリンの壁の話をもっと細かく描写して、人々の表情をいきいきと描いたりすることに分量を割いたほうがいいと思います。20ページ目に、シャンプーとキャンディーの詰め合わせを購入したけど「後日使ってみるとシャンプーは泡立たなかった。キャンディーも、飴に張り付いた包みを剥がすことができず、食べることを諦めた」とありますね。この表現がとてもいい。こういう日常の些事で、ベルリンの現実が伝わってくるんですね。22ページ目で、ゆで卵をエッグスタンドから取るあたりも、とてもいい。生理現象や食べ物は、人間の根源的な欲望につながっているので、読む者を惹きつけます。
 24ページ目には、ベルリンの壁を越えて亡命した人や、失敗して銃殺された人たちの写真の話がありますね。僕もこの写真は見たことがありますが、ここをもっと書いたほうがいい。失敗した人のほうがはるかに多いわけで、歴史の過酷さがそこにあらわれていますから。
 それから最後のほうですけれど、33ページ目の後半は東欧諸国の民主化について書かれていますね。でもこれはそこまでの話で説明されているので、いりません。そこからコロナの話につながりますが、池上さんもおっしゃったように、いまアメリカはコロナで大変なわけだから、そこを読みたいので、もっとふくらませて、前半と最後に入れてもいいと思います。
 そしてラストの終わり方ですけど、やっぱりここは灰色の欠片の話に持っていって、起承転結の結をつけた終わり方にしたほうがいいと思います。そこに作者の思いを込めることができますから。

◆和田裕哉さん/海上快星さん/鈴木智也さん『20歳のエッセイ集』(18枚)
 池上氏が教授をつとめる東北芸術工科大学において、学生から提出されたエッセイ3本をまとめた。
 是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』について評した和田裕哉さんの「富士山よりもまだ高く」。ドキュメンタリー映画『アメリカン・マーダー 一家殺人事件の実録』について論じる海上快星さんの「愛の形」。バレエに打ち込む少年の映画『リトル・ダンサー』について考える鈴木智也さんの「下手くそな耳かき」。いずれも映画を通し、自らの家族と実体験について語るエッセイである。
・池上氏の講評
 今回は、野村さんが大学で教鞭を取っておられるということで、僕が教えている学生の作品を持ってきました。反則といわれるかもしれないけど、授業でテーマを設けずにエッセイの課題を出したら、映画について社会的な広がりを持った作品が集まったので、これは野村さんに読んでいただきたいと思いまして。
 3本とも、私生活と引用する作品の流れがよく合っていて、しかも3つとも仲があまりよくない家族の話でもある。僕はこの講座でも大学の授業でもよく言っているのですが、エッセイは嘘を書いてもいいんです。書かれたことが本当なのか嘘なのか確認のしようがない。エッセイストはみな本当の話ですといいますが、僕のみるところ9割は嘘を書いている。3人とも、本当は家族の仲はいいかもしれませんが、映画の内容としっかりリンクしていて、エッセイのテーマが際立っていると思います。

・野村氏の講評
 これは学生さんたちが書いたということを知らないで読んだんですが、あとで聞いて驚きました。かなり書ける学生さんたちですね。
 まず和田さんの作品から、表現面での原則的なことをお話ししていきます。2ページ目ですが「この映画は何度も観たのだが、その度に、これらの場面の真木よう子が、母に見えてしまう。この場面になるとどうしても母の顔が浮かんでくるのだ」とありますね。代名詞が多すぎるんですよ。「この」「その」「これらの」「この」。代名詞を少なくしたほうが、文章は引き締まります。それから「のだ」も、多いと押し付けがましくなっちゃうので、ここぞというときだけ使うようにしたほうがいい。それから「母の顔が浮かんでくるのだ」のあとにお父さんの話になるのはつながりが悪いので、すぐお母さんの話につなげて、その後でお父さんの話を書いたほうがいい。それから、あまりテレビを見ないはずのお母さんがドラマを見ていて、「母が好きな俳優がこの中にいるのだろうか、などと思っていると、画面には『臨床検査技師」の文字が」とありますね。ここはテクニカルなアドバイスですが、「などと思っていると、画面にはぽつりと文字が浮かんだ。『臨床検査技師』――」こう書くと、倒置法で強調することができます。後ろのほうに「母の前で父の話をするのはタブーだ」とありますが、なぜなのか、理由がそこまでにあまり書かれていないんですね。昔お父さんの話を持ち出して気まずくなったことなどがあるんだったら、それを書いたほうがいい。
 次のページには「富士山ってどうやってできたの」とお父さんに訊いた場面がありますね。いい場面なんですが、ちょっと文章の順番を入れ替えすぎている。ストレートに順序よく書いたほうがいいし、「少しだけにやけながら答えた」というのは、にやけるというのはよくない表現なので、「父はふっと笑って答えた」というふうに書いたほうがいいと思います。そこから続く結論部分も、言いたいことはわかるんだけれど、文章がこなれていないし、終わり方の「忘れてくれるな」というのもよくない。ここは是枝映画の話に戻って終わるべきですね。平凡な方法かもしれないけれど、映画から入っているわけだから、映画と関連付けて終わったほうがいいと思います。
池上氏「2本目の海上くんは残念ながら今日は欠席なので、次は3本目の講評をお願いします」)
 では鈴木さんの作品について。これは、最初の4行は削っていきなり『リトル・ダンサー』の話から始めたほうがいい。それから、「舞台は1984年のイギリス北部にある炭坑町。母親は既に亡くなっていて、炭坑夫である父親と兄は炭坑不況によりストライキの真っ只中」とありますが、書き始めのうちは、体言止めや名詞止めはやめたほうがいい。「真っ只中にある」とか、ちゃんと文章にして書くようにしてください。続く文章もややぎこちないので、「しかし」とか「だが」「そして」というのも、なるべく使わないほうがスムーズで簡潔な文章になります。
 それから、さっき代名詞について指摘したけれど、「こと」が多いと文章がダレてくるので、なるべく使わないこと。あ、自分でも言っちゃった(笑)。それから、「様々な愛の形がある」例としていくつか挙げられているのは全部不要で、その後に出てくる耳かきの話が面白いので、直接ここにつなげたほうがいい。さらに細かい話をすると、「母親の耳かきは痛かった。私が悶えるのを宥めながら、悪魔のように笑った。小学校低学年の私は、どうも自分で上手く耳かきができなくて彼女に頼むのが習慣になっていた」とありますが、「私が悶えるのを宥めながら、悪魔のように笑った」というのはたとえがよくないので取っちゃって、またお母さんのことを「彼女」と書くのはよそよそしいので、「母」でいいと思います。そのあと、耳かきをしていて少量の血が出たとき、お母さんは「予想に反して何度も謝った」とありますが、何と言って謝ったのか。山形の学生さんということですから、できれば方言を使って書くと、感情がうまく表現できると思います。その後の「私は愛情を耳から受けていた」というのも伝わりづらい表現なので、その前後をまとめて「私はたぶん愛されていたのだ」と一言で言い切ったほうがいい。そこからラストに続く部分も省略できるので、「大人になった今、耳かきをしている途中に、血がほんの少し出ていないかとたまに力を入れてみたりする」というふうに終わらせたほうが、余韻が残ると思います。
 欠席の海上さんの分も、簡単に。『アメリカン・マーダー』というドキュメンタリーの話はすごくいいと思いますが、屋上屋(おくじょうおく)を重ねる表現がいくつかあるんですね。4ページ目の「いかにもな話だが、これは全て実話であり、実際に起きた事件でもある」。これは「実話」と「実際に」を重ねることで、むしろインパクトが弱くなっちゃっているんです。「実際に起きた事件である」だけでいい。同じような表現を続けないように注意してください。それから、映画の描写で「それを実感させるように、映画では事件の様子を写した映像と、家族が幸せそうに暮らす日々が写される。傍から見れば幸せそうでも、実情は全く違い、愛の授受はあったが、それは次第に消えていったことが、ひしひしと実録をもって否応なしに伝わってくる」とありますね。こういう緊迫した場面も、短い文章で書いたほうがいい。「映画では事件の様子を写した映像と、家族が幸せそうに暮らす日々が交互に写される。傍らから見れば幸せそうでも、実情は全く違う。事実の過酷さが否応なく伝わってくる」と書いたほうがストレートに伝わります。
 最後の部分も、冒頭の話とすごく唐突につながってくるので、もう少し工夫が必要だと思います。冒頭の話で「布団で寝らい」という台詞がありますが、これは山形弁ですか?
池上氏「これはお隣の仙台弁ですね。布団で寝なさい、という意味です」)
 これはすごく活きていますが、東京の人間にはわかりづらいです。それに続く「簡単に言えば、愛の形は家庭の在り方に寄り添うし、それを不躾に他人が評価するものでもない。だからこそ、傍から見れば幸せそうでも、実情は全く違うことは、往々にしてあるのだなと」という一節もいらない。ここで読者に価値判断をさせないで、謎をひっぱっていくほうがいいですね。

※以上の講評に続く、受講生からの一問一答を中心にした後半トークショーの模様は「その人の素顔」にてアップいたします
【講師プロフィール】
◆野村進(のむら・すすむ)氏
 1956年、東京都生まれ。上智大学外国語学部を経て、フィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学に留学。帰国後、『フィリピン新人民軍従軍記』でデビュー。97年、『コリアン世界の旅』で大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞を受賞。99年、『アジア新しい物語』でアジア太平洋賞を受賞。主著に『救急精神病棟』『日本領サイパン島の一万日』『千年、働いてきました――老舗大国企業ニッポン』『千年企業の大逆転』『解放老人 認知症の豊かな体験世界』『どこにでも神様  知られざる出雲世界をあるく』。拓殖大学国際学部教授。講談社ノンフィクション賞の選考委員も10年間つとめた。
●フィリピン新人民軍従軍記(講談社プラスアルファ文庫)
●コリアン世界の旅(講談社文庫)
※大家壮一ノンフィクション賞受賞
※講談社ノンフィクション賞受賞
●アジア新しい物語(文春文庫)※アジア太平洋賞受賞
●救急精神病棟(講談社文庫)
●日本領サイパン島の一万日(岩波書店)
●千年、働いてきました――老舗大国企業ニッポン(新潮文庫)
●千年企業の大逆転(文藝春秋)
●解放老人 認知症の豊かな体験世界(講談社)
●どこにでも神様 知られざる出雲世界をあるく(新潮社)
●調べる技術・書く技術(講談社現代新書)
●精神科薬物療法に再チャレンジ(星和書店 )
●脳を知りたい!(講談社文庫)
●アジアの歩き方(講談社現代新書)
●島国チャイニーズ(講談社)
●脳の欲望 死なない身体 医学は神を超えるか(講談社プラスアルファ文庫)
●ニッポンの現場(講談社)
Twitter Facebook