「詩と小説というのは、表裏一体ともいえます。たとえるなら詩は短距離走、小説は長距離走かもしれないし、詩はトランプのカード1枚1枚であって、それをまとめたときに小説になるのかもしれないですね」

 2月の講師には、和合亮一(わごう・りょういち)氏をお迎えした。
 1968年福島県出身。1998年、『AFTER』で第4回中原中也賞受賞。2006年、『地球頭脳詩篇』で第47回晩翠賞受賞。2013年、第30回NHK東北放送文化賞受賞。また詩作のみならず、ラジオパーソナリティを務めるなど幅広い活動を展開している。
 講座の冒頭では、世話役をつとめる池上冬樹氏(文芸評論家)がマイクを持ち、講師を紹介した。
「今日は和合亮一さんをお迎えしました。この講座では、詩も書く小説家の小池昌代さんをお迎えしたことはありましたが、詩人専門の方をお招きしたのは初めてです。たいへん良い詩を書かれる方ですので、みなさんご期待ください」
 続いて和合氏のあいさつ。
「こんにちは、和合亮一と申します。私の妻は山形の中山町出身ですし、祖母は東北芸工大の近くに住んでおりましたので、幼いころから山形には親密な印象を持っております。今日はよろしくお願いします」

 今回のテキストは、エッセイが1本と、4者による詩。
鴨野ユーリー『せいぜい頑張りなさい』(エッセイ・8枚)
恒希『22歳の詩』
吉良荒紀『ピストーラ』
古間恵一『水の狂詩曲 他3篇』
小林みずほ『Vates(poet)』

◆鴨野ユーリー「せいぜい頑張りなさい」(8枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10925106
 大学の文学部で西洋史を学び、大学院まで進んでケルト文化を専攻していた筆者が、学生時代に師事したS先生のことを回想する。S先生は右手が不自由だったこと。いつもマイルドセブンを吸っていたこと。そして、先生の口癖だった「せいぜい頑張りなさい」という言葉。「せいぜい」という言葉の意味について、筆者は思いをめぐらせる。

・池上氏の講評
 これは短いながらも良くできたエッセイですね。修士課程や就職、それから心の変化があっていま書いているという経過を踏まえてるのもいいんですけど、この短い中でも、先生の表情や姿がきちんと見えてくるんですね。板書の風景や、教科書をめくる姿や、教室にいる先生の感じとかね。具体的に書いてはいないんだけど、読んでいるとその風景が見えてくるし、匂いも感じられるような喚起力のある文章で、これはこれでいいと思います。
 先生は「精一杯がんばりなさい」という意味で言っている「せいぜい」という言葉から見えてくる、世代による言葉に対する解釈の違いがよくわかります。先生はそれでも「せいぜい」という言葉を変わらず使い続けていて、一定の距離を保ちながらも教え子を暖かく見守っている。その姿勢が伝わってきます。

 この講座では何度も言っていますが、エッセイというのは嘘を書いてもいいんです。エッセイストの9割は嘘つきですから(笑)。自分の経験をそのまま書いても、それはエッセイになりません。時間の順序を入れ替えたり、他人の話を自分の話にしたり、あるいは逆に自分の話を他人の話にしたり。みんな、アレンジをしながら面白く作っているんです。このエッセイには嘘がないですよね?(鴨野氏「はい、嘘はないです」)そうでしょう(笑)。僕はそこが不満ではあるんですけど、これはこれで、真摯なエッセイになっていて、好感が持てると思いました。  

・和合氏の講評
 開始15分ぐらいで、なるほどこういう感じなのかとわくわくしております(笑)。
 私は、今日は詩人ということで来ているんですけど、実は文章の仕事のほうが多くて、今は連載を月に8本、エッセイはそのうち4本書いています。毎週のようにエッセイを書いているのですが、いま池上さんからエッセイの書き方をダイレクトに教えて頂いたような気がして、どきどきしております。
 私もエッセイ集を3冊ほど出していて、身の回りや家族のことを書くことが非常に多いんですけど、池上さんがおっしゃるとおり、どこか嘘を書くようになってきたところがあって、デフォルメするとそこが面白くなりますね。
 エッセイというのは、詩と非常に似ているところがあります。エッセイは長くても4枚ぐらいですが、今日の鴨野さんの作品は、とてもよく書けていると思いました。
 読んでいるうちに視点と内容が変わってきて、響き方も変わってくる。最初は中途半端に聞こえる、先生の「せいぜい」が、最後は「精一杯生きなさいよ」という、そういうメッセージを感じますし、8枚という分量がありますが、これを5枚、4枚と短くしただけでも、もっとイメージが鮮やかに伝わると思います。
 結局、僕が教えられることはあまりないんですけど、僕が通常書いている短いエッセイは500字から1000字、あるいは1200字ぐらいです。鴨野さんのように長く書く場合もあります。心がけているのは、池上さんもおっしゃるデフォルメ。それから、同じ言葉をなるべく使わないことです。いつしかそうなりました。一文の句読点は2つまでとして、3つは打たない。これもなぜかそうなっていきました。その他に、場合によっては想像力を掻き立てる。やりすぎると現代詩になってしまいますが、ひとつは想像力を掻き立てる部分を作る。このエッセイでは、先生は右手が不自由だった、というところが重要なポイントだと思います。私だったら、先生が手袋をしている、というところが面白いのでは、と思いますね。
 詩を書くのと、エッセイを書くのは似ていると思いますので、今日は詩人として初めて参加したんですけど、だいぶ勉強になるなと思いました。

◆恒希『22歳の詩』
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10928298
 30篇の短詩からなる連作。35歳の書き手が、22歳のころに書いた詩を振り返っている。

・池上氏の講評
 やっぱり若書きというか、自分が若い頃に書いた作品というものは、愛着があるんですよね。僕は新人賞の下読みや予選委員をたくさんやっていますが、A社に送って落ちた原稿をB社に、B社で落ちたらC社に、C社で落ちたものはD社にと同じ作品を何度も送る人がいるんです。不思議なもので、こういうのは同じ下読みの評論家がたまたま読んでしまう(笑)。「おやおや、またまたあなたでしたか」と何度偶然出会ったことか。愛着をもつのはいいけれど、一度落ちたら、別の新作を書かないといけません。次に進めないからね。昔応募して落ちたものは、デビューしてから使えばいいんです。デビューしてから、「書き下ろしです」なんていいながら、昔応募してボツになった原稿を次々に出し続ける作家もいます。名前は言いませんけどね(笑)。
 今回は和合さんがいらっしゃるということで、昔の詩を読んでほしい気持ちはわかるんですけど、僕はこれを読んで甘いと思いました。もっと表現が洗練されているといいんですけど。
 作者がどの程度意識されているかはわかりませんが、最近は小説も詩も、SNSの発達もあってか、共感を第一にしてしまいがちなんですね。わかりあえる、繋がりあえるということのために、通用しやすい言葉をつい使ってしまう。厳しい言い方をすると、コピーみたいになってしまう。絆とか愛とか、そういう言葉はなるべく使わないで表現する。そういう作業が足りないと感じました。伝えたい人間との関係性を大事にした詩だな、と思いましたね。

・和合氏の講評
 22歳の素直な言葉で書かれていて、柔らかな広がりのある言葉で、音楽を感じる作品が集まっているなと思いました。ここにあるのは感情の記録ですね。詩人の系譜でいうなら中原中也、立原道造とつながっている。
 感情の記録というのは、実はたいへんなことで、悲しみや優しさや愛情を直接に書くと、日本の詩の世界ではなかなか認められないんですね。だけど、愛唱されて読み返されている詩というのは、中原中也だったり谷川俊太郎だったり金子みすゞだったり、心のことが書かれているものが多いんですね。
 その受け止め方は千差万別で、実は日本における詩の受け止め方自体がまだ未成熟であって、貧しいものを抱えているのではないか、というのが僕の考え方です。この作品を読ませていただいて、僕は呼吸が気になりました。同じ呼吸が繰り返されているところがあって、それはひとつの魅力かもしれませんが、たとえば話していて咳き込んでしまったり噛んでしまったりするところに、実は人間のリアリティが隠れています。同じリズムの中でも、ちょっと破調があったり、飛躍があったりすると、読んでいる人の意識がそこに集中する、ということがあると思います。それで、ひとつだけでもこういうものがあればいいと思う、僕らの世界では結晶度の高い言葉というんですけど、では結晶度が高いというのはどういうことかというと、作者に聞き返したり読み返したりしないと理解できない、しかし何か伝わるものがあって、どうしても気になってしまう。
 それが詩の醍醐味のひとつで、たとえば戦後に広く読まれた、エリオットの『荒地』という詩集があります。この書き出しは「四月は残酷極まる月だ」という、非常に有名な一説なんですが、四月というのは豊かで幸福な月ですよね。でもこの詩では、残酷だという。生きとし生けるものが、生きなくてはいけないと一番思う月が、四月であると。だから残酷だ、というふうな、生命のおそろしさとか敬虔さが、そこに詠われているんです。そこで、深い何かを感じさせようとする。バランスなんですね。わかりやすい言葉の中に、一箇所でもそういうところがあると、それが窪みとなって、他の言葉が全部そこに集中してくる。そういうことがあるんですね。
 だから、詩というのは緊張する場面とゆるむ場面の繰り返しで成り立っていて、その緊張と弛緩の繰り返しを意識されると、すごく良い詩になるのではないか、と改めて思います。
 ジブリがなんであんなに人気があるかというと、擬人法の世界だからなんですね。ディズニーも同じで、擬人法の世界です。宮沢賢治の世界もそうで、電信柱が歩いてくる詩というのが、強く印象に残っています。僕が最初に擬人法と出会ったのが、電信柱が歩いてくるという一節なんですけど、そういう擬人法みたいなものがあっても、結晶度の高い言葉として、光を放つと思います。

◆吉良荒紀『ピストーラ』
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10928339
 イタリアからやってきた2丁の拳銃がたどる数奇な運命を、韻を踏みながらユーモラスに描く短詩。

・池上氏の講評
 これはユーモアがあって面白いですね。なかなか狙って笑わせることは難しいんですが、これは音の響きがとくにいいですね。作者は耳がいいと思います。発想力も高い。リズミカルでユーモアがあって、ちゃんとストーリーもオチもある。この短い枚数に、きちんとストーリーもユーモアもあって、皮肉もある。僕には問題点は見つけられませんでした。

・和合氏の講評
 とても面白いと思います。今は若い方々にラップが人気ですが、こういった韻を踏む手法も、若手の方々に多く受け止められる可能性もあると思います。
 独特の語りの個性もあって、音楽性をはらんでいるものです。日本の近代詩を作り上げた金字塔のふたりである、室生犀星や萩原朔太郎が盛んに言っていたのが、実は文学性より音楽性なんです。五七五七七などの外在律ではなく、自由詩の内在律ですね。定形がないからといって、自由にしてしまうとどうでもよくなってしまう。詩の内側にあるリズムと音楽性が重要である、ということを改めて感じました。
 構造と言ってしまうと難しい話になりますが、二重写し、三重写しになっている部分があると、深みが出てくるのかなと思ったんですね。ピストルが語り手という時点で擬人法になっていますが、中盤に「撃たれりゃほぼほぼゲームオーバー」という一節がありますね。この「ゲームオーバー」で、たとえば子どもたちが一生懸命にやっているスマホのゲームなどとつながるなど、別の世界との接点があると、それが二重写しになって深みが増してくる、ということがあります。
 僕は八代亜紀の歌で驚いたことがあるんです。何ていう題名だったかな、魚をいっぱい獲る漁師の歌なんですが、漁を歌っていながら、同時に生きるとは何か、生きるために何かを獲らなくちゃ行けない、ということが二重写し、三重写しになっているなと感じたんですね。このピストルの詩も、たとえばこの向こうに何を伝えたいのか、ということがわかりやすくあれば、もっと深みが出てきて、文学の意味とつながって来るのではないかと思います。

◆古間恵一『水の狂詩曲 他三篇』
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10928359
 水をテーマとした四篇の詩。両親に向かって語りかける表題作と、山形県内の水にまつわる公共施設のイメージを膨らませた作品。

・池上氏の講評
 比喩が面白いし、リズムもあるし、斬新ですね。とくに図書館の詩がいい。作家の特徴をうまくとらえていて、自分が図書館になったような感じがして、世界が広がります。こんなふうに自分を何かにたとえられると、見え方も感じ方も変わるし、新たなイマジネーションの広がりも得られる。こういうものが詩なんだと思います。
 ただ、一応「水」をテーマにして書いているんだけど、何を言いたいのか、何に向かって言葉やイメージを組織しているのかが、もうひとつわかりづらい。イマジネーションの広がりは面白いんですけど、自分たちが持っている無意識の倫理観などを挑発して掻き立てられるものがあると、もっとよかったのではと思います。

・和合氏の講評
 たいへんな力作です。4篇もの詩を書いて、かつ古間さんは小説もお書きだそうですから、書くエネルギーで内側が満たされているというか、書く力をまず感じました。
 散文の場合は、常識や理性に従っている小論文的な部分が必要になることもありますが、詩の場合は、思い切って飛躍するという、跳躍力のようなものが重要です。ある中国の詩人は、1行1行が革命だと言っているぐらいです。そこの、1行から1行への飛び移り方が、散文とは決定的に違っていて、そこにはものすごくエネルギーが必要になってくるんですね。それが詩の醍醐味だと思います。
 イメージが押し寄せてくる洪水のような感覚がありますので、好感を持ってどきどきしながら読ませていただきました。その際に重要になってくるのが、この書き手はどこに立っていて、いつの時代に生きていて、何を見つめて何を思っているのか、というところが、イメージが豊かであればあるほど重要になってきます。いわゆるシュールレアリズム詩の面白さというのは、言葉の偶然の出会いなんですけど、その出会いを受け止めている書き手なり読み手なりの、距離の取り方があるわけですね。

 この詩で取り上げられている中山町立図書館には昔から親しみがありまして、実は設立したのが妻の父なんです。そんなこともあって、非常に好感を持って読みました。父にも読ませたいと思います(笑)。
 博物館や図書館自体が意思を持って話しかけてくる、というこの面白さは、もっと書き進めていくと、もっともっと面白い作品になると感じました。たとえば女神のダンスを唄った詩では、土偶という言葉が繰り返し出てくるんですけど、確かにリフレインも詩の魅力ではありますが、ここは同じ言葉を使わないようにしただけでも、全然変わってきます。あるいは、文末に何を持ってくるか。体言止めや、呼吸を停止するとか、思い切って全く違うイメージを持ってきて破調を生み出すとか、あるいは行変えでもいいですが、調子を乱すようなものがあると、面白いと思います。
 1行目から最終行までしっかり書かれていて、すごい筆力だなと感動しましたが、逆に後ろの行から書き直していくと、また違う世界が見えてきたりもするんですね。つまり、詩の場合は順序や構成、言葉の流れというものを、本当にこれが書かれるべき順序と構成なのか、と疑ってみると、全然違う展開が見えてくる、ということがあります。
 とにかく、この詩からはすごいエネルギーを感じる、力作だと感じました。また読ませていただきたいと思います。

◆小林みずほ『Vates(poet) 』
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10928427
 作者が大学生だった1999年に書いた詩と、同一のモチーフで現在、2019年に書いた詩を対比させた、7対からなる連作詩。

・池上氏の講評
 これは面白かった。20年経つと時代もここまで変わるものなんだな、という感じがしてね。1999年のは初々しいんだけど、それが2019年になるとリアルな大人の考えで、自分の理想ではなかった現状に対する苦い気持ちがシニカルにユーモラスに捉えている。比較対象として光と影のコントラストが明らかになるように、ちょっと誇張した部分もあるかもしれませんが、そこにユーモアと批評性があって、時代の気分みたいなものも伝わってきます。
 現在の自分が過去を振り返り、自分の現状を見つめているまなざしも面白いし、時代の違いと、人の精神的な状況の違いを明確にした、とてもいい詩だと思いました。

・和合氏の講評
 私も池上さんとまったく同じです。とても面白い作品を読ませていただいたと思います。
 俗に十年一昔といいますが、20年といえばその2倍の歳月が描かれています。小林さんは小説もお書きになると聞きましたが、これは小説の世界にも通じるものがあると思います。
 詩と小説というのは、表裏一体ともいえます。たとえるなら詩は短距離走、小説は長距離走かもしれないし、詩はトランプのカード1枚1枚であって、それをまとめたときに小説になるのかもしれないですね。そういうふうなところで、歳月をきちんと構成されていて、詩集と言ってもいいんじゃないかというぐらいの力を込めた、そういう作品を読ませていただいたことに感謝したいと思いました。

 20年前の、1999年の作品は、最初の問いかけから始まっているわけですけど、この、問いかけ、というのが詩の魅力のひとつなんですね。答えのない、終わらない問いかけをし続ける。これを絶対的質問といいますが、まさにこの質問が最初になされている。それが20年後には、お母さんとのひとときが書かれている。このように、ずっと歳月が描かれています。「私たちのミライ」2019年パートの3章目には「巻き戻しができない私たちのミライ」という一文がありますが、この「巻き戻し」というのが、この作品でのメインモチーフになるのではないかな、と思うんですね。1999年から2019年に、歳月が進んでいっているんですけど、本当に書きたいのは巻き戻しの感覚なのではないかな、と思いながら読ませていただきました。
 たとえば「かわいい彼女」というユニークな作品では、1999年のほうではまだ距離が足りない感じがするんですね。しかし、これが2019年になると、距離が生まれていて、落ち着きが生まれています。真ん中にいちょう並木の風景描写があり、最後には空が茜色からグレーに変わっていて、これが心象風景になっていますね。風景の中にどんな心が託されているんだろう、と読み手が想像するわけです。想像を読者に与える、そこに対象との距離が生まれているんですね。そういうところが魅力的になるところもありますし、少し説明的かなと思うところもあるんですけど、ひと通り読ませていただいて、最後に位置する、年ごとの説明がなされている作品には「伝えたいことをうまく伝えること 簡単そうで難しい 未だに何が適切なのかもわからない 気持ちは飽和状態で 想いがあることほど 伝えるのは難しい もっと難しい、耳を傾けること」と書かれていますね。最初の問いかけについて、ご自身が何かのかたちで返しているような、そういう姿が見えてきて、ひとつの詩集としての、構成のまとまりと深みを改めて感じました。

 実は、言葉というのは、飾らなくてもいいわけですね。飾らなくても、悲しいとか楽しいとか嬉しいということは通じます。でも、それだけでは足りない何かがあるわけですね。だけど、あまり飾りすぎると今度は詩としての鮮度が落ちていって、伝わるものがどんどん減っていってしまう。何が重要なのかというと、言葉の背後にどんな時間やイメージをたたえているか。その一言一言に、どんなイメージや歳月、重みをたたえているか。言葉の背後というものを、ものすごく重要なものとして、我々は詩を読んでいるわけですね。だから、この20年の歳月が、この最後の言葉ひとつひとつの、背後にたたえられているなと思いました。

※以上の講評に続き、後半では池上氏の司会のもと、山形を舞台とした文学との出会いの思い出や、東日本大震災と原発事故を受けての詩作とその後の変化などについて、語っていただきました。その模様は、本サイト内「その人の素顔」にてアップいたします。

【講師プロフィール】
◆和合亮一(わごう・りょういち)氏

 1968年、福島市生まれ。高校教諭のかたわら詩作活動を行い、1998年第1詩集『AFTER』で第4回中原中也賞を受賞。06年、第4詩集『地球頭脳詩篇』で第47回晩翠賞受賞。詩集、エッセイ、絵本など多数刊行、特に震災後の著作は20冊を超え、フランス、ドイツ、ブラジルなど世界各国で翻訳出版された。仏訳された詩集『詩の礫』は第1回ニュンク・レビュー・ポエトリー賞を受賞。フランスでの詩集賞の受賞は日本文壇史上初となる。最新刊は『現代詩文庫和合亮一詩集』『続現代詩文庫和合亮一詩集』『QQQ』など。

●詩の礫(徳間書店)※ニュンク・レビュー・ポエトリー賞
https://www.amazon.co.jp//dp/419863193X/

●QQQ(思潮社) 
https://www.amazon.co.jp//dp/4783736448/

●AFTER(思潮社)※中原中也賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4783710708/

●地球頭脳詩篇(思潮社)※晩翠賞受賞   
https://www.amazon.co.jp//dp/4783721092/

●現代詩文庫和合亮一詩集(思潮社)   
https://www.amazon.co.jp//dp/478371018X/

●続現代詩文庫和合亮一詩集(思潮社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4783710198/

●廃炉詩篇(思潮社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4783733600/

●私とあなたここに生まれて(明石書店)
https://www.amazon.co.jp//dp/4750335401/

●ふるさとをあきらめないーフクシマの証言(新潮社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4103299223/

●昨日ヨリモ優シクナリタイ(徳間書店)
https://www.amazon.co.jp//dp/4198641285/

●詩の礫 起承転々(徳間書店)
https://www.amazon.co.jp//dp/4198635765/

●ふたたびの春に(祥伝社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4396614152/

●詩の邂逅(朝日新聞出版)
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●木にたずねよ(明石書店)
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●詩の寺子屋(岩波ジュニア新書)
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●RAINBOW(思潮社)
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●入道雲入道雲入道雲(思潮社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4783721769


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