「私はわりとすぐ登場人物になり切っちゃうんです。ガラスの仮面をつけちゃうから(笑)」

 第99回は作家の三浦しをんさんをお迎えして、3年ぶりの新刊小説となった『ののはな通信』と『愛なき世界』のお話を中心に、池上氏との対談形式でお話していただきました。

◆「最高傑作」というキラーフレーズ/「女の子で三島由紀夫でコンパクト」/三島→太宰のスライド思考

――今日はまず、『ののはな通信』(KADOKAWA)についてお話をうかがいたいと思います。これは小説としては3年ぶりの新作ということになるんですね。

三浦 そんなに経ちますかね(笑)?

――これはね、書店や各新聞の書評でも、絶賛の嵐です。と言うと三浦さんは信じないんですけど(笑)。書評家は本を褒めるのが仕事みたいなものですから、本当に褒める場合とビジネスで褒めている場合があって、僕が見ればだいたいわかるんですけど(笑)、『ののはな通信』は本当に褒められていますね。
 評論家には、本当に感動したときにしか使わないフレーズがあるんです。それは何かというと「最高傑作」です。この表現は乱発できないのでなかなか使わないんですが、これを今回みなさんが使っている。本気で褒めているなとわかる。この『ののはな通信』は、みんな「最高傑作」と評していますから、本当に褒められているんですね。

三浦 ありがとうございます。でもじゃあ、これまでどんだけ駄作ばっかり書いてたのか、という疑問が生じるわけで……。

――いやいやそうじゃなくて(笑)。作家はみんな最新作が代表作だと言うものですが、三浦さんはいつもネガティブな発言が多くてねえ(笑)。たまたま用事があってメールしたときに「こんな長い作品を読ませて申し訳ない」みたいなメールをいただいて。

三浦 はい、「新聞の書評で取りあげることになりました」と池上さんからうかがって。もちろん、自分でダメだと思っている作品は、本にしませんよ。お金を出して読んでいただくんですから、これしかない、と思っているものを書いているつもりです。ただ、こういう、女子高生がキャッキャしてるみたいな、しかもむっちゃ長い話を池上さんに読んでいただくというのは、「お忙しいのにすみません!」となかなか心苦しいところもありまして。

――『ののはな通信』はまだ未読の方も多いと思いますが、まずは帯の紹介文を読んでみます。

 横浜で、ミッション系のお嬢様学校に通う、野々原茜(のの)と牧田はな。
 庶民的な家庭で育ち、頭脳明晰、クールで毒舌なののと、
 外交官の家に生まれ、天真爛漫で甘え上手のはな。
 二人はなぜか気が合い、かけがえのない親友同士となる。
 しかし、ののには秘密があった。いつしかはなに抱いた、友情以上の気持ち。
 それを強烈に自覚し、ののは玉砕覚悟ではなに告白する。
 不器用にはじまった、密やかな恋。
 けれどある裏切りによって、少女たちの楽園は、音を立てて崩れはじめ……。

 つまり、女子高校生の同性愛を含んだ、四半世紀にわたる関係がどのように変わっていき、どのように絆を深めていくかという話ですね。これを書こうと思ったきっかけは何でしょうか。

三浦 これはですね、担当の編集さんから依頼をいただいて、「女の子の話がいいです」って言われたんです。それで「わかりました」と。あと、「三島由紀夫みたいな小説がいいんですよ」と言われたんですね。それに対しても「わかりました」って言ったんだけど、よくよく考えてみたら、女の子の小説で三島由紀夫ってどんなもんじゃい、と(笑)。さらに、「コンパクトなものにしてください」とも言われたんですよ。わかった、女の子の小説で三島由紀夫でコンパクトね、って思ったんだけど、女の子は出てくるけど三島由紀夫でもコンパクトでもない小説になってしまいましたね(笑)。

――この小説は全篇書簡体形式で書かれているのが特徴ですが、狙いは何ですか。

三浦 狙いはとくになかったんですけど、女の子の三島由紀夫みたいな小説というのが全然思い浮かばなくて、脳内でだんだん太宰治にスライドしていったんですよ(笑)。ということは『女生徒』かな、女の子の日記とかそういうものかな、と考えていって、じゃあ女の子ふたりの書簡のやりとりで成立する小説にしようと思ったんです。

◆書簡体構造のミステリ要素/謳い上げる文章と「ガラスの仮面」/推敲は時間をおいて、客観的に

――でも、全篇を書簡体で通すのはたいへんだったでしょう。

三浦 いや全然。もちろん、手紙のやりとりだけで小説を構成するって、不自由な点はあるんですけど、そこまでつらいことはありませんでしたね。

――不自由な部分もありながら、秘密を持たせて露見させていく構造もすばらしいですね。最初からこの構造は考えていたんですか。

三浦 ののとはなは高校時代に出会って、最初は友だちなんですけど、明確に恋愛関係になるんですね。でも別れちゃうんです。その別れるということは考えていたんですけど、では何がきっかけなのか、というようなことは、最初はあまり考えていませんでした。
 書簡体小説って確かに、書いているうちに「面白い形式だな」と思いました。ミステリの要素が絶対に入ってくるんですよね。語られない部分、読者に提示されない部分が大きいじゃないですか。そこを説明過剰にならないように、彼女たちがどんなことについて語っているのかうまく知らせないといけないし、何が起きたか隠しておくこともできるんですよ。いわゆる謎解きというのではないんだけど、隠された部分ができてくる形式なんだなと思って、そこが面白かったですね。

――この作品は、「愛」や「魂」といった、一見すると手垢のついた、小説ではなかなか使われない言葉が、輝きを持って使われているのがまた素晴らしいですね。本文253頁を読んでみます。

 運命の相手なんているはずない、と嗤うひともいるかもしれないわね。あるいは、運命の相手なんて何人もいるんだから、べつのひとといくらでも恋をすればいいだろう、と。十代の恋などすべて思いこみ、錯覚にすぎない、という意見もあることでしょう。
 でも、私はそれらすべてに、「ちがう」と答えよう。そういうふうに言うひとは、きっと運命の相手に出会った経験がないのです。魂が惹き寄せられ、結ばれる、あのうつくしく麗しい瞬間を体感したことがないのです。かわいそうなことに。
 年齢も、性別も、時と場所も選ばず、運命は唐突にひとを訪(おとな)う。こちらの準備ができているかどうかも、まったく考慮には入れてくれない。だから運命とは残酷なものなのです。
 運命の相手と出会うことを「死」にたとえれば、その唐突さと残酷さ、若い時期に遭遇してもなんら不思議はないことを、わからんちんたちにも少しはイメージしてもらえるだろうか。
 あなたは私にとっての「死」だった。あなたとの出会いは無上の喜びと愛を私にもたらしたけれど、あなたが過ぎ去ったあとの私は、情熱も恋情も失せたぬけがらと化したのです。

 こんな感じでね、ふたりの関係も変わっていくわけです。

三浦 すごい謳い上げとるねえ、コレ(笑)。私が言ったわけじゃないですよ。登場人物が勝手に盛り上がって言ってるだけなので、こうやって音読していただくとちょっと恥ずかしい(笑)。誰だよこんなクサいこと書いたの、って。

――こういう、謳い上げる文章がいっぱいあって、魂とか愛とは何だろう、ということを考えさせてくれる。本当に深い話ですが、ご自分で書いていて、登場人物が乗り移ったような感じになりませんでしたか。

三浦 そうですね。一人称を煮詰めたような書簡体ということもあって、わりとなり切ることが多かったですね。三人称だと俯瞰して書くから、冷静になりがちかもしれないけど、それに比べると。あと私、すぐなり切っちゃうからなあ(笑)。今回に限らず、すぐなり切っちゃうんです。ガラスの仮面つけちゃうから(笑)。
 手紙とかメールとか日記って、深夜とかに書いてると、だんだん盛り上がっちゃうじゃないですか。そういう感じです。

――続いて323頁から読んでみます。

 すべてを得られる完璧な人生が、すなわち幸せだということにはならない。私は(たぶんあなたも)それを知っている。どれだけ物質的に、あるいは世間的に、恵まれていたとしても、私たちは幸せにはなれない。自分を真に理解し、愛してくれるひと、そして、このひとを理解し愛したいと思える存在がいなければ。
 大金を得るよりも、ずっとずっとむずかしいこと。だから私たちは、いいえ、私たちだけではなく、すべてを手に入れたように見えるあのひとたちもたぶん、埋められない空虚を抱えつづけて生きるのかもしれないね。

 ひとつひとつの文章がこれほど力強く、響きわたる作品はなかなかないです。主人公たちは年齢を重ねていき、境遇も環境も変わるし、社会的な立場も変わっていく。その中で、恋愛もあるし、人はどう誇りを持って生きていくのか、ということをディスカッションしていくんです。そういうと堅苦しいように思うかもしれませんが、全体で4章あるうち、1章から3章ぐらいまでかけて、秘密が露見していくスリリングな展開もあります。このプロットも非常によくできていますね。

三浦 書いていくうちに自然と「おやおや、こんなことに」となっていきましたね。嫌な男が出てきたり、はなが陰で大活躍していたり。書いていくうちに、この人は陰でこういうことをやらかしていたんだな、と見えてきた感じです。だから、この作品はプロットがどうこうというより、ふたりの考えや気持ちの変化を、ふたりのやりとりを通して描いていきたかったので、プロットという言い方はぴんと来ないですね。たとえば辞書を作る小説だったら、同じことを繰り返す作業を10何年も描くのじゃなくて、ここですぱっと時間を飛ばして、何章は誰の視点にして、ということを最初にぜんぶ考えるんですけどね。

――『風が強く吹いている』(新潮文庫)を書かれたときは、資料をいっぱい読んで、レース展開もぜんぶ作られたんですよね。

三浦 そうですね。大きな紙に、時刻表というかダイヤグラムみたいな感じで、全部のチームのタイムも考えて図にしました。どの段階で誰がどんなタイムで走れるように成長するのが妥当か、どこでどういう事件が起きるか、も考えていたんですが、そういう筋立てが明解な小説と『ののはな通信』のような作品は違うので、なんとなく見えているものはあるんだけど、最初にプロットを立てるということはないですね。

――WEB連載のときから、単行本化するときに200枚ほど削ったそうですね。

三浦 主に3章と4章の、ののとはなが大人になってからの部分で、それぐらい削りましたね。ちょっと構成がたるんでいたので。

――三浦さんは推敲にたいへん力を入れることで知られていますが、どういうところが気になるんでしょうか。

三浦 やっぱり文章が練れていないところ、あとエピソードがうまくつながっていないところとか。小説を書いているときってすごく集中しているので、そのときには客観的な判断がうまくできない場合が、けっこうあると思うんですよね。そのときはベストだと思って編集者に渡すんですけど、とくに連載の場合、あとでまとめて読んでみると、ここにエピソードが足りてないな、とか、飛躍があるな、とか思うことがあるんですよ。時間が経って落ち着いた目で見て、直しますね。

◆作家による手直しあれこれ/『愛なき世界』と植物学/直し作業の日々はまだ続く

――9月にはまた新刊『愛なき世界』(中央公論新社)が出るんですよね。

三浦 そうですね。これは去年の9月まで読売新聞で連載していたものです。

――『ののはな通信』は2012年から2015年まで連載したものなので、単行本化まで3年かかっていますが、こちらは手離れが早いですね。

三浦 そうそうそう。『愛なき世界』はね、そこまで大きく手直ししなくちゃいけないことはなかったので。作品によるんですよね。『ののはな通信』は、連載中も、終わってからもしばらくはすごく体調が悪かったのもあって、直すのにも時間がかかりました。
 でも、私は本になるまではものすごく粘着質なんだけど(笑)、本の形になっちゃうと、愛着はあってももう直せないじゃないですか。だから、あとは読み返さないですね。文庫になるときは、文庫のゲラでまた読みますけど。ナイストゥミーチュー、みたいな感じで(笑)。

――あるベテランの大物作家が、ずっと昔に書いた小説を3次文庫化するときに、ゲラを読んで、「いやあ、この小説、おもしろいね!」と担当編集者に言ったという話がありますが(笑)、時間が経つとそういう感じなんですね。

三浦 (笑)そういうふうに思えるとうれしいでしょうけど、私はめったにそんなことはないですね。読み返して「うっ」「お、おう……」みたいなことのほうが多いんじゃないでしょうか。

――ゲラは全然読まない、という作家もいますし、そこはみなさん人それぞれですね。
 ネットで講座のホームページだけをお読みの方は気づかないでしょうけど、スペースの都合で、記事になっているのは半分か、5分の3程度でしょうか。記事にする場合にゲラをお渡ししているのですが、大幅に直す人もいれば全然直さない人もいる。しをんさんはかなり手をいれますよね(笑)。ご自分のお話に責任を持ちたい、ということですか。

三浦 そう言うといい感じに聞こえるけど、まあ細かいんですよ(笑)。なんていうのかな、こうやってしゃべっているときの、話し言葉のニュアンスと、文字になったときってちょっと違うじゃないですか。私は、わあーってしゃべるから、文章で表記するには口調が乱暴すぎることがあるんですよね。つまり、自分をよく見せるためのアレですよ、ごまかし? っていうことなんだけど(笑)。

――いや、わあーって喋るのもいいのですが(笑)。勢いよく喋って鋭く叩く「しをん節」のファンも多いと思う。決して乱暴なんて思いませんよ。それはともかく。
 『ののはな通信』はこれまでの最高傑作と評されますが、続いて刊行される『愛なき世界』についても、もう少し詳しくお話をうかがいたいと思います。

三浦 これはですね、植物学の研究をしている大学院生の女の子と、洋食屋の見習い店員をやってる男の子が出会って、女の子のことをまんまと好きになるんだけど、でも女の子は植物のことばっかり考えてるから、男の子は植物に全然負けちゃう、っていう話です。

――植物学の話を書こうと思ったきっかけは?

三浦 『舟を編む』(光文社)を読まれた植物学の先生から、メールをいただいたんですよ。「辞書の編纂という、やや地味と思われる題材でも小説になるということがわかり、ぴんとひらめきました。うちの研究室を取材にきませんか」って。でもバリバリ理系の研究なので、私が取材してもわからんだろうなと思ったんですけど、気になったので何年か前に取材に行ったんです。そうしたら面白かったんですよ。それまで、理系の研究って何をしてるのか全然知らなかったんですけど、研究室のみなさんもいい方たちで、お話してるうちに、いろいろ興味が出てきて、書きたくなったんです。
 研究室では、みなさん顕微鏡を覗いたりして、遺伝子とか細胞とかを調べているんです。難しくてよくわからんのだけど、葉っぱの細胞を光らせて、それを顕微鏡で見せてくれたんですよ。それがすごく綺麗だったんです。肉眼では見えないんですけど、顕微鏡をのぞくと、星みたいに細胞の核が光ってるんです。その基本的な仕組みはどの生物でも一緒だから、私たちの体の中でも、同じように細胞がびっしりあって、ひとつひとつが何やら活動しているわけですよね。それを顕微鏡で見ると、星空みたいに光っている。生き物って不思議だな、と思ったのと同時に、その不思議を解き明かそうとしている人がいることに、私は感動したんですよね。生き物の体の仕組みでも、宇宙の物理法則でも何でもいいんですけど、「なんでこんなことになってるんだろう」みたいなことって、普通は考えませんよね。思春期のころに、寝る前にそういうことを考えることはあっても、でもだんだん忘れていくというか、日常に取り紛れていく疑問だと思うんですよ。だけど、研究者の方はそれをずっと考え続けて、研究や実験を通してそれを知ろうとしている。知ったところですぐ何かの役に立つわけでも全然ないんですよ。たとえばそれを基にしていい薬を開発するようなこともあるんですけど、それはまた別の研究者なので。とにかく基礎研究をしている人たちというのは、この世界の理(ことわり)を知りたいんですね。
 植物というのは神経も脳も感情もないから、人間と全然違うし、愛なんて概念も当然ない。でも繁殖してるじゃないですか。私たちと同じように細胞を持って、同じような仕組みで生命活動をしている。その不思議を解き明かそうとしている人たちがいる、というのが面白いなと思いました。
 そこで、植物とか理系の研究について何も知らない、洋食屋見習いの男の子が出てくる。つまり私ですよね。その子が、どんな世界を見ていくのかというお話です。

――それは楽しみですね。どのように植物の世界を物語に生かしているのか気になります。それが9月発売ですが、その次の新作はどんな感じですか。

三浦 その次はなんも書いてない。今は、連載が終わったものを本にする作業がずっと続いとって、この後は10月ぐらいに文庫とかも出るので、小説の新作は書いていないですね。
 短篇をいくつか渡したきり、残りを書けていない雑誌があるので、そこでまた短篇を何本か書く予定です。次の本は来年に出るか出ないか、ぐらいですかね。

◆巻末注意書きの意義/作品に合った分量を見極めて/名は体を表す、そのために

――ではそろそろ時間もなくなってまいりました。今日は三浦しをんさんに会いたくて来た人もたくさんいらっしゃるでしょうし、質問を募りたいと思います。

女性の受講生 三浦先生のご本には、巻末に「作中で事実と異なる部分があるのは、意図したものも意図せざるものも、作者の責任による」という一文がありますが、どういうお気持ちで入れていらっしゃるのでしょうか。

三浦 取材でお世話になった方の名前を巻末の謝辞で列挙するんですけど、それによって、「この人がこの間違ったことを教えたんだ」と思われてはまずいというか。これは私が書いたフィクションであるし、小説の内容についての責任は作者にあるので、誤解を避けるためです。

男性の受講生 『ののはな通信』はまだ読んでいないのですが、現実社会との関係が描かれている作品では、たとえば作中の女子高生と現実の女子高生など、齟齬がないように時代に合わせてアップデートしていく必要があると思います。そこはどのように意識されましたか。

三浦 『ののはな通信』は、女子高生時代は昭和60年(1985年)ぐらいの設定なんですよ。だから自分の知っている時代の感覚で書けたんですけど、たしかに、現代の女子高生の口調とか、スマホをどう使いこなしているかとかは、歳を取ってくるとアップデートするのが難しくなりますね。ただ、女子高生に限らず、若いときに感じる気持ちって、そんなに変化していないんじゃないかな、とも思います。年齢ごとに人は変化していきますけど、時代ごとにそんなに変わるか、というと、気持ちの部分はそんなに変わらないような気もするんですよね。

女性の受講生 私はいま長篇のミステリ新人賞に挑戦しているんですが、たとえば松本清張賞ですと、原稿用紙300枚~600枚と枚数規定に幅がありますよね。こういう場合は、マックスの600枚に近いほうがいいんでしょうか。

三浦 いえいえ、そんなことはまったくありません。そういうふうに誤解される方が多いんですけど、作品に合った枚数でお書きになれば大丈夫です。300枚で終わるんだったら、300枚でいいんです。むしろ、作品に枚数が合ってないなと思われると、それはマイナスポイントになります。「何をどう書きたいのか、この作品に一番合った枚数はどれくらいか、作者自身、そこがよくわかってないんだな」と思われてしまいますから。

男性の受講生 登場人物の名前をつけるときに、『まほろ駅前多田便利軒』(文春文庫)の多田のように、わりに普通っぽい名前のときもあれば、『舟を編む』の馬締(まじめ)のような、あまり見慣れない名前のときもありますが、どのような思いを込めてその名前を選ばれているのでしょうか。

三浦 馬締という苗字は、実際に存在しているんですよ。現実に存在しなさそうな名前は使わないようにしています。で、どうして珍しい苗字の人と普通の苗字の人がいるかというと、やっぱりちょっとキャラ立ちさせたいというか。名前って非常に象徴性が高いと私は考えているので、真面目なキャラクターだから馬締です、という、オヤジギャグです(笑)。名前からしてキャラ立ちさせたいときと、『まほろ駅前』の多田みたいに、どっちかというと平凡で地味な人物として描きたいときがあって。相棒の行天(ぎょうてん)は本当におかしな人だから、ちょっと珍しい苗字にしたんです。そういうふうにして決めてますね。どっちの場合でも、その人物を象徴する名前にしたいという気持ちで選んでいます。

――まだまだお聞きしたい方もいると思いますが、残念ながら時間となりました。今日は長時間ありがとうございました。
(場内大拍手)



【講師プロフィール】
◆三浦しをん(みうら・しをん)氏
 1976年、東京都生まれ。2000年、小説『格闘する者に○(まる)』でデビュー。06年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を受賞。2012年『舟を編む』で本屋大賞を受賞。15年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞を受賞。スポーツ小説の名作『風が強く吹いている』ほか『仏果を得ず』『神去なあなあ日常』など、エッセイに『悶絶スパイラル』『ビロウな話で恐縮です日記』など多数。現在、コバルト短編小説賞、コバルトノベル大賞、R‐18文学賞、松本清張賞、小学館ノンフィクション大賞の選考委員を務める。

●ののはな通信   (角川書店)   
https://www.amazon.co.jp//dp/404101980X/

●愛なき世界   (中央公論新社)  
https://www.amazon.co.jp//dp/4120051129/

●まほろ駅前多田便利軒   (文春文庫)   ※直木賞受賞   
https://www.amazon.co.jp//dp/4167761017/

●舟を編む   (光文社文庫)  ※本屋大賞受賞   
https://www.amazon.co.jp//dp/4334768806/

●あの家に暮らす四人の女  (中公文庫) ※織田作之助賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4122066018/

●風が強く吹いている  (新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101167583/

●神去なあなあ日常  (徳間文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4198936048/

●神去なあなあ夜話  (徳間文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4198941173/

●まほろ駅前狂想曲  (文春文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/B0756C3SJ7/

●仏果を得ず   (双葉文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4575514446/

●悶絶スパイラル   (新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101167613/

●ビロウな話で恐縮です日記  (新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101167648/

●光   (集英社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4087451216/

●政と源 (集英社オレンジ文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4086801353/

●格闘する者に〇(まる) (新潮文庫)   
https://www.amazon.co.jp//dp/4101167516/

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