「主人公の考え方だけがすべてではない、多様な世界であるということを、作品に持たせたほうがいいと思うんです」


※撮影:松蔭浩之
 新型コロナウイルスの感染拡大により、今年は3月以降5回休止を余儀なくされていたが、ようやく8月、初のオンライン講座として開催することができた。講師には、常連の三浦しをん先生をお迎えした。
 1976年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。06年に『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を受賞し、その後も本屋大賞、織田作之助賞、島清恋愛文学賞、河合隼雄物語賞、日本植物学会賞特別賞など、数々の賞を受賞。多くの文学賞で選考委員も務めている、現代の文壇を代表する人気作家の一人である。
 また、ゲストとして国田昌子氏(徳間書店)が参加し、講評に加わった。
 開講にあたり、世話役の池上冬樹氏がまず受講生に向けて挨拶をした。
「こんにちは、池上です。今日は毎年恒例の、三浦しをんさんをお招きしました。今回は初めてのオンラインということで、海外在住の方からも参加していただいています。受講生のみなさんもオンラインは初めての方が多いかもしれませんが、楽しい講座にしたいと思いますので、よろしくお願いします」
 続いて三浦氏の挨拶。
「こんにちは、三浦しをんです。今回は、まさかこんなことになるとは、という感じですが、こうしてオンラインでみなさんとお会いできることになりました。初めての試みということで緊張していますが、よろしくお願いします」

 今回のテキストは、以下の5名による6本。
・齋藤悠星さん「特別な暴力」(5枚)※エッセイ
・高田涼さん「レッドムーン トラップ」(19枚)
・座光寺修美さん「おわりの時間」(16枚)「燕の来た日」(4枚)
・水上春さん「おじさんの帝国」(19枚)
・長谷勁さん「戻れない」(80枚)
◆齋藤悠星「特別な暴力」(5枚)※エッセイ
 名古屋へ旅行した筆者は、名物の小倉トーストを初めて味わう。その暴力的なまでのおいしさに、すっかりとりことなった筆者が、その偏愛ぶりを語り尽くすエッセイ。
・池上氏の講評
 いちばん最後の最後に食べる。でも、その食べた感想がないのが、一番の不満ですね。それがないと、読者は一緒に食べる喜びを味わえない。「うまかった」だけでもいいし、口の中いっぱいに詰め込む感触を入れるだけでも伝わるんですけど、その前で終わってしまう。満たされた感じがないんですね。暴力というタイトルで、否応なしに駆り立てられる感じは伝わるんですが、そこまで食べちゃう理由がわからない。こんなに食べて体調は大丈夫だったんですか?
齋藤氏「ちょっと崩しました」)
 そこを書かなくちゃ(笑)。腹を壊した、胸焼けした、そういったことで、よりいっそう食感が伝わる。見た目の描写はリアルに書けてあるし、しかもうまそうなのに。ちょっと残念です。
・国田氏の講評
 一行目で、「カマしたな」と思って、にやりとしました。「彼との出会いは船のバイキングだった」 と、まるで恋愛小説の冒頭のようです。そして「彼」が小倉トーストと、すぐ判明するその時点でエッセイとして、成功していると思います。小倉トーストの記述は「なるほど!」と、楽しく読み進めましたが、「こう書けば面白いだろうな」と思って書いているような、作為的なところが見えてしまいました。今回それは成功しているのですが、ユーモアが際立つのは、見ている事実を客観的な描写で積み重ねたほうが、効果的だと思います。
 それから、文章表現で気になる点が二カ所あります。一枚目の「小倉トーストは甘さとしての暴力以外だけではない」という一文の、「以外」は取らないとおかしいです。あえて「以外だけではない」を使ったのでしょうか?
 そして、二枚目の「十分に塗ったなと思ったら、心を無にして、塗り続ければいい」というのも、ちょっと繋がりがおかしい文章だと思います。文意的には「十分に塗ったなと思っても心を無にして、」と「思っても」 とつながるのでは? 意図的に「思ったら」にしたのか? それら、引っかかる点はありましたけれども、ひとつのアイディアをエッセイにまとめ上げた力は、並々ならぬものだと思いながら拝読しました。
 そして、作者はてっきり女性だと、偏見(!)を持って拝読していたのですが、なんと若い男性が書かれた「小倉トースト偏愛エッセイ」と判明して、のけぞりました。
 素晴らしい! もっともっとご執筆されますように、期待しております。
・三浦氏の講評
 とても面白く拝読しました。受講者のかたからさまざまなご感想があり、それもよくわかるんですが、私は、この「特別な暴力」というタイトルを見て、たいへんな話なのかと思ったら小倉トーストだった、というのはすごくいいと思いました。小倉トーストを「彼」と呼ぶのも、おかしみのある距離感が生まれて、効いてますよね。
 さっき池上さんが「食べるところを入れたほうがいい」とおっしゃっていて、私も同感なんですが、食べた描写を最後に持ってくるんじゃなくて、1ページ目の7行目で、「朝食では、パンにジャムとマーガリンだったのが、昼にはあんことマーガリンに変わっていた」とある。現状だと、そこから小倉トーストの話がいきなり展開されるんだけど、この7行目のあとに、食べたときの具体的な描写を入れたらどうでしょう。フェリーの中で初めて小倉トーストを食べて、どう思ったのか、どんだけ心をとらわれたのか、こういう美味しさだった、ということをここで言っておいて、「そして私達の関係が深まったのだ」的に、これをブリッジにして「小倉あんの甘さは暴力だ」と続くようにしたら、展開的に無理がないかなと思いましたね。それで充分、小倉あんに夢中なのは伝わるので、あとはもう、味のことは書かなくて済みます。
 全体的にすごくユーモアがあって、アカデミー助演男優賞の人たちが控えめな演技をしていたわけではない、というところもホントそうだよね(笑)。すごくおかしくて、深く納得させられました。

◆座光寺修美「おわりの時間」(16枚)「燕の来た日」(4枚)
 84歳になる筆者が、日々の生活から感じた様々なことを静かに綴るエッセイ。
 お金を貸した知人に、返済の代わりに身の回りの世話を頼むが、次第にわずらわしさをおぼえる「おわりの時間」、自宅ガレージに巣を作った燕のひなたちをやさしく慈しむ「燕の来た日」の2篇。
・池上氏の講評
 本当にいい話なんですけど、視覚的な描写がもう少しほしいですね。どちらの作品もちょっと説明が多いので、もう少しテーマが見えてくるような場面がほしい。読者の脳に焼き付くような場面が、テーマと結びついてくるのが一番いいんです。「燕の来た日」なら、燕のひなが鳴いているような場面とか。ふんの色とか、それを落とす作業とか。ふんの掃除はたいへんでしょう。そういった日常の描写が大切なんです。もう一本の「おわりの時間」は、ゆりさんという人の描写がほしいですね。これも説明的になっているので、説明プラス描写がほしい。なかなかいい原稿なので、注文をつけるのはそれだけですね。
・国田氏の講評
 八十四歳の一人暮らしの日常が静かな筆致で描かれていて、とても好きな作品です。そんな生活に波紋が立ちます。もうサラ金しかないという知人の息子の免許証獲得資金のため、10万円を用立てる。代わりに、家事のお手伝いで返金という形をとるのですが、絵をかいたり、文章を考えている主人公は、孤独の時間が絶対必要だったことに気づく。ところが、他人が生活の中にいる時間にいらいらしてくる。三枚目の「一時間に一コマという返金の表は、完成までの日にちが、私の不自由に立ちはだかった」このあたりの気持ちの表現が上手いです。感心しました。
 しかし、一番読みたいのは、「息子を置いて家を出た事実がある」というところです。2行だけで淡々と書かれていますが、何があったのかな? と想像を掻き立てられるし、過去にどのようなドラマがあったのか、もう少し書いていただけると、現在の静かな生活との対比が際立つと思います。座光寺さんの過去の物語、読みたいです。
池上氏「補足すると、座光寺さんは今までに何回かそこも書いているんです。それで今回は軽く触れるだけにしたのだと思いますが、同じ話を何回書いてもいいんです。私小説の作家はみんなそうしています。同じネタでも書き方やテーマによって変わってきますから、座光寺さん、そこに挑戦してください」)
 是非是非! それは楽しみです。
「燕の来た日」 も、いい作品でした。ラストの詩が、八十四歳ならではの表現と感じ、ほわーっと気持ちが暖かくなりました。

・三浦氏の講評
 文章がすごくいいですよね。きりっとしていて味わい深い、素晴らしい文章だな、って引き込まれて拝読しました。ここをこうしたら、というところがほとんど見つからない(笑)。そのぐらい確固とした世界が立ち上ってくるなと思いましたね。
 ひとつめの「おわりの時間」のゆりさんと、「燕の来た日」で燕をカラスから守ってくれるユキさんというのは、お名前が違いますが、同じ人なんでしょうか。
座光寺氏「同じ人です。書いた時期が違うので、うかつでした」)
 じゃあですね、名前を統一するのはもちろんですが、ゆりさんの存在でふたつの話がつながりますから、お金を貸してから気まずくなったというエピソードを掘り下げて、燕を助けたときはまだ気まずい関係のままなのか、もう少し打ち解けてきたのか、ご自身の心情の変化を書いたほうがいいと思いますね。一篇の中ですべてを書き切ろうとしなくてもいいんですけど、これは連作みたいになっていますね。その場合は、さっき池上さんもおっしゃったように、同じモチーフを変奏しながら深めていくというんですかね、この人との関係がどうなっていくのか、深まっていくのか疎遠になるのか、じっくり描いていったほうがいいと思います。名前を間違えちゃいけないし(笑)、そのとき感じたことをちゃんと盛り込むようにしたほうが、よりいいと思います。
 あと、6ページ目で「托卵」という用語が出てくるけど、ここで使うのは意味が違うと思います。おっしゃりたいことを的確に伝える用語を使ったほうがいいです。
 それにしても、本当に文章がいいですね。「家にくる燕は、例年同じ家族であろう。そうでなかったら、はるか海の彼方からまるでミクロのような一点を探しあてることなど考えられない」とかね、急に宇宙から地球を見る視点になるような表現を、的確にきりっとした文章で書いているのが本当にすごいと思います。
◆高田涼「レッドムーン トラップ」(19枚)
 昭和の夏の夜、小学生の沙也加は作り醤油屋の女将をしている母親のお供で、お中元回りに行く。静まりかえったお屋敷街を歩く帰り道、朱色に輝く月の下を歩く母がいつもと違って見え、心騒ぎを覚える。母は、紅葉公園の中にある会員制のバーで冷たいものを飲んで休憩しようと、気乗りしない沙也加にお構いなしで、どんどん夜のしじまに包まれた林の奥へと向かっていく。Moonstruck(月が人を狂わせるという意味)という名前のそのバーには、外国人しかいなかったが、母は顔パスで入って行った。不思議な力で過去に引きずりこまれそうになる母の姿を目の当たりにした沙也加はある行動に出る。
・池上氏の講評
 厳しくなりますが、踏み込んでいないな、という感じがするんです。人を狂わせる月のイメージがあって、見てはいけない何かを見るんだろうなという予感があって、抑圧されたお母さんが一線を越えていく現場を見る、ある種の通過儀礼を経て、少女が何かを知るみたいな、そういうものがあるのかと思うと、何もないんですよね。
 その雰囲気の手前でとどまっているのをうまく書いてはあるんだけど、消化不良というか、読んでいる側の期待を裏切ってしまうし、何か踏み込んでほしい。赤い月のイメージだけが提示されているけど、何か予想と違うものを見せるというところが、この作品にはないように感じました。お母さんも少女も全然傷つかないまま終わってしまったな、という感じです。

・国田氏の講評
 池上さんがおっしゃる通りだと思いますが、いい表現がいっぱいあって感心しました。二枚目「こつこつと響くママの足音は冷たくて、私をつき離そうとしているみたいだった」 という記述で、一緒に赤い月の夜、出かけている母親の変化の予兆を小学生の娘が感じ取っている。個々の表現はたいへんお上手だと思いながら読み進みました。不穏な雰囲気が漂ってきて、サロンに行き着く。そして、このサロンは魅力的な設定なので、連作としてホラーファンタジーの一話になるのかと思いました。でもそうはならないで、日常に戻る。小学校6年生の女の子が、赤い月に触発された母親の危うさを、けなげに引き止めたという結末ですね。もったいないなという感じもしました。
 そして、描写は素敵なのですが、街の地理が浮かんでこないのは、残念。街の地図はお作りになりましたか? お屋敷町を通っていくと紅葉の公園があって、公園の中に邸宅があって、離れが秘密のサロンになっていて、そこを抜けていくと隣町の酒屋さんがあって、と記述はあります。ホラーファンタジー作品には、地理的な押さえが必要と思います。
 気になったのが、小さなことですが、いとこの麻紀ちゃんの家で、ママと麻紀ちゃんのおとうさんと、おばあちゃんの三人は、テレビで野球観戦しています。麻紀ちゃんのお母さんは、どこにいるのでしょうか。野球観戦の間もずっとお台所? 麻紀ちゃんのお母さんを不在とすると、ホラーファンタジーの伏線になる可能性もありますね。
 雰囲気を醸し出すのが上手いので、もっともっと沢山ご執筆され、作品を完成させると、見えてくると思います。期待しております。
・三浦氏の講評
 お書きになろうとしていることはよく伝わってきました。秘密のサロンに至る道とかもすごくムードがよく出ているし、何が行われるんだろう、という隠微な期待が高まりますよね(笑)。そういう演出の仕方はとてもお上手です。
 ただね、王選手が世界記録を作ろうとしている、ということは1977年ごろの設定ですよね。その時代なのに、サロンの入り口がけっこうハイテクなオートロックらしいのは、ちょっと違和感がありました。ハイテク機器をいち早く導入していたのかもしれないけど(笑)。あとレッドグレープフルーツジュースも、あったかな……。年代が特定できるときは、できるだけ時代考証をして書いたほうがいいと思います。
 それから、県庁なのに「新入社員」とは言わないのでは。時代考証もそうですし、こういう用語の使い方に、本当らしさが出てくるので、気を配ったほうがいいです。あと、サロンから出るときにお母さんがお金を払っていないように見えるんですよ(笑)。細かいところをさりげなく描くことで、本当らしさが増します。
 もうひとつ気になるのは、会話が若干ぎこちないですね。昔の翻訳小説みたいに見えるというんでしょうか。もう少し、会話をそれっぽく表現するための研究をされると、人物が活き活きとして見えてくると思います。たぶん、課題は会話文の語尾の処理にありますね。
 技術的に気をつけてほしい点はそれぐらいなんですけど、私がこの作品について一番思うのは、小6の女の子の視点で描いてしまったため、本当に描きたいであろうところにうまく突っ込み切れてないということですね。お母さんもたまには息抜きしたいんだな、アメリカ人と浮気しちゃおうかなと思うことだってあるだろう、みたいなところへ思いを馳せることは、子供を視点人物にしてしまうと、うまくできないと思うんですよ。ですから、私が思うにこの作品は、「沙也加が大人になってから、夏の日を回想する」という形式にしたほうがいいんじゃないでしょうか。そうしたほうがスムーズに、高田さんがお書きになりたかった核心部分へ読者を導くことができると思います。

◆水上春「おじさんの帝国」(19枚)
 ある日突然、この世から「おじさん」が消えた。満員電車で、校門前で、昼休みの教室で、路上で、テレビの中で、香田春菜(17)を女の型にはめて女子高生のフィルターを通して見る「おじさん」がいなくなった。初めて、春菜は「おじさん」の目が存在しない世界を味わった。しかし、それはまた突然終った。
 緊急事態宣言が終わり、春菜は「おじさん」であふれた世界に戻らなければならなかったが、春菜は友達を侮辱され、初めて我慢することをやめた。
・池上氏の講評
 これはね、前半のおじさんの描写は面白いしうまいんだけど、ストーリーが動かないんですよね。ストーリーラインがはっきりしない、というのが一番の不満です。どこへ持っていこうとしているのかわからない。
 おじさんが消えた、おじさんが消えたというリフレインはいいんだけど、前半と後半がばらばらの感じで、前半でうまく説明して後半で動かそうとはしているんだけど、動いてからのストーリーが、どこへ行くのかはっきりしない。純文学ならそういうストーリーでもいいんですけど、ラストシーンは、エンタメっぽく、これからストーリーが始まるんですよという感じで終わっている感じがしてね。キャラクターの設定も足りないし、テーマは面白いんだけどそれがどうしたという感じも、僕はちょっと持ちました。
・国田氏の講評
 女子高生が日々感じる違和感の書き方がすごくうまくて、そうだよなと思いながら読みました。四枚目の、夜中の大きな十字路に立つ描写の意味は、彼女の世界の象徴でしょうか? 何か出来事が起こるのか、後半で意味をもってくるのかと思いましたが……。情景の記述だけでした。記述されたら、この情景の意味が何かにつながると期待してしまいます。エンタテイメント作品に仕上げるには伏線的な記述に思える情景の収まりどころが欲しくなります。
 でも、女子高生が我慢している日常から、最後に解放されるところはすごく爽快な短篇になっていると思います。このラストから始まるであろう、彼女の新しい生活も読みたいです。前半が長すぎるところなど問題もたしかにありますが、私はすごく好きです。
・三浦氏の講評
 私も、うまいなと思いました。今回の緊急事態宣言下で、主人公みたいに開放感を味わった子たちは多いと思うんですよ。この作品でいうおじさんというのは物理的なおじさんじゃなくて、概念としての「おじさん」ですよね。同級生の男の子たちも、年齢はおじさんじゃないのに、ひどいですものね。ただ全体的に、ネット上などでよく見る、女性に対する抑圧を書いている感じがするので、もっと主人公たち固有の、味わってきたイヤな経験みたいなものを入れたほうがいいとは思いました。女性だけに限らないと思うんですが、どれだけの人たちがこういうつらい思いや切実な怒りを抱いているかということを、私たちはよく想像して、考え、変化のために声を挙げて行動しなきゃいけないんだ、ということを、これを読んだ人は肝に銘じてほしいと思いました。そういう力のある作品で、私は全面同意だなと思いましたね。
 おじさんが消えた、というので何かSF的な話かなと思ったんですがそうではなくて、緊急事態宣言によって、「おじさん」と接さずにすむようになった、というのが、すごくいい発想だなと思いました。ただ、以前の講座で水上さんの作品を読んだときにもちょっと思ったんですが、違う意見を持った人も入れたほうがいい。ここにあるのは主人公の考えだけだし、男性はみんなクソですよね。でもこの世界は本当にそうなんでしょうか。私は違うと信じたいですね。こんな男ばっかりじゃないと思います。ですから、そうじゃない男性も少し入れたほうがいいです。もうちょっとね、主人公の考え方だけがすべてではない、多様な世界であるということを、作品に持たせたほうがいいと思うんです。そのほうが、この作品で描こうとしていることが、より読者に伝わると思うからです。「そうだそうだ、こんなおっさんたちはいらないよね」というところで読者の想像力や思考が止まって、ただ溜飲を下げるだけというのは、実は現状追認の危険性と紙一重だと思うんです。そのため、たとえばもうちょっと異なるタイプの男性も登場させ、多角的に世界を掘り下げつつ、主人公の思いや考えを浮かび上がらせていったほうがいい、と思う次第であります。

◆長谷勁「戻れない」(80枚)
 仕事の長続きしない高子は、職を転々として、現在二十八歳になる。つい最近まで勤めていた旅館で、ベテランの田川になぜか目の敵にされ、人間不信になる。けれども、根が楽天家なのでハローワークですすめられるまま、岩手での養蜂の職に就く。
 高子は岩手でのハチとの生活にすぐ馴染み、周りの人々とも日々を重ねるうちに信頼関係を結ぶ。ところが、仕事にも人にも慣れたころに、交通事故で死亡する。
 死んだはずの高子は微かな記憶を持って、縄文時代を生きていた。毛の人に死にそうになっているところを助けられ、毛の人と行動を共にする。夏の家の洞くつで、たくさん食料を収穫して、冬の家に持って行って保存する。冬の家には毛の人と同じ毛皮を着た人がたくさんいた。冬の家で過ごすうちに毛の人を受け入れ、子供を産むが亡くす。ほどなく毛の人との二人目の子を妊娠する。ところが、出産に際し、子も高子も力尽きて命を落とす。
・池上氏の講評
 これは面白かった。今回は長谷さんから3本もらっていて、これは長いので別の作品にしようかとも思ったんだけど、この縄文時代に行くあたりで「何だこれは」と思いました。人間の営みというか、根源的な生と死の問題を、楽々と超えて、こんな描き方もあるのかと思わされました。現代人としての意識を持ちながら縄文時代に行く。そこで生と死を原型のまま経験させる。それを読者に提示して、生々しく喚起させる。出産の場面なんかもよくここまで踏み込んで書きましたね。
 長谷さんの文章は毎回すごいと思うんですが、今回も淡々としているのに生々しくて迫力がある。縄文時代の描写も細かくていいし、交わされているであろう台詞を書いていないのに、言葉を交わし合っている情景がまざまざと浮かび上がってくる。このへんの描写はたいしたものだと思いました。

・国田氏の講評
 たいへんな力作で、引き込まれて読みました。主人公が生きづらさを感じている場面、養蜂家の場面、縄文時代の場面と3つのパートに分かれていますが、どれも非常によく書けていると感心し、物語に引き込まれて拝読しました。
 ただ、ところどころに句読点の不自然なところがあるのと、「高子は○○した」というセンテンスが、すごく多いのが気になりました。あえてリフレインの効果を意図している箇所でなければ、物語は高子の一人称で進行するので、読者はわかっています。「高子は」をトルにすると、リズムがもっと良くなると思いました。
「高子は怯んだ」「高子は思った」「 高子は足をとめた」 と、六枚目では三,四行おきに出てきます。意図的でなければ、読者としては気になります。
 それから、ずっと高子の視点で書かれていますが、十四枚目の一行目、「和男は昔のことを思い出す」 とあって、和男視点になっています。「和男は昔のことを話し出す」 とか、高子の視点からの記述にしないと、主語が和男になってしまいます。視点の揺らぎには、 特に気をつけて、推敲が必要と思います。
 それから、高子が読んで勇気をもらって、ハローワークに行くきっかけになった絵本というのがありますが、これはタイトルを入れてほしかったです。タイトルを入れることによって、高子が動き出すきっかけの具体的なイメージが湧いてきます。
 それにつけても、表現が素晴らしくて、「自分がとろりとながれていくように感じる」 とか、「山は赤みを帯びて一回り膨張していた」 とか、読み進む快感が随所にありました。
・三浦氏の講評
 素晴らしいなと思いました。すごく変わった小説ですよね、そこがいいんですけど。おそらくご本人には変わった小説を書いているという意識はないと思うんですが(笑)、ちょっと他にない読み心地ですね。このまま、ご自身の感じるとおり、気持ちのおもむくままにお書きになるのがいいと思います。
 描写がすごくよくて、「畳の目を寄り目で見る」というあたりの、異様なクローズアップ力というんですかね、こういう描写はなかなかできないです。
 縄文時代の描写もいいですね。毛の人との交流とか、人々との接し方にもリアリティがある。縄文時代なんて見たことないんですけど、「こうだったんだろうなあ」と思わされる説得力があります。高子が、なんとなく自分は高子だと思ってるんだけどそれ以外は曖昧になっているような、記憶の残り方の塩梅もすごくうまいと思いました。
 気になったのは、途中に入る新聞記事です。この記事が作品の真ん中に入ることで、輪廻転生ものあるいはタイムスリップものみたいにも読めてしまうなと。もちろん、高子はトラックと衝突して死体になってしまっているのでタイムスリップじゃないんだけど、この新聞記事によって、理屈ができちゃってる気がするんですよ。何らかの原因によって、縄文時代の高子と現代の高子には繋がりがあるんですよ、と理屈で説明しちゃう感じがあるなと思ったんです。また、記事があることによって、縄文時代の高子も死ぬんだなと事前にわかってしまう問題もある。

 これを解消する方法のひとつは、新聞記事を作品のラストに持ってくることでしょう。ただ私は、この小説に理屈はいらないんじゃないかと思うんです。だから、新聞記事自体をばっさり削ってもいいんじゃないかな。事故に遭って、そこで現代パートは終わって、いきなり縄文時代に飛んで、そこにどんな繋がりやからくりがあるのか、何も説明や示唆をしないのもアリなのではと思うんですよ。
 タイトルが「戻れない」というのも、妙に具体的で生々しい手触りのあるこの作品のテイストに対して、説明的すぎるかなと思います。タイムスリップ的な感じで、「もとの世界には戻れない」ということかなと思えちゃうので、ちょっと理に落ちている感じがするんです。不条理は不条理のままでいいと思うので、何か別のタイトルのほうがいいんじゃないかな、という気がしますね。
※以上の講評に続き、後半では池上氏の司会によるオンライントークショーが開催されました。その模様は本サイト内「その人の素顔」にてアップいたしますので、ご覧くださいませ。
【講師プロフィール】
◆三浦しをん(みうら・しをん)先生
 1976年、東京都生まれ。2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、2015年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞&河合隼雄物語賞を受賞。また、2019年には、植物学専攻の大学院生を描いた『愛なき世界』で、作家としては初めてとなる日本植物学会賞特別賞を受賞する。受賞作以外にも多数の小説・エッセイを発表。現在、コバルトノベル大賞、R-18文学賞、山本周五郎賞の選考委員。今年3 月に直木賞の選考委員に就任された。本講座の講師は2012年からスタートして、今年で9回目となる。
●マナーはいらない 小説の書き方講座(集英社)2020年11月5日発売予約受付中
●愛なき世界(中央公論新社)※日本植物学会賞特別賞受賞
●ののはな通信(角川書店)※島清恋愛文学賞 河合隼雄物語賞受賞
●まほろ駅前多田便利軒(文春文庫)※直木賞受賞
●舟を編む(光文社文庫)※本屋大賞受賞
●あの家に暮らす四人の女(中公文庫)※織田作之助賞受賞
●まほろ駅前狂想曲(文春文庫)
●まほろ駅前番外地(文春文庫)
●のっけから失礼します(集英社)
●神去なあなあ日常(徳間文庫)
●神去なあなあ夜話(徳間文庫)
●きみはポラリス(新潮文庫)
●天国旅行(新潮文庫)
●風が強く吹いている(新潮文庫)
●ビロウな話で恐縮です日記(新潮文庫)
●仏果を得ず(双葉文庫)
●悶絶スパイラル(新潮文庫)
●光(集英社文庫)
●政と源(集英社オレンジ文庫)
●格闘する者に〇(まる)(新潮文庫)
●お友だちからお願いします(だいわ文庫)
●本屋さんで待ちあわせ(だいわ文庫)
●木暮荘物語(祥伝社文庫)
●三四郎はそれから門を出た(ポプラ文庫)
●ふむふむ おしえてお仕事!(新潮文庫)
Twitter Facebook