「創作活動は結局自分のためにやらないと、いつか破綻すると私は思っています。結局のところ、創作活動って自分のエゴの終着点なので、たとえ結果としてそれが他の人に喜ばれることがあったとしても、「誰かのために」と言い出したら、それは欺瞞ではないかと」

 第115回は作家の阿部智里氏をお迎えして、本講座出身作家である紺野仲右ヱ門(紺野信吾氏・真美子氏の夫婦共同ペンネーム)ご夫妻の司会のもと、松本清張賞を受賞してデビューに至る経緯や、デビューしてからの厳しいカンヅメ生活、プロットの立て方、創作活動の心構えなどについて、お話していただきました。
◆校長室に突撃したあの日/カテゴリー・エラーと賞の偏差値/「焦る必要はない。プロ並の実力があるのにデビューできない人なんて、君の知り合いにいますか?」
真美子 では、まず松本清張賞を受賞された経緯からお聞きしたいと思います。
阿部 2012年、20歳のときでしたね。松本清張賞はミステリや社会派のイメージが強いかもしれないですけれども、途中からエンターテインメントの賞に変わっています。これは講評を始める前に話しておくべきだったかもしれませんが、私の専門はエンターテインメントです。講評のお話は、すべてエンターテインメントとして書くならばということで申し上げましたので、私のやりたいことはそれじゃない、と思う方は完全に忘れてください(笑)。
 で、私が松本清張賞を知った経緯ですが、私は小学校のころからプロの作家になりたくて投稿していたんですけれども、箸にも棒にもひっかからず、投稿しては落ちる日々を過ごしておりました。本当は小学生のうちにデビューするつもりだったので(笑)、それができなかったことが悔しくてしょうがないまま、高校生になってしまいました。当時はライトノベルの賞とかにも応募していたんですけど、一次選考にもひっかからず、どうしたらいいんだろうと悩んでいたんですね。そんなとき、私のいた女子高に、OGの方が記念式典の講演にいらしたんですよ。その方が、文藝春秋の編集さんだったんです。みなさんご存知のとおり、文藝春秋は芥川賞・直木賞の母体となる会社です。そんなところで働いているすごい人が来てくれる、この機を逃す手はないと思いまして、帰りの会と掃除と部活を全部さぼって、校長室に突撃して、その人に「どうしたらプロの作家になれるか教えてください」と迫ったんです。

 といいますのも、実はそのときジャンルに迷っていたんですね。いわゆる、カテゴリー・エラーを心配していたんです。カテゴリー・エラーとは、すごくいい作品を書いたとしても、応募した賞と合わないことによって、落選してしまうことをいいます。私がそのとき書いていた話は、ライトノベルの賞に応募するつもりでしたが、ちょっと迷いがありました。ミステリ要素があり、ファンタジー要素があり、伝奇要素もある話で――『玉依姫』(文春文庫)という、八咫烏シリーズ5作目のプロトタイプになった原稿を、当時温めていたんです。ところが、いろんなジャンルにまたがっている話だったので、どこに応募すればいいのかわからなかった。このままだとカテゴリー・エラーになってしまう、ではどこに応募すればいいでしょう、とその文藝春秋の編集さんに相談に乗っていただいたわけです。そこで紹介されたのが、松本清張賞でした。

玉依姫 八咫烏シリーズ5 (文春文庫)

「玉依姫 八咫烏シリーズ 5」(文春文庫)
 賞には偏差値がある、というような言い方がしばしばされるようなんですが、賞の偏差値とは、新人賞を取ったあとの生存率です。賞というのは、取るまでも大変なんですけど、実は取ったあとのほうがもっともっと大変で、デビューはできたけれども、その後プロとして活動できなくて、いつの間にかデビューしたこと自体が忘れ去られてしまうような事態が、悲しいけれどままあります。そうならないように、みんななんとか生き残ろうとしている中で、この賞から出た人は何年かあとまでちゃんと本を出している。賞の母体となっている団体や編集さんたちがしっかり売り出してくれているということが分かる。そういった意味で「偏差値が高い」という言い方があるんです。私の前に松本清張賞を取ったのは青山文平さんでして。そういう方たちが出ていて、しかもこの賞にはカテゴリー・エラーはない。面白ければ何でもOKだから、心配する必要はないし、そこでデビューできるんだったらちゃんと面倒をみるから、やる気があるんだったら応募してきなよ、と言ってもらえたんですね。
 その後、その方と何回か原稿のやり取りがありまして、実際に応募することに決めました。高校2年生の冬に応募して、3年生になってから結果が出たんですけど、初めて二次選考までいったんですよ。それで私は非常に手応えを感じて、よしもう一回挑戦してやろうと思いました。しかもその頃、審査委員の先生たちが一新されまして、それまでの硬いイメージから変えようという空気があったんですね。当時は応募する年齢層が高くなっていて、どうも若い人に応募してほしいという動きがあったらしいんです。それで、ここが狙い目だ、と。

真美子 校長先生も、生徒が突撃してきてびっくりされたでしょうね(笑)。松本清張賞は、横山秀夫さん、葉室麟さんなど著名な作家を数多く輩出しています。そういう賞に、戦略を持って女子高校生が挑んだわけですね。

阿部 そうですね。一回目の時はデビューはできなかったんですけれども、高校生が応募してきたということで、文藝春秋の中でちょっとだけ気にしてくれた編集さんがいらしたんです。その編集さんから「君の話が聞いてみたいから、ちょっとおいで」と呼んでもらいまして、私が住んでいた群馬から東京に出ていって、文藝春秋でお話をしたんですよ。そのとき私は非常に焦っていたんです。世の中に、すごい技術を持っていてうまいのにデビューできない人は山のようにいる。自分もそのうちのひとりになってしまわないか、すごく心配だという話をしたんですね。そうしたら、「焦る必要は何もないよ」と言われました。「プロ並の実力を持っているのにデビューできない人が大勢いると君は言うけれども、じゃあ君の知り合いにそういう人がいますか?」と言われて、ハッとしたんです。そういう話はよく聞くけど、実際にそういう人の知り合いはいないな、と気付かされたんですよ。そして「うちの会社は、実力のある作家をいつでもデビューさせられる準備があるし、いつでも探しているから、焦る前にまず実力をつけなさい。君が本当にプロデビューできる実力があると思ったら、我々はいつでもデビューさせてあげるから」と言われたんです。すごい胆力だなと思って、そこでようやく「早くデビューしなくちゃ」と焦っていた気持ちが、すこんと抜けたんですね。それが私の人生の転機だったと思います。それまでは次々に応募していたけど、じっくり書き直して、自分の120%の実力を詰め込んで、これでダメなら松本清張賞は諦めようと思って、大学に入ってから時間をかけて作り直した作品が、『烏に単は似合わない』(文春文庫)というファンタジー小説でした。で、大学3年生のときにそれをリベンジとして送って、デビューすることになりました。

烏に単は似合わない  八咫烏シリーズ 1 (文春文庫)

「烏に単は似合わない 八咫烏シリーズ 1」(文春文庫)※松本清張賞受賞
◆自分の強みは何だろう、と考えた/超ゆるふわ女子が実は……/座敷わらしのカンヅメ生活
阿部 応募したときの戦略についてですが、先ほど申し上げたように、葉室麟さんや青山文平さんを輩出した賞に、女子大生が応募してきたら、絶対に色眼鏡で見られるなと思ったんですよ。さらに言うと、自分より人生経験も豊富で執筆歴も長い人たちがたくさんいるわけですから、その中で目立つためにはどうしたらいいか、考えました。そういう人たちと同じような題材で勝負しても、経験がないんだから負けます。逆におじさまたちになくて私にあるものは何だろう、と考えてわかったのが、私は女子高を出たばかりだったので、女の子たちの心の機微は、おじさんたちよりはわかる自信がある。じゃあ女の子たちが戦う話を作ろう、と思ったんですね。さらに言うと、実は松本清張賞にはプロフィール欄があって、年齢と性別を書くので、そうするとある意味、侮られるだろうなと思って。じゃあ思いっきり侮らせて、侮らせて、侮らせて、最後に刺し殺してやる! と思ったんですよ(笑)。

信吾 いつ、その戦略を練ったんですか。当時は普通の女子大生で、でも小説はずっと書き続けていたわけですよね。
阿部 戦略を練ったのは、高校のとき、賞に落ちた瞬間からです。大学受験の1年間は書かなかったんですけど、常に書きたい気持ちは持っていましたし、移動中もずっと物語を考えていたので、それがある意味いい醸造期間になったというか。
真美子 なぜ、先に温めていた『玉依姫』ではなく、『烏に単は似合わない』を書かれたんでしょうか。
阿部 一度落ちた作品だったからです。それをまた改稿して賞に出す、ということはありえないので。自分の中でも粗が見えていましたし、その粗を直す程度で賞をとれるとは思いませんでした。実際に『玉依姫』を出版するまで7年ぐらいかかりましたね。そのぐらいになれば、自分でもだいぶ変わったという自覚があったので、それが出来ました。ほぼほぼゼロから改稿し直したのが、八咫烏シリーズの5巻目となる『玉依姫』でした。
真美子 投稿するまでに作戦を練られたことはわかりましたが、書く中での作戦は練らなかったんですか。いまお話された、若い女の子を描くということのほかに、これでいくぞ、というものは。

阿部 私のデビュー作は、途中までは超少女漫画で、お姉ちゃんが病気になっちゃって、代わりに王子様のところに召し上げられて、4人のお姫様の中で誰が選ばれるかしら、というので、超ゆるふわ女子が奮闘する話なんですけど、実は○○が××だった(※ネタバレのため伏字)という話だったんですよ。5章立てにして、4章まではほぼほぼ最初のイメージどおりにして、最終章で全員のイメージをひっくり返してやろうと思ったんです。どれかひとつでもびっくりさせれば、こっちの勝ちだと思っていたので。これは王道のやり方ではなくて、伏線も何もないじゃないか、とキレる人も多いです。でも当然なんですよ、△△(※ネタバレのため伏字)するために作った話だから(笑)。でも、審査委員の方々なら、□□しても「卑怯な!」ではなく「お主、やるな」と言ってもらえるという信頼感があったので。
 それが、私のデビュー作です。それまで何度も落ちていたので、そこまでしないとデビューできないということはわかっていましたから。

真美子 いろいろな賞に投稿し、結果的に松本清張賞を受賞してデビューされたことは、現在の活動にどんな影響を与えているのでしょうか。
阿部 私はデビューしたのが大学生時代だったので、文春さんが非常に気を使ってくれてたんですよね。このままいろんな出版社と仕事させたら潰れるぞと思ったらしくて。大学を卒業するまではとりあえず文春の中で仕事をして、様子がわかってからやってくれ、というふうに他の出版社の方にも言ってくれたんです。これが非常にありがたくて、業界の中で仕事をしているうちに、出版社ごとのカラーが見えてきました。それで、ちゃんと私が卒業するタイミングで、お声がけしてくださった他の出版社の人に対して、当時私が書いていた作品の原稿と、担当編集者からの挨拶と、私からのコメントをつけて全部送ってくれました。おかげで私はこうやってプロとして仕事できているわけで、こういう言い方はなんですが、最初のデビューする文学賞って結構大事だな、と思いましたね。でも中にはクレバーな方もいて、あえて倍率の低い賞を狙ってデビューして、そこで売れる人も実際にいらっしゃるので、ここをどう考えるかは自分の実力とカラーによるかな、と思います。
真美子 文春にカンヅメになって書かれていたこともあるそうですが。
阿部 いやあ、書けないからぶちこまれたんですよね。みなさん、カンヅメ部屋ってどういうのか、イメージわきますか? 文藝春秋の某階に、執筆室というのがふた部屋あるんです。ぱっと見はホテルみたいで、異様に大きな机があるんですよ。最初は「プロの作家っぽい!」というミーハーみたいな気持ちでいたんですけど、長く生活するうちに、これはやべえところだな、と気づきまして。というのも、まずトイレが冷たいんですよ。今どき小学校でもこんなトイレないぞ、っていうぐらい冷えっ冷えのトイレで、しかもベッドがめちゃくちゃ硬くって、毛布しかないんですね。つまりここって、寝たり休んだりするところじゃなくって、書くところなんです。で、大きな机に広辞苑がドンと乗ってるんです(笑)。長く生活するところじゃないですね。一週間ぐらいいるとだいたいお腹壊しますからね、怖いところです。ユニットバスと冷蔵庫とテレビはあるんですけれども、当然テレビなんて見てる余裕はあるわけもなく、地震速報のときぐらいしか使わないです(笑)。

信吾 その部屋にぶちこまれたというのは、期間的にはどれぐらいなんですか。
阿部 私が大学に通っていたときには、火曜と金曜に授業があったので、火曜日にまずゼミに行くじゃないですか、で帰ってきたら、今週の金曜日と来週の火曜日の授業の準備をするんですね。それで、火、水、木と準備をして、金曜日に授業に出て、その足で大学から文藝春秋に行って、金曜の夜から火曜のお昼まで、文藝春秋の執筆室で書いて、その足で大学に行くという、これがエンドレスで続きました。八咫烏シリーズの4作目ぐらいからカンヅメ生活が確立して、外に出ることを「仮出所」とか言うんですよ(笑)。梅が咲く前のつぼみのころに入って、出るころには咲いてるだろうからお花見したいな、と思っていたら、出るころには青い葉が茂っていましたからね(笑)。
 執筆室では頭にタオルを巻いて山用のズボンを穿いて、キーボードを叩く衝撃で指が痛くなってくるので指ぬきグローブをつけていて、誰にも見せられないような格好をしています。そのせいでときどき、文藝春秋の人に座敷わらし的な扱いを受けるようになって、「さっき受験生みたいな格好をした人影を見かけたんだけど、あれって阿部さんかしら」と言われたこともあります(笑)。

◆プロットづくりと映画監督の作業/伝承を尊重しつつあえて振り回す/創作活動は自分のために
信吾 阿部さんは小説を書くとき、プロットをガチガチに固めるとお聞きしたのですが。納得するまで何度も書き直すとか。

阿部 ガチガチにやりますね。プロットを作るには段階的なものがあって、まず映像でここを書きたいというシーンがバババって出てきたりとかすると、そこを基準にして、物語を設定していきます。何て言ったらいいのかな、そのイメージを膨らませているときは、映画監督が片っ端からカメラを回していく状況で、同時にプロットを立てるというのは脚本を書いている状況。で最後に、劇伴をつけたり編集したり、という作業をするのが執筆だと思っているんですよ。だから、全部並行的に行いつつ、ということになるのかも。先に思いついた画像や映像から先に書き出しちゃう場合もあるので、一概にプロットが一番とも言い切れないかな。
信吾 執筆のうち、プロットにあてる時間の割合はどれぐらいですか。
阿部 それはわからないです。作品にもよるんですけど、時間をかけて納得いったプロットでもボツになったりとか、セルフボツにすることもありますし。
真美子 もうひとつお聞きしたいのですが、講座でもよく出る話で、神話や伝承を物語に落とすときの難しさについてです。『玉依姫』の解説に、荻原規子さんとの対談があります。神話というのは集合的無意識のかたまりだから、そこに自分の物語をのっけようとすると、神話のほうが強いから負けてしまう。八咫烏シリーズもそうなんですけど、伝承をうまく活かすには、個人の物語に神話や伝承を重ねると、そこにオリジナリティが出るといったお話をされていました。その点をどんなふうに注意されていますか。

阿部 私が荻原先生と話していて解釈したことになるんですけど、だいたい神話や伝承というものは、我々が手を出せないレベルではっきりとした形を取っているんですよ。非常に大きな力を持っているので、下手に侮って触ると火傷するんです。かといって、覚悟を持ってそれを扱ったとしても、あまりに大きいものを扱うことになるから、逆に自分が大きなものの端っこになって、布教するような形になってしまう。それは作者自身の物語ではないので、言ってしまえば神話の末端、しかも異端の梢みたいな部分になってあとは腐り落ちるだけ、みたいな感じになってしまうので、非常に難しいんですよ。ではどうしたらいいかというと、結局のところ、瞬間風速でいいんですけど、神話以上に「自分はこの物語を書くんだ」という強い意識を持たなくちゃいけなくって、その上で、大きなものであることを理解したうえで利用する、というスタンスがないと厳しいと思うんですね。尊重することと利用することは決して矛盾しないので、尊重しつつもあえて自分が振り回すぐらいの感じで使ったほうが、いいんだろうなというふうには思っています。

真美子 みなさんも参考にしてくださいね。あと、今日は八咫烏シリーズのファンの方もたくさんいらっしゃると思いますが、今後のシリーズの展開はどうなるんでしょうか。話せないこともおありでしょうから、こんなことを書きたいな、という大雑把なくくりでもいいです(笑)。
阿部 八咫烏シリーズ外伝の短篇「はるのとこやみ」を書いたばかりでして、これは「オール讀物」1月号に載る予定です。で、第2部も2019年発売予定で告知もしていたんですけど、非常に申し訳ないんですが、年内には出ないことが確定しまして。本当は、去年の段階で2部第1巻のプロットはできあがっていたんです。担当さんたちからもゴーサインをいただいて、これならば2019年内には絶対出るだろうと思って告知もしていたんですけど……まさかの、書き出してから私がセルフボツにしちゃいまして。これは違うな、と書き始めてから気がついて、文春さんとも相談したんですけど、納得のいかないものを出すよりはちゃんとしたものを出したほうがいいだろう、でもなるべく早く出して、と言われつつ「今」って感じですね……。
信吾 納得いくかどうかの境目はどの辺にありますか。
阿部 やっぱり、自分で書いていて面白くないということですかね。プロットの段階では面白く見えたんですけれども、でも書き始めてみたら何かつまらない。
 なんて言うのかな。1部が終わって、多くの方に読んでもらえたので、読者さんに喜んでほしいという欲が出たんだと思うんです。そういったスケベ心で作ってしまったプロットだったので、それだけ見ると面白く見えるし編集さんもOKを出してくれるんだけど、動機が不純だからうまくいかない。自分の中で欲が出ていたことに気づいたらもう書けないな、となりました。

真美子 これから小説を書こうとする人に向けて、何か「これはやったほうがいいよ」というアドバイスはありますか。
阿部 これは私の意見であって、みなさんそれぞれポリシーがあるでしょうから、そう考える人もいるんだな、程度に思ってほしいんですけど。創作活動は結局自分のためにやらないと、いつか破綻すると私は思っています。結局のところ、創作活動って自分のエゴの終着点なので、たとえ結果としてそれが他の人に喜ばれることがあったとしても、「誰かのために」と言い出したら、それは欺瞞ではないかと。そこは「創作活動は自分のためだ」というふうに割り切らないと、厳しいかなと思っています。
◆ジャンルとは誰のためにあるのか/プロットを紙に書くことの効用/偉い評論家も無名の読者も感想の価値は同じ
真美子 ではそろそろ終わりの時間も近づいてきましたので、質疑応答に入ります。
男性の受講生 講評のとき、何度かジャンルについてお話がありましたが、先生が、このジャンルでは絶対にこの部分は気をつけて書く、というようなものはありますでしょうか。

阿部 すごくいい質問をありがとうございます。実はですね、今日は何回かジャンルを確定させるようなことを言っちゃったんですけれども、それと矛盾しますが、ジャンルというのは読み手にとって必要なもので、書き手にとっては必要ないものだと思っています。このジャンルではこれをやっちゃダメ、というのを作った瞬間、表現の幅は一気に狭まるじゃないですか。作家というのは新しいことをやろうやろうとする人間なので、そこで枠をつけちゃいけない。ですから、このジャンルではこれをやっちゃいけない、というのはまずないと思うんです。さっきジャンルを確定させるようなことを聞いたのは、今回私が読み手の立場だったからという部分もあるかもしれませんね。ううん、今思うと書き手に対してジャンルを固定させるようなことを言ってしまったのは私のミスですね、これは申し訳なかったです。自分はこれがやりたいんだ、という熱意があれば、傍から言われたことは全部忘れていいと思います。
 私のデビュー作も、ミステリとしての禁じ手を全部使っていて、これはミステリではない、歴史ものだ、ライトノベルだ、ファンタジーだ、と発売当時に色々言われました。ジャンルって、売り手と読み手によってどんどん変わるものなので。みんなそれぞれ、こういうのが読みたいなと思ったときに、目安としてつけられているのであって、言ってみれば売り物としてのラベルです。ただ、創作活動の本質はそこではないので、やってはいけないということは何一つないと思います。

テキスト提出者 宮本ことんさん 私はプロットを作るのがとても苦手で全然書けなくて、しかも執筆しているうちに最初のプロットとはがらっと変わってしまうこともあるんですけれども、一作書くだけのプロットを作るには、どういうことを書き込めばいいのでしょうか。
阿部 その質問にお答えする前に言っておかなければいけないのは、私は今日、プロットの話をしましたけど、世の作家さんたちには、一刀彫りみたいにプロットもないまま書いて、最終的にすごいものを仕上げる方たちも大勢いらっしゃいます。作家のスタイルはひとりひとり違うので、プロットを立てないといけない、何々しなければいけない、という思考はまず捨てて、自分が書きやすい、自分に合ったやり方を模索していくことが、一番重要ではないかなと思います。
 そのうえで、私がどれくらいプロットを書くかというと、完成までに10個ぐらいはプロットを立てるかな。まず始めに起承転結とか、大まかな流れを決めます。一番のクライマックスをどこにするか、を起承転結にあてはめて……いや起承転結だけじゃなくて転転転結とかでもいいんですけど、まずざっくりとした構成とメインイベントを考える。それから、どうすればメインイベントが一番映える形になるか考えていって、その結果、導入部分はこうしよう、と思ったら、1.誰々くる 2.誰々と会う 3.誰々と誰々が合流する 4.事件が起こる みたいな、そういう簡単な言葉でやっていきます。それが進んでいくと、今度は視点の問題が出てきます。私が非常に苦しんだのは、『弥栄の烏』(八咫烏シリーズ6 文春文庫)という作品があるんですけど、あれは主軸になる人物が3人いたので、一歩バランスが狂うと一気に崩れてくるんですよ。非常に危ういプロットだったので、視点が変わるごとに視点人物の名前を書いていって、どこでどうすればうまくつながるのか、相当考え直しました。出来事プラス視点人物の名前を書いていって、全体のバランスを見ていくということですね。だんだん情報量が増えていきますが、私は紙に書いてプロットを作るんですが、紙がいいのは、自分が書き加えた痕がとっても見えやすいんですよね。どう変遷していったか一目でわかるので、私は紙でプロットを書くことを推奨しています。

弥栄の烏 (文春文庫)

「弥栄の烏 八咫烏シリーズ 6」(文春文庫)
女性の受講生 阿部先生が書かれる作品にはいろいろな登場人物がいて、中には読者から見て嫌な奴というか、世間受けしないことを言うキャラクターもいると思います。そういうキャラが出てくるとき、読み手からの反発をどうやって覚悟していますか。

阿部 これは物書きにとってみんな悩ましいところでして、ある作品の中で「女は子宮でものを考えやがる」という女性蔑視の台詞を言わせたんですよ。そうしたらら、「阿部智里は女性を蔑視している」と言われて。違うんですよ、これはそういうふうに言われたら屈辱的だと思って書いたんですよ。だって、作家の思っていることをそのまま登場人物に言わせたら、同じ魂の生き物が続々と出てくる、クローン人間の集いみたいでつまんないじゃないですか。結局、私たちが世間を見ている、まなざしが反映されたのがキャラクターたちだと私は思っています。この世界がどういうふうに見えているか、ということの写し鏡になっているのが、キャラクターとその言動です。だから、それを批判してくる人たちがいるのは当然なんですけれども、それはその人の理解が及ばなかったということで、残念だな、と思ってそれで終了です。覚悟うんぬんといいますが、キャラクターに限らず、表に作品を出す以上は必ず批判がついてまわります。私が松本清張賞でデビューしたときも、評論家さんも含めて、非常に叩かれました。どう感じるかは読み手の自由なので、私たちは粛々と批判なり感想なりを受け止めるしかありません。結局のところ、感想の価値は偉い批評家でも無名の読者でも、作者にとっては同じですので、そこを見誤らなければ大丈夫だと思います。

真美子 ではそろそろ時間となりましたので、今日の講座はこれにて終了といたします。貴重なお話をありがとうございました。

(場内大拍手)


【講師プロフィール】
◆阿部智里(あべ・ちさと)氏
 1991年、群馬県生まれ。大学在学中の2012年『烏に単は似合わない』で松本清張賞を史上最年少20歳で受賞。同作を第1巻として刊行された「八咫烏(やたがらす)シリーズ」は『烏は主を選ばない』『黄金の烏』『空棺の烏』『玉依姫』と続き、2017年『弥栄の烏』で第1部が完結。壮大かつ奥深い和風ファンタジーとして人気を博し、第2部の刊行が待たれる。作品は他に「八咫烏シリーズ」における登場人物の過去を描いた『八咫烏外伝 烏百花 蛍の章』、平成と昭和がクロスする小説『発現』など。
●烏に単は似合わない 八咫烏シリーズ 1(文春文庫)※松本清張賞受賞
●烏は主を選ばない 八咫烏シリーズ 2(文春文庫)
●黄金の烏 八咫烏シリーズ 3(文春文庫)
●空棺の烏 八咫烏シリーズ 4(文春文庫)
●玉依姫 八咫烏シリーズ 5(文春文庫)
●弥栄の烏 八咫烏シリーズ 6(文春文庫)
●発現(文藝春秋)
●烏百花 -蛍の章― 八咫烏外伝(文春文庫)
●烏に単は似合わない(1)イブニングKC 阿部智里(原作・監修)松崎夏未(漫画)
●烏に単は似合わない(2)イブニングKC 阿部智里(原作・監修)松崎夏未(漫画)
●烏に単は似合わない(3)イブニングKC 阿部智里(原作・監修)松崎夏未(漫画)
●八咫烏シリーズ外伝 なつのゆうばえ 【文春e-Books】
●八咫烏シリーズ外伝 ふゆのことら 【文春e-Books】
●八咫烏シリーズ外伝 あきのあやぎぬ 【文春e-Books】
●八咫烏シリーズ外伝 すみのさくら 【文春e-Books】
●八咫烏シリーズ外伝 わらうひと 【文春e-Books】
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