「小説に突破力を与えるには、日常から立ち上げていくより、もっと大きなネタを作って、そこにリアリティを与えて、納得させるような筆力を見せる。これが、新人賞を狙うにはいいやり方だと思います」

 7月講座には、今村翔吾先生を講師にお迎えした。
 1984年京都府出身。2016年に『蹴れ、彦五郎』で伊豆文学賞最優秀賞(小説・随筆・紀行文部門)。『狐の城』で九州さが大衆文学賞大賞と笹沢左保賞を受賞。2017年、『火喰鳥』を刊行してデビューし、啓文堂書店時代小説文庫大賞を受賞。2018年、『童神』で角川春樹小説賞を受賞。2019年には『童の神』で早くも直木賞候補にノミネートされた、いま最も注目される時代小説の新鋭である。
 また今回は、ゲストとして原知子氏(角川春樹事務所)、菅原朝也氏(小学館)、加古淑氏(小学館)、鳥原龍平氏(文藝春秋)、瀬尾巧氏(文藝春秋)、福島歩氏(新潮社)、後藤昌行氏(双葉社)、清水寿明氏(祥伝社)、佐田尾宏樹氏(集英社)の9名が参加し、講評に加わった。
 講座の冒頭では、世話役をつとめる池上冬樹氏(文芸評論家)がマイクを持ち、講師を紹介してはじまった。
「今日は期待の作家、今村翔吾さんをお迎えしました。新作の売れ行きも好調で、デビュー2年半にして実に18作、しかもいずれも素晴らしい作品ばかりです。北方謙三さんのデビュー当時を思い出させます。よくぞここまで書き続けられるなと感心します。とくに山形の小説ファンにとっては、新庄藩を舞台にした「羽州ぼろ鳶組」シリーズが嬉しくなります。シリーズの誕生や、次々と書き上げていく創作の原動力についても、今日はうかがいたいと思います」
 続いて講師の今村氏がマイクを取る。
「こんにちは、今村です。関西の滋賀に住んでいるので、東北にはあまり来たことがなかったのですが、最近は新庄市で中高生向けの文学塾もやるようになりまして、山形にはこれからも通うことになります。新庄では昨日もやってきましたが、今日も続けて同じTシャツ(羽州ぼろ鳶組のTシャツ)の人たちも来られてますね(笑)。みなさんにとって、書くための参考になる話ができればと思います。今日はよろしくお願いします」

 今月のテキストは、小説が3本。

泉々舎『天命に生きる~白鳥十郎長久』(31枚)
KOU『赤穂事件外伝 吉良の女』(76枚)
佐藤広行『狗剣』(78枚)

 白鳥十郎長久は村山郡白鳥郷の領主であったが、のちに隣国谷地郷の領主ともなった。それは、この時代には稀な彼の資質によるものだった。
 領主とは民を守るもの。民の暮らしと命を何よりも大切にする。それを己の芯として生きることを貫き通したからだ。
 腹心の配下、熊野三郎と共に葉山の峰を駆け回る子ども時代。都に旅した青年時代に、民の暮らしの実像と苦しみ悲しみを垣間見た長久は、隣国の大国最上家の当主義光(よしあき)の懇請を受けて共に平和な国づくりをするため会談に応じる。しかしそれは策謀であった。
 無惨に殺害されるが、人を信じ己の信念を貫き通した最期だった。
・池上氏の講評
 泉々舎さんは、歴史小説を書かれたのはこれが初めてとのことですが、やはりこの分量では短いですね。少なくともこの3倍はほしい。あと、冒頭の視点のゆれが気になりましたし、もうちょっと無惨な思いとか、悔しい思いを主人公に寄り添って描いてほしいと思いましたね。描ききれていないんですね。アウトラインを書いただけで、ドラマになっていないので、もっとドラマを作り上げて、人物や場面の焦点を絞ったほうがいいと思います。
・小学館 加古氏の講評
 郷土の歴史上の人物に着目されたのは面白いと思ったんですけれども、やはりもう少し長いほうがいいと思いました。梗概に書かれている、「人を信じ己の信念を貫き通した最期だった」という一文がありますが、これを感じさせるような心情の描写が、本文にもっと書き込まれていたらよかったと思います。ラストの1行には印象的なシーンがあるので、その伏線のようなものも書き込まれると、もっと良くなったのではないでしょうか。

・文藝春秋 鳥原氏の講評
 地元山形の、郷土の方ということでご存知の方も多いようですが、題材的に面白い人物を取り上げているなというのが第一印象でした。ただ、先ほど池上さんもおっしゃったように、冒頭から視点の揺れがあって、読む側はとまどうところがあります。
 白鳥がなぜ最上義光のところに行くのか、というのがストーリー上でも史実上でも大きなミステリーですよね。ここは強く描かれなければいけないところで、史料はほとんど残っていないでしょうし彼の心の裡を語ったものは何もないので、小説として創作できる、創作すべきところです。ここをもっと広げるべきだったと思います。それができるならば、熊野三郎という人物との間柄や関係性を深めていけば、白鳥という人物がなぜ最上に会いにいくのか、ということを紐付けられる、ひとつのフックになるのではと感じました。

・集英社 佐田尾氏の講評
 みなさんの意見と重なってしまうんですけど、私は知らなかったんですが郷土の人物を取り上げていて、ところどころに出てくる方言の言葉遣いも面白いと思って読みました。
 ですが、全体を通して、長いあらすじを読んでいるような感じがどうしても拭えなくて。キャラクターも描き分けられていないというか、気持ちに寄り添えないまま終わってしまったなと思いました。終盤はすごく唐突にドラマが動いて終わっちゃった感じがしましたので、みなさんおっしゃるように心情の部分にもっと厚みを持たせて、もっと長く書いていただければ、面白い作品になるんじゃないかなと思いました。

・今村氏の講評
 率直に言いまして、初めてやろうな、という感じはしました。やっぱり初めてやったんやなということと、この題材なら80枚から100枚ぐらいが適当かなという感じがします。31枚の割に、人物がむちゃくちゃ多いんですよ、一言しか出てこない人、たとえば織田信長とか名前が一回だけ出てきたりするんですけど、これは省ける名前です。小説のボリュームに対して堪えられる人数があると僕は思ってて、堪えられないと思ったら、たとえば名前は出さずに「町人」であるとかにしてやり切る形もあります。人数が多い、というのがまずひとつ。
 選んだ言葉の語彙というか、センテンスには、いいと思うものもありました。でも、あらすじを追ってるだけなのにテンポが悪い。史料は「天正最上戦記」かなと思うんですが、歴史ものって結論が出ちゃってるじゃないですか。信長やったら本能寺で討たれる、ってことはみんな知ってるところからスタートするんですよ。この物語も、結末は出てるんだから、要は史料に書かれていない部分でどう楽しませるか、というのが歴史小説の醍醐味やと思います。先ほど鳥原さんもおっしゃいましたけど、なぜ最上義光のところへ向かったんや、って。後世の僕たちから見れば、最上義光の性格を考えたら騙し討ちされそうやんか、って考えるねんけど、当時の人でも、さすがに危ないやろと思ってもおかしくないわけで、じゃあ行かざるを得なかった何かを求めるのか、こうなるとわかっていても行こうと思う何かがあったのか。ここでは後者の説を取ってはると思うんですけど、弱いんですよね。人を信じる、というだけでは動機としては弱い、ということがひとつ。
 あと、厳しいことを言うてるかもしれんけど、ちょっと知識の押し売り感があるんですよ。信長の鷹のくだりとか、いらないんですよね。歴史小説って、こういうことを常にやりがちです。僕もやってしまいます。もし史料が100あったら、実際に使うのは10ぐらいかな、という感じです。この我慢のしどころが大切で、エピソードを取捨選択して、相性のいいエピソードを組み合わせていく。俺はこんなに知ってる、ということは、こと小説にとってはプラスにならないんです。どれだけ絞って排除して、残った何かを光らせるか、という引き算も覚えたほうがいいのかな、と思いました。

 瀬川与之助は、実父であり藩の重鎮である小野川伊勢の命のもと、敵対する寒河江重蔵派の敵をひそかに斬り続けてきた。やがて小野川派と寒河江派は和解し、両派の懇親をはかる宴席がもうけられるものの、伊勢はこの機に寒河江派を滅ぼすつもりでいた。与之助はひそかに伊勢より、酔った寒河江派をすべて斬るように命じられていた。
 一方、人知れず斬ってきたと思っていた与之助の存在は、実は寒河江派に知られていた。寒河江派はこれまでの経緯を水に流し、伊勢を斬れば重くも用いると約束する。
 小野川派と寒河江派の命運は、思わぬ形で与之助に握られることとなる。
・池上氏の講評
 広行くん、これは何をテーマにして書きたかったの?
(佐藤氏「いびつな師弟関係というか、強権的な師匠によって一種のマインドコントロールをされている弟子の姿を書いてみたいと思いました」)
 そうか、でもこれは、奈津という女性が鍵でしょう。権力闘争の狭間で産み落とされたか弱き女性のはずが、実は……という力をひめている。サイドストーリーとして、彼女とのラブストーリーみたいなものがあると物語に芯ができましたね。つまり恋愛の醸成が殺意を輝かせ、権力闘争に勝利するようにもっていくと、作品の印象がガラッと変わる。
 それから、スピーディでテンポもあって読みやすいし、どぎつい残酷描写も作品世界に合っているので、これはこれでいいんですけども、主人公がちょっと強すぎますね、もっと弱さを抱えた人物にしたほうが良かったのではないかと思いました。

・小学館 菅原氏の講評
 3本の中で一番読みやすかったかな、という感想を持っています。こういう講座なので一般論をいうと、小説って3つ要素が必要で、ドラマと文体のスタイル、それと哲学みたいなものですかね。この3要素が揃っていないと、なかなか商業出版としては通用しづらいと思っています。
 文体は一応ちゃんと書けているレベルで、読みやすかったんですけれども、細かいところでいろいろ注文はありました。説明的な部分、冗長なところが結構ありました。自分が赤字を入れるとしたら、10頁目で、「終わりだ。はよう去ね」と言われたあとですね、「面倒くさげに伊勢が手を振った」の後は、いらないです。「犬を追い払う仕草と同じだ」これは説明です。「息子とはいえ犬であり手駒なのだ。使えれば生きる。使えねば死ぬ。それのみだ」これは、ここまで読めばみんな知っている内容なので、書かないほうがいいと思います。それに「……」だけのやりとりもいらないですね。「与之助は振り返らなかった」だけでいいです。こうやって、つい書いてしまったような部分がひっかかりました。
 ドラマの対立軸はわかりやすいし、面白い構造になっているな、一応考えたんだなということはわかります。けれど、結局テーマは何だったのかと考えたときに、書けてしまっている分、わからなくなってるなと思いました。先ほど作者が説明してくださったところによると、いびつな師弟関係を描きたかったと。これはとっても面白いです。それならば、師をどう乗り越えるか、という主軸をもっと太く貫いてくれたほうが、小説としてはまとまったと思います。
 あと、奈津がせっかく酷い目に遭いますね。そこで与之助に「助けてください」と言うときの万感の思い、これが強いんです。これを活かすために、奈津とのラブストーリーがもっと頭から書き込まれていると、師を越えるのとふたつの軸ができて、もっといい作品になったのではないかと思います。

・文藝春秋 瀬尾氏の講評
 感想から申し上げますと、非常に読みやすく最後までちゃんと読むことができました。基本的には、小野川派と寒河江派の二項対立が貫かれているので、読者が迷うところがない、というのは評価していいと思います。いびつな師弟関係を描くという目的の上で、奈津のキャラクター造形には苦労されたと思います。この物語で何が言いたかったのか、というところにもかかってくると思いますが、この物語で一番得をしたのは誰かと考えると、「助けてください」という言葉だけで男を動かした、奈津なんじゃないかと僕は思いました。単純なラブストーリーという枠組みではなく、男たちの勝手な思惑に翻弄されたひとりの女性が、どう自分の人生を切り開くか、という意味合いになって、奈津の強さ、したたかさも出てくると思います。
(息切れ)
 すみません、こういう大人数の前で話すのは慣れてないので、ちょっと呼吸が(笑)
 物語の構造として、藩を特定していない設定は、史実に縛られないという点ですごく巧妙だと思いますが、逆にいうと、藩を二分するような大ごとは、歴史を踏まえなくてもかなりのリスクを伴うと思うんですね。お家騒動というのは、たとえば伊達騒動にしても越後騒動にしても、幕府にバレるとやばいというのが一般的な理解だと思うし、15人も斬殺する大事件を起こすと、さすがにこれを放置する藩主の責任は免れないので、リアリティをもう少し考えたほうがいいと思いました。

・祥伝社 清水氏の講評
 みなさんたくさんおっしゃるので話すことがなくなってきましたが、私も、非常に読みやすいと思いましたし、世界観に違和感を抱くことがありませんでした。話の筋のわかりやすさもありましたし、派閥の対立する中で虐げられている与之助や奈津の存在に感情移入しやすい部分もありますので、よくできたストーリーだと感じました。
 その中で、指摘というかケチをつけるような言い方になりますが、ちょっと時系列がわかりづらい。3年ほど争って、1年前に屈して、その1年後にまた掃討するようになるんですけど、なぜ1年も空けたのか、そういうところに違和感を持ってしまって、読者の手が止まるところがあるかなと思いました。
 個人的な話をすると、結末として与之助と奈津がふたりで生きていくという発想になっていると思いますが、ふたりを自由にするためには、いっそ全員斬って逃亡する終わり方にしたほうが、自分としては好きな終わり方でした。

・今村氏の講評
 僕が言おうと思ってたこと、みなさんまあまあ言われましたね(笑)。
 結論からいうと、僕もこれが一番よかったです。これが文学賞の選考会に行ったら、すぐこれを選んでいたかなと思います。
 出来はいいと思います。ただ、だからこそ一番厳しいことを言ってあげたほうがいいのかなと思いました。さっき菅原さんも言わはったんですけど、「……」だけの台詞は、僕は一回も使ったことないんですよ。それは地の文で時間経過を表すべきなんですよね。時代小説の難しさって、5分という時間を描けないんですよ。四半刻の30分が最小単位なので、5秒とか10秒とか、難しい。そこを研究して研究してやることが、後々すごい力になってくるんです。今回でいうと、この無言がどのくらいの長さなのか、「……」じゃなく何か他の描写を使って表す。僕がよく使うのはタバコですね。ようタバコ使う作家ですよ、僕(笑)。この時代に逆行してるとはよう言われるんですけど、タバコ1~2服、っていうのは2~3分を表すのによう使います。そういうのもあるし、セミの鳴き声であるとか、鳥のさえずりであるとか、風が一回吹いてやむまで、とか、そういう余韻を残して読者に委ねるというやり方もできます。
 このまま肉付けして100枚ぐらいにしてもいいし、僕やったらね。一番面白いと思ったのは宴席の場面ですね。お酒を注いで回る、あちこちの人が肩を組んでる場面があったじゃないですか。あそこを最大ボリュームの小説にしたら面白いんちゃうかなと思います。会議小説ですよね。清州会議の切迫した版みたいな感じで、全体が400枚ぐらいやとしたら、300枚ぐらいは会議に割く。この主人公が右に行ったり左に行ったり、常に揺れまくる小説にします。剣でずっとやってきた、子どものように純粋な心を持ってて騙されやすい主人公が、どっちの派閥に行こうか、2時間ぐらいのひとつの飲み会の中で何回も変節するという小説が、面白いんちゃうかなと僕は思いました。こんなに悩んどいてぱっと終わらすんか、ぐらいのほうがむしろ斬新かなと思いましたし、この最後の終わり方は、そこまでは時代小説として割と王道を行ってるのに、最後だけ裏切りにいったのかなという感じがして、ここまで来たら最後まで王道で行ったらいいんちゃうかという気がします。王道で行くんやったら、両方の派閥とも斬っちゃってもいいし、もしくはこの奈津さんをすごい怖い女にして、その掌で転がされているというホラー系にしてもいいし。どっちにしても、この奈津さんの登場は、オープニングにしたほうがいいと思いますね。主人公と似たような境遇で通じ合うものがあるだろうし藤沢周平先生っぽい作品になるんじゃないかなという感じはしました。

 佐藤さん、投稿とかされてますか。僕も3年ぐらい前まではずっと投稿してたんですけど、これは「めっちゃオール讀物に出てそうやな」って思ったんですね。新人の投稿作としては、損やと思う。類似作がよう出てきそうな気もするし、破壊力がちょっと足りひんのよね。この賞にはこういう傾向があって前回の受賞者はどうで、とかはあんまり関係ないと思うけど、題材選びは、プロになってからやったほうがいいネタと、プロになる前にやったほうがいいネタがあって、これはどっちかというと、プロになって、架空の藩を舞台にした連作短篇集みたいなんを出せば、そこに入っていても違和感はあまりないかなと思いました。
 いい作品なんですけど、突破力がなさすぎるんですよ。じゃあ突破力がある作品ってどんなんや、と言ったら、これは難しいね。それがわかればみんな苦労せえへんねんけど、単純に分けたら、時代小説って歴史小説より突破力がないと思うんですよ。そこに日常が描かれていて、事件が少ないから。事件があったとしても、小説家が無理やり作った事件を与えてしまうから。日常から立ち上げていくより、もっと大きなネタを作って、そこにリアリティを与えて、納得させるような筆力を見せる。これが、新人賞を狙うにはいいやり方だと思います。

 伊達家隠密壮治は一人の男を追う。追っている理由は一人の女だ。
 女、絹とは赤穂浅野内匠頭の殿中刃傷事件により不穏な動きを見せる浪士監視の中で出会った。絹は上杉家隠密軒猿の女忍。壮治は刃傷事件の裏に伊達家を狙う幕府の陰謀を警戒し、絹は吉良家継嗣義周を守ろうとしている。二人は互いを助け合うようになる。
 赤穂浪士の吉良邸襲撃が幕府の強力な支援を受けて遂に決行される。防ごうとしていた絹は浪士を支援していた伊賀隠密集団に殺害される。壮治と主の辰信は幕府の外様潰しに直結する上杉家の報復行動と、浅野家と不通関係にある伊達家に対する浪士の挑発を防ぐために走る。
 浪士の吉良邸襲撃後、義周は信州に配流されてその地で命を失う。世間では浪士が称賛され、吉良家が貶められる。だが、吉良家には吉良家の真実と忠誠がある。いや、それよりも壮治自身の気持ちがある。壮治は自らの怒りに駆られて個人的な復讐に向かう。
・池上氏の講評
 これは吉良騒動というよく知られている歴史上の事件に、仙台藩という新しい視点を提示しているのが面白いんですが、ちょっと説明的すぎますね。男女の台詞も、ストーリーを動かすための説明になっているので、会話で説明するよりアクションを中心に描いて、活劇をもっと増やしたほうがいいのではと思いました。KOUさんはそういう書き方もできる人なので、もっと忍者同士の戦いなどを描けば、より面白いものになったのではないでしょうか。
・角川春樹事務所 原氏の講評
 池上さんもおっしゃったように赤穂浪士を新しい視点から書かれていて、ストーリーは面白いと私も思いました。ただ、歴史をテーマにした小説でもやはり人間を描かなアカンと思うので、その描き方が弱いかなと思いました。忍者が最後に人間の悲しみとかを取り戻していく部分もあるので、忍者の内面が感じられるようにもっと書きこんでいただけると良いかなと思います。
 動きの臨場感といいますか、音や匂いや色など五感の描写をもっと出してほしかったですね。会話が説明的になったのが残念です。ストーリーやキャラクターは魅力的でしたので、そこから小説として書き直していただけると、良くなると思います。

・新潮社 福島氏の講評
 私もみなさんと重なるのですが、今回の3作の中では、一番「勉強したんだろうな」と思いました。幕府が各藩を対立させてそれぞれの自滅を画策したりとか、大きい歴史のところは、私もなるほどと知識を得ながら読んだのですが、それはあくまでも背景であって、この作品の読ませどころはやはり忍者それぞれの動きや行動原理だと思うんですね。そこがあまり見えてこず、そもそも主人公の壮治がどの程度強い忍者なのかどうかもわからなくて、ささいなミスをすることもあるし、ぼんやりしているように見えることもあれば、いざ戦闘になると突破力があったりして、そういうキャラクターの部分が詰め切れていないように感じました。
 歴史的な部分では発見もあるのですが、人物造形が甘いところは残念に思いました。

・双葉社 後藤氏の講評
 僕も原さんや福島さんと同じように、ちょっとキャラクターが弱いということをまず感じました。全体的に文章は丁寧に書かれているなと思っているんですけど、池上さんもおっしゃったように、ちょっと説明的で読みづらい。丁寧に書かれているのに読みづらいというのは深刻なことで、冒頭の説明のあたりで読者が読むのをやめてしまいかねないぐらいの重さがある、というのが一番の問題点だと思います。
 それから、最後に主人公が藤兵衛という敵と戦う場面は、格闘シーンを詳しく描いているんですけど、そもそも藤兵衛というのが誰なのか、僕はわからなかったんですよね。絹を倒した五人の伊賀者の一人なのかな、とはわかりますが、明確に誰が絹を倒したのか。毒が塗られた手裏剣で傷をつけた人間か、もしくは斬りかかった三人のうちの一人か、それとも彼らの頭分なのか。そこがはっきり描かれていなかったので、なぜ藤兵衛に執着したのかがわからない。せっかく冒頭で藤兵衛と対峙して、ラストでこれを倒すという構成になっているにも関わらず、その相手である藤兵衛がすごく曖昧な存在になっている。この辺は、絹がやられるシーンで藤兵衛が何をしたのか描かれていれば、カタルシスが得られたと思いますので、残念なところです。
 あとは、細かいところですが、人物それぞれの自称ですね。絹が「あたし」だったり「私」だったり「わたし」だったりするし、主人公はけっこう年配の忍者だと思うんですが「おいら」って言ってるんですよ。一方で、地位の高い老齢の武士である片倉辰信は「俺」って言っているんですね。時代小説の基本中の基本として、一人称や相手に対する敬称によって、その人の身分やキャラクター付けがなされます。ここは非常に違和感がありましたので、気をつけていただきたいと思いました。

・今村氏の講評
 これはたしかに読みづらかったですね。流行る流行らへんでいうなら、こういう形でガッツリ詰めたんは正直あまり見かけへんから、もうちょっと読みやすくしてあげたほうがいいな、と単純に思います。どっかにむちゃくちゃ長台詞ありますよね。長台詞って、相当な覚悟をして使わなアカンのですよ。長台詞である必要があるときだけ。そうでないと、説明が面倒くさかったんかな、と思われるんです。まさしく今回の長台詞は、説明口調で、面倒臭かったから一挙に長台詞でやったんやな、と僕は取りました。
 自分の目安としては、僕は台詞はMAXで4行にしてます。普段は2行ぐらい。それぐらいの、自分の目安を持つことが大切かなと思います。これはあくまで好き好きやからいいんですけど、KOUさんは台詞のあと改行しない、山本周五郎先生と同じ文体じゃないですか。そうやったらなおさら、この長台詞は、どこまでしゃべっててどこから地の文なのか、迷いを呼びますよね。そういうことを想定するのが、さっきから言っている、「読者はどう見るだろう」と第三者の目から自分の作品を見れてない証拠なのかなと思いました。

 ストーリーに関しては、僕もこれはけっこういいと思っています。もしこの3作品の中で、僕が書き直したらどれが一番面白くなるやろうと考えたら、僕はこれが一番テーマとして向いているかなと思いました。ただ、これもさっきと一緒やけど、76枚でやるには時代背景の説明が多すぎるんですよ。歴史小説って、思い切って捨てることが大切で、出てくる大名家の数ももっとシャープにできると思います。
 ちょっときついけど、KOUさんの我みたいなものを強く感じるんですよね、この小説には。小説を書くということは絶対に我を出すことだからいいんですけど、我を入れるのは小説の核というか魂というか、中心部分に注入するんであって、文章に我を出したらダメやと思ってるんです。文章はやはり、他者から見た自分というものを常に考えなアカンと思ってて、たとえば24頁目、最後の一番いいところで「藤兵衛がまた喉の奥で笑った。相手の声だけを聞けば静止しているように感じる。が、壮治には分かる。声の大きさを微妙に操り距離を誤認させる技だ。伊賀忍が暗闇でよく使う」って、これはなくてもよくないですか。おそらく調べられたんでしょう、忍者はたしかにこういうことするし。でもこれって、俺はこういうこと知ってるよ、と言っているようで鼻についてしまうんですよ。どうしても必要なときだけやればいいんです。
 僕やったら、戦い自体をさせないで、戦う瞬間でこの物語を閉じるかなと思いました。冷徹なはずの忍者が、なぜ女のためにここまでするのか、という心の動きをピックアップしたほうがいい。藤兵衛から「忍びが女ごときに我を失ってどうする」と問われて「わかっている。だから、私怨ですよ」と答えますね。ここで僕やったら、ふと自分の過去を考えさして、自分すらわからへんけどもしかしたらこんな些細なことのために戦ってんのかなとか、ちょっと自問自答というか、心理描写ですよね。読者にも考える余地を残しつつ、戦う瞬間で終わったほうが小説として綺麗かなと思いました。なぜそう思ったかという一番の理由は、後半の一番ええところで、ヌンチャクの説明があるんですよね。これは絶対いらないんですよ。ここでテンポ崩すぐらいやったら、ヌンチャクじゃなくて刀にしてほしいんですよ。ヌンチャクにした理由は、たぶん作者がヌンチャクについて調べたから使いたい、という我が勝ってるんですよ。あくまで物語が一番で、読者がこの小説をどう読むかということが最優先で、それ以外の部分は削ぎ落とす。自分が書きたいものはストーリーに込めて、文章からは排除してください。すると、ずいぶん読みやすくなるんじゃないかな、と僕は思いました。

※以上の講評に続き、後半の模様は本サイト内「その人の素顔」にてアップいたします。

【講師プロフィール】
◆今村翔吾(いまむら・しょうご)氏
 1984年、京都府生まれ。ダンスインストラクター、作曲家、埋蔵文化財調査員を経て専業作家に。2017年、新庄藩の火消しを題材にした『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』でデビュー。18年、同作で歴史時代作家クラブ賞・文庫書き下ろし新人賞受賞。「羽州ぼろ鳶組」シリーズは大ヒットし、第4回吉川英治文庫賞候補。同年『童の神』で第10回角川春樹小説賞を受賞。同作は直木賞候補にもなる。他の著書に「くらまし屋稼業」シリーズ、『ひゃっか! 全国高校生花いけバトル』『てらこや青義堂 師匠、走る』など。

●羽州ぼろ鳶組シリーズ(祥伝社文庫)

1巻「火喰鳥」
 ※第7回歴史時代作家クラブ賞・文庫書き下ろし新人賞受賞
2巻「夜哭烏」
3巻「九紋龍」
4巻「鬼煙管」
5巻「菩薩花」
6巻「夢胡蝶」
7巻「狐花火」
8巻「玉麒麟」
9巻「双風神」

●くらまし屋稼業シリーズ(角川春樹事務所 時代小説文庫)

1巻「くらまし屋稼業」
2巻「春はまだか」
3巻「夏の戻り船」
4巻「秋暮の五人」
5巻「冬晴れの花嫁」

●「童の神」(角川春樹事務所)※角川春樹小説賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4758413290/

●「ひゃっか! 全国高校生花いけバトル」(文響社)
https://www.amazon.co.jp//dp/486651096X/

●「てらこや青義堂 師匠、走る」(小学館)
https://www.amazon.co.jp//dp/4093865361/

●「八本目の槍」(新潮社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4103527110/

●「戦国の教科書」(講談社)
共著:天野純希 今村翔吾 木下昌輝 澤田瞳子 武川佑 矢野隆
https://www.amazon.co.jp//dp/4065164907/

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