「『自分の実力では書けない』と思う題材にこそ取り組む。読者にお金と時間をかけて読んでもらうからには、無理はしたほうがいい」

 1月講座には、古川日出男(ふるかわ・ひでお)氏を講師としてお迎えした。
 1966年福島県出身。1998年『13』で小説家としてデビューし、2002年『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞と日本SF大賞を受賞。2006年『LOVE』で三島由紀夫賞を受賞。『女たち三百人の裏切りの書』で2015年に野間文芸新人賞、2016年に読売文学賞を受賞している。この講座は今回が初めての登壇となる。
 講座の冒頭では、講座世話人の池上冬樹氏(文芸評論家)がまずマイクを取り、講師を紹介した。
「今日は古川日出男さんをお迎えしました。作家生活20年となりますが、デビュー作のときから、すごい作家が出てきたなと思っていました。こんなに濃密な世界を描ける作家はなかなかいませんし、村上春樹さんと一緒に文学学校を開講されるなど、幅広い活動をされています。今日はその辺のお話もお聞きできればと思います」
 続いて古川氏のあいさつ。
「こんにちは、古川です。池上さんには、デビュー作の推薦文を書いてもらったりして、昔からお世話になっています。この講座は初めてですが、今日はよろしくお願いします」

 今回のテキストは、小説が4本。

・逸代助『橙赤』(31枚)
・白岩五月『安達ヶ原』(25枚)
・斉木道太『太陽』(15枚)
・村上啓太『ギヨムと馬』(37枚)

◆逸代助『橙赤』(31枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10782748
 歳の暮れ、東北の田舎に住む小学四年生の宏樹は、家から外へ飛び出す。二歳下の良太と一緒に村道を下っていき、目的地の『樋渡橋』に辿り着くと、宏樹は、この橋とその下を流れる『身洗い川』の名の由来とともに祖父が語ってくれたことを思い出しながら、二年前自分を置いて上京していった母について考える。
 母についての懊悩に気を取られていた隙に、川に落ちた良太の悲鳴が聞こえてくる。宏樹が即座に助けたため被害は軽微に済んだのだが、甘え心を出してめそめそする良太に嫌悪を抱く。だが、良太の家に着くと、密かに憧れ父性を期待していた良太の父に意趣返しのように冷淡に接せられ、ショックを受ける。

・池上氏の講評
 逸さんの作品は何作も読みましたが、こういう東北弁を使ったものは初めてですね。普段はもっと高踏というか、難しい言葉を使いたがる傾向がありますが、そこは抑えられています。非常に語り口の響きが優しくて、読み応えがあります。情景を喚起させる力も、充分に感じられます。若干作りすぎのところはありますが、それはそれでいいでしょう。
 ただ、方言の会話文はもっとわかりやすく書いてもいい。東北以外の人が読むと、わからないところもあるでしょう。ここはわざわざ長くしゃべる必要のない場面なので、もっとさらりと書いてもいいです。
 お母さんに関する挿話が出たり入ったりする感覚は、なかなかうまいと思いました。福永武彦に『幼年』(講談社文芸文庫)という作品がありますが、これも、過去と現在を往復しながら、失った母親の記憶を語っていきます。このような、視点を入れ替えつつ書いていく作品もありまして、もちろん逸さんは読んでいると思いますが、みなさんもぜひ読んでください。
 ちなみに講談社文芸文庫の解説は僕が書いています(笑)。

・古川氏の講評
 なかなか感動的な作品だと思いました。雰囲気がテーマと合っていると思います。
 タイトルにはルビをふってしまって、こういう文体、こういう世界がはじまることを予感させたほうがいいのではないでしょうか。
 僕も東北弁はいいと思ったんですけど、人々が普通に話している言葉を書き言葉にする、言文一致というのは明治時代に10年も20年もかかったぐらいたいへんなことですから、本当の東北弁をそのまま書き言葉にするというのは、基本的に無理なことだと思います。ですから、東北以外の人にも通じるような、加工された東北弁を作らないと、逆に通じないのかなと思いました。
 この小説は、最後に回想だということがわかって、自分が親の立場になって、立場が逆照射されることで深みが出てくるわけですけど、そのトリックがわかるように、年代がわかるヒントがもっとあるといいです。銀色のスバルレガシィとか出てきますが、もしかしたら、その窓をパワーウインドウじゃなく手動にするなどして、手がかりを出していくといいのではないかと思いました。
 文体については、こういうタイトルですし最初から違和感はありませんでしたが、主人公に寄り添うタイプの小説として読みましたから、気になったところがあります。7頁目の最後のほうに、主人公にはおそらく聞こえていないであろう、良太のお父さんの台詞がありますね。ここで、主人公に寄り添っていた視点がブレて、もしかすると回想だったのかな、と思わされます。回想だということは最後に明かされますから、そういう読む感動や驚きは一回だけのほうがいいです。ここでブレた感じが、最後の驚きの力を殺いじゃっているように思いました。雰囲気があっていい文章なので、こういうところは注意してほしいですね。

◆白岩五月『安達ヶ原』(25枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10782772
 主の子の病気を治すため「ひとの胎児の肝臓」を買い求める旅に出た乳母・岩手。しかしそんなものがたやすく手に入るわけはなく、岩手は噂話に翻弄されながらどんどん来た道から遠ざかってしまう。たどりついたのは人の住まない荒野、安達ヶ原。岩手はそこで乞食や旅人にすがって何とか生きのびようとする。わたしはなぜこんなにも生きたいのか。それは京都に置いてきたわが子を再びこの腕に抱きしめるため。生きる理由を思い出した岩手のもとに、道に迷った若い夫婦が現れる。女は妊娠していた。岩手は妊婦を殺して、ついに胎児を手に入れるが、その妊婦こそが岩手の愛娘、千歳だった。

・池上氏の講評
 これは、時代設定が現代ふうに寄りすぎたところが問題ですね。読者は背景を知りたがるものなので、最初から曖昧なままにして、人物の内面だけを書いていく、そして混沌に至って狂っていくというところに重きをおいたほうがよかったのかなと思いますね。
 椎名誠さんの超常小説のように溢れんばかりの造語が出てきて、新たな世界を作り上げる作家もいますが、そういうことが無理なら、現代を思わせるような言葉はなるべく避けて、シンプルで抽象的な、簡単な設定にして、混沌とした精神の暗黒を描いたほうが良かったと思います。

・古川氏の講評
 作者の方におうかがいしたいのですが、この時代設定などはどのようにして決められましたか。
白岩氏「最初はいろいろ考えたのですが、私が書きたいのはあくまで岩手の心と狂気なので、その他のことは無理せず自然に書きました」)

 なるほど。僕はですね、小説家として、最初に思いついたときにはまず「自分の実力ではこんなの書けない」と思うんですよ。だからこそ取り組んでみる。今の筆力で書けるものというのは、足でキーボードを打っても書けるような、暇つぶしでしかないんですよ。読者にお金と時間をかけて読んでもらうためには、無理はしたほうがいい。特に、これからデビューしようとしている方には、無理をする、以外に方法はないだろうと思いました。
 次に、読者というのは誤読しかしないものです。著者の意図は推測もしてくれません。そのうえで、自分の中で、自分とは違う小説が好きで、自分とは違う読み方をする典型的な人を3人ぐらい作っておいて、その人たちにも間違われないようなシミュレーションをしていく。本当は簡単に、400字ぐらいで書きたいけど、その別バージョンを3つぐらい作って、4つの中から一番言いたいことが伝わるものを拾うなどして、書くためには苦しまなければいけないところかなと思いました。
 それから、タイトルからもわかりますが、これは既存の物語のリミックスですよね。読者にとって馴染んだ話だから親切ではあるんだけど、原作に何か足していたり、あるいは極端に引いていたりしないと、わざわざその話をもう一回やる意味がなくなる。そういう意味で、自分はどういうスタンスでやっていくのか、考えていかなくちゃ難しい。こういう、母親の狂気に迫っていくのであれば、昔話にするより現代にしたほうがいいし、現代でも異世界に移っていってもいい。
 僕が思ったのは、3頁目のはじめに「自分の目がかすむのか、世界が曖昧なゾーンに侵食されて擦り切れていくのか。わからなかった。ゾーンとは」という、面白い一文がありますね。最初は大阪でもなんでも、現代のものを徹底的に、スピーカーでもなんでもカタカナで書いておいて、この「ゾーン」に入った瞬間に、異世界と現実がごっちゃになったような世界に行って、鬼と化した主人公が安達ヶ原にいてもOKみたいになっていったら、読者も自然に曖昧なゾーンに誘導されていける。ここを活かせば、新しい時代のリミックスになったのかなと思いました。

 あともう一点は、単純に固有名詞の問題です。主人公の「岩手」という名前ですが、これは地名の印象のほうが強いですよね。地名と人名がごっちゃになる感じを与えるのは、損です。逆にこれがものすごくポピュラーな女性の名前だったら、読者は寄り添って読んでいきます。
 男性であれ女性であれ、女の人が主人公で、何か命令されてさまよっているんだな、と思った瞬間に、肩入れするんですよ。それを利用したほうがいい。どれだけ読者の思い入れを主人公に近づけていくか、ということをやると、もっともっと面白く、奥が深くなると思います。

◆斉木道太『太陽』(15枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10782783
 雲が空の大部分を覆い尽くし、太陽が見えなくなった。世界中で人が行方不明になり、人口がどんどん減っていく中で、中学2年生のわたしは、案外普通の生活をしている。しかし大人たちは何かを隠していて、小学4年生の弟はそのことに気づいているらしい。
 そしてある日、安全なところへ行く、といって迎えの車が来る。

・池上氏の講評
 残念ながら既視感がある話ですね。僕は新人賞の下読みもいっぱいやっていますが、こういう作品は本当に多いんです。最近はカズオ・イシグロの影響もあって、とくに増えています。特殊な環境におかれた少年少女の、悲劇的な話ですね。こういう話はいっぱいあるんですが、じゃあどうやってディテールを作っていくか。ディテールが命なんです。
 この作品の場合は、主人公と弟が、シェルターのようなところへ連れていかれますね。なぜ連れていかれるのか、その先では何があるのか。そういったところが作品の個性になるのに、そこを曖昧にしているのはまずい。なぜ少年少女が連れていかれるのか、果たしてそこで救われているのか。姉と弟のやり取りなどを見ると、作者のセンスはなかなかいいんですけど、ここで彼らに何が起こるのか、もう少し暗示やヒントでもいいから見せてくれないと、読者としては読んだ甲斐がない。よくあるパターンで終わってしまって、重要な部分を書かないままになってしまった。そこが問題です。この場所はどこで、これから彼らはどうなって、両親はどうなるのか。短い枚数の中でも、そういったものをきちっと提示していかないと、まずいのではないかと思います。

・古川氏の講評
 短さが武器になるようだと、いいですよね。短いから、不条理なことが起きても、ぞわぞわするような感じで落とし所があれば、いいのかなと思います。池上さんもおっしゃったように、作品を読んだ甲斐がないといけない。わざわざ時間をかけて読んで、「何だったの?」と思わせてはまずい。読者に何かお返しをしなければいけない、と思っています。
 池上さんも指摘された既視感の問題ですが、その既視感をうまく広げるとしたら、それは文体だと思うんですよ。口語でやりたいのであれば、徹底してやればよかった。2頁目で出てくる、「テレビでもSNSでも出回っていない情報を握っている、なにか特別な会合? コミュニティ? があって、この現象についての真実を知っているという、噂」という、クエスチョンでつないでいくような流れは、読者の耳をすませさせる文章になりますので、こういうのをもっと増量していくと、主人公は状況がわからない中でも現在進行系で語っているんだな、作者は私たちを付き合わせようとしているんだな、とわかってくるので、不条理でもある程度許せるな、と思っていくんです。そこに誘導していかないのは、ちょっともったいない。
 既視感があっても、語り口しだいでは新鮮な既視感になるし、ある程度既視感のある世界設定だからこそ、ちょっと違うところがあるから読んでみようかな、という個性に変わっていく。そこをうまくやれるといいのかな、と思いました。

 冒頭では、主人公が中学2年生の女性だ、ということをもっと早くわからせたほうがいい。「わたしは、わたしが三年生になったら、世界はちゃんと高校受験をさせてくれるのだろうかと不安になる」という一文が、1頁目の中盤で出てきますが、これは5行でいいからもっと早く出す。これを早くやらないと、読者と主人公に距離が生まれて、関係が作れなくなるんです。これは早く作ってあげることかな、と思いました。
 あともうひとつ。既視感をうまく利用するには、みんな「よくあるSFだ」と思って既視感をおぼえているわけですから、最後にSFじゃなくしちゃう、っていう手もあると思います。こういうふうに風呂敷がたたまれるんじゃないか、と僕はちょっと予期しながら読んだところがありました。
 つまり、最後に連れていかれるのは普通の児童収容施設で、人口過剰な世界だから子どもたちはさっさと廃棄されているだけ。雲に覆われている異常気象とか人が減っているとかは、メディアが作った嘘で別にそんなことは起きていない。子どもの人口を減らそうとしている、という児童虐待の話で終わっちゃったら、15枚ぐらいの長さでもぎょっとしますよね。でも姉は弟を助けようとしていて、いつか脱出してやる、とか、一言の口語で終わっただけで、大傑作になります。
 読者が既視感を持っているとか、主人公との距離感を作れたり作れなかったりすることを、うまく意識してコントロールしていくだけで、あなたが持っている個性のようなものを、倍増して出せるんじゃないかな、というふうに思いました。

◆村上啓太『ギヨムと馬』
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10782800
 主人公のギヨムと、馬のフラント・シーギャンは、フィルカネラの国主の城の最上階にある巨大な牢獄の中から抜け出した。ギヨムは風を操ることができる男であり、馬のフラント・シーギャンは喋ることができ、さらには空を飛ぶこともできた。馬のフラント・シーギャンは、何年もの間ずっと巨大な牢獄に閉じ込められていたが、ギヨムがたった一人で城に乗り込んで、城の首領護衛兵であるルキアと馬を巡って闘い、あっけなく馬を手に入れて、巨大な牢獄から嵐の夜に抜け出して、空へと飛び立ったが、ギヨムの鎧が重すぎて、空を飛べる馬のフラント・シーギャンは、すぐに地面に落ちてしまった。そこは、城の敷地内の広大な森の中で、そこへギヨムとフラント・シーギャンを追ってきた沢山の兵士たちが巨大な竜の姿となって現れる。いつまでも繰り出される竜の炎に、ギヨムは死を覚悟したが、窮地を抜け出して、ギヨムとフラント・シーギャンは、月へと行ってしまった。

・池上氏の講評
 村上君の作品は何度も読んでいますが、僕は「メタフィクション的ホラ話シリーズ」とネーミングしています(笑)。この作品は、そのシリーズの中でいよいよエンジンがかかってきたかな、という感じですね。

 人物の名前が、非常に響きがいい。そしてその人物たちが話をしながら、これは作者が作った話なんですよ、ということを語っていく。そうしながら、話がどんどん展開していく。その展開が、今までの村上君の作品の中でも、一番面白いといっていいんじゃないですかね。
 あり得ない、荒唐無稽なホラ話なんですけど、登場人物の台詞と行動でちゃんとコントロールしつつ、話を広げて、まったく馬鹿馬鹿しいところまでもっていく。結末はちょっと弱いので、もっと話を広げてほしかったと思うんですけど、村上君は段々、語りを上手くコントロールできるようになってきていて、展開も面白くなってきたし、キャラクターも自由自在にしゃべって、ここまでルール無視で書ける人はなかなかいないのではないかと思いました。
 月に向かう、というモチーフは、日本では死を意味することが多いんですが、ここでは生きるということについて登場人物たちがディスカッションして、その意味を読者に伝えつつ、フィクションとしての馬鹿馬鹿しさも作者が伝えながら、それに同調するように登場人物がおかしなことを言う。この辺のかけひきが非常に面白いと思って読みました。

・古川氏の講評
 面白かったです。すごく面白いんですが、説明が難しいですね。その面白さをひとことで言うと、未熟だと言われて終わるような気がすごくします。そこを著者は自覚してコントロールしているふうにも見えるので、何かもう一歩進むと、すごくよくなるんだろうなと思います。
 最初からすごく面白いものを出してくるなと思いました。冒頭の4行目でまず「あらかじめ言っておかなければならないが、絶対にあり得ない物語である」と、物語が宣言してしまうのはとてもいいですし、語り手というものがいてストーリーとキャラクターに茶々を入れることによって、逆にリアルに読めるんですよね。作者がそのまま書いているというより、村上さんという作者が語り手に語らせているという、膜がひとつ入っている。その膜がすごくうまく機能していると思いました。

 ただ問題は、これもわざとだと読めるんですが、3年前に起きたことだけを書いている。最初に「この町は、エドルフ・エポッキアーゴという名前の小さな町である」と、現在のこの場所があるんですけど、3年前の、この町ではない場所で話が進んでいきます。思ったのは、最後の頁の最終行で「それは、これから三年も後の話になる」と結ばれていますが、これは指示代名詞が間違いじゃないかと思う。「これは、それから三年も後の話である」になって、ここで逆転した途端に、ああそうだった、これは3年も前で、我々がいるのはこの場所じゃなくて、「この町」というところにいるんだった! と突き放されて、語り手の、ホラの掌で踊らされたような感じになります。
 たったの1文字ずつ変えたりするだけで、ぽんと距離感が変わって、読み手も登場人物たちを笑う立場になるというか、すごく面白い効果が出たと思うんですよね。

 ただ、本当にこの語り口を作っているというのは豊かなことですが、でも、さっきの『安達ヶ原』でも言いましたが、無理して作るかどうかというのが難しいところです。たぶん、このゲーム的な世界観、ファンタジー的な世界観は無理せずに作れたと思いますが、その世界もちょっと馬鹿にしちゃうところが、うまくいっています。
 それが最大に効果を発揮しているのが、8頁目の、雑魚キャラが次々にしゃべって龍になるところですね。ここは、この馬鹿な世界だけど本気でやります、というのが出ていて、とてもいいと思いました。そのまま突っ走って、ホラ話のメタフィクションで全部コントロールしていますからみんな楽しみましょうよ、というオチでどーんと来ちゃうと、これプロローグに見えるけどこれで全部ですから、ハイ終わり、って行ったら、痛快なのかな。その後の一歩を見せちゃうと、未熟な作品だと思っていた読み手の自分のほうが迂闊であった、みたいな感じで、どこかの賞に出したとしたら、行けたという感じになるんじゃないかな、と思いました。

※以上の講評に続き、後半ではデビューから20年を経ての変化や、作品世界へ入っていく「玄関」の存在、自作の翻訳についてなど、真摯にお話していただきました。その模様は、本サイト内「その人の素顔」にてアップいたします。

【講師プロフィール】
◆古川日出男(ふるかわ・ひでお)氏

 1966年、福島県郡山市生まれ。1998年に『13』でデビューし、2001年に『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞と日本SF大賞をダブル受賞、06年『LOVE』で三島由紀夫賞、15年の『女たち三百人の裏切りの書』で野間文芸新人賞と読売文学賞を受賞。仏訳された『サウンドトラック』、英訳された『馬たちよ、それでも光は無垢で』などいまや日本のみならずアメリカやフランスで翻訳されている注目の作家である。ほかに『ベルカ、吠えないのか?』『LOVE』『聖家族』『MUSIC』など。

●13(角川文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4043636016/

●アラビアの夜の種族<1>(角川文庫)※日本推理作家協会賞 日本SF大賞 受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4043636032/

●LOVE(新潮文庫)※三島由紀夫賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4101305315/

●女たち三百人の裏切りの書(講談社)※野間文芸新人賞 読売文学賞 受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/410306076X/

●サウンドトラック上(集英社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4087460770/

●馬たちよ、それでも光は無垢で(新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101305366/

●ベルカ、吠えないのか?(文春文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4167717727/

●聖家族(新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/410130534X/

●MUSIC(新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101305331/

●平家物語 池澤夏樹=個人編集 日本文学全集9(河出書房新社)翻訳
https://www.amazon.co.jp//dp/4309728790/

●ミライミライ(新潮社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4103060778/

●とても短い長い歳月(河出書房新社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4309027490/

●gift(集英社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4087462331/

●ボディ・アンド・ソウル(河出文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4309409261/

●沈黙/アビシニアン(角川文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4043636024/

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