「その良さを説明しようとしてしきれないのが、本当にいい作品だと思うんですね。傑作は必ずどこか特殊なところがあって、でもそれは再現性がない、繰り返すこともできない一回性の輝きです」

第109回は穂村弘氏をお迎えして、現代を代表する名短歌の解題や、最新歌集『水中翼船炎上中』(講談社)についてなど、池上冬樹が作成した資料(項目別に分かれた秀歌集)をもとにお話していただきました。
◆セーラー服の女性歌人/やっぱり基本は恋の歌/恋と性にまつわる時代性
――みなさん、お手許の資料をごらんください。たくさんの項目を作り、それにあわせてたくさんの短歌を集めましたが、全部の話をうかがうことは時間的に難しいようです。前回お招きしたときも話題にした女性歌人鳥居(とりい)さんから話をはじめましょう。
最近は短歌を読む人が減ってきているといわれますが、その一方で、大学の短歌サークルやSNSでは活況を呈しています。しかし、なかなか話題になる人は少ないのが現状ですが、その中で話題の人といえば、セーラー服の女性歌人、鳥居さんですね。この方はお母さんが精神病で自殺されて、施設で育って、義務教育もきちんと受けられなかった。そんな情況の中で拾った新聞で字を覚えたという方で、大人になってもセーラー服を着ているんですが、第1歌集『キリンの子』(KADOKAWA)が話題になり、改めて短歌の魅力を世間に発信しています。前回も取り上げましたが、時代がひとつ昔に戻ったようで、貧困や病気、家族というテーマです。80年代ごろは、豊かさや欲望を謳歌するものが多かったんですけれども、また昔の日本文学のテーマが戻ってきたと感じます。穂村さんはいかがですか。

穂村 なぜその人がその歌を詠んだのか、という話を先ほどの講評でもしましたが、例えば鳥居さんの歌
・大根は切断されて売られおり上78円、下68円
これとかはなぜこの歌が書かれたのかわからないんだけど、たぶんあらゆるものが価値を査定される社会のあり方、同じ大根が上と下に分けられて値段が違う、というような社会で、常にジャッジを受ける側の感覚が、ここにあるのかなと思います。
――スーパーでいつも見かけているんだけど、このように歌われるとドキッとするというか、怖いですよね。
穂村 ベタに言ってしまえば、上78円、下68円、わたしはいくらなんだろう、みたいなイメージがあるのかな。
――この歌もすごいですね。
・孤児たちの墓場近くに建っていた魚のすり身加工工場
おそらく施設にいたときのことなんでしょうけど、海のイメージなんてぜんぜん出てこないところに「魚のすり身加工工場」というのが、ショックを与える言葉ですね。
穂村 もう徹底的にやられちゃう、みたいなイメージですよね。徹底的にやられてしまう、すり身加工工場みたいなところにわれわれもいる、という。すり身、というところが何か怖いですよね。

――それからこれも怖くてすごい。
・病室は豆腐のような静けさで割れない窓が一つだけある
割れない窓が一つだけある、というのがなんとも怖いですね。
穂村 これは精神科とか、そういう感じの病室なのかな。
――鳥居さんの歌集は、こういう刺激的な歌もありますが、一方で静かで幸福な情景も歌っているんですね。その辺は2017年の回でくわしく話しているので、そちらのルポをご覧ください。
今日は、ほかの歌人の傑作についても、いろいろ伺いたいと思います。まずは、穂村弘さんと東直子さんとの対談『しびれる短歌』(ちくまプリマー新書)からです。いろいろな歌についてのお話がとても興味深いものでした。冒頭では「やっぱり基本は恋の歌」と題して、さまざまな恋の歌を取り上げていますね。
・年下も外国人も知らないでこのまま朽ちてゆくのか、からだ(岡崎裕美子)
・体などくれてやるから君の持つ愛と名の付く全てをよこせ(岡崎裕美子)
・精神を残して全部あげたからわたしのことはさん付けで呼べ(野口あや子)
これらは女性の歌ですね。

穂村 最初の歌は、本当に身も蓋もないですよね。ある時期までこういう感覚は表面化してなかったと思うんです。たとえば食べ物で、このままタピオカを一度も食べずに死んでいいのか、とか(笑)、死ぬ前にふぐを食べてみたい、とか、あるいは外国旅行でこのままベネチアに行かずに死んでいいのか、みたいなのはあったと思うんだけど、性的なものはそういうゾーンにはない、という了解があったわけですよね。とくに女性サイドの場合は。ところがここではそれを身も蓋もなく歌っていて、しかも「死んでいいのか」じゃないところがまたね。「朽ちてゆくのか、からだ」って。何歳ぐらいのときの歌なのかわかりませんが、こう言ったときに、ふしだらだとかけしからんとか、言わせない凄みがありますよね。
2首目と3首目も、「さん付けで呼べ」というのはちょっと冗談だと思うんですけど、この辺は、まともなアプローチでは関係性が結ばれないという絶望感みたいなものが根底にあって、それを乗り越えるためのアイロニーとか偽悪的な言い方であって、だからその辺の性差や関係性の問題がちゃんとフェアに成立していれば、こんなことは言わなくていいという感じだと思いますね。
――「夜道ゆく君と手と手が触れ合うたび我は清くも醜くもなる(栗木京子)」、この歌は穂村さんも東さんもたいへん褒めていらっしゃいますね。
穂村 時代が違う歌ですね。性的な面で、いまの感じではないですね。性的なものを意識する、ということが醜いとされていた。いまはそんな認識はないんじゃないですかね。70年代ぐらいの感じかな。80年代はもう違ったような。

◆恋愛の「地獄の歌」とは/女性の身体感覚/働く女性のカラータイマー
――「焼肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き(俵万智)」、これは最初は「焼肉と漫画」だったのを、俵さんが「焼肉とグラタン」に直したんですよね。
穂村 俵さんの怖さがよく出ているというか(笑)、少女に好きな食べ物を聞いておいて、私はあなたのお父さんが好き、食べたいという。地獄の歌ですよね。誰の歌だったかな、恋人とその奥さんと、スーパーでばったり会って、私は二人のカゴの中の肉になりたい、というのがあって、これも恐ろしいと思ったけど(笑)、そこまで突き抜けるってやっぱりすごいよね。
――「ただひとつ惜しみて置きし白桃(しらもも)のゆたけきを吾(われ)は食ひをはりけり(齋藤茂吉)」、これは恋と食べ物には密接な関係があるという例で、白い桃を食べるだけの歌なんですけど、非常にエロティックですよね。
穂村 くどいよね(笑)、短歌一首分を使ってただ桃を食べたと言ってるだけだから、これはただの桃じゃないって感じが生じています。
――これに近い感覚の「中年や遠くみのれる夜の桃(西東三鬼)」という俳句もあって、石田衣良さんがそれをもとにして『夜の桃』(新潮文庫)という中年恋愛小説を書いたんですね。僕はすごく好きなんですけど、女性編集者たちには「おやじファンタジー」といって非常に評判が悪いんですが(笑)。
穂村 俳句の中で見ても「中年や」って、そこに「や」を付けちゃうんだ(笑)。もっといいものに付くイメージがあるところに「中年や」って、そこに三鬼の面白さがありますね。

――『ぼくの短歌ノート』(講談社文庫)で取り上げられた、女性の身体感覚の歌も面白いですね。
・したあとの朝日はだるい 自転車に撤去の予告の赤紙は揺れ(岡崎裕美子)
・するときは球体関節、のわけもなく骨軋みたる今朝の通学(野口あや子)
・もちあげたりもどされたりするふとももがみえる/せんぷうき/強でまわってる(今橋愛)
・脱がしかた不明な服を着るなってよく言われるよ 私はパズル(古賀たかえ)
これらを簡単に説明すると、どんな感じですか。
穂村 「したあとの朝日はだるい」、何をしたかは書いてないけどおそらくセックスですね。それも幸福なセックスではなくて、そのあと駅に向かって歩いているんだろうけど、自分と撤去予告された自転車がオーバーラップしているんですね。この自己認識ってすごく苦いものです。最後の歌も、「脱がしかた不明な服を着るな」って、すごく無礼なわけですよね。お前のために着ているわけじゃないんだよ、というのが当然の反論なんだけど、その反論が社会的に成立しないバイアスがすごくかかっているとき、短歌の中でどんな表現方法があるのかというと、「私はパズル」なんだ、解けるものなら解いてみろという。その非対称性がない世界では、そんな言挙げはいらないわけですけど、非対称性がある場合、「私はパズル」というのは、ある種の誇りの示し方っていうかね。お前には絶対に解けないパズルなんだ、というイメージなんだと思う。その非対称性が、自分をパズルや自転車や球体関節人形や扇風機と重ねるまなざしを生み出している。男性側に、こういう歌ってほとんどないから。自分の身体をそういうふうに客観化しませんからね。
――働く女性の歌もあります。リストアップしたものを読みます。
・ちょっと気が遠くなるほどきつかったラジオをつけないラジオ体操(山川藍)
・退職の一日前に胸元のペンをとられるさようならペン(同)
・「天国に行くよ」と兄が猫に言う 無職は本当に黙ってて(同)
・残業の夜はいろいろ買ってきて食べてゐるプラスチック以外を(本多真弓)
・後輩のカラータイマー点滅すあとはわたしがやるからやるから(同)
・<改悪例>後輩のカラータイマー点滅すあとはわたしがやっておくから
・わたくしはけふも会社へまゐります一匹たりとも猫は踏まずに(同)
現代の働く女性の歌では出色のふたりですが、どれもすごいですね。

穂村 「無職は本当に黙ってて」というのは衝撃的な下の句ですよね。「ラジオをつけないラジオ体操」というのも、その恥ずかしさが想像できるし、「残業の夜はいろいろ買ってきて食べてゐるプラスチック以外を」というのも、コンビニかどこかで買ってきたものをひたすら食べていて、袋とか容器とかの「プラスチックは食べない」と言い聞かせないといけないみたいな、限界を越えた感じがありますよね。
――ここで挙げた<改悪例>がまた面白い。普通は改良してみせるんですが、穂村さんの場合はあえて改悪してみせることで、元の歌のどこが優れているのか証明してくれる。
穂村 「後輩のカラータイマー点滅すあとはわたしがやるからやるから」、これは仕事が忙しすぎて後輩がパニックになっちゃったんですね。そのとき私も焦っていて「わたしがやるからやるから」と、ちょっと本人もパニックになっている感じと、あとウルトラマンのカラータイマーがピコーンピコーンと鳴るリズムと重なる。意味としては「あとはわたしがやっておくから」でも同じなんだけど、それだと本人にもパニックが伝染っている感じとか、カラータイマーのリズムが消えちゃう。一緒に仕事に立ち向かっている感じが、元の歌にはあるんですよね。

◆働く人の、朝のできごと/愛の同心円を乗り越えて/夏の情景を歌う名作
――同じく、労働の歌もありますね。萩原慎一郎の『滑走路』(KADOKAWA)、これは32歳で自死した歌人の、非正規雇用を題材にした歌として有名です。
・頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく
・消しゴムが丸くなるごと苦労してきっと優しくなってゆくのだ
・夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから
・抑圧されたままでいるなよ ぼくたちは三十一文字で鳥になるのだ
・きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい
・今日という日もまた栞 読みさしの人生という書物にすれば
穂村 「朝になったら下っ端だから」というのがすごいよね。僕も会社で働いているとき、駅から現場までの道で前を先輩が歩いていて、声をかけようか迷って微妙な距離でついていったら、急に先輩がすとんとしゃがんだことがあって、びっくりして見てたら10秒ぐらいしゃがんでまた立ち上がって歩き出したから、けっこうギリギリだったんだなってわかったことがあるけど。
――同じく夭折した歌人で、こちらは26歳で病没した笹井宏之さんの歌もすごいですね。
・ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす
・拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません
・あるいは鳥になりたいのかもしれなくて夜をはためくテーブルクロス
・さあここであなたは海になりなさい 鞄は持っていてあげるから
・みんなさかな、みんな責任感、みんな再結成されたバンドのドラム
・えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい
笹井さんの歌集『えーえんとくちから』(ちくま文庫)は穂村さんが解説を書かれていますが、こんな歌人がいたのかとびっくりしました。大衆性もあるし文学性も芸術性もある。稀有な歌人で、この人の名前を冠した短歌賞も生まれたんですね。生きていたら大歌人になったのではないかと思います。

穂村 「みんな再結成されたバンドのドラム」って、主語が「みんな」なんですね。もともと短歌って自分を出す、一人称のジャンルだから、自分のことを新結成されたバンドのボーカルだと思うんだよね。でも、彼はそうじゃなくて、「みんな再結成されたバンドのドラム」というところが自意識の出発点で、これはわれわれの感覚からすれば衝撃的で、才能があろうがなかろうが自分は新結成されたバンドのボーカルだと思うところから表現が始まるものだと思ってたから、「みんな再結成されたバンドのドラム」だろ、と言われて、おうとは言えない自分を感じて、すごいなと思った。
「ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす」、これはイメージとしては自分が樹で、上から落ちる実を、「あなた」がワンピースのすそを広げて受け止めるわけでしょう。その関係性が、生身の人間同士でものを手渡すよりも、ずっと優しい感じがするっていうかな。
「拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません」というのも、何を言っているのかわからないといえばわからないんだけど、何かすごく「あなた」というものを大事にしている感じがありますね。
表題になった最後の歌は、「えーえんとくちから」というのが「えーえん、と口から」声を出して泣いているのかと思ったら「永遠解く力」になる。笹井さんって持病があった方なので、もしかして「永遠解く力をください」というのはそこと関係した願いなのかな。非常にインパクトのある歌ですね。
短歌ってもともと自己愛だから、自分が一番大事なんですね。次に大事なのが家族とか恋人とか、つまり自分に親しいもの。その次は友だちとか、ちょっと距離がある。というふうに、自分を中心として同心円的に序列が決まっていて、だから恋愛の歌も、人が亡くなったときの挽歌も、すべてその同心円に則って歌われる。当たり前なんだけど、それが本当に当たり前なのかという問いかけが、たぶん今あって。自分を中心にした同心円で愛というものを設定すると、戦争とかもそれによって起きているではないか、こっちに私がいるようにあっちにも「私」がいて、私と「私」は距離が遠くて、それぞれ近いものが大事で、というのが当然だということになると、愛の同心円があるためにふたりは永遠に戦うことになると思うのね。でもそれを解除するのってすごく難しいことで、生身の実感としてはわからないけど、少なくとも表現において笹井さんとかはその同心円を解除しようとしていた。近いものと遠いもの、他人とかいう意味じゃなくて、虫とか花とか、石ころとか消しゴムとか生命のないものも、自分の最愛の人と同じようにまなざしを当てている。そんなことができるのか、と思うんだけど、それをやろうとしている感じがあって、だからある種の聖性を感じる。もしもこういう感覚が広がれば、たしかに愛と憎悪の、われわれが当然だと思っていた感じが変わるのかな、と一種の思考実験のように思います。
手紙魔まみのモデルになった、雪舟えまさんという作家がいるんだけど、彼女もちょっとそういう感覚があって、「江東区を初めて地図で見たときのよう この人を護らなくては」という歌があるんですね。江東区って、たぶん埋立地で細切れになっていてかわいそうに見えたんだと思う。それと、自分の恋人とか旦那さんを同一視してるわけ。あなたを見たとき、江東区を地図で見たときと同じ気持ちになって、この人を護らなくてはと思った、って言われたら微妙な感じになると思うんだけど、そこが笹井さんっぽくて、江東区と最愛の人が等価で結ばれる、というのがわれわれのときにはなかった感覚だと思うんですね。

――それから、夏の情景を歌ったものでは、これが一番の名歌だと思います。
・あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ(小野茂樹)
これは素晴らしいので、みんなに知ってほしいと思って選んでみました。
穂村 戦後の恋愛の歌の人気投票みたいなのを短歌の雑誌でやったら、これが一番になってましたね。「たった一つの表情をせよ」、どういう感じですかね。記憶の中のたった一つの表情に、その夏のすべての表情が潜んでいるというような。小野さんも若くして亡くなりましたね。
◆小水が導くパラレルワールド/朱肉のような地面の上を/啄木と牧水、シンパシーとワンダー
――では、穂村さんの最新歌集の話を伺いたいと思います。『水中翼船炎上中』(講談社)、なんと17年ぶりです。時間がかかりましたが、やはり歌人として歌集を出すのは、穂村さんほどの方でもプレッシャーが強いものなんですね。この中から、僕が選んだ3首を取り上げましたので、解題をお願いします。
・ふたまたに割れたおしっこの片方が戒厳令の夜に煌めく
・宇宙船のマザーコンピュータが告げるごきぶりホイホイの最適配置
・なにひとつ変わっていない別世界 あなたにもチェルシーあげたい

穂村 おしっこが二股になることがあるんですけど、そうすると一瞬、自分がふたりに分かれたような錯覚が起きて、パラレルワールドになる(笑)。男性はわかると思うんだけど、そうすると、こっち端がいまのワールドで、そっちに行ってるのはパラレルワールドの自分のおしっこで、もしかするとそっちの日本は戦争状態で戒厳令が出ている。戦争の感じっていうのが10年前よりも近づいたというイメージがあって、ミサイルが飛んでいたときに作った歌です。
宇宙船の歌は、マザーコンピュータがわれわれに指示を出して、ごきぶりホイホイをこことここに置きなさいと命令する、というのを想像したんですけど、要は宇宙船の中にもちゃんとごきぶりがいて、ホイホイで駆除して、そのためにマザーコンピュータを使っているという、冗談なんだけどちょっとそういう感じがいまの社会にはあるのかな、というイメージです。
チェルシーはね、あのときの歌なんですよ。震災のね。なにひとつ変わっていない別世界って、昔の戦争とかそういうもののイメージって、国破れて山河ありみたいな言い方をされていて、国という人間が作ったものは壊れても、山や川は永遠にあるというイメージでとらえていた。でも、あの震災の、原発事故のとき何が一番怖かったかというと、見た目上は何も変わっていないのに、何かが決定的に違うということでした。それが「なにひとつ変わっていない別世界」っていうイメージで、牛が粉ミルクになっちゃうっていう短歌も作ったんだけど、それも、牛は変わらず生きていて牛乳も出しているのに、それが安心かどうかみんな疑心暗鬼になっちゃって、赤ちゃんのいる人たちが輸入の粉ミルクを買っていた、というニュースを見て、そういう感覚になったんですね。「あなたにもチェルシーあげたい」はCMの本歌取りというかそのまんまなんだけど、なぜこれが「あなたにもチェルシーあげたい」なのかは僕にもよくわからない(笑)。変わる前の世界からの贈り物かな。

――この最新歌集の中で一番驚いたのは、お母さんの死を歌った作品がいっぱいあるんですね。死にたまふ母、というのは多くの名作があるモチーフで、特に斎藤茂吉や河野裕子の歌は有名ですが、それに比肩するものがある。
・月光がお菓子を照らすおかあさんつめたいけれどまだやわらかい
・母の顔を囲んだアイスクリームが天使に変わる炎のなかで
・箸立てたごはんを抱いた叔父さんがエレベーターにうつむいている
・今日からは上げっぱなしでかまわない便座が降りている夜のなか
・髪の毛をととのえながら歩きだす朱肉のような地面の上を
お母さんの死を便座で表現する、というのは初めて見ました。
穂村 父と母と私で住んでいましたから、母がいなくなると、便座が上げっぱなしでよくなる。それまでは父も私も母のために便座を下げていた、ということなんだけど、葬式が終わって、便座をつい下げようとして、ああ今日からもう下げなくてもいいんだ、と思ったんですね。
――何気ないようですごく切実な歌ですね。お菓子やアイスクリームのイメージは、最初は意味がよくわからなかったのですが、これはお母さんが糖尿病で亡くなったことからきているんですね。

穂村 アイスクリームも、もう亡くなったんだから好きなだけ食べてほしいと思ってお棺に入れたんですね。いまは規則がうるさくてお棺にいろいろ入れられなくなっているみたいですけど。みんな比喩だと思って読むんだけど、実景です(笑)。
――お葬式のときの、奇妙な現実感のなさを「朱肉のような地面の上を」歩く、と表現されているのも、すごくよくわかるしうまいですね。
穂村 ふわふわしてね、あとなんとなく、朱肉って血縁のイメージがあるのかな、と思ったんですね。親が死ぬと、ほっとするような部分もあったりとかしますね。もうこれで孫の顔を見せろと言われなくて済む、とか。口に出しては言われないんだけど、びりびり伝わってくるんですよ(笑)。親が死んだというのにこんなこと思っていていいのか、でもそう言ってもたしかに何%かはそう思っているというか。それぐらい混乱していましたね。
――前作から17年もかかったのはどうしてですかね。
穂村 短歌って構成が難しいんですね。どれを入れてどれを落とすか、どんなふうに並べるのか、ということもあるし、タイトルひとつとっても、その全体を象徴するものにしたいと思うし。他の本はもっとさくっと出せるんですけど、難しかったですね。
――穂村さんのこの歌集は若山牧水賞を受賞されました。そこで僕も若山牧水の歌を改めて読み返したのですが、僕が酒好きだということもあってか、いま読んでもぜんぜん古さを感じさせないですね。現代の短歌において、若山牧水といえばどんなイメージになっているのでしょうか。
穂村 やはり旅と酒の作家、というイメージは強いですね。お酒を飲みすぎて、亡くなっても遺体がアルコールのせいで腐らなかった、という伝説もあるぐらいですし。天性の歌人、みたいなイメージですね。授賞式のスピーチでは、啄木との比較について話しました。啄木は、
・はたらけどはたらけどなほわが暮らし楽にならざり ぢっと手を見る
みたいに、100年後のわれわれも共感するようなツボを発見した人ですよね。啄木がシンパシーの人だとすると、牧水の、
・白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
なんていうのは、ワンダー、驚異です。なんで白い鳥が悲しいの、と思わされるし、その説明も、空の青にも海の青にも染まらないからだ、というのは通常の説明ではないですよね。でも、憧れの世界に染まっていけない、いつまでも白いままの鳥の悲しみ、みたいなものが、その歌の中で理解されているというような。

◆名句よりもエキセントリックな取り合わせを/説明できない良さを可視化するために「改悪」/字余り字足らずの脳内ガイドライン
――評論集『短歌の友人』(河出文庫)にも、短歌では共感と驚異のふたつが大切である、とありましたね。そちらにも詳しい話が書いてありますので、みなさんぜひお読みください。ではそろそろ時間もなくなってきました。今日は穂村さんに会いたくて来場したファンも多いようですので、質疑応答に入りたいと思います。
女性の受講生 私は仙台で歌会をやっているんですが、穂村さんはいまでも主催者としてではなく、普通に歌会に出席されることもありますか。
穂村 たまにありますね。岡井隆さんがやられてたときは、そこへ行ったりしてました。でもいまは、句会に出ることのほうが多いかな。歌会には誘われなくなってるから(笑)。
女性の受講生 私は仙台で句会のほうをやっているんですけど、先ほど西東三鬼(さいとう・さんき)の話が出ましたが、穂村さんがお好きな俳人についてお聞きできればと思います。
穂村 三鬼は好きですね。あと波多野爽波(はたの・そうは)かな、それに中村草田男(なかむら・くさたお)。なんて言うのかな、いわゆる名句みたいなのはダメなんですよね。エキセントリックな取り合わせが多い作家をどうしても好きになってしまうので、新興俳句の人たちとか。

男性の受講生 働く女性の歌についてのお話で、改悪例を示すというのが効果的で面白かったのですが、改良例ではなく改悪例を出すようになったきっかけはあるのでしょうか。
穂村 何だろうな、その良さを説明しようとしてもしきれないのが、本当にいい作品だと思うんですよね。だけど説明以外のやり方でその良さを可視化できないか、と考えたんです。改悪例というのも、わざと悪くしているわけじゃないんですよ。さっきの例でも、「あとはわたしがやっておくから」は、音数もちゃんと合ってるし、普通なんですよ。「あとはわたしがやるからやるから」だと字余りで、変則的なんです。改悪例というのは、「普通はこうなっちゃうよね」ということなんですよ。傑作は必ずどこか特殊なところがあって、でもそれは再現性がない、繰り返すこともできない一回性の輝きで、それをひと目でわかるようにするやり方です。僕は添削って信用してなくて、たとえば僕は洋服がダサいとよく言われるんだけど、おしゃれな人にいくらその場でこうしたほうがいいですよと言われても、何十年繰り返しても身につかない。つまり添削されてもダサい人は一生ダサいんで(笑)、そうじゃなくて、普通はこうなっちゃうというのを見せたほうが、センスのいい人のどこがいいのかわかると思うんですよね。
女性の受講生 いまの「やるからやるから」の話で思ったんですが、私は短歌や俳句にそこまで造詣が深いわけではないので、字余りとかをどの程度やってもいいのかよくわかりません。きちんとラインが引けるようなものではないと思いますが、先生はどのように考えていらっしゃいますか。

穂村 僕の考えは、定形は守るためのルールじゃなくて、意識するための尺度という考え方です。だから、字余りも字足らずも、いくらでもやっていい。ただし、なぜそうなったのか説明できなくてはいけない。なんとなくそうなっちゃったとか、直せなくてこうなった、というようなのはダメで、それが定形内に収まるよりも字余りや字足らずによって確実によくなっている、ということを本人が意識化できていればOK、という感じですね。だから、字余り字足らずを見たときは、これが定形に収まるよりもよくなっているか、ということを脳内で考えて、その確信が持てない場合は作者に不信感を持つ。適当にやってんじゃねえの、みたいな(笑)。適当、ということはないという考え方なのね。だから、苦しいのは、すごく好きな作家にそれがいっぱいあるとき、引き裂かれる。すごく好きなのに、何か信じられないみたいな。葛原妙子がそうで、一番好きなんだけど、彼女の字足らずに関して僕は納得いっていないという立場で、そこの字足らずがいい、という人を見ると不信感を持つ(笑)。ということだから、自分の中で意識していればOK、ということです。
――まだまだ質問されたい方が多いようですが、ごめんなさい、残念ながら時間となりました。もっとお話を聞きたい、という方は懇親会のほうでお願いします。今日は長時間ありがとうございました。
(場内大拍手)


【講師プロフィール】
◆穂村弘(ほむら・ひろし)氏
歌人。1962年、札幌市生まれ。上智大学文学部英文学科卒。86年に連作『シンジケート』で角川短歌賞次席。89年に第1歌集『シンジケート』、92年に第2歌集『ドライ ドライ アイス』を刊行して90年代のニューウェーブ短歌運動を推進する。2002年に初エッセイ集『世界音痴』を刊行し人気エッセイストの地位を築く。08年短歌論『短歌の友人』で伊藤整文学賞、17年『鳥肌が』で講談社エッセイ賞受賞。18年、17年ぶりの第4歌集『水中翼船炎上中』(講談社)を刊行し若山牧水賞を受賞。日本経済新聞の歌壇選者。

●第1歌集「シンジケート」(沖積舎)※角川短歌賞次席
https://www.amazon.co.jp//dp/480601110X/

●第2歌集「ドライ ドライ アイス」(沖積舎)
https://www.amazon.co.jp//dp/4806011118/

●第3歌集「手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)」(小学館文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4094060227/

●第4歌集 「水中翼船炎上中」(講談社)※若山牧水賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4062210568/

●「しびれる短歌」穂村弘(著)東直子(著)(ちくまプリマ―新書)
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●「ぼくの短歌ノート」(講談社文庫)
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●エッセイ集「世界音痴」(小学館文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/409408441X/

●歌集「短歌の友人」(河出文庫)※伊藤整文学賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4309410650/

●「鳥肌が」(PHP研究所)※講談社エッセイ賞
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-83051-3

●第二エッセイ集「もうおうちへかえりましょう」(小学館文庫)
https://www.amazon.co.jp/dp/B00B9CAKVW/

●「短歌ください」(角川文庫)
https://www.amazon.co.jp/dp/4041026040/

●「はじめての短歌」(河出文庫 ほ6-3)
https://www.amazon.co.jp//dp/4309414826/

●「野良猫を尊敬した日」(講談社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4062203952/

●歌書「短歌という爆弾―今すぐ歌人になりたい人のために」(小学館文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4094088695/

●近現代詩歌 池澤夏樹=個人編集日本文学全集
https://www.amazon.co.jp//dp/4309728995/

●「もしもし、運命の人ですか。」(角川文庫)
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●「ラインマーカーズ The Best of Homura Hiroshi」(小学館)
https://www.amazon.co.jp//dp/4093874492/

●「えーえんとくちから」笹井宏之 著 解説 穂村弘(ちくま文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4480435751/

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