角田「一番印象的だった場面が、作者が一番書きたかった場面だと聞いてちょっとびっくりしたんですよ。書きたいと思ったものを中心に据えて書くと、失敗することが多いんですけど、この作品は成功していると思います」

© 垂見健吾
井上「みなさんよくやると思うんですけど、『小説として何か足りないな』と思ったときに、蛇を出したり六条の御息所を出したりするんですよ(笑)。そこで小説に負けているんです」
江國「語り手をもっと信頼できないと、その語り手にとって意味のある人物をちゃんと受け止められないと思うんですね。だから、語り手をもう少し信用させてほしかった」

© 高橋依里
 11月の講師には、角田光代(かくた・みつよ)先生、井上荒野(いのうえ・あれの)先生、江國香織(えくに・かおり)先生のお三方をお迎えした。
 角田先生は1990年に「幸福な遊戯」 で第9回海燕新人文学賞を受賞。2005年に『対岸の彼女』で第132回直木賞を受賞。
 井上先生は1989年に『わたしのヌレエフ』で第1回フェミナ賞を受賞。2008年に『切羽(きりは)へ』で第139回直木賞を受賞。
 江國先生は1987年の『草之丞の話』で童話作家として出発、のち小説にも進出し2004年に『号泣する準備はできていた』で第130回直木賞を受賞。現代日本の文壇を代表する人気女性作家が揃い踏みする、豪華な講座となった。この3人が講師として揃って参加されるのは2017年から4年連続4度目。
 講師3人に加え、今回は原知子氏(角川春樹事務所)がゲストとして参加した。また、オンライン環境の構築には、角川春樹事務所の中津宗一郎氏のご協力をいただいた。

 講座の冒頭では、世話役をつとめる池上冬樹氏(文芸評論家。東北芸術工科大学教授)がまず受講生に向けて挨拶をした。
「今日は角田光代さん、井上荒野さん、江國香織さんを、オンラインにてお招きしました。このコロナ禍で、Zoomを使ったりするなど、環境の変化についてのお話も、後半でうかがっていきたいと思います。みなさん、よろしくお願いします」
 今回のテキストは、小説が3本。
・村上啓太さん『超克のリヨン』(20枚)
・長谷剄さん『蛇腹の中』(32枚)
・高橋茉莉奈さん『ソロ』(80枚)
◆村上啓太さん『超克のリヨン
 ウラディーシャル・ヘルドマスポッケルという緑の綺麗な町で、五年前に恋人だった主人公のリオナ・リヨンと、ツヅ・クーラツォーラは再会した。リオナ・リヨンは、彼女のために花を摘んできていたが、彼女はその花を放り投げた。だが、彼女がその花に触れたことで、花は永久に凍り付いてしまった。
 リオナ・リヨンは、何かを言おうとするが、声が出なくなってしまった。突然、声を失ってしまったリオナ・リヨンは、戸惑う。
 時間は、あっという間に過ぎ、町の鐘が鳴り、その鐘の音とともに、モンスターが二人の前に現れる。
・池上氏の講評
 村上くんの原稿を初めて読んだ方はびっくりするかもしれませんが、実は前にもこれに近い作風のものを、お三方に講評していただいたことがあります。今回も、このひとりツッコミというか、独特の語りが、慣れてくると楽しくなってきますね。固有名詞のセンスも非常に独特ですし、文章のリズムがよく、シュールな方向にいくんだけども、笑える。何がなんだかわからなくなるところも含め、メタフィクションとして構成がよくできている。
 ただ、前回もそうなんですけど、自分ひとりの中で完成した作品といった弱さがあるので、もっと広がりがあるといい。とはいえ、こういう作品を書く人はほかにいないんじゃないかと思いますし、この才能をもっと長い話で読みたい。今回はほかの作品との兼ね合いで、20枚の作品を選びましたが、村上くんからは70枚の原稿もいただいています。この、破れかぶれのように見えて実は計算されていて、面白くて、固有名詞のセンスも得難い作品は癖になる。はっきり言って中身はないんですけどね(笑)。でも、この世界がもっともっと広がっていくところを見たくなる作品です。

・原氏の講評
 私も、この「ウラディーシャル・ヘルドマスポッケル」という町の名前には妙に惹かれるものを感じました。言葉やイメージはたいへん魅力的なんですが、もっと物語の骨格があったほうが、ほかの人が読んで入っていけると思います。細かい説明は必要ありませんが、この国のこととか、ひとつひとつの能力について、納得できる設定があったほうがいい。そのためにも、長くすれば、もっと楽しめると思います。
 ただ、どの言葉選びも、非常に惹かれるセンスがありますので、そこは今後も活かしていただきたいですね。
・角田氏の講評
 私は、この方の小説を読むのは3回目だと思うんですが、前に拝読したとき、村上さんはこの文体が強みですからこれを極めていただきたい、と言った記憶があります。これしかできない、というのは弱点ではなく強みですから。今回も同じ文体で、前より読みやすくなっているんですが、読みやすくなって気づいたのは、彼は書きづらいところを飛ばしているということですね。書きやすいところだけを書いちゃっている。殴られるシーンとかは1行で終わっていて、どうやって殴られているのか、こちらに想像させる余地がない。前の作品も短かったんですが、書きたいことだけ抽出して書いていると、どうしても短くなっちゃうんじゃないか、と思います。でも、70枚書いたものもあるそうですから、この文体で長く書いたものはどうなるのか、それも読んでみたくなりました。

・井上氏の講評
 彼の文体には圧倒的な魅力があって、こういう名前の付け方も、なかなか思いつくものではないと思うんですよ。ただのめちゃくちゃではなく、ちゃんと面白くて、リズムがある名前になっている。全体の文章も、どこで読んでもこの村上さんの文章だなとわかるものができあがっていますね。リズムがあるし、ふっと外れるところも、外し方もうまい。文章や文体については言うことないと思うんですけど、ではこれをどうしたらいいのか、どうしたらよくなるのか(笑)。
 今まで読んだ村上さんの作品で、これは筋が一番わかりやすいと思うんですけど、筋だけ見るとつまらないんですよね。だからどうしたのって(笑)、何も残らない。深読みすれば、勇気とか愛とか、そういう何かが伝わってこないこともないけど、伝わってきたとしてもわりとつまんないことなんですよね。つまんない伝わり方だと思うんですよ。
 前にも言ったかもしれませんけど、この文体で、普通の自分の日常とか書いても面白いんじゃないかな。でも、やっぱりこのまま突き進んだほうがいい、とも言ったかもしれない(笑)。ご本人は、どうしていつもファンタジーを書きたくなっちゃうのか、ちょっとお聞きしてみたいです。
村上氏「ありがとうございます。僕が普通の話を書くとつまらないものにしかならず、自分でも耐えられなくなってしまうので……。何かこう、普通の話の中から連想される世界を、自由に描くことで、自分の気持ちが昇華される気がして。現実に向き合うのが苦手なんだと思います。別の視線から、自分だけ都合のいいような世界観で書いてしまう。自分の書きたいことしか書けていない、というのは本当にそうだと思います」)
 そうなんですね。うーん、現実と向き合う勇気がほしい、という気はちょっとしますね(笑)。

・江國氏の講評
 私はこれ、やたら好きなんですよね。私もたぶん3回目なんですけど、この方の書くものには何かある気がするんです。まず文章のセンスがいい。さっきから皆さんがおっしゃっているネーミングのセンスもそうですけど、それだけじゃなく、とても魅力的なセンスがあります。でも、どうしたらよくなるのか、アドバイスがとても難しいタイプの作品なんですよね。長いバージョンも読んでみたいんですけど、この短いバージョンだと、主人公2人が愛し合っていることが前提になっていますよね。前にも鬼と戦ったことがある、という過去を読んでいないからかもしれないんですけど、ラブストーリーにしては、主人公が自分にこだわりすぎている気がするんですね。タイトルにも「超克」とありますが、リヨンが精神的困難に打ち克っていくというタイトルだから、そうするとラブストーリーの部分が都合よく感じられてしまうというか、結局リヨンの自意識の問題なのか、というふうに思えてしまうんですね。今回すごくよかったのは、戦いではなくラブストーリーの部分だと思うので。
 この女の人が、すごくおかしいですよね。セリフもちょっとおかしいし、いきなりものを凍らせちゃうし(笑)。彼女もまた5年前から声を失っていた、という突然明かされる驚愕の事実が面白くて(笑)、この人たちのラブストーリーのほうにもっと力を入れたら面白いんじゃないか、と思ったんですね。
 あともうひとつ、ナレーションぽいところは読んでいて楽しいし癖にもなるんですけど、この作品において小説として有効かどうか、というとちょっと疑問です。話がものすごく大きいし大変なことが起こるので、ところどころで茶化さないほうがいいんじゃないか、という気もします。
 前に読んだ話もそうだったんだけど、主人公の自意識の戦いが大きすぎて。最後は実際の肉体的な戦いになって、破壊で終わるんだけど、登場人物の自意識と著者の自意識は絶対に別であるべきなので、登場人物の自意識をもうちょっと冷静に、著者として見せてくれるといいんじゃないかな。でも今回は、その自意識の問題ではなく、不思議な名前の男と女が、愛し合って命を賭けているのに、甘い言葉を言い合わない、不思議な関係に興味が湧きました。そこが面白かったです。

◆長谷剄さん『蛇腹の中』(32枚)
 一人娘の多津子は勝手気ままな独り暮らしをしていたが、父母の老化のため同居を考えざるを得なくなってきていた。週末実家に通う暮らしをしていたが、そのうち、父親が母親は別のものになっていると言い出し、父母の認知症について深く思いを巡らす。介護に対する知識も覚悟もないうちに、父親があっけなく腸閉塞で亡くなった。
 母親の面倒を見るために仕事を辞め、実家に入った多津子だったが、母親とうまくいかず追い詰められていく。認知症という病気を理解できず多津子に対してのみ暴言や暴力をふるう母親に手を挙げてしまう。逼塞した二人暮らしは、ますます二人を追い込む。暴風雨のある日、黒い雲が立ち込め暗くなった部屋で母親が蛇化していた。口を割き顎を広げた母親に丸呑みされることで、多津子は安心感を覚える。
・原氏の講評
 私は、とくに最後の場面で、お母さんが「しゃぁ」と答えるところが好きです。もっと長くするか、短いのであれば、お父さんとお母さんと自分の、家族の話だけにしてもよかったのかなと思います。会社の話とか、初めて結婚したい人ができたくだりとか、その辺がぽんぽんと行ってしまって、ちょっと拡散してしまった感があるので。お母さんが最後に蛇になるんだったら、その兆候とかも入っていたほうがいいので、家族の中だけに集約したほうが良い小説になったのでは、と私は思いました。

・池上氏の講評
 長谷さん、この作品で一番書きたかったのはどこですか。
長谷氏「6ページ目の、お父さんが亡くなった場面です。去年、父が亡くなったんですが、雪が屋根にうっすらと積もっているのを見て、なぜか父を思い出したので、その一文を残したくて書きました」)
 なんとも抽象的な(笑)。そこからどうしてこのような物語が生まれるのか。長谷さんの作品は8月の三浦しをんさん講座でも取り上げましたが、そのときは縄文時代と現代がつながる話でした。今回も幻想の世界に突入していく話なんですが、今まで長谷さんはあまりこういう話を書かなかったので驚いています。一番の面白さは、長谷さんの作品の場合、まず何よりも山形弁なんですが、今回もたいへん活発に使われていて、土着的な匂いがぷんぷん漂っているし、それがいつのまにか、この世ではない世界の入り口になっているんですね。
 ただ、飛躍するにはもうちょっと段階を踏んだほうがいいかもしれません。やや唐突。つらい人生を歩んできた主人公が死の願望を持ち、母胎回帰していくという物語を、このように展開していくのが非常に面白いし、方言の強さ、淡々と描いていく場面場面の濃密な描写と可笑しさ。残酷でありながらも可笑しみがあって、なんとも奇妙な世界へ入り込んでいく。ユーモアを含みつつ、残酷で冷たい現実に引き裂かれていく感じが、非常にうまく書かれていると思います。

・江國氏の講評
 面白かったです。上手だなと思いましたし、池上さんもおっしゃるとおり、方言が利いていますよね。ただ、もう少しオリジナリティがほしい感じがします。問題提起だけの小説に思われてしまう。ある一家の話というより、老いた両親と独身の娘であれば、どこにでもあてはまるような大変さであって、もうちょっとオリジナリティないし個性があったほうがよかったなと思いました。
 ただ、さっき原さんがおっしゃった、はじめて結婚したい人ができたというくだりは、私はちょっと利いてるなと思ったんです。だって、40歳近い女性が、あまりしゃべったこともない、もちろんデートもしたことない人を、初めて結婚したいと思ったというのはすごい悲しいことじゃないですか。それまで恋愛をしてこなかったということも伝わるし、そこのディテールはすごく利いてると思います。ただ、その人のウエストが主人公の首より細いというのは、ちょっと細すぎるかな(笑)。
 全体に引き締まった文章が怖くて、よかったです。

・井上氏の講評
 やはり方言がすごくよかったと思いますし、この小説の一番いいところは、ものすごく衒(てら)いがなくて、平明な言葉で、凝った比喩も使わず、淡々と書いているんだけど、きちんと言葉を選んでいるという印象があります。そこはすごくよかった。
 ただ、まだちょっと小説になりきっていないというか、報告みたいな感じがしちゃうんですよね。江國さんもおっしゃったように、この家族ならではのものがあんまり出てこない。よくあるケースのひとつにしか思えないというのと、何が主眼として書かれたのか、介護の大変さなのか、お父さんへの思慕みたいなものなのか、自分の人生のままならなさみたいなものなのか、どれとも取れるし、どれもピンと来ないというのが大きな欠点だと思います。
 ラストに蛇が出てくるけど、これはよくない。こういう癖をつけたらいけない、と私は思うんですよ。つまり、みなさんよくやると思うんですけど、「小説として何か足りないな」と思ったときに、蛇を出したりワニを出したり、あと六条御息所を出したりするんですよ(笑)。そこで小説に負けているんです。そういう楽な方向に流れないで、もっと小説らしくするためにどうすればいいのか、もうひと踏ん張り考えるべきだと思うんですよ。私はやっぱり、蛇は手抜きだと思います、この場合は。

・角田氏の講評
 面白かったです。この作者の一番の魅力は、たぶんご自分では面白いことを書こうと思っていないのに、何かユーモラスな感じがにじみ出てくるところだと思います。だから、悲惨な話なんだけれども、すごく悲惨なものを読まされた感じがしないんですね。どこか伸びやかで、おおらかな部分があって、そこはご本人が出そうと思って出せる味ではないと思うので、そこが長谷さんの魅力なんだと思います。
 いただいた原稿にはあらすじがついているんですけど、この本文自体があらすじになっちゃっている。講座に間に合わせるために急いで書かれたのかな、という気がしました。この32枚があらすじなので、これをプロットとして使って、120枚ぐらいに伸ばしてみたらよくなると思います。江國さんや荒野さんがおっしゃったような、この家族だけが持っているものが、長く書けば書くほど出てくるのではないかな、と思いました。ご本人のお話では、お父さまが亡くなったときの、雪の積もった景色を残したかったという気持ちからこの作品を書かれたそうですが、その一節が6ページ目にありますね。わたしが読んだときも、そこが一番印象的だったんです。雪を見て、自分を無条件に愛してくれる人がもういないんだ、と気づくところ。すごく強い場面だと思うので、作者はそこが一番書きたかった、と聞いてちょっとびっくりしたんですよ。書きたいと思ったものを中心に据えて書くと、失敗することが多いんですけど、この作品は成功していると思います。
 だけど、やっぱりもっと長く書いたほうがいいと思うし、蛇はよくない、と荒野さんがおっしゃったのも、もしかしたらそうかもしれないですね。蛇に変異しなくても、異様さを出すことがこの作者にはできると思います。

◆高橋茉莉奈さん『ソロ』(80枚)
 かおるは、震災が起こった二年後に中学生になった。特筆するような出来事もなく、淡々と過ごしていたが、やがて不登校になる。両親はかおるを扱いかねていたが、入れ替わりに叔父の伊佐木が、引き籠った彼女を外へ連れ出すようになった。と言っても伊佐木は自分の行きたいところへ連れまわすだけで、かおるになんの関心もないように振舞う。
 かおるは叔父とのなんの目的もない逃避行に居心地の良さを感じていたが、いつものように思いつきで連れてこられた海岸で、彼女はふと逃げ続けてきたものと向かい合うことになる。
・池上氏の講評
 まず『ソロ』というタイトルは弱いので、別のタイトルのほうがいいと思います。孤立した個人の寂しさを出したいんでしょうけど、流木がいっぱい出てくるので、そこに絡めて、さすらって枯れているイメージを出すのもいいでしょう。
 非常に感覚が鋭敏で、いい部分が多々あるんですが、書きすぎている部分、くどくなっている部分があるので、そこは気になります。でも、最終的には、おじさんが作っている抽象画の、抽象的な部分が少女の心理になっている。生きづらさみたいなものを表していて、抽象的なんだけども、この主人公の心象風景を表すのになかなか効果的になっている。鉄道自殺未遂の場面やその前後もよく書けているし、家族のたまらない気持ちが抑えた筆致でよく書かれていますね。
 ただ、ここまでしつこく書かなくてもいいのでは、という部分もある。もっとメリハリをつけて、均一な書き方にならないよう、抑えるところは抑えて書いたほうがいいですね。

・原氏の講評
 いい文章とか、いい言葉がたくさんあって、楽しく読みましたが、池上さんもおっしゃったように書きすぎなところがあったと思います。もっとメリハリをつけたほうがいいですね。
 主人公とおじさんやお父さんも魅力的に書けていますが、同級生の西村さんがすごくいいなと思いました。池上さんもおっしゃるとおり、タイトルはもう少し考えたほうがいいかなと思います。主人公が不登校になって引きこもることになった、ひとつのきっかけでなくてももちろんいいと思うんですが、もう少し何か、ちょっとあってもいいのではと思います。思春期のいろいろとか、時代のいろいろとか、全部含めてそうなったんだろうとは思いますが、小さなきっかけがいくつか示されてよかったかな、と思いました。

・井上氏の講評
 すごくいい小説だと思いました。プロになれる人なんじゃないかな、短篇映画みたいないい小説だなと思いながら読んでいて、この人にしかできないと思う表現がいくつかあったので、チェックしたところがいっぱいあります。西村さんの「妙に気迫のある髪型」とか、「日陰でも明るい、昼休みの昇降口」とか、「ほんの一瞬あたしは気が狂いかける」「校庭にいる生徒たちも学校のジャージを着た塊にしか見えない」とか、わりとさりげないんですけど結構気が利いていて、この人にしか書けないだろうなという表現がいっぱいありました。ただ、みなさんおっしゃるように、ちょっとくどいんですよね。あまりにも文学的というか、気の利いた表現が過剰に使われているので、これは抑えて緩急をつけて、ここぞというところで使うようにしたほうがいいと思います。
 この主人公が不登校になった理由は、読者にはっきり表さなくてもいいんですけど、この小説に決定的に欠けているのは、この子は学校の保健室以外のところでどう過ごしているのか、ということです。そこにいられなくて保健室にいるわけだから、学校にいる間、クラスメイトとどう過ごしていたのか、どんなことがあったのか。直接的な不登校の理由にはならなくてもいいんだけど、彼女に学校の風景はどう見えていたのか、そこを書かないのはちょっと怠けている感じがするんですよ。
 すごくいいと思ったのは、冒頭の流木を拾うシーンもいいんですけど、もうひとつよかったのが、彼女がひとりで留守番をしてたら、知らない男の人が来て「卵くれない」と言うじゃないですか。ああいうシーンはすごくいいと思うんですよね。それも、彼女がなにかに絶望する一因になっているわけじゃないですか。だから、私だったらおじさんを出さず、「卵くれない」の男にそのおじさん的な役割を持たせると思います。両親とのやり取りのところがわりと退屈で、不登校の子に両親がああいう反応をするのは当たり前ですから、そこは1行か2行で済ませて、学校の場面と、西村さんの場面をもっと増やす。そして、「卵くれない」的な場面をもっと増やしていく、という構成でこの枚数を作ったら、すごくいい小説になるんじゃないかと思います。

・角田氏の講評
 私も、小説としてうまく書けていると思います。たぶん作者の方は、五感が鋭いと思うんですね。精神も鋭いと思うんですけど、その鋭さが、物書き的に鋭い。その鋭さをちゃんと文章に活かしているな、と思いました。みなさん言うような、いい表現がいっぱいあるというのはそういうことだと思います。学校に行けなくておうちにいて、「三十分は経ったろうと思って時計を見るとたった三分しか時間は経過していなくて、そのたび頭が端っこから焼け焦げるような心地がした」みたいな表現は、すごくうまいなと思いましたし、もうひとつ印象に残ったのは、震災後に「いつもの通りではなくなったのだから、だから、いつかすべて元に戻るのだと思っていた。ただ、震災が起こったそれ以後の生活が続いている」というところは、これは書けないな、とすごく印象に残りました。
 荒野さんが言ってた卵のおじさんも、すごく気味が悪いし、そういうことのひとつひとつが重なって、彼女がダメージを受けていくのはわかるんだけど、主人公の繊細さに付き合わされるのが、時々ちょっとしんどくなるんですね。お母さんも好きだけど憎たらしい、お父さんも私を傷つける、でもそういう自分が一番イヤだ、というのは誰しも10代のころに覚えがある気持ちだと思うんですけど、最初からずっとその鬱屈が続くので、最後はちょっと晴れるんだけど、時々ちょっとしんどいかなという気がしました。

・江國氏の講評
 みなさんがおっしゃるとおり、上手なところがいっぱいあって、荒野さんがおっしゃった髪型のところとか、ファミリーレストランに行ったらよその子どもが冷えピタシートを貼っているところとか。よその人だしその後なんのやり取りもないんですけど、それもすごく小説的だなって。とくに温度とか匂いに関して、とてもシャープな描写をされる方だなと思って読みました。
 ストーリーとしては、中学生の日常の話なので、そのみずみずしさがもうちょっと出てたらいいのにな。この子がドライなのかな? 一人称の語りで、いじめられているわけではない、震災でも家を失うような目に遭ったわけではない、嫌いではないけど好きでもない、というふうに、追い詰められて自殺未遂までしている割には分析的なんですよね。分析できない、どうしていいかわからない感情を持て余している感じが、あまりこの主人公からはしてこないんですよね。そこが残念だったのと、この物語で大事なはずのおじさんが、いまいち魅力的に書けていなかった。語り手をもっと信頼できないと、その語り手にとって意味のある、おじさんという人物をちゃんと受け止められないと思うんですね。だから、語り手をもう少し信用させてほしかった。
 それから、おじさんの描写は、芸術家であるとか、伏目がちであるとか、ぼそぼそ喋るというだけではなく、もうちょっとピンとくるものが入るといいな。「ピンとくる」という言い方はちょっとずるいかもしれないけど、印象的なエピソードですよね。それこそ、荒野さんが絶賛されてた卵のおじさんとか、あの一箇所しか出てこないし名前もわからないけど、読者にとってものすごいピンとくるエピソードじゃないですか。冷えピタシートもちっちゃいけどそれだと思います。それにくらべて、おじさんは全然ピンとこないのが残念でした。

※以上の講評に続く、池上氏の司会のもと行われたトークショーの模様については、本サイト内「その人の素顔」にてアップいたします
【講師プロフィール】
◆角田光代(かくた・みつよ)氏
 1967年、神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞を受賞する。その後も「ロック母」(川端康成文学賞)『八日目の蝉』(中央公論文芸賞)『ツリーハウス』(伊藤整文学賞)『紙の月』(柴田錬三郎賞)『かなたの子』(泉鏡花文学賞)と受賞作が続く。小説のほかに『源氏物語』の現代語訳、旅のエッセイや書評集もある。各新人賞の選考委員を務めた後2020年より直木賞の選考委員となる。
●銀の夜(光文社)
●タラント 読売新聞オンライン連載小説
●源氏物語(河出書房新社)池澤夏樹編集 日本文学全集 角田光代翻訳
●幸福な遊戯(角川文庫)※海燕新人文学賞受賞
●まどろむ夜のUFO(講談社文庫)※野間文芸新人賞受賞
●対岸の彼女(文春文庫)※直木賞受賞
●ロック母(講談社文庫)※川端康成文学賞受賞
●八日目の蝉(中公文庫)※中央公論文芸賞受賞
●ツリーハウス(文春文庫)※伊藤整文学賞受賞
●紙の月(ハルキ文庫)※柴田錬三郎賞受賞
●かなたの子(文春文庫)※泉鏡花文学賞受賞
●彼女のこんだて帖(講談社文庫)
●坂の途中の家(朝日文庫)
● 希望という名のアナログ日記(小学館)
◆井上荒野(いのうえ・あれの)氏
 1961年、東京都生まれ。89年「わたしのヌレエフ」で第1回フェミナ賞受賞するが、その後小説を書けなくなる。2001年に『もう切るわ』で再起。04年『潤一』で島清恋愛文学賞、08年『切羽へ』で直木賞、2011年『そこへ行くな』で中央公論文芸賞、16年『赤へ』で柴田錬三郎賞、18年『その話は今日はやめておきましょう』で織田作之助賞を受賞する。著書に『ベーコン』『つやのよる』『ママがやった』『結婚』、父・井上光晴と母と瀬戸内寂聴の関係を描いた『あちらにいる鬼』などがある。
●ママナラナイ(祥伝社)
●よその島(中央公論新社)
●あちらにいる鬼(朝日新聞出版)
●潤一(新潮文庫)※島清恋愛文学賞受賞
●切羽へ(新潮文庫)※直木賞受賞
●そこへ行くな(集英社文庫)※中央公論文芸賞受賞
●赤へ(祥伝社)※柴田錬三郎賞受賞
●その話は今日はやめておきましょう(毎日新聞出版)※織田作之助賞受賞
●あたしたち、海へ(新潮社)
●ママがやった(文春文庫)
●ベーコン(集英社文庫)
●つやのよる(新潮文庫)
●結婚(角川文庫)
●もう切るわ(光文社文庫)
◆江國香織(えくに・かおり)氏
 1964年、東京都生まれ。89年「409ラドクリフ」でフェミナ賞、92年『こうばしい日々』で坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、04年『号泣する準備はできていた』で直木賞、07年『がらくた』で島清恋愛文学賞、10年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、12年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、15年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で谷崎潤一郎賞を受賞。小説以外に詩作や海外絵本の翻訳も手掛ける。
●去年の雪(角川書店)
●100万分の1回のねこ(講談社文庫)
●彼女たちの場合は(集英社)
●こうばしい日々(新潮文庫)※坪田譲治文学賞受賞
●きらきらひかる(新潮文庫)※紫式部文学賞受賞
●ぼくの小鳥ちゃん(新潮文庫)※路傍の石文学賞受賞
●泳ぐのに、安全でも適切でもありません(集英社文庫)※山本周五郎賞受賞
●号泣する準備はできていた(新潮文庫)※直木賞受賞
●がらくた(新潮文庫)※島清恋愛文学賞受賞
●真昼なのに昏い部屋(講談社文庫)※中央公論文芸賞受賞
●犬とハモニカ(新潮文庫)※川端康成文学賞受賞
●ヤモリ、カエル、シジミチョウ(朝日文庫)※谷崎潤一郎賞受賞
●つめたいよるに(新潮文庫)
●ホリー・ガーデン(新潮文庫)
●ウエハースの椅子(ハルキ文庫)
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