「ごく基本的な話をさせていただくと、みなさん少し推敲が足りないかな、と。書き上がったときに、これをどこまで削って短くできるのかという実験をしてみると、そのテーマを書く時に一番面白い枚数はどのへんなのかが、わかってくると思います」

 めずらしく大雪(でも結果的には積もらなかった)の中での開催となった2月の講座には、酒井順子氏を講師としてお招きした。
 1966年東京都出身。立教大学卒。高校在学中から雑誌に連載を持ち、大学及び3年間の会社員時代も旺盛に執筆、円満退社後、筆一本に。2003年刊行のエッセイ『負け犬の遠吠え』で講談社エッセイ賞・婦人公論文芸賞を受賞。著作多数。
 また今回は、福島歩氏(新潮社)、似田貝大介氏(KADOKAWA)、高橋亜弥子氏(フリー編集者)がゲストとして講評に加わった。
 講座の冒頭では、世話役の池上冬樹氏(文芸評論家)がマイクを持ち、講師を紹介した。
「日本の一部地域でコロナウイルス感染が確認されていますね。大きく広がらないといいのですが(※註。講座開催は2月23日。3月25日段階でいまだ山形県内での感染者数はゼロ)。さて、今月の講師は酒井順子さんです。今年は山形も雪が少なくて、というか、まったく降らなくて、今日も降らないかと思っていたら、正午過ぎから急に大雪となりました。酒井さんにおうかがいしたら、雨女だということです(笑)」

 続いて酒井氏のあいさつ。
「こんにちは、酒井です。そうなんです、雨とか雪とか、災害とかに遭いやすいタイプで、最近はパワーが弱まってきたかと思っていたのですが、今日は久しぶりに発揮してしまいました(笑)。みなさん、今日はよろしくお願いします」

 今回のテキストは、6名から提出された、小説1本、エッセイ7本の計8本。
佐藤初枝『田中について』(30枚)※これのみ小説
 いつもと違う通勤路を通った朝、小学生の時に同じクラスだった田中に声をかけられる。田中は風邪をひいていた。気さくに話しかける田中を不審に思った私は、素っ気ない対応をして別れてしまう。
 夜、仕事で箱の上げ下げをしたせいで、体が痛くなり、自分が若くないことを実感する。その時に田中に言われたことを思い出し、素っ気ない態度をしたことを反省する。
・池上氏の講評
 非常に軽快でユーモアがあって、面白いんですけど、田中と出会う場面からずっと、田中の顔かたちが書かれていないんですね。数ページ経ってから「ブサイク」と出てくるんですが、最初の印象を読者に見せてほしい。数ページ経ってからでは遅い。さらに数ページ後に「小学校までは美少年だった」と出てくるし、ここは矛盾していますよね。いつどのように顔が変わったのか、その過程がわからない。現在の田中はどんな顔をしていて、ブサイクだというならどのようにブサイクなのか。その辺りを具体的に書いてほしかったですね。
・福島氏の講評
 淡々とした文章なんですが、作品全体の雰囲気はできあがっていて、心地よいなと思いながら読みました。ただ、タイトルどおり田中について書いていて、主人公が現在の田中に会ったことがきっかけで昔の田中を思い出す構成になっているものの、今パートと昔パートがあまりにも関係がなく、最終的に、何を読んだのかなというもやもや感が残ってしまいました。主人公の今の生活の中にも昔の田中を思い出す鍵があるような、つながりがもっとあるといいなと思います。オチは、まあ予想もできてしまったのですが、クスリとさせられました。

・似田貝氏の講評
 読みやすい文章で楽しかったです。朝に田中に会い、その日はずっとなぜか田中のことが気になって仕方がない。その翌日、インフルエンザもしくは田中ウイルスに感染してしまう、という一日を描いた物語ですね。福島さんもおっしゃるように、回想パートと現在パートの結びつきがもう少しあればと感じました。田中とは中学校まで一緒だったと書かれているのに、小学校時代の思い出しか描かれていない。せっかくなので中学校の思い出も入れてあげれば、田中と主人公の関係性がより深く描けたのでは、と思いました。
 小学校までは美男・美女だった人が大人になったらちょっと変わってしまった、ということはよくあると思いますので、そうした微妙なポイントをうまく描いていただけると、より面白くなるのではないでしょうか。

・高橋氏の講評
 作者の佐藤さんは、山形の方でいらっしゃるんでしょうか。
佐藤氏「山形の酒田市です」)
 内面的なことは書かれているんですけれども、佐藤さんでなければ書けないものはなんだろう、と思うんですね。小説ってオリジネーターでないと特別感が出ないと思うので、そこで山形だったり酒田だったり、街の風景が入ってくると、佐藤さんなりのオリジナリティが出てくると思います。たとえば山内マリコさんの『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎文庫)とか、宮下奈都さんの『メロディ・フェア』(ポプラ文庫)のように、街の風景が入ってくると、その作者さんなりのリアリティが出てくるのではと思いながら読みました。
・酒井氏の講評
 この主人公の、日常のそこはかとない不幸な感じと、冒頭に描かれたインフルエンザの不吉な感じのバランスに、引き込まれるものがありました。とくに今、新型コロナウイルス問題がある中で、近くで咳をされるだけでもイヤな感じというのは、みなさんわかると思うんですけど、そういう不幸と不安が通奏低音として流れていく中で、最後にその不安と不幸がみごとに一致する。そこが気持ちいいのですが、最初にその結末が予想できてしまうところが、少し残念です。もう少し結末にひと捻りというか意外性があると、更に面白い作品になるのではないかという気がしました。
 ですが、こういったそこはかとない不安をうまく表現する才能をお持ちのように思われるので、このラインでさらに書き進めていただければと思いました。

 山形市周辺の人にとって、県立図書館「遊学館」に行くのは、近くの公共施設に行く位の感覚だろうが、場所が違えば山形に行くのは修行の旅だ。
 旅をするなら鉄道だ。山形を東西に横断する陸羽西線、通称奥の細道最上川ラインに乗って遊学館に通う。芭蕉は読んだ事がないが、文学の街道に並行した列車に乗って山形に行く。気分は文士だ。
この紀行文は、この陸羽西線沿線や風景、鳥海山や出羽三山神社、最上川などに焦点を当て綴る。
(※秋田在住の作者の酒田氏は、強風で羽越本線が運休になったため、この日は欠席)
・高橋氏の講評
 紀行文っていろんな手法があるんですけど、酒田さんは、書くために旅をされたのか、旅をされたことを思い出すために書かれたのか、どっちなんだろうと思いながら読みました。私は、酒井さんと何度も取材旅行をご一緒させてもらっているんですが、この壇上で酒井さんにおうかがいしたいと思います。酒井さんは、取材旅行で歩いていると、ときどきメモを取られているんですね。その内容をお尋ねしたことはなかったんですが、どのようなことを書かれているんでしょうか。
酒井氏「調べればわかることや写真に撮ることができることはあまりメモをしませんが、そのとき自分がどう思ったかという心の動き方は、書いておきます。昔はそれも覚えていられたのですが、もう無理なので、最近は事細かに書くように(笑)」〉
 ひとつ気になったのは、出羽三山の神社に、バリ島の神様が描かれたTシャツを着ていたので登るのをやめてしまった、という意外性ですね。ここだけで1本書けるんじゃないかと思うぐらいです。ここを膨らませると面白いのでは。

・池上氏の講評
 これはね、カタログ情報になってしまっているんですね。自分の経験ではなく、情報だけを詰め込んでいる。あなたはどこで何を食べて、どんな人と会ったのか、個人的な体験を書けばいいのに、そこが書かれていないんですね。借りてきた情報で埋めてしまうから味がなくなってしまう。鉄道についての情報はいらないし、それから冒頭の、この講座についての説明もいらない(笑)。最初から、鉄道に乗ってからの話を書けばいいと思いますね。
・似田貝氏の講評
 今回は酒井さんが講師だから、鉄道エッセイにチャレンジしてくださったんだろうと思いながら読みました。実は私はいま、「カドブンノベル」という電子媒体で酒井さんの鉄道エッセイ「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」の連載を担当しています。この方の原稿は、何を目的にしているのかがわかりにくい点が一番残念なところでした。紀行文、とくに鉄道をテーマにされる場合、どこから乗ってどこへ行くのかという行程を描くことも重要です。ですが、そこがわからない。途中に自分の過去の記憶を挿入することで、時間軸が飛んでしまっているせいかもしれません。まずは、目的地であり、エッセイを通じて伝えたいことは何かを、きちんと提示しておいたほうがいいかと。
 それから、ネットで調べてもわかるような情報が多いので、本人が肌で感じたことを書いていただきたいです。内容も盛り込みすぎなので、たとえば一番ボリュームのある出羽三山のところをメインに書いて、膨らませてみては、と思いました。とくに余目駅の場面は鉄道との関係性が薄いですし、無理に鉄道と結び付けなくてもよかったのではと感じてしまいました。
・福島氏の講評
 最初は1回の旅について書いていらっしゃるのかと思ったんですが、読んでいくといくつかの旅が混ざっていることがわかります。それがわかるだけに、いま書かれているのは一体いつの旅のことなのか、疑問ばかりが膨らんでしまい、酒田さんの見たものが頭に入ってこなかったので、その辺は整理して書かれたほうがいいのではないかと思います。
 あと、最初に書かれている旅に出るきっかけのパートで、著者が若干偉そうにしている印象を受けてしまったので(笑)、読み手がどのように書き手のことを受け止めるか、文章・文体をもう少し考えたほうがいいと思いました。
・酒井氏の講評
 ごく基本的な話をさせていただくと、今日はこのほかにも何本かエッセイをいただいていますが、みなさん推敲が少し足りないように思いました。自分が書いたものを何回も読み返していただくと、基本的なところがかなりブラッシュアップできるかと思います。内容についてはみなさんがおっしゃったとおりですが、たとえば4ページ目に、「僕は各駅停車して次の列車が来るまでその温泉を訪れた」とか「誰も居ない温泉になにもかも忘れて温泉に浸かった」とか、ありますね。これが詩であれば、芸術的な言い回しなのかなと思う可能性もありますが、エッセイというものは、さらさらと読みたいものですから、こういった言い回しでひっかかることは避けたいです。それから『長距離ランナーの孤独』などの固有名詞は、やっぱりカギカッコでくくってほしいですし、そういったごくごく基本的なものを推敲によってチェックしたうえで、できる限り読みやすい文章を書くようにして、それから内容のほうに入っていってほしいなという気がしました。
 あとは鉄道エッセイを書くとき、だいたいの大人がしたくなるのは、鉄道を人生と重ね合わせることだと思うんですね。若い人の場合はまだそういうことにはならないんですけれども、酒田さんはおそらく会社を定年退職されている年頃だと思いますので、自分の人生と鉄道の車窓風景をもっときっちり重ね合わせていただいた方が、読み手が気持ちよくなることができるかと思います。

 バスガイドとして5年間勤務した経験のある筆者が、かつての経験を回想して、ユーモアと主に容姿についての自虐ネタを交えて書いた、エッセイ2篇。
・福島氏の講評
 2本ともたいへん楽しく読ませていただいたのですが、まず『それなりに~』のほうは、すごくもったいないなと思ってしまいました。バスガイドって誰もが経験できる職業ではないので、我々の知らない面白いことがいっぱいあるのに、それをみんなさらっと一つにまとめてしまっているんですね。バスガイド「あるある」だけで1冊作れるぐらいだと思うので、情報をもっと出し惜しみしてもいいのでは。『ねーやんと呼ばれた日』のほうがひとつの旅行にズームアップして書かれているのでまとまりがいいし、バスガイドの現場感もありました。ですので、自分では当たり前だと思っていることでも世間ではそうではない、ということを念頭においてそこを突っ込んでいけば、もっと一作の内容が濃くなり、作品の数も増やせるのではないかと思います。

・似田貝氏の講評
 私も、二作品とも楽しく読ませていただきました。テーマも明解で、文章もすっきりしています。私は『それなりに~』のほうが好きだなと思ったんですけど、バスガイドというある種特殊な職業の“あるある”ネタは、もっとたくさん書けるでしょうし、もっと読んでみたいと思いました。
 光GENJIやX JAPAN(当時は「X」名義が正しいかと)の曲名などが入ることで、その時代の雰囲気が伝わります。また、フィギュアの宇野昌磨選手に会うためにダイエットしている、というくだりで本人のキャラクターも見えてくるので、非常に好感を持ちました。けれど、あまり自分のことを不細工だなどとネガティブに書き続けるのは、読んでいるほうも萎えてしまうので、これは一回でいいと思います。
・高橋氏の講評
 私も非常に楽しく読ませていただきました。バスガイドさんとして、こういう特別なエピソードを持っていらっしゃる強みは必ずあると思います。我々読者のほうも、遠足などでバスガイドに対する共通体験がありますので、このときガイドさんのほうはこういう気持ちでいらっしゃった、というのはとてもいい読書の時間ができると思います。
 すごく充実した毎日を送っていらっしゃるから、これだけさらけ出すことができたんじゃないかと思いました。エッセイというのは、作者をどこまでさらけ出すか、みたいなところもあると思いますが、そこで勇気を持ってさらけ出されているので、他の文章も読んでみたいと思う、いい体験をさせていただきました。ありがとうございます。
・池上氏の講評
 作者のバスガイドネタはね、鉄板で面白いですよね。でもやっぱりね、似田貝さんも言うように自虐は1回でいい。ちょっとそこが多いので、気になってしまう。
 NOMAさんはバスガイドの話をいつもエッセイで書かれていますけれども、どうしてこれを小説にしないのかなと思うんですよね。途中から話を作ってしまえばいいんですよ。こういう事件がありました、というふうにね。他に小説も送ってもらってるんですけど、そちらは急いで書いている感じがしたので、悪いけどボツにさせてもらいました。そういうチャレンジをしてみてください。

・酒井氏の講評
 我々は普段、バスの乗客側の立場ですので、バスガイドさんの側からお客さんを見るという視点の逆転が、とても面白かったです。また細かいことになりますが、『それなりにラ・ヴィ・アン・ローズ』のほうは、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」といえば我々世代は吉川晃司を思い出すわけで(笑)、最後のシメの歌は、光GENJIの歌にしてもらったほうが、まとまりがいいと思いました。
 それと『ねーやんと呼ばれた日』のほうは、最初の7~8行が私にはちょっとわかりづらくて。「アルバムの日」って何のことなのかとか、「毎日更新しているブログサイト」って誰のブログなのかなとか。この辺の情報はいらないので、関西の私立男子中学校の話から始めてしまっていいと思います。最後のページの、「ほかにもたくさんの一期一会があった」から続く、最後の部分もいらないかな、と。つまり、男子校の学生たちとの思い出だけでまとめた方が、中身をシンプルに楽しむことができる思います。
 余計な装飾品を削ぎ落としていって、本当に伝えたいところをみなさんに見えやすく提示するというのは、大切なことだと思うんですね。書き上がったときに、これをどこまで短くできるのかという実験をしてみるといいような気がします。このテーマで一番面白い枚数はどのへんなのか、自分でわかると思うので。究極に削ぎ落としていくと俳句とか短歌になるんですけれども。ひとつのテーマで色々な枚数で書くことは、自分の得意な枚数やジャンルを発見する訓練になるのではないでしょうか。

 四国へお遍路の旅に行った筆者が、旅先でお遍路の作法を経験し、弘法大師の教えに思いを巡らせる。そして、いつしか思い出した「子供時代のこころ」とは……。
・池上氏の講評
 これは、最初にもらったときはごく短い旅の記録文だったのですが、「私は、忘れていた子供時代のこころで歩いていたのである」というフレーズが気に入ったので、ここをもっと膨らませてくださいと返して、直してもらったのがこの原稿です。
 さっきの酒田さんの原稿の講評でも言いましたが、「心が洗われたのである」といった手垢のついた表現はいらないんですね。座光寺さんの場合は、最後に富士山が出てきて「青空に富士山の純白の姿が望まれた」という表現になる。こういった風景を持ってきて主人公の気持ちを描くということができているし、座光寺さんが人生の時間を経てきた年輪を感じさせる味がある。こういう陰影のある味はなかなか出せないんです。さりげなく書いているんだけれども、柘榴の描写ひとつとっても、そこから心象風景が見えてくる。ひとつひとつの場面が印象深いと思いました。
 座光寺さんは大連の話など今まで何度も書いてこられていますが、同じ話を何度も書いてもいいんです。私小説作家は同じことを何度も書いていますし、この講座では初めて読む人が多いわけですから、そこは構いません。何度でも書いてください。

・高橋氏の講評
 お遍路をされて、ご自身の気持ちと風景が、うまい具合に縦糸と横糸になって表現されています。最後の「私は、忘れていた子供時代のこころで歩いていた」というところは、もう少し深く書いていただきたいです。たいへんな作業だとは思いますが、深く深く、時間をかけて思い出していただいて、それを旅の風景と合わせていかれると、もっともっと素敵になるなと思いました。「生れ生れ生れ生れて生の始に暗く 死に死に死に死んで死の終に冥し」などの引用が入ることは、淡々と続くエッセイの中でリズムに変化が出るので、素敵な引用だなと思いました。そこでどう思われたのか、もう一歩深く読ませていただけたらと思います。文章って、現在と過去を行ったり来たりできる表現方法なので、座光寺さんが長い時間を過ごされて経験されたことを、編まれていかれるといいのではと思いました。

・似田貝氏の講評
 楽しく読ませていただきました。みなさんもおっしゃるとおり、子ども時代のエピソードを膨らませていただけたら、もっと面白くなると思います。まず冒頭で、お遍路に行くことになる。ただし八十八ヶ所を全部まわるのかと思いきや、最後の四ヶ所と高野山だけだった……というような、最初に自分が思い描いていたものとは違う「ギャップ」の部分は、もっと描いていただきたかった。あと、ツアーにはご友人と一緒に行かれたようですが、ここではご自分の体験だけが書かれているので、一緒に旅をされた友人や参加メンバーの様子も描写してみてはいかがでしょうか。四国から高野山まで行ったエピソードも描かれていないので、そこで何があったのかも気になりました。大連のことを他の作品で書かれているというのは、池上さんにお聞きするまで知らなかったのですが、池上さんがおっしゃったとおり、同じようなエピソードだとしても初めて読む相手を想定して、読ませたいところはしっかり描かれたほうがいいと思います。

・福島氏の講評
 私もみなさんと同じで、最後の「子供時代のこころで歩いていたのである」の一文がとても印象的でした。ただ、印象的な分、少し唐突感が出てしまったので、ここに行きつくまでに、座光寺さんの人生の年輪を感じさせるような、お年を召してから巡礼されることについて、どのような思いがあるのかというところを、もう少し読みたいなと思いました。
 引用も、情緒的な要素があるのに引用だけして放り出してしまった感じがあるので、そのひとつひとつについてどのように思われたのか、推敲する際に削るにしてもまずは書いてみていただいて、最終的に必要か不必要か判断する作業をされると良いのではと思います。
・酒井氏の講評
 私が最初に気になったのは、なぜ80代になってお遍路に行きたいと思われたのか、というところでしたので、その辺りをもう少し深く知りたいです。ふとしたことからお友達に誘われて、とありますが、そこで何か心に期するものがあったのかどうか、旅に出る時の心構えが知りたかったのと、「空海とか弘法と気軽に口に出せない雰囲気があった」とありますが、それが具体的にどういう雰囲気なのかも、知りたくなりました。たとえばツアーのお仲間たちが、宗教的というか荘厳な雰囲気でいる中に自分達だけは物見遊山気分だったとか、そういった記述があると、その後の心の変化などを表現する時にも、伏線にすることができたかと思います。
『「お大師様」の土地であることが、訪問者をとりまいていたのである。すでにわたしは「同行二人」であった』というあたりの心の移り変わりも、もう少し詳しく知りたい部分でしたし、さっきみなさんがおっしゃった「子供のこころで歩いていた」というところも、心がなぜそのように動いたのかという部分を、掘り下げていただきたくなります。それぞれかなり大きなテーマかと思いますので、ひとつひとつ分けて書いていくと、連作のようになっていくのではないかと思いました。

 妻とお酒を飲んでいて、記憶を失ってしまった作者。翌日に二日酔いで目を覚まし、何を口走ったのだろうと不安になるが、パートから帰宅した妻は突然ある意外な行為をしてくる。
 当初は妻のことを「キリンさん」と表現していたが、わかりづらいため池上氏の指導で書き直したエッセイ。
・池上氏の講評
 最初の原稿は「キリンさん」と書いていたので、これはわかりづらいから直してもらいましたが、奥さんの話だったんですね(笑)。そう思うと全然違う話に見えてきます。
 これはね、最後まで昨夜何があったのかは明かされないんですね。実際にわからなかったのかもしれませんし、そういう戸惑いを感じている男の話なんでしょうけど、読者はやはりストレスを感じてしまうんです。実体験としてそうなのかもしれませんが、作品として読んだときは、何か「そういうことなのね」と示唆するものがほしい。
 あと、タイトルでしょう。中高年の人たちにはなじみのある表現ですが、若い人たちにはぜんぜんわからないでしょう。もう少し考えたほうがいい。

・高橋氏の講評
 とても奥さまを愛してらっしゃる、ということがよくわかりました(笑)。このあとどうなっちゃうんだろう、とやっぱり思うのですが明かされないので、それならば普段は奥さまとはどういう関係なのか、もっと奥さまのことを教えて頂いてもいいかもしれません。そうすると奥さまのキャラクターがもっともっと浮かび上がってくるので、何があったのかわからないという結論にするならば、その前の状況を描くというのもひとつの案かなと思いました。ご自身のことだけではなくて、関係性を描くことで立体的に浮かび上がってくるということもありますので、奥さまのことをもっと知りたかったかなと思います。
・似田貝氏の講評
 飲みすぎによる失敗談はありがちな題材ですが、シンプルにまとまっていて読みやすかったです。最後に無理矢理オチをつける必要はありませんが、それでも少しはその後を想像させるような描写でしたり、余韻を残したほうがいいかなと思います。奥さまの描写でもいいですし、普段のふたりはどういう関係なのか、でもいい。あと、記憶を失うのは十二月に入って二回目とありますが、一回目のときはどうだったのか、もう少し追加してもよかったかなと思います。
 冒頭で、次女からのLINEで「二日酔いになってない?」と聞かれているということは、奥さんから娘さんに、昨日の話が伝わっているということですね。その後、次女が家にやってきて、昨晩の出来事についてふたりで責められるかも……という予感を、よりわかりやすく伝えるために、奥さんや次女との家族関係をもう少し具体的に書けていれば、と思います。

・福島氏の講評
 私も次女の扱いがちょっと気になっていました。最初は、二日酔いのことを知っているのだから次女もお酒の場にいたのかなと思いきや、今夜帰省してくると最後に書かれているから、いなかったことになります。その辺りは少し混乱するので、人物の出し方はもう少しお考えになったほうがいいと思います。
 それから、冒頭で35歳の次女が出てくるので、著者の年齢もどれぐらいか、さりげなくわかるようになっていますが、年齢のわりには言葉遣いが幼なすぎるように感じられるところがあります。「便器に顔を突っ込み、ゲーゲーした」とか、「元カノ」という言葉も、やや年齢にそぐわない気がしました。年齢と文章がそぐわないと読み心地の悪さが出てきてしまうので、言葉選びも注意したほうがいいかなと思います。

・酒井氏の講評
 娘さんのエピソードについては、最初も最後も、いらないかなと思います。酔っ払ったときに、前回酔っ払ったときのことを思い出していらっしゃるわけですが、それがわかりにくい。今回酔っぱらったところから始めたほうが、入りやすいかなと思います。あと、元カノのあっちゃんやちいちゃんをどれくらい愛していたか、というところは、入れていただきたいですね。それが妻にとって嫉妬に値するほどのものなのか、値しないものなのか。その辺の個人情報を、嘘でもいいのでもう少し入れていただくと、より深みが増すと思います。
 あと、奥さんがキスしてきたことが、どれほど衝撃的なことなのか。つまり、普段ふたりの間にどれくらい性的な接触があったのかなかったのか。書きづらいことだとは思いますが、それを入れるか入れないかで、読者の心を掴む範囲が変わってくるかと思います。みなさん、エッセイってほんとうのことを正直に書かなければいけないと思っているかもしれませんが、嘘を書いてもいいんです。元カノがふたりいる必要もないと思うんですよね。事実でなくてもいいから、実はその元カノと結婚したいと思っていたとか、そういったエピソードがあると、ユーモアの中にもゾッとするものが出てくるかなと思いました。

 深夜のスーパーで、10円まで値引きされたコロッケを好んで買っている筆者。肉じゃがコロッケ、牛肉コロッケなど、わずかな違いに食卓の彩りを精一杯求めているが、本当はもっといいものを食べたい。そんな筆者が、ある日、値引きされていない1個100円のコロッケを食べるが……。
・福島氏の講評
 まず「おっ?」と読者をひきつける、いい書き出しだと思いました。一貫してコロッケについて書かれている中、途中で貧乏性の話が絡んでくると、微妙に噛み合わせの悪さを感じたので、いっそコロッケエピソードだけで突き進んでしまえばいいと思いました。貧乏性について出したのはコロッケのエピソードに意味を持たせようとしたからなのかと思いますが、意味や教訓のないエッセイも、それはそれで成立しますので、コロッケだけで押し通したものを読んでみたいです。

・似田貝氏の講評
 私は、今回のテキストの中で一番好感が持てました。些細なこと、くだらないことであっても、自分の好きなものについて徹底的に書いたり考えたりすることがエッセイの面白さだと思います。
 福島さんもおっしゃるように、この枚数でしたら、それを丸々使ってもいいから、コロッケに対する偏愛というか、愛憎半ばする想いをもっともっと書いてほしかった。まだ読み足りないですね。この方のコロッケ観をもっと知りたくなりました。
 ちなみに、コロッケが10円まで安くなるのは、山形のあたりでは当たり前なんでしょうか。東京ではあまり見たことがありません。10円コロッケがどれほどの希少価値なのかは、他の土地の人にはわかりませんので、より広い読み手に向けるための目線が必要で、説明すべきところは説明すべきだと思いました。

・高橋氏の講評
 私もコロッケは好きなので(笑)、冒頭で「おいしいものは、コロッケだ」と書かれたときは、「そうだよね!」と思いながら読みました。だけど、コロッケのどういうところがおいしいのか、はあまり書かれていなくて、途中で「本音を言えばコロッケはあまりおいしくない」と出てきて(笑)。食べ物のエッセイって、その食べ物のおいしさについて、読んでいて味まで想像できるような部分が入ってきてくれると、いいのかなと思うんですね。たとえば、いつも買っているのとは別の店で買ったらこんな味だった、とか、コロッケについてのエピソードがもっと入っていると、もっと良くなると思いました。
・池上氏の講評
 齋藤くんは僕が大学で教えているゼミ生なのですが、最初にこの原稿をもらったときはもっと短くて、10円コロッケのことしか書いてなかったんです。それで、正規の値段のときと味を比較検討しないと駄目だよ、と書き直しをさせたのですが、なかなか膨らませるのがうまいなと思いました。ここまでコロッケだけで引っ張っていけるのはたいしたものだし、引用の使い方もうまい。たしかに貧乏性のところは無理矢理くっつけた感じもありますが、でもここまで持っていけるのはよくできています。あとは、コロッケのおいしさをもっと感じさせてほしいですね。パサパサした読後感が残ってしまうのは、よくないです。

・酒井氏の講評
 コロッケに対する愛憎半ばする気持ちを、私はもう少し読みたかったなと思っています。自分がどれほどコロッケに精通しているかという部分も、もっと膨らませてほしい。たとえば年間何個食べているとかね(笑)、そういうことがわかると、この人のコロッケ談義にもっと耳を傾けたくなります。
 このコロッケを買っているスーパーはどんなお店なのか、固有名詞は絶対に入れたほうがいいですし、思い切って食べた1個100円のコロッケは別の店なのか、それとも値引きで10円になるコロッケが午前中には100円だったのかとか、その情報もはっきりさせてほしいです。もうひとつ、自分の気持ちに正直に書きすぎているところがあって、「貧すれば鈍するともいうが、コロッケの違いすらも分からなくなるのは、衝撃的だった」とありますが、それは大した衝撃ではないと思うんですよ。10円のコロッケのほうがおいしく感じるくらいでないとが、「貧すれば鈍する」とは言えないのではないか。
 B級グルメというか、安い食べ物について書くときに、そこには東海林さだおさんという巨匠がいらっしゃることを考えますと、まず東海林さんの文章を読み込んで、自分に憑依させてみて、そこで取り込んだ東海林さんの型からはみ出す部分を書いてみると、さらにうまく書けるのかなと思いました。それはみなさん同じことで、自分が書きたいジャンルの先のほうには、必ず先達がいるはずなので、まずはその人たちの文章を読み込んで、自分に無理矢理でも当てはめてみた時、そこからどうはみ出ていくかが、自分の個性のわかりやすい見分け方だと思います。

※以上の講評に続く、後半トークショーの模様は本サイト内「その人の素顔」にてアップいたします
【講師プロフィール】
◆酒井順子(さかい・じゅんこ)氏
 1966年、東京都生まれ。立教大学社会学部観光学科卒。
 高校在学中より、雑誌に連載を持つ。大学卒業後広告会社に入社後も複数の連載をこなし、三年後に退職して本職に。2003年『負け犬の遠吠え』で講談社エッセイ賞&婦人公論文芸賞を受賞。“負け犬”は04年流行語大賞に入る。『女子と鉄道』『来ちゃった』など、鉄道関係の著書の他、近著に『百年の女-「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『家族終了』等。
●負け犬の遠吠え(講談社文庫)※講談社エッセイ賞&婦人公論文芸賞受賞
●女子と鉄道(光文社文庫)
●「来ちゃった」(小学館文庫)
●地震と独身(新潮文庫)
●百年の女―「婦人公論」が見た大正、昭和、平成(中央公論新社)
●裏が、幸せ。(小学館文庫)
●家族終了(集英社)
●センス・オブ・シェイム 恥の感覚(文藝春秋)
●金閣寺の燃やし方(講談社文庫)
●源氏姉妹(新潮文庫)
●平安ガールフレンズ(角川書店)
●下に見る人(角川文庫)
●子の無い人生(角川文庫)
●中年だって生きている(集英社文庫)
●枕草子/方丈記/徒然草=池上夏樹個人編集(日本文学全集07)
酒井順子(翻訳)高橋源一郎(翻訳)内田樹(翻訳)
●朝からスキャンダル(講談社文庫)
●次の人、どうぞ!(講談社)
●男尊女子(集英社)
●制服概論(新潮文庫)
●この年齢だった!(集英社文庫)
●ほのエロ記(角川文庫)
●女流阿房列車(新潮文庫)


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