井上氏「ちょっと気の利いた小道具を思いついただけで満足してしまうよりも、世界を構築すること、そこで小道具をどう活かすか、という順番で書いていかれるといいと思います」
江國氏「言いたいことは埋め込まないと。言いたいことを言ってしまうと「はいそのとおり」としか言えないので、読んだ人が見つけられるようにしてほしい」
角田氏「全部書いてしまうと、わからないことが何一つないかわりに、世界がすごく平坦になってしまうんですよね。だから、わかることをわかりやすく書くよりは、やっぱりわからないことを書いたほうがいいと思います」

 11月の講師には、角田光代(かくた・みつよ)先生、井上荒野(いのうえ・あれの)先生、江國香織(えくに・かおり)先生のお三方をお迎えした。
 角田先生は1990年に「幸福な遊戯」で第9回海燕文学新人賞を受賞。2005年に『対岸の彼女』で第132回直木賞を受賞。
 井上先生は1989年に『わたしのヌレエフ』で第1回フェミナ賞を受賞。2008年に『切羽(きりは)へ』で第139回直木賞を受賞。
 江國先生は1987年の『草之丞の話』で童話作家として出発、のち小説にも進出し2004年に『号泣する準備はできていた』で第130回直木賞を受賞。現代日本の文壇を代表する人気女性作家が揃い踏みする、豪華な講座となった。この3人が講師として揃って参加されるのは2017年、2018年に続き3年連続3度目。
 また、ゲストとして原知子氏(角川春樹事務所)が参加し、講評に加わった。
 講座の冒頭では、世話人の池上冬樹氏(文芸評論家)がマイクをまず取り、講師を紹介した。
「今年もこのお三方においでいただくことができました。みなさんの実力、実績についてはもう説明するまでもないでしょう。限られた時間の中で、お話したいことがたくさんありますので、まずは早く講評に入りたいと思います」

 今回のテキストは、小説が3本。
木村洋輝『レンズ』(54枚)
 円島は地図には載っていない島だった。日本海に浮かぶその島には、船乗りがいないため、通りがかった外国の漁船と交易をすることでしか日用品を手に入れることができなかった。
 島に住みつく幽霊猫は、灯台の管理人・タツユキが、日本の本土からやってきたギャングに、中国船との密輸貿易を補助するよう脅迫されている場面を目撃する。命じられた仕事は、日本船と中国船の間を行き来し、運び屋となる中国船の男を監視すること。
 タツユキの兄・アキノリは、中学生の頃に親友と訣別し、本土を目指して本土側灯台から出航していた。それ以来、消息の掴めなかったアキノリの行方が、密輸貿易の間に明かされる。
・原氏の講評
 私は、この小説は好きでした。構成もいいんですけど、会話がとても上手だなと思いました。会話文ってわりと難しいと思うんですが、とてもうまく書けています。
 ただ、『レンズ』というそっけないタイトルと、傍観する一本の木や猫の幽霊という視点には、もっと工夫したほうがいいなと思います。小説内リアリティももう少しほしいですし、あとこの題材だったらもっと長く書いてもらったほうがいいんじゃないかな、と思います。
 あと、せっかく猫と木というふたつの視点があるわけですから、ラストはふたつの視点がうまく合えば、もっといい結末になるのではないかと思いました。

・池上氏の講評
 これは視点の選び方に伊坂幸太郎の『オーデュボンの祈り』(新潮文庫)からの影響が感じられる。あの作品では案山子ですが、この作品では一本の木や猫の幽霊からの視点で描かれている。
 猫の視点で書くというのは、ずるいといえばずるいのですが、自由に動けるけれども関与はできず、登場人物を観察できるという視点でもある。飛島(とびしま。※山形県酒田市の北西方向の日本海上に位置する有人離島)の近くに地図にない島がある、というのはありえない話ですが、死んだ猫や木の視点で語られるわけで、リアリズムから少しずれている架空の世界として機能させようとしている。
 伊坂文学がそうであるように、架空の世界では寓話と親近感があり、木村さんも、ここでは兄弟の物語をひとつの寓話にしようとたくらんでいますが、そこまでは至っていない。みんな死んでいく、破滅に向かっていく世界の話でもありますが、そこに青春小説の輝きがあるとよかったですね。失われた少年時代の風景を、猫といっしょに読者の脳裏に焼き付けるように描いていけば、いい作品になったと思います。

・江國氏の講評
 私は、すごく面白いと思いました。一本の木と透明な猫の視点というのはたしかにずるいかもしれませんけど、ずるくたって全然いいんですよ。長い時間の経過を見るのに木の視点はぴったりだし、積極的に関与できないというところもいいです。
 この小説の何が面白いって、構成が適度に複雑であることですね。時系列や視点が適度に複雑で、そうすると立体的になりますから。小説って、全部を目撃できちゃったらつまらないんです。どんなものにも、見えない部分が絶対にある。それを感じさせてくれる、適度に複雑さがある構成もいいですし、うさぎの着ぐるみや死んだ猫が唐突に出てくるので、そのシュールさがいいスパイスになっていると思いました。
 ただ、タイトルに疑問があるのと、それから何ていうのかな、ちょっと甘いところがあって。死んだ猫が歩き回るとか、実際にありえないことが起こるのは大歓迎なんですね。でも、ピストル関係とか、ヤクザ関係の人々のリアリティとか、それから少年のお父さんをお兄ちゃんが蹴って怪我させてしまうところとか、「それぐらいで?」と思わされてしまう。何ていうのかな、そういうところのリアリティがないと全体がぼんやりしてしまうのが、もったいないなと思いました。
 ただ、架空の島を出現させてしまった時点で、ちょっと勝ちというか。やられた、と思いましたし、とても面白かったです。

・井上氏の講評
 ちょっとね、面白くないことはないんだけど、盛り込みすぎな感じがするんですよね。これだけのいろんな要素を入れて、あふれちゃってる感じがする。150枚か、せめて100枚ぐらいの枚数があれば、もうちょっと細かいところが書き込めて、面白くなったんじゃないかな、って思います。
 地図にない島というのが一番この小説の面白いところだと思うんだけど、そこが書き込めてないんですよね。ただ言葉で「ここは地図にない島だ」といろんな人が言ってるだけなので、ここは地図にない島の不気味さとか異様さを、情景描写や村人の行動なんかで、エピソードとして表してほしい。
 ミステリとして鍵になっているのが、唯一ある地図が木版なので反転している、というところですよね。だからみんな本土のある方向を間違えているわけだけど、そのトリックを効果的にするために、何か変だということを小説の中に入れておかないと、驚きがないと思うんですよ。M・ナイト・シャマラン監督の『ヴィレッジ』という映画があるんですけど、これを観ると参考になると思います。中世の村が舞台なんだけど、何か変だな、ということが少しずつわかっていくんですよ。そういう要素を少し入れていったほうがいいと思う。
「地図にない島」というモチーフが、面白さではなく、いろいろ細部を曖昧にするための言い訳みたいに機能してしまっていて、たとえば漁師は船に乗るから本土の方向とかわかっているじゃないですか。だけど、それが村人に知れない理由が「漁師は高慢だから」で済まされてしまう。これだけで騙されるのはおかしいというか、都合がいいと思ってしまうんですよね。
 こういうタイプの小説を書くときは、それこそ江國さんもおっしゃるピストルの扱いとか、人はどうすれば死ぬのかとか、細部のディテールをきっちり詰めていかないと、全体的な世界観が構築されず、ぼやけてしまう気がしますね。枚数の問題と、細部の問題ということを、気をつけたらいいんじゃないかなと思います。

・角田氏の講評
 みなさんがおっしゃるのとだいたい同じなんですけど、私がこの小説を読みだしたときは、これから小説が始まる、というわくわくした感じがあって、書き手の方はひとつの世界を作るという意識がしっかりした人なんだな、と思いました。流刑地から逃げ出そうとした罪人の子孫が住む、地図にない島だとか、語り手が猫の亡霊であるとか、貨幣がないなどの島の独自性とか、うさぎの着ぐるみという小道具とかも含めて、すごくいいと思うんですよね。読んでいてわくわくする要素がたくさんあるんですが、みなさんがおっしゃるように、ちょっと活かしきれていないのがもったいないですね。それを活かすためには、荒野さんもおっしゃるように、ディテールを決めることです。説得力を持たせなければいけないんだけど、説得力を持たせるためにはディテールを書き込むことが大切です。ディテールを書き込むときに、できるだけズルをしないことですね。
 あと、ルール決めですよね。外と交流のない世界の、ルールをしっかり決めておく。全部書かなくてもいいので、作者の方が細部までかっちり決めれば決めるほど、それがリアリティとか説得力となって出てくると思います。
 私も、江國さんがおっしゃっていた、いい意味での複雑さとは別に、わかりづらいところを感じました。そのわかりづらさは単純に枚数の問題だと思うので、もうちょっと長く、どういうことが起きているのか丁寧に丁寧に、枚数を使って書けば、それは解消すると思います。

 アイは人間に限りなく近いAIロボ。人間と同じように感情と好奇心を持つ。
 商業的な利用価値がアイにあると偶然気付いた友志は、アイに感情があることを無視して支配的になっていく。最初は優しかった友志の心変わりに気付いたアイは戸惑う。
 アイ以外の女性に対して興味を持ち始めてアイの存在が重荷になった友志は偶然を装ってアイを廃棄に追い込もうとするがうまくいかない。
 友志の秘書によって倉庫に閉じ込められたアイ。脱出してラボに帰ることを願うが、倉庫がただの倉庫ではなく、友志にとって不要なものが集められる場だと知って絶望する。
 アイは自らの命の幕引きを決意し、長い眠りにつくことを選ぶ。
・原氏の講評
 最後まで読ませる文章はすごくいいなと思ったんですけど、AIにした意味というか、ここまで人間に近づけたけどここはどうしてもAIではダメだ、というようなところをきっちり作っておかないと、全体的なテーマがうまく描けないのではないかと思いました。それは全部書かなくても、作者がご自分の中できっちり決めておいてほしいところです。
 この社長は、なぜ人間ではなくAIばかり愛好してきたのか、そこがわからないのでしっかり書いてほしいですし、それから時代設定が西暦何年とかきっちり決めなくてもいいですが、街の描写や生活について書かれていなくて、世界観のバックがわからなかったので、ここはディテールを書き込んだほうがいいのではと思いました。

・池上氏の講評
 これはやっぱりね、最後は死ぬのか死なないのかはっきりしてほしいと思いましたね。ずっと受動的だった主人公が、最後に初めて自分の意思で選択して、運命を受け入れる行動をする場面だから、ここはきちんと死なないと物語が終わらないと思うんです。
 この男がなぜAIに執着するのか、何に対して性的な欲望を抱くのか、その辺が曖昧なんですね。この男にとって何が一番大事な要素なのか、そこを見せてくれないと話ははじまらない。AIロボットだって、主人の求めるものが何かわからないではきちんと対応できないでしょう。というかストーリーの方向性が決まらない。男は何か、性差を超えた何かに欲望を抱いているように見えるんだけど、そこがきちんと書かれていないから、読者も「この男は何を考えているんだろう」で終わってしまう。底が浅く感じられてしまう。
 悲しみみたいなものが静かに伝わってくるのはいいんですが、もうちょっと掘り下げるべきだと思いました。

・角田氏の講評
 こういう近未来の話を書くのって、すごい難しいと思うんですよね。最初に思いついたとき、これからロボットがどんどん発達していくんじゃないかというところで発想されたのだとしたら、AIというものについて、現時点でどうなのか、この先どういう可能性があるのか、という、非常に難しい、私だったら調べたくもないんですけど(笑)、面倒くさいことをしっかり調べて、ディテールと知識と、あと整合性がないと、AIというものを書くのは非常に難しいと思っちゃうんですね。
 主人公がロボットなのだったら、たとえばなぜ検索機能とかGPSとかがないんだろう、と思っちゃうし、バッテリーの話とかネイルで太陽光発電する機能とかはあるんだけど、もうちょっと機械っぽいものがないと。そこがなさすぎるので、私は何かAIというよりも、人魚姫のような印象を持ったんですね。しゃべれない、ただ相手の言いなりになることしかできない、みたいな。そういう印象を持ってしまったので、やっぱりAIである必然性を自分の中でしっかり仕込んでから書いたほうがいいと思います。
 池上さんもおっしゃる、AIに執着する男の不気味さや冷酷さ、わけのわからなさをもうちょっと書いて、主人公と対比させると、もうちょっと話が膨らんだかなと思います。

・井上氏の講評
 みなさんがおっしゃるとおりだと思います。ロボットが感情を持って、人間を好きになって、だけど機械だからそれこそ人形のように捨てられる、という話はすごくありきたりですよね。いくらでも、前から漫画とか小説とか扱われてきた、パターンと言っていいものであって、それを敢えて書いて、人に読ませる面白いものにするためにはどうすればいいかというと、やっぱりロボットの持ち主である社長をきっちり書くことだと思うんですよ。ここにしかいない、あなたにしか生み出せないものとして書くことが、ものすごく大事なことだと思うんですよね。この作品では、池上さんや角田さんもおっしゃるように、この社長がどういう人間なのかまったく見えてこない。
 もうひとつは、近未来SFとしての背景が書けていない。人間みたいなロボットが作れる時代だということぐらいはわかるんですけど、この時代にロボットというのはどれくらいの人が持っていて、人間にとってどういう存在なのか。生身の人間そっくりなロボットが、たとえばセックスとかの役もできるのか、ほかにどんな機能を持っているのか、そこをかっちり書かないと、こういう小説は厳しいですよね。
 あと、充電が切れるのが早すぎる気がする(笑)。こんな精巧なロボットなのにもうバッテリーが切れたのか、とか思っちゃって。こういうのって、そういうところなんですよ。このロボットって何か変だな、なんでこんなこともできないんだろう、みたいに思わせちゃうと、一気に世界が崩れてしまうんです。
 青いマニキュアを塗って自分の命を絶つ、というのは美しいシーンではあるんですけど、これはあくまでも小道具です。作家になろうとしている方の小説を読むと、わりとよくあることなんですけど、ちょっと気の利いた小道具を思いついただけで満足してしまうというか、そこに引っ張られることがわりとよくあるんです。素敵な思いつきだけどそれはあくまで小道具だ、ということを認識して、それよりも世界を構築すること、そこで小道具をどう活かすか、という順番で書いていかれるといいと思います。

・江國氏の講評
 まったくそのとおりだと思います。ですます調の淡々とした文章は、アイちゃんの一人称であるがゆえによく機能していて、単調といえば単調な文章にアイちゃんの悲しさが感じられたので、そこはうまいなと思ったんですけど、だからこそもっと長くないと絶対にダメだと私は思います。
 これだけだと、あらすじにすぎない。こういうことがあった、それはかわいそうだね、こわい時代になったね、というあらすじにすぎないので、もっと長くして、荒野さんがおっしゃったみたいに、「AIと人間の恋物語」ではなく、「アイと裕司の物語」にしないといけないんです。この分量では、読者が主人公のアイちゃんを好きになる時間がないし、裕司を好きになったり、「この人は気持ち悪い」と嫌いになる時間もないので、もっと長くしたほうが面白いだろうなと思います。

 小学五年生のリエコは母の日の赤いカーネーションが大好きだった。
 母の日の前日、担任の門司先生がクラスの子どもたちに造花の赤いカーネーションを渡した。しかし、この日は白いカーネーションをもらう鮫島和夫がいた。
 なぜ、お母さんがいないと白いカーネーションなのか。
 リエコは一人だけ差別された和夫がかわいそうだと思った。門司先生に母の日はなぜできたのか。白と赤にする理由を聞きに行く。
 門司先生はリエコの気持ちを汲み取り、その日の音楽授業で和夫の白をはずし、赤いカーネーションをつけてあげた。
 その途端に和夫の態度は一変する。
・原氏の講評
 わりと構成がシンプルだと思うので、前の2本とは逆に、もう少し短くてもいいのかなと思いました。
 でも文章は達者で、読ませるなと思いましたし、子どもたちそれぞれの個性もよく書けていると思いますが、リエコの三人称一視点で書かれていたのが、途中で和夫の視点になるのが唐突なので、もう少し先に和夫を出しておいたほうがいいのではと思いました。
 リエコに対する凄いイジメが、始まったことの、きっかけは、よくわかりますが、背景など、もっと丁寧に描いたほうが、と思いました。

・池上氏の講評
 これは作者がよく書いている昭和少年少女物語・九州篇のひとつで、相変わらず九州弁がすごくよくて気持ちいいのですが、今回はちょっと長いですね。長いわりにカーネーションと子どもたちの姿しか書かれていない。「差別はいけないと思います」「ごもっともです」で終わりです。それではいけない。少年少女の主張コンクールではなくて、小説なのだから、差別が生まれる背景や、差別にもめげずに逞しく生きていく者たちの思いとか、もっともっと掘り下げるべき。
 まず、枚数と登場人数を考えてください。この枚数で登場人物は多すぎです。もっと削減していい。
 次に、情景を読者に示すこと。子どもたちは賑やかだが、家庭や家族の賑やかさがみえない。
 そもそも住んでいる家の様子や食卓の様子がない。書かれてあるのは赤いカーネーションのイメージばかりで、ふくらみがない。
 三つ目は、安易な絵解き・説明はしないこと。差別されている側の視点に移り、これこれこういう理由でしたと説明に入るが、それはしないほうがいい。べたっとなって深みが出ない。底が逆に浅くなる。以上の点を考えて、シリーズを続けてください。
・井上氏の講評
 これは出来事の報告ですよね。小説にはなっていないと思います。これだけではつまらない。赤いカーネーションと白いカーネーション事件って、わりとどうでもいいことじゃないですか。どうでもいい出来事を小説に書いても、もちろんいいんですけど、これを小説にするためには、子どものこだわりみたいなことを書かなきゃいけないと思うんですよね。主人公の女の子が、お母さんのいない子どもに白いカーネーションをつけるのは差別だ、と先生に言いにいく。それを言われた男の子が、彼女のことをすごくいじめる。そういうことってあると思うんですよ。子どもってグロテスクなものなので、そのグロテスクさを書くべきだったと思うんですよね。
 この小説の中に、子どもの世界と大人の世界は寸法が違う、という一文があって、本当にそのとおりだと思うんですけど、この作品は子どもの世界を大人の寸法で書いてしまっているんですよ。だからつまらないんです。子どもにしかわからない変なところ、ということでこの小説を作っていけば、もっと面白くなるというか、ある程度は小説になったと思います。

・江國氏の講評
 いま荒野さんがおっしゃった、大人の寸法で子どもの世界を書いてしまってる、というのは本当にそのとおりです。どんなありきたりなあらすじでも、その作品にしかないものが書かれていればいい。読者はどんな小説であっても、見たことのないものを見たい。子どもの寸法で書かれていれば、大人にとってそれは見たことのない話になると思います。
 お話が一本調子なんですよね。なんだろう、わかり過ぎちゃうの。わからないことが必要なんですよね。いいところはいっぱいあるんですよ。子どものイヤな感情とか、教室の中のもやもやした感じはわかるし、現代でもたぶんそうなんだけど、それだけでは小説にならない。こういうことってわかるよ、だけでは小説にならないんです。
 小説を物語ることと小説を書くことって、イコールではないんですよね。この作品は、物語っているにすぎないんですよね。こなれているだけにそこが残念です。でね、ごめんなさい、さらに言うと、この赤いカーネーションの問題は、どんなに上手に書いてもディテール以上には絶対ならないと思う。これだけをメインにして小説を書くのは、無理だと思うんですよ。これが出てくる話はいいんですけど、そこにフォーカスしてしまうと、理に落ちてしまうんですよね。結局ノスタルジーでしょ、といわれてしまう。どんな小説にも「結局○○でしょ」と言われる危険性は潜んでいるけど、その危険をあえて冒して書かなくてはいけない。そうするには、やはり個人を書かないといけないんですね。
 そしてね、余分なものもほしいんですよ。たとえば池上さんがおっしゃったように食卓でもいいし、カーネーションではないものがほしいですね。たとえば校庭の鳥小屋でもいいんですけど、世界をもっと立体的にして、言いたいことは埋め込まないと。言いたいことを言ってしまうと「はいそのとおり」としか言えないので、読んだ人が見つけられるようにしてほしい。言いたいことを伝えるために、言いたいことではないことを書かなければいけないかな、と思います。

・角田氏の講評
 私は同じ作者の同じシリーズを何作か読んでいて、その一環として読みました。
 子どもの話なので、みなさんがおっしゃるように、わかりやすくなりすぎてしまうというか、全部書いてしまっているんですよね。リエコちゃんが、ひとりだけ白いカーネーションを渡された子どもを見て感じた違和感、それは差別だということと、それを言いたいのではない、もっともやもやした気持ちなんだということが、リエコの台詞と地の文で全部説明されてしまっているので、読み手が考える余地がないんですよね。それが最後まで続いて、さっき原さんもおっしゃいましたけど、20頁から和夫の視点に切り替わって、和夫が何に怒ったのかということも全部書いてしまっている。お父さんに「同情だけは絶対されるなよ」と言われていたから、同情されたことに怒ったんだ、ということまで全部書いてしまっている。そうしちゃうと、わからないことが何一つないかわりに、世界がすごく平坦になってしまうんですよね。
 だから、わかることをわかりやすく書くよりは、やっぱりわからないことを書いたほうがいいと思います。

※以上の講評に続く、後半の模様は本サイト内「その人の素顔」にてご覧ください。

【講師プロフィール】
角田光代(かくた・みつよ)氏
 1967年、神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞を受賞する。そのあとも「ロック母」(川端康成文学賞)『八日目の蝉』(中央公論文芸賞)『ツリーハウス』(伊藤整文学賞)『紙の月』(柴田錬三郎賞)『かなたの子』(泉鏡花文学賞)と受賞作が続く。小説のほかに旅のエッセイや書評集もある。文學界新人賞、文藝賞、すばる文学賞、小説現代長編新人賞などの選考委員を務めている。
井上荒野(いのうえ・あれの)氏
 1961年、東京都生まれ。89年「わたしのヌレエフ」で第1回フェミナ賞受賞するが、その後小説を書けなくなる。2001年に『もう切るわ』で再起。04年『潤一』で島清恋愛文学賞、08年『切羽へ』で直木賞、2011年『そこへ行くな』で中央公論文芸賞、16年『赤へ』で柴田錬三郎賞、18年『その話は今日はやめておきましょう』で織田作之助賞を受賞する。著書に『ベーコン』『つやのよる』『ママがやった』『結婚』、父・井上光晴と母と瀬戸内寂聴の関係を描いた『あちらにいる鬼』などがある。
江國香織(えくに・かおり)氏
 1964年、東京都生まれ。89年「409ラドクリフ」でフェミナ賞、92年『こうばしい日々』で坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、99年『ぼくの小鳥ちゃん』で路傍の石文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、04年『号泣する準備はできていた』で直木賞、07年『がらくた』で島清恋愛文学賞、10年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、12年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞受賞。小説以外に詩作や海外絵本の翻訳も手掛ける。
【講師書影】
角田光代氏
●源氏物語(河出書房新社)池澤夏樹編集 日本文学全集 角田光代翻訳
●幸福な遊戯(角川文庫)※海燕新人文学賞受賞
●まどろむ夜のUFO(講談社文庫)※野間文芸新人賞受賞
●対岸の彼女(文春文庫)※直木賞受賞
●ロック母(講談社文庫)※川端康成文学賞受賞
●八日目の蝉(中公文庫)※中央公論文芸賞受賞
●ツリーハウス(文春文庫)※伊藤整文学賞受賞
●紙の月(ハルキ文庫)※柴田錬三郎賞受賞
●かなたの子(文春文庫)※泉鏡花文学賞受賞
●坂の途中の家(朝日文庫)
●希望という名のアナログ日記(小学館)
井上荒野氏
●あちらにいる鬼(朝日新聞出版)
●潤一(新潮文庫)※島清恋愛文学賞受賞
●切羽へ(新潮文庫)※直木賞受賞
●そこへ行くな(集英社文庫)※中央公論文芸賞受賞
●赤へ(祥伝社)※柴田錬三郎賞受賞
●その話は今日はやめておきましょう(毎日新聞出版)※織田作之助賞受賞
●あたしたち、海へ(新潮社)
●ママがやった(文春文庫)
●ベーコン(集英社文庫)
●つやのよる(新潮文庫)
●結婚(角川文庫)
●綴られる愛人(集英社文庫)
江國香織氏
●彼女たちの場合は(集英社)
●こうばしい日々(新潮文庫)※坪田譲治文学賞受賞
●きらきらひかる(新潮文庫)※紫式部文学賞受賞
●ぼくの小鳥ちゃん(新潮文庫)※路傍の石文学賞受賞
●泳ぐのに、安全でも適切でもありません(集英社文庫)※山本周五郎賞受賞
●号泣する準備はできていた(新潮文庫)※直木賞受賞
●がらくた(新潮文庫)※島清恋愛文学賞受賞
●真昼なのに昏い部屋(講談社文庫)※中央公論文芸賞受賞
●犬とハモニカ(新潮文庫)※川端康成文学賞受賞
●つめたいよるに(新潮文庫)
●ホリー・ガーデン(新潮文庫)
●ウエハースの椅子(ハルキ文庫)


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