「小説って、言語のみで表現するものじゃないですか。言語って、論理なんですよ。ロジカルな部分がないと、絶対にうまくいかないんです。感性だけで書くことは、言語を使う限り無理なんですよ」

 第110回は三浦しをん氏をお迎えして、読者の反応の受け取り方、題材や技法上の挑戦、感性と論理性についてなど、池上冬樹氏の司会のもと語っていただきました。
◆エッセイの「脚色」ということ/言いたい事も言えないこんな世の中は/「顔面で小説は書いてない」のに
――しをんさんの新しいエッセイ集『のっけから失礼します』(集英社)が8月に出ました。今回は、山形と芋煮の話もありますね(笑)。というわけで、エッセイの書き方についてまたお聞きしたいと思います。


三浦 うーん、あまり気負わずに書くということですかね。面白かったこと、興味深いと感じたこと、何でもいいんですけど、それを気負わず気取らず書く。先ほどの講評でも取り上げた新堂さんのエッセイは、いつもそういう感じで楽しいですよね。そういうふうにすればいいと思います。
――楽しく読ませるため、笑わせるために事実を誇張や脚色する、さじ加減はどうされていますか。
三浦 私は笑わせようと思って書くことはないですが、読者に伝わりやすくするために時系列を多少変えたりはしていますね。現実って、何もかもが順序立てて起こるわけではないですから、わかりやすく整理はします。時系列以外でも、実際にはその場に他にも人がいたけど、なぜその人がいたのか説明するとややこしいからいなかったことにする、とか。
 起きてもいない出来事を書くことは、私はしないんですけど、エッセイと銘打っていても、そこに書いてあることが実は全部虚構でした、という人も中にはいるみたいですね。でもそれは誰かを騙すための嘘じゃなくて、日常ってこんなこともあるよね、という意味での誇張表現のようなものなので、それもアリじゃないかなと思います。エッセイも小説と同じく創作物ですから、どれだけ現実に即して書こうとしたって、書き手のバイアスは当然かかってくるものですし。
――自分の体験を「友人の話」ということにしたり、逆に人から聞いた話を自分の体験談として書く、という人もいますね。そういうことは誰も検証できないし、文章の力が第一ですからね。
 しをんさんの場合は、自虐的なユーモアを前面に出すことが多いですか。
三浦 自虐しているつもりもないんですけど、あるがままの生活を書くと、「この人哀れだな」という感じになっちゃうだけです(笑)。でもね、その按配がまた、最近難しいんですよ。マナーがウザい、っていう話とも通じるんですけど、自虐すぎるのもウザいと言われるんですよ。でも自慢なんかしようものなら総叩きですよね(笑)。それはエッセイに限らず、芸能人とかもそうでしょうし、人前に出る仕事ではない我々であっても、ちょっと外れたことをしたり言ったりしたら叩かれるかも、みたいな同調圧力がすごくある気がするんですよね。自虐も自慢もダメって、どうすりゃいいんだ。言いたい事も言えないこんな世の中じゃP●ISONですよ(笑)。でも、「適度な按配」っていうのは受け取る人によってちがいますから、あんまり気にしてもしょうがないし、私は以前と変わらず、書きたいことは書くようにしています。

――前におうかがいしたときは、自分の本が出たときはネット上でエゴサーチして読者の反応を見る、とのことでしたが、今でもされていますか。
三浦 エッセイは飾りようがないから、気に入ってもらえなかったら仕方ないんですけど、小説の場合は、ちゃんと伝えられたかどうか知りたくて、小説の新刊が出た直後はわりとエゴサする派です。まあまあ、それはね、いろいろなご感想がありますよね(笑)。今よりも昔のほうが多かったんですけど、女性は容姿のことをいろいろ言われるんですよ。別に顔面で小説書いてないからな、顔は関係ないだろ、と思うんですけど。男性作家の顔面なんて、特に誰も気にしないじゃないですか。でも女性作家はそういうことを言われがちな傾向にある。書き込むのは男の人だけじゃなくて、女の人もそういうことを書き込んでると思うんですよね。まあ、「滅びろ」と思うんですけど(笑)、昔はそれで傷ついていましたよね。でもやっぱり、他人の顔面についてどうこう言う人のほうがおかしいと思うので、最近はあまり気にならないというか、どうでもいいと思うようになりました。
――作品について批判的なことを書かれていたときは、どう思いますか。
三浦 それが一理あると思ったときは、素直に申し訳ないと思うし、どう書けばより伝わるものになったのかな、ということを考えますね。でも、だいたいのご指摘に関しては、こちらもすでに検討し尽くしたうえで書いていますから、「ごもっともかもしれませんが、私にも確信と反論がありまして……」と心の中でひっそりお返事します(笑)。書いている人はみなさんそういうものだと思います。
 いろんな意見があるのは当然のことで、私は次に活かすことを考えるためにいいかなと思ってご感想を調べるんですけど、でもすごく衝撃を受けてしまう方もいらっしゃると思います。性格によりけりなので、気になりすぎちゃう人は自作についてエゴサなんかしないほうがいいですね。

◆「特別賞(その他)」とは/新聞連載の書き方と禁じ手/シリーズ作品への本音
――現時点での小説最新作『愛なき世界』(中央公論新社)は、日本植物学会賞の特別賞を受賞されたとのことですが。

三浦 ありがたいことです。学会賞は基本的に論文に与えられるものなんですけど、他に特別賞というのがあって、「特別賞(技術)」「特別賞(教育)」「特別賞(その他)」に分かれているようです。(技術)というのは実験とかの技術革新をした人に、(教育)は中学生とか高校生とかに興味を持ってもらう活動をしている方たちに贈られるんです。(その他)は技術でも教育でもない「何か」に与えられるもので(笑)、小説が選ばれたことはこれまでなかったみたいです。『愛なき世界』は植物を研究している人たちの話なんですけど、「若い研究者の姿が伝わるし、実験の描写も事実に基づいている」と評していただけました。
――しをんさんの場合は、辞書(『舟を編む』光文社文庫)や林業(『神去なあなあ日常』徳間文庫)といった題材の選び方や、手法の面でも『ののはな通信』(KADOKAWA)の書簡体や『あの家に暮らす四人の女』(中公文庫)での谷崎潤一郎オマージュ、『むかしのはなし』(幻冬舎文庫)での昔話リライトなど、挑戦的な作品を多く書かれていますが、植物学をテーマにするというのは難しかったですよね。
三浦 私は理系のことが全然わからないんですけど、今回は植物学の先生から、「『舟を編む』は辞書の小説でしたが、植物学の研究をしている院生も頑張っていて面白いので、興味を持っていただけると思います」っていうメールをいただいたんです。私自身もけっこう植物は好きなので、研究室にお邪魔してみたら、すごく面白かったんです。それで本格的に取材させていただくことにしたんですけど、植物学って新種を採集して標本を作ったりしているのかと思っていたら、全然そういうことじゃなかったです。現在の最先端の研究は、遺伝子がどうこうとかで、しかもレジュメや論文は英語なんですよ。研究者の共通言語は英語なので。しかも専門用語が多いから、一生懸命スマホで翻訳して、でも翻訳で出てきた日本語の意味が専門的すぎてわからない(笑)。困りましたけど、その取材をしているときだけは一時的に英語の読解力がちょっとだけ上がりましたね(笑)。

――これは新聞連載だったんですよね。毎回2枚半ぐらいかと思ったら、まとめて送っていたとか。
三浦 新聞連載って、今は書き手もみんな真面目らしくて、1ヶ月分とかまとめて送っているんですって。私は1週間分とかでしたけど、何十枚か書けた端から、まとめて送るんです。それを向こうで一日分に分けてくれるんですけど、そうは言っても紙面の枠にうまく収まらないときもあるので、その場合はこちらで行数を調整したりして、それで掲載されるんですね。ですので、1日1日、何文字×何行でぴったり収まるように、とかそういうことは考えなくていいシステムになっていました。書き手によっては、毎回2枚半の中で起承転結をしっかりつける人もいるそうですけれども、そうするとあとで長篇としてまとまったときに、読み心地にちょっと違和感が出てしまうかなと思ったので、私は一日ごとの起承転結はまったく考慮せず、通常の長篇と同じように書きました。
 あと、新聞小説では極力回想を入れないようにしました。新聞に毎日掲載されるものなので、読み逃がす人とか、途中から読み始める人もいますよね。だから、あまり複雑な時系列やメタ構造のものはやめたほうがいい、と担当の記者の方から言われたんです。ストーリーが時間に沿って先へ流れていくもののほうが、読者がついていきやすいですよ、と助言されました。
――題材や書き方でいつも挑戦的なことをされていますが、シリーズものはあまり書きたくない気持ちもあるんですか。
三浦 そうですね、徳間書店から出していただいてる「神去なあなあ」シリーズとか、「まほろ駅前」シリーズ(文春文庫)とかもあるんですけど、これは書き切れなかったところがあるなと思って2冊とか3冊ぐらいになっただけで、基本的にシリーズものはあまり書きたくないですね。この後この人たちどうなるのかな、と想像するのも楽しいと思いますし、私は小説でも映画でもそういうものが好きなので、シリーズにして全部説明しなくてもいいかな、と思っていますね。

◆「共感」「ほっこり」はNGワード/人生に伏線はないッ/「小説家になる」ことが目的なら、やめたほうがいい
――最近は新人賞を取ってデビューしたら、すぐシリーズ化させようとする傾向がありますね。しをんさんはR-18文学賞などいくつも新人賞の選考委員をされていますが、最近の新人賞の傾向はどうですか。
三浦 R―18に関して言うと、以前は性的な描写を入れる規定があったんですが、リニューアルでその規定がなくなったんですね。女性のための物語、ということは変わらないんですけど、たしか分量の規定が50枚で、それだけだと本にならないから、担当者がついて、「小説新潮」で短篇をいくつか書いていくことになるかと思います。最近は応募作をもとに、連作短篇にする方が多い気がします。新人賞を受賞してすぐに、いきなり長篇の連載は荷が重いこともあるでしょうし、連作短篇だと書きやすいからいいですよね。今は短篇集よりも、ひとつの話としてつながっている連作短篇のほうが断然売れるそうですし。なので、連作短篇として原稿が貯まったら単行本にする、という形にしているようです。
 三十枚や五十枚のみで完結する、独立した短篇小説って本当にいい作品が多いし、その作家の技量を見極めるのにも最適だと思うんですよ。でも、今は単独の短篇を読むという習慣があまりなくなったようで、「オチがぼんやりしている」「登場人物たちがどうなったのか、はっきりわからなくてモヤモヤする」という感想を持つ人が多いですね。短篇のキモは伏線とかオチとかだけじゃない! はっきり書かれていない部分を、余韻とともに想像するのが短篇の味わい深いところだろう! と思うんですけど(笑)。
 そういえば、「読みやすい」ということも妙に重視される傾向にありますけど、読みやすいから読み解きやすい小説だ、とは限らないですよね。平易な言葉で構成されていて、文章のリズムもよくて読みやすかったとしても、その小説が描こうとしていることは文字面どおりではないかもしれない。それが読解ということなんですけど、「最初の頁から最後の頁までするする読めた=この小説を読んだ」と思う人がけっこういらっしゃる気がします。文字を読めたことと、小説を深く読みこめたこととは、また別ですよね。真の意味で読むのって難しいなと、私は読書をしていて感じることがしばしばあります。
 あとは、そうですねえ……。なぜか、本を読んで「共感したい」「ほっこりしたい」という思いを抱く人が増えた気がする。それぐらい日常や生活でつらかったり閉塞感を覚えたりすることが多いということなのでしょう。でも、私自身は読書に「共感」や「ほっこり」を求めたことがないので、どうもそのあたりの感覚がピンと来ない。応募作を拝読するとき、個人的な共感や好みに左右されすぎないように気をつけたいと思っていますし、自分で小説を書くときも、読者に共感していただけるかどうかはまったく気にしていないです。ただそうすると、読者の求めるものや感覚から乖離しすぎてしまうおそれもあるので、これもまた按配が難しいですね。

徳間書店 国田氏 短篇の話でいうと、ここで三浦さんの『きみはポラリス』や、『天国旅行』など(いずれも新潮文庫)、素晴らしい作品集であると力説してしまいます。読んでいるさなか、脳に創造的な刺激を与え、読後、新しい世界が眼前に開けるような体験を得られました。未読のかたには是非、お薦めします。『きみはポラリス』は2007年刊行ですので、20代後半か30代初めという、お若いときに書かれた作品です。この若さでこれだけの深い小説世界を生み出すとは、何という才能! ただ者ではないと、ひれ伏す思いでした。
 そして、『きみはポラリス』は、今年の夏の文庫フェアで、沢山平積みになっています。これらの作品は何十も版を重ねていて、新たな読者に届いているということで、素敵です。やはり、短篇の世界の広がりは滅びないですね。
三浦 ありがとうございます(笑)。まあわたくし、自分でもそんなに短篇が下手なほうではないと思うんですよ。これ自慢ね、いつも自虐ばっかりしてるからたまには(笑)。でも、「短篇、よくわかんない」と言われる率が高まったな、と感じます。出版してから10何年か経ってる本なので、例のエゴサで感想の変遷を見ると、本が出た当初と比べて、短篇を読み慣れていない人が多いんだなということがすごくわかります。みんな、伏線とか明確なオチを求めるんですよ。短篇において、それってそんなに重要なことかなあ、読みどころは他にあるんじゃないかなあ、と思うんですけれど。

――ミステリなら伏線を重視するのもわかりますが、ミステリでない作品でも伏線うんぬんというのは、おかしいですね。
三浦 そうそう。人生に伏線はないッ。
 だからまあ、デビューするとシリーズ化できるような作品を望まれるというのも、単体だと手に取ってもらいにくいから、数を重ねて行けるものを求められるということなのかもしれませんね。でもそれが新人の作者にとって、あるいはその人が書こうとしている小説にとって、いいことなのかというと、一概にそうとは言えないと思います。もちろん小説家は職業ですから、より多くの読者に喜んでいただけるような小説を書く工夫も必要だとは思います。でも、なによりも、ご本人が書きたいと思えるもの、「これがいいんだ」と心から思えるものを、自由に書き続けられる状況であればいいなと思います。つまり、出版不況ってなかなかつらいよね、って話です(笑)。
――新人賞の場合は、どういうところに目をつけますか。うかがった話では、コバルトの選考会では数時間もかけて議論をされるということですが。
三浦 かかります、かかります。2ヶ月にいっぺん、30枚の短篇の賞をやってるんですけど、コバルト編集部の10名ぐらいの方と私とで、だいたい4作の候補について、4時間はかけて議論して決めていますね。選ぶときはもちろん作品本位です。賞の締め切りに向けて小手先で書いたな、というような作品は絶対に見透かされるんですよ。芯から自分で書きたい小説を書いていないような作品は、情熱がないから選ばれないですよね。それはどの新人賞でも同じだと思います。
 よく、編集者からは「小さくまとまった作品より、破綻していても力のあるものを」と言われるんですけど、最近はみなさん書く力がむちゃくちゃ上がっていて、日本語が変な作品とかなくて、ちゃんとした構成の作品を送ってこられる方がすごく多いんですよ。でも、読んでいて全然ワクワクしない、小説を読むのも書くのもあまり好きじゃないんだな、と感じられる人がいますね。「小説家になる」ということ自体が目的なのかな、と思う人がちらほらいらっしゃるんですけど、先述したとおり出版不況ですし、小説を好きでもないのに職業として選ぼうとしているのであれば、それは考え直したほうがいいです。小説家ってあんまり儲からないので(笑)。

◆理論派と「うわごと派」/小説は平等な世界/言語とは論理である
――松本清張賞の選考会は、どのぐらい時間がかかりますか。
三浦 場合によりますね。スムーズなときは1時間ぐらいで決まったこともあったように記憶していますが、それぞれ推している作品がバラけて、一作ずつ細かく検討していく場合は、2時間ぐらいはかかります。でもあの賞の選考委員は理論派の人が多くて、うわごとみたいな曖昧なことを言う人がいないから(笑)、総じてスムーズな印象です。「どこがどうとは説明できないけど、とにかくこれがいいんだよね」みたいなこと言われても、困るじゃない。そういう人に限って自分の考えを曲げないから、いくら議論しても絶対折れないし。話がぜんぜん通じないと、困るよねえ。
――誰がうわごと派なのか、はここでは聞かないことにしましょう(笑)。松本清張賞はプロ・アマ問わずの賞ですが、略歴は考慮されますか。
三浦 ま、私が一番うわごと言ってる気もしますけど(笑)。略歴については、どうだったかな。(略歴を書いた)ペラ紙一枚ぐらいはもらったかもしれないけど、でも私はそういうの読まないで臨むので。
――最近の賞では略歴は選考委員に見せないで、純粋に作品の良し悪しを論じる事が多いようですね。僕も最終候補を選ぶ予選委員をやっていますが、応募者の情報はないです。評価が拮抗して、揉めてどうしようかというときに、この作家はどういう人なの? と編集部に聞いて、参考にすることがありますが、基本的には評価に関係ない。

三浦 そういう意味では、小説を書くって平等な世界ですよね。性別も年齢も、経歴とか容姿とかも関係ないですしね。
 小説を書くうえで、文章や構成などいろいろ理論はありますが、あまり気にしなくていいと思います。もし、理論どおりに実践できるのであれば、私だってとっくに大傑作を書けてるはずですよ(笑)。
――もういくつも傑作を書かれてるじゃないですか(笑)。
三浦 いいえ(きっぱり)。よくプロットの立て方という話がありますが、私はそういうのを習ったことなくて、「なんとなく……?」としか言いようがない。うわごと派(笑)。
 とはいえ、展開を最初から最後までしっかり考えてから書いたほうがいいのか、ストーリーがどう展開していくのかきっちり決めきらずに書いていくほうがいいのか、それは作品によって違うと思うんです。プロットの立て方よりもまず、いま書こうとしている小説が、はたしてどちらのタイプの小説なのか、見極める能力を磨くのが大事かもしれません。書く経験を重ねると、どっちなのかわかるようになると思います。
 新人賞の応募作の中には、ちゃんとプロットを立ててから書いたほうが、もっとよくなったはずなのにな、と思うものもあるんですよね。さっきの講評で話した時系列の間違いとかは、プロットと言うほど仰々しいものではなく、ポイントを外さないためのメモ書きか、頭の中だけでもしっかり記憶しながら書けば、簡単にクリアできるはずです。
 ご自身で、「プロットを立てるのは得意だけど、どうも登場人物が生き生きしない」と思われる方は、登場人物の性格や置かれた状況などをよく考えたのち、あえてプロットを立てずに書いてみる。反対に、「登場人物の会話やシーンは浮かぶんだけど、うまくストーリーがまとまらない」と思われる方は、一度きちんとしたプロットを立ててから書いてみる。不得意な面をのばすための訓練をしてみるのは、効果的だと思います。
 小説って、言語のみで表現するものじゃないですか。言語って、論理なんですよ。ロジカルな部分がないと、絶対にうまくいかないんです。感性だけで書くことは、言語を使う限り無理なんですよ。肉体表現であるダンスとかを考えても、いきなり素晴らしいダンスを踊れる人はいないですよね。それまでの歴史で培われた、振りとかステップとかの型をちゃんと論理的に知って、訓練で自分の身体にしみつけて、それでようやく心のおもむくままに身体を動かせるんだと思うんですよ。小説もそれと同じなんですよね。感性だけでなんとなくやみくもに書くばかりでは、一段深いところまで書くための表現力が身につかないとは思います。

◆読解に正解はない、でも深い浅いはある/書くときに一番考えていることは/書きながら設定を肉付けしていく
――では予定の時間をだいぶオーバーしてきましたので、そろそろ質疑応答に入ります。今日は東京へのライブ中継もしていますので、そちらからも受け付けます。
男性の受講生 起承転結を描こうとすると、時系列の問題にぶつかってしまいます。「今日」とか「明日」「半年後」など時制を表す言葉を使いすぎると、読者が混乱する気がします。時系列を整理するにはどうすればいいでしょうか。
三浦 難しいですね。たとえば、「それから7日後のことだった」みたいに、日数を明確にする必要がある場合は、そう書くべきです。だけど、7日という日数にとくに意味がないのであれば、いちいち「一週間後」とか書かなくてもいいのではと思いますね。たとえば、季節が変わったことを表したいのであれば、「秋になった」とズバリと説明せずとも、葉っぱが落ちる描写をすれば、秋が来たんだなとわかりますよね。登場人物の行動の変化とかで、時間が経ったことをさりげなく表すようにするなど、時制に関する言葉一辺倒で説明するのではなく、なるべくメリハリをつけて情報を読者に伝えたほうがいいと思います。
女性の受講生 先ほど読解力の話が出ましたが、読者としては自分の読み方が正しいのかどうかわからないし、正しく読むことが必ずしも必要なのだろうか、と感じました。三浦先生はどうお考えですか。
三浦 おっしゃるとおりで、どの読解が正しくてどれが間違っている、ということはないと思います。ただ、浅い読解と深い読解は、絶対にあると思っています。読解力って、鍛えないと深まらないですよね。ただボーッと文字を追っただけとしか思えない人がいると、「貴様はホントに小説読むのが好きなのか! 俺はこれまで人生のほとんどすべての時間とカネを費やして小説や漫画を読んできたが、貴様はそうじゃないのか!」って、つい思っちゃうんですよ。でも冷静に考えると、そこまでして本を読まなくていいよね(笑)。っていうことで、やっぱり読解に正解はありません。暑苦しくてごめん!

――では、東京から届いた質問です。「今回、設定についてかなりツッコミがありました。しをん先生は何度も推敲されるそうですが、具体的に何をどのように見て直されるのでしょうか」
三浦 あのね、あれは「ツッコミ」ではないですよ! 登場人物たちがどういう状況に置かれたどういう人なのか、十二分に考えて書くのは当然のことですから、その言動や時系列などに破綻があったら、「これはどういうことなんですか?」と作者にうかがうのは、ツッコミではなく当然の指摘なのであります(笑)。
 推敲については、時系列や心情の変遷に矛盾がないかとか、誤字脱字はないか、同じような表現が至近距離でカブってないか、語尾が単調になりすぎていないか、などなどなどなど、いろいろ考えて直していきますね。
――では次の質問です。「語彙力を増やすために、普段からどのようなことを心がけていますか」
三浦 うーん、年齢がいってからだと、語彙ってあんまり増えないですよね(笑)。エモい、とか新しい言葉を使っても、付け焼き刃ってわかりますしね。まあ、小説を読んだり映画を見たり、ということでしょうか。あと、気になる言葉があったら辞書を引くとか。日常的な会話と抽象的な思考がある程度可能であれば、もう充分に語彙力は備わっているのではないかと思いますので、あまり気になさらなくていいのではと思います。
――「作品のタイトルはどのようにして決めていますか」
三浦 なんとなく(笑)。タイトルを考えるのがすごい下手だし苦手なんですよね。なので、一生懸命考えてはいるんですけど、なんとなくで決めてます。

――「物語や文章を書くにあたり、一番大切なことはどんなことだと考えていますか」
三浦 やっぱり、表現したいことを、どうしたら読んでくれる人に伝えられるか、考えることだと思いますね。書き終えたあとに自分の文章をなるべく客観的に見る、ということもそうですし、とにかく考えて最善を尽くすことだと思います。
――「『風が強く吹いている』での、走者のタイム表を作ったというエピソードを見たことがあり、今回のお話での、設定の重要性にたいへん説得力を感じたのですが、そんな三浦先生でも、書き出したあとに設定が足りなかったと感じたことはありますか」
三浦 えっとね、この人はこういう家に住んでて仕事は何をしてて、街はこんな感じで、みたいなことは事前に考えます。でも書いている途中で、たとえば、「この主人公はもしかしてアジの干物が好物なんじゃないか」って気づくんですよ。そういうことはしょっちゅうあります。設定が足りなかったというよりは、書いていくうちに登場人物と親しくなって、「おや、あなたはそういう面もある人だったんですか。ふむふむ」と知る感覚ですかね。万全の設定を事前に作るなんて多分不可能だから、書きながら肉付けされていく、そういうものなんじゃないかと思います。

――(会場を見渡す)まだまだ質問したい方がたくさんいますが、そろそろ撤収の時間となってしまいました。しをんさんは、今年は残念ながら足の怪我で月山登頂を断念されましたので、そのリベンジのため、来年も夏にぜひお招きしたいと思います。今日はありがとうございました。
(場内大拍手)
【講師プロフィール】
◆三浦しをん(みうら・しをん)先生
 1976年、東京都生まれ。2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。06年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、12年『舟を編む』で本屋大賞、15年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、18年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞、河合隼雄物語賞を受賞。スポーツ小説の名作『風が強く吹いている』ほか『仏果を得ず』『神去なあなあ日常』など、エッセイに『悶絶スパイラル』ほか多数。コバルト短編新人賞、コバルトノベル大賞、R‐18文学賞、松本清張賞、小学館ノンフィクション大賞の選考委員を務める。
●愛なき世界(中央公論新社)※日本植物学会賞特別賞受賞
●ののはな通信(角川書店)※島清恋愛文学賞 河合隼雄物語賞受賞
●まほろ駅前多田便利軒(文春文庫)※直木賞受賞
●舟を編む(光文社文庫)※本屋大賞受賞
●あの家に暮らす四人の女(中公文庫)※織田作之助賞受賞
●まほろ駅前狂騒曲(文春文庫)
●神去なあなあ日常(徳間文庫)
●神去なあなあ夜話(徳間文庫)
●のっけから失礼します(集英社)
●きみはポラリス(新潮文庫)
●天国旅行(新潮文庫)
●風が強く吹いている(新潮文庫)
●ビロウな話で恐縮です日記(新潮文庫)
●仏果を得ず(双葉文庫)
●悶絶スパイラル(新潮文庫)
●光(集英社文庫)
●政と源(集英社オレンジ文庫)
●格闘する者に〇(まる)(新潮文庫)
●お友だちからお願いします(だいわ文庫)
●本屋さんで待ちあわせ(だいわ文庫)
●木暮荘物語(祥伝社文庫)
●三四郎はそれから門を出た(ポプラ文庫)
●ふむふむ おしえてお仕事!(新潮文庫)




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