「エッセイは間口をできるだけ狭くして、狭い穴から見るようにすると、案外深くわかってくるように思います」

 第117回はエッセイストの酒井順子さんをお迎えして、テーマの見つけ方や題材へのスタンス、最近の著書で取り上げたテーマについての思い、時代の感覚とエッセイの関係などについて、お話していただきました。
◆担当編集者が語る酒井エッセイ/テーマが狭すぎることがコンプレックスだった/あえて細い道を選んでみる
――さっきの講評では旅行記や鉄道紀行を取り上げましたが、みなさん、なかなか書き方をわかっていない。まずは編集者にお聞きしたいと思います。酒井さんが、ほかの作家とはどう違うのか、比較検討なども交えていただければ。

<フリー編集者 高橋亜弥子氏> 最初に担当したのは『来ちゃった』(小学館文庫)という、漫画家のほしよりこさんと共著の旅エッセイなんですけど、これは酒井さんが40歳になったときに始められたもので、先程の講評では80代でお遍路に行く話がありましたが、この作品では、なぜ旅に出たくなったのかを最初に書いていらっしゃいました。連載されていたのは「Precious」という雑誌なんですが、読者の年齢層が酒井さんと同じぐらいでいらっしゃったので、読者の共感を得て、好評でした。時代と風景、そして酒井さんの内省的なものが、行ったり来たりしつつ破綻なくまとめられていて、簡単そうに見せるためにたいへんなテクニックが必要なことなのだろうなと思いながら担当させていただきました。
 もうひとつ、『裏が、幸せ』(小学館文庫)も担当しました。これは日本海側を旅するという、普通なら紀行文になりそうなものですが、鉄道や演歌、美人などテーマがあって、そのテーマを見つけて旅をすることで風景の見え方がここまで変わってくる、ということは大発見でした。


「来ちゃった」

「来ちゃった」(小学館文庫)

裏が、幸せ。

裏が、幸せ。(小学館文庫)
<KADOKAWA 似田貝大介氏> 酒井さんは、鉄道、裏日本、トイレなどさまざまなテーマのエッセイを書かれています。酒井さんはもともとそれらの専門家ではないわけですね。そのとき酒井さんが気になっていること、興味を抱いた対象を深堀りしていくわけです。そして、なぜそこに興味をもったのかという理由も含め、ご自身の偏愛を丁寧に書いていらっしゃるところが、酒井さんのエッセイの面白さだと思います。鉄道紀行についても、いま内田百閒と宮脇俊三の鉄道文学を比較するエッセイ「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」を連載していただいていますが、酒井さんなりの鉄道の楽しみ方を、時勢とともに二人の作品や行動を比較しつつ、あくまで酒井さんの目線で書かれています。物事を妙に斜から見るわけでも、背伸びをするわけでもなく、確固たるご自身の視線を持っていることが秘訣なのではと思います。

<新潮社 福島歩氏> 私はいま「小説新潮」で『処女の道程』という連載を担当させていただいています。明治、大正時代から現代にいたるまでの純潔・貞操について、主に当時の雑誌記事や座談会を辿りながら考察するエッセイです。基本的に戦前から戦後までは、結婚するまで処女を守るのが当然とされていましたが、70年代頃から、ヒッピームーブメントとかフリーセックス的な考え方が出てきて、婚前交渉があってもいいという雰囲気も生まれるようになりました。このように、時代の変化によって価値が重んじられたり軽んじられたりする女性の純潔について書いていただいているのですが、酒井さんは時代と社会を見る視点というものがユニークであると同時に非常に確かで、冴えがあると思っております。これは早ければ今年中に本になる予定です。

――みなさん、ありがとうございます。みなさんがおっしゃるように、酒井さんは、テーマの見つけ方が優れていますね。毎回よくテーマを見つけてきますよね。
酒井 若い頃は、テーマが狭すぎることがコンプレックスだったんです。20代のころ、他の女性達の多くは恋愛エッセイを書いていたのですが、私はどうしても興味が持てなくて、恋愛ものを書かなかったんです。そうすると、メジャーシーンにはいない感じがして、疎外感を覚えていました。それが延々と続いているんですよね。頑張って無理矢理、テーマを見つけている部分はありますけれども。『百年の女―「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』(中央公論新社)は「婦人公論」という雑誌が100周年を迎えたときに、その100年を振り返ったのですが、これは編集部から依頼をいただいて書いた本で、書きながら、自分は雑誌というものが好きなんだな、ということを改めて感じました。今はネットの時代ですが、雑誌でデビューした自分はやっぱり雑誌という器が好きで、そこに書くことに喜びを感じてきたんだな、ということを改めて感じました。


百年の女―「婦人公論」が見た大正、昭和、平成

百年の女―「婦人公論」が見た大正、昭和、平成(中央公論新社)
――いまは鉄道エッセイがブームですが、酒井さんの、自分なりの書き方を具体的にお話していただけますか。
酒井 紀行文というのは、実はすごく難しい分野だと思うんですよ。まず「旅」といっても、あまりにも裾野が広いですし、ただ旅について書いただけでは、記録になってしまう。エッセイのテーマというのは、狭ければ狭いほどいいと私は思っています。だから、さっきの講評で取り上げたコロッケなんて、最適なテーマだと思うんですよ。私も、テーマは自由ですという連載と、100年の女がテーマです、という連載で、どっちが楽かといったら後者なんです。ですから、旅のことを書くのであれば、旅の中からどこに絞るかが、まずはポイント。鉄道というのでも広すぎますので、鉄道というジャンルの中から、自分が最も興味を持つことができる「門」を見つけて、そこに向かって進む、なんとなくA地点からB地点まで移動するのではなく、他人とは違った乗り継ぎ方法を発見するとか、その地点の歴史に注目するとか、自分なりの方法で門を狭くすることによって、自ずと書きやすくなるのではないでしょうか。

◆心配されたい世代/「火宅の人」だった母/新たな家族像と、その先にあるもの
――『家族終了』(集英社)についておうかがいしたいと思います。『百年の女―「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』(中央公論新社)も傑作でしたが、こちらも傑作。日本の家族観の変遷を辿りながら、過去と現在と未来を見つめている。よくこのテーマで書かれましたね。これも与えられたテーマだったんですか。それともご自分で考えたテーマでしょうか。


家族終了

家族終了(集英社)
酒井 自分で考えたんですけど、担当編集者さんが私と同年代の女性で、家族のことが色々と気になるお年頃ですので、家族についてどうですか、と。とはいえ、私は結婚もしていないですし子どももいないので、いわゆる普通の家族について書くことはできません。しかし、私のように家族がいない人はこれから増えていくだろうなぁと思って、『家族終了』という不吉なテーマにしてみました。
――家族の形も、時代により変わってきましたね。僕は大学でも教えていますが、最近の学生は親と仲がいい。ほとんど友達感覚です。酒井さんの本にもありますが、昔は「父」「母」と呼んでいたのが、「お父さん」「お母さん」と呼ぶ。敬語や謙遜の文脈ではなく、そこにいる大事な親しい人たち。この本に書かれているエピソードで、いちばん驚いたのは、大学ラグビー部が引退するときの謝恩会で、選手がお母さんをお姫様抱っこするというから、びっくりですね(笑)。

酒井 これは実際に、友だちの息子さんが入っているチームの話なんです。お姫様抱っこで記念写真を撮るというのが恒例行事で、誰もそれに疑問を抱かない(笑)。私はその話を聞いてのけぞったのですが、のけぞるほうがおかしい、と友だちに言われて、納得しているところです。息子が親に向かって「愛してる」と普通に言えるようになっていたりと、欧米化が進んでいるんですね。いまお姫様抱っこされている母親というのは、まさに私と同世代なのですが、私たちが子どもだったころの家族には、そういう文化がまったくなかったですし、「愛してる」どころか「ありがとう」すらろくに言えませんでした。「墓に布団は着せられず」という言葉がありますが(笑)、亡くなってからようやく言える、みたいな。そんな我々世代も、親になったらすっかり子どもたちと仲良くなって。たぶん自分たちが育ってきたような親子関係ではないほうがいいな、と思ったからなのでしょうね。
――ものすごく友だち家族が多いですね。入学式にお父さんお母さんが来るのはわかりますが、祖父母も一緒、一家総出で来ますから。あと、親を名前で呼ぶというのも最近はよくあります。友だち同士でも、最近は名字で呼び合うのではなく下の名前で呼ぶことが多いようですし、酒井さんも、小さな子から「じゅんじゅん」と呼ばれている、と書かれていますね(笑)。

酒井 そうなんです。近所の子なんですけど、年の差がだいぶあって、彼女はまだ小学3年生なのに、私のことを「じゅんじゅん」と呼ぶわけです(笑)。子どもなんだけどもう出来上がっているというか、この子は大人の心をつかむ方法を知っているんだな、っていう感じで、将来の明るい道筋が見えるようで。最近の子供は、小さい頃から完成度が高いと感心します。
――可愛い姪っ子の話も出てきますね。あとは「心配されたい世代」という問題も書かれています。
酒井 私自身は、あまり親に心配をかけてこなかったんですね。進学にしても就職にしても、何でも自分で決めて事後報告をしていたのですが、ふと、自分はもっと親に心配されたかったのではないか、と思う事があって。兄は長男なので、色々な失敗をしては親から怒られてきたのに対して、私は兄の失敗を見てきたので、同じ失敗をしないように生きてきたわけです。でも親の関心が集中していたのは兄のほうでしたから。実は私も心配されたかった、ということに40代ぐらいになって初めて気づきました。40代って、心身ともに割と安定していますが、実は心配とか同情に弱いような気がします。

――あと、老齢になった親たちがみんな心配されたがる、という。
酒井 私たち世代の親も高齢になってきて、特に娘には負担がかかりがちなのですが、そういうとき親が、いかに娘から心配されているかを、周りにアピールする姿が目立ちます。たとえばスマホを買ってもらったのよとか、海外旅行に連れていってもらったのよ、みたいな。そういう部分が、親世代にとってはリア充アピールになるんだな、ということを感じていますね。
――酒井さんの個人的な家族の話もあって、それがなかなか赤裸々で驚いたのですが(笑)。お母さんが浮気をして離婚されている、ということも書かれていますね。
酒井 うちの母はいわゆる「火宅の人」でして、母について書きたくてしょうがなかったんですけど、昔は生きていたので無理でした(笑)。7~8年前に母が他界しまして、しばらく時が経って親戚も減ってきたので、そろそろ書いていいのかも、と思ったんですね。さっきの講評で、奥さまのキスの話を取り上げましたが、そういう家族の秘め事みたいのって、書くのも楽しいというか、自分の中のドロドロしたものを外に出す、排泄行為みたいな役割を果たすと思うんです。そんな恥ずかしいことは書けないという方もいっぱいいらっしゃるとは思うんですけど、誰もが持ってるネタの宝庫って、家族だと思うんですよ。生きてらっしゃるうちはなかなか書くことができない話も多いかとは思いますが、そういう場合は小説にするのもいいと思いますし、家族の中の、腹が立ったこととか恥ずかしかったこととか、そういう部分は一度書いてみると、自分自身の気持ちが整理されてすっきりするので、おすすめですね。

――10代のころですか、お父さんが子どもたちの部屋をノックして、ちょっと来いと。そこで、お母さんに好きな人ができたので離婚します、と言われたというからすごいですね。
酒井 そうなんです、忘れもしない中学2年生の、土曜日の深夜だったんですけど、父親が私たちの部屋をノックして「居間に来なさい」みたいな感じで、行ってみたら「お母さんに好きな人ができたので、離婚することになりました」って言われて(笑)。当然、そんなに仲のいい夫婦ではなかったので、そういうこともあるだろうぐらいには思っていたんですけど、後からよくよく考えてみたら、結構たいへんなことなんじゃないかという気もしてきて。
――それで、お母さんと酒井さんが家を出るんですね。
酒井 母方の実家にしばし身を寄せて、いわゆる別居というのをしていたんですけど、その後いろいろあって家に戻るんです。うちは3世代同居家族だったんですが、おばあちゃんの面倒を見なきゃいけないから戻る、と母に言われまして。え、私たちのためじゃないんだ、と呆気にとられました(笑)。普通、「かすがい」って子供なんじゃないの、と思ったんだけどそうじゃなくて、義母だった。そんなこと考えるぐらいだったら浮気しなきゃいいのに、と私は思ったんですけどね(笑)。偉いような、偉くないような……。
――(笑)このように、個人的な体験をもとにしながら、さまざまなテーマで書いていらして、ものすごく面白い本です。家族のさまざまな話を取り上げて、最後のほうで、新しい家族の形について書かれていますが、これがまた新鮮です。つまり単純に言ってしまうと、セックスと生活を別個にする家族があってもいいのではないか、ということです。性的な欲求不満は別なところで満たして、一緒に住みたい人間と住めばいいのでは、という形ができるのではないかということですね。

酒井 いままでの家族の形だと、たとえ何十年もセックスレスの状態が続いていても、もともとはセックスをしていた男女が家族を作ってきたわけです。最近は、男同士でも女同士でも家族になるのが当たり前になってきたわけですが、そこにやっぱり元のところに性関係があった。けれどさらにその一歩先には、もともとの関係性にセックスがない家族もあり得る、ということをふと思ったんですよ。シェアハウス的なものありますし、友達から家族になるというのもあるでしょう。自分が年をとったときに、そういう新しい家族形態がどんどん増えている気はしていますね。
◆雑誌の歴史をたどる面白さ/性を無視する世代、重視しすぎる世代/狭い穴から見ると深く理解できる
――続いて、紹介が前後しますが、『百年の女』です。「婦人公論」の100年の歴史であり、女性たちの歴史です。いまでこそ僕たちは普通に「セックスレス」なんて言葉を使っていますが、ここで書かれている言葉は実にすごいです。「男性飼育法」とか、「みんなで一所懸命セックスしましょう」とか(笑)。女性雑誌なのでどうしても露骨になるんですが、それでいてオピニオン雑誌らしいところもあるんですね。

酒井 そうですね、もともと「婦人公論」は知的関心の高い女性へ向けた啓蒙誌から始まっているので、いまに至るまでそういう部分はあるんですけれども、その一方で女性の本音というのも扱っていて、創刊号から嫁姑のいざこざとかそういうのも載っている。この100年で、変わった部分も大きいけど、変わっていない部分も意外に多いということがわかります。
――大正時代から昭和初期、戦後、と時代によりさまざまなトピックがありますね。昭和30年代を見ると「太陽族」とか「よろめき夫人」もあった(笑)。いまの若い人はご存じないでしょうが、三島由紀夫の『美徳のよろめき』(新潮文庫)の影響で不倫が一種のブームになり、「よろめき」という言葉が流行語になったんですよ。
酒井 そうですね、いまも東出問題とか杏樹問題とかあって(笑)盛り上がっているみたいですが、不倫ブームで定期的にやってくるんですね。石田純一のときとか、『金曜日の妻たちへ』のときとか、一定の周期で不倫が話題になるみたいです。三島由紀夫の『美徳のよろめき』ブームのときもそうですし、昔の日本人が真面目でそういうことをしなかったわけではないんですね。大正時代にも思い切りのいい女性はたくさんいましたし、すべての女性が耐え忍んでいたわけではない、ということもよくわかります。
――女性が自由を謳歌する雰囲気を作るというか、そういった啓蒙があるんですね。読むと本当にびっくりするというか。
酒井 「婦人公論」は、平塚らいてうの「青鞜」が終わった頃にできた雑誌です。「青鞜」は女性の解放を女性自身の手で進める雑誌でしたが、「婦人公論」は中央公論社の雑誌ですから、滝田樗陰などの男性が女性を引き上げていってあげよう、というスタンスから始まっています。確かに、女性を全体で見ると、今よりずっとひどい立場にはあったのですが、個人で見ると、平塚らいてうにしても与謝野晶子にしても、色々な意味で尋常でなく旺盛な人達がたくさんいました。今の女性の方がよっぽどおとなしいのではないか、と思えるくらい。

――日本ではなく海外で騒がれているテーマをみんな翻訳して、その理論を日本にどう紹介するかという歴史があるんですね。目から鱗の話が多数ある。「婦人公論」というひとつの雑誌をここまで読み解く作業は、とても楽しかったのでは?
酒井 とても楽しかったですね。大変は大変でしたが、やはり雑誌好きなので、雑誌の歴史をたどるのは、宝探しをしている感覚。そして『百年の女』を書いたことで、さらに書きたいテーマがいろいろ出てきました。たとえば、処女というものに対する価値が、すごく変わってきてるなと思ったんですね。昔は「結婚するまでは絶対に処女でなくてはならない」という感覚があったのが、今は純潔って何? という感じ。そういった処女観の乱高下を書こうと思って、さっき福島さんの話に出た『処女の道程』という連載をしています。いまちょうど80年代ぐらいまで来ているのですが、当時は性の低年齢化といわれた時代でした。私はちょうど中高生だったんですが、印象的だったのが「ギャルズライフ」(主婦の友社)という雑誌です。国会でも問題になったほど、中高生にセックス指南をしまくる雑誌だったんです。あまりにもハードな内容だったので、国会で三塚博さんがやり玉に挙げて、それで雑誌名が変更になってやがて廃刊になっていくほどだったんですね。その時代が一番、性の低年齢化が目立って処女の価値が下がったわけですが、今になってみると「セックスなんかしなくていいです」という人たちが出てきて、逆の意味で処女がどうでもよくなってきている、反転現象が起こっているわけです。

――いまの若い人たち、とくに学生は、性的な体験について書かないですね。出会って、お互いの想いを伝えたらそれで終わり。メールとかで終わっていて、その先に深い関係があるとは考えていないんですね。
酒井 学生さんはそうなんですね。今の若い作家の小説でも、生殖を書かなくなっているのでしょうか。
――あんまり書かないですね。いっぱい書くのは中高年です(笑)。新人賞の下読みをたくさんやっていますが、60代以降の男が回春の話ばかり送ってくる(笑)。読んでいて、もういい加減にしろよという感じです(笑)。
 さて、最新作の『センス・オブ・シェイム 恥の感覚』(文藝春秋)も、これまた面白いテーマですね。日本人の、恥についての感覚が激変しているという。

センス・オブ・シェイム 恥の感覚

センス・オブ・シェイム 恥の感覚(文藝春秋)
酒井 この本を書こうと思ったきっかけは、SNSなんですね。自分の情報を発信するひとたちを見ていると、昔と今では羞恥心の持ち方が全然違うんじゃないかと思って。昔は、自分はこんなに幸せです、とみんなに見せるのは恥ずかしいことだった気がして、私もその感覚なので、自撮りをアップするなんて恥ずかしくてできないわけですよ。でも、可愛い自撮りをアップして、いま私はこんなに楽しいんだ、と発信することが、別に恥ずかしいことではなくなってきている。そんな彼我の羞恥感覚とのズレを書きたいなと、最初に思ったわけです。「なぜSNSではこんな恥ずかしいことができるのか」的なことを文春のウェブに載せたら、炎上したというのかバズったというのかわからないんですけど、すごく反響があって、「その通り」という人が半分いるのに対して、怒ってくる人も半分いて、恥の感覚にも断絶があるんだなと思いました。

――言葉の使い方やポリティカルコレクトネスについても、自分たちの世代は時代に縛られていたけれど、いまの若い世代は時代の倫理観から自由になっているんじゃないか、と書いていますね。
酒井 いまの女子高生の話し方なんかを聞いていると、男子と同じような言葉遣いをしているので「えっ」と思うんですけど、その「えっ」と思う感覚がもう古いんでしょうし、自分の親のことを「父」「母」じゃなく「お父さん」「お母さん」と人前で言う若者について「えっ」て思うのも、たぶん古いということなんですね。言葉遣いって恥ずかしさとすごく結びついていて、私も恥ずかしくない文章を書きたいという思いが強いんです。恥ずかしいネタは書けるんですけれども、恥ずかしい文章は書きたくない。でもその感覚自体が激変している時代なんですよね。
――この3つ(『百年の女』『家族終了』『センス・オブ・シェイム』)は時代と価値観の変化を、ひとつひとつの言葉や事件を通してわかりやすく書かれていて、とくに『百年の女』は文献としても価値があると思いますね。

酒井 歴史をまるごと学ぼうとすると、膨大すぎて学びづらいですけれども、たとえば女について徹底的に学ぼうとすると、案外わかりやすいんですよね。旅エッセイと同じで、間口をできるだけ狭くして、狭い穴から見るようにすると、案外深くわかってくるように思います。
◆若手というものの役割は/比較することが好き/影響を受けた、ふたりのスーパーボーイ
――ではそろそろ終わりの時間が近づいてきましたので、質疑応答に入りたいと思います。
男性の受講生 若手のエッセイストで、酒井先生が注目されている方はいらっしゃいますか。
酒井 私より若いというと、ジェーン・スーさんとか……。でもジェーンさんにしても40代ですし。20代くらいで書いている人って、いますかね。エッセイって案外、若い書き手の方が少ないんですよね。
――逆に言うと、出てくるんだけどみんな消えていくんですよ。酒井さんがずっと活躍されているのは、テーマを持ってしっかり時代を読み込んでいるから。身辺雑記のエッセイは簡単に消費されてしまって、顔で書くような有名人エッセイの延長になってしまう。そうじゃなくて、普遍的なものを書かないと駄目ですね。テーマを持ってしっかり書いていけるのは、酒井さんぐらいではないかな。

酒井 エッセイ専業でやっている方は非常に少ないんですよね。ミュージシャンや落語家など、他の仕事のプロの方が突然書いて、突然うまい方もいらっしゃいます。
 若者の役割は、若い人の世界はこんなにキラキラしていて楽しいんだ、ということを大人に見せつけることだと思うのですが、現代は若い人たちの世界が沈滞気味なので見せつけづらいし、彼等の関心のタコツボ化が進んでいるので、提示されても幅広い読者に通じないんですね。昔だったら、林真理子さんのエッセイなんかはみんなが読んで面白いものでしたが、いまはそういうものが成立しにくい時代かなと思います。
男性の受講生 以前、三島由紀夫と水上勉が金閣寺焼失事件について書いた作品を比較された『金閣寺の燃やし方』(講談社文庫)をたいへん楽しく拝読したのですが、もし今後、あのように誰かの作品を取り上げるとしたら、何か題材にしたいものはありますか。

金閣寺の燃やし方

金閣寺の燃やし方(講談社文庫)
酒井 ありがとうございます。近いものとしては、いま似田貝さんとやっている『鉄道無常』という連載で、内田百閒と宮脇俊三を取り上げています。おふたりとも鉄道紀行文を得意とした作家で須賀、40歳ほど年齢が違うというところから、変わりゆく鉄道と鉄道観といったものを書きたいと思っています。私はたぶん、比較をすることが好きなんですよ。自分の中で得意技という感覚はあるので、書いていて楽しい連載ですね。

女性の受講生 酒井さんのエッセイを読んでいるとユーモアを感じて楽しいんですけれども、ところどころにモヤモヤが晴れるところがあって、そこに毒のようなものを感じるんです。そこに魅力を感じているんですけれども、そういうユーモアの感覚はどこから作られて、どんな影響を受けてこられたのでしょうか。
酒井 『がきデカ』(山上たつひこ、秋田書店)と『まことちゃん』(楳図かずお、小学館)ですね(笑)。子どものころから少女漫画は一切読んだことがなくて、兄が読んでいたチャンピオンやサンデーなどの、少年漫画誌ばかり読んでいました。中でも好きなのがそういった不条理なギャグ漫画で、女の子的なふわふわした世界には今もってあまり興味がないんです。毒の部分を正直に出してしまうのは、漫画の影響もあるのかも。
 毒を書くときは、毒だけだと読んでいる方がいい気分になりませんから、毒とはもっとも遠い部分にあるものを入れ込んだほうがメリハリをつけることができます。文章の中で一番気をつけているのは、色々な部分におけるメリハリでしょうか。たとえば同じ語尾が続かないようにしようとか、長い文章の次には短い文章を書こうとか、ひらがなと漢字の配分だとか、色々な歯ざわりが感じられるように書いています。

――すみません。もっともっといろいろお聞きしたいところですが、残念ながら時間となりました。今日は長時間にわたりありがとうございました。
(場内大拍手)
【講師プロフィール】
◆酒井順子(さかい・じゅんこ)氏
 1966年、東京都生まれ。立教大学社会学部観光学科卒。
 高校在学中より、雑誌に連載を持つ。大学卒業後広告会社に入社後も複数の連載をこなし、三年後に退職して本職に。2003年『負け犬の遠吠え』で講談社エッセイ賞&婦人公論文芸賞を受賞。“負け犬”は04年流行語大賞に入る。『女子と鉄道』『来ちゃった』など、鉄道関係の著書の他、近著に『百年の女-「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『家族終了』等。
●負け犬の遠吠え(講談社文庫)※講談社エッセイ賞&婦人公論文芸賞受賞
●女子と鉄道(光文社文庫)
●「来ちゃった」(小学館文庫)
●地震と独身(新潮文庫)
●百年の女―「婦人公論」が見た大正、昭和、平成(中央公論新社)
●裏が、幸せ。(小学館文庫)
●家族終了(集英社)
●センス・オブ・シェイム 恥の感覚(文藝春秋)
●金閣寺の燃やし方(講談社文庫)
●源氏姉妹(新潮文庫)
●平安ガールフレンズ(角川書店)
●下に見る人(角川文庫)
●子の無い人生(角川文庫)
●中年だって生きている(集英社文庫)
●枕草子/方丈記/徒然草=池上夏樹個人編集(日本文学全集07)
酒井順子(翻訳)高橋源一郎(翻訳)内田樹(翻訳)
●朝からスキャンダル(講談社文庫)
●次の人、どうぞ!(講談社)
●男尊女子(集英社)
●制服概論(新潮文庫)
●この年齢だった!(集英社文庫)
●ほのエロ記(角川文庫)
●女流阿房列車(新潮文庫)


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