「一人称を出したあとの名詞の選び方は、全部その人間を推理させる手がかりになるんですね。ですから、そこは細心になってください」

 4月の講師には、太田愛(おおた・あい)氏をお迎えした。
 1964年香川県出身。劇団での活動を経て1997年『ウルトラマンティガ』でシナリオライターとしてデビュー。特撮やアニメ、ミステリドラマ『相棒』などで活躍し、2012年には『犯罪者 クリミナル』で小説家としてもデビュー。両分野で高く評価されている、人気作家である。 
 また今回は、ゲストとして藤田孝弘氏(KADOKAWA)が参加し、講評に加わった。

 講座の冒頭では、世話役の池上冬樹氏(文芸評論家)がマイクを持ち、講師を紹介した。
「新年度の一発目には、太田愛さんをお迎えしました。みなさん、脚本家としてはご存知かもしれませんが、小説家としても素晴らしい作品をお書きになっていますので、今日の講座もご期待ください」

 続いて太田氏のあいさつ。
「こんにちは、太田愛です。東北では、岩手には取材などで来たことがあるんですが、山形にうかがうのは今日が初めてです。僭越ながら講師をつとめさせていただきますので、よろしくお願いします」

 今日のテキストは、小説が3本。
坐光寺修美さん『大連へ』(21枚)
阿部詩織さん『夜行バスの殺人犯』(65枚)
けいさん『あかい恋』(67枚)

◆坐光寺修美さん『大連へ』
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11183989
 一人暮らしの高齢者である恵のもとに、兄が亡くなったという報せが入る。
 若い頃は仲良しの兄妹だったが、歳とともに疎遠になり十年あまり会っていなかった兄の、子どものころの日記帳を恵は取り出す。
 それは、大連で生まれた兄が、終戦後の混乱と窮状の中で書き綴り、ソ連軍の検閲を逃れてひそかに持ち帰った貴重なものだった。

・池上氏の講評
 これは以前に梯久美子さんの回で取り上げた作品の続きですね。坐光寺さんはいつもご自分の実際にあったことを、作り事なしに書かれているので、知らずに初めて読んだ人は唐突に感じるかもしれません。ですが、老境に入った女性の生活ぶりが、非常に輪郭正しく見えてくるんですね。引用しているお兄さんの日記とつながらない部分もあるんですが、この引用によって、老女の幼いころの生活も見えてくる。淡々としているんだけれど、なんとも言えない叙情的な味わいがあります。
 若い書き手はどうしても、あれも書こう、これも書こうと欲張ってしまいがちですが、ある程度の年齢を経ると、このように淡々と書けるようになる人もいます。これはなかなかできないことで、僕ぐらいの年齢でもまだここまでは達していない。
 今回、ミステリ作家の太田さんの回でなぜ取り上げたのかというと、ちょっと意地悪な言い方になりますが、ストーリーの真ん中に犯罪を置いて、この老女が過去に犯罪を犯したかもしれないという場合、この大連の日記という道具によって、ミステリ的にいくらでも面白い展開にできるんですね。この日記は、ミステリ読みの観点からいうと非常にもったいない。兄と妹の関係や、10年前から疎遠になった理由とか、考えていくとストーリーもキャラクターも膨らんでいく。そういったディテールを使うという手もあるのではないか、と思います。

・藤田氏の講評
 たいへん面白く読ませていただきました。予備知識なく読み進めましたが、このお兄さんの日記はリアルなものだろうという印象を持ちました。今回の3作品の中では、書きたいことがいちばん明確にある小説ではないかと思いました。それはいいところも悪いところもあって、書きたい部分をどう書くか、どう届けるかも大事になってくるというか、ひとつの課題かなと思います。
 池上さんは、この日記を使ってミステリの仕掛けができるとおっしゃいました。たしかに日記というのは小説において魅力的な題材で、いくらでも使いようがあるんですけど、この作品では非常に誠実に、日記の日付け順に、あまり取捨選択せず書かれていますね。別にミステリにしなければいけないわけではないのですが、ここで日付けを飛ばすなどの取捨選択をすることによって、ある種のフィクション化がなされて、作者の創意が生まれると思います。日記を読む恵という人物がいますので、日記の外側のその枠組を意識することで、よりドラマが生まれてくるのではないでしょうか。日記の引用が終わったあとの、締めの文章も簡潔に書かれていて、池上さんもおっしゃる淡々とした味わいがあると思うので、そこをもっと読みたいと思いました。

・太田氏の講評
 非常に好きな作品です。この作品には2つの声があります。落ち着いた年配の女性の声と、明朗で闊達な少年の声、幼い頃の兄の声ですね。読者は老女の声に導かれて、少年のいる世界に行き、その少年の、日常の生き生きとした声に耳を澄ませてから、また老女の声に戻る。すると、お兄さまの四十九日まで時間が飛んでいるんですね。それが、ウラシマ効果というんでしょうか、さっきお兄さまが亡くなったと聞いたばかりなのに、もう四十九日になっていて、なおかつ、ついさっきまで老女とともに少年時代のお兄さまの声を聞いていたような感覚が、読み手に残ります。作品を読み終わった時、文章のどこにも書かれていなかったのに、老女にとっての大連は「近くて、遠い」のだと切実に感じました。近くて遠いという感覚は、失ってしまった大切なものに対して、誰もが感じるものだと思うんですね。人にせよ、故郷にせよ、時間にせよ。そういう戻らない大切なものに対するもどかしい思いが、非常によく伝わってくる作品だと思います。
 より小説的にするための技法は、たしかにいろいろあるとは思うんですけれども、でもそれが書き手である坐光寺さんにとって必要なことなのか、ということも大事なことだと思うんですね。このようにお兄さまに寄り添うことが、坐光寺さんにとっての小説のスタイルなのであれば、私はそういうやり方もあると思います。
 ひとつ、ちょっと気になったところは、冒頭の、老女の声のところで「ふるさとが自分に及ぼす影響」について書かれていますが、それが、これから語られる大連の日記と絡めて出てくるのかな、と期待したんですね。故郷である大連で培われた自分の原点のようなものでしょうか。それをお兄さまの日記と一緒に掘り起こしていく作業ができれば、無理に外連味のある物語を作らなくても、坐光寺さんらしい小説がいずれ生まれてくるのではないだろうか、そういうふうに思いました。
 お兄さまが書かれた日記は、とても貴重なものだと思います。その文章をパソコンで打ち込むとき、ワープロソフトで自動的に漢字に変換される言葉を、小学生が手書きしていた原文そのままに直すのは大変、手間のかかる作業だったと思います。そうやってお兄さまの言葉に寄り添って、費やされてきた時間を考えると、おのずと、坐光寺さんの中から自然に出てきたものだけを加えるのがいいと思います。ここにもう萌芽がありますので、その声に耳を澄ませれば、自然に小説になっていくのではないでしょうか。

◆けいさん『あかい恋』(67枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11183973
 現寒河江市の郊外に暮らす公平たみえは、嫁ぎ先のすぐ近くにある実家の義姉に憧れを抱いてきた。五十歳を過ぎてその思いは変わらなかったのだが、自分が発見することになった兄の死や、近隣の悲惨な出来事などで微妙に心中が変化していくのだった。
 昭和の第二次世界大戦後の、静かな田舎の暮らしにいくつもの波紋が広がっていく。生家を中心とした小さな世界の人間模様は多岐に渡っていた。

・池上氏の講評
 山形弁や養蚕の描写がいいですね。特に60代以降の山形人にとっては、非常に懐かしいくリアルです。桑の実を食べた経験は僕にもあるし、蚕が桑の葉を食べるガサガサザワザワという音の描写も知っているし、それが作品の通奏低音として響いている。どこか不安な、狂っているところとつながる、象徴的な意味を持っているのがすごくいい。
 問題なのは長さです。これでは短い。長編のプロローグとして書かれたようですが、自殺、認知症、殺人、などなど材料が揃っていて、これからいくらでもミステリにできるんですけど、有機的につながっていない。タイトルの『あかい恋』というのも、誰の恋なのかわからないし。
 だけど、ひとつひとつの場面が目に焼き付くようで、非常に生活感がある。こういう古い、携帯のない世界を書く人は今は少ないです。中高年の読者にとっては、こういう、携帯電話がなくて、テレビがやっと出てきた当時の話は懐かしいし、逆に新鮮ですから、もっと描いてほしいと思います。そこに、原初的というか、衝動的に人や自分の命を絶ってしまう世界があることを、きちんと描いてくれればいいと思います。とにかく長編として読みたいですね。ぜひ続きを書いてほしいです。

・藤田氏の講評
 すごく面白く拝読しました。文章がとてもうまい、とまず感じます。描写もきっちりしていて、引き込まれる、美しい文章だと思いました。感心したところはいくつもありますが、たとえば3頁目で、義姉が自分の持ち場である庭の草むしりだけは熱心にやるんですが、大木の枝は放置して伸びるに任せている、という描写によって、義姉のキャラクターが浮かび上がるんですね。なおかつ、草むしりできれいになった庭と、枝が好き放題に伸びている大きな木との対比が、ビジュアル的に読者に印象づけられるんですね。これはなかなかお書きになれない文章で、すばらしいと思いました。なおかつ、これがのちのち実家の経済事情を説明するところにも絡んでくるので、すごくうまく書けていると思います。
 それから、池上さんも先ほどおっしゃっていた、9頁目にある蚕が葉を食べる音の描写ですが、これが乱暴をはたらこうとした舅とのイメージと重ねられていて、生理的に嫌なものとしてうまく利いています。
 すごくいい文章で、技を利かせながら書かれていますが、僕もやはり独立したひとつの短篇というより長篇の第一章なのかなと感じました。まだまだ書かれていない要素がありますので、この続きをぜひ読みたいと思います。

・太田氏の講評
 本当に気持ちよく読ませていただきました。文章がしっかりしていらっしゃるので滞りなく読んでいくことができ、まったくストレスがないんですね。
 各場面の描写もとても的確で、うまいと思いました。ものを具体的に書き込みながら情景を描写する場合、並べすぎると羅列になってしまうので塩梅が難しいんですが、この作品に関しては過不足がなく、そこに描かれていないものまで見えてくる。ものを通して、光の加減なり湿度なり、音なり、あるいは匂いなりを感じさせるだけの「具体」が並んでいます。文字以上のものを喚起させるというのは、見事な具体の並べ方だなと思いました。
 ただ、時々、もったいないなというところもあります。たとえば、4頁目の、初めて義姉のふじをが出てくるところですね。ふじをは主人公の憧れの対象でもある重要な人物です。ですから、作者もわざわざ赤い襦袢姿で登場させ、主人公とともに読者を驚かせる場面に設定しています。ところが、肝心のふじをの姿がはっきりと描かれていないんですね。「丸いテーブルに載せた金魚鉢を覗き込んでいるところだった」とあるのですが、立っているのか座っているのか、座っているとしたらどんな格好なのか、具体的に描かれていない。作者にはテーブルの高さもふじをの姿も見えていると思うんですが、残念なことにそれが読み手に伝わりません。この場面は広縁、金魚鉢、赤い襦袢など、道具立てが整っているだけに、もう一歩、読者目線になり、どこから言葉にして提示していくかを練れば、さらに鮮やかな印象になっただろうと思います。
 登場人物が多いという人もいるかもしれませんが、私はこれぐらい出てくるほうが好きですね。私はもともとラテン文学が好きなのですが、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』などを読んでいると、この人は何代目のブエンディーアだったっけ、というぐらい多くの人が出てきます。けれども、物語の中で生き生きとしていれば、読者はすぐ思い出せるんですね。この作品も、それぞれの人物がとても艶々しくてきらびやかに描かれていて、やりとりにも体温がありますし、人物を減らす必要はないかなと感じました。とはいえ、ばたばたと畳んだなというのは、どうしても読み手にはバレてしまいます。これだけ物語の種を豊かにお持ちなのですから、ぜひ長編に膨らませて、お書きになってみてください。たとえば、五郎右衛門の首くくりの描写に続くくだりなどでは、時系列を行き来させ、大変巧みな話の運びをなさっています。わりと作りこんだミステリでも自在にお書きになれる筆力をお持ちだと思います。

 ひとつ気になったのが、題名に恋とありますが、恋の話にならないんですね。主人公のたみえさんは明らかに良章という僧に心惹かれているのに、文章はそこに踏み込まない。7頁で初めて良章さんの話が出てきますね。たみえにとって重要な場面であるはずなのですが、彼女の反応が描かれていません。しかも、その前後には、義姉のふじをの認知症を疑わせる描写が続き、良章の話題も義姉の認知症疑惑を補強するエピソードとして、前後に埋もれてしまっています。
 もう一ヶ所、15頁のふじをの婚礼で良章と初めて会う場面も同じようになっています。ここでも、村の女たちが、なんてきれいなお坊さんなんだろう、とひそひそ話をする描写だけがあって、たみえが良章を見たときの気持ちが書かれていません。たみえには、良章とふじをという美しい従姉弟同士の二人の姿がどう映ったのか。私は、この婚礼の場面がとても好きなんですね。良章とふじをのイメージが、右と左で羽根の色が違う一頭の揚羽蝶のように感じられました。けれども、せっかく鮮烈な出会いの場が設定されているのに、文章がたみえの心に踏み込んでいかない。
 これは、もしかしたら作者が、ご自身でブレーキをかけていらっしゃるのかなと思いました。迷っていらっしゃるのか、ためらっていらっしゃるのか。作品の結びの部分が穏当すぎるように感じられるのも、その点と関わりがあるように思います。たみえさんは年相応の経験を重ねてきた女の人として描かれていますから、読者は、もっと罪深いところ、あるいは危ういところ、隠微なところが出てくることを期待するのではないかと思います。切って捨てるような、ぎょっとさせるような女性の片鱗が見えるオチがあれば、印象的な幕切れになったのではないかと思います。いずれにしても非常に読み応えがある、次が楽しみな作品でした。

◆阿部詩織さん『夜行バスの殺人犯』(65枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11184028
 友達と大喧嘩をし、青年はただ一人、夜行バスに乗り込んだ。不快感にうなされ、眠ることもできない青年に、「眠れないの?」という女性の声が響く。青年の喧嘩を見ていた女性は自分を、《連続殺人犯》と名乗り、車内にルービックキューブの形をした爆弾を設置したと言う。彼女は本当に連続殺人犯なのか、青年は疑問を抱えつつ、自分の臆病さと闘い、爆弾を回収していく。

・藤田氏の講評
 面白かったです。エンタメ度が高い作品で、私自身がエンタメ作品を担当することが多いということもあるんですけれども、今回の3作の中でもとくに好感を持って読みました。
 いいところをいくつか述べさせていただきますと、まずシチュエーションがいい。夜行バスという限定的空間で、爆弾が仕掛けられているらしい、しかもそれを解除していかなければいけない、という極限状況が、とてもポップで面白いです。それから、ひとつ感心したところは、スマホの使い方です。主人公のスマホの、バッテリーが切れそうなところで、多くの読者にとって身に覚えのあるであろう、サスペンス感を出しているところですね。
 細かい部分で気になるところはいくつもありますが、あまり指摘するのも前向きでないので、ひとつだけ。主人公と友だちのマサが喧嘩をしたあと、マサがスマホをゴミ箱に突っ込むんですけど、普通はそんなことしないんじゃないか、と不自然に感じました。こういうところのリアリティは、少しずつ直していったほうが良いかと思います。
 すみません、もっと細かいところですが、「それ」という指示語の使い方が気になるところがあります。「それ」という言葉と、指しているものが離れて出てくるところが散見されるんですね。読者は「それ」と言われると、その直前に出てくるものを思い浮かべるものですので、推敲で直していっていただければと思います。こういう、些末なことで読者の気をそらしてしまうのは、もったいないことです。

・池上氏の講評
 設定上の無理というか、これはないだろうというところがあると、読者は読んでいてひっかかるものです。状況設定は面白いんだけど、それをどう活かすのか、行動倫理としてこれはアリなのか、ということを考えてほしい。
 この主人公は、言われるままにはいはいと爆弾を処理しに行くけど、普通そうしないでしょう。怖いことをすすんでやる人はいません。なぜ言うことを聞かざるを得ないのか、主人公の動機をしっかり設定しないといけません。どうしてもやらざるを得ないような、弱みを持たせるなどしないと、こんなふうに言いなりにはならないでしょう。それに、さっき藤田さんもおっしゃいましたが、携帯も捨てないでしょう。細かいところで、これはないな、これはないな、と思ってしまうと読者は離れてしまうんです。
 でもこれは直し甲斐のある作品です。ひとつひとつの設定を、説得力あるものにしていくと、ものすごく面白くなるでしょう。キャラクターとしては、キーマンとなる女性をもう少し魅力的に描いてほしいと思います。主人公が冒頭で「ブス」云々はやめましょう、そこで読者は離れていきますから。ブスとか美人とか、簡単に言わないように。それはあなたの価値観ですから、自分の価値観で断定してしまうと読者は離れていきます。
 阿部さんは、夜行バスはよく乗るんですか。

阿部氏「はい、よく乗ります。乗っているときに考えついた作品でした。ブス云々について弁明させていただくと、これは主人公が女性に対してちょっと腹が立っている気持ちを表したつもりです」)

 腹が立っても、ブスというのはやめましょう(笑)。実生活ではそういう風に腹立ちまぎれにいうかもしれませんが、小説の中でそれをやると引きます。読者には顔が見えないから。顔が見えたとしても不細工とは思わない人もいる。顔の美醜をあげつらうのは実に通俗的で表面的になって簡単に流れる。顔の美醜ではなく人間性にまつわる罵倒にするといい。生意気な女め、気取り屋めとかね。腹が立っている気持ちを表したいなら、別の言葉と表現にしたほうがいい。あとはね、走っているバスの車中が舞台なのに、疾走感が感じられなかった。乗っている感じがするように、もっと描くようにしてください。

・太田氏の講評
 まず良い点から。最初から最後まで、フィクションを書こうという意思が明確ですね。なんとか冒頭で読み手の気持ちをつかもう、伏線をこういうふうに張っていこう、などいろいろ工夫して、とにかく作り物の世界をイチから作ろう、という終始一貫した意思が感じられる。これは非常に大事なことだと思います。
 気になる点は多々ありまして、どこから行こうかという感じなんですけれども(笑)、まずわかりやすいところから。冒頭、「眠れないの?」という台詞から始まり、最後にまた「眠れないの?」に戻ってくる、この全体の構成は最初から考えていらしたんですよね。着想は非常にいいと思うんです。ただ、この「眠れないの?」の直後の部分を見てください。「三列に分けられた座席。両端の席に設置されているプライベートカーテンによって仕切られた個人の空間」と、バス車内の情景描写が続くんですね。読者はこれを誰の声で聞いたらいいんでしょうか。「眠れないの?」と言われた人物の声なのか、言った人物なのか、それとも第三の人物なのか? お書きになっているときは、眠たい男の子が女の人の声を聞いて目を開ける場面を想定し、そこで男の子に見えてきたものをそのまま描写しているんだと思います。けれども、読み手は、「眠れないの?」が誰の声なのか、男性の声か女性の声か、続く描写が誰の視点でとらえられたものなのか、しばらくわからないまま放っておかれるんですね。たとえば、3行飛ばして「微かに軽快な音楽を流すイヤホンが突っ込まれた俺の耳に、その声は届く」に続ければ、とりあえず回収はできるし、読み手にストレスを感じさせずに済みます。

 この文で初めて「俺」という呼称が出てきますね。それで、一人称の視点が確立されます。そうすると、読者はそこから後の文章で使われる言葉は、すべて「俺」の語彙、つまり「俺」というキャラクターが選んでいる言葉として読むわけです。たとえば、すぐ後に「仮死状態の携帯電話」という表現がでてきます。なんとなく若い男の人じゃないかな、と読み手は思います。実際に作者が想定しているのは若い男性ですから、これはぴったりですね。ところが、つまずいてしまうのが「黒い防寒着」です。若い男の子なら、たとえばダッフルコートであるとか、ダウンコートであるとか、そういうふうに表現するんじゃないでしょうか。「防寒着」では、「俺」が急に歳をとったような印象になってしまいます。一人称を出したあとの名詞の選び方は、全部その人間を推理させる手がかりになるんですね。ですから、そこは細心になってください。
 それから、この部分は女の人に関する少し長めの描写ですね。「声の主はパッチリとした二重を持った短髪の女性で、黒い防寒着をくるめてひざ掛け代わりにし、足を組み、白いミニスカートの中から生足が透けた黒ストッキングを覗かせていた」とあります。「生足」という語の選択には若い男の子らしさがありますし、たくさん具体的な表現が重ねられているのですが、実は、「俺」が彼女に対して抱いた「印象」が書かれていません。それが非常に気になりました。
 外見の説明と、登場人物が受け取った印象というのは全然違うんですね。さきほど池上先生は「ブスや美人と断定するのはやめましょう」とおっしゃいましたが、たとえばパッと見て「とんでもない美人がいた」と書かれてあれば、これは男の子の感じ方、とらえ方であり、すなわち「印象」です。あるいは「からかうような表情で俺を見ていた」とか、これも印象ですね。でも、ここで使われている「二重」「短髪」「白いミニスカート」などは、すべて外見についての客観的な説明で、「俺」の主観がとらえた「印象」ではありません。せっかく、初めて「俺」が女の人に目をやる場面であり、しかも作者は「俺」を語り手に設定し、読者に「俺」の心の動きに沿って物語世界を体験してもらおうと考えているのですから、ここは意識して外見と印象を書き分けていったほうがよいと思いました。

 ところで、この作品のような始まりかたをした場合、読者は「バスが爆発するかもしれない」と期待してくれないんですね。二人の主要登場人物の持っている雰囲気のせいもありますし、一人称の現在時制でお話が進行しているので、バスが爆発して語り手が死んで終わるというエンディングは読者の想定外だと思います。つまり、物語の中で男の子が「このバス爆発するかも、血の雨が降るかも」とどれほどドキドキしても、読者はそれにシンクロしてくれない。いくら男の子の緊張を描いていっても、そこにお客さんを連れていくことはできないんですね。ところが、作者は男の子の緊張感を表現するために、一文一文の表現にとても苦労していらっしゃると思いました。
 ミステリを書くときに大切なのは、読み手が何に一番興味を持っているかを常に意識して書いていくことです。この作品の場合、読者が関心を持っているのは、この男の子と女の人の顛末だと思います。こういうふうに出会った二人がどういうふうに終わっていって、どう事件を解決するのか。
 そう考えると、全体の構成を思い切って変えてみるというのも、ひとつの発想だと思うんですね。たとえば、同じように冒頭、「眠れないの?」という言葉から始まったとして、「と、彼女に声をかけられたのはこのあたりだった」というふうに続ける。車窓の風景が描写され、読み手には、「俺」が今、バスに乗っていること、そして、以前に同じバスの中で起きた「彼女」をめぐる出来事を回想していることがわかる。そういう外枠を作って、物語を回想の中で語っていくというようなアプローチですね。そうすれば、サスペンスを高めるために無用に文章で煽る必要はなくなります。

 実は、このアイデアは、5頁の「人命を救う、なんてたいそうな目標から、お茶を救うに変わった事を感じることもなく、ただ無意識に缶に近づいた」という一文を読んで、思いつきました。この文は、現在時制の「俺」が感じていないことが「俺」によって書かれているという点で問題アリなのですが、では、どうしてこういう無理な表現が出てきたのだろうかと気になったんですね。おそらく作者の中には、この男の子の分析的でちょっと斜に構えたキャラクターや、自暴自棄でバスに飛び乗っている気分や口調がイメージとして明確にあって、それを表現したかったがゆえのエラーだったんだろうと思いました。であれば、少し時間軸をずらして語り手の「俺」とバスに乗っている「俺」の間に距離を取ってやればいいのではないか。そうすれば「あのときの俺」に対するツッコミのような批評的な目線を入れてキャラクターを活かしながら、作者の書きたい物語が書けるのではないかと思ったんです。彼女との出会い、バスでの事件を通して変化していく男の子の成長譚が書きたいのだということは、全編を通してすごくよく伝わりました。だから、そこを主軸にして、時間をずらした形でもう一回アプローチなさったら、違うものになるんじゃないかな、と思います。

※以上の講評に続き、後半では池上氏の司会のもと、物語への興味の芽生えから、脚本家デビューそして小説家デビューに至ったそれぞれの経緯、脚本と小説の違いなどについて、お話していただきました。その模様は本サイト内「その人の素顔」にてアップいたします。

【講師プロフィール】
◆太田愛(おおた・あい)氏

 1964年、香川県生まれ。大学在学中より始めた演劇活動を経て、1997年TVシリーズ「ウルトラマンティガ」でシナリオライターとしてデビュー。2008年、テレビドラマ『相棒』にseason8より参加。season10からseason12まで3年連続で元日スペシャルを担当。映画『相棒-劇場版IV-首都クライシス人質は50万人! 特命係最後の決断』の担当など脚本家として人気を不動のものに。2012年『犯罪者 クリミナル』で小説家デビューし、14年『幻夏』(日本推理作家協会賞候補)17年『天上の葦』を上梓する。

●幻夏(角川文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4041059356/

●犯罪者 上(角川文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4041019508/

●犯罪者 下(角川文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4041019516/
      
●天上の葦 上(角川書店)
https://www.amazon.co.jp//dp/4041036364/

●天上の葦 下(角川書店)
https://www.amazon.co.jp//dp/4041036372/

●相棒 劇場版4(小学館文庫)
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●相棒 season8 上(朝日文庫)
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●相棒 season8 中(朝日文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/402264639X/

●相棒 season8 下(朝日文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4022646446/

●相棒 season 9(朝日文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/402264690X/

●相棒 season10(朝日文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4022647175/

●相棒 season11(朝日文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4022647280/

●相棒 season13(朝日文庫)
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●相棒 season15(朝日文庫)
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●相棒 season 16(朝日文庫)
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