「楽をすると作品の本質に近づかない瞬間がある。書くべき言葉のためにコストをかけなくてはいけないということを、文章の側から突きつけられることも必要です」

 第104回は古川日出男氏をお迎えして、デビューから20年を経ての変化や、作品世界へ入っていく「玄関」の存在、自作の翻訳についてなど、真摯にお話していただきました。

◆作品に対する欲/コンピューターと文体の格闘/玄関を見つければ入っていける

――今日は原稿を4本読んでみて、いかがでしたか。

古川 基本的にはみなさんうまいなと思いました。すごく、予想以上に上手なところと、なるほど決定的にプロではないんだなというところがあって、それは個々の作品によって違うんですけど、何か足りない部分があるというのが、プロの作家になりえていない部分だと思いました。

――決定的に足りない部分はどこですかね。

古川 うーん、その作品に対する欲、ですかね。書きたい欲とか作家になりたい欲はわかるんですけど、その作品を書きあげないと死ねない、みたいな感じでしょうか。

――これは新人賞の選考をやっていてもわかるんですが、編集者が求めるのは、完成された作品より、荒削りでも本当に書きたいものを持った人なんですよね。

古川 言葉の使い方が上手でも、なぜ書きたいのかと理由を聞いたら「ここへ応募するため」だったりとか。そうじゃなくて、自分の身体の中に何か書きたい物があると思うんです。それは、そこにたどり着くまで掘っていかなくちゃいけないんですけど、出来る限りそこまで近づいて書くと、洗練はされていなくても、読み手を引き込むものになるんじゃないかと思います。

――古川さんは去年でデビュー20周年でしたが、書いてきて変わった部分はありますか。

古川 もう全然変わりました(笑)。自分のことを見ても、デビューして数年は、文章が一番うまいみたいな感じだったんです。その後意識したのは、下手になろうとしたことでした。本として完結しているものが、現実に生きている人の心を全然震わせないのであれば、一回本から抜け出して、現実の言葉や素材を使おう。そう思って、飛び出してみたんです。もっと文化的なシーンで、朗読ライブをやったりとか。それはとてもいい経験になったし、それで開拓された読者もいましたけど、その後はまた本の世界に戻っていったりとか、いろんなことをやりました。
 自分は福島県出身なので、東日本大震災が起こったら、今度はそっちのほうが重要なので別の意味で現実に戻ったり、というように、20年ずっと揺れながらきて、だんだん見え始めてきたのかな、という感じです。

――来月の講師をつとめる和合亮一さんから先ほどメールがきたんですが、古川さんは福島の高校演劇部では「伝説の先輩」だということです。

古川 和合さんは、学校は別なんですけどね。高校生のときは、自分で脚本を書いて演出もして、コンクールで勝ち上がったりしていたので、よその学校にも名前が通っていて、そういう扱いになっていたようです。もともとは演劇志望でした。僕は25歳のときに演劇をやめて小説家になろうと決めて、それから世に出るまで随分かかりましたけどね。

――演劇をやめて小説家になろうと思ったきっかけは何ですか。

古川 責任転嫁しない、ということです。いい役者が揃っていないから、予算が足りないから、自分の思っていたような舞台ができなかった、というのは言い訳ですよね。その言い訳をしたくないなら、他人と組まないでやる、お金を使わないでやる。それでやれなかったら、お前には才能がないんだということになる。つまり自分の世界をつき詰めるならば、演劇をやめないといけない。小説で、頭の中にある物語や世界観を全部あらわすことができるかどうか、という戦いに入ったのが、25歳からですね。

――そこまで自分を追い詰めるというのはすごいですね。ご自分の文章を、どのように獲得されていったんですか。

古川 コンピューターが一般人の手に広まって、ワープロ専用機からコンピューターに変わっていった時期だったんですね。横書きで3行ぐらいしかディスプレイ表示されなかったのが、普通のエディタで全部見られるようになった。フォントを変えれば印象も変わるし、そんな中、縦でも横書きでも、ゴシック体でも明朝体でも、あるいは歌舞伎の勘亭流でも、内容が面白くて言葉の意味が伝わるような安定した文章にすれば、おそらく自分のイメージを再現できる文章になると思って、ソフトウェアを何種類か組み合わせてコンピューターの画面上で検証していく、という作業を4年ぐらいやったら、やっと自分の文章に近づきました。

――すごいですね。小説を作り上げる場合、テーマやストーリーや人物などがありますが、まずどこから考えますか。物語は最初からかっちりできるほうですか。

古川 完結したプロットができていることはほとんどないです。最近の書き方だと、書きたいものが漠然とわかってきて、準備していくうちに、漠然とした世界の一部分、一部分が順々にクリアになってくるんです。書き上げないと全部は見えないんですけど、何個か、たとえば7個か8個か見えてきたときに、今度はそのどこから書き始めるか、が重要なんですね。
 ここに大きな家がある。その家を自分で建築して住もうとしている。でも、中の間取りはわかっているんだけど、玄関が見えてこないんですよ。ここを開ければ家の中に入れて、地下室にも2階や3階にもいける、という玄関を発見したときに、書き出せるんです。玄関から入ってしまえば、あとは真っ直ぐリビングに行こうが、途中でトイレに行こうが、寝室はどこだっけと探しにいこうが、家の中には入れたのだからなんでも発見できる。そういう書き方をしていますね。

◆古典に向き合うきっかけは/難しい作品だからこそ挑戦する/色が書けるなら音楽も書ける

――最近は『源氏物語』『平家物語』など古典のリライトもされていますが、なぜこのテーマを選ばれたんですか。

古川 東日本大震災があって、すごい数の人が亡くなったり政府の対応がめちゃくちゃだったりしたときに、マグニチュード9.0の地震というのは1000年に1度の規模だと言われていたんですね。「だからさ、1000年に1度じゃしょうがないよね」というようなニュアンスだったんですが、1000年に1度の災害が起きたんなら、俺は1000年という時間を考えないと作家としてまずいな、と思って。
 1000年前というと紫式部が『源氏物語』をちょうど書いていたぐらいのころで、もう日本には小説を書いていた人がいたんですよ。あれは原稿用紙に換算すると2000枚ぐらいの量なんですが、僕も2000枚ぐらいの作品を書くことはあるし、日本の作家で2000枚の小説を書く人は他にあまりいないので、じゃあ『源氏物語』に取り組んで格闘することで、1000年に1度の混乱をある程度引き受けられるかな、と思って『源氏物語』を自分なりに語り直す作業(新潮社『女たち三百人の裏切りの書』)を始めたら、偶然にも『平家物語』の現代語訳(河出書房新社 池澤夏樹個人編集日本文学全集)をやらないかという話が来ちゃって、これはタイミングだろうな、と思って引き受けたんですね。

――やってみて、新しい可能性は見えてきましたか。

古川 たぶん見えてきたと思います。やっぱり、1000年ぐらい前のものを読んだりすると、すごいものがいっぱいあるんですよ。僕が7回生まれ変わっても読みきれないぐらい、日本文学だけでもすごいものはいっぱいある。そこからいろんな栄養がもらえる。学ぼうと思えばいくらでも学んで成長ができるというのと、こんなにすごいものがいっぱいあるのに俺は何を書けばいいんだろう、と思って書くのが大変になった、というのがあります。自分に鞭を当てられるというか。書くって難しいんだな、と思って、またチャレンジャーに戻れる。それが一番よかったことですかね。

――古川さんの作品は外国語に訳されることが多いですが、こういう挑戦的な作品が受ける土壌があるんですかね。

古川 ヨーロッパでは複雑な小説のほうがウケますし、各国どこも感想が違いますね。アメリカは逆で、単純なほうがウケる。アジアでは、日本と同じですね。日本で売れているものがウケます。これはあまり挑戦にならないかな。

――映画などを見ても、たしかにアメリカではシンプルな物語が求められる傾向がありますね。古川さんの場合は混沌としていて複雑な物語ですが。『ミライミライ』(新潮社)も、実に変わった作品ですね。北海道がソ連の占領下にあるという、現実とは違った歴史の作品で、世界を変えていくのは音楽であるという。こういった作品は、昔から書きたかったんですか。

古川 いや、そんなことはないです。ある日インドカレー屋で食事をしていたら、日本がインドと連邦国家になって東西どちらの陣営にも加わらない、というビジョンが浮かんだんです。その瞬間は愕然としました。先程の講評でも言いましたが、そんな設定の作品なんか書けるわけがない、と5分ぐらい考えて、これだけ難しいんだから自分は挑戦するんだろうな、いやだなあと思って、踏み出していく(笑)。

――難しいから挑戦する、というのが作家魂ですね。みんな難しいところには踏み込みたくないものですが、書きやすいところばかりではなく、書けないところに挑戦して書くことが、書き手として成長するためには必要ですね。

古川 今やっぱり危機的なのは、ぱっと読んで理解できないものは放り投げられるんですよ。その風潮に合わせて、みんなもぱっと読めるものを書くんですが、そのうちどんどん、3行でわからなければ放り出す、1行でわからなければ放り出す、というようになっていって、もう本なんて読まなくていいじゃん、ってなっちゃうと思うので。
 1頁読んで、これ難しいな、わかるのかなと思っていたのが、3頁読んだらわかってきて、10頁読んだらこれは面白いかもしれない、と思うような読者を増やしていって、10年20年単位で、歯ごたえのある小説を求める読者が増えていく状況にしていかないと、この教室にいるみなさんがデビューするころには、日本に本屋さんが10軒ぐらいしかない時代になってしまう。
 だから、あまり読者に迎合しすぎないほうがいい。読者がほんの少し努力するようにするためには、作家はすごく努力しないといけないでしょう。そうでないと、作家になれたとしても、出版業界そのものがなくなってしまいます。

――『ミライミライ』は、音楽を取り込んだ小説ですよね。読んでいて音楽が聞こえてくるようで、すごく気持ちがいい。どうやって音楽的な言葉を書かれるんですか。

古川 今日の講評で取り上げた作品も、たとえば色の描写などはすごく上手でしたよね。言葉で色が見せられるならば、音も聞かせられると思うんです。音を描く芸術として音楽というものがあるから、小説では書かなくていいと思う人もいるかもしれないけど、色を書くように、食べ物の味を書くように、音だって文字で書けばいいよ、と基本的な考え方を変革するところから、音が出てきていると思います。
 一番気にしているのは、句読点の打ち方ですね。これが楽譜でいう休符になって、そこからまた音をリリースするようなことをやっているので。

――そのやり方は、どんな先行作品から影響を受けたのでしょうか。やはり宮沢賢治とか。

古川 いや、宮沢賢治がわかるようになったのは、ここ10年ぐらいです。あれはメディアの取り上げ方が悪くて、子ども向けみたいに扱っているじゃないですか。でも、実は賢治世界ほどわかりづらいものはなくて、そのわかりづらさがすごいなと思えてくるのは、30代後半から40歳ぐらい、つまり賢治が亡くなった年齢を過ぎてから、こういうことだったのかとわかってくる。
 賢治の作品って、どうしてもイラストレーションがついているイメージで見てしまいがちですが、もともとの原稿に絵なんてないんだ、というところに立ち返らないと。僕の文体が音楽的だ、とおっしゃってくださいますけど、賢治の音楽性なんて僕をはるかに越えますからね。それが、 イラスト付きになったときに音が聞こえなくなっちゃうんです。小説は単体の小説だけで戦うことができれば、それでいいと思います。

◆ベルトコンベアで作るより、コンベア自体を作る/翻訳を通して「届く」本質/死ぬ気で書いたんだから死ぬ気で受け取ってほしい

――先ほど、文章を下手にしたという話をされましたが、できあがった文体を壊すのは怖くありませんでしたか。

古川 僕は、ずっと小説家で生きていたいんですよ。小説家になれたのなら、小説家のまま人生を終えたい。そこで最初に思ったのは、自分の文体を決めて、キャラクター表を作って時事ネタを当てはめれば書ける、というのでは自分が一種の小説工場みたいになってしまって、これでは飽きると思うんですよね。そのやり方で書ける人もいるでしょうし、本が売れて映画化されてテレビのコメンテーターになって、というのが成功だと思う人もいるかもしれませんが、それはお金が欲しいとかコメンテーターになりたいって欲望であって、小説家じゃないよね、と思ったんです。
 このアイデアとあのアイデアを組み合わせて、ベルトコンベアに乗せるとおいしいアイスクリームができる、というんじゃなくて、ベルトがこんなふうに(空中で手をくねくね動かす)なっちゃって、何が出てくるかわからないようにしていけば、作者も飽きない。そのためには、ベルトコンベアから作っていくしかないですよね。そうすれば、前はアイスができたのに今度は天ぷらができたりして、自分でも飽きない。だから、壊すのはもちろん怖かったんですけど、何が出るかと考えていると楽しいですよね。

――読者の反応は気にされるほうですか。

古川 あまり触れないようにしています。料理にたとえるなら、回転寿司でいい人もいれば、首相が外国の元首を連れていくような寿司屋がいいという人もいますし。読者のバックグラウンドによって、読まれ方は全然変わります。年に2冊しか本を読まない人と、年に50冊読む人とでは、僕の作品に対する意見は全く違うから、それを気にしないようにするためには、積極的には触れないほうが良いのかなあと思います。

――海外からの反響はどうですか。

古川 届くんだな、と思います。届くというのは、翻訳を通すと、表面に散らばっている細かいことを通り抜けて、本質をわかってもらえるな、と思うんですよね。
      
――うーん、なるほどね。翻訳というのはそういうものを引き出す力がありますね。
 ところで、今はずっとパソコンで書かれていますか。手書きもありますか。


古川 手書きもありますよ。たとえば、平家物語を現代語訳したときに、パソコンなら人名をみんな登録できて、「き」と入力しただけで「平清盛」と出せるじゃないですか。でも昔の人は、ひとつひとつ筆で、手で書いていたんですよね。楽をすると作品の本質に近づかない瞬間があるので、面倒でも全部書く。「うつ」と「鬱」では、一文字にかかる時間がすごく違うじゃないですか。たまに手書きをしないと、それを忘れちゃうんですよね。
 坂口安吾という作家が、戦後にすごい流行作家になって、注文が次々に来るから漢字で書くべきところを全部カタカナで書いて、数年後には文章が荒れて、四十代にして亡くなっていますね。書くべき言葉のためにコストをかけなくちゃいけない、と文章の側から突きつけられる経験を、時々はしたほうがいいのかなと思います。
 でも、皆さんが今から手書き原稿でデビューします、というのは無理でしょう。編集者もメールでしかやり取りしないし。僕が時々手書きするのは、編集者に受け取りに来てもらって、書き直しや貼り付けた紙で分厚くなった、苦労のあとが見える原稿の束を「ハイ、会社に帰るまで絶対になくさないで」と手渡すためでもあるんですよ。その瞬間、実は編集者はみんな興奮するんです。そんなに緊張して原稿を受け取ったことがないから。書くほうは当然、緊張して書いているんだけど、受け取るほうはそうでもない。だから、俺は死ぬ気で書いたんだから死ぬ気で受け取ってね、というのを数年に一度はやらないと、編集者もたぶんこの仕事が嫌いになると思うんです。読者を増やす以前に、編集者がいなくなったら出版業界は成り立たないですから。編集者も、自分たちの力で本ができているんだと感じてほしいし、業界そのものをもう一回、バイタリティに溢れたものに変えたいんです。

◆読まれることで作品は大きくなる/自分のどこが好きか、どこが嫌いかを知る/100手の畳み方があったら、101手目を考える

――20年書いてこられて、一番苦労した作品は何ですか。

古川 一番時間がかかったのは『聖家族』(新潮文庫)ですね。原稿用紙2000枚で、3年かけて書いたので苦労はしましたけど、それより、注文を受けて書いたんだけどこれは本当に俺が書きたいものなのか、と自問自答しつつ、それでも最後にはこれは俺が誇るべき本だ、というふうに変えた何冊かの他のタイトルのほうが思い入れはあるかもしれないですね。

――編集者からの要求に応えて、おかしな方向に行ってしまうようなことはありませんでしたか。

古川 そういう時期はありました。業界や世間で注目されて現実的に売れ始めたときは、注文に応えちゃうんですよね。その後にやったことは、自分のやりたいことだけができるように、ある意味で注文がこなくなるようにすることでしたね。それは一番険しい道で、気を抜いたらやばいんですが。

――書くべき作品が、読むべき読者に届くという関係性を築くのはたいへんですよね。先ほどの講評では、読者は誤読するものだとおっしゃっていたのが印象的でしたが。

古川 読者は必ず自分の意図と違うように読んでいる、ということがわかると、作品が豊饒に変わってくるというか、読者の存在によって作品が書き足されているというか、作者が書いたもの自体よりもっともっと大きくなっている気がします。
 自分の好きな本も、10代で読んだときと20代で読んだときと40代で読んだときでは感想が違いますよね。読者は自分ひとりなんだけど、そうすることでその本が3倍ぐらい大きくなる。読者とともに大きくなっていくような本が理想で、それはたまにしか書けないです。

――これから作家になろうとする人へ、アドバイスを送るとしたらどんな言葉になりますか。

古川 やはり、自分の嫌いなところと好きなところを知ることですね。自分の好きなところは他人にもわかってもらいたいと思うし、嫌いなところは直したいと思うし。そうやって考えるときに、何が面白いストーリーで何が興味深いキャラクターなのか、わかってくると思うんです。ウケるからといって自分が好きじゃないものを書いたりしていると、結局は何も書けないかなと。だから、まず自分の何が好きで何が嫌いかをわかっていくと、小説に直結していくのかなという気がします。
 昔、村上春樹さんが小説の書き方について、寿司屋に行ってどのネタから注文するか、その順番がその人の個性だ、それがわかれば文章は書けるとおっしゃっていて、なるほどそういうものかという気がしますね。

――古川さんの作品はある意味で荒唐無稽な部分もあり、話を広げすぎたと思うときもあるのでは。そんなときはどうまとめていくんでしょうか。

古川 考え続けるしかないんじゃないですかね。大きな風呂敷を畳むときに、まず思いつくのはステレオタイプなアイデアだと思います。俺だったら逆の畳み方をする、というのも単に逆張りしているだけで、本当に自分が読みたい畳み方はどうなのか。どっちもダメだ、と思ったときに初めて浮かんでくるアイデアが、自分にしかできない畳み方だと思うんですね。
 今は、20年ぐらい作家をやっていると、実は畳み方が即座に100ぐらい浮かぶんです。将棋と一緒で、プロ棋士になって上に上がると、1000手ぐらいは見えてくる。そこで1001手目を指すんですよ。勝つか負けるかわからないけど、あの人たちは興奮したいから。小説も同じで、101手目の畳み方を考えることができれば、畳めますね。ステレオタイプで畳むと、必ずこぼれてしまうし、だからといって反逆して畳むと、自分でも好きじゃないような風呂敷包みしかできなくなる。そんな感じですね。
◆朗読のTPOは/掘り下げる、という作業と締め切り/焦りとの向き合い方

――ではそろそろ時間もなくなってきました。今日は見かけない顔の人も多くて、古川さんに会いたくて参加した方でしょう。質疑応答に入りますので、質問のある方は挙手をどうぞ。

女性の受講生 古川先生は自作の朗読イベントも開催されているそうですが、どのような作品を読まれるのでしょうか。

古川 これはどういう場所でいつやるか、によりますね。新作のプロモーションでやるときもありますし、たとえば『平家物語』をやったときは、ただ朗読しても仕方ないので、四国のお寺さんと交渉して、境内にステージを作ってお客さんを入れられるようにして、ロックミュージシャンとジャズミュージシャンと一緒に、昔の琵琶法師が琵琶を演奏しながら語っていたのを、現代に甦らせるというテーマでやりました。なぜ自分がそれを読むのか、ということを考えてやりますね。

女性の受講生 先ほど、自分を深く掘っていくというお話がありましたが、たとえば一日のうち時間を決めて考えるのか、それとも見つかるまでずっと掘り下げていかれるのでしょうか。私もやりたいのですが、仕事をしながらだとなかなか集中できないので、古川先生はどうされているのかお聞きしたいです。

古川 まず基本的に、人間って何かを考えようとしても雑念にまみれるものですよね。だから宗教的な修行をしたりする。では作家がどうやって考えをまとめるかというと、これは締め切りと直面するからです。締め切りというものがあるから、そこに向かって考えをまとめて、雑念が入っていたら原稿が間に合わない、という状況に持っていくんです。
 これは締め切り間際にあたふたするのではなくて、たとえば僕は、来年の4月に出る本を一昨年の8月21日から書いていますが、おそらく今年の10月3日か4日に書き終わらないと、ダメです。この数字が全部頭の中に入っていて、僕はそこに向かってゆっくりと集中しています。直前に集中するんじゃなくて、どれくらい時間があるか考えてやる。これは自覚してやらないと無理だと思います。自分で締め切りを作る。そうしない限り、どんなに考えてもまとまらないと思います。

女性の受講生 今の、締め切りのお話なんですけど、私も締め切りがあるものを書いているんですが、一つ一つの締め切りのみならず、自分の人生を考えると、このままでは目指すところにたどり着けない、という焦りを感じています。この焦りに対して、どのように向き合えばいいのでしょうか。

古川 これは簡単です。3日後に死ぬんだ、と思ってください。あるいは3日後にまた大震災が来る、という予言でもいいです。それだけしか時間がない中で、書きたいものかどうか。そこまで思えば、迷わないですよ。それが、生命という本当の締め切りです。自分の人生を考えて、焦って、自分の寿命を自分で減らしちゃってるけど、本当に極限まで減らして、あと3日しかない、それでも書きたい物があるのか、あるなら書かなくちゃ。そこまで行けば、書けますよ。そんなに極端までやる必要はないんだけど、慌てて焦って書けない、というのは、結局は自分の寿命への向かい方を間違っています。そこの発想を転換すると、書けるようになると思います。

――今日は素晴らしい話がたくさん聞けました。ではそろそろ時間となりましたので、まだまだお聞きしたいところですが、これにて終わります。ありがとうございました。
(場内大拍手)


【講師プロフィール】
◆古川日出男(ふるかわ・ひでお)氏

1966年、福島県郡山市生まれ。1998年に『13』でデビューし、2001年に『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞と日本SF大賞をダブル受賞、06年『LOVE』で三島由紀夫賞、15年の『女たち三百人の裏切りの書』で野間文芸新人賞と読売文学賞を受賞。仏訳された『サウンドトラック』、英訳された『馬たちよ、それでも光は無垢で』などいまや日本のみならずアメリカやフランスで翻訳されている注目の作家である。ほかに『ベルカ、吠えないのか?』『聖家族』『MUSIC』『ミライミライ』など。

●13(角川文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4043636016/

●アラビアの夜の種族<1>(角川文庫)※日本推理作家協会賞 日本SF大賞 受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4043636032/

●LOVE(新潮文庫)※三島由紀夫賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4101305315/

●女たち三百人の裏切りの書(講談社)※野間文芸新人賞 読売文学賞 受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/410306076X/

●サウンドトラック上(集英社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4087460770/

●馬たちよ、それでも光は無垢で(新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101305366/

●ベルカ、吠えないのか?(文春文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4167717727/

●聖家族(新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/410130534X/

●MUSIC(新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101305331/

●平家物語 池澤夏樹=個人編集 日本文学全集9(河出書房新社)翻訳
https://www.amazon.co.jp//dp/4309728790/

●ミライミライ(新潮社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4103060778/

●とても短い長い歳月(河出書房新社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4309027490/

●gift(集英社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4087462331/

●ボディ・アンド・ソウル(河出文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4309409261/

●沈黙/アビシニアン(角川文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4043636024/

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