「いま自分たちがうかうかして、やらなければいけないことをやっていないと、次の世代がつらいことになるんだよ、と考えると、書きたいことがおのずと決まってくると思います」

 2019年度の一回目になる第107回は、太田愛氏をお迎えして、物語への興味の芽生えから、脚本家デビュー、小説家デビューに至ったそれぞれの経緯、さらに脚本と小説の違い、過去の戦争体験を踏まえた作家の使命などについても、お話ししていただきました。

◆小川未明の「死の影」/執筆の原体験は口述筆記/演劇をやった理由とは

――太田さん、このような講評は初めてだそうですが、やってみていかがでしたか。

太田 生まれて初めてです。シナリオ教室なども、できる限り逃げていたんですけど、今回初めて捕まったという感じです(笑)。

――もっと脚本家的な、ビジュアル的な講評かと思っていたんですが、文章もきちんと捉えられていて、小説家の講評でしたね。もともと小説家志望だったのでしょうか。

太田 そうですね、書きはじめたのは、小説のほうが先でした。小学生の頃は、小説というよりは物語というか、本当に「おはなし」でしたが。子どものころは、安房直子さんとか、小川未明の童話を読んでいました。とくに小川未明の作品は、子ども向けなんですけど、いろいろな形で死ぬということの比喩が出てくるんですね。今でも覚えている『金の輪』という話があるんですけど、熱を出して寝ている男の子がいて、ちょっと熱がひいたところに知らない子が来て、いっしょに輪回しをするんですね。きれいな金の輪を回して遊ぶんです。男の子は、友だちができたと思って喜ぶんですけど、でもそれは夢の中のできごとで、その何行か後に「なくなりました」と終わるんです。死にゆく間際に何かが迎えに来たような、いろいろな解釈ができるんですけど、その子が死んだところで終わるんですね。
 そういう、死の影があるものが、小川未明にはたくさんあるんです。今の時代だったら、もしかしたら子どもには読ませないほうがいいと言われるかもしれないですけれども、私にとっては、子どものころにそういう作品と出会えたのは幸運だったと思います。
 字が書けないころは、お話をテープレコーダーに吹き込んでいたらしいです(笑)。幼稚園ぐらいのころに、ひとりでいい気になって「さわさわと、かぜがなりました」とか、録音してあったのを、小学生になってから母に聞かされました。

――それから、小説を書くようになっていったんですね。

太田 家の中にあった本を読むようになると、だいたい旧仮名だったんですね。そういうところから読み始めていきました。父も母も、祖父も本が好きだったんです。父は、谷崎潤一郎なんかは、気づかれないように裏向きにして本棚に入れていましたね。太宰治なんかは、読むと不良になる、と叱られたものです(笑)。

――あるインタビュー記事によると、高校時代は純文学を書いていたそうですね。

太田 純文学というんでしょうか、他の形を知らなかったんですね。短篇を文芸部で書いていました。作家になりたいというか、何か書くことを一生続けられればいいと思っていました。それでお金をもらおう、というのは現実的とは思えなかった。人前でそんなことが言えるほど自信もありませんでしたし。

――大学に入ってからは、演劇の勉強を始められたと。

太田 勉強はしておりませんね。ただ演劇をやっていた、という。他人と関わることをしたかったんですね。ずっとひとりで書いていると、出口が見えない。自分でいいと思っただけのものには自信が持てませんし、演劇というのは他人と意見をぶつけあって、対立している時間のほうが長いような世界でしたから。人とぶつかることがしてみたいという気持ちと、もうひとつ、台詞だけで作る物語をやってみたかったんです。

◆書き続けた「楽し苦しい」時間/真っ白な灰になった初シナリオ/円谷プロへの道

――そして、脚本を書き始められたわけですか。

太田 いえ、脚本はまだ書いていませんでした。演劇をやって、大学を卒業してから就職もしませんでしたし、とにかく書く時間がほしかったんですね。ひとりで食べていくぐらいならなんとかなるだろうという形で、塾講師のアルバイトをしながら、残った時間はぜんぶ書くことに費やしました。

――当時はどういうものを書かれていたんですか。

太田 言いたいんですけど、顔が赤くなっちゃうので(笑)。まあ、純文学ですね。先程の講評で、夜行バスの話の方に、フィクションを作り上げる意志があることが素晴らしいと申し上げましたけれども、書いている時間が楽しいので、なかなか射程を決めて出口に向かって牽引していくことが、ひとりだとできなかったんです。どうしてもダラダラしてしまって。無駄に楽しい時間を重ねていってしまって、作品にならない。お書きになっている方はわかると思うんですが、楽し苦しいっていうんですか、そういう時間を積み重ねていて、これはまったく収入にもならないし次にもつながらないんですけれども、とにかく書くのが楽しかった。

――新人賞には応募しなかったんですか。

太田 まったく分量が規定に収まらないんです。たいてい何百枚とか決まっていますが、書き始めるとすぐに何百枚になってしまって。そのときに、これは何か出口が必要だぞと思ったんです。そのときに、雑誌を見たら「公募 東宝シナリオ 百万円」というのを見て、もう百万もらった気分になったんです(笑)。でもシナリオ学校なんて行ってないし、書き方を知らなかったんですね。
 シナリオというのは、まず場所を書きます。それから時間ですね。これを頼りに、撮影する場所を探すわけです。これがまず柱で、それから1行空けてト書きです。誰々が歩いてくる、と6マス落とすんです。台詞の場合は上何マス空ける、とか決まりがあるんですけど、そういうことをまったく知らないものですから、ちょっとでも入れようと思って、ぎちぎちに詰め込んで書いたんです。それだと、開いた瞬間にもう誰も読まないんですけど、わからないから平気なんですね。朝起きたら顔を洗うより先に机に向かって書いて、塾の時間になったら出勤して、帰ってまた書くんですが、途中でふと気がついたんですね。このまま書いていたら規定の2.5倍になるぞ、と。気づいたんですが、その時、とにかくこの物語を終わらせてやりたいと思ったんです。出したって分厚すぎますし、誰も読んでくれるあてはなかったんですが、それでも書き続けて。終わったときは、燃え尽きた感じでしたね。机の前で、ひとり真っ白な灰になっているっていう(笑)。
 もうこの子たちの台詞を書けないんだと思うと寂しくて寂しくて、何かにならないかなと思いまして、出版社にいた先輩に、印刷して持っていって読んでもらったら、面白いけど長すぎて誰も撮らないよと言われたんです。で、何でも書くかと訊かれて。ちょうど平成ウルトラマンシリーズが始まったとき(1996年『ウルトラマンティガ』放送開始)でして、その先輩が実相寺昭雄監督の本を編集していたので、紹介してもらったんです。円谷プロに行くとき、パン屋さんとかのある道を歩きながら、ここで自分の人生が変わるかもしれない、とものすごく緊張したのを今でも覚えています。でも行ってみたらすごく暢気なところで、社長がホースで水やりをしていたりしていて(笑)。

 そこでウルトラマンティガの設定書をもらって、生まれて初めて30分のプロットを2本作ったら、通ったんです。じゃあそれをシナリオにしましょう、となったのは良かったのですが、それまでちゃんとした書式で書いたことがなく、でも、ここでそんなことは言えないので、出来上がっていたシナリオをもらって参考にしました。
 そういう形でデビューしたので、業界にはひとりも知り合いがいないんですね。次の仕事をどうしよう、と思っても、先生もいないし。放送された作品を見て面白いと思った人が電話をくれるのを、ひたすら待つしかないんですね。ただ、ウルトラマンは、書いたプロットさえ面白ければ採用されて映像になるという、書いた者勝ちの世界でした。

◆脚本は共同作業、では小説は/折れる人だと思われたら終わり/苦節7年、ついに書き上げた小説デビュー作

――ウルトラマンは何本ぐらい書かれたんですか。

太田 シリーズ全体で20~30本ぐらいは書いたと思います。その間に、他の局でドラマも特撮もアニメもやりましたね。『∀ガンダム』もやりました。何でもやるというか、どれも、自分にとってのOKジャンルなんです。『渡る世間は鬼ばかり』みたいな、日常生活のホームドラマとか、女同士のドロドロした争い、みたいなのはあまり得意じゃないんですが、ほかのは楽しく書いています。何でもやる、というふうに周りの方はおっしゃるんですけど、自分の中ではどれも自分のテリトリーっていう感じです。

――太田愛さんという名前は、ペンネームですか。

太田 旧姓の本名です。ペンネームは考える暇がなかったという感じですね。

――脚本家をやりながらも、小説を書きたい気持ちはあったんですか。

太田 ありましたね。脚本の仕事って、共同作業なんですね。小説は、いい作品が書けたらそれで完成ですが、シナリオは、文字の段階でどんなに面白いものでも、予算やロケ場所や、監督さんや俳優さんのスケジュールをクリアして、映像として完成してはじめて作品になるんですね。
 一番しんどいところから言うと、たとえば犯人をアテ書きした俳優さんが何かの都合で出られなくなったり、トリックの骨格にかかわる舞台の旅館が廃業して使えなかったりで、物語の屋台骨がガクッと崩れることがあるんです。それでもクランクインまでになんとかしないといけないので、2番手3番手4番手のアイデアを用意しておかないと。常に最悪の事態を考えて、引き出しを開けておいて、ここをこうしている間にこちらをこうしましょう、とやっている間にも、プロデューサーがいきなり、何かアイデアを思いつくことがある(笑)。それだけとれば面白くなりそうなアイデアでも、設計者から言わせると、応接間がかっこよくなってもトイレがなくなるよ、という感じなんですね(笑)。

――なるほどそれは困りますね。太田さんぐらいのベテランでも、やはりプロデューサーからの意見で2稿3稿と直していくものなんですか。

太田 現実的に直さざるを得ない場合はあるんですね。いくらこっちのほうが面白いとわかっていても、予算やスケジュールなどさまざまな条件で支障がでれば現実的に無理ですから。直さざるを得ないところに最大限のパッチを当てながら、瑕疵を少なくし、そして内容に関しては絶対に譲らない。そういう作家だ、というふうに覚えてもらうようにしています。最初はものすごくきついんですが、折れる人だと思われたら、もう終わりですから。使いやすい人を重宝がるプロデューサーに気に入られると、自分の作品は一生書かせてもらえないと思ったほうがいいです。
 それに比べると、小説を書くというのはなんて自由なんでしょう(笑)。予算の問題を誰にも言われないですし、作家というものの立ち位置が違いますね。シナリオの場合は、作家の役割は全体の一部分で、それなりにみんなが我慢しあってひとつのものを作るというものですから。
 よく誤解されるんですけど、私は『相棒』の前から『犯罪者』(角川文庫)のための取材をしていたんです。2005年にはすでに高知まで行って、サイクリングロードの取材などを始めています。当時はアニメーションもホームドラマも書いていましたし、一番つらかった時期ですね。生活のために仕事をしていて、まあ映像の仕事自体は楽しいんですけど、小説が全然進まないわけです。
 とくに2009年から『相棒』が入ってしまうと、1年の半分以上は全然動けなくなります。いくらミステリの細かな設定やアイデアをメモで残していても、ブランクのせいで正確なつながりが自分で思い出せなくなるんです。思い出せなくなるほど離れていたということが悲しくて、涙が出るんですね。ああ今年も仕上がらなかった、という思いで毎年桜を見て、デビュー作を書き終わるまで7年かかりました。書き終わるまで、編集者に読んでもらうあてもなかったし、書き終えてから初めて、どうしようと思いました。半年ぐらい、どこに持っていっても読んでもらえなかったですね。こんなに分厚い(両手で厚さを示す)ものでしたし。ホームレスみたいな感じで紙袋2つ持って、編集者を回っていました。そして、KADOKAWAで初めて「出版しましょう」と返事をもらいました。2011年のことでしたね。

――そうか、あれが2011年だったんですね。本が出たとき、僕と書評家の村上貴史君が推薦文を寄せたんです。二人とも絶賛でした。村上君のは「めまぐるしい展開の連続と圧倒的な読み応えはディーヴァー級。おそるべき新人の誕生を祝おう!」で、僕のは「どんどん予想もつかないところに読者を運んでいく。その力はとても新人のデビュー作とは思えない」。この推薦文の縁で、角川文庫に入ったときに、僕が解説を担当したわけですね。

◆3作シリーズの理由とは/少年引揚者の目/次の世代への責任

――太田さんの『犯罪者』から始まる『幻夏』『天上の葦』(いずれもKADOKAWA)は、3人の男性が助け合いながら事件を追及するシリーズものです。毎回視点が異なり、主人公たちの背景が見えてくるという絶妙の構成をもっていますし、もちろん出来も見事ですし、テーマも非常に熱いものがある。ただ、これは前に編集者を経由して、太田さんにいったことがあると思いますが、シリーズものではないものを書いて、文学賞を狙ってみてもいいのではないかと。筆力があるのにもったいないなあと。やはりシリーズものがいいんでしょうか。

太田 いえ、4作目は非シリーズものなんです。3作は、3人組の主人公なので1人ずつやりたかったのと、時代的なものというんでしょうか、『天上の葦』は安保法制の問題が上がってきたころで、戦争と報道というテーマでどうしても書きたかった。現代で、どうしたって前後編になる作品ですから、使い勝手のいいキャラクターで、この問題を今やっておきたい、と考えたんですね。
 先ほどの講評で坐光寺修美さんの『大連へ』のお話をしましたが、私も『天上の葦』のために引揚者の取材をしたんですね。いちばん多く話してくれたのが、私の大叔父で、今年105歳になります。取材したときちょうど100歳だったんですが、大叔父夫婦は戦時中に朝鮮で教師をしていたんですね。そこで話を聞きましたから、引き揚げというのは非常に大変なものだという印象がありますので、『大連へ』の、少年の目を通した、限りなくすこやかな日常の記録、とくに食べ物の記録がとても鮮烈に感じられました。
 ところが、その少年が、満州人とちょっとぶつかったときに「日本が負けたからだ」っていうことがぱっと出てきますでしょう。やっぱりぎょっとするんですね。少年は、その後、あの戦争や日本の敗戦をどのように考えるようになっていったのか。いろいろ考えさせられます。
 私たちはあの日記の後につづく復興の時代も知っているし、その時代の中で少年が成長して大人になり、戦後を生きてきたことも知っています。ですから、この日記の中の少年の姿が持つ明るさが戦後の復興と重なって、どこか希望そのもののように見えるんですね。それだけに、最後に平成30年の大晦日に戻ってきた箇所では、とても複雑な気持ちにさせられました。現在はバブルが弾けて、社会全体に閉塞感が広がる時代の延長線上にあります。あの日記の後に、およそ希望が見いだせない時代に戻ってきたことをどう受け止めればよいのか。ここもまた、読み手にいろいろと考えさせる端緒になるように思いました。

――太田愛さんをお迎えするということで、広義のミステリをテキストに選ぼうと思い、募集もかけたし、あれこれストックも読み返したのですが、もうひとつぴんとこなくて。で、坐光寺さんから『大連へ』が送られてきて、これはいいなと思いました。まったく畑違いの作品ですが、太田さんは骨太の社会派作家ですし、関心をもたれるだろうと思ったんです。喜んでもらえたようでよかったです。講師に合わせてテキストを選ぶ、というのもなかなか難しいものがあるんですよ。
 それにしても最近は、太田さんのような骨太でスケールの大きい社会派作家が、なかなかいないんですよね。かつてその分野を大きく切り拓いた森村誠一さんが、『幻夏』に寄せた推薦文が、非常に熱い。「謎が謎を呼ぶ連鎖。ミステリーの極限に挑む息詰まる展開は夏のように暑い」と絶賛されていて、ある意味で太田さんは森村さんの後継者と言えますね。


 でも、太田さんはテレビの仕事もされていますが、やっぱり社会派はテレビでは難しい部分があるんじゃないでしょうか。

太田 多分、池上先生もご覧になっていて感じていらっしゃると思うんですけど、やはり現実にたくさんのタブーがございます。小説を書くときは、小説でしか描けないものを書こうと。映像化されなくて、儲からなくて寂しいというところはあるんですけれど(笑)、企業犯罪などを描くとなると、スポンサーの関係もありますし、自業自得なんですけどね。でも、いま自分が生きていることに対する責任というんでしょうか、偉そうな言い方になるんですけど、あの戦争を経験した方々に戦時中のことを取材していたとき、最初に空気が変わったのはいつでしたかとうかがうと、みなさん「満州事変のとき」とおっしゃるんですね。そのとき決定権を持っていた大人たちは生をまっとうし、責任を取らされるのは常に次の世代になります。そういうことを踏まえて、今の報道とかニュースのあり方を考えたとき、いま自分たちがうかうかして、やらなければいけないことをやっていないと、次の世代がつらいことになるんだよ、と考えると、書きたいことがおのずと決まってくると思います。

◆共同作業と単独作業の違い/シナリオと人称の関係/事実を基に書くことはしない

――では時間が残りわずかとなりましたので、質疑応答に入ります。質問のある方は挙手してください。

男性の受講生 太田先生は、『ウルトラマンティガ』でデビューされたころから、シリーズを書き続ける中で書き方がどのように変わられましたか。

太田 書きたいことが次々に出てきましたので、毎回、やってないことをやろうと考えていました。手法に関してはあまり意識的でないほうなんですが、先方からの要望もありますし。『ティガ』に関しては、ご覧になっていた方はわかると思いますが、3クール目から特撮を絞ってドラマ部分を分厚くするなどの要望があって、その中でお話を考えていったりしました。

女性の受講生 脚本家は小説に比べて制約があるということですが、小説で成功されていても、やはり脚本家は続けたいと思っていらっしゃいますか。

太田 そうですね、共同作業の楽しさっていうのと、個人でやるものの楽しさって、喜ぶ場所が違うというか。共同作業の場合は、大きな失意を味わうこともありますが、思ってもみないような驚きもあるんですね。一員として関われたことに喜びを感じるようなあり方もある。そうすると、例えばひとつのモチーフを思いついたときに「これは映像」「これは小説」と、頭の中で割と瞬間的に振り分けられるところがあるんですね。だから、やっぱりしばらくは両方やっていきたいなと思いますね。

男性の受講生 小説では、とくに一人称の場合など人物の視点がよく問題になりますが、シナリオでは主人公の視点をどう意識していらっしゃいますか。

太田 私は小説でもあまり一人称は使わないんですが、脚本には基本的に人称というものはないんです。モノローグが入ったとしても、その人物がいない場面も映さないことには、話が進まないこともありますよね。
 シナリオの語り口については、むしろカメラが人物をどうとらえているかを、映像を見ながらお考えになるのが一番いいと思います。カメラは、登場人物の視点にもなれば、まったくの客観にもなります。また、シナリオの場合、台詞と人物の本心がまったく違っていても、心の動きは一切書けません。心は、映像として写せないですから。そこは小説とはまったく異なります。

男性の受講生 太田先生の小説や脚本では、警察や公安などの組織内部をよく描かれていますが、どのように取材したり資料を集めたりされていますか。

太田 では差し障りのない範囲で(笑)。公安に詳しい方や銃器に詳しい方を、個人的に紹介してもらったりしています。人づてに人づてに、少しずつ渡っていって、名刺と文庫本を携えて取材を重ねていくんですが、そうは言っても、こちらにある程度の知識がないと相手にされませんから、事前に調べられるものは徹底的に調べておく。いちばん大事なのは、性急にならないことですね。信頼を得ていきながら、長いおつきあいをしていくというような。

女性の受講生 『犯罪者』に出てくるメルトフェイス症候群がとても衝撃的でしたが、すべて想像でお書きになったものなんでしょうか。

太田 そうですね、現実の病気ではない、という意味では、そうです。イメージとしてあったのは、森永ヒ素ミルク事件でした。弁護団の中坊公平先生が、裁判の冒頭陳述で「子どもは、この社会を全てを信頼して生まれてくるんだ」と述べた長い弁論文があるんですけど、以前にそれを読んでとても心を打たれ、これ以上に罪深いものはないだろうと思ったことがあったんですね。それがまず、赤ちゃんの病気を設定しようと考えた動機です。それから、もうひとつは見た目の苦しさですね。病気によって見た目が違う人に対する、人々の嫌悪みたいなものがある。その二つの面を反映させたものとして、メルトフェイス症候群の設定を考えました。病気の症状や経過などはすべてフィクションです。

男性の受講生 『ウルトラマン』シリーズから、いままでお書きになった脚本の中で、とくに愛着のあるものは何でしょうか。

太田 全部愛着はあるんですが、とりあえずウルトラマンに限っていいますと、相性のよかった原田昌樹監督さんと組んだ作品で、ウルトラマンがあまり出てこない「少年宇宙人」(『ウルトラマンダイナ』第20話)が深く印象に残っています。

男性の受講生 先ほど『あかい恋』の講評で、人物が多くてもいきいきしていればわかるとおっしゃっていましたが、ウルトラマンなど子ども向けではとくに大切だと思います。太田先生が心がけていたことは何でしょうか。

太田 あのね、子どもたちに愛されようと考えると、愛されないんです(笑)。キャラクターをいきいきさせるために、たとえばウルトラマンで隊員が5人いるとしたら、その5人が最初から仲良しになりすぎないように気をつけます。互いに反発しあわないと、距離が縮まっていくドラマは起こらないですから、どこかとどこかがゴツゴツとぶつかり合うような関係を、最初に考えます。そのうえで、人物のアンサンブルを考えますね。あまりベタに口癖を作ったりするのは好きじゃないので、会話の中でその人物が立ってくるようなダイアローグを作っていくのが一番かな、と思います。それから、シナリオの場合、しゃべっていないときの表情も、ト書きとしてきちんと脚本に書きこむようにします。そうしておかないと俳優さんに伝わらないので、そこは細かく。

女性の受講生 太田先生がお書きになるとき、ご自分が経験したことや実際にあったことをベースにされることが多いのでしょうか。また、現実に起こったことをベースにする場合、リアリティと事実の差し障りで苦労することはありますでしょうか。

太田 私は、できる限り、現実にあったことは扱わないようにしているんですね。たとえば炭鉱町を舞台にした話を書きたいとしたら、炭鉱についての事実は調べますが、逆に、何か実際にあった事実を描くために物語を作ると、すごく事実に縛られるんですよ。私の場合、そういう書き方は苦手ですね。湧いてこないというか、広がらない。事実をもとにして書き始めると、自分がどの方向に枝を伸ばしたいのか、見えなくなるんですね。だから、フィクションのために必要な現実は調べますが、その逆はないです。
 自分の経験をそのまま書くということも、ほぼないと思います。ただ人間って、あのときこういうふうな傷つき方をした、というのがあるじゃないですか。あのときの母の顔、みたいな。そういう気持ちを、全く違う形で小説に持ち込むことならある。全く違う形になっていますけど、自分の中では「あのとき」のことなんですね。そういう感じです。

――脚本や小説について、いろいろいい話がうかがえましたね。まだまだお聞きしたいと思いますが、時間となりました。今日はありがとうございました。
(場内大拍手)


【講師プロフィール】
◆太田愛(おおた・あい)氏

 1964年、香川県生まれ。大学在学中より始めた演劇活動を経て、1997年TVシリーズ「ウルトラマンティガ」でシナリオライターとしてデビュー。2008年、テレビドラマ『相棒』にseason8より参加。season10からseason12まで3年連続で元日スペシャルを担当。映画『相棒-劇場版IV-首都クライシス人質は50万人! 特命係最後の決断』の担当など脚本家として人気を不動のものに。2012年『犯罪者 クリミナル』で小説家デビューし、14年『幻夏』(日本推理作家協会賞候補)17年『天上の葦』を上梓する。

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