「物語においてきわめて重要な小道具は、必ず明確な視覚的印象が残るように書かなければいけません。これは時代小説でも現代小説でもいっしょです」

 3月の講師には、門井慶喜(かどい・よしのぶ)氏をお迎えした。
 1971年群馬県出身。2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞。2006年『天才たちの値段』を刊行し単行本デビュー。2016年『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)受賞を受賞。2018年には『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞している。

 また今回は、ゲストとして、浅井愛氏(文藝春秋)、小林龍之氏(講談社)、鈴木一人氏(光文社)、山川江美氏(光文社)、藤原圭一氏(祥伝社)、黒岩里奈氏(KADOKAWA)、奥山康浩氏(双葉社)、船木智弘氏(東京創元社)が参加し、講評に加わった。

 講座の冒頭では、まず世話役の池上冬樹氏(文芸評論家)がマイクを取って講師を紹介した。
「今日は門井慶喜さんをお招きしました。大阪から飛行機でいらして、すぐ旧済生館(山形市郷土資料館)と文翔館を観光してこられたそうです。直木賞を受賞した『銀河鉄道の父』(講談社)はお読みになった方も多いと思いますが、本当にすばらしい作品です。この作品についての話もあとでおうかがいしたいと思います。よろしくお願いします」

 続いて門井氏の挨拶。
「こんにちは、門井慶喜と申します。『銀河鉄道の父』の取材などで東北地方に来たことはありますが、山形に来たのは今回が初めてです。伊丹空港から飛行機で飛んできて、着陸するときに雲から降りたら、バーッて雪が降ってましたので、こらエライとこに来たなとびっくりしましたが、飛行機から降りたらやんでくれましたので、心優しい土地だなと思いました。今日はよろしくお願いします」

 今回のテキストは、小説が3本。
佐藤陽子『雲の縫い方』(62枚)
白取良仁『南海の雫』(50枚)
円織江『わたしの仏さま』(49枚)

◆佐藤陽子『雲の縫い方』(62枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11028823
 香澄は洋品店で縫製担当として働いている。終活ブームに乗り、最近はラスト・ドレスという白装束の発注が増えた。その注文者の中に、昔、香澄の母と駆け落ちをした男性・貴一の名前を見つける。実家に戻り、それを父に打ち明ける香澄。母との結婚の経緯を聞き、母は寂しかったのではないかと、その心境を推し量る。
 母の不誠実な行動、自分に会いたがっているのではというわずかな期待も消え、香澄は怒りと落胆を覚える。しかし、注文した白装束を仕上げるべく、貴一に託された反物に鋏を入れ、自分は現実から逃げないことを誓う。

・文藝春秋 浅井氏の講評
 物語の入口からして魅力的です。
 幼き日、母と見上げた空に浮かんでいた入道雲の描写から始まる冒頭から、すでに物語が立ち上がっている。
 それを「今から思えば、それは綿というより、絹だった」と述懐してみせ、そこでまず、これから語られる物語の「核」となるイメージを印象づけている。
 さらに、雲を「綿」と捉えた母と、「絹」だと感じている現在の自分の感覚の違いが、自分と母の女性としての違いそのものであることを暗示している。
 エピソードを重ねていくことはもちろん大事ですが、お話の中心にこうした読者の脳裏に刻まれやすいシルエットをひとつ置いておくと、物語を束ねるうえでとても有効だと思います。
 佐藤さんはさらに、登場人物それぞれが何に重きを置いて生きているかをさりげなく示してくれていて、たとえば後半で、それまで物言わぬ存在であった父親がある動きを見せるときにも、それがご都合主義に感じられないような布石を要所要所で打っている。その手つきを見ても、人間の行動原理というものを的確に捉えられる方なんだろうなと感じました。
 欲を言えば、ラスト・ドレス、つまり死装束ですが、そのモチーフの面白さをもっと生かして欲しかった。主人公に直接かかわる物語ではない、しかし、彼女の日々が詰まっている勤務先が、かつてウェディングドレスを作ることを社業としていたのに、時代の要求に応えて現在はラスト・ドレスを縫い上げているというその変遷に触れることで、メインストーリーの背景にあるものが描かれ、お話全体がもっと立体的な装いを持てただろうなと想像します。
 もとは80枚あったものを削ってこの分量にされたということなので、当初は書き込まれていたことがまだまだあるのでしょう。ぜひそれを拝読したいと思いました。

・光文社 鈴木氏の講評
 浅井さんもおっしゃるように、アマチュアとしては考えられないぐらいの、ハイレベルな作品だと思います。情感も余韻もあるし、登場人物の感情のメリハリもうまく作れていると思いました。ラスト・ドレスというモチーフ自体も、もっと広げて作ることもできる、いい着想だと思います。
 80枚以上あったものを削ったとのことですが、そのせいか、筋を語るので精一杯になってしまって、メイン・ストーリーに関わらない登場人物が少なすぎるんですね。人間関係が全部つながってしまっている。こういう物語を書くのであれば、偶然は最初の1回だけにしたほうがいい。偶然が2回以上入ると、人工的な印象になってしまうので、そこは気をつけていただいたほうがいいですね。
 あと、これは好みかもしれませんが、「洗って」「あの時、花火大会の時、母にしたみたいに」と香澄が言う場面は、彼女の中ではとても重要な記憶なんですけど、これを相手も共有していると推測できる描写はほぼありません。それなのに、二人が同じ情報を共有して、同じ感情の流れで動いているように見えてしまうんです。恋愛要素が絡む、そしてカードが何枚も伏せられているようなタイプの小説では、登場人物それぞれが違う情報と感情を持っているということを整理しておいたほうが、物語としては盛り上がると思います。
 ただ、作品を拝見する限りは、ミステリ的なプロットを書きたいというよりは、人物造形やイマジネーションを書きたい方だと思われますので、表現したいものの邪魔にならないような整理の仕方ができればいいのかな、と思いました。

・双葉社 奥山氏の講評
 僕も、非常にレベルの高い作品だと思いました。比喩表現もすばらしいですし、惹かれ合うふたりの男女も、直截な台詞やシーンで表現するのではなくて、そこはかとない場面で描いているのが、官能的で好印象でした。回想も含めて、ひとつひとつのシーンが非常に映像的で、作品世界に読者を引き込む筆力がすばらしいと思います。
 読んでいて気になったのは、主人公と貴一が再会する場面で、思わず後ずさりをして、転んで膝を打つという表現ですね。ここはこの作品において重要な場面ですが、後ずさって盛大に転んで、膝を打つというのは転び方として不自然です。後ずさったら尻餅をつくのが自然で膝は打たない。しかも膝を打ってできた傷が作品の中で最も印象深いシーンにつながっていきますから、ここで読み手を戸惑わせると折角のシーンが入ってこなくなってしまいます。この辺は、賞に応募して当落線上にあった場合に印象が大きく変わってしまうので、もう少し丁寧に描かれるといいと思います。
 ほかは、主人公とおばあちゃんのやり取りなども、読んでいて感情を揺さぶられるものがありましたし、本当にレベルが高いと思います。先ほど文春の浅井さんもおっしゃっていましたが、うちも短編80枚の新人賞を募集しておりますので、よろしければぜひチャレンジしてみて下さい。

・池上氏の講評
 みなさんスカウト合戦ですね(笑)。では僕は簡単に。これはね、もっと長いほうがよかったんですよ。これでは短い。佐藤さんは、R-18文学賞に送るために、規定に合わせて削ったそうなんですけど、本当にひとつひとつのシーンが印象深くて、手触りのある描写が多いんですね。テーマを雲などに託して視覚的に提示して、そのイメージがテーマにつながっていくので、読者には目に見える形で残るんですね。
 テーマの視覚化が非常にうまいので、あとは、具体的なエピソードのふくらみがほしいところです。エピソードのふくらみがないので、会話だけでストーリーを流してしまっている部分もある。あと20枚か30枚あれば、その辺も完璧になると思いますよ。だから、どこに送るかもっと考えて。削らなくてもいい、ちょうどいい分量で送れる賞もありますから、R-18にこだわらずに、もっと書いてください。

・門井氏の講評
 なんかみなさん、ドラフト会議みたいな感じになってますけど(笑)、たしかに僕もとても好意を抱きました。とてもいい小説をお書きになったと思います。ただ、僕が好意を持った点についてはもうみなさんがおっしゃったので、僕はもっとミニマムな、ミクロな話をしようと思います。つまり、テーマとかキャラクターとか、そういう大きな網は打たないで、具体的に、文章をどう書くか、あるいは書かないか、ということをお話していけば、テキストを出されたお三方だけでなく、みなさんにとって即効性のある話になるのではないかと思います。従いまして、僕がこれから申し上げることは、厳しい話に聞こえるかもしれませんが、三作品とも好意を持っていることは間違いありませんので、この点は自信を持っていただければと思います。
 では『雲の縫い方』1頁目から。文章で絶対やってはいけないことは、トートロジー、同義反復です。馬から落馬した、というような初級篇で引っかかるような方はこの講座にはいないと思いますが、では中級篇、上級篇ではどうかというと、残念ながらこの三作品にもあてはまるところがあります。『雲の縫い方』に関しては、1行目から3行目を見てください。「雨が降った、次の日だったと思う。町を囲む山の峰から、湧き出るように雲が立った。ましろの、綿のような」という、この3行にふたつトートロジーがあります。作家というのはトートロジーには敏感なものですが、中級篇でいうと、「ましろの、綿のような」というところです。これはどちらか片方でいい。雲の話ですから、「綿のような」と言うだけで、黄色や黒の雲を想像する読者はいませんから。したがって、僕なら「ましろの」を切ります。おそらく、佐藤さんは薄々これに気がついておられたのではないかと。まだ書き始めで、読者とのコミュニケーションがまだできていないから、ついつい二重に書いてしまったということでしょう。だから「ましろの」と古語にされているのだと思いますが、これは二重にいけません。歴史小説でもないのに、ここで古語を出す必然性はないですし、かといって「真っ白」でも「純白」でも、どっちにしてもいりません。 

 これが中級篇です。では上級篇ではどうかというと、これはたいへん気づくのが難しい。「町を囲む山の峰から、湧き出るように雲が立った」というところです。「町を囲む山の峰から」という文章は、風景の広がりと限定を同時に出している、さりげないけどいい表現です。ところが、言葉を出す順番を見てみましょう。まず「町」を出して、次に「山」を出したら、読者の視点は下から上に行くでしょう。ということは、続く「湧き出るように」は、いりませんよね。わかりますか? 「町を囲む山の峰」に雲があった、という時点で、読者は勝手に視点を上げてくれますよね。ですから、ここは勇気を持って「湧き出るように」は削除しましょう。削除することだけが解決方法ではありませんが、言葉を出す順番によって読者がどう視点を動かすか、というところまで考えていかないと、風景描写におけるトートロジーはなかなか削りづらいです。
 こういう調子でどんどんやっていきます。数行あとに「今から思えば、それは綿というより、絹だった。手でたぐり寄せても、するりとこぼれる。その切れ端すらつかまえられないまま、今年も、夏が来る」ここはトートロジーではありませんが、小さな矛盾です、「するりとこぼれる」ということは、一度は手につかんでいるんじゃないかと読者は思いますが、続けて「その切れ端すらつかまえられないまま」というのは、若干の混乱があります。これは小さいことですけど、小さいことが積み重なると、読者は、なんとなくこの作品はわかりづらい、なんとなく読みづらいという印象になります。さらに続けて、「翻って、テレビの方を見やる」。これも、「方」と「見やる」はどっちかでいい。「テレビを見る」と「テレビの方を見る」の違いはわかりますね。見る方向をかなり限定するか、それともちょっと曖昧にするか。曖昧にするのが「方」のほうです。これはいいんです。では「見やる」と「見る」の違いは、わかりますか。「見やる」というのは、もっと奥に行くんですよ。「見る」というのは目の前にあるものですが、「見やる」というのはもっと遠くのことをいいます。「言いやる」とか、「○○やる」は全部そうです。ですから、「テレビの方」というのは、上下もしくは左右方向に曖昧である。「見やる」というのは奥行き方向に曖昧である。そういうふうに、二重に視点を曖昧にするのは、僕はよくないと思います。曖昧にすること自体はいいけど、曖昧の仕方は明確なほうがいい。

 いまトートロジーの話をしましたが、トートロジーのない部分でいい文章もありましたので、それも挙げておかなければ公平を欠くでしょう。4頁目の、1行空きの前「遠くで蝉の声が聞こえたけれど、わたしの耳鳴りだったかもしれない」これは、トートロジーになりそうなところを、うまくすり抜けています。蝉の声と耳鳴りという、音声的な要素がふたつあるんですけど、ここは語彙を変えて、出す順番もうまくできている。こういう文章を書けばいい、というメルクマールになろうかと思います。
 次の文章もすごくいいですね。「貴一さんは、わたしの家庭教師だった。当時、小学六年生で、周りは公文とか、塾に通う子の方が多かったのに、郊外に家があったせいで「通わせるには遠い」と父が難色を示し、家庭教師の派遣業者から世話されたのが、大学生の貴一さんだった。その人が自分の妻を奪うことになるなんて、夢にも思わなかっただろう」ここはトートロジーもなく文章がすいすい進んでいますし、みなさんもぜひ参考にしていただきたいのが、代名詞の省略です。「当時、小学六年生で」、ここには普通「わたしは」が入りますが、ここで入れなくても読者は迷いません。そして、「夢にも思わなかっただろう」というのは、父のことだと読者は当然わかります。なぜかというと、その前に「自分の妻」と書いてあるからです。代名詞というのは、文章を明確にするかわりに、使いすぎると読者はうるさい感じを持ってしまいますから、省略するというのも大きなポイントなんですけれども、この5行の文章はそれがすごくうまいです。

 ここはすごくクリアなんですが、5頁目の真ん中ぐらいになると、また曖昧な表現が出てきます。「『香澄さん。物を食べる時は、脇を閉じた方がいいです』勉強の一休みと、母がケーキを持ってきた時だ。広げたノートを汚せないので、ケーキを載せた皿を胸の高さに持って食べていたわたしの両脇は、大きく開いていた」。ここでは、閉じるのは脇、広げるのはノートと書いてあるんですけど、わざわざ縁語を持ってくる必要はありません。ノートは広げていても閉じていても大勢に影響はないわけですから。そういうふうに、関係ないところで縁語を使うと、読者には混乱が生じるということは、作者は配慮したほうがいいです。
 7頁目の、1行空きのしばらくあとにも、いい表現がありますね。会話文で「いえ。捨てられました。二人で貯めた通帳までなくなって」、これは、本当に貯めているのはお金ですが、「通帳」っていえば普通は銀行の通帳のことしか思い浮かびませんから、「二人で貯めたお金の通帳」なんて言うより、これはこの表現で、ぐっと引き締まった文章になります。さりげないけれどもいい文章です。そのさりげないところが、小説というのは細部によって成立していますから、とっても重要なんですよ。
 今度はちょっと残念なところです。10頁目の、お父さんが腕組みをほどいて「喜美子は余命が短いのか」と言う場面ですが、この結論を出すのは物理的に早すぎます。なぜかというと、ラスト・ドレスというのが一般的に亡くなるときに注文するものだとしても、この時点ではお父さんも主人公も、相手の具体的な状況をわかっていません。もしかしたら、元気なのに準備しているかもしれない。ただ単に欲しいだけかもしれないし、別の人に頼まれたのかもしれない。いろいろな可能性があるのに、それに言及しないでいきなり結論を出すのは、もしかしたら改稿して縮めたからかもしれませんが、読者は一足飛びな印象を受けます。

 後半は全体的によく書けていますが、残念ながら18頁目に、この作品でいちばん惜しいと僕は思うところがあります。「貴一さん。横顔だけでも。四十手前なのに、やせてくたびれた体躯で老けて見えるけれど、わかる。貴一さんだ。あんなに所作がきれいで、行儀も良かった青年が、活気も生気もなくただみすぼらしく座っている」、ここは大事な場面ですが、作者は何かを見ているようでまったく何も見ていません。「くたびれた体躯」ってどういう体躯ですか。「活気も生気もなくただみすぼらしく」と、抽象的な形容詞を3つ重ねても、人物像は出てきません。どうくたびれているのか、どうみすぼらしいのか、具体的に見て、具体的に書いてください。目の様子が違うとか肩の様子が違うとか、ひとこと書くだけで、形容詞をいくつ連ねるよりもずっとずっと強い効果を与えることが、小説にはできます。こんな大事なところで、新聞記事みたいな書き方をしてはいけません。
 あとは、23頁の「貴一さんも、病気ってこと?」という台詞も、結論が一足飛びのような気がします。この時点では、貴一さんは痩せた女性の車椅子を押しているだけなのに、どうして貴一さんも病気だという結論になるのか、僕はちょっとわかりませんでした。もしかすると、これも改稿の影響かもしれません。
 終盤の26頁。これは細かいところですが、僕はプロの小説でもしばしば気になるところなので、敢えて申し上げます。「その光沢は、工房の蛍光灯を反射し、貝殻の裏のような不思議なプリズムを醸し出していた」。「醸し出す」という言葉です。ここで「プリズムを醸し出す」という言い方が、比喩だとしても僕にはわかりません。醸す、というのは乳酸菌などによる発酵のことです。醸すという現象が起こったら、その本体が変質しているんです。でも、ここで「醸し出す」といっても、プリズムには変化はないですよね。ということは、名詞と動詞の捉え方が間違っているんです。これは佐藤さんだけの問題ではなく、ジャーナリズムの現場でも「醸し出す」という言葉はいま猖獗をきわめています。僕は、禁止してもいいと思うぐらい気になっています。もう9割以上は使い方を間違っている。ですから、使うなとは言いませんが、極めて注意深くなってください。これは自戒も込めて言います、醸さないでください(笑)。

 そして最後の部分で、「わたしは、裁つのだ」と主人公が強い言葉で決意表明をしています。ですが、その前で「幸せは雲を縫うようだと、母は言った。つかもうとしてもつかめない。つかんだと思っても手から逃げてゆく」と書いていますね。つかもうとしてもつかめないものを、この人はどうしていきなり裁てるのか、という疑問が残ります。これは主人公の姿勢に賛成か反対かという話ではなく、物理的に混乱があるという話です。裁つなら裁つでいいんですよ。そういう決意を書くならば、読者に誤解させないように書かなければいけない。物理的に誤解のないように書かなければいけない、というのが、あらゆる小説家に求められていることだと思います。
 いろいろ申し上げましたが、作品自体はすごくいいと思いますので、これからも頑張っていただければと思います。

◆白取良仁『南海の雫』(50枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11028849
 徳川の治世が盤石のものとなりつつある元和の御代。蔵破りの者をかくまったとして八丈へと流罪となっていた伝衛門が奥州塩竃の湊へおくられた。気仙沼へもどる道筋の村は、黒脛巾組による一斉手入れが行われた。この奥州にもキリシタン弾圧の波が押し寄せているのだと思い知らされた。伝衛門の胸には、永きにわたってしこりとも傷とも言えるものがある。それは、江戸で目の当たりにした忘れようにも忘れられない記憶であった。
 生涯のほとんどを悪行で重ね、八丈で五年を費やした伝衛門には何が去来するのか。運命とも言える大きな波濤に伝衛門たちは巻き込まれていく。
 その運命とは、悪人伝衛門の人としての誠を露わにする奇跡であった。

・講談社 小林氏の講評
 門井さんの厳しくしかも具体的な講評のあとでは非常に話しづらいですね(笑)。作者の白取さんはこれが時代小説を書き始めてまだ2作目だそうですが、そうは思えないぐらい、時代の雰囲気や物語の空気が書けていると思いました。八丈島でどのように苦労したかとか、キリシタン弾圧が苛烈であったとか、長々と書いているわけではないけれどもきちんと伝わってくる文章になっていて、感心したところです。
 ただ、全体として面白かったかというと、私にとってはそうではなかった。なぜかと考えると、細かい部分は門井さんにまたお任せしますが、構成の問題ですね。構成をもっと練って、人物や物事の出し入れをきちんとすれば、もっと良い作品になると思います。
 具体的なことをいえば、最後に出てくるクルスとの関連で、最初の方に出てきた「あの方」が、宇喜多秀家のことだったというのが、私には読み取れなかった。読み取れなかった私に問題があるのかもしれませんが、こういう読者を生んでしまうということは、伏線の回収がうまくいっていないからです。それから、主人公である伝右衛門の視点でずっと描かれているわけですが、途中、他の人物の視点になっている部分がありますね。どうしても必要な場合もありますが、この作品に関しては、視点の移動はなかったほうがいいと思いました。

・光文社 山川氏の講評
 私も、すぐれたところがたくさんある、とても面白い作品だと思って読みました。いきなり物語の世界に入り込めて、全体に、物語を前に進めるエネルギーがすごくあって、ぐいぐい読ませる力のある文章だと思いましたし、登場人物が話す台詞の言葉も軽快で、すごくよかったと思います。八丈島の雨など自然の描写もいきいきとしていて、いいなと思いました。
 あらすじの最後に「その運命とは、悪人伝衛門の人としての誠を露わにする奇跡であった」と書かれているんですけど、私は単純な善悪の問題とは読んでいなくて、八丈島という場所でのイニシエーションを経て若さのようなものを取り戻す物語としても読めましたし、名もない人物が歴史を動かしていく皮肉さのようなものも感じました。
 私がいちばん気になったのは、伝衛門本人の成長を描くところが弱いことですね。盗っ人であるという価値観が、どのように変わっていったのか。信仰を持つ人との出会いや、自分自身が生命の危機に陥る中で、彼の内面がどう変わっていったのか、というところが、構成のうえでもうちょっとよく書けているとよかったのかなと思いました。

・祥伝社 藤原氏の講評
 ストーリーを非常に面白く拝読しました。いろんなパターンを作れる小説だなと思いながら拝読したんですけど、いちばん印象に残ったのは、主人公の伝衛門が島から帰ってきて、残りの人生を、自分自身で掴み取って行く人生を選ぶのか、それとも誰かに翻弄される人生を選ぶのか、何かに巻き込まれていく人生を選ぶのか。そもそも伝衛門は、宇喜多秀家と思われる人物に助けられて、紆余曲折あって、運命に導かれるようにクルスを手にして、死んでいくわけですが、そこが整理されていないんですね。キリシタンになるつもりがあったのかどうかも読み取れないし、宇喜多秀家がなぜ海にクルスを投げたのか、というあたりも、作者が「こうだ」と決めればそうなりますから、そこは決めて動かしていってもよかったと思います。
 その辺をもっと整理されると、より面白くなるなと思いながら拝読しました。

・池上氏の講評
 では僕の講評は簡単に。これはピカレスクとしての魅力を持ちつつ、悪人がキリストの教えと出会って改心していく話になればもっといいんですけど、そうはならなかった。それから、ケイパー(強奪)小説というジャンルとして見ると、もっと準備段階の描写がほしい。構成の問題として、前半がちょっと長いので、襲撃の場面から始まってもいいし、それから人物の背景が見えてくるという感じで書いていくと、もっと物語の焦点が合ったかなと思います。
 2作目でここまで書ければ立派なものですが、ラストシーンから逆算してみると、構成がちょっと弱かったのは否めないと思いますね。

・門井氏の講評
 総論的にはいま池上さんがおっしゃったとおりですので、僕は各論でいきますが、2作目と聞いてびっくりしました。小説はスポーツと同じで、練習すればするほどうまくなります。もっともっと書いていただければ、もっともっとうまくなる、伸びしろを感じさせる作品でした。
 そういう態度だということをもって、以下の指摘を許してほしいのですが、まず2行目にトートロジーがあります。「岬の突端で彼方の故郷をおもえども、その霞すら認められない」と書かれていますが、故郷を思うからには、その近くにいるわけがありませんから、「彼方の」はいりません。次に、「おもえども」という文語調の言葉ですが、時代小説だからといってこういう文語体を使うことに賛成はしません。なぜかというと、ここで「おもえども」というなら、その下は「その霞すら認められなし」にならなければいけないんです。「認められない」と現代語で書いてしまっているので、この一文に文語と口語が混ざってしまっています。こういう間違いを、どうしても現代の人間は犯してしまいますから、文語を使うのは非常に危険です。逆にいえば、時代小説だからといって無理して文語を使う必要はないので、ここは楽に書いていただければいいのかなと思います。
 この作品については、若干手垢がついたというか、ありきたりな言い回しが多いと感じました。おいおい述べていきますが、「寒風吹きすさぶ」、とありますね。こんなに構える必要はありません。寒い風が吹く中、でいいんです。ちょっとカッコよく言おうとすると、人間はありきたりな表現をしてしまうものです。続く段落で「八丈島の五年を生きのびて、江戸払いとなったこの身は塩竈へと廻された」とありますが、島流し、遠島と江戸払いは刑が違います。遠流というのは基本的に終身刑ですから、帰ってこられません。江戸払いは有期で、何年かすれば帰ってこれます。この、まったく違う刑が一文の中に不用意に入っていると、読者は混乱します。今日は時代考証の席ではないのでこれ以上のことは言いませんけど、時代小説にはどうしてもこういう問題がつきまとう、ということは、お調べになるときは気をつけてください。

 今度は2頁目に行きます。真ん中ぐらいに「さんざん悪さを働いて、あの頃は羽振りがよかったものだ」とか、その少し後に「敢えなくお縄にされてしまった」とか、時代劇でよく見るような、ありきたりな文章が出てくるので、僕としては、ああやっちゃったのねという感じになってしまいます。それから、5頁目の後半で「キリシタンたちは、口々に経に似たものを唱えはじめた」「あれは『オラショ』に違いない」とあります。ここで初めて出てくる「オラショ」という言葉は、説明しなくても文脈でわかりますからいいのですが、あとあとでもこれを唱える人が出ていて、唱えながら死んでいく人もいる重要なものですから、1行か2行でもいいから、具体的にどんなお経だったのか書いてほしい。「経に似たもの」だけでは、作者は聞いているようで何も聞いていません。
 音関係でいきますと、「キリシタンの絶叫が響きわたった」とありますが、音の物理でいいますと、音波が行って帰ってくるのが「響く」です。ただ音が鳴っているのは「響く」ではありません。さっきの講評では「醸さないでください」と申し上げましたが、響かせるのもやめてください(笑)。

 次は6頁目です。「夜ふけだというに社の朽ちた扉の隙間から、ちらとらと炎のうごめきが見えた」。ちらちらとうごめいていた、というのは典型的なトートロジーですね。ちらちらしているんだから動いているに決まっています。ここはちらちらと炎が見えた、ぐらいでいい。その少し後ろには、これも非常に手垢のついた言い回しですね、「反抗するなら容赦なく殺す。それが奴らのやり方だ」。これは一昔前の角川映画ですね。現代の時代小説ではあまり使うべきではないと思います。
 9頁の冒頭、「このように火にあたるのはひさ方ぶりだ」とありますね。これ自体はいいんですが、「ひさ方ぶり」という言葉が、7頁目と8頁目に続いて、短い間に3回も出てきています。娑婆に出てきたのが久方ぶりだから仕方ないのかもしれませんが、1回言えばわかりますので。同じ頁に「深い皺で刻まれた重い瞼の下には爛々と眼がひかっていた」、これはトートロジーではありませんが、形容詞が多すぎです。どれかひとつで充分に重苦しい感じが伝わります。
 10頁目に行きます。問題のクルスが出てきますね。これは、主人公の運命を左右するような、きわめて重要な小道具であるにもかかわらず、具体的にどういう見た目をしているのか、最初から最後までわからない。「そのクルスは宝玉が散りばめられ、高貴な者が持つにふさわしい美しきものだという」とは書いていますが、伝聞だということを除いても、これでは読者はわかりません。もっと具体的に、宝石は何個なのか、何色なのか。十字架といっても十字型をしているだけではなく、上に丸がついていたり、交差部分が丸くなっていたり、いろいろあります。どういう形をしているのか、いちいち全部書く必要はありませんが、明確な視覚的印象が残るように書かなければいけません。きわめて重要な小道具の場合は、必ずそう書いてください。これは現代小説でもいっしょです。

 飛ばして14頁です。ここももったいないトートロジーですね。「こうした時は、一刻でも二刻でも松になりきって動かぬのが常だ」、松になりきるというのはいい表現ですが、松になりきったなら動かないに決まっています。ここは「松になりきるのが常だ」だったら最高だった。非常に惜しいです。それから、次の15頁にはさらに単純なトートロジーがあります。「こりゃ、ふんどしを締め直さなきゃならねぇと気を引き締めた」、ここで締めたのはふんどしでしょうか、気でしょうか。どっちか片方でいいです。
 あとは、視覚的描写ということになりますが、18頁ですね。「床下から見える脛が落ちつかなく動いている」、これも見ているようで見ていないんです。どう動いているのか、膝をすり合わせているのか、貧乏ゆすりのような足の動きなのか、いくらでも可能性はあるわけです。落ち着いているかどうかは描写でもって主人公に判断させてあげてください。作者が断定してしまうのは反則です。
 最後にまた、視覚的に明確に書くという話になるんですけど、19頁目の最後から2行目、ここは立ち回りのいちばん大切なところです。「ぬき打ちの一閃が下からはらわれた」とあると、読者は下から上に、縦に刀傷が走るのを想像しますが、続いて「腹を斬られ気力で組みつこうとする」とあるので、これは横に切られているんじゃないかと思うわけですね。これは明確を欠く。細かいところですけど、そういうところで読者に混乱を与えないでください。20頁につきましては、「燃え上がる炎はおぼろで、それは燃え上がった蓑をまとった童に思えた」、これもトートロジーですね。どちらかでいいです。それから「眩いクルスは、宝珠の埋め込まれた高貴なものであった」、宝珠が埋め込まれているんですから眩いに決まっているし高貴に決まっています。いちばん最後のいちばん大事な場面で、トートロジーがトリプルになってしまっているのは、もったいないです。最後の最後まで、文章は神経を行き届かせましょう、という話でございます。
 厳しいことを申し上げましたが、いいところがいっぱいある小説でした。とてもとてもよく書けていると思います。

※以上2篇に続き、3篇目の講評は「その2」にてアップいたします

【講師プロフィール】
◆門井慶喜(かどい・よしのぶ)氏

1971年、群馬県桐生市生まれ。2003年、「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞してデビュー。07年『人形の部屋』で日本推理作家協会賞長篇&連作短編部門の候補、15年『東京帝大叡古教授』と16年『家康、江戸を建てる』でともに直木賞候補となる。16年、『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、18年に『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞する。他の作品に『パラドックス実践 雄弁学園の教師たち』『かまさん』など。

●キッドナッパーズ(文春文庫)※オール読物推理小説新人賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4167912082/

●人形の部屋(創元推理文庫)
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●東京帝大叡古教授(小学館文庫)  
https://www.amazon.co.jp//dp/4094062823/

●家康、江戸を建てる(祥伝社文庫)    
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●マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代(角川文庫)
※日本推理作家協会賞受賞(評論その他の部門)        
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●銀河鉄道の父(講談社)※直木賞受賞
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●パラドックス実践 雄弁学園の教師たち(講談社文庫)
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●かまさん 榎本武楊と函館共和国(祥伝社文庫)
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●新撰組の料理人(光文社)
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●美術探偵・神永美有 天才たちの値段(文春文庫)
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●おさがしの本は(光文社文庫)
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●にっぽんの履歴書(文藝春秋)
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●こちら警視庁美術犯罪捜査班(光文社文庫)
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●徳川家康の江戸プロジェクト(祥伝社新書)
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●注文の多い美術館 美術探偵 神永美有(文春文庫)
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●シュンスケ!(角川文庫)
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