「変に難しい言葉は使わないで、誰もが使っている言葉を使いながら、誰も言わなかったことを書く、ということが文章の基本だと思います」

 第116回は文芸評論家の川本三郎さん。担当編集者の楠瀬啓之さん(新潮社)や、川本さんの著書を台湾で翻訳した黄碧君(ファン・ビージュン。通称エリー)さんもまじえ、エッセイの書き方や翻訳と原文の関係、台湾での出版事情に至るまで、幅広くお話をしていただきました。
◆「私」を消すと透明感が出る/エッセイの基本は引用/評論に不可欠な「レファレンス」
――前半の講評では主にエッセイを取り上げましたが、川本さんがエッセイで重視するのはどういうことですか。
川本 技術的なことでいいますと、主語をなるべく使わないようにしています。「僕は」「私は」というところから書き始める人が多くて、1ページに「私」が3回も4回も出てくるようなエッセイを書く人が、プロの人でもみられるんですけれど、そういうのはうんざりしますね。日本語は便利な言葉で、主語がなくても成り立つんですね。その特色を活かして、「私」という言葉を消すと文章に透明感が出て、一般の読者に読みやすくなる。それを心がけています。
 それから、流行り言葉を使わないこと。私が歳いってるせいかもしれませんが、最近の若い人が書く言葉で嫌なのが「真逆」とか「立ち位置」とか、あと無生物にやたら「○○たち」をつける。「鉄道の駅たち」とか「私の好きな洋服たち」とか。そういう流行の言葉はなるべく使わないようにしているので、たまに古臭いと言われることもあるけど、その辺は頑固に守っていますね。私の場合は、禁じ手をいくつか作るということを心がけています。

――楠瀬さんは、エッセイを依頼する側としてどうですか。
楠瀬 困ったなと思うのは、5枚とか10枚で依頼して、出来上がってきた原稿がネタが足りないというか、「このネタだけで10枚書けると思うのか」というような原稿が来るときですね。文章の組み立てというのは有限のパターンしかないですから、ネタが1つだけだと展開がある程度は見えてくるじゃないですか。
 エッセイがうまい作家として思い浮かぶのは、例えば吉村昭さんですね。なんといっても枚数あたりのネタの数が多い。1回10枚のエッセイの連載をしていたことがありますが、1回の中で3つか4つぐらいのネタが転がるんです。丸谷才一さんのエッセイも上手いんですが、丸谷さんとはまた違う感じで、吉村さんはそれこそ川本さんとは真逆で「私」が出てくるんだけど……。
川本 「真逆」!!(笑)
楠瀬 すみません(笑)。要するに、書き始めの入射角とは全然違う角度で出口に持っていくんですね。みなさんもそう心がけてほしいです。

川本 あと、これは若いみなさんにおすすめできることかどうかわかりませんが、エッセイというのは、みなさん個人的な経験を書くと思っていらっしゃる方が多いと思います。ですが、楠瀬さんのお話にも出てきた丸谷才一さんのエッセイは、われわれが思っているエッセイとはまったく違うんですね。引用が多いんです。たとえば猫のエッセイならば、自分と猫の関係を描くだけではなく、猫について今まで書かれた、過去の名作から、たとえば漱石はこう言っている、鴎外はこう言っている、という引用をうまくはさんでいく。エッセイの基本は引用である、というのが頭にあるんです。私は評論家だから、引用のないエッセイはエッセイではない、という考えなんですけれども、みなさんにはまだこれは早いと思います。ですけれども、自分が書こうとしていることは、すでに過去の誰かがもっとうまく表現しているのだということは、頭の隅に置いておきながら書かないといけない。そこが難しいところです。
――映画について語る場合もそうですか。
川本 そうですね。「私」はできる限り出さない。言い方は悪いけれど、映画評論というのは誰でも書けるジャンルですから、若い女性の映画評なんかはひどいものもある。「私は」「私は」「私は」で、この役者がかっこいいとかそういうことばかり書いていたりしてね。
 私はレファレンスと呼んでいるんだけど、ある作品を観たら、関連する古典と比べながら語ることが大事なんですね。それをやらないで、ただその作品についてだけ語るというのは、まだ「素人め」という感じです(笑)。

◆誰もが使う言葉で、誰も言っていないことを/翻訳家の個性を比較する/字幕翻訳家のセンス
楠瀬 ところで池上さんにお伺いしたいんですが、実名は出しにくいけど、小説はうまいのにエッセイがそう上手ではない方っているじゃないですか。一般論としてミステリの人はエッセイが苦手なことが多いようですが――もちろん北村薫さんはじめ名手もいらっしゃいますが――、あれは何なんでしょうか。
――それはね、エッセイを書いてないし読んでないからですよ。特に若いミステリ作家は、エッセイを読んできていないし、書いてきてもいないことが多い。単なる身辺雑記というか、有名人としての顔で書くレベルにとどまっている。

川本 そのとおりですね。自分を見て自分を見て、みたいなエッセイが多すぎますよね。先ほども言ったように変な流行語を使わないでほしいし、これはしょっちゅう言っていることですが、変に難しい言葉は使わないで、誰もが使っている言葉を使いながら、誰も言わなかったことを書く、ということが文章の基本だと思います。
楠瀬 そして、誰も言わなかったことを知るためには、他の人のエッセイを読まなくてはいけないわけですね。川本さんがご専門の永井荷風が「若い書き手は横文字の本を読め」という意味のことを書いていますね。池上さんも川本さんも翻訳をされますが、英語の文章を読むことはやはり勉強になりましたか。
――それはなりますよ。僕の場合は、チャンドラーの『長いお別れ』を、清水俊二さんの翻訳と原文を、一字一句照らし合わせて読みました。やはり清水俊二訳は傑作だと思いましたね。その後に、村上春樹さんの訳した『ロング・グッドバイ』を読んで、その違いは明確にわかりました。
 清水訳は軽快になっていて、形容詞が3つあるところを1つにまとめたりして、スピーディで面白くなっていますが、村上訳は逐語訳で、形容詞が3つあったら3つ使う。それでわかったのは、チャンドラーの文章が華麗きわまるものだということです。ここに翻訳家の個性が出ますが、村上さんは古風な言葉遣いが大好きなんですよ。会話に「嬰児(みどりご)」という単語が出てくるんですが、原文だと「baby」なんです(笑)。「赤ん坊」とか「赤ちゃん」でいいじゃないかと。男同士が「ごきげんよう」と言ったりする。古い言葉をあえて使っている。原文と照らし合わせて読むと、そういう翻訳家の個性がよくわかります。それだけ言葉へのこだわり、言葉の引き出しがあるということ。僕の師匠は小鷹信光さん(翻訳家・評論家)ですが、「英語辞書に載っている言葉は使うな、自分で語彙を探せ」と教えられましたね。だから、僕は翻訳についてはちょっと厳しいですよ。

川本 いまチャンドラーの話が出て思い出したんだけど、映画評論家の双葉十三郎さんが昔チャンドラーの翻訳をされた本では、いま読むと笑っちゃうんですけど、ブラジャーが「乳あて」になっていて、アメリカの若者が「合点承知の助」とか「武士は食わねど高楊枝」とか言ったりするんですよ(笑)。これはこれで面白いんですけれども。
 清水俊二さんの話で思い出したのは、清水さんは字幕の翻訳もされていて、字幕だとどうしても字数が限られるから、言葉を省略せざるを得ないんですね。『地獄の黙示録』が日本で公開されたときに、立花隆さんが字幕について批判したんですが、清水俊二さんは「字幕と翻訳は違う」と言ったんです。もしかすると清水さんは、チャンドラーも字幕のセンスで訳されていたのかもしれませんね。
――『長いお別れ』と『ロング・グッドバイ』は両方ともハヤカワ文庫で出ているので、ぜひ読み比べてみてください。チャンドラーの新訳については、没後50年のときに複数の版元が新訳を出そうとしたんですが、ちょうど著作権保護期間が50年から70年に伸びて、エージェントが新訳は村上春樹だけに限定してしまったので、もう完成していた新訳版がボツになってしまった翻訳家がいます。そういう問題もあるんですね。

◆『川本三郎的日本の小さな町紀行』/東京旅行で求める情報とは/翻訳家という職業の移り変わり
――今日は、川本さんの著書を台湾で翻訳されている黄碧君(ファン・ビージュン。通称エリー)さんが会場にいらしています。せっかくの機会なので、エリーさんにも登壇していただきましょう。
エリー よろしくお願いします。私は、台湾で日本の文芸作品を翻訳しています。柴崎友香さんの『春の庭』とか、三浦しをんさんの『舟を編む』『しをんのしおり』、最近なら乃南アサさんの長編小説『水曜日の凱歌』『六月の雪』などです。2012年から台湾の作品を日本に紹介・版権仲介することを始めて、現在仲間と日台の作家交流やトークを企画、台湾出版情報の発信などの活動をする太台本屋 tai-tai books の代表でもあります。
 私は、もともとは東北大学の留学生で宮沢賢治を研究していたので、東北にはゆかりがあります。川本さんの本を手掛けたのは、5年前に台湾でトークショーをやって、楠瀬さんも一緒に来ていただいたのがきっかけです。当時、台湾では民主化運動があって、『マイ・バック・ページ』が大きく取り上げられました。それから新しい作品が翻訳出版されて、今では寅さんより川本さんのほうが、台湾では有名です。

マイ・バック・ページ - ある60年代の物語

マイ・バック・ページ(平凡社)
楠瀬 台湾では日本への観光旅行がさかんなので、東京について案内する本も、普通に銀座とか六本木とか扱ってもだめなんです。最近出た本だと、金町なんかが取り上げられていた。みなさんの中にご存じの方もいるかもしれませんが、四国の田舎生まれの私は知らない町でした(笑)。川本さんの東京街歩き本は翻訳されて、人気も信用もあるので、映画の『男はつらいよ』は台湾では公開されていないのにもかかわらず、川本さんの『「男はつらいよ」を旅する』(新潮選書)が翻訳された(笑)。そのタイトルが『川本三郎的日本の小さな町紀行』になっているんです。

「男はつらいよ」を旅する (新潮選書)

「男はつらいよ」を旅する(新潮選書)
川本 おかげですっかり台湾びいきになってね(笑)、こないだの総統選も、蔡英文の圧勝ばんざいですよ(笑)。
エリー 川本さんの本は、自分だけの視点じゃなくて、みんなが知らない日本の文芸や映画とか、たくさんの要素が入っているんですよね。それが新鮮だし、いまはみんな、旅をするときはただ写真を撮って「行ってきました!」だけじゃなくて、その土地の歴史とかを知りたがるので、個人旅行にはそういう情報が求められています。そのおかげで川本さんの本を訳すとき、馴染みのない作品や引用が多くて、調べるのに大変苦労しました(笑)。
――いま台湾で人気のある、日本の小説家は誰ですか。
エリー 東野圭吾さんとか、村上春樹さんは昔から人気があります。ミステリとか大衆小説とか、平野啓一郎さんも翻訳されています。あとは『天気の子』の小説とか。
――ある作家から聞きましたが、文学における性描写は、台湾では厳しいとか。禁じられているのでしょうか。
エリー 台湾では、文芸作品よりエッセイが多いんですね。小説は純文学寄りのものや、古典が多かったんです。戒厳令との関係もあって、性的なものを赤裸々に語ることができない時代が長かったんです。禁じられているわけではなくて、社会の雰囲気とか風潮ですね。なぜ日本の小説はこんなに性描写と食べ物の描写が多いのか、と思います(笑)。
――なるほどね(笑)。川本さんの文章を訳すのは、難しいところはないですか。
エリー 寅さんの腹巻きがどういうものか、わかりませんでした(笑)。台湾は暖かいので、腹巻きというものがないんです。

――そうか!(笑) それにしても、小説家ならともかく、評論家の本が台湾で翻訳されるというのは珍しいですよね。
川本 嬉しかったですね。台湾の人が自分の本を読んでくれるなんて、夢にも思っていませんでした。台湾には何度か行っていたんですが、自分の本が訳されてから初めて2005年に行って、それ以来すっかりはまってしまって、もう頭の中が半分くらい台湾のことでいっぱいです(笑)。台湾の方は日本のことが好きでいてくれているので、日本の本がすぐ翻訳されて売られているんですよ。
エリー でも台湾では、翻訳は印税ではないので厳しいんです。台湾は人口も少ないし、初版はだいたい2500部とか、そのぐらいの規模です。

――日本では印税なので、ベストセラーになると凄い。昔は1億とか2億稼ぐ翻訳家もいたんです。印税は8%が昔からの相場だったんですが、いまはそんなに出さない会社が多い。6%とか、もっと下がっているかもしれない。ベストセラーの場合は版権が高いので、印税率はもっと低く抑えられるんです。いまは1冊訳しても50万前後(少ないと30万程度)のことが多くて大変です。昔は一冊訳して100万円ぐらい(400万というのもあった)で、大黒柱として一家を養っていける仕事だったんですけどね。台湾では買い切りですから、もっと厳しいんじゃないですか。
エリー そうですね、難しい本を訳すのは年に1~2冊ぐらいで、あとは実用書とか、もっと簡単なものをバランスよく。実用書は文章が難しくないから、そんなに時間はかからないですね。文芸作品は1冊で半年ぐらいかかることもあります。
川本 エリーさんは、翻訳が速いですよね。『「男はつらいよ」を歩く』も、あっという間だったじゃないですか(笑)。

――川本さんも翻訳をされていますが、カポーティを訳したときは時間がかかったんじゃないですか。
川本 新潮文庫で『夜の樹』と『叶えられた祈り』をやりました。『夜の樹』は短篇集なので割と訳しやすかったんですけれども、『叶えられた祈り』は難しかったですね。私はそんなに英語力がないですから、わからないところはネイティブの人にずいぶん教えてもらいました。

夜の樹 (新潮文庫)

夜の樹(新潮文庫)

叶えられた祈り (新潮文庫)

叶えられた祈り(新潮文庫)
――なぜカポーティを翻訳したくなったんですか。
川本 うーん……(しばし考え込む)翻訳って、一度はやってみたいものなんですよ。自分の文章だけじゃなくて、向こうの大作家の文章を、自分の言葉におきかえてみるということはね。でも失敗も多くてね、英語には必ず主語の“ I ”があるでしょ。これを村上春樹流に、全部そのまま日本語にすると、鬱陶しくてしょうがないんですよね。エッセイに「私」を使わなくなったのも、それがきっかけのひとつなんです。
 さっき池上さんが、原書と照らし合わせて読むとよくわかるという話をされていたけど、私が最初に訳しながら読んだのは、レイ・ブラッドベリだったんですよ。ブラッドベリの翻訳で、名訳といわれるのは小笠原豊樹(詩人としてのペンネームは岩田宏)さんのなんだけど、原書を読むと、小笠原豊樹は難しいところを全部端折っていたんですね(笑)。でも、ちゃんと文章の意味がわかるんです。
楠瀬 僕も、阿川佐和子さんと『くまのプーさん』(『ウイニー・ザ・プー』新潮文庫)を訳したことがあるんですけど、参考に石井桃子さんの翻訳を見ると、石井さんでもそこここで2行ぐらい飛ばしたりしているんです(笑)。それでも、石井訳はやっぱり名訳なんですよねえ。それが日本語の不思議さですね。

ウィニー・ザ・プー (新潮文庫)

ウィニー・ザ・プー(新潮文庫)
――川本さんは、翻訳をされてご自分も得るものがあったんじゃないですか。
川本 目が悪くなりました(笑)。英語のプロの人ならそんなに辞書を引かないからいいんだろうけど、私は1ページに何回も辞書を引くので、老眼がだいぶ進みました。

――最近は中国語で書かれたミステリ、つまり華文ミステリが盛り上がっているので、エリーさんのお仕事もますます増えていくことでしょう。
◆起承転結は「転」より「結」/「新東宝物語」の誕生/ローカル名詞の扱いについて
――では残り時間も少なくなりましたので、そろそろ質疑応答に入ります。
男性の受講生 起承転結が書けなくて困っています。時系列を移動させると「何日後のこと」「話は半年前に遡る」などややこしくなってしまうのですが、どうすればすっきり場面転換できるでしょうか。
楠瀬 場面転換については、これはご自分でお気づきのように、いちいち書かなくていいし、接続詞もいらないです。ただ、全体の大きなリズムと場面の中での小さなリズムをとらなければいけない。結局、読まないとわからないので、うまくいっていると思うプロの文章を読んで、なぜうまくいっているかを探って、自分の中に蓄積してください。
――何を書くかによって、起承転結にあてはまらない場合もあるんです。転から始めてもいい。同じパターンにはまる必要はないし、何を書きたいのか考えたほうがいい。起承転結を無視して、一番大事な場面から始めてもいいんです。もっと自由に考えてもいいんじゃないでしょうかね。自分の持ち味、自分の書きたいものを大事にしましょう。
川本 小説とエッセイや評論では違うと思うんですが、エッセイや評論では、起承転結は非常に大事です。「転」は、先ほども言ったように引用を持ってくるといい。たとえば自分と猫の話をしてきて、そこに漱石はこう書いていた、鴎外はこう書いていた、と引用する。小説の場合は違うんですよ。池上さんがおっしゃるとおり、いろんなスタイルがあっていい。小説にせよエッセイにせよ、最も大切なのは出だしと最後の文章です。最後が決まらないと文章は書けないですね。どこで終えるかをまず頭に入れないと、特に長い文章の場合は書けなくなりますね。転より結が大事だと思っています。

男性の受講生 旅エッセイでの風景描写は、自分が気になったところを書いたほうがいいでしょうか、それとも客観的に書いたほうがいいでしょうか。
――もちろん自分でしょう。客観的な情報なんかいらないんです。自分のエッセイなんだから、自分が見たものを伝えるしかないと思いますね。
楠瀬 宮本輝さんが「説明と描写をごっちゃにするな」とおっしゃっています。説明は説明、描写は描写と考えて、この場合は自分の見たものを描写することが大事です。
川本 まったくそのとおりだと思います。
男性の受講生 かつて『男はつらいよ』がそう言われていたように、好きだと公言しづらいジャンルはほかにもあるんでしょうか。
川本 ありますけど、基本的に私は自分が好きになった作品しか批評していないので。スプラッターとかホラーとか、そういうものは好みでないので、批評の対象にしていません。いまの映画批評で一番多いのは、○×式ですよね。週刊文春の星取り表なんか典型的なんですけど、ああいう批評はあまりやりたくないですね。ガイドと批評は違うと思うんですよ。批評というのは、自分の好きな作品を、なぜ好きになったのか細かく説明していくことだと思うんですよね。
楠瀬 川本さんが、若い批評家から尊敬されている点はもうひとつあって、新東宝映画を褒めたことです。あれも、褒めるのが恥ずかしいところがあったのではないでしょうか(笑)。

川本 そういうところはありましたね(笑)。新東宝というのは、年配の方はご記憶かもしれませんが、昭和30年代にエログロ映画を量産した、マイナーな映画会社なんですけど、それについてちゃんとした評論で褒めたのは、私が最初だと思います。1977年か78年に、よくもああいう文章を書かせてくれたものだと思いますが、「中央公論」に「新東宝物語」という文章を書いたんです。これが初めでした。私なんかは、映画評論家として世代的に2代目か3代目ぐらいなんですが、前の世代がすでにやったことはやりたくないわけですよ。戦術とはあまり言いたくないんですが、自分の世代として何をやっていくか考えたとき、今さら小津や黒澤を語っても仕方ない。それなら前の世代がやっていないことをやろう、ということで新東宝について書いたりしました。それから、アメリカ映画について書いた最初の本は、アメリカ映画における脇役というものに注目して書きました。その辺の戦略を考える必要はありますね。
女性の受講生 今回のテキストで映画館の山形フォーラムが出てきましたが、エッセイの中で、映画館などローカルな固有名詞を使うときに、どこまで説明が必要になるでしょうか。
川本 それは大事な問題ですね。私なんかはどうしても東京中心で考えてしまうので、たとえば「日比谷劇場」といきなり書いてしまう。山形の人が読んだらわからないんじゃないか、などは考えないで書いてしまうんですね。本来ならいちいち説明しないでいいんだけど、でもその地域以外の人が読むことを考えれば、その映画館はどんなところなのか、ちょっと説明がいるかもしれませんね。たとえばフォーラムなら、わりとミニシアター的な芸術映画をかけるところだとか、それぐらいの説明はあったほうがいいかもしれません。
楠瀬 この前、僕が担当した小説に「等々力渓谷の事務所」という言葉が出てきたんです。知らない方がパッと聞いた感じだと、東京でも田舎のほうの山奥と思うかもしれませんが、わりと洒落たところなんですよ。その小説の中でもカメラマンの事務所がある設定でした。これは頼んで「世田谷区の」と入れてもらいましたね。それは東京生まれの作家が書いたものだったんですが、微妙な問題ではあります。前後の文脈でわかることもあるでしょうし。やはり僕が担当した別の作家の小説に「秋川渓谷」と出てくるのですが、これは本当に東京の山奥ですから、難しいでしょ?(笑)
川本 ああ、ここで笑い話をひとつ思い出しました。4~5年前に、キネマ旬報に、ももいろクローバーZというアイドルグループの映画について書いたことがあるのですが、私はそのグループのことを全く知らないので、文中に「ももいろクローバーZというアイドルグループ」って、「という」を入れて書いたんですよ。そうしたら、モノノフとかいうらしいですが、ファンの人がからかって「川本三郎という人が」と書いていたんです(笑)。けなしていたら炎上させられるところでした(笑)。地域差もありますが、こういう世代差もありますよね。若い人は当然知っていることでも、こちらは知らないことがたくさんあります。

――本当にね、若い人の書いた文章はわからなくなってきましたね。自分がわかっていても、上や下の世代にはわからないこともありますから、ひとこと加えるのが必要なときもあります。そこは自分のさじ加減ですから、頑張って考えて書いてください。もっといろいろうかがいたいこともありますが、今日はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました!
(場内大拍手)
【講師プロフィール】
◆川本三郎(かわもと・さぶろう)氏
 1944年、東京都生まれ。文学、映画、東京、旅を中心とした評論やエッセイなど幅広い執筆活動で知られる。著書に『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞・桑原武夫学芸賞)、『白秋望景』(伊藤整文学賞)、『マイ・バック・ページ』『いまも、君を想う』『今ひとたびの戦後日本映画』など多数。訳書にカポーティ『夜の樹』『叶えられた祈り』などがある。現在、読売文学賞、サントリー学芸賞(社会・風俗部門)の選考委員を務めている。
●大正幻影(岩波現代文庫)※サントリー学芸賞受賞
●荷風と東京(岩波現代文庫)※読売文学賞受賞
●荷風と東京「断腸亭日乗」私註(岩波書店)※読売文学賞受賞
●林芙美子の昭和(新書館)※毎日出版文化賞受賞 桑原武夫学芸賞受賞
●白秋望景(新書館)※伊藤整文学賞受賞
●マイ・バック・ページ(平凡社)
●いまも、君を想う(新潮文庫)
●今ひとたびの戦後日本映画(岩波現代文庫)
●夜の樹 トルーマン・カポーティ(著)川本三郎(翻訳)(新潮文庫)
●叶えられた祈り トルーマン・カポーティ(著)川本三郎(翻訳)(新潮文庫)
●「男はつらいよ」を旅する(新潮選書)
●成瀬巳喜男 映画の面影(新潮選書)
●東京は遠かった 改めて読む松本清張(毎日出版社)
●台湾、ローカル線、そして荷風―ひとり居の記 2(平凡社)
●小説を、映画を、鉄道が走る(集英社文庫)
●ひとり居の記(平凡社)
●「それでもなお」の文学(春秋社)
●あの映画に、この鉄道(キネマ旬報社)
●物語の向こうに時代が見える(春秋社)
●サスペンス映画-ここにあり(平凡社)
●いまむかし東京町歩き(毎日新聞社)
●老いの荷風(白水社)
●そして、人生はつづく(平凡社)
●映画の中にある如く(キネマ旬報社)
●向田邦子と昭和の東京(新潮新書)



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