「みなさん、物忘れが激しすぎるよ(笑)。前に書いたことを忘れて、都合よく、こうしたほうが効果的かな、みたいな思いつきで書いちゃうのは、登場人物たちの日常を蔑ろにしてしまっているということです」

 8月の講座には、三浦しをん先生を講師としてお招きした。
 1976年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。06年に『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を受賞し、その後も本屋大賞、織田作之助賞、島清恋愛文学賞、河合隼雄物語賞など数々の賞を受賞。2019年には、植物学専攻の大学院生を描いた『愛なき世界』で、小説家として初めて日本植物学会賞特別賞を受賞した。また、多くの文学賞で選考委員も務めている、現代の文壇を代表する人気作家の一人である。
 また、今回はゲストとして、国田昌子氏(徳間書店)をお迎えした。
 講座の冒頭では、まず世話役の池上冬樹氏(文芸評論家)がマイクを取って講師を紹介した。
「今日は三浦しをんさんをお迎えしました。この講座に初めてお招きしたのは2012年で、今年が8年目です。当初は毎年1月にお招きしていたのですが、昨年からは、月山に登りたいというご希望のため、8月にしました。今日は初めての試みとして、東京にライブ中継もしながらの講座となります。よろしくお願いします」

 続いて三浦氏がマイクを取ってあいさつをした。
「こんにちは、三浦しをんです。ええ、昨年は月山の8合目まで、車で行けるギリギリのところまで行きましたので、今年こそ登頂するつもりだったんですが、先日、自転車に乗っていたら突然の大雨で前が見えなくなって、駐輪してあった自転車に突っ込んでしまいましてですね。足の親指の爪がすっかりはがれてしまって、その痛い足をかばって不自然な感じで歩いていたら今度は腰もすごく痛くなって、おかげで今日は人前に出るというのにトレパン姿で、しかも片足はサンダルで片足はド派手なスニーカーという、こんな格好で失礼いたします。爪がはがれたときはすごく痛かったんですけど、小林多喜二が拷問死したときはこの100万倍もつらかったんだろうな、と思って、今日は多喜二リスペクトで蟹工船Tシャツを着てきました。この会場へ来るまでも、すっかり池上さん、国田さんに介護してもらっています。でも講評はちゃんとやりますので(笑)、よろしくお願いします」

 今回のテキストは、エッセイが1本、小説が3本。
 甥の結婚式に出席するため、礼服のワンピースを着られるようにダイエットもした筆者は、出席時のマナーをネットで調べるが、服装や靴、ネイルに至るまで、昔よりマナーがあれこれ厳しくなっていることを知る。
 ハプニングはありつつ無事に式を終えて、またネットでマナーを調べた筆者は、前と違うことが書いてあるサイトを見つけて、マナーというもののいい加減さにあきれる。
・徳間書店 国田氏の講評
 新堂さんの作品は何度か読ませていただいていますが、今回もたいへん楽しく拝読しました。私は、「まさにおのろけ自慢そのものでは?」というこの旦那さまと新堂さんの方言の会話のファンです。そこが新堂さんのエッセイの魅力だと思っています。
 今回はマナーについてのネット情報についてですが、私が読みたかったのは、結婚式までに、はたして10年前に購入したドレスが、はいるかどうか? 間に合うのかという過程ですね。その過程を克明に記述したら、新堂さんならではの面白いエッセイになったのではと思いました。
 惜しいのはたった1行で、筋トレのおかげで脇の引き締めができてワンピースが着られるようになった、と、そのくだりをかたづけていました。ここは、具体的にどんなマシンでどういうトレーニングをしたのか、マシンの名前や、1週間やっても効果がでなくて、べつのトレーニングをやってみたら、5日くらいなのに、少し引き締まったというような具体的な進行過程を、その都度の旦那さまの反応と、台詞のやりとりを読みたかったです。事実の記述を積み重ねることで、客観的なユーモアが生まれ、情報としても読める感じがします。読者から「へえー! そんなに早く効果が?」という反応もありそうです。最後は、風邪をひいて体重がリバウンドした新堂さんと、旦那さまの会話で締めていただけると、新堂さんならではの魅力的なエッセイになったのではと思います。

・池上氏の講評
 新堂さんの作品では、旦那さんとの会話が一番面白いんですよね。今回も、ずうずう弁でマナーの話をするあたりが最高です(笑)。ですから、最後はやっぱり旦那さんとの会話でオチにしなくちゃ。実際にはそんな会話はなかったんでしょうけど、いつもこの講座で言っているように、エッセイは嘘を書いてもいいんです。嘘を書かないと面白くならないし、まとまりませんから、ラストの3行は削って、かわりに旦那さんに再登場を願って、笑わせるといいんですよ。男と女で見方の違いもあるし、地方特有のマナーもあるでしょう。方言を使うと、その辺の手触りが感じられるようになるんです。きれいな標準語で書くとつまらないけど、ここでローカルな味わいを出せるのが新堂さんの強みですから、旦那さんの台詞をいっぱい作って、作者自身の考えをそのまま書くのではなく、旦那さんとの会話でそれを表現すると、手触りがよくなると思います。

・三浦氏の講評
 こういう、無難な服を選びましょうみたいなマナーってつまんないですよね。私の結婚式には、みんなド派手な衣装で来てほしい。結婚する予定ないけど(笑)。友だちもみんな黒い服、っておかしいよね。もしかしたらこの新婦がみんなに嫌われてるんじゃない? それでお葬式じみた服装で参加したんじゃない? そういう説を私は取りたい(笑)。
 私が気になったのは、冒頭の部分で「二年前の十月末に、当時二十三歳だった甥の結婚式に参加した。六月に連絡が来たときは、十五年ぶりの結婚式への参加だし」、「十年前に自分自身の結婚お披露目会のときに、ワンサイズ大きめの十三号で購入した黒のワンピースドレス」と、たった4行の間で時間がわちゃわちゃしてるんです。こういう入り方はよくないです。これらは事実なのかもしれませんけど、エッセイとして書くなら時系列を整理して、現在進行系にしたほうがいいです。池上さんがおっしゃる、エッセイは嘘を書いてもいいというのはそういうことなんだと思います。
 最後も、結婚式が終わった半年後に何気なくネットを見た、となってるでしょう。これも、結婚式を終えた直後ぐらいにしたほうがいい。全部現在進行系の時系列にしないと、「じゃあこの話を語ってる『今』はいつなのか」、というのがわからなくなってしまうので。
話をわかりやすくするためには、枝葉末節の部分は整理して、すっきりと読者の頭に入ってくるようにしたほうがいいですね。とはいえ、今回もとても楽しい作品でした。新堂さんのエッセイは何度か拝読していますが、どんどん上達なさっています。時系列にまつわる情報提示のしかたに留意しつつ、今後もぜひ書いていってください。

 ハイヒールを履き、女子制服を身にまとい、回ってくる仕事は雑用ばかり。二年目OLの白崎果純は、日々退屈と戦っていた。セクハラ課長、仕事をバリバリこなす後輩、やたらと女性らしさに誇りを持つ女性社員に囲まれ、心が消耗していく毎日。恋人はそんな果純をいたわるどころか、家事は任せっぱなしで避妊すらしないというとんでもない男だった。
 ある日限界を迎えた果純は、恋人も仕事も、そしてハイヒールも捨て去った。何もかもを失ったように見えた果純だが、満たされた心はどこまでも軽やかなものだった。
・池上氏の講評
 では僕は簡単に。このハイヒールは象徴的なアイテムなので、どんな品物なのか具体的に描写してほしいところですね。主人公を取り巻く状況が、「社会に抑圧された女性」として割と類型的に描かれているので、だからこそひとつひとつの物、ハイヒールもそうだし、お茶くみでもどんなお茶なのかとか、上司のことももっと具体的に、個別の世界を描くことを心がけてほしいです。
・国田氏の講評
 上手いと思いました。主人公はとても健気な女性ですね。イプセンの『人形の家』という、自立していく女性を描いた有名な戯曲がありますけど、そういう意味でも、ハイヒールを脱ぎ捨てて新しい社会に踏み出していくという象徴的な行動で、良く表現出来ていると思います。気になったのは、恋人に家も会社も知らせていない、というところですね。「それって恋人なの?」と、不自然に感じました。
 それから、1行空きの多用が気になります。数えてみたら、25枚の原稿に7箇所もありました。1行空きは安易に使わず、描写で表現しないといけない。ここぞというときに、1行空きが生きてくるように意識してください。
 そして、この主人公についての情報がなにも記述ありませんね。細かく書く必要はないけれど、唐突に一人暮らしの女の子がぽつんと出てくるというのは、社会のシステムがそういう風になっているSF的な世界ならそれでいいんですけど、どこの出身でどう育ったのか、などの主人公の情報量があまりにも少ないので、彼女のイメージが浮かびにくいです。なので、頭の中だけで拵えた物語と感じてしまいました。
 個々の表現はすごく上手いし、筆力のある方だと思います。「就活頑張るかー!」という最後の台詞が実に活きていますし、書ける方だと思いますので、主人公のその辺りの情報をもう少し記述していただけると物語に奥行きがでてくるのではと思います。

・三浦氏の講評
 ハイヒールって別に悪いものではなくて、本人が気に入って履くのはいいことなんだけど、会社の偉いおっさんとかに、ましてや「女性の象徴」みたいに強制されて履くものではないよね。主人公は会社のしきたりで仕方なく、せめて自分なりに愛着を持てるハイヒールを選んだ。毎日履いているから、相棒みたいに感じられてきたハイヒールなのに、それすらも汚そうとしてくるこのクソ上司はほんとキモイですよね。主人公がとうとうハイヒールを投げ捨てるのは重要な象徴性を帯びたシーンだから、そこに至るまでに、やっぱりどんなデザインや質感やヒールの高さの靴なのか、具体的な描写はほしいです。
 国田さんもおっしゃいましたけど、主人公と恋人との関係はちょっと、こんなことあるかな、と思いました。こんなひどい扱いをされたら縁を切るよね、普通。多分この男の顔がすごくよくて縁が切れない、とかなんだろうけど(笑)。それと、彼のために料理を作ったけど食べる間もなく押し倒されてそのままなだれ込む、というのはいいにしても、その料理を翌朝に全部捨てるのは不自然ですよね。だって一戦交えたらおなかすくでしょ(笑)。終わって落ち着いてから食べると思うんですよね。翌朝になっても、まだ腐ってないだろうし、タッパーに詰めて持ち帰ったりするんじゃないですかね。食べ物を粗末にするのはよくないです(笑)。
 あとね、最後は川原でビールを飲むんだけど、冬も近い11月にそんな寒いところでビール飲んで、おいしいですかね? おつまみも何もなしで、しかも5本は多い(笑)。350ml缶か500ml缶か書いてないのも気になるけど。作者の方は、多分ビールが好きじゃないでしょう? 酒飲みとしてはそこのリアリティが気になりました。寒い屋外でビールを5本も飲んだら、途中で絶対トイレ行きたくなる(笑)。
 心情や行動、場面設定において、「頭の中だけで作ったな」と感じられる点が少々ありました。でも、読むととてもすっきりするお話ですね。最後に主人公が新しい一歩を踏み出したことが、すごくよく表現できていると思いました。

 お調子者の大学二年生高坂莉乃は、友人らと定期的に集まる通称“お疲れ様会”という深夜にカラオケボックスに入り浸る行為を繰り返していた。ある日会員の春香から呼び出され、いつも通りのカラオケ店に向かうと、都合が悪かったメンバーの代打だという同級生、吉田花凛と出会う。終始俯きがちで、小さな声で話す吉田とはあまり接点のない高坂だったが、ひょんなことからお疲れ様会解散後に二人でスーパーに行くことになる。果たして、二人の女子大学生の間に友情は芽生えるのか。
・国田氏の講評
 女子大生6人の、仲間たちとの生活が楽しくて仕方ない感じがすごくよく出ていました。私も、はるか昔の学生時代を思い出しました。
 しかし、この作者は、面白く書こうとして意識しすぎている表現が気になりました。それぞれのシーンは実に上手いのだけれど、そこで筆が滑っていると感じてしまいました。
 たとえば、1頁目で、スマホの振動に驚いて転んだ場面の「それはそれはもの凄く大きな音が鳴った。ガタタッ、だったか、ガゴガゴッだったか、当の本人である私は全く覚えていないけれど」という箇所ですね。
 ここではこういう書き方はしないで、椅子から転げ落ちたという事実をたんたんと記述すると、かえってユーモアが生まれるのではないかと思います。読者が想像するシーンで、作者が擬音もいれて書いてしまうとしらけてしまいます。小説は行間からイメージを膨らませて読ませるものでもあるので、地の文で主人公の気持ちを書きすぎてしまわずに、行動や会話で表現してほしいです。
 戸板康二や舟木一夫の名前が出てくるのは、「渋いな!」と思いました(笑)。キャラクターの趣味を表すのは面白いのですが、いつの時代の話なのか、現代の話なのだという設定がわかるように注意していただきたいです。そして、気になったのは、6頁目で夜のスーパーを訪れる場面ですね。
 「スマホを覗き込んだ花凛ちゃんの、ふわふわとした長い髪が腕に触れた」、ここで花凛ちゃんは主人公のスマホを覗き込んでいるわけですが、では主人公はスマホで何を見ていたんでしょうか。料理の材料を買うためにレシピサイトを見ていたのでしょうか。でしたら、その説明が欲しいです。
 面白く書こうとしすぎている傾向はありますが、全体的にユーモアがあって面白く拝読しました。以前、横山秀夫さんがこの講座に講師としていらしたときに、自分で筆が乗って上手く表現出来たと思うところは、あとで推敲すると筆が滑っていると思うことが多いとおっしゃっていました。あれだけの傑作を生み出された作家が、その都度推敲されています。そこはみなさんも気にされたほうがいいと思います。

・池上氏の講評
 渡邊さんは僕が教えている大学の学生なので、授業で作品をいろいろ読んでいますが、たしかに書ける人なんですね。書けるからこそ、筆に溺れるということもあると思います。大げさに書いて滑っている部分はありますが、滑っていてもいいと僕は思うんです。この勢いは削いでほしくないし、青春の馬鹿馬鹿しさ、愚かさ、楽しさが微笑ましく描かれていて、気持ちがいいんですね。僕らにもこんな時代があったな、と過ぎ去った昔を繰り返し体験させる力がある。戸板康二や舟木一夫を出してくる、あなた年齢いくつですかと思わせるところも、そういったところまで射程距離を置いて引っ張ってくる、ある種の強引さがあって、それも勢いにつながっていて良いと思います。
 青春というものについて、ちょっと類型的な部分はあるんだけど、餃子の作り方など細かい部分で固有の世界を描いていて、これはこれでいいと思いました。

・三浦氏の講評
 ええとね、細かいことなんですが、文学部の一限で「世界史概論」ってやるものですかね。皆無ではないかもしれませんけれど、大学の教養課程での世界史概論とかって、壊れかけのオルゴールみたいなおじいちゃんがやるイメージがあって、一限はキツイんじゃないかな、と思うんですよね(笑)。1頁目の真ん中に「一限目の世界史の講義中」とあって、あとで「世界史概論」と出てくるから大学だとわかるんですけど、最初は高校の世界史の授業みたいに感じるんですよね。シラバスを見るなりして、実際に大学で何限にどんな講義があって、他学部の学生も単位を取れるシステムなのかなど、ざっくりでも調べて書いたほうがいいと思います。
 筆が滑っている、大げさだと感じる人がいるのはわかるんですけど、そこは読者それぞれの好みだし、私は作者ご自身の書きたいリズムとかを大事にしていいと思います。最初に作った餃子がドアストッパーみたいだった、という表現など、本当に面白くて的確だと感じました。ただね、国田さんもおっしゃったように、推敲はしなきゃいけないです。先ほど述べたような、大学の講義について「本当らしく」なるように調べる、というのもその一環です。他にも例を挙げます。
 1頁目の1行目、冒頭で「店を出たのは、確か午前一時半を回った頃だったと思う」とありますね。しかし4頁目を見てください。「午前二時半を前に各自解散という運びになったのである」って書いてあるんですよ。たった数頁前のことと矛盾しているんです、これはよくないです。同じく4頁に、「約九時間、私たちは歌いまくり、飲みまくり」と書いてありますが、その何行か後には「花凛ちゃんは何とも言えない表情で、十時間前部屋に入ってきた時と同じようにもじもじとしている」と書いてあるんです。みんなで歌ったのは九時間なのか十時間なのか、ここも矛盾している。こういうことがあるとすごく気になるので、この人たちはカラオケボックスのどんな部屋でどんな席順で座って、誰がどんなお酒を飲んで、何時にお店に入って何時に出たのか、ということを、ご自分の頭の中でしっかり設定してから書かなければいけません。その設定を全部小説の中に盛りこむ必要はありませんが、作者の脳内で設定が曖昧なのかそうじゃないかで、表現の輪郭がまるでちがってきます。
 楽しく読めるんだけど、細かい矛盾があって、勢いだけで書いている感じがちょっとしますね。もうちょっと気を配って書くと、登場人物それぞれの個性がより際立って、いっそう魅力的に読者に伝わると思います。

 筆が滑っているという点でいうと、7頁目で「けれど、今私たちがいるのは真夜中のスーパーだ。それも夜中、真夜中だ」とありますが、この「真夜中」の繰り返しはいらなくないですか? ここは、初めて言葉を交わして仲良くなった子と、非日常の空間を漂うようないい場面ですから、たとえば、「けれど、今私たちがいるのは誰もいないスーパーだ。それも夜中、真夜中だ」とするなど、わずかな切なさと静謐さがよりくっきりするよう、文章を練ったほうがいいです。どうすれば効果的か、一文一文をよく考えて書くよう心がけてみてください。
 ホント細かくて申し訳ないんだけど、8頁目でも、雷がすごいというところで「花凛ちゃんは胎児のように小さくなって、地面にうずくまっていた」とありますが、これはまだスーパーの店内ですよね? 「地面」と書いてしまうと、いつの間にか店の外に出たのかなと思わせてしまうので、ここは「床に」としたほうがいいでしょう。こういう細かいところに気をつけて書かないと、登場人物たちが今どこで何をしているのか、読者は混乱しちゃうんですよね。ご自身の頭に浮かんでいることを全部書く必要はありませんが、読者に与える情報の取捨選択をして、整理して伝えることが必要です。
 私は相当読解力の高い人間だと自負しているんですけど(笑)、登場人物の台詞にどんな気持ちが込められているのか、読み取れない部分が多々あるんですよね。だってあまりにも書かれてないんだもん(笑)。按配がちょっとうまくいってないと思う。登場人物が秘めている恋心に、まったく気づかない読者もいれば、過剰に読み取ってしまう読者もいるというか。つまり、あまりにも読み筋に振れ幅がありすぎる結果となってしまっている気がします。読者に伝えるべき情報を的確な按配で描写し切れていないために、こういう混乱が生じたのかな、と思うんですよね。読者それぞれの解釈が分散しすぎてしまう場合、作品の焦点がぼやけているためかもしれない、という可能性を考慮する必要があります。作品に余韻や余白があるのはいいことですが、作者が脳内で設定や状況を明確に把握し、ある程度、「こういう読み筋ですよ」とさりげなく読者を誘導することも大切です。
 でも、ユーモアの陰にほのかな切なさがあって、登場人物の心情にまつわるどんでん返しも効いていて、とても読みごたえのある一作でした。

 母の手術のため、香奈子はひさしぶりに実家へ帰ってきた。人けのない住宅街、子供と大人が暇をつぶすショッピングモール、震災後から薄暗いままのコンビニ。香奈子はここでしばらく、決して相性がいいとは言えない母と、生活を共にする。
 五十歳を過ぎて離婚した両親。父が家から出て行った理由を、香奈子は今まで知らなかった。知ろうとしなかったからだ。しかし、母の一言である事実に触れる。香奈子は優しかった父を思い出す。
 横断歩道の向こうにある薄暗いコンビニには、この土地に住んでいた頃に恋い焦がれていた男、赤塚がレジに立っていた。クラスの人気者だったのに、同窓会では消息不明扱いの赤塚。彼はこの土地に残されたまま、外の世界を夢見ながら生きていた。香奈子はそんな赤塚に、父の姿を重ねる。
・池上氏の講評
 坂本さんは筆を抑えて書いているんだけど、描写が非常にリアルですね(※といって、細かい箇所をいくつもあげて説明していく)。これはみな説明ではなく描写です。いちばんわかりやすいのは、「母はリモコンを床に置いた。四と八の文字だけ消えかかっていた」という文章ですね。お母さんのテレビのリモコンの4と8が剥げている。これだけで、ああ噂話が好きで、日本テレビ系とフジテレビ系のワイドショーをずっと見ているんだな、ということを、説明せずに語っている。こういうのが随所にある。本当に巧い。
 坂本さんは、これが4作目とのことですが、説明せず描写で語るということがよくできていますね。これは意識してそうされているのでしょうか。ここが強みになると思いますので、もっと書いて、賞に出してみてください。

・国田氏の講評
 私も、たいへん上手いと感心しました。池上さんのおっしゃる通り、くどくど説明せずに描写で表現する技術がとても高いですし。
 ただ、気になったのは、この赤塚という人は、スポーツ万能でずっと故郷にいるというのだから、それなりのコミュニティを持っていると思うんですね。たとえばサッカーやるからちょっとうちのチームに来いよ、みたいな。そこから、うちで働かないか、みたいなことが多分あったんだろうな、ということが想像できるんです。
 でもコンビニでバイトしているということは、彼が組織の中でうまく生きられないタイプなんだろうなと思いますから、そこで彼の今までの来し方がわかるような台詞が一言あれば、と感じました。
 10頁目で、赤塚が焼きそばを食べたあとの「皿を見ると、綺麗ににんじんだけよけられていた」というところも、すごくうまいなと思って感心しました。ちょっと気になったのは11頁目にある「残るのは罪悪感と、生温い汗の感触、それと、彼を哀れに思って受け入れた、自分に対する軽蔑の気持ちだけだ」という独白ですね。これは要らないのでは、と感じました。他にも、6頁目で「私は、壁を伝って和室に戻ろうとする母の背中を、息を殺しながら見ていた。手を貸したくない。おそらく、そう思っていた」というところも、地の文でわざわざそう書くのは違和感があります。主人公が自分を客観視しているということはわかりますが、ちょっとまだるっこしい感じを受ける部分もありました。

・三浦氏の講評
 私は、国田さんが「要らない」とおっしゃった独白は、いずれも必要だと思いました。主人公がこういう内省的な人だと示しておかないと、ちょっと自分勝手に感じられてしまうと思うんですよね。人によって読みが違うのが小説のいいところなので、国田さんのご意見ももっともだとも思いますが。
 池上さんもおっしゃるように描写で見せるのがうまくて、赤塚という男のね、高校まではキラキラしていたけど大人になってからはしみったれている、この感じもすごくリアルです。だいたい高校生のころにキラキラしてたやつなんて、大人になったらこんなもんだよね(笑)。
 すごく面白かったし、素晴らしい描写がたくさんありましたが、しかし気になるのは、主人公の地元はどこなんですか? お母さんが都内の大きな病院で目の手術をしているんですけど、それは都内のどの辺なんですか? そこを考えていらっしゃいます? 1頁目に、都内から自宅までは遠くはないが近くもない、と書いてありますね。この自宅というのは、お母さんが住んでて、かつて主人公も住んでいた実家のことですよね? これはどこにあるんですか?
坂本氏「千葉県の、都内からあまり遠くないあたりのつもりでした」)
 とはいえ、まあ、柏とかの大きな町ではないですよね。若者がみんな地元を離れてしまってるわけですから。そうなると、病院が都内の東寄りだったとしても、千葉県までタクシーだと相当お金がかかりますよね。で、主人公は都内のどこで一人暮らししてるの?
坂本氏「そこまで考えていませんでした」)
 それは考えておかなきゃいけません。「地元」というのがすごくぼんやりしてて、どこにあるのかわかんないのね。すると、読んでいてストレスがたまるし、「ほいほいタクシーに乗れるみたいだけど、金銭的にどの程度余裕のあるおうちなのかな」とか余計なノイズが入ってしまって、混乱するんです。私は以前、東京の南西部で神奈川県との県境にある、町田市というところに住んでいたんですけど、たとえば都心で大きな病院がある、お茶の水あたりからタクシーで帰ろうとしたら、1万4000円ぐらいかかると思うんですよね。そういうことを考えて書かないと、「ぼんやり地元」、「ぼんやり都内」で像を結びにくいし、気になっちゃって肝心のストーリーに集中しにくいんですよね。

 ですから、小説に細かい設定を全部書かなくてもいいんですけど、「舞台はあそこにしよう」と調べておいたほうが、絶対いいと思います。作者自身の脳内では、登場人物の状況や生活をふんわりさせない。そうすれば自ずと、登場人物の振る舞いや言動が明確になって、「どういう人なのか」をより生き生きと描けるはずです。
 たとえばね、同級生は地元からみんな外に出ちゃってるわけでしょう。そんな地元で、コンビニでバイトしてたら、親たちは絶対知ってて、「赤塚さんとこの何々くんはあそこのコンビニで働いてる」とか話してると思いますよ。私はいま東京の住宅街に住んでるんですけど、セブンイレブンとローソンがあって、前にローソンで働いてた人が、この間セブンイレブンで働いてたの。なるほど、コンビニ間で転職したんだな、と思ってたら、近所に住んでる友だちも「あのローソンにいた人、いまセブンイレブンにいるよね」と言ってたんですよ(笑)。東京の、むっちゃ人が多いところだってそんななんですよ。主人公の地元だったら、たぶん親経由で情報入って、同級生のLINEとかで赤塚くんの現状をみんな知っとるわ(笑)。その辺がちょっとリアリティないかな、という気がしました。

 話が進むにつれて、お母さんは手術から何日目なのかな、とかもわからなくなってくるんですよね。8頁目で「母は顔の半分を覆っていた包帯を取り、小さな眼帯で生活している」とありますが、これは手術から2日目? 3日目ですか。その間、お母さんは病院には行かないで、自分で包帯を取って眼帯をつけていたということですか?
坂本氏「お母さん自身と、あと主人公が手伝ってそうしました」)
 網膜剥離の手術ってどうするのか、私は実際のところを知らないのでなんとも言えませんが、お医者さんに見せないでそんなことしていいのかなという感じもするし、自宅で処置したのなら、そこをさりげなく書いたほうがいいですね。時系列に混乱を生じさせる原因になっている気がするので。
 最後の12頁目で、「本当は明日まで実家にいるつもりだったが、「もう大丈夫だよ」と母が言うので、夜帰ることにした」とありますね。これは何日目のことなんですか? 母親の看病のために、会社から休みを1週間もらってるんですよね。それが3日目のことだとしたら、ちょっと日数が合わないですよね。1週間の休みを全部お母さんの看病に費やすつもりではなかったのかもしれないけど、それならそうとちゃんと書いてくれないと。一番よくわかんなかったのは、ラストに「駅までの道のりを二十分ほど歩く。コンビニは、ちょうど中間地点にある。赤塚に声をかけてから帰ろうか迷ったけど、やめた」とありますね。でも、赤塚はこの日、バイトは3時であがったんじゃないの? といったように、時系列がはっきりしないうえに、時系列上の矛盾と感じられる点が多々あるのが惜しいです。
 あのね、みなさん。いくらなんでも、小説書いてるときの物忘れが激しすぎるよ(笑)。ついさっき書いたことを忘れて、場面に応じて都合のいいように書いちゃうでしょ。これはよくないです。カラオケ屋に何時に入ったのか曖昧になっちゃうのと同じ問題でね、書いてる端からものを忘れすぎな傾向にあると思います(笑)。本当に登場人物たちのことを考えて、こういうふうに話が展開しますということを、作者はきちんと脳内で把握しておかないと。
 そういうところに注意を払って書くと、物語が締まるし、的確にエピソードを描写していくことができるし、つまりそれが、登場人物たちが生きている日常に寄り添って書くということだと思うんですよ。都合よく、こうしたほうが効果的かな、みたいな場面ごとの思いつきで書いちゃうのは、登場人物たちの日常を蔑ろにしてしまっているということです。全部で何日のお話で、この日にこういう出来事があって、赤塚くんは何時でバイトをあがりました、というようなことを、作者はちゃんと覚えておいてあげてください。

※以上の講評に続く後半の模様は、本サイト内「その人の素顔」にてアップいたします。
【講師プロフィール】
◆三浦しをん(みうら・しをん)先生
 1976年、東京都生まれ。2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。06年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、12年『舟を編む』で本屋大賞、15年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、18年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞、河合隼雄物語賞を受賞。スポーツ小説の名作『風が強く吹いている』ほか『仏果を得ず』『神去なあなあ日常』など、エッセイに『悶絶スパイラル』ほか多数。コバルト短編新人賞、コバルトノベル大賞、R‐18文学賞、松本清張賞、小学館ノンフィクション大賞の選考委員を務める。
●愛なき世界(中央公論新社)※日本植物学会賞特別賞受賞
●ののはな通信(角川書店)※島清恋愛文学賞 河合隼雄物語賞受賞
●まほろ駅前多田便利軒(文春文庫)※直木賞受賞
●舟を編む(光文社文庫)※本屋大賞受賞
●あの家に暮らす四人の女(中公文庫)※織田作之助賞受賞
●まほろ駅前狂騒曲(文春文庫)
●神去なあなあ日常(徳間文庫)
●神去なあなあ夜話(徳間文庫)
●のっけから失礼します(集英社)
●きみはポラリス(新潮文庫)
●天国旅行(新潮文庫)
●風が強く吹いている(新潮文庫)
●ビロウな話で恐縮です日記(新潮文庫)
●仏果を得ず(双葉文庫)
●悶絶スパイラル(新潮文庫)
●光(集英社文庫)
●政と源(集英社オレンジ文庫)
●格闘する者に〇(まる)(新潮文庫)
●お友だちからお願いします(だいわ文庫)
●本屋さんで待ちあわせ(だいわ文庫)
●木暮荘物語(祥伝社文庫)
●三四郎はそれから門を出た(ポプラ文庫)
●ふむふむ おしえてお仕事!(新潮文庫)


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