平山「まずね、みんな怒りを持つことですよ。怒ればアイデアは出てきます。小言じゃダメだよ、でかいやつに対する怒りね。ただ、その怒りが絶対の正義から外れてはいけないと思うね」


© 谷口雅彦

福澤「いまはスマホやネットのおかげで、人類史上コミュニケーションがもっとも容易な時代です。にもかかわらず、人と人との関係は希薄で不寛容になった。そういう矛盾は、これからの大きなテーマじゃないかな」


© photo by punch
 第120回は、平山夢明氏と福澤徹三氏を迎え、講座出身作家である黒木あるじ氏の司会により、アイデアの源泉になる大きな怒りについてや、作品を生み出すための心構え、他メディアでの展開などについて、熱く語っていただきました。

◆取材の前に自分を掘り起こすことも必要/アイデアの源泉は怒り/本は原爆以上の武器になりうる
――今回のテキストをお読みになっての、全体的な感想をお願いできますか。
平山 今回は、まとまって書いてあるなという印象が強かったね。ただ、みなさん仕事として書いていきたいという意向だったので、そこはたいへん厳しいという気はしてますね。できないということではなくて、致命的に気づいてないところがある。そこをね、これから徹ちゃんも交えてお話していきたいね。
福澤 さっきも似たようなことを言いましたが、自分が知らないことを書くのってすごく大変ですよね。だから、いきなりスケールの大きな話に取り組むんじゃなくて、まず身近な題材で書いてみて欲しい。小説は筋さえよければ面白いんですよ。あらすじだけで面白い話があれば、それは恐らく傑作になる。文章なんか、あとからどうにでもなるので。一から勉強したり取材したりするのもいいけれど、自分の過去をたどってみれば、書くに値するアイデアはたくさん浮かぶと思います。ぼくみたいに長いあいだ書いてると、そういうアイデアは枯渇しますが(笑)。
平山 だけど、さっきの徹ちゃんの、闇金の偉い人的な説明はすごかったね。やっぱやってた人は違うなと思ったね(笑)。
福澤 だからやってないですって(笑)。
――いまアイデアのお話が福澤さんから出ましたけれど、おふたりはアイデアをどのように発想されてますか。作品のために日頃から取材をされているのか、それともさっきの講評で平山さんがおっしゃったように、ずっと考えていたものがある日ぱっと花開いてつながるよう場合が多いんでしょうか。福澤さんはアイデアを貯めておくほうですか。
福澤 いまはね、はっきり言ってアイデアは何もない(笑)。コロナのせいで書店は閉まるわ出版社の業績も下がるわ、この状況じゃ本はなかなか売れないですよ。だからテレビとか映画とかマンガとか、二次的な展開に期待するところもあります。 Netflix やアマゾンの Prime Video のようにネット配信の業界は新たなコンテンツを求めてますから、チャンスとも言える。小説だけだと国内での売上げしか望めませんが、映像化されたら世界が市場になる。ただそんなヒットを生むには、誰が聞いても面白い設定や斬新なストーリーが必要です。アイデアとは情報と情報の組合せだから一瞬で思いつくこともあるし、10年も20年も考えた末に浮かんでくることもあるでしょう。しかし、こうすればアイデアが生まれるという方程式はないですね。

平山 アイデアをどこから出すかっていうのはさ、基本的に、物を書く人間っていうのは、怒っていないとダメだね。怒りのない人が書いたものは面白くないですよ。だって現状に満足しちゃってるんだもん。そういう人は小説よりもエッセイとかを書いたほうがいいと思うよ。非常に強い怒りね、世の中に対してとかさ。だってそうでしょ、いつ戦争になってもおかしくないようなことが、世界のあちこちで起きてるわけじゃないですか。政治家はみんなろくでなしだしさ。それに対してね、1ミリも怒りが感じられなくて、のほほんと暮らしているんだったら、やっぱり厳しい気がするね。基本は、怒りがあるから書くんですよ。ふざけんな、馬鹿野郎、冗談じゃねえよ、と思ってるから、ね。徹ちゃんなんて、そのために髪の毛の色まで変わっちゃいましたからね。
福澤 ぼくなんか、いつも自分に対して怒ってますからね(笑)。なんでこんなに酒ばっか飲んでんだろうって。
平山 まずね、みんな怒りを持つことですよ。怒らないということはね、異常ですよ今の時代。ただ、その怒りが絶対の正義から外れてはいけないと思うね。ちょっと怖かったのはさ、KOUさんの『囁いただけで』で、韓国の人を虐殺した事件について「K国」とぼかした書き方をしてたけど、あれは逆にこういうぼかし方をしたほうが危ないんだよね。それを書くなら覚悟を決めないと。
 とにかくね、怒ってないような物書きが書いたものは、あんまりピンとこないんじゃないかな。考えてみたら、池波正太郎先生だって松本清張先生だって、吉村昭先生だって山崎豊子先生だって、みんな怒ってたわけですよ。だから、怒ってください。怒ればアイデアは出てきます。出てこないのは怒ってないからです。
 あともうひとつ副次的に言うとしたら、ボクはわりと、映画を見てるときや報道写真を見てるときなんかにアイデアを思いつくことが多いです。あとはやっぱり、日々のニュースを見たり、世の中でどんなことが起きてどんな悲劇があるのか、ということに鈍感であっては、物書きとしては厳しいかもしれない。小説って、武器になりますから。奴隷解放の機運を高めて、南北戦争のきっかけになった『アンクル・トムの小屋』とかもそうでしょ。逆の例だと、フランスのアルテュール・ゴビノーという作家が『人種不平等論』という本を書いて、人種には優劣があると主張したんです。それを錦の御旗にして、帝国主義が出てってあちこち植民地にして、今みたいになっちゃったわけですから。本というのは、原爆以上の巨大な武器になりますから。その実力を目指すからには、やっぱりどこかに正義を持っていてほしいなという気はします。危ないですから。

◆精神的支柱になる作品に挑戦しなければ/『侠飯』の原点はクレーム回避/漫画化されることの面白さ
――先ほどのお話にもありましたが、コロナの影響もあって本の売れ行きが悪くなっている中で、今日も多くの方が書き手を目指して受講しているわけです。みんなこの時代にどういうことを書きたがっているのかな、というのは興味のあるところです。こんな時代に、何を書けばいいのかと僕自身も考えているのですが。
平山 それはね、オレにもあるよ。単なる娯楽としての作家というものは、食っていくのが厳しくなるだろうという気はするよね。大きな意味で、運動になる。心の運動とかね。ベトナム戦争のときにはビートニクっていうのがあったけど、それに匹敵するような、運動体としての精神的支柱になるものに挑戦してる人間じゃないと、難しくなる気がする。それを怪談の形で書くとか、時代小説の形で書くとか、書き方はいろいろあるけど、本質的には人間としての正義とか、自由とか、そういうものに関して、まだこの国では徹底的な定義がなされていないんですよ。それを、我々の中から、この講座を受講している方の中からそういう方が出てきて、俺たちの考える自由とか正義ってこういうことじゃないの、っていうのを、若い人たちとか普段小説を読まないような人たちに対して、常に問い続けるような作品なら、残る意味も出てくるし、出す意味もあるだろうと。
 もうね、バブルの時期は終わったんで、ただ読んで面白いっていうのでは無理ですよ。徹ちゃんも言ったように、本当に小説って売れなくなってきてるじゃない。それはなぜかっていうと、面白いものはもうほかにいっぱいあるんだよね。YouTubeだとかコミックとか。だから、面白いだけのものは必要ないんですよ。惰性や習慣で買ってくれている読者も、そのうちいなくなる。そういう小説を書いている限り、国内でしか売れない作家になってしまう。海外でも勝負できるという覚悟がなくて書いている限り、無理だと思うね。
――福澤さんはいかがですか。
福澤 平山さんがえらくまじめなこと言ってる(笑)。ぼくなんかもう余命も知れてるし芸術家でもなんでもないから、あまり働きたくないわけです。早く左団扇になりたくて18歳から働いてきたけど、まだまだ隠居できない。作家は定年がないのはありがたいけど、注文がなければ無職とおなじです。いまだに新しいアイデアを考えなくちゃいけないのは、結構しんどいですね。
平山 嫌んなっちゃうよね(笑)。
福澤 平山さんは書いてないじゃないですか(笑)。みなさんご存知だと思いますけどね、この人はたくさん書いてても本を出さなかったりしますからね(笑)。
平山 でもこの前ね、徹ちゃんに頼まれて「55億貯めずに何が人間か」っていう短篇を書きましたよ(笑)。
福澤 それは福永法源じゃないですか(笑)。
――法の花三法行はさておき(笑)、先ほど福澤さんのお話の中で、今後は映像作品などの展開も書き手の視野に入ってくる、という話題が出ました。福澤さんの『白日の鴉』(光文社文庫)は2018年と2020年にテレビドラマ化されていますね。また、平山さんは『ダイナー』(ポプラ社文庫)が映画化や漫画化され、漫画(河合孝典作画、集英社ヤングジャンプコミックス)についてはまもなく12巻が出ます。

「白日の鴉」光文社文庫

「ダイナー」ポプラ文庫
※大藪春彦賞受賞 日本冒険小説協会大賞受賞
 そこでもうひとつお聞きしたいのは、漫画やドラマなど他メディアでも、作品の魅力を感じ取って別な表現にしてもらうような作品は、どうすれば書けるのでしょうか。秘訣なんかない、というのは承知の上ですが。

福澤 小説によっては映像化しやすい書き方を意識しています。たとえば映画のカットをイメージしながら、場面場面を書いていく。その場合は地の文を簡略にして、会話やシーンが引き立つように構成する。やはりドラマ化された『侠飯』(文春文庫)もそうです。ぼくはアウトローものをたくさん書いてて、過去に映像化のオファーは何度もありました。でもテレビ局は放送倫理にひっかかるからヤクザは出せないなんて言う。だったらオファーすんなよって感じです(笑)。でも、こっちも金は欲しいから限りなくヤクザに見えるけど、実はヤクザじゃないというキャラクターを作った。それで『侠飯』が映像化されたんです。

「侠飯」文春文庫
――なるほど、そのあたりの匙加減も書く中で必要なんですね。いっぽうの『ダイナー』は、原作にない漫画版オリジナルの展開まで平山さんが考えていらっしゃると聞きましたが。
平山 そうなんだよ、毎回オレが脚本書いてるから疲れちゃってさあ。冗談じゃないよホントに。漫画のほうはさ、心理描写が難しいよな。「寂しかった」とか、花とか夕陽を見て「きれいだな」とか、そういうのは漫画では難しいよね。台詞で「きれいだな」って入れなくちゃいけない。ただ面白いのはさ、オレは絵って全然描けないのよ。絵を描くとヘリコプターとダックスフントが同じになっちゃう人間だからさ(笑)。絵描きさんってのはさ、絵がうまいんだよ。河合くんに書いてもらうとこんなふうになるのか、ってのはちょっと楽しいね。たまーに、膝だけがものすごく長い人を書いてきたりするから、「殺すぞ」って言うんだけど(笑)。
◆『異形コレクション』から始まった/根っこにあるのは義理と人情/恥と外聞の消失
――先ほど平山さんが倫理についてのお話をされましたが、両先生の作品とも、人生においてネガティブな展開があったり、グロテスクだったりする反面、どこかに正義というか、怒りをベースにした書き手としての倫理がある、私はそのように感じるんですね。そこは、作家としてデビューされる前からあったのでしょうか。それとも、作家として書き続ける中で固まっていったものでしょうか。今日はお二方のファンということで参加されている新規の受講生が多いと思うので、そこもお聞きできればと思います。
平山 オレが書き始めたのはさ、週刊プレイボーイで、史上初の「映画を観ないでも書ける映画評論」ってのを始めたわけだけど(笑)、最初に意識的にちゃんと書き始めたのは、井上雅彦さんの『異形コレクション』(2000年刊行、廣済堂文庫『異形コレクション14 世紀末サーカス』所収「Ωの聖餐」)なんだよね。ある程度評価をいただいたのはこれが初めてだったんだけど、オレはまだ中途半端なライターで、目も鼻も開いてないような人間だったけど、ほかは一流の作家さんが25人ぐらいだったわけよ。その中で埋もれちゃいけないと思って、悪目立ちでもいいからしなくちゃいけないな、と思って書いたところはあったけれども。
――そういえば、平山さんの短篇に「おばけの子」という作品がありますよね(集英社文庫『暗くて、静かで、ロックな娘(チャンネー)』所収)。展開だけを見れば暗澹となる話なのに、どこかカタルシスがあります。この辺はかなり意識して書かれているのでは。

「暗くて静かでロックな娘」集英社文庫
平山 これは、書いた当時も児童虐待のニュースがあって、ゴミ袋に入れられてドブ川で流れてたような子の話とかもあったんだよね。身体をワイヤーで本棚にくくりつけられて、苦しくて暴れたら肋骨が折れて死んじゃった子の話とかもあったのよ。それを見て怒ってるうちにね、その子たちから見たらオレも同じ大人の一派じゃないか、と思ったのが書き始めたきっかけだったかな。そのとき決めたのは、そこでされているような虐待の事例は、自分の頭で考えるんじゃなくて、新聞記事から集めて作ろう、ということ。それがある意味、気の毒な亡くなり方をした子たちへの鎮魂になるかな、と思って書いたところはあるね。成功したかどうかはわからないけど、そういう意図だったよ。

――正義といえば、福澤さんは今年刊行された『羊の国のイリヤ』(小学館)という作品で、転落していくサラリーマンが追い詰められて追い詰められて最後に豹変する話を書かれました。これもバイオレンスを描いていながら、読み終えたあとの爽快感といいますか、反社会的で倫理に反していながらも、読者が共感して喝采を送ってしまうキャラクターを描いています。そのあたりは、福澤さんも意識して線引きをされているんでしょうか。

「羊の国のイリヤ」小学館
福澤 最近は反社会的だったり倫理に反したりすると、頭ごなしに叩かれます。でも正義ってそんな普遍的なものじゃなく、為政者や大衆の感情によって、がらっと変わる。たとえば戦争を正当化するみたいにね。『羊の国のイリヤ』では、あなたならどうするって読者に問いかけてるんです。現代の道徳や倫理を遵守して破滅するか、法を破ってでも愛する者のために闘うか。
 昔は良かったって言うと年寄りの愚痴みたいだけど、いまの時代にはやっぱり違和感がある。いまはスマホやネットのおかげで、人類史上コミュニケーションがもっとも容易なわけでしょう。にもかかわらず、人と人との関係は希薄で不寛容になっていく。そういう矛盾は、これからの大きなテーマじゃないかな。
――福澤さんは、特殊詐欺など社会問題の切り取り方がとても秀逸ですよね。世間で騒がれるより、はるか前からピックアップしている。そこのネタの拾い方といいますか、アンテナの張り方はどのような方法を用いておられるんでしょうか。
福澤 飲み屋でそういう方面にくわしい人物に聞いたり、アングラなサイトで調べたりですね。ただ新たな犯罪はすぐに廃れていくので、あとから読むと古く感じるのが難点。その時代を象徴しているから、資料的な価値はあるかもしれないけど。
――お二人の話を聞いていて興味深いのは、平山さんや福澤さんの作品は、時流を取り入れているところもあるいっぽう、根っこのところは変わらないなという感覚を覚えるんですね。それがいま、福澤さんの「義理と人情」という言葉を聞いて膝を打った感があります。お二方とも、その点は作品に込められていますものね。
福澤 いまは恥も外聞もない時代ですからね。地域社会が崩壊して他人の目がないから、何をやっても恥ずかしくない。だから、だらしないところは徹底的にだらしなくなって、特殊詐欺の連中みたいに金さえあればいいという考えかたが蔓延する。そのくせ他人に干渉するのは執拗で、マスク警察だの帰省警察だの同調圧力はすごい。人の面倒をみる気はないけど、ちょっとでもミスをしたら、よってたかって匿名で攻撃する。妬み嫉みで他人をひきずりおろしたり謝罪を求めたり、殺伐とした相互監視社会へむかってる気がして怖いですね。

◆小言ではなく、でかい怒りを/プロットで溺れそうになったら/健康法と精神的ポジショニング
――作中で読者に問う必要が生じる時代なのだな、とは実感しますね。先ほどの平山さんの言葉を借りれば、僕らの側も怒りを持ち続けなければいけないのかな、と感じました。
平山 その通りだと思うよ。でも怒りっていっても、チンケなやつじゃないやつね。でかいものに対しての怒りがいいと思う。いま徹ちゃんが言ったような、マスクしてないやつを叱るとか、そんなのは小言だからさ。怒りってのは、もっとでかいものに対してのものです。国家とか社会とかを動かすような怒りを描くのね。そうすれば普遍的なものになるし、世界の作家たちは、そっちへ行ってるから。独裁とか民族主義とか、なんとか止めようとしてるからね。そっちの方向で間違ってないと思う。
――今日ご参加いただいた、両先生の愛読者の皆さんも、そのあたりを頭に入れつつ書くことにトライされると、いい結果が得られるかもしれないのではと思いました。
 さて、この後はみなさんからの質問を受け付けますので、僕からの質問はそろそろ最後にしたいと思います。福澤さんは先ほどの講評で、方言の使い方に言及されていましたね。福澤作品では北九州の言葉が会話文に登場しますが、僕のように東北でしか暮らしたことがない、九州に馴染みのない人間でも違和感なく読めるんですね。方言を使いたいと思っている人間は多いと思いますが、失敗例もよく見かけます。そこの強弱のつけ方に、コツのようなものはありますか。

福澤 ぼくの場合は、他県の方が音読したときにイントネーションがわからない方言は使わないようにしています。いまはネットで方言を調べるのは簡単だし、YouTubeもあるからイントネーションもわかる。それでも地元民の会話はやっぱり違うだろうから、方言は読者に伝わる範囲でいいんじゃないでしょうか。
――ありがとうございます。今のアドバイス、受講生の皆さんにとって大いに参考になるかと思います。では、まだまだおうかがいしたいところなんですが、Zoomのチャット機能を通じて受講生からどんどん質問が寄せられていますので、そちらをお伺いしたいと思います。
Fさん)自分の気持ちが出過ぎないように、読みやすいように文章を削っていくと、単純になってしまって、自分が伝えたかったものと違う文章になってしまうことがあるんですが、そのようにならず、洗練した文章にするためにはどうすればいいんでしょうか。
平山 残ってる文章だけだと味も素っ気もなくなる、っていう話だよね? それは、そこで残ってる文章をなんとか形にするしかない気がするよ。もしくは、本当は削っちゃいけないものを削ってる可能性もあるね。ありふれたような文章になっちゃったら、削るじゃない。でも、削るだけじゃなくて、他の形に変えることもしなくちゃいけないね。表現が届いていないために、どこかで読んだような文章になっちゃってる場合は、伝えられるような表現を模索しないといけないね。
福澤 まず書きたいものを整理して、入れたいものはとりあえず入れて、それから削る。最初に書いたときって不必要なことをいっぱい書いてるんですよ。書かなくても読者に伝わるところはどんどん削るべきです。ただ平山さんも言うように、本当に書きたいことは削るだけじゃなく言葉を磨いて表現を工夫しなければならない。それがキモですからね。文章を削ると自分が伝えたかったことと違ってくるのは、まだ表現が絞りきれていないのかも。
Kさん)自分が書くときは、最初にAからB、そしてCというふうにプロットを考えてから書くんですが、いざ書き出してしまうと、Bが思った以上に重要だと気づいてやたら長くなってしまったり、Cに行く前にBダッシュが必要じゃないかとなったり、迷走してしまって焦点がズレて苦労しているんですが、そういうときは、最初に立てたプロットに立ち返るべきでしょうか。それとも、書きながら調整していっていいものなのでしょうか。
平山 作品はひとつひとつ全部顔が違うんで、これが正解ですというのはないんだけど、今ボクがサジェスチョンするとしたら、まだ書く段階ではなかったということだね。さらに考えなければならない。さらに考えると、Bが重要なのか、Bダッシュなのか、というのが書く前に出てくるんですよ。まだ書いてはダメだった、ということね。たとえば50枚ぐらいの話だったら、プロットにしたらどのくらいですか。2枚ぐらいですか? その2枚が徹底的に洗練されていれば、そこから50枚でちゃんと書けるものです。ちゃんとそのプロットの段階で面白いと思った? 書き出せばなんとかなる、と思って書いてない? それは目ぇつぶって車を運転してんのと同じで、必ず事故ります。
 最初のプロットはね、40字を4行ぐらいでいいんです。最初の1行はまず、主人公はこういう人でこういう事件が起こります、ということを書く。2行目は、この事件はこんなふうに悪くなります、と書く。3行目は、さらに悪くなりますもうダメです、ということを書く。4行目は、なんとか首の皮一枚で助かります、展開が変わって終わります、というぐらいでいい。とにかく、黄金の4行を書かないとダメです。黄金の4行が徹底的に書ければ、次に、何を調べなければならないか明確になります。
 ボクも、もう何千回も同じことやってますから。とりあえず船を出そう、ってんで漕いじゃうんだよね。居心地悪いもんね。だけど、それはたいてい座礁します。少なくとも、このラストシーンさえ書ければなんとかなる、ってところまで考えないとね。小説は、作家が知らないところで面白くはならないですから。それに、小説というのは詰将棋と一緒で、最初は自由にコマを打てても、話が進めば進むほど、その一点しか打てない、というふうになっていきます。ラストでは、その1行しか残らなくなりますから。それを目指すといいと思います。

福澤 ぼくもプロットは書きますけど、そのとおりにはいきません。プロットどおりに書けなかったおかげで、作者が予想していたより面白くなることもあります。プロットがどうこうよりも結果として面白ければいいので、ラストから逆算して書いたっていいんです。ぼくはときどき風呂敷が畳めなくていらつくので、ラストシーンから書いたりします(笑)。プロットは大事だけれど、それにこだわりすぎて筆が止まるなら、まずは書きたいことを書いたほうがいいと思います。
Kさん)先ほどのお話と重なるんですが、私もプロットが苦手です。今300枚以上の長篇を書いているのですが、書いてみてから情景が浮かんできて、ここにはこの人がいなければおかしい、と気づいてプロットを作り直して、行ったり来たりしています。どうすればうまく書いていけるでしょうか。
平山 プロットで溺れちゃいそう、ってことね。まだ全部で何枚ぐらいになって、ラストはどうなるか決まってないの? それはまだプロットが書けてないんですよ。何枚になるのかわからないというのは、ボクも昔そういう書き方をして座礁してるんですけど(笑)、たとえば500枚書くとするじゃない? それなら、プロットで50枚ぐらいはいるんじゃないかな。それでちゃんとラストまで書けてる? そうでないと、プロットになってないんですよ。小説って、未完のものを書いていくわけじゃない。だから、頭の中に全体像は入らないんだよ。自分ではわかっていても、ぼんやりしてるの。だけど、ぼんやりしてると必ず森の中で迷っちゃうんだよ。そうならないように、アタマからケツまでちゃんと握っておきたいわけ。だから、ラストが決まってないと困るね。これは徹ちゃんにも聞いてみたいな。
福澤 プロットは小説の設計図ですから、なるべく詳細に書くべきです。とはいえ冒頭からラストまで決めてても、短篇ならともかく長篇はむずかしいですね。1000枚くらいの長篇になると、登場人物や時系列が混乱してくる(笑)。登場人物のキャラクター設定を細かくやって時系列のカレンダーを作っておくんだけど、途中でいろいろ思いつくから、それも狂いが出てくる。この人何歳だっけとか、この日は何日だっけとか、いちいち確認したり書きなおしたりで時間を食います。しかしスティーヴン・キングも言ってるように登場人物が当初の想定を超えて動きだしたら、その作品はたいてい面白くなる。登場人物に命が吹きこまれたという感じでしょうか。

Wさん)創作活動のためには体力も必要だと思いますが、先生方はどのようにして健康を保たれていますか。
――僕はご覧のとおり、まったくもって不健康ですけれども(笑)。
平山 オレも徹ちゃんほど健康オタクじゃないのでねえ、よくわかんないけど(笑)。
福澤 いや、ぼくはずっと酒飲んでるだけで何もやってません(笑)。しかし作家は体力というより気力ですよ。生活のためにこれを書かなきゃ死んじゃう、とか(笑)。ぼくは書けないときは無理しないで寝ちゃいます。徹夜でがんばったって体力を消耗するだけで、よけい書けなくなる。頭が働かないとアイデアは浮かびませんからね。そういう意味では健康を気にするよりも、精神をポジティブに保つことが大切じゃないかな。
平山 オレはねえ、イライラすると動きたくなっちゃうのよ。部屋の中で漕ぐ、エアロバイクってのがあるじゃない。あれに乗って、映画見ながら漕いでるよ。あと闇雲に腕立てしたみたりさ。じゃないと色々考えちゃって、頭が回って寝れないんだよ。そういうことはするけど、特にどうってことはやってないよ。
◆タイトルは色々な角度から/アイヒマンの倫理/小説を書くのは仏像を彫るのと同じ
(テキスト提出者 乗鞍次郎さん)先ほどは講評をありがとうございました。
 福澤先生にお伺いしたいのですが、タイトルの選び方について、作品を象徴する言葉を選ぶための、ボキャブラリーの作り方などでアドバイスがあればお聞きしたいです。また、平山先生にお伺いしたいのですが、講評で指摘のあった絶対的倫理や正義について、自分が描こうとすると単純な勧善懲悪になってしまいがちです。平たい話にならず、深みのある物語にするためにはどうすればいいでしょうか。
福澤 ぼくはいつもタイトルで苦労してます。タイトルは最大のキャッチコピーですから、その良し悪しで売上が変わるわけですよ。だから非常にむずかしい。先にいいタイトルがあって書きはじめるのはいいけど、仮タイトルで書くと後で思いつくのに苦労しますね。乗鞍さんの今回の『先まわり』は軽い印象なので、もっとインパクトのあるタイトルが欲しい。おどろおどろしたのでもいいし、わざと楽しげなタイトルにしてストーリーとの落差を狙ってもいい。いいタイトルを考えるには、作品をさまざまな角度から見ることです。それでもアイデアが浮かばないときは、既存の映画や小説のタイトルからヒントを得て、それを換骨奪胎する手もあります。
平山 倫理とか正義って話になると、ふたつの部分でひっかかりが出るんだよね。ストーリーの中でそういうものが出てくる場合と、キャラクターの性格の中にある場合。さっき講評した作品でいうと、キャラクターの性格の中の問題なんだけど。正しい人が正しいことをやったら正しかった、というんじゃ何にもなんないもんね。なんでかっていうと、たとえば本当にどうしようもない人間が、ある事件によって真人間に変わるという変化のほうが、人は見たいわけね。それは成長曲線を持っているわけだから。もし、乗鞍さんがおっしゃったみたいに、当たり前の人を書くと平らな話になっちゃうという場合は、逆打ちをしてみたらどうかな。当たり前の人じゃない人が、そういうものを大切にする人に変わっていく話にすると、いいような気がする。
 昔ね、フランキー堺さんの『私は貝になりたい』っていうドラマがあったじゃない。南方の戦場で、上官の命令で捕虜を虐殺した兵士が、戦犯として死刑になっちゃう話なんだけど、そこにも正義とか倫理に対してのテーマがあると思う。ボクが最近気になっている、倫理とか正義についてのテーマになりそうなのは、佐川財務局長の下で、公文書の改ざんを命じられて、自殺しちゃった人がいたじゃない。ところが、命じた人は栄転して、偉くなっちゃってるじゃん。オレ、あの人の顔を見るとムカムカするんだよね。コイツどうしようもねえなと思うんだけど、彼の集団の中では、あれが正義なんだよね。だって現政権の総理が命じたんだから。ところが、オレたちはムカムカするんだよ。そこあたりにも、正義の問題があるんだよ。同じことが、75年ぐらい前にもあったの。アドルフ・アイヒマンという人が、ナチでユダヤ人移送計画の責任者だったのね。戦後はアルゼンチンに逃げるんだけどモサドに捕まって、イスラエルで裁判にかけられるんだよ。でもそのとき彼が言ったのは、私はユダヤ人を殺したことなんかない、ってことなんだよ。たしかに、彼が直接人を殺したことはないんだけど、それなのに彼は死刑を宣告されなくちゃいけない。でも当時のナチス政権下では、ユダヤ人を殺すことは善で、それをしないことが悪だったわけ。そういうアイヒマン的な問題が、今の日本では非常に多い。組織の中で組織のルールを守る、でも傍から見れば非常に大きな歪みを持っている。こういうことに対しても、やっぱり我々作家はアプローチをかけなきゃいけない。そういうような意味も、今ボクがつらつら感じている、正義のひとつではありますね。

Sさん)私は本当に書き始めたばかりの初心者なのですが、これから書くことを始めようという初心者向けのアドバイスがありましたらお願いします。
福澤 職業として書くのは大変ですが、趣味であればご自分が楽しむことが一番ですね。書いて楽しい、読んで楽しい。過去の経験のなかから、そんなテーマを選んでみてはいかがでしょう。ただ読者を意識するのなら、趣味であっても読みやすさにこだわるべきだと思います。

平山 オレも徹ちゃんと同じで、自分で書いたものを、ああいいものを書いたな、と思うようにしてほしいね。大きな物語でなくてもいいんです。ご自身のお好きなものを、いくつも生み出されると、いいと思いますよ。時にはちょっと怖かったりとか、時には人が見てニコニコするような話とかね。オレはだいたい、生まれが川崎なんですよ。今も東京じゃないですか。山形とか仙台のほうに行くと、自然が多いでしょう。鳥が鳴いてたりとかね。ああいうの、生まれて50年ぐらい見たことないんです。空を見上げれば煤煙とかね。そういう意味では書けないことが多いのね。児童文学みたいなのは書きづらいのよ。童話って必ずお花とか鳥とか出てこない? オレが見たことあるのはカラスと土鳩ぐらいだからね(笑)。だから、子どもたちに渡せるような物語を書く土壌がたくさんあって、うらやましいなと思いますので、みなさん色々な物語を書いてください。元気で書いていってくださいね。
――ありがとうございました。所定の時間を40分ほどオーバーしておりますので(笑)、そろそろお開きにしたいと思います。いつもならこの後、サイン会に移るところですが、今回はオンラインということでそれがかないませんので、みなさま、お二方の作品、コミカライズされたものともども、ぜひお読みいただければと思います。
平山 黒木先生もね、最新作の『プロレス列伝』でしたっけ? (集英社文庫『プロレス刺客伝 葬儀屋』) あれはいいですね。シリーズ2作目で、重版もかかったそうじゃないですか。飛ぶ鳥を落とす勢いの黒木先生ですからね、参考にさせてもらってます。

「葬儀屋 プロレス刺客伝」集英社文庫
黒木 あの……講評のラストで毎回振られたりと、今日はなんだか非常にやりづらいですね……。

平山 今日は勝手なことばかり話して申し訳ないなと思いますが、くれぐれも、これは私がやってどうかなと思ってきたことなので、みなさん、ご自身に合ったやり方で書かれればと思います。小説というのは仏像を彫るのと同じなんでね、小さいから簡単だということもないです。大きい仏像も同じです。長篇でも短篇でも、心がけて手をかけるということに差異はないですから。大変でしょうけど、いい作品が書けると、きっとご自身のお守りになりますから、頑張ってください。

福澤 いまだにコロナの影響が続いているせいで、外出をひかえる方も多いでしょう。そのぶん執筆にあてる時間が取れるのでしたら、この時期はチャンスとも言えます。プロット作りや原稿を書く作業は必ずしも楽ではありませんが、自分で納得できる作品を書きあげたときの喜びはひとしおです。みなさんにおかれましては無理をせず、しかしあきらめず、根気よく小説に取り組んでいただければと思います。本日は最後までおつきあいをいただき、ありがとうございました。

(受講生から、画面を通じて多数の感謝メッセージが届く)

【講師プロフィール】
◆平山 夢明(ひらやま・ゆめあき)氏
 1961年、神奈川県川崎市出身。自動販売機の営業、映画・ビデオの企画・製作と様々な職歴を経て、94年にノンフィクション『異常快楽殺人』を刊行。96年に『Sinker―沈むもの』で小説家としてデビュー。『「超」怖い話』『怖い本』など実話系怪談を多数執筆する。2006年に『独白するユニバーサル横メルカトル』で第59回日本推理作家協会賞を受賞。10年に『ダイナー』で第28回日本冒険小説協会大賞と第13回大藪春彦賞をダブル受賞する。そのほかの作品に『暗くて静かでロックな娘』『デブを捨てに』『あむんぜん』など。エッセイスト、テレビのコメンテーターとしても有名。
●異常快楽殺人(角川ホラー文庫)
●独白するユニバーサル横メルカトル(光文社文庫)
※日本推理作家協会賞短編部門受賞
●ダイナー(ポプラ文庫)
※大藪春彦賞受賞 日本冒険小説協会大賞受賞
●Sinker-沈むもの(Tokuma Novels)
●「超」怖い話(竹書房怪談文庫)
●暗くて静かでロックな娘(集英社文庫)
●デブを捨てに(文春文庫)
●あむんぜん(集英社)
●メルキオールの惨劇(ハルキ・ホラー文庫)
●他人事(集英社文庫)
●ダーク・ロマンス(異形コレクションXLIX)
●恐怖の構造(幻冬舎新書)
●或るろくでなしの死(角川ホラー文庫)
●ミサイルマン(光文社文庫)
◆福澤 徹三(ふくざわ・てつぞう) 氏
 1962年福岡県生まれ。デザイナー、コピーライター、専門学校講師を経て『幻日』でデビュー(『再生ボタン』と改題して文庫化)。ホラー、怪談実話、クライムノベル、社会派サスペンスまで幅広く執筆。08年『すじぼり』で第10回大藪春彦賞を受賞。著書に『真夜中の金魚』『死に金』『忌談』『しにんあそび』『灰色の犬』『群青の魚』『忌み地 怪談社奇聞禄』『晩夏の向日葵 弁護人五味陣介』『羊の国のイリヤ』など多数。『東京難民』は映画化、『白日の鴉』はテレビドラマ化、『Iターン』『侠飯』はテレビドラマ化・コミック化された。
●再生ボタン(幻冬舎文庫)
●すじぼり(角川文庫)
※大藪春彦賞受賞
●侠飯(文春文庫)
●侠飯Ⅰ(講談社 ヤングマガジン)
●真夜中の金魚(角川文庫)
●壊れるもの(幻冬舎文庫)
●Iターン(文春文庫)
※エキナカ書店大賞受賞
●怪談実話 盛り塩のある家(幽BOOKS怪談実話)
●東京難民(光文社文庫)
●灰色の犬(光文社文庫)
●白日の鴉(光文社文庫)
●羊の国のイリヤ(小学館)
●晩夏の向日葵(光文社文庫)
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