井上「もし小説に役割があるとしたら、自分が見えているものだけが世界のすべてではない、と知ってもらうことではないかと思います」
角田「100人いれば99人はしないことを、この人物はやっている。そこにリアリティを持たせるのが本当に大変です」
江國「場所を決めて人を作ったら、時間が流れれば小説ができると信じているので、私にとって一番難しいのは、小説の中で時間を流すことですね」

 第114回は角田光代氏、井上荒野氏、江國香織氏のお三方をお迎えして、小説を立体的に描くということや、それぞれの思う小説の難しさ、新作の読みどころなど、バラエティ豊かに語っていただきました。
◆みんなわかっていることばかり書きたがるけど/自分だけが理解できるように読みたい/小説に役割があるとしたら
――先ほどの講評でも、どうしてもみんな「わかりたい」「わかる話を書きたい」と思ってしまう、というお話をされていましたが、非常にいい話だと思います。

井上 そうね、みんなわかってることばかり書きたくなっちゃう。私自身が小説を書くときは、自分自身が「なんでなんだろう」ということを、書きながら考えていくという作業なんですね。それで、わからなくても核心に近づいていくという書き方をしているので。みなさんの作品を読むと、わかっていることだけをどう書くか、ばかりに心を砕いている感じなんですね。それじゃあ、読んでいても退屈だし、書いていても退屈なんじゃないかと思うんですけどね。

江國 私もそう思います。言葉で説明してはいけないんですよね。小説は言葉でできているんですけど、読者に五感を使わせて、匂いも感じさせてほしいし、見せてほしいし聞かせてほしいんですよね。そのためには、やはり立体的でないと。平面的な小説を読んでいても、説明されているだけだから、頭しか使わないわけですよね。ああわかるよ、ここはわかんない、ああ綺麗、そうか悲しいね、とか、そういうものではないんだと思うんですけどね。
角田 私はさっきの講評を聞いていて、書きたいことは埋めておいて読者が掘り起こすものでないと、という江國さんの意見に感銘を受けました。そうか、と思って。

井上江國 (笑)。
――角田さんもそうされてるじゃないですか(笑)。
角田 いや、なんとなく自分でも、書きたいことをそのまま書くことはしないようにしてますけど、そういうふうに言葉にしたことがなかったので、ほう、ほう、ほう、と思って(笑)。
――余分なものも書く、というのも大事なことですね。
井上 つまり、たとえばさっきのカーネーションの話だと、白いカーネーションは差別だと先生に言いにいくような女の子は、ではおうちではどんな子なのか。そこを想像していくということですね。どんな子だろう、と考えていくと、おうちではどうか、体育の時間は、遠足のときはどうか、と考えていくことが、小説を作っていくということだと思います。場面を書くことで、その子を作っていくんですよ。
江國 こういう子なんですよ、と言われたらつまらなくて、場面によって、気が強いんだなとか、こういうときは意外におとなしいんだな、とかを見せてもらって、自分だけが理解できるように読みたい。この子の感じがわかるのは自分だけ、と思いたいわけですよね。だけど、さっきの作品だと、誰が読んでも「なるほど」としか言いようがない。見せる、ということですけど、そのためには時間がかかるので、一個の場面だけでは無理で、時空間がいろいろ必要になります。

――世界を立体的に書く、その世界にしかないものを書くというのはいいですよね。誰も見たことのないものを書くという意気込みがほしいけど、難しいですよね。
井上 難しいんだけど、小説を書く意味ってそこにしかないと思うんですよね。だって、知っていることを小道具だけ変えて書いたって、つまらないじゃないですか。もし小説に役割があるとしたら、自分が見えているものだけが世界のすべてではない、と知ってもらうことではないかと思います。
角田 小説には、読んで考えが変わるきっかけになったりとか、影響力は持つものだとは思うけど、現実を変える力があるとは、私はあまり信じてはいないかな。
江國 小説を読みも書きもしなかったら、ひとつの現実しか生きられないんですよね。現実を変える力があるのではなくて、現実はひとつではないということを知らしめる力は、小説には絶対にあると思います。同じ時代の同じ場所にいる人たちの間ですら、ひとつではないから。
 小説が持つ力というのは、世の中や世界を変えるのではなくて、世界を一個の正解に歪めない力だと思います。小説には歪んだ事も書いてあって、一見矛盾しているかもしれないけど、ひとつの正解しかなければ、人間も偏狭になっていくし、危険だと思います。
◆小説の難しさ三者三様/『あちらにいる鬼』とモデル小説のあり方/行き先を決めずにロードノベルを書き始めるには
――小説を書いていて、どのような難しいことにぶつかりますか。
井上 それは常に、どんな小説を書いていても難しさはありますよね。なぜこの人はこんなことをするんだろう、とか、常に難しいことはあります。技術的なこととか準備とかでいえば、たとえば警察小説とかSFとかは、警察や科学のことをいっぱい調べないといけないとか、そういうことを別にすれば、何が難しいか、ということは私にはあまりわからないかな。

角田 私の場合、ほとんどいろんなことを知らないので、調べ物の苦労はいつもあります。いつも苦しいんですけど、でもそんなのはたぶん簡単なほうの書きにくさですね。私の場合はたぶん、小説にリアリティを持たせることが非常に難しい。話を聞きながらいま考えていたんですけど、リアリティを持たせるために、私はけっこう心理描写をするんですね。その人はなぜこういうことをしたのか、というのを書く。さっき私が言った、和夫くんの心理を書きすぎている、ということと矛盾するじゃないかと思われるかもしれないんですけど、そこが非常に難しくて。その主人公を知り尽くしていちゃダメで、その人が私と同じ気持ちで行動していてはダメで、その人はその人の論理なり何かに拠って動いていて、自分のことじゃないその人のこととして、いかにリアリティを持たせるか。それは私にもよくわからないんですけど、100人いれば99人はしないことを、この人はやっている。 そこに説得力を持たせるのが、非常に大変。心理を書きつつも、それでも私のわからないことをまだする、というところまで書くのは、自分にとってすごい書き悩むところですね。
――角田さんは充分にそこを書かれていますよね。江國さんと荒野さんも、「角田さんはすごいよね」という話をされています。
角田 (顔の前で手を振りながら)もういいです、その話はやめてください(笑)。

井上江國 (笑)。
――江國さんはどうですか、小説の難しいところは。
江國 難しいといえば全部が難しいんですけど、もしひとつ例を挙げるなら、知らないことを書くより知ってることを書くほうがむしろ私には難しくて。『彼女たちの場合は』(集英社)でアメリカを舞台にして書いたんですけど、その中には自分が行ったことのある街も、行ったことのない街も出てきます。行ったことのない街は、ガイドブックとか写真集を見ながら書くんですけど、そっちのほうがむしろ書きやすくて。知っている街だとつい、旅をしているのは主人公であって私じゃないのに自分の気持ちが入っちゃったり、自分の過去にあったことを書いたりしてしまう。その距離の取り方が、難しいことのひとつです。

――では小説の難しさに絡めて、新作の話をお聞きしたいと思います。荒野さんは『あちらにいる鬼』(朝日新聞出版)で、お父さんの井上光晴先生と、瀬戸内寂聴さんと、お母さんとの三角関係をお書きになりましたが、よく書かれましたね。これは難しかったでしょう。

あちらにいる鬼

「あちらにいる鬼」(朝日新聞出版)
井上 難しかったですね。でも難しいと同時に、書いていてぞくぞくするようなところがありました。これは私にとって初めてのモデル小説です。実際に寂聴さんにも取材をして、母は亡くなっているので自分の想像で書きました。一緒に暮らしていましたから、どういう出来事があったかとかはわかるんですけど、母の気持ちは私にとっては謎なので、そこは難しかったです、ものすごく。寂聴さんも、話してくださるんですけど、本当に本当のところはおっしゃらないじゃないですか。そこを書くのはすごく大変でした。

角田 人間の心理が怖いんだけれども、怖いだけじゃなくて、何か清らかなものがあって、それが愛情とか恋とは位相が違うところまでいくんですよね。何か見たことのないものに触れさせられるところが、面白かったです。
井上 さっきの角田さんと同じで、目の前で褒められると、頭の内側に汗をかきますね(笑)。
江國 私も褒めますけど、すさまじく面白かったです(笑)。私は荒野さんのお母さまにも寂聴さんにもお目にかかったことがあるし、現実とからめた興味を最初は持っていたんですけど、読み始めてすぐそれは関係なくなって、そこで描かれている名前の人物になるんですよね。あれは荒野さんでなければ、同じだけ取材をしたとしても書けない小説だなと思いました。

――モデル小説として興味半分で読んでも楽しめるんですけど、途中からそんな問題ではなくなって、作家である夫を持つ妻の視点がすごく利いていて、なんともいえない内省というか、書くことを通して人はいかに結びつくのかとか、自分の望む人生を生きるための真実とは何かとか、そういった普遍的なテーマを静かに突きつけてくるようでした。

井上 書き上げたときは達成感がありましたね。みんなわりと「よく書いたね」と言うんですけど、みんなが思うような大変さはあんまりなかったというか。モデル小説なんだけど、私にとっては創作です。父と寂聴さんの濡れ場とかもあって、インタビュアーはそこがどうだったかとか聞いてくるんだけど、それは全然気にならない。自分の父親と、自分の知っている寂聴さんをモデルにしたことではあるんだけど、自分にとっては小説の登場人物になっていたんだと思いますね。
――江國さんの『彼女たちの場合は』は、ロードノベルですが、こういうジャンルは最近珍しいですよね。

彼女たちの場合は

「彼女たちの場合は」(集英社)
江國 23歳のころに友だちと旅をしたんですけど、ふたりとも年齢のわりに幼くて、心細いから顔が陶器でできてる赤ちゃんの人形を抱いてバスで旅をしていたんですよ(笑)。そうしたら、一緒にバスに乗ってる人が「女の子?」「お顔を見せて」とか言ってきて、見せたらお人形なのでぎょっとされたりしながら(笑)、一週間ぐらい旅をしていたんです。あるときたまたまその話をしたら、当時「小説すばる」の編集長だった人が「それ面白いですよ、書きましょうよ」と言ってくれたので、いつか書くと約束したんです。でもそのまま時は流れて、その編集長は亡くなってしまったんですけど、別の編集者と話をして、書くことになりました。でもそれは連載を始めるきっかけでしかなくて、主人公の年齢も17歳と14歳になっているし、小説は自分たちの旅とは全然違うものになっています。

――大きな事件はないんですけど、非常に生き生きとしていて楽しくて、読ませる力がありますよね。江國さんはストーリーを決めないで書き始めるそうですが、今回は主人公たちが慎重でなかなか危ない目に遭わない、とインタビューでおっしゃっていたのが印象的でした。
江國 旅をするということだけ決めていて、どこに行くのかも何をするのかも決めていませんでした。今まで書いてきたものの中で初めて、書きながら主人公たちをうらやましく思ったんです。親のクレジットカードを持っていてお金もあるし、若いし、時間もあるし、何でもできるじゃないかと思って旅をさせたんです。途中でもっと大それたことをしてもよかったの、彼女たちは。何年も帰らなくてもいいし、好きな人ができて一緒に住んじゃってもいいし、ケンカをして別々の場所に行ってもいい。と思ったのに何か仲がよくて、何か注意深いので、悪そうなやつを差し向けてみたりもしたんですけど、全部かわして、被害に遭わない(笑)。何か切り抜けてくれて、4ヶ月の旅をして無事おうちに帰るまでの話になりました。
――自分が作者なのに(笑)。これが江國さんの書き方なんですよね。観察して人物を動かすという、作者なのに作者じゃなくて傍観者みたいな感じなんですね。
角田 そういう書き方ができる人は天才だからであって(笑)、私なんかは最初にこの人たちはどういう性格で、どこへ行くのか道のりも全部決めないと動かせないです。観察するという感覚は私にはないので、聞いていてうらやましいなと思いますね。

井上 うらやましいし、かっこいいですよね。私も全部は決めないけど、半分くらいは決めておかないと怖くて書き始められない。行き先は決めなくても、登場人物のことは細かく決めてから書きます。
江國 それは私も一緒よ。登場人物がどういう人たちかというのは細かく決めるんですけど、場所を決めて人を作ったら、時間が流れれば小説ができると信じているので。さっきの質問に答えると、私にとって一番難しいのは、小説の中で時間を流すことですね。小説の中に時間が流れていれば、絶対に小説はできるんですけど、それが難しいですね。
◆『源氏物語』から得たものは/作家の矜持とは/スランプに対する考え方
――角田さんは『源氏物語』の現代語訳を手がけられていますが、得られたものはありますか。

源氏物語 上 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集04)

源氏物語 上巻(河出書房新社)

源氏物語 中 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集05)

源氏物語 中巻(河出書房新社)

源氏物語 下 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集06)

源氏物語 下巻(河出書房新社)
角田 『源氏物語』がどんな話か、よーくわかりました(笑)。もう小説は5~6年も書いていないので、来年からまた書くために、源氏物語のゲラチェックの合間に、6年前に一編だけ書いた連作小説の続きを試しにまた書いてみたんです。書けることは書けるけれども、書き終わったあとに、いいのか悪いのかさっぱりわからなくて、判断しようがない。前は「届かなかったな」「これはある程度できたな」というのがもうちょっと明確にわかったんですけど、今はまったくわからなくて、困りました。来年から連載がまた始まるので、すっごい困ってるところです。『源氏物語』はもう訳自体は終わっていて、校正をすごくたくさんやるんですね。いまは3回目の校正をしているところで、それを12月の何日かまでに返せば、来年の2月に下巻が出ます、という状況です。

――みなさん、ぜひ期待してください。以前、角田さんが「スランプに陥ったと思ったけど、スランプじゃなかった」という話をされていましたね。
角田 覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、スランプに陥ったかと思ったけどそうじゃなくて、ちょっと連載が多すぎたんですね。出しすぎちゃって、もうちょっと仕込んで熟成させたりインプットしたりという、練る時間がほしい、もっとゆっくり書きたいということであって、スランプとは違ったと気づいた、という話を、たぶん7~8年前にさせていただいたと思います。
――例の「ゲラ発見事件」もそのころですか。
角田 それはたぶんもっと前ですね。これはですね、自分の部屋に見知らぬゲラがあって、誰が書いたんだろうと思って見たら、自分がある雑誌に連載したものだったんです(笑)。これも『源氏物語』が終わったら、たぶん出すことになると思います。

――連載したけど本になっていない作品ってけっこうあるんですよね。
井上 私も3本ぐらいありますね。版元にはもう「すみませんすみません」です(笑)。連載したけどあとでもっといい話を思いついて「もう一回連載させてください」と頼んだことがあります。
江國 私もけっこうあるんですが、本を出したくないとは申し訳なくてなかなか言えなくて。本にしたくないんです、と言ったことは4回あるんですが、そのうち3本は贈り物攻撃などで編集者に押し切られて、本になっていないのは1本だけあります。これって作家の矜持にかかわることですから。出ちゃったら、その1冊だけを読んで「これが江國香織か」と思う人もいるかもしれないので、それで判断されるのはいやだなと思ったりとか。本って、仮に売れなかったとしてもどういう形で残るかわからないから、本当は強く言うべきだったのに。
――でも、ファンはそういう作品も読みたいんじゃないですかね。
江國 うーん、ファンより自分が大事(笑)。だから、本当は荒野さんみたいに「もっといいものを書くから」と言うべきなんですけど、けっこう押しに弱いんです。

角田 贈り物って、どんなものですか。
江國 CDとか本とか、写真集とか。
――安いじゃないですか(笑)。
江國 値段の問題じゃなくて(笑)、イメージの一助になればとか、やる気になるような、と思ってくれたものでしたね。あとはお酒とかお菓子とかもくださったりとか。
――スランプになったことはありますか。
江國 私はないです。いや、なくはないかもしれないんですけど、自分にスランプという発想がないんですよ。絶好調ということもないし、不調だとかスランプということもなくて。そこはあんまりわかんないですね。
井上 私もない。デビューしてから12年書けなかった時期はあるんですけど、あれはスランプじゃなくて、まだ書き方がわかっていなかったから。それから後は、好不調の波はありますけど、全然書けないとか、そういうのはないですね。いつもよりちょっと難しいことやっちゃったなとか、ちょっと間違ったことやっちゃったなとか、そういうのはありますけど。

◆人称の使い分け方/推敲のタイミングと手放す秘訣/タイトルの付け方三様
――では時間もなくなってきましたので、質疑応答に入ります。
男性の受講生 一人称と三人称や、視点の使い分けはどういった根拠でされていますか。
江國 私は根拠が自分でもよくわからないんですよね。その都度としか言いようがなくて。都合もありますね。もし完全に誰かの一人称にしたら、別の人の気持ちを言葉で書くことは絶対にできないから覚悟がいるし、その人の世界観や言動が非常に大事になるし。完全な三人称にするのはまた別なリスクがあって、私に関してはですけど、全体を俯瞰して書くのは苦手なんですよね。人物を観察しながら書くので、このときこの人は、そのときその人は、と動かすみたいな気がするから、ちょっと苦手だったりして。だからその中間の、誰かに寄った三人称視点を取ることが多いです。でも何かルールがあって決めているわけじゃなくて、その作品に合ったものをその都度判断するしかないかな、と思います。

井上 技術的なことをいうと、その小説のどこまで明らかにしながら書くか、ということですね。たとえば主人公の企みを最後まで隠しておきたいのであれば、その人の一人称では書けないし。逆に神の視点で全部の人の三人称で書いて、だけど心の中はいっさい書かないというやり方だってできるし。それは、その小説の何をどこで明かすか、ということで私は決めていくような感じだけど、まあわりと感覚だよね。たとえば「私は目を覚ました」と書くのか、それとも「荒野は目を覚ました」と書くのか、それはちょっと書いてみないとわからないかもしれない。書いてみて、「こっちの方がいいや」と思うこともありますねよ。
角田 私もほぼ一緒です。
女性の受講生 私は、小説を書いていると推敲ばかりして終わらないことがあるんですが、先生方はどんなタイミングでどれぐらい推敲されていますか。
角田 私は、書き終わってから締め切りの日まで何度でもするし、もっとよくなる気がするので何度でもしたくなっちゃうんですよね。だけどそれをやりすぎると逆に悪くなることもあるから、ご自分で締め切りの日を決めて書かれるといいのではないでしょうか。
井上 私はその日に書き終わった分を、次の日の朝とかにまた読み返して、続きを書くというやり方をしています。推敲は大事だけど、でも書き上げるということがまず何よりも大切だと思います。
江國 まったくそのとおりですが、すごく気持ちがわかるのは、連載だったらいいんだけど、書き下ろしでいついつまでにお渡しすると決めたときにも、ほぼそのときには終わらないし、ひどいときには出だし30枚だけ4バージョンぐらいできちゃったりすることがあって。だから、もっとよくなる気がするから手放せない、というのはよくわかるし、だから連載という仕組みがあってよかったなと思っています。
 締め切りがあるつもりになる、というのは角田さんぐらい鋼鉄の意思があればできると思うんですけど(笑)、実際にはない締め切りを、あるつもりになっても、でも明日までやってても問題はないんだなと思ってやっちゃうから、賞に応募するとか誰かに読んでもらうとか、本当の締め切りを作るのがいいと思います。

女性の受講生 前半の講評で、タイトルを工夫すべきという意見がありましたが、先生方はタイトルの付け方についてどのように注意されていますか。
角田 私はタイトルをつけるのが下手なので、タイトルのうまいお2人が答えてください(笑)。
井上 私はメモをいっぱい書いて、その中から言葉を選んで付けます。『あちらにいる鬼』のときは、まず「愛の鬼」という言葉があって、でも「愛」という言葉は使いたくなかったから「鬼」を使うことにして、これは俳句の手法なんですけど、普通なら「鬼」と結びつかないような言葉を持ってきます。そこで「あちら」というちょっと丁寧な言葉をくっつけました。
江國 私も同じことをしています。どういう話を書くか、中身がないまま、こういうタイトルの小説があったら自分は読んでみたいな、かっこいいな、と思う言葉はためてあります。でも付け方はケースバイケースだし人によるし、こういうのがいいタイトルでこういうのは悪いタイトル、ということはないですが、タイトルが中身の要約みたいになっていると、ちょっともったいないなと思いますね。まだプロでない人でしたら、せっかくタイトルで選考委員とか誰かの気を引くチャンスがあるのに、もったいないなと思うので、その人なりの工夫を感じさせてほしいなと思います。

男性の受講生 五感を刺激するといい、と講評でおっしゃっていましたが、五感の中でとくにこれは効果的だとか、優先順位をつけるとしたらどうなりますか。
江國 優先順位はないと思う。だけど、小説というのは文字で世界を見るわけだから、たとえば味覚を第一にするのはほぼ無理ですよね。仮に食べ物のことばかり書いてあって、たとえばおいしいハンバーグを書くとしても、お店の様子とか盛り付けとかの視覚が先にあるわけですから。結果的には視覚が多くなると思いますけど、だけどそれは優先順位ではないんですよ。優先順位は自由でいいし、必ずしも五感の全部が揃っていなければいけないというわけでもないんだけど、できればいろんなところを使って、イメージを豊かに書いてもらえたほうが、読むほうもイメージしやすいし、世界が立体的になると思います。
井上 私も同意見です。
角田 私も同感です。
――いろいろもっとお聞きしたいことがたくさんあるのですが、残念ながら時間となりました。今日はありがとうございました。

(場内大拍手)

【講師プロフィール】
角田光代(かくた・みつよ)氏
 1967年、神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞を受賞する。そのあとも「ロック母」(川端康成文学賞)『八日目の蝉』(中央公論文芸賞)『ツリーハウス』(伊藤整文学賞)『紙の月』(柴田錬三郎賞)『かなたの子』(泉鏡花文学賞)と受賞作が続く。小説のほかに旅のエッセイや書評集もある。文學界新人賞、文藝賞、すばる文学賞、小説現代長編新人賞などの選考委員を務めている。
井上荒野(いのうえ・あれの)氏
 1961年、東京都生まれ。89年「わたしのヌレエフ」で第1回フェミナ賞受賞するが、その後小説を書けなくなる。2001年に『もう切るわ』で再起。04年『潤一』で島清恋愛文学賞、08年『切羽へ』で直木賞、2011年『そこへ行くな』で中央公論文芸賞、16年『赤へ』で柴田錬三郎賞、18年『その話は今日はやめておきましょう』で織田作之助賞を受賞する。著書に『ベーコン』『つやのよる』『ママがやった』『結婚』、父・井上光晴と母と瀬戸内寂聴の関係を描いた『あちらにいる鬼』などがある。
江國香織(えくに・かおり)氏
 1964年、東京都生まれ。89年「409ラドクリフ」でフェミナ賞、92年『こうばしい日々』で坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、99年『ぼくの小鳥ちゃん』で路傍の石文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、04年『号泣する準備はできていた』で直木賞、07年『がらくた』で島清恋愛文学賞、10年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、12年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞受賞。小説以外に詩作や海外絵本の翻訳も手掛ける。
【講師書影】
角田光代氏
●源氏物語(河出書房新社)池澤夏樹編集 日本文学全集 角田光代翻訳
●幸福な遊戯(角川文庫)※海燕新人文学賞受賞
●まどろむ夜のUFO(講談社文庫)※野間文芸新人賞受賞
●対岸の彼女(文春文庫)※直木賞受賞
●ロック母(講談社文庫)※川端康成文学賞受賞
●八日目の蝉(中公文庫)※中央公論文芸賞受賞
●ツリーハウス(文春文庫)※伊藤整文学賞受賞
●紙の月(ハルキ文庫)※柴田錬三郎賞受賞
●かなたの子(文春文庫)※泉鏡花文学賞受賞
●坂の途中の家(朝日文庫)
●希望という名のアナログ日記(小学館)
井上荒野氏
●あちらにいる鬼(朝日新聞出版)
●潤一(新潮文庫)※島清恋愛文学賞受賞
●切羽へ(新潮文庫)※直木賞受賞
●そこへ行くな(集英社文庫)※中央公論文芸賞受賞
●赤へ(祥伝社)※柴田錬三郎賞受賞
●その話は今日はやめておきましょう(毎日新聞出版)※織田作之助賞受賞
●あたしたち、海へ(新潮社)
●ママがやった(文春文庫)
●ベーコン(集英社文庫)
●つやのよる(新潮文庫)
●結婚(角川文庫)
●綴られる愛人(集英社文庫)
江國香織氏
●彼女たちの場合は(集英社)
●こうばしい日々(新潮文庫)※坪田譲治文学賞受賞
●きらきらひかる(新潮文庫)※紫式部文学賞受賞
●ぼくの小鳥ちゃん(新潮文庫)※路傍の石文学賞受賞
●泳ぐのに、安全でも適切でもありません(集英社文庫)※山本周五郎賞受賞
●号泣する準備はできていた(新潮文庫)※直木賞受賞
●がらくた(新潮文庫)※島清恋愛文学賞受賞
●真昼なのに昏い部屋(講談社文庫)※中央公論文芸賞受賞
●犬とハモニカ(新潮文庫)※川端康成文学賞受賞
●つめたいよるに(新潮文庫)
●ホリー・ガーデン(新潮文庫)
●ウエハースの椅子(ハルキ文庫)
Twitter Facebook