「ファンタジー小説の場合、現実世界を舞台にした小説と描き方が違う部分があります。作者が見ている光景が、読者には見えていないので」

 12月講座には、阿部智里(あべ・ちさと)先生を講師としてお迎えした。
 1991年群馬県出身。早稲田大学在学中に『烏に単は似合わない』で松本清張賞を史上最年少で受賞。これに続くファンタジー小説「八咫烏シリーズ」が大ヒットを記録し、早くも多数の熱狂的読者を獲得している、今後の活躍がますます注目される気鋭の作家である。
 また、山口由紀子氏(文藝春秋)がゲストとして参加し、講評に加わった。
 今回の司会は、本講座出身作家である紺野仲右ヱ門氏(紺野信吾氏、真美子氏の夫妻共同ペンネーム)がつとめた。
 講座の冒頭では、阿部氏がマイクを取ってあいさつをした。
「みなさんこんにちは、阿部智里です。こういった講座に参加するのは、講師側はもちろん、受講側としても初めてのことになります。どんなことをすればいいのか、実はまだよくわかっていなくてどきどきしているんですけど、少しでもみなさんと楽しい時間を過ごせるようにがんばりますので、よろしくお願いします」

 今回のテキストは、エッセイが1本、小説が3本。
けい『けーたん 救急車に!』(14枚)※エッセイ
けい『けーたん 救急車に!』(14枚)※エッセイ
 お盆を前に、娘一家のいる横浜へ野球観戦に行った「私」は、着いた日の夜から体調を崩し、喉の痛みと高熱でダウンしてしまう。
 小学五年生の孫に「けーたん、大丈夫?」と心配され、元気な姿を見せようと立ち上がったところ、猛烈な吐き気に襲われ、トイレに駆け込んだきり動けなくなり、救急車で病院へ運ばれ、入院することになる。
 作者本人の経験を、いつか小説のネタにしたいと思いつつ書いたエッセイである。
・山口氏の講評
 一読して、たいへん軽快で読みやすい文章でした。文章を読む楽しさは感じさせていただいたんですけれども、「読者に楽しく読んでもらう」には、推敲がまだ足りていないと思います。ご自分の身に起こったことを書かれている段階で、ここから「どこが面白いのか」、自分の売りとしてどこをアピールするのか、考えながらどう練り上げていくか、その為の素材だなというふうに思います。
 文章は、一文一文わかりやすくお書きになれると思うんですけど、私がもし「これをエッセイとして練り上げたい」と相談されたならば、「この文章の売りはどこか」とまず考えます。ここで起こっていること自体は普通の人の身に起こることですよね。では読者に、感情の盛り上がりやぶつかり合いを感じさせる部分はどこにあるのか。自分の体調の変化でドキドキするプラス、家族に迷惑をかけたらどうしよう、という急な変化と、旅先での誰もがわかりやすいピンチを、どう盛り上げるかということだと思います。
 構成も、最初と最後が現在で、間に過去が挟まれているという構成ですが、これはあまり効果的ではないと思います。最初に予想できる流れとちがうような意外なことが起きる、というわけでもないですし。例えば、自分の具合が悪くなっていく過程で、それによってものすごく都合が悪くなることがある、という何か仕掛けを書き込むといいのでは。たとえばお孫さんをサッカーの試合に連れていけなくなって、孫にとっての一大事が自分の肩にかかっていたのに、とか、読者も「どうしよう」と思うような仕掛けを考えて、そこを感情のクライマックスにして読者も引きこんでいく、そのためにどうするか、ということを考えてアドバイスするかな、と思いました。

・信吾氏の講評
 文体や内容は近況報告みたいな感じなんですが、もしこういうお手紙が送られてきたら、非常に嬉しいと思いました。耳で聞くより情報量も多いし、リアリティも大です。しかもお人柄まで伝わってくる。文章を書くという行為には、小説という形をとること以外にもいろいろな種類、可能性があるのだなとつくづく感じました。
 自分の体験を書き溜めておきさえすれば、いつか小説に活かせますし、小説に係る機会を増やすことにもなりますので、実経験を書き留める習慣が付いたら、強いと思います。

・阿部氏の講評
 これはエッセイなんですね。すみません、私が少々勘違いしておりまして、小説として書かれたものだと思い込んでいました。それで色々と納得した部分もあるのですが、作者の方も今後これを小説にしたいとおっしゃっているので、もし私が作者だったらどうするかといった視点でお話をさせて頂きますね。
 講評の前に申し上げておきたいのですが、本来、作家が作家に対して意見を言うのは、神様が違う宗教の神様に文句を言うようなもので、非常に傲慢なことだと思っています。今回はプロの編集さんがいらっしゃっていますが、編集さんの視点と作家の視点は全く違いますし、プロを目指すならば編集さんの意見のほうがはるかに的を射ているはずです。講評を受ける作者の皆さんは、自分は神であるという前提で、「違う宗教の神が何か言ってるな」くらいの軽い気持ちで私の意見を聞いていただければ幸いです。
 今の段階で、既に小説にできるぐらいの情報量はあると思います。ただ、このままでは小説として成立しないですね。実体験を書いただけなので、いかにして小説的にしていくか、という点が課題となります。
 この作品のいいところは、まなざしが非常に細やかでリアリティがあるところだと感じました。固有名詞の出し方が上手だなと。まなざしの繊細さは、今後も武器として持っていただければと思います。そのうえで、これを小説にするためには、山口さんも指摘していた通りやはり構成を考え直さなければなりません。
 今の原稿ですと、まず現在の描写から始まり、これまでの経験や主人公の説明がありますね。そして過去の描写になり、現在から未来に戻ってくるという形になっています。一番問題なのは、過去の描写から、現在から未来に移り変わるところが非常に曖昧で、読者は「今」がどこなのか、自分はどこの視点に立っているのか、分かりにくくなっている点ですね。この曖昧さが難物なので、まずここを改変点として意識しなければなりません。

 私がこれを小説的に構成するならば、まず倒れた瞬間を描きます。この作品で小説の種になるなと思ったのは、「サッカーボーイに病気をうつすわけにはいかない」という一文でした。ここをきっかけとして、物語を展開させていくと小説らしくなるかな、と。自分のことより懸念すべきことは何なのだろう、とここで読者に謎を提示して、その謎を回収する形で物語を展開させるわけです。
 まず倒れた瞬間の描写を詳細にして、「伝染性の病気になるわけにはいかない」ということで読者を引きつけます。その次に、次女一家のことを説明して、孫が出てくると読者は「誰だろう」と思いますよね。そこから、次女一家と主人公にとって、サッカーボーイがいかに大切か、ということを提示することで、伝染させるわけにはいかなかった理由を一旦開示します。
 その後、病院の検査待ちの時間経過を追うことによって、今度は「伝染性の病気か否か」という不安を徐々に高めていき、最後の検査結果を最終的な謎解きに設定します。あなたは伝染性の病気ではないですよ、とわかってはじめて、肩の力が抜ける瞬間を描くわけです。サッカーボーイを主軸にすることによって、まったく同じことが起こっていても、謎の提示、クライマックス、終結という形で、構成が非常に綺麗になるかなと思いました。構造で考えたときに、より小説的な書き方をするとしたら、こうなるかなと思います。

 不運な事故で家族を亡くした洸が引き取られた先は、風呂と酒が大好きで、面倒なことは大嫌いな之布岐と、陽気な働き者の棗がいる薬草園だった。怒りと悲しみが鬼の形で出現し、衰弱していく洸、戸惑いながら洸の声と元の姿を取り戻すために奔走する之布岐と棗と、黒羽。やがて別れの朝が来た。
・山口氏の講評
 非常に精緻な表現力と、ご自分のイメージを伝えるパワーがある方だなと思いました。どういう感情を読者に起こさせたいのか、というのが伝わってきますし、イメージの豊かさや薬草園の描写は、感覚的に書ける方なのかなと思いました。
 この作品は、不運な少年がどうなっていくのかという入り方で、ラストまで読むと、少年の、あまりのつらさ哀しさが具現化して、鬼というイメージになり、彼岸に渡らせないはたらきをしているというこの少年の顛末が、四十九日を逆算して書いたことがわかります。全体的に、伝えたい思いがある作品で、そこはいいと思いますが、ちょっと分かりづらいかな?と。あらすじを読んで「こうとらえればいいのか」と初めてわかる部分もありまして、なぜかというと書き方が整理されていないんですね。これは阿部さんぐらいのプロの方でもそういうときがあるんですけど、ご自分の伝えたいことをわあーっと書かれているんだけれども、他人である我々が読むと、ここは一体何を表現している文なのでしょうか、となるんです。そういう感じで、ご自分の中ではしっかりとつながっている登場人物の行動などが、他の人にはわからない。それから、誰の視点で書いているのかというのが、これもご自分では決めていて分かっていて、しかもどんどん移っていくのだけれど、読む側はおいてけぼりにされます。だれの想いと行動が描かれているのか、わかりづらいんです。そういう「客観的な判断」がまだない、そのことのもったいなさが現段階で非常にあります。
 構成のことや、視点がぶれて読者をおいてけぼりにしてしまう問題は、本質的な問題ではなく編集者と一緒に直せていける部分ではあるんですけれども、とても重要な部分です。曖昧な気持ちで読者が進んでいくと、「こう見せたい」という作者の思いに読者がついてこれないことになってしまいます。整理整頓をくわえることが大事になっていくと思います。
 登場人物の名前も、難読漢字が多く使われていますが、何と読むのか頭の中で変換されずに読むのももったいないことです。あと、鬼の具現化のところで、商人がやってきて全部言葉で説明してしまっているところも、構成を工夫して最初のほうに持ってきたりすると、読者がイメージを膨らませることができると思います。

・信吾氏の講評
 出てくる薬草の量がすごいですね。分からない単語が出てくるたびに調べたんですけど、その都度、新しい発見があって、とても勉強になりました。内容的にも私の好きな分野で、まったく飽きませんでした。
 もうちょっと書き込んでほしいと思ったのは、薬草の処方の描写です。薬草の量に対して処方の描写が少ないので、薬草が宙ぶらりんになっている感じがしました。薬草をもちいた看護の描写に具体性が伴ってくると、例えば火傷の症状としてのジュクジュク感に、悔恨の情や心の闇などが自然に重なったりして、小説が生きてくるかなと思いました。
・阿部氏の講評
 こちらの作品は情景描写が美しくて、これを伝えたいんだという作者さんのパワーを感じました。ただ、看過できないのは、視点のブレが非常に多くて――これは私もやったことがあるので自戒を込めて言うんですけれども、読者さんはカメラがどこにあるのか意識しながら読むんですね。読者の視点に寄り添えないと、カメラ酔いしてしまうと申しますか。1行前と人称が変わったり、いきなりその人の心情が出てきたりする部分が散見されたので、読者さんが悪酔いしないように気配りをする必要があるかなと思いました。
 これは時代小説と考えるべきでしょうか。私はファンタジーかと思ったんですけれども。
南波氏「時代にこだわる必要はなかったんですけど、書きたいのは風景でした」)
 なるほど。実は、現代小説とファンタジーでは、書き方が全然違うのではないかと私は考えておりまして。この作品の場合は、ファンタジーの書き方のほうが合うかなと思ったので、そういった前提でお話をさせていただきます。
 ファンタジー小説の場合、現実世界を舞台にした小説と描き方が違う部分があります。それは何かといいますと、見えている風景がすぐには共有出来ないということなんです。現代小説や歴史小説だと「公民館」「図書館」と言ったり、「大奥」「江戸城」などと言ったりすれば、共通するイメージがあるからそれだけで処理できるんですけど、ファンタジーの場合は、作者が見ている光景が読者には見えていないんです。今回の作品は描写が非常に綺麗だったので、その気になればできるんじゃないかと思ったんですけれども、主人公たちが見ている風景や舞台背景がうまく読者的に消化できなくて、腰を落ち着けて物語を楽しむ前の段階で、つまずいてしまった感があります。彼らはどういった集落のどんなところに住んでいるのか、薬草園からはどんな山あいの風景が見えているのか、そういった、作者には見えているけれども読者にはまだ見えていない光景というものを、より詳細に描く必要があるとよいのではないかと思いました。でも、伝えたいという気持ちは非常によく感じたので、あとはそれをうまく出力していくことかなと思います。
 全体的に、描写と説明文、会話文とのバランスをもうちょっと意識して、整理されたら読みやすくなるかなと。

 目に光の入らないよう仮面を着け、踊りを踊る、闇の踊り子。彼らは、闇と一緒に踊ることで、素晴らしい踊りを作り出している。
 花嫁修業中の十二歳の女の子、リサは、闇の踊り子、ミハルにあこがれ、彼女に弟子入りすることになる。家族に内緒で練習し、その才能のおかげで闇の踊り子になったリサは、ミハルとともに舞台に立つようになる。
 ある日、ミハルは闇を見ることができなくなった。ミハルは夜中、一人で闇を探し、翌日死体となって発見される。ミハルがいなくなり、ほとんど毎日舞台に立つようになったリサに、縁談が舞い込んできた。踊りを続けたいため、縁談相手にネックレスをもらい、淡く恋心を抱いていたリサだが、その縁談を断る。
・山口氏の講評
 仮面とか、闇と踊るとか、闇にも男と女があって、恋愛がうまくいくと闇がいなくなっちゃうとか、ちょっと不思議などこだかわからない国のイメージですとか、ひとつひとつ印象に残させるアイテムのセレクトは非常にいいなと思いました。
 最後まで読んで一番感じたのは、アイテムのアイデアはいいけれども、最終的にこちらが受け取るものがバラバラの印象で、まとまっていない。ミステリなのか、童話的に書きたかったのか、あるいは女の生き方の物語なのか、統一感がなくて、ちょっと読み筋が落ち着かないな、ということでしょうか。
 作者の伝えたいことが、筋書きの文章のみで書かれているのはもったいないと思います。寓話的な書き方にしろ、ファンタジーとして書かれるにしろ、もう少し背景ですとか、この世界のルールみたいなものが必要です。たとえば、上流階級の花嫁修業はどんなことをするのか、闇の踊り子はどんな街のどんなところで見られるのか、などの背景を構成したうえで、その上澄みとして書かれると説得力があると思うんですが、書きたいイメージだけを書いていらっしゃる段階だと思うので、そこがぼんやりしたまま、話の筋だけが頭の中に残る感じになっているので、もっと書き込んで、どっしり地に足をつけたものにしていただいたほうがいいと思いました。

・信吾氏の講評
 この小説を読んで、自分の中にたくさんアイデアが湧いてきました。宝物がいっぱい落ちている小説ですね。例えば闇というと普通は黒色、暗いイメージですけど、この踊り子の闇は光っています。しかも色がありますね。色がある闇の世界ってどんなんだろう。ここに出てくる闇は二人しかいませんが、二人とも色が違っていて、薄い水色と黄色ですね。他の踊り子の闇はまた違う色なんだろうし、たぶん闇の世界にも、現世と似たような世界が広がっているんだろうなんて、勝手に連想していきます。闇同士の恋愛があってもおかしくないし、闇の世界から現世を見ている視点があってもいい。もっともっと書いてほしいです。
・真美子氏の講評
『闇の踊り子』というタイトルだけど、踊りについてあまり書かれていないので、もったいないと思いました。上橋菜穂子さんの『狐笛のかなた』(新潮文庫)という作品に、少女が結界を作る踊りが描かれているんですけど、それを読んでいると、実際に結界ができるような気がしてきます。おそらくですが、きちんと設定したうえで、全部書かずにちょっと引いて書かれているのではないでしょうか。そうすると逆に、読み手のほうのイメージが広がるんですね。参考になるのではないかと思うので、機会があったら読んでみてください。

・阿部氏の講評
 すごくいいなと思ったのが、そもそもの「闇の踊り子」というアイデアが非常に秀逸で、これを思いついた時点でほぼほぼ勝ちだな、と。あとは処理の仕方かなと思ったんですけど、これは本の中のおとぎ話のように、寓話的にしたかったんですか。それともその場にいるような感じになる、カメラが近いファンタジーにしたかったのですか。
宮本氏「あまり考えずに書きました」)
 そこは意識されていなかったんですね。実はこの作品はですね、私からすると、寓話的な書き方をしているところと、カメラを主人公に近づけた書き方が混在していて、読み手としてちょっと混乱してしまった部分があったんですね。全体的にもやっとした印象を受けるのはそこなのかなと思います。先ほど山口さんがおっしゃったことは、だいたい私も同じように思いまして、ファンタジーとしてカメラを近づけるのであれば、細かく描写する必要があるところがいくつかあるんです。短期間で書かれたそうですが、ハイ・ファンタジーを短時間で密度が高く書くのは非常に難しいことです。あえてコツというか、同じ状況になったとき何を重視すればいいかということを申し上げると、この作品では主人公の立場があまり書かれていないんですよね。裕福な家庭出身であることを示すならば「白壁のおうちでは」というように、簡単な造語を出してしまうのも手だと思います。他の世界ではどうか知らないけど私の作った世界ではこういう設定なんです、ということをある程度提示して、あえて自分で作ったルールの中で進めていくというか。
 こちらの原稿では話が進むうちに、主人公がいいところのお嬢さんなんだとだんだんわかってくるんですけど、その説明をするタイミングを一個逃すと、読者はこの人がどういう子なのかわからなくなってしまう。もっとカメラを近づけることを考えると、日中に娘がずっといないのを親が気づかないなんてあるかな、とかそういう細かいツッコミどころが出てきてしまうんです。寓話的な物語だったら問題にならないことが、部分的にカメラを近づけてしまったせいで違和感として表出してしまう。だからたとえば、カメラを近づけるならそこは徹底して、いつも行っているお裁縫の先生のところをこっそり抜け出して踊りの練習をしていたら、同じ先生のところに通っている子が「娘さんが最近来ないんだけど、病気にでもなったの?」と訊かれて母親にばれるとか、そういったこの世界ならではの、でもいかにも現実でもありそうなきっかけを作ってあげれば、それだけでだいぶ説得力が増します。

 あともうひとつ、寓話的な話だったらむしろそれをやったほうが効果的な場合もあるので、一概にこうだとは言えないのですが、口調にはもう少し気を配ったほうがいいかなと思いました。「ですわ」「なのよ」という言い方は、実際にそうしゃべる人はあまりいないですよね。キャラ立てさせたいとか、御伽噺感を出したいとか、あえてそれを使いたいという狙いがある場合はどんどん使っていいんですよ! でも、カメラを近づけてリアリティを出したいと思うのであれば、「女の子ってこうでしょ」という定型化した口調ではなく、その人にもっと踏み込んで口調を考えたほうがいいのではないかと。
 たとえばですが、朝起きたところの描写を「おはよう」「おはよう」と挨拶を交わした、とだけいうよりも、「ああクソ、今日は寝坊した!」などというふうに、そのキャラの性格や状況を示す独自の情報を少しでも盛り込むと、生活臭というか、リアリティが出ると思いませんか。こういうのが、リアルにファンタジーを書くということだと思っています。逆に寓話的に、「おはよう」「おはよう」の形式美を書きたいのであれば、今度はそこに意識を向けて、全体的にバランスを見ながらやっていく必要があると思います。微妙なこだわりというものが、全体的な精度を非常に高めますので、特に女性のセリフを書くときには、そこに一瞬だけ意識を向けると、変わるかなと思いました。

 私は海外出張から戻ってくる婚約者を待ちながら彼のアパートで牡蠣鍋を作ろうと思っていた。ところが、そのアパートには彼の前妻の娘らしき少女が部屋の椅子に座って『星の王子さま』に出てくるバオバブの絵を描いていた。
 少女は、私がこのアパートに来ることを承知していたように何の抵抗もなく受け入れてきたが、海から引きあげられた貝のように心が閉じている。互いの立場を気遣いすればするほどに傷つけ合うような雰囲気になってしまった。私は少女を受け入れようと試みるが、いつの間にか主従は交代して、私が少女に翻弄されながら自らの傷口と向かい合うことになる。
・山口氏の講評
 これは、やりたいことは最後のオチありきで、すべてが、実は人違いなのに、お互いの持っている環境や後ろめたさなどの心情がリンクして、偶然なんだけれども、自分がいま悩んでいることの棚卸しや、そこで深く考えるきっかけになったり、少女との会話によって何か新しく踏み出す心情が生まれてくる。気持ち的には真実が進行していくシーンのあとに、実はそれがまったくの勘違いだったことがわかるんだけれども、本当かどうかというよりも、心の交流があったことで、何か変化がある。勘違いのうえに成り立った面白さがあります。読み終わったあとに、「あんなふうに考えたことは全然意味がなかったのね」みたいな、自分の中でも振り返る余韻の面白さは、すごく感じました。
 より良くするにはどうするかっていうと、私はこの作品、リアリティがすべてだと思いました。もっともっとリアリティを突き詰めて、冒頭から「こういう人いるよね」「こういう状況の男女ってあるよな」と読者が思うような、完全に読者をその世界に連れていくようになると、もっとよくなると思います。今でも結構リアリティはあるのですが、彼との関係など、曖昧な部分も多いですし、アパートのある場所や生活レベルの描写もわかりにくいので、彼女と彼とのすったもんだの細かい内容ですとか、打算ですとか、もっと突き詰めていただくと、より面白くなると思います。
 バオバブと真珠というふたつのアイテムが出てきますが、ひとつでいいのではないかと思います。バオバブが出てくる場面は、例えばですが、この少女や主人公の性格が伝わるような場面として使う。そして真珠のところで、お互いに何かを見つけた、まやかしの心情のうえで真実を見つけてしまった、という王道クライマックスを盛りあげて描くと、ラストでどーんとオチて面白いと思います。

・信吾氏の講評
 『星の王子さま』のオマージュ的な小説で、とても面白かったです。文章力があり、安心して読み進めることができました。読み終わった後に、この続きを読みたい、とまず思いました。これは第一幕で、第二幕もきっとあるはずだ、と。
 部屋を間違えたことで偶然に知り合った女の子と、女の子の家族、それから主人公と主人公の彼氏。まだ本編には登場していないけれど、今後、彼らが対面することになったらどうなるのだろう。その場面を想像するだけでドキドキします。そこでも砂粒が真珠になるような化学反応を起こすのだろうか。起こすとすればどんな化学反応なのだろう。
 この物語はまだまだ膨らむと思います。そして、『星の王子さま』を突き抜けてほしいです(笑)。

・阿部氏の講評
 非常に面白くて、個人的に好きなお話です。描写が大げさじゃないのにセンスがよくて、構成も綺麗ですし、キャラクターも立っているし、普通に楽しんで読みました。そのうえで、二点ほど残念だなと思ったところがあります。
 まず一点目は、先ほどと同じではあるんですが、この作品こそ、女性の口調が損になっていると感じた最たる例です。こういう現代の話で、いわばリアリティ勝負、ディテール勝負の場合では、この古めかしい口調は大きなマイナス要素であるように思います。ここが違っていれば、女性読者がもっとのめりこめるのではないでしょうか。
 そしてもう一点が、読者の感情と主人公の感情が乖離してしまう瞬間がいくつかあったということです。彼女が少女のことをちょっと攻撃的に見ていたのが変わる瞬間というのがこの作品における重要なターニングポイントだと思うんですけれど、そこが、どのタイミングで変わったのか、やや見えにくかった。ここを丁寧に処理することによって、もっと読者がこの物語に入り込めるかなと感じました。
 具体例でいうと、少女を見た瞬間にはいい印象がなかったのに、主人公が「牡蠣鍋を一緒に食べよう」と提案する場面。主人公の心の動き方がやや唐突に感じてしまいました。起こっていることを変える必要は何一つないんですけれども、読者が主人公の心の変化を追いやすいように、少しだけヒントを多く与えていくことが必要かな、と思いました。ドアを開けたら知らない少女がいる、ここはびっくりするところです、っていうのを、あえて作者が読者のために作ってあげる。今の感じだと、ここはびっくりするところでいいんだろうか、とちょっとだけ戸惑うので、少しだけ導いてあげることが必要かなと感じました。
 ただ、私はこのオチが非常に好きです。このふたりの、偶然の邂逅という一瞬を切り取ったことで、物語として成立している。いっそのこと、このラストは手紙に書いてあった手書きの住所を誤認していた、という感じにしたほうがもしかしたらわかりやすかったかなと思います。部屋番号より、お父さんの名前を聞いて「あなたのお父さんって○○さん?」って聞いたら違う人だった、となったりとか……いや、いま自分で言いながら思ったんですが、ラストまでせっかく名前を出さずに処理してきたのに、そこで最後に名前を出すというのも芸がないかもしれないですね。これは難しいところだと思います。大変ですね、小説を書くのって(笑)。


※以上の講評に続く、後半トークショーの模様は本サイト内「その人の素顔」にてご覧ください。

【講師プロフィール】
◆阿部智里(あべ・ちさと)氏
 1991年、群馬県生まれ。大学在学中の2012年『烏に単は似合わない』で松本清張賞を史上最年少20歳で受賞。同作を第1巻として刊行された「八咫烏(やたがらす)シリーズ」は『烏は主を選ばない』『黄金の烏』『空棺の烏』『玉依姫』と続き、2017年『弥栄の烏』で第1部が完結。壮大かつ奥深い和風ファンタジーとして人気を博し、第2部の刊行が待たれる。作品は他に「八咫烏シリーズ」における登場人物の過去を描いた『八咫烏外伝 烏百花 蛍の章』、平成と昭和がクロスする小説『発現』など。
●烏に単衣は似合わない 八咫烏シリーズ 1(文春文庫)※松本清張賞受賞
●烏は主を選ばない 八咫烏シリーズ 2(文春文庫)
●黄金の烏 八咫烏シリーズ 3(文春文庫)
●空棺の烏 八咫烏シリーズ 4(文春文庫)
●玉依姫 八咫烏シリーズ 5(文春文庫)
●弥栄の烏 八咫烏シリーズ 6(文春文庫)
●発現(文藝春秋)
●烏百花 -蛍の章― 八咫烏外伝(文春文庫)
●烏に単衣は似合わない(1)イブニングKC 阿部智里(原作・監修)松崎夏未(漫画)
●烏に単衣は似合わない(2)イブニングKC 阿部智里(原作・監修)松崎夏未(漫画)
●烏に単衣は似合わない(3)イブニングKC 阿部智里(原作・監修)松崎夏未(漫画)
●八咫烏シリーズ外伝 なつのゆうばえ 【文春e-Books】
●八咫烏シリーズ外伝 ふゆのことら 【文春e-Books】
●八咫烏シリーズ外伝 あきのあやぎぬ 【文春e-Books】
●八咫烏シリーズ外伝 すみのさくら 【文春e-Books】
●八咫烏シリーズ外伝 わらうひと 【文春e-Books】


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