「言葉というものは、時間や空間と密接につながっているところもあれば、リアルタイムに支配されない自由性もある。それは、われわれの魂の自由性でもあります」
   
 第105回は和合亮一氏をお迎えして、山形を舞台とした文学との出会いの思い出や、東日本大震災と原発事故を受けての詩作とその後の変化などについて、語っていただきました。

◆文学伝習所との出会い/高校演劇のカリスマ伝説/全身小説家の迫力

――和合さんは、こういった文学講座みたいなものも、やっていらっしゃったんですか。

和合 さかのぼりますと、僕の原風景は山形の文学講座なんですよ。この会場から近い七日町に、アズという建物がありますね。あの一番上の階で、井上光晴先生の「文学伝習所」というのに、大学3年のとき先生に連れてきていただいて、初めての外泊をしながら井上先生のお話を聞いた、というのが私にとっての文学の始まりでした。すごく濃い雰囲気で、一生この世界には近づけないな、と思ったものですが、今はなぜか完全にハマっているというのが、不思議ですね。
 井上光晴先生はものすごい迫力がありましたね。机の上にドンと一升瓶がありまして、それをグラスでぐっと飲んでから話しはじめるんですよ。本物の作家とはこういうものか、僕も文学をやってみたい、と雷に打たれたような始まりでした。

――先月ここにいらした古川日出男さんもそうですが、和合さんもずっと演劇をやっていらしたんですよね。

和合 たしかに私も演劇はやっていたんですけど、古川さんは私が高校1年生のときの3年生で、すでに高校演劇のカリスマとして有名で、みんなの憧れでした。台本など手当たり次第にものを投げたりする、すごく怖い人だという印象がありましたが、大人になってからお会いしたら優しい人でした。本当にものを投げていたんですか、と聞いたら「いや、俺は台本しか投げないよ」と言われましたけれども(笑)。
 井上先生の文学伝習所にうかがって、2泊3日だったんですけど、毎晩宴会があるんですね。3日目も宴会だったんですけど、私は翌日に学校がありましたから、先に帰るんです。帰るときに井上先生に挨拶をしましたら、2つの話をしてくださいました。ひとつは、売れようと思うな、売れているものは全部疑え、と。世の中にはたくさん賞があるけど、ああいうものはくだらん。ああいうものが文学をダメにしている。賞の話がきたら全部断れ、と。これは守る事ができなかったんですけど(笑)。もうひとつは、誰のためでもなく自分のために書け、書いて書いて自分を作っていけ、ということでした。それで福島に帰って、それから30年、毎日のように思い返しています。それが僕の原風景ですね。

――いい話ですね。ご息女である井上荒野さんと対談されたときは、その話もされたんですか。

和合 はい、その話をさせていただいて、荒野さんは「20歳の青年だったら、それでやられちゃうかもしれないね」とおっしゃっていました(笑)。僕は文学伝習所には1回しか参加していなくて、その後まもなくガンが悪化して、何年か後に亡くなるんですけど、雑誌などでお姿を見るたびに痩せていかれて……。
 映画『全身小説家』(原一男監督)でも描かれていましたが、僕は弟子のおなかにパンチを入れているところを目の前で見ましたからね。飲み会なんか大変な状況でしたが、それだけインパクトが強くて、文学の世界にいざなってくださった井上先生との出会いというのは、山形という土地だったからこそ、自分の中に残っているのではないかと思っています。

――昔は、講師をつとめる作家の作品を全部読んでから来るのが礼儀だ、という風潮がありましたが、最近は、読まなくてもいいからとりあえずいらっしゃい、というふうに変わってきていますね。なぜかというと、やっぱりその人の持っているオーラというか、カリスマ性を見るだけでも勉強になるから。
 僕が最初に出会った詩人は、金子光晴だったんですよ。僕は当時20歳ぐらいだったかな。70歳のおじいさんが、山形市民会館の小ホールに来たんですよ。着流しで、赤いショールに下駄履きだったかな。ひと目見たとき、なんて艶っぽいおじいさんなんだろう、と思いましたね(笑)。それまで、同性の、ましてや老人を艶っぽいなんて思ったことはなかったんですけど、こういう人間もいるんだ、という驚きがありました。作家や芸術家には、そういう見たこともないような人がいますので、やっぱりできるだけ会っておいたほうがいいですね。本はこれを機会に読んでもいい。
 で、和合さんはその井上先生との出会いから、どんな経緯で詩を書くようになられたんですか。


和合 すみません、その話が抜けていましたね。最初はみなさんと同じように、小説を書きたいと思って参加していたんです。実は今でも小説を書きたい気持ちはあるんですが。
 文学伝習所では、今日と同じように参加者が作品を提出していたんですが、僕はまだ小説を書けなかったので、詩を5篇書いて提出したんです。そこで生まれて初めて文章を誰かに見てもらうという経験をしたんですが、井上先生が、順番を少し入れ替えたら面白くなると言ってくださいまして、質問はあるかと言われたので「私の書いたものは、詩になっていますか?」と質問したところ、「詩になってるよ」とひと言いわれて、それで有頂天になりましたね(笑)。ようし俺は詩人になろう、と。詩を書くほうが自分の中で先になっていって、大学3年から4年のころは、詩を書いては周りの人に見せるようになりました。

◆詩人は市民権ゼロ?/揺らされている感覚の中で平易な言葉を/リーディングとお国柄

――小説家なら賞に応募するとか本を出すとか、デビューの筋道はありますが、詩人になるというのはハードルが高いですよね。詩集を出すにしても、自費出版が多いですし。出版社から「詩集を出しませんか」という話は、まずないですよね。

和合 とくにこの日本において、詩人というのは市民権がゼロですね。後ろ指をさされる、役に立たない存在と見られるというか、心配されたりしますね。そういう意味では、今の日本の文化の中で、詩人として何かをしていこうというのは、ある意味たいへん難しいかもしれません。

――現代詩というのはまだまだ理解されていなくて、難解であれば難解なほどいい、みたいな時代もありました。山形出身の吉野弘という有名な詩人もいますが、ああいうわかりやすい、平易な言葉を使った詩が低く見られていたこともありましたね。

和合 いろんなお話をしたいんですけど、震災後の話をちょっとさせてください。実は、震災後にはちょっとそこが変わってきたかもしれないですね。
 僕は震災前から詩をずっと書いていますけど、震災後には、詩の言葉が求められてきて、先ほど市民権と申し上げましたけど、新聞や雑誌に取り上げられることが多くなってきているのかもしれないです。数は申し上げられないですけど、詩集なども、芥川賞を取った作家と同じぐらいの売れ行きがあったりとか、本にとどまらず、歌になったりとか、他の形でも詩の捉えられ方が変わってきた部分があるかもしれない。ただ、平易さと難解さについては、僕はもともと現代詩をやってきた人間でして、「わけのわからない詩を書く人」だと紹介されていました。だけど、震災後に出した『詩の礫』(徳間書店)という、福島の状況をそのままツイッターで発信したものをまとめた本は、現代詩の先輩からは「これが詩集なのか」と批判されました。だけども、それまで苦手だったツイッターにあげたものが、驚くほど多くの方に受け止められたという経緯があって、不思議な感じがするんですね。わかりやすさとわかりにくさの間にいて、行ったり来たりしている、というのが今の自分の状況なのかな、と思いますね。

――『詩の礫』は、ツイッターで発表されたとは思えないほど濃密な詩ですね。

和合 そう言っていただけると大変うれしいです。これは地震に揺られながら書いていたもので、余震が1ヶ月ぐらい続いていて、揺れていなくても揺れている様に感じる、地震酔いの中で書き続けているんですね。
 これも先ほどの井上光晴先生の言葉とつながるんですけど、それまで現代詩を書き続けてきて、中也賞や晩翠賞をいただいていたんですけど、誰に向かって書いているのかわからなくなってきたんですね。現代詩手帖にはずっと書き続けていたし、新聞での時評も20年ぐらい連載していて、詩を書いている人間としては一番大きな場所で書かせていただいていたんですけど、そこで書いている私自身が、誰に向かって書けばいいんだろうと考えはじめたら、答えが出なかったんですよ。つまり、目の前で読んでいる人が誰もいない世界。短歌や俳句なら歌の会や句会がありますが、詩人というのは非常にコミュニティとして狭い、分母の少ない世界なんですね。そのサークルの中で褒めあってもしょうがないんじゃないか、という思いを抱きまして、誰に向かって書いたらいいのか、見えなくなりました。
 それが震災後、それまで避けていたインターネットの空間に、しかも自分が一番避けていた横書きで、その上ツイッターには140字という制限があるわけですね。震災で原発が爆発して、今までの表現活動では太刀打ちできない、ということが身体に刻まれていくんですね。そのときに、今までやってきたことを全部ぶん投げて、今まで避けてきた新しいことをやろう、と思ったのが『詩の礫』だったんです。
 地震があって、揺らされている感覚の中で、さまざまなことを書きましたけれども、それを現代詩の世界とは違うものとして自分の中で受け止めながらも、今思えば、現代詩文庫に入れていただいて、やはりそこに何かのつながりを、現代詩の方々が見つけてくださっているのかな、という段階ですね。

――リアルタイムで書かれていたこの本は、フランスでも翻訳されましたし、今度はアメリカで英語訳の準備も進められているそうですね。

和合 翻訳はいろいろあって、フランス語とドイツ語では出ていますし、部分訳としてはイタリアなどいろいろな国でも出しているんですけど、アメリカ文学との接点がだいぶ強くなってきています。アメリカでは、環境と文学にかなり強い結びつきがあるんですね。そこで、ゲーリー・スナイダーを中心とするみなさんとの結びつきの中で、アンソロジーの詩集を出そうということになりました。

――フランスでの読み方は、日本とは違いますか。

和合 そうですね。ヨーロッパではどちらかというとイメージが先行する、象徴詩の流れがありますね。これに対し、アメリカでは、災害が環境にどのような影響を及ぼして、それに対し人間がどう立ち向かったか、という思いを、アメリカの詩人たちは強く持っているという印象を持ちましたね。
 アジアでは、アジテーションの意味合いが強い。政治家の悪政を許さない、という、激昂する詩があります。アジアに行くと、朗読でも「叫んでくれ」と言われますね。私も50歳になりましたし、もう落ち着きたいので叫ぶのはやめようと思うんですが(笑)、この前インドネシアに行ったときは、やはり「叫んでくれ」と言われました。コーランの国ですから、言葉を発する人に対しての敬意や、注目する気持ちをすごく持っているんですね。何度か朗読に行きましたけど、読んでいる最中に拍手や歓声が起きるんですよ。これは初めての経験でした。普通は読んでいる最中は静かで、終わってから拍手や歓声が上がるんですが、やはりあれはアジテーションなんですね。しかも、私は日本語で読んでいますから、インドネシアの聴衆はほとんど言葉がわからないはずなんですが、激昂すると拍手が来る。そうするとこちらもノッてくるんですね。これは文学の問題にもなってくると思うんですけど、受け手の反響がまた書き手を育てていく、ということをすごく感じました。

◆修羅のように書きたいと思います/故郷は私の全てです/明けない夜は無い

――今日も時間があれば朗読をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか。

和合 では、『詩の礫』の最初のところを読ませていただきます。3月16日に書いたもので、私は学校に勤めておりますから、生徒の安否確認をして、妻と息子は朝早くに90km離れた山形の、妻の実家の中山町へ避難していくんですが、ガソリンが1目盛りしか残っていなかったんですね。その1目盛りのガソリンで、栗子峠(福島県と山形県の境にある峠)を越えて、なんとか中山町まで行くんですよ。これはすごいな、母の意地だなと思いましたね。で、妻子は無事に山形へ戻って、私も帰宅したんですが、家に戻ったときにものすごい孤独を感じたんですね。これが、この詩を書くきっかけになっています。「和合さん、無事ですか」というメールもいっぱい届いていたので、それに対する返事にもなっています。
 
震災に遭いました。避難所に居ましたが、落ち着いたので、仕事をするために戻りました。

みなさんにいろいろとご心配をおかけいたしました。励ましをありがとうございました。
 
本日で被災六日目になります。モノの見方や考え方が変わりました。

行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います。

放射能が降っています。静かな夜です。

ここまで私たちを痛めつける意味はあるのでしょうか。

ものみな全ての事象における意味などは、それらの事後に生ずるものなのでしょう。ならば「事後」そのものの意味とは、何か。そこに意味はあるのか。

この震災は何を私たちに教えたいのか。教えたいものなぞ無いのなら、なおさら何を信じれば良いのか。

放射能が降っています。静かな静かな夜です。

屋外から戻ったら、髪と手と顔を洗いなさいと教えられました。私たちには、それを洗う水など無いのです。

私が暮らした南相馬市に物資が届いていないそうです。南相馬市に入りたくないという理由だそうです。南相馬市を救って下さい。

あなたにとって故郷とは、どのようなものですか。私は故郷を捨てません。故郷は私の全てです。

放射線はただちに健康に異常が出る量では無いそうです。「ただちに」を裏返せば「やがては」になるのでしょうか。家族の健康が心配です。

私が避暑地として気に入って、時折過ごしていた南三陸海岸に、一昨日、1000人の遺体が流れ着きました。

このことに意味を求めるとするならば、それは事実を正視しようとするその一時の静けさに宿るものであり、それは意味ではなくむしろ無意味そのものの闇に近いのかもしれない。

あなたには大切な人がいますか。一瞬にして失われてしまうことがあるのだ…と少しでも考えるのなら、己の全存在を賭けて、世界に奪われてしまわない為の方法を考えるしかない。

世界は誕生と滅亡の両方を、意味とは離反した天体の精神力で支えて、やすやすと在り続けている。

私の大好きな高校の体育館が、身元不明者の死体安置所になっています。隣の高校も。

父と母に避難を申し出ましたが、両親は故郷を離れたくないと言いました。おまえたちだけで行け、と。私は両親を選びます。

家族は先に避難しました。子どもから電話がありました。父として、決断しなくてはいけないのか。

ところで腹が立つ。ものすごく、腹が立つ。

どんな理由があって生命は生まれ、死に行くのか。何の権利があって、誕生と死滅はあるのか。破壊と再生はもたらされるのか。

行方不明者は「行方不明者届け」が届けられて行方不明者になる。届けられず、行方不明者になれない行方不明者は行方不明者ではないのか。

スーパーに3時間並んだ。入れてもらって、みんなと奪い合うようにして品物を獲った。おばあちゃんが、勢いにのれずにしゃがみこんだ。糖尿病でめまいがしたと言った。のりまきと、白米と、ヨーグルトを取ってあげた。

おばあちゃんに尋ねた。「ご家族の方をお呼びしますか」。おばあちゃんは「一人暮らしなんだ」と教えてくれた。家まで送りましょうか。「家は近いんだ」

避難所で二十代の若い青年が、画面を睨みつけて、泣き出しながら言いました。「南相馬市を見捨てないで下さい」。あなたの故郷はどんな表情をしていますか。私たちの故郷は、あまりにも歪んだ泣き顔です。

これまでと同じように暮らせることだけが、私たちが求める幸福の真理であると思う。

明けない夜は無い。

(場内大拍手)

――いやあ素晴らしい。本当に素晴らしい。聞いていて泣きそうになりました。詩というのはこんなにも人の心を震わせるのか、ということを改めて実感させられました。昨日『詩の礫』を読み返して、いま読まれた部分も頭に入っていたのに、まるで違うものを聞かされたような気がします。つまり言葉のどこに力点をおくのか、どんな感情に包まれているのかが、朗読を聞いてわかりました。それにしても、この詩をずっと書いていたのですね。震災の時に。

和合 3ヶ月ずっと、毎日書き続けるということをしまして。というのは、私の教え子や知り合いも津波にさらわれて亡くなっていますし、浜通りの方々はみんな原発の爆発を受けて、大量に避難していくんですね。避難していく人々に対して、ラジオで「落ち着いて避難してください」と呼びかけている。そういうものを耳にしまして、ああ福島は終わりなんだな、と実感したのを覚えています。
その中で毎日書き続けたのは、亡くなった教え子や知人がいて、その現実の辛さ、あるいは福島がなくなっていくんじゃないかという現実感ですね、それに向き合うには、毎日書き続けるしかないんじゃないかと思って、それが自分の中での「行」みたいになっていったんです。お坊さんがお経を読むような、そういうものに自分の中で変わっていく。それは先ほどお話ししたように、誰かのために書いたのではなく、あくまで自分のために書いていたということが、もうひとつ大きなこととして、自分の中にありました。だから、井上先生のことをすごく思い出したんですよ。自分のために書くんだ、書いて書いて自分を作っていくんだ、ということに、20数年経って、あの地震の中でもう一度呼びかけられているようで、不思議ですね。

◆自分は大して言葉を持っていない人間だった/言葉の自由性は魂の自由性/歴史に残ることで文学は輝く

――『詩の礫』に関して同業の詩人たちの評判はどうだったのでしょう。

和合 「明けない夜はない」ということを必ず書いていたんですけど、詩人の先輩たちに言われたのが、「現代詩人が『明けない夜はない』はないだろう、演歌じゃないんだから」ということでした(笑)。
 だけど、これは地震の中で、自分の中から出てきた言葉なんですよ。先ほどもお話しさせていただきましたけど、本当に飾らない言葉を書いているうちに気づいたのが、自分は大して言葉を持っていない人間だったんだな、ということでした。20何年も現代詩を書いてきて、自分が本当に伝えたい言葉の、芯のようなものをあんまり自分は持っていなかった、ということが、はっきりわかったんです。それで「明けない夜はない」という言葉が出てきたんですが、当時は揺らされながら書いていましたから、頭の中が白熱しているのと、真っ直ぐ前しか見ていないんですね。だけど時間が経ってきて、自分の中であのときの歳月はどうなったか。その思いを、『QQQ』(思潮社)という新しい詩集に綴りました。
 Qというのはクエスチョン、先ほども言いました絶対的質問です。これを繰り返すんですが、お伝えしたいのは、今は現代詩の文脈に戻っていますけども、津波のあとの風景だったり、震災後の風景だったり、原発爆発後の、無人の町の風景だったり、それが映像としてはっきり浮かんでくるんですよね。あの当時、その都度書いてきた『詩の礫』のときの感覚とは、似ているんですけれども、どこか違う。時間が経って、浮かんでくる。それは自分の心の傷なのかもしれませんが、現代詩の文脈とそれが自分の中でぴったり重なりまして、それは混沌(カオス)なんですよね。カオスの感覚が、7年経ってピッタリと、目が覚めてきたといいますか。そのカオスの感覚、どこにもぶつけようのない、入口も出口もない感覚が、震災の後に何回も見つめてきた、たくさんの人が亡くなった災いの風景なんです。これが今、鮮明に浮かんでくるのは、見つめていた直後の風景ではなくて、7年、8年という歳月を経て、自分の中で浮かんできた傷なんだと思うんですね。その感覚が、改めて自分の中で「詩を書くとは何か」というものに変えていってくれているような気がするんですね。

――「詩を書くとは何か」というのは本当に難しいし教えにくいと思いますが、これから書こうとしている人へ、アドバイスのようなものはありますか。和合さんは長いキャリアを経て、東日本大震災で言葉を見つけ直したそうですが、自分を見つめ直すきっかけはどう見つければいいのでしょうか。

和合 そうですね、これはものを書くみなさん共通のことだと思いますが、書いているときって自分だけの時空間を受け止めて、自由に時間の流れを作り変えることができるというか。
 たとえば朗読していて気づくことがあるんです。朗読をずっとしていると、時間が巻き戻されるような感じがあって、少なくとも自分が朗読しているときは、自分の時間を自分で作っている感覚なんですね。24時間なら24時間、われわれは時間に支配されて生きているんですけど、その中の一瞬だけでも自分が時間を作れたときに、本当の意味で、生きることと死ぬことの意味を、身体に刻むように受け止めることができるんじゃないか。これもまた同じことの繰り返しになりますが、本というものは当然、たくさんの方に受け止めてもらいたいし、伝わっていってもらいたい。これは書く者の喜びですけれども、私は今50歳になって感じるんです。
 金子光晴さんのお話も先ほどありましたが、時間というものと、言葉というものは、実はさまざまな向き合い方をしていて、それが小説だとすると、やはりベストセラーにならなくてはいけないという、職業作家としての命題から離れてみると、生産活動というのは、もっと違うところにあるかもしれないんですよね。僕は同人誌活動も長くやっていますけど、自分でお金を出して本を作るという生産活動こそが、自分で時間を作り出すことになるのではないか。本というものの流通システムに支配されている部分もあるのでそこはいたしかたないのですが、だけども、新しい紙に向き合うときに、自分の気持ちをどう立たせるか。それは必ずしも、商業主義だったり、賞を受賞したりというような関係性の、社会的な、通俗的なところにはない、本当の真実ってあるんじゃないかと思うんです。
 詩を書くことって、再三お話ししているように、社会的にはまず認められません(笑)。そういう立場から言わせていただくと、詩を書いて誰かに手渡すというのは、不毛に近い行為ですよね。だけども、その不毛な中にこそ意味を見出したときに、実は新しい入り口がたくさん開かれているということに気づかされるわけです。たとえば10数年前に書いた詩を、すごく好きですと言ってもらえたり、北海道の地震があったときに北海道新聞に4篇の詩を送ったんですが、それを読んだ方々が手紙をたくさんくださいました。まだ北海道の地震は続いているんだ、ということも私はわかりました。北海道のみなさんはとても恐怖感におびえていて、苦しい思いをして過ごしているんだ、ということも、詩を書いて、手紙のご返事をいただいて、初めて実感したんですね。4篇の詩が新聞に載ったのを読んで、初めて怖いということが実感できた。停電していて、暗闇がこんなに恐ろしいということが初めてわかった。そんなご返事をいただきました。
 それで、3日前(2019年2月21日)に、また北海道で震度6弱の地震がありましたよね。昨日の北海道新聞の1面コラムに、私の詩をまた載せてくれたんです。1ヶ月前に書いた詩が、リアルタイムでまた載った。何が言いたいのかというと、時間とか空間とかですね、そういうものと言葉というのは、密接につながっているところもあれば、リアルタイムに支配されない自由性もある。それは、われわれの魂の自由性でもあると思うんですよね。だから、歳月が経ったのちに輝き出す言葉もある。今は認められなくても、歳月を経て光り出す言葉かもしれない。光る1行のことを僕らは「ルミナスライン」と呼んでいるんですけど、必ずしもそのときその場で輝くものではない、というふうにも思うんです。
 また井上光晴先生の言葉なんですけども、作家あるいは詩人は、どこに重きを置くべきですか、と文学伝習所で参加者の誰かが質問したんですね。すると、井上先生はこうおっしゃいました。
 売れるということは疑え。富と名声、賞をもらう人も疑え。歴史に残ることだ。
 そうおっしゃっていました。歴史に残ることで、書かれたものは光るんだ、と。書いた人がこの世を去ってからも、歴史に言葉が残るということが文学なんだ、芸術なんだ。そうおっしゃっていたんです。今日は山形に来たせいか、井上先生の言葉を思い出します。

◆詩の水平性と垂直性/社会の向きは突然に変わる/太陽や大地との親密さを取り戻す

――今はSNSが発達して、詩を書く人が増えているんじゃないですか。

和合 インターネットの登場で地図が変わってきたところはありますね。インターネットというものは、広がりが非常に水平的です。誰かがひとつ取り上げれば、変なたとえかもしれませんがねずみ講のように広がっていきます。そういう水平性のつながりがものすごく強くなってしまって、詩人たちは、僕もそのきっかけを作ったひとりかもしれませんが、インターネットに詩を書くということがある意味で主流になっている。とくに若い詩人たちは、インターネットに詩を書くということを避けて通れないぐらいの状況になっています。これは大きく地図が変わっています。
 僕は新聞で時評をやっていますが、若手の詩人たちの作品を読んでも、誰に影響を受けているのかわからない。水平のつながりに対して、垂直のつながりと言ったらいいでしょうか。たとえば萩原朔太郎や宮沢賢治、高村光太郎、田村隆一とずっと流れている、100年にも満たない現代詩の歳月ですけど、このつながってきた垂直性、つまり詩の歴史の姿が見えなくなっている。これはインターネットがあまりにも普及しすぎて、若い書き手たちがどうしてもそこに目を向け続けている、ひとつの不安というか弊害というか、これは自戒も込めてなんですけど、実体のなさが浮き彫りになっていると思います。

――書くのは好きだけど読まない、という人は確かに増えていますね。インターネットで書いて、ちやほやされるというか、反応を得て満足してしまう。それより、もっと孤独を恐れないで書いてほしいと思う部分はあります。

 ではそろそろ時間もなくなってきましたが、何か準備されてきた話で残っているものがありましたら。

和合 では時間なので最後にふたつだけお話させていただきます。
 まず自分は、今のお話で孤独というキーワードが出ましたけど、20代のとき南相馬市に教員として赴任しました。20代の、青春の時期をそこで過ごしまして、自分は刺激を求めていたんですが、どちらかというと平和な浜通りの風景で、そこで何をしたのかというと、本を読んで書くしかなかった。それが自分の、20代の青春の日々でした。周りに詩を語る仲間もいないし、福島で生まれ育っているので外へ出ていく方法も知らない。だけど、締め切りや発表のあてもないのに書き続けていたのが、20代の青春だったんです。その後、30代、40代で書く場所をいただくようになって、20代の孤独な日々の言葉が自分の中にあったというのが、大きな財産になった気がします。それで、震災を経験しての話を繰り返しさせてもらっていますけど、詩人というものを魚にたとえていいますと、僕自身は、みんなが泳いでいるところの後ろにくっついているようなところがあった。ところが、震災後、詩を書いていきなり方向が変わりまして、一番後ろを泳いでいた自分がいきなり先頭に変わった瞬間があったんですね。それで、震災をどう捉えるのかとか、文学の意味とは何かとか、社会的責任は何かとか、いろんなことを言われました。でも、魚の流れでたとえてますけど、向きって突然に変わるものなんですね。そのときに、ものを書く人間として何かを培っている人と、培っていない人で、生き方が変わってくるのかなと思います。僕はもちろん、培っていない人間だったかもしれません。だから今、一生懸命頑張ろうと思っています。だけど世の中の流れというのは、魚の流れのようにいきなり切り替わって、まったく正反対の方向を向くものなのだな、ということを感じました。
 原発が爆発して、放射線があたりに立ち込めて、放射能を含んだ雲が通り過ぎていって、自分が住んでいる地域は一番放射線量が高い地域のひとつになりました。自分の故郷は、いわゆるホットスポットのひとつになりました。その暮らしの中で、何を書けばいいのか苦しみましたし、黒い幕で覆われているような感覚を抱きました。ヘルマン・ヘッセの言葉があります。芸術家というのはどうするものなのかという、ちょっとしたエッセイのひとつなんですけど、私たちは太陽や大地と親密である、と。どんな人の中にも、自分は太陽や大地と親密であるという気持ちが、生まれてからずっとあるんだ、と。それを、現代の社会を生きていて、親密であることをみんな忘れてしまう。原発が爆発して、その親密さを忘れるように、避けて通ろうかとも思いました、福島の自然と向き合うことを。だけれども、改めて福島の太陽や大地と親密であることを取り戻したい、と今は思っています。みなさんは山形の太陽や大地とともに暮らしている。私は福島で書き続けていますが、山形には縁を感じているし、山形のみなさんがどのように向き合うのか、楽しみにしていますので、ぜひ見させていただきたいと思っています。
 今日は長くなってしまいましたが、いろいろ話をさせていただきまして、同じ仲間としてですね、ぜひ仲良くさせてください。

――今日は本当に良い話をたくさん、ありがとうございました。では質問を募りたいと思いますが、時間がないのでひとりだけでお願いします。

女性の受講生 和合先生の詩集を、声を出して読むときに、「……」や「!」などの表記を再現するのにどうすればいいか悩むのですが、どのように表現すればいいでしょうか。

和合 それは震災前の、バリバリの現代詩を書いていたときの作品ですね。ありがとうございます。『黄金少年 ゴールデン・ボーイ』(思潮社)という詩集ですが、その「!」の詩は去年の全日本合唱コンクールで歌われまして、ものすごい疾走感のある歌い方をみんなして、1位になったのでこちらも「!」でした。
 僕も朗読をしていますので、同じ思いです。もともと僕は喘息を患っていて、その影響なのかもしれないんですけど、言葉をスムーズに話せているときほど疑っているといいますか。吃っていたり呼吸困難だったりするほうが、生理感覚的に、本当のことを話しているような気がするんです。だから、言いづらさとか読みにくさをそのまま表すような朗読をしていただくと、呼吸の困難さや不協和音が、自分の詩の柱になっていると私は思うんです。
 私も朗読をするときは、本を叩いたり投げたり、いろいろなことをやっています。どれもうまくいきませんけど(笑)、朗読は想像を与えるパフォーマンスだと思いますので、その想像を与えるのが、夾雑音だったり不協和音だったり、呼吸困難だったりするところに、時代の言いにくさや捉えにくさが宿っているといいなと思っています。

――ではまだまだお聞きしたいところですが、もう時間となってしまいました。今日は本当にありがとうございました。
(場内大拍手)
 

    
【講師プロフィール】
◆和合亮一(わごう・りょういち)氏

 1968年、福島市生まれ。高校教諭のかたわら詩作活動を行い、1998年第1詩集『AFTER』で第4回中原中也賞を受賞。06年、第4詩集『地球頭脳詩篇』で第47回晩翠賞受賞。詩集、エッセイ、絵本など多数刊行、特に震災後の著作は20冊を超え、フランス、ドイツ、ブラジルなど世界各国で翻訳出版された。仏訳された詩集『詩の礫』は第1回ニュンク・レビュー・ポエトリー賞を受賞。フランスでの詩集賞の受賞は日本文壇史上初となる。最新刊は『現代詩文庫和合亮一詩集』『続現代詩文庫和合亮一詩集』『QQQ』など。

●詩の礫(徳間書店)※ニュンク・レビュー・ポエトリー賞
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●QQQ(思潮社) 
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●AFTER(思潮社)※中原中也賞受賞
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●地球頭脳詩篇(思潮社)※晩翠賞受賞   
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●現代詩文庫和合亮一詩集(思潮社)   
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●続現代詩文庫和合亮一詩集(思潮社)
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●廃炉詩篇(思潮社)
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●私とあなたここに生まれて(明石書店)
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●ふるさとをあきらめないーフクシマの証言(新潮社)
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●詩の礫 起承転々(徳間書店)
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●ふたたびの春に(祥伝社)
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