「本格ミステリには、一般の論理を越えた不思議な世界がある。でも、その世界を成立させてしまうには、相当な力量が必要です」

 9月講座は、北村薫先生を講師に迎え、オンラインにて開講された。
 北村氏は1949年埼玉県出身。大学時代は名門ワセダミステリクラブに所属。1989年に『空飛ぶ馬』でデビューし、1991年に『夜の蝉』で日本推理作家協会賞、2006年に『ニッポン硬貨の謎』で本格ミステリ大賞、2009年には『鷺と雪』で直木賞を受賞。推理小説を中心に、エッセイや評論、アンソロジー編集など幅広く活動する。また、本格ミステリ作家クラブの事務局長、会長を歴任し、読者からの絶大な支持のみならず、多くの作家からも多大なリスペクトを受ける人物である。
 講座の冒頭では、世話役をつとめる池上冬樹氏(文芸評論家)がまず挨拶をした。
「今日は北村薫さんをお招きしました。10年ぶりとなります。もっと早くお招きしたかったのですが、ちょうど今回は『雪月花―謎解き私小説―』(新潮社)という素晴らしい傑作が出ましたので、このタイミングで来ていただくことになりました。今日はよろしくお願いします」
 続いて北村氏の挨拶。
「北村でございます。私はオンライン作業というのが苦手なものでして、今日は新潮社の編集者さんにお願いして、会議室にパソコンとカメラを用意していただきました。いろいろ勝手なことを申すかと思いますが、お許しいただければ幸いです。よろしくお願いします」

 今回のテキストは、以下の3本。
・瑞木柑子さん「スカイガーデン202号の闖入者」(68枚)
・渋谷雅彦さん「木陰に吹く風」(76枚)
・古間恵一さん「詩抄 ネコババの木」(21枚)※詩集
◆瑞木柑子さん「スカイガーデン202号の闖入者」(68枚)
 一流の料理人を目指す金崎日与子は、憧れのシェフに会うため姉のアパートに泊まることにしていた。姉は旅行中で、合鍵置き場を事前に聞き、台所を使うことも許されている。料理で頭がいっぱいになっていた日与子は、店に行くときに着る服を忘れていた。姉の服を借りようとクローゼットをあけると、そこには見知らぬ男がいた。
 男は謡太郎といった。恋人に別れを告げられ、気持ちの整理をつけることができず、合鍵で別れた恋人、光里の家に侵入していた。日与子は侵入者を警察に突き出すことも、姉に伝えることもしなかった。警察沙汰になって料理を作る時間がなくなってしまうことが嫌だった。しかしシェフに食べてもらう料理を作りながら、男と話しているうちに、入った部屋が姉の部屋ではないことを知る
・池上氏の講評
 次々に視点を変えて驚きを与えるのはいいんですけど、やっぱり無理がありますよね。名前を言ってしまったらすぐ、違う人間としゃべっていることがわかる。だから、名前を言わないように腐心してはいるけど、やっぱり会話の中には名前が出てしまうものでしょう。そこの無理無理感が伝わってしまう。
 あとね、男のほうはいいけど、女性がガツガツしていて魅力がないんです。こういう女性と付き合うのは読者としてしんどい。もっとお茶目で愛嬌があって、魅力的なヒロインに描けていればいいんですけどね。男のみじめたらしさはよく出ているんですけれども、女性の可愛らしさが出ていない。この作品ではそこが大事な部分になる。作者のアイデアは、小手先で意外性を持たせて読ませるところにあって、そこはうまくできていて面白いんだけど、ちょっと偶然が多いかなという感じがしました。
・北村氏の講評
 全体として、細部までよく気配りがされていて、伏線も利いていたと思うんですけど、細かいところにいくつか指摘するようになるかと思いますので、そこはお許しいただければと思います。
 描写というものは、ものが見えているから描写するわけですが、作者の頭の中で見えているものが、読者に見えるよう書かれているか。たとえばこの作品だと、スカイガーデンという建物について、同じような建物が2棟並んでいると書かれていますが、どれぐらいの高さなのか、どういう建物なのかわからない。イメージが浮かばないので、入っていくのがきついんですね。スーツケースを置いて束の間惚ける、という言葉も入りにくい。ホッとしたということなんでしょうけど、こういう言い方を普通するものなのかどうなのか、ひっかかりました。建物が2つに見えないのがつらいのと、細かいところでは、鍵がメーターボックスにあるというくだりで、なぜ「面映ゆい」と感じたのか。人間を伝えるにはエピソードがあるといい。たとえば、子どもの頃に鍵の入った巾着袋を持ったまま学校へ行っちゃって、先に帰ってきた姉を慌てさせた思い出があるとか、そういうものが束の間よみがえってきて、懐かしさとともに照れくさい感じがしたとかね。鍵があるだけで「面映ゆい」というのは、ちょっと不自然です。
 スーツケースのタイヤを拭う、というあたりの細かい描写はいい。こういうことやりますよね。それから、アパートの名前を意味なく褒めた、とあるんですが、この人にはひとりごとの癖があるんでしょうか。「おじゃまします」とかもそうなんですが、「昔からひとりごとを言う癖がある」とか、そういうことをもっとはっきり書いておくと、物語が運びやすくなります。それから、謡太郎の視点になる4ページに「ひとりごちた」と地の文にあるけど、ちょっと老人っぽい感じになる。それから、8ページに「鍵をかけなかった」とありますね。ガチャガチャやってるけど鍵はかかっていない。ここはうまいですね。こういう細かいところのリアルさが利いています。

 落語の「付け馬」とかにもあるパターンともいえるんだけど、同じひとつのことが、視点によって食い違って見える面白さがあって、そこはとてもいい。けれど、彼を見てからの展開に、ちょっと無理が出てくる。たとえば、ひとりごとを言う癖のあるような彼女が、相手が倒れたときに「あたしの包丁は、人を幸せにするためのものなのよ!」というふうに宣言するものなのか。相手のシェフの名前からして、これはリアルな物語ではない、オーバーになっているんだと謳ってるんですと言われればそうなんですけど。それから合わせての展開で、お姉ちゃんから電話がかかってきたとき、平然としてゴキブリが出たということを言っている。この段階では、読者はこの家にいる人物を光里だと思っていて、そうではないと見抜ける手がかりがないわけですから、多少は無理があっても、何かうまい言葉で、この人がただの空き巣ではないという材料を与えないと、不自然な感じがする。
 先ほど、人物をエピソードで語るという話をしましたが、たとえば11ページのところで、お姉ちゃんがどんなお姉ちゃんだったか語る。「姉でなければ関わり合いになりたくないような人間だった」と言葉でいうよりも、子どものころのエピソードを何か具体的に入れる。たとえば子ども同士で何かおつきあいがあっても、その子から自分の好きなものをもらったらさよならしちゃう、とかね。そういうエピソードが入ってくると、人物が立体的になってきます。
 元彼女の留守宅に忍び込む元彼、というのはかなり危ない人物なので、彼がそういう行動を取ることを読者が納得するようなフォローが必要です。12ページで、「日与子は男に向かってにっこりとする」と書かれていますが、そんな危ない男とそこまで打ち解けるには、よほどのフォローが必要になるでしょう。
 そこから、見せ所となる料理の場面が出てきますね。ここはよく書けています。食べ物の場面と恋愛の場面は、小説にとって非常に美味しい場面なので、そこをうまく活かしてやると、武器になります。

 言葉の使い方ということで言うと、14ページに、姉が彼氏に出していた料理のことを「お惣菜よ」と言いますね。こう言えば、今の若い人は買ってきたものだと思うかもしれないけど、私ぐらいの年代だと「デパ地下よ」とか「出来合い」と言ってもらったほうがピンとくる。自分で作ったものも、「お惣菜」といいますよね? 買ってきたもののことをそう呼ぶわけではない。私が古いんですね(笑)。
 また落語でいうと「湯屋番」なんかにも通じるものですが、どんどん妄想が広がっていく、17ページあたりの展開も非常にいい感じがしました。そうしてすんなりと読んでいったんですけれども、作者としては一番の見せ所であろう、実は別人だったという意外な展開になりますね。でもそこで、「間違って入ったんです」といえば済むだろうに、鉄鍋や包丁という、料理人にとって本当に大切なはずのものを置いて逃げるだろうか、という無理な感じがしました。どれだけ頭を下げるとしても、部屋を間違えたことも料理を作ったことも犯罪じゃないわけですから。そこで逃げるというのは、ちょっと納得ができないんですよね。
 意外性というのは罠でね、意外だなと喜べることもあるし、そりゃ無理だろとなることもある。ロイ・ヴィカーズの『百万にひとつの偶然』(ハヤカワ・ミステリ文庫)という作品があるんですが、これは非常にうまい。無理な話なんですけど、題名がこうなっていますからね。最後まで読むと「そりゃあ百万にひとつの偶然だよね」と思わされる。そこで無理が克服される。意外な話というのが、無理なく意外なのかどうか。そこの塩梅が非常に難しいと思いますね。
 無理を減らし、また、小説的効果をあげるためにも、日与子は逃げない方がいいと思います。てっきり、姉が帰ってきたと思ったら、見知らぬ女。謡太郎が、「光里」という。驚く。姉じゃないんだ。意外性は、ここで出す。
 そうすると何がいいか。逃げ出す不自然さが消えるだけじゃない。作った料理を食べる場面を描けるんです。これは、小説にとって、文字通りおいしい場面です。
 てっきり、ここを姉の部屋だと思った、その事情を話すと、探偵役が「光里」になる。二つの部屋問題の謎解きをしてくれる。
 それによって、光里のキャラクターが立ち上がるわけです。
 何で料理を作ってるのか、という話になり、当然、鬼河原シェフの名前を出す。めったにない名前だから、謡太郎が「えっ!」と驚く。光里には、当然、父のことだと気づく。黙っていろ、と目で知らせ、「それじゃあ、せっかくの料理、三人で味見させてもらいましょ。それぐらいの部屋代、貰ってもいいでしょ」
 おいしい料理の描写。なぜ、戻って来たのか、今度の恋人の許せない行動について話す光里。スープのせいか、気のせいか、謡太郎と二人の感じは悪くない。
――人を幸せにする料理が作れたのかな?
 と、思う日与子。
 光里は冷静に、自作の料理をプロの店に持って行ったりしない方がいい、という。冷静に考えれば、そうかもしれない。お店は料理をいただくところで、渡すところじゃない。渡せるのは、私の思いなんだ。
 で、翌日のレストラン。料理の後に出て来たウェイトレスは光里だった。――彼女は、鬼河原光里だったのだ!
となった方が、わたしは、小説的だと思います。
 作者は、プロット作りの巧みな方だと思います。そうやって組み上げた筋を、動かないひとつのものと決めず、よりよい展開はないかと考える。距離を置いて見つめ直すことも、有効な方法だと思います。

◆渋谷雅彦さん「木陰に吹く風」(76枚)
 大学生の青木亮太は、新型コロナ禍で好きな演劇ができず、鬱屈を抱えていた。生活費を稼ぐため、バイト警備員として、駅周辺の放置自転車を整理する業務を行っていた。
 自転車を整理している中、亮太はある中年女性からきついクレームを浴びせられる。クレームを回避しようと、業務の手順に手心を加えた結果、今度は視覚障碍の老人が点字ブロック上にあった自転車につまずき転倒する、という事故が起きてしまう。
 亮太は転倒した老人から、点字で書かれた手紙をなくしてしまったから探してほしい、と頼まれる。
・池上氏の講評
 これはね、乱歩を持ってくる必要あるんですかね(笑)。
北村氏「いや、作者はこれがやりたかったんでしょう(笑)」)
 やりたいということはわかるんですけど、でもちょっと無理がありますし、脇役の女性のほうを主人公にしたほうがよかったんじゃないですかね。乱歩が活かされているようで活きていないと僕は思いましたが、でも北村さんの感想は違うかもしれません。
 主人公と少年との話が、本筋とは別エピソードになっているし、どう見ていっても全体像がうまく結べない。うまく焦点が合っていない感じがあるし、暗号をやりたかったのはわかるんですけど、そうするには枚数が足りないのではないかと思いました。あとは、点字の暗号に込められた、書いた人間と受け取る人間の感情が見えてこないし、そこが読者に明確に見えるように書かれていれば、もっと温かい話になるのではないか。温かい話を書こうとはしていないのかもしれませんけどね。手紙の意味も、ちょっと掴みきれなかった部分がありました。

・北村氏の講評
 私は、むしろスリムにしたほうがいいんじゃないかと思いました。人間関係がこみ入りすぎている。しかし、真ん中あたりの、池上さんが「無理がある」とおっしゃるところなんか、喜んじゃいました。先ほどの『スカイガーデン』のような一般小説の場合は、無理があると困るんだけど、本格ミステリのときはね、無理が嬉しいことがある。他のところでも書きましたけど、私が中学生の頃に見た、アメリカのテレビまんがで『進め! ラビット』(※1950年制作の、世界初のテレビアニメ。日本では1959年にフジテレビ系で放送された)というのがあって、ラビットとタイガーが出てくるんだけど、川を吸い込んじゃうスポンジ魚というのを水族館から盗んで、それで川を吸い取って盗んじゃう「川盗み団」というのが出てくる。ラビットとタイガーがそれを捕まえると、やっていたのはペンキ屋なんです。なんでそんなことをしていたのかというと、川がなくなったらそこは道路になって、センターラインを引くのに必要なペンキが売れるからだというんですね。中学生の私はこれで喜んじゃいましてね、これはいいや、って。むちゃくちゃなんですけど、そこには一般の論理を越えた不思議な世界がある。一般小説とは別の物差しで測るしかないものがあるんです。
 しかし、難しいのは、ただのむちゃくちゃでは駄目だということです。
 わたしは、池上さんとは逆に、いかにも本格ミステリをやります、という流れにわくわくしました。それは、普通の小説の楽しみとは違うものです。そこでまず、より一般的な、文章表現の注意点について、こうしたら――という具体的なことをあげてみます。
 本格ミステリと物語を結びつける努力がなされています。しかし、主人公の年齢がなかなか見えて来ない。若者なのか中年なのかも、しばらく判然としない。
 主語をはぶいても成立するのは日本語の特徴ですが、この作品の場合は、まず、「俺」という主語を出してほしかった。物語が、それを望んでいるのです。
 さて、本格ミステリの場合、非常に優れたアイデア、見事な解明があると、それだけで大きなポイントになります。この作品の場合、問題作りはある程度、出来ていました。どうなることかと思わせる。しかし解くにはちょっと難しい問題だった。読者が膝を打つような、解決になっていなかった。
 途中までわくわくしていたことは確かなので、これからもまた、素敵な謎を作り、今度はそれを素敵に解いていただけたらと思います。
(※以下、細かい指摘をしましたが、ここでは省略します。)

◆古間恵一「詩抄 ネコババの木
 本講座は小説が中心で、詩歌をテキストとして取り上げることは少ないが、北村氏は詩歌にも造詣が深く、最新刊『雪月花―謎解き私小説―』でも多くの詩歌を取り上げているため、古間氏の連作詩を今回はテキストとして採用した。「へその緒と柏戸の元結」「眦を決する猫達よ」「櫂を漕ぐ」「ままごと」「シャインマスカットの憂鬱」「ネコババの木」「ピアーダ(piada )」「夜明けを背負う」「スイカ泥棒」「三年目の胎児」の10篇。古間氏の子ども時代や海外での経験を基に、豊かなイメージで詩情を表現している。

「雪月花―謎解き私小説―」(新潮社)
・池上氏の講評
 古間さんはいつもいい小説を書かれているので、詩なんかより小説をもっと書いてきなさいなんて言ったりもしたけど(笑)、これはまとめて読むとすごくいいですね。ユーモアと奇想を、具体的なイメージできっちりとらえている。人生の営みというか、意味に広がりを持たせて膨らませて、読む者にいろいろ考えさせる、思索を巡らせる力があります。何より、読んでいて楽しい。リズミカルで、音の響きもいいですし、行間で読ませる部分もある。時間と空間を一気に広げる力があるし、それを一気に縮めて、世界地図からひとりの少年に焦点を合わせることもできる。自由自在で面白いですね。
 具体的なイメージも、いいですね。「ネコババの木」みたいに、吊り下がっている服のイメージとか。それらが、後悔とか悲しみとか、テーマを非常にうまく視覚化しています。皮肉なユーモアも包んであって、もっと読んでみたいし書いてほしいと思いました。

・北村氏の講評
 池上さんもおっしゃるとおり、非常に成熟と深みを感じさせられます。柏戸が出てくるあたり、この作者はほかの2作の方より年齢が上だろうなと思いました。
 私の『小萩のかんざし いとま申して3』(文藝春秋)という本の中で、前作『六の宮の姫君』(創元推理文庫)で芥川龍之介に対して菊池寛が浮かんできたように、折口信夫に対して横山重という人が鬱然と浮かんでくるのを書いたんです。彼を描写するのに「相撲でいえば、大横綱大鵬の全盛時代に、ライバルの柏戸が好きと答えるような人だった」と表現しました。ここで出すのは柏戸でなければならない。若い人たちは、柏戸といっても彼が横綱であったことすら知らないかもしれないけど、彼のことを知っていると余計に身に迫ってくるところがあります。

「小萩のかんざし いとま申して3」(文藝春秋社)
 私が書いたような、小説の場合でしたら、大横綱大鵬に対しての柏戸ということを入れられましたけど、詩の場合はそこまで入れられないですよね。しかし、伝わらないということを恐れてはいけない。伝わる人にだけ伝わる、ということで構わないんです。

「六の宮の姫君」(創元推理文庫)
 『詩歌の待ち伏せ』(筑摩書房)の中で、横光利一の印象的な言葉として「人類が滅びた後も、本当の芸術は、誰もいなくなった虚空の中に残るだろう」というものを引いたんですが、それは戦争が終わり、文学の神様とまで呼ばれた自分の地位が全部足元から崩れたときに言っただけに、非常に印象に残るんですけどね。

「詩歌の待ち伏せ」(ちくま文庫)
 『北村薫のうた合わせ百人一首』(新潮文庫)という本の中でも、松平修文さんという魅力的な歌人のことを書きました。早稲田大学でお話をしたとき、読んだことがある短歌の本を挙げてくださいと学生たちに聞いたんだけど、みんなほとんど読んでいないんですよ。でも、ひとりの女子学生が『水村』と書いてきたんです。作者名は忘れました、というんだけど、どこかで読んだのが心に残っていたそうです。松平さんが亡くなられて、偲ぶ会のときにもこの話をしたんですが、共感してくださる方もいました。詩というものはそういうものであって、誰にも伝わることを目指していくものとは、違ってくることがあると思います。

「北村薫のうた合わせ百人一首」(新潮文庫)
 この作品でも、猫肖像権という切り口とか、ままごとの悲しみ、葡萄の一人称、「ネコババの木」の、とくに年齢を重ねた人間が過去を振り返ったときふと思う気持ちとか、「ピアーダ」のお国柄ジョークとか、母と子のつながりへの思いとか、非常に感銘深く読ませていただきました。池上さんのおっしゃるとおりだと思います。

 これは『ユーカリの木の陰で』(本の雑誌社)でも書いたのですが、銀座の資生堂で、小池昌代さんと穂村弘さんと川上未映子さんが、音楽を流して語るという楽しい催しがあったんです。そこで川上さんが、メロディに乗せて歌うための歌詞と、読むための詩は違うんだということをおっしゃっていました。非常に凡庸でつまらない詩でも、歌としては非常に感動することがある。これは深い問題ですね。

「ユーカリの木の陰で」(本の雑誌社)
 NHK朝ドラの『エール!』でも、軍歌の作曲を命じられた古関裕而の苦悩を描いていましたが、穂村さんも、この問題で一番おそろしいのは軍歌だ、とおっしゃっていました。
 他の例でいえば、笠原和夫さんという有名な脚本家が書いていたんだけど、映画の観客はみんなヤクザなんて全然好きじゃないのに、抑圧されたヤクザの北島三郎がね、兄貴分と一緒に殴り込みにいく場面で「親の血を引く兄弟よりも~♪」というあの歌が流れるとね(笑)、みんなゾクゾクと感動しちゃう。ヤクザなんか好きでもなんでもないのに、犠牲的精神というか特攻隊精神で斬り込みにいくなんていうのは大嫌いなんだけど、でもゾゾゾっと感動してしまう。感動ということのおそろしさでもあるんですけど、言葉だけのものとメロディのあるものは、そういう点で違うんですね。
 われわれの世代と違って、最近は詩を読むという習慣もあまりないかもしれませんが、笠間書院から出た『日本名詩選』の3巻に入っている、お母さんのことを歌った有名な詩を、ここで2つ読ませてください。
まず、堀口大學の有名な「母の声」です。
母よ

僕は尋ねる
耳の奥に残るあなたの声を
あなたが世に在られた最後の日
幼い僕を呼ばれたであろうその最後の声を
三半規管よ
耳の奥に住む巻貝よ
母のいまはのその声を返せ

それから、三好達治の「祖母」です。

祖母は蛍をかきあつめて

桃の実のように合せた掌の中から

沢山な蛍をくれるのだ
祖母は月光をかきあつめて
桃の実のように合せた掌の中から
沢山な月光をくれるのだ

 私の若い頃などは、非常にいい詩のアンソロジーがたくさんあったのですが、いまは読む機会も少なくなりました。でも、こういう名詩選がいまもありますよ、ということを、最後にみなさんにご紹介したいと思います。

※以上の講評に続く、後半トークショーの模様は本サイト内「その人の素顔」にてアップいたしますので、ご覧くださいませ。
【講師プロフィール】
◆北村薫(きたむら・かおる)先生
 1949年、埼玉県生まれ。国語教師をしながら89年、『空飛ぶ馬』でデビュー。91年に『夜の蝉』で日本推理作家協会賞、2006年に『ニッポン硬貨の謎』で本格ミステリ大賞、09年『鷺と雪』で直木賞、16年、長年のミステリへの功績が認められ日本ミステリー文学大賞を受賞する。詩歌への造詣も深く『詩歌の待ち伏せ』、早稲田大学での講義をまとめた『北村薫の創作表現講義』など小説以外の秀作も多数。最新作は『雪月花 謎解き私小説』(新潮社)。現在、本格ミステリ大賞選考委員をつとめる。
●空飛ぶ馬(創元推理文庫 現代日本推理小説叢書)
●夜の蝉(創元推理文庫 現代日本推理小説叢書)※日本推理作家協会賞受賞
●ニッポン硬貨の謎 エラリー・クイーン最後の事件(創元推理文庫)※本格ミステリ大賞受賞
●鷺と雪(文春文庫)※直木賞受賞 ※日本ミステリー文学大賞受賞
●雪月花―謎解き私小説―(新潮社)
●小萩のかんざし いとま申して3(文藝春秋社)
●ヴェネツィアだより(新潮文庫)
●遠い唇(角川文庫)
●六の宮の姫君(創元推理文庫)
●詩歌の待ち伏せ(ちくま文庫)
●詩歌の待ち伏せ2(文春文庫)
●北村薫のうた合わせ百人一首(新潮文庫)
●ユーカリの木の陰で(本の雑誌社)
●北村薫の創作表現講義(新潮選書)
●スキップ(新潮文庫)
●読まずにはいられないー北村薫のエッセイ(新潮社)
●覆面作家の愛の歌(角川文庫)
●愛さずにはいられないー北村薫のエッセイ(新潮社)
●本と幸せ(新潮社)
●覆面作家は二人いる(角川文庫)
●月の砂漠をさばさばと(新潮文庫)
●玻璃の天(文春文庫)
●ターン(新潮文庫)
●中野のお父さん(文春文庫)
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