「ひとりの視点から見る世界って、ミステリ仕立てにしなくても、充分に謎があるんですね。誰かの視点をとることは、誰かの秘密を暴露することと同じなんだ、と考えていただけたらと思います」

 6月の講座には、辻村深月(つじむら・みづき)先生をお迎えした。

 1980年山梨県出身。2004年『冷たい校舎の時は止まる』でメフィスト賞を受賞しデビュー。2011年『ツナグ』で吉川英治文学新人賞受賞。2012年『鍵のない夢を見る』で直木賞受賞。2018年には『かがみの孤城』で本屋大賞を受賞し、いま最も注目される作家のひとりである。

 また今回は、ゲストとして渡辺千裕氏(中央公論新社)、根本篤氏(中央公論新社)、武田昇氏(文藝春秋)、本川明日香氏(文藝春秋)、吉田元子氏(ポプラ社)、大久保杏子氏(講談社)、丸岡愛子氏(講談社)、小林晃啓氏(光文社)の、8名の編集者をお迎えした。

 講座の冒頭では、まず世話役の池上冬樹氏(文芸評論家)が講師を紹介して始まった。

「今日は辻村深月さんをお招きしました。昨年、ここ(遊学館)の2階にあるホールで、桜庭一樹さんと辻村さんのトークショーを、瀧井朝世さんの司会で行ないましたが、その懇親会で講座をお願いしたところ、快く引き受けていただきました。昨日は姉妹講座の『せんだい文学塾』でも登壇していただいたのですが、100名を超える受講生が詰めかける盛況となりました。今日もかなり多くの方にご来場いただいております。ありがとうございます」

 続いて辻村氏のあいさつ。
「こんにちは、辻村深月です。山形に来るのは、前回のトークショーが2回目で、今回が3回目ですね。山形には大学時代の友人も住んでいて、縁のある土地です。今日はよろしくお願いします」

 今回のテキストは、小説が3本。

・みつときよる『生クリームとチョコレート』(46枚)
・佐藤陽子『アップルハイツ』(65枚)
・新堂麻弥『クチハカタナナリ』(67枚)

◆みつときよる『生クリームとチョコレート』(46枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9904934
 弓香と實は複数愛を許しあっている恋人同士である。弓香には最近できた他の恋人、耕太がいて、實は今は他の相手はいない。耕太は弓香の恋愛観を理解しようと努めてくれていたが、弓香に他に恋人がいることを受け入れられない。耕太は弓香に、實とは別れて自分一人と付き合ってほしいと言うが、弓香は耕太の提案を受け入れることができなかった。
 弓香は耕太と別れ、實ともしばらく連絡を取らなくなってしまう。耕太と出会ったバイト先では、耕太は弓香と合わないように、休んでいる。そんな中で弓香は、バイト先の梨恵に、複数の恋人と付き合っていることを責められるが、弓香は一人の相手に縛られる梨恵を可哀想だと言い放つ。

・中央公論新社 渡辺氏の講評

 この作品で一番気になったのは、主人公の弓香さんがなぜこれほど多くの男性から好意を持たれ、複数の相手と交際していてもいいと思わせるほど魅力的なのか。そこが読者に伝わるように描かれていないんですね。そこが残念なところです。
 複数愛というテーマはいいと思うのですが、細かいところを見ていくと、實くんと耕太くんという、ふたりの男性がうまく書き分けられていないんですね。ふたりの違いが見えないことで、どちらかを選べないという葛藤が薄まってしまっていると思いました。
 それから、このタイトルは「生クリームとチョコレートと、どちらも選べない」という複数愛の入り口に立っただけで、その先を提示するに至っていないので、もっと深いところまで進んでほしかったと思います。

・文藝春秋 武田氏の講評

 面白く読ませていただきました。文章や会話もうまくて読みやすかったです。
 気になったところは、渡辺さんとは逆に、實がなぜこんなにモテるのか(笑)、彼の魅力がいまひとつ伝わってこなかった。それと、弓香がなぜこの恋愛観を持つに至ったのか、それまでの前段が何かしらの形で書かれていないと、不親切ではないかと思いました。
 あと、先ほど渡辺さんもおっしゃいましたが、やはりタイトルですね。どちらも魅力的だということの象徴だということはわかるのですが、もうちょっと何か、内容を表すようなうまいタイトルはなかったのか、なかなかコレというものは提示できないんですけれども。
 文章はお上手だと思いましたので、また違うテーマの作品でチャレンジしていただければと思います。

・池上氏の講評
 僕は1955年生まれで、10代後半からずっと小説を読んできましたが、60年代から70年代にはヒッピー文化が残っていたので、性の解放とか自由恋愛を描いた小説が、世界中で書かれていたんですね。社会道徳、常識、倫理に反抗して、人間性を縛るものから解き放たれて自由にセックスや恋愛を楽しんでいいという抵抗のための文学だった。最近はそういったものはなくなって、久しぶりに自由恋愛の小説だなと思いましたが、これは遊戯的な恋愛というか恋愛ごっこという感じがします。
 かつて書かれていた多くの作品では、たとえば妊娠などが契機となって、自由と倫理や家族制度についてがテーマになるのですが、そこで提示されるべき倫理観をいかに構築するかが大事なんです。この作品では、妊娠や家族制度は描かれなくて、表面的な恋愛ごっこになっている。もう少し、彼らがどんな思いで恋愛をしているのかを書いてほしい。それぞれの場面場面で、それぞれの価値観を台詞で説明するのではなく行動の描写で示すべきなのだが、この作品では全部台詞で説明されているので、印象が浅くなっている。彼らの恋愛観が見えてくると面白いのだが、そこが描かれていないのが残念だと思いました。

・辻村氏の講評

 私はこの作品で、もっと複数愛の楽しさが、まず苦しみの前段階として読みたいと思いました。このテーマであれば、社会的規範に従うことをやめるという選択をした楽しさ、自由さみたいなものが冒頭で描かれていてほしい。きっと、それが最初にあれば、「こんなに楽しいことを否定する世の中のほうがおかしいんじゃないか」と、読者に思わせることができて、その後の読み方も変わってくると思うんですね。この小説は、マイノリティであることの苦しみを描いていると思うんです。LGBTとか性的なことでなくても、たとえばホラー映画が大好き過ぎて周りの理解を得られないとか、そういう人もマイノリティだと思うんです。マイノリティであるために、誰かに何かを強いられる痛みを経験したことのある人たちはたくさんいるので、そこに「これでいいんだ」という楽しさが描かれることで、自分は複数愛者でなくても、自分が否定される、強いられる感覚が理解できて、感情移入ができるようになると思うんです。そうすることで、みんなが共感できる作品に生まれ変わることができると思います。
 そこに達せていないのはどうしてなんだろうと考えると、原因のひとつには、主人公の中に、他人と違う自分、というものに対する優越感が見え隠れしているからではないかと思いました。耕太くんに片思いしていた先輩に対して「かわいそう」という台詞があるんですけど、ここの言葉は「かわいそう」ではないほうがよかったかもしれません。優越感に見えてしまいますし、あらすじの最後のところにも「弓香は顔も知らない女に見せつけるように、實を抱きしめ、キスをする」とありますが、ここで何も見せつける必要はない。
 マイノリティであることについて小説を描く人が、何を目指さなければいけないかと思うと、やっぱり多様性を認めるという視点ではないでしょうか。多様性を認めない世の中で、自分たちの恋愛や生き方が否定される主人公たちを描くので、どうしても主人公たちの痛みに敏感になってしまうんですけど、主人公たち以外の多様性を、まず主人公が認めることを意識してください。
 一番気になったのは、複数愛の定義について。私もはっきりはわからないので、整頓してほしかったのですが、中でも気になったのが嫉妬の問題です。お互いに好きな人を複数持つという関係性の中で、相手の恋人に対して嫉妬することが、許されているのかいないのか。そこの定義を早いうちにしっかり提示してくれないと、相手の恋人に会いたいという考え方がどこから来ているのかわからない。嫉妬なのか、それとも同じ相手を好きな人たちみんなが繋がれるという愛の行為なのか。そのあたりをどう考えている人たちなのか、ということを整理して書いてくれると、読者にわかりやすいものになります。
 それから、複数愛の人をやむにやまれず好きになった人に対して、無理矢理に自分たちの恋愛観を理解させようとするのは、ある意味では暴力に近い行為だと思うんです。マイノリティである自分たちを理解してほしいと言いながら、相手の恋愛観を認めないのは、主人公たちから読者側が何かを強いられているのと同じです。
 あと、タイトルなのですが、違っていたら申し訳ないんですけど、『生クリームとチョコレート』というのは、どっちもおいしいから選べないということでもあるんでしょうが、私は、實くんと弓香さんの恋愛観の違いも表していると思いました。どちらも複数愛の恋愛観ですが、18頁の冒頭に「實とあたしの感覚は、似ているようで違う。あたしは食べたいケーキをひとつに絞れない人間で、實はパズルのピースを埋めるように、恋人をつくる」と書かれているように、生クリームがほかのケーキにくっついていくような感覚を持つのが主人公で、板チョコがピースでできているように、ピースどうしをつなげていくのが實くんの感覚なんじゃないか、と思ったんですね。同じ複数愛の持ち主だと思って惹かれあっていたけど、その中でも多彩な違いがあって、理解し合えると思っていた相手でも痛みを共有できなかった、という話だと思いました。そのまますれ違っていても、今は一緒にいることを選ぶという結論は、私はとても好きです。
 もうひとつ、最後にまだ会っていない、實くんの新しい彼女が出てくるんですけど、これは葉月なのかなと思ったんですよね。だとすれば、巻き込みたくなかった人を巻き込んでしまったことで、それまで持っていた優越感の代償を主人公が払わなければいけないときが来たんだ、という絶望の入り口で物語が閉じる。代償を払わなければいけなかったからこその傲慢さだったんだ、というふうに読めれば、一気に読後感が変わっただろうと思います。

◆佐藤陽子『アップルハイツ』(65枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9902738
 佐野麻里奈は十八歳。自宅への放火で母親と姉を負傷させ、鑑別所を経て児童自立支援施設に入所していた。退所後、自宅でも児童養護施設でもなく、更生保護施設「アップルハイツ」に入寮することとなる。あと二ヶ月で十九歳となり「児童」ではなくなることが名目だったが、母親からのネグレクトからくる不良行為の積み重ねで、施設慣れした麻里奈に更生と独り立ちを促すのが目的だった。
 麻里奈はそこで、指導員の若槻カオリ、入寮者の彩乃とアランと呼ばれる女性たちと出会う。彼女たちから刺激を受けつつ、かつての自分と家族を客観的に振り返りはじめたとき、姉の樹里が麻里奈を訪ねてくる。

・光文社 小林氏の講評

 ネグレクトなど現代的なテーマを扱っていて、興味深く読みました。ただ、視点の混乱が気になります。最初のうちは切り替わりについていけたんですけど、途中から、視点人物のものではない人間の内面描写が入って来たりする。これは誰が考えていることなのだろう? とさかのぼって確認したり、読むのに若干苦労するところがありました。もう少し視点人物を絞るなど、整理したほうがよかったと思います。
 放火をした麻里奈が何かを隠しているのではないか、という謎が作品の核になっているように思いましたが、それが麻里奈視点の場面で本人からあっさり説明されてしまうのも残念です。そこに謎解きのカタルシスがあると、もっとよくなったと思います。放火事件そのものも、数枚の紙を燃やすために灯油を使う? しかも屋内に戻って火をつけるだろうか? と無理があるようにも感じました。

・ポプラ社 吉田氏の講評

 こういう支援施設の細かな日常って、読者があまりくわしく知っていることではないと思うんですけど、そこがわかりやすく読めるのはよかったと思います。ただ、やはり視点が混乱していますね。視点の多さはどの人物の内面もくまなく描写したいというお気持ちの表れだと思うんですけど、物語の魅力というのは、全部がすみずみまで蛍光灯で照らされているような状態より、どこかに謎や影があったほうが引き立つと思います。物語をシャープにするという意味でも、視点人物は絞り込んだほうがいいと思いました。

・中央公論新社 根本氏の講評

 謎もあって、社会的な問題意識もあって、道具立ても面白いし、基礎的な筆力も感じられて、面白く拝読しました。一方で、率直に申し上げて、読後感がややフラットな印象を受けました。視点や人称に関しては作者が選択されることなので大きなお世話かもしれませんが、やはり全体的な整理が必要で、そうすることでこの作品の魅力が増すと確信的に思いました。たとえば、極端なアプローチかもしれませんが、あえて一人称で書き直してみても面白いのではないでしょうか。一人称だと、視野が狭くなり描けなくなる部分が大きくなりますが、あえて制約を課したほうが、グッと魅力が増すのではないかと感じました。

・池上氏の講評
 小説の書き方という点で、神の視点は現代の日本では厳しいです。最近は、花村萬月さんや伊坂幸太郎さん、奥泉光さんが自由自在に視点を入れ替えて傑作を書かれていますし、神の視点で書いてもいいのではないかと思っています。ただ、新人賞では駄目ですけれども。
 この作品では、視点が変わることでお互いの考えていることがわかる、切り返しの妙みたいなものはあるのですが、本人に聞いてみたら意図したものではなかったとのことなので、がっくり来ました(笑)。
 視点の問題はともかくとして、更生施設の人々も丁寧に描いているし、話も暗くなくて後味もいいし、謎もちゃんと2段構えになっていてミステリの要素も加味しているし、よくできていると思います。

・辻村氏の講評
 私はとても面白く読みました。書きたいことや伝えたいことが、よく伝わってきます。読みながら思ったのは、主人公麻里奈に居場所を与えてあげてほしいということでした。最後まで読み、彼女がちゃんと大人たちの援助によって居場所を得ていく話になっていて、私の胸にはストレートに響きました。
 いい子だったお姉さんに追いやられるような形で、家庭内で居場所を奪われていたことがわかりますが、そのお姉さんはといえば、人に対して誠実でいなかったがゆえに、妹には現れる援助の手が現れないわけですよね。「あの子が私のりんごだったのに」、つまり悪くなるのを抑えていた麻里奈がいなくなったため、姉から母への復讐が始まるんじゃないか、という不穏な感じで終わるところも好みです。取り残された母や姉がどうなろうとも、麻里奈は守られる、というところでの読者への救いも、私にはぐっとくるものでした。
 ただ、やっぱり視点の問題ですね。私は、デビュー作の『冷たい校舎の時は止まる』(講談社文庫)は三人称だったんですけど、8人の主な登場人物がいて、8人分全員の視点をとったんです。ただ、60枚前後の短篇で同じことをやったら、選考委員が難癖をつける口実になってしまうと思ってください(笑)。「視点のとりかたが乱暴」と言い方は、それくらいされやすいです。ほかに光るものがあっても、そこに目が奪われてしまうというのはもったいない。この小説の場合は、根本さんもおっしゃるように、一人称で書き直してみてもいいのではないかな、と私も思います。
 無理にミステリ仕立てにしなくても、ひとりの視点から見る世界って、充分にミステリアスなんですね。私は、デビュー作では8人分の視点をとりましたが、最近出した、同じく10代の子たちの群像劇だった『かがみの孤城』(ポプラ社)は、こころという主人公だけの1視点です。7人の子たちが出てくるのになぜ1視点にしたかというと、『冷たい校舎の時は止まる』のときは、全員分の視点をとらなければ、全員の心情を描けるかどうかが不安だったんだと思います。そこから、デビューして10数年経ちまして、ひとりの視点からでも7人全員を描写できる自信がついたからこそ、一人称で群像劇を書いてみようと思いました。
 誰かの視点をとることは、誰かの秘密を暴露することと同じなんだ、と考えていただけたらと思います。誰かの謎か、仕掛けか、もしくは魅力的な秘密があればそれはもう十分ミステリになると、私は思って読んでいます。どなたの言葉だったか忘れてしまったのですが、近代小説は総じて、誰かの背景にあるものを描いていくわけだから、ミステリだと仰った評論家の方がいて、私はけっこうそれに同意できるんですね。誰が犯人かというミステリ的な謎でなくても、誰かの秘密が明かされていない状態の視点から見ている世界では、秘密が暴露されたり、すかされたり、意外性を持ったり、というところでいくらでも小説の読みどころを作れるチャンスになります。

 たとえば、麻里奈の視点から書いたとして、カオリさんは綺麗でソツがなさそうで、と思っていたけど、そこに連れてきてくれた健太さんが帰ったあとで「あの人、絶対私に気があるわよね」と彼女が一言、言ったとします。その瞬間に、思っていたほどいい人じゃないのかもしれない、誰かのことを見透かしたりする鋭い人なんじゃないか、この人のことをもっと知りたいと、意外性とともに読者が思えるようになってくると思うんですね。
 もうひとつ気になったのは、伝えたいことがよくわかるがゆえに、登場人物が自分たちの行動に自覚的すぎるんですね。麻里奈が万引きをしていた理由は、「私はお母さんの関心を引きたかったからだ」と物語の冒頭からすでに自覚してしまっているのが、非常にもったいない。これはストーリーの中で自覚してほしかったんですね。エクセルの表をお姉ちゃんに突き付けられたときに、「お姉ちゃんは私が思っていたような人じゃなかった」という暴露が、ここまでお姉ちゃんの視点がなかったことで明かされるんですけど、その後で、麻里奈がその表を見ながら、「私がいろいろ盗んできたのは、お姉ちゃんからお母さんの関心を取りたかったからじゃないか」というのが来ると、ここが後半のひとつの見せ場になります。そこに向けて、読者の気持ちも麻里奈に向けて引き絞られてくる。
 もうひとつ、カオリの視点をとった場合、申し送りで「麻里奈は本当はやっていないんじゃないか」と言われて、「あの子やってますよ」「勘です」と言う場面がありますね。私はここがすごくいいと思うんですけど、カオリのほうでも麻里奈のことをある程度の色メガネで見ていたり、「自分が同じような経験をしたことがあるからこそわかる」という、わかったような気持ちでいたのが、その思い込みや思い上がりに気づく展開になれば、また読み応えがぐっと深いものになったと思います。この子が本当にやられていたのはお母さんにじゃなくお姉ちゃんにだ、ということがわかってきて、自分が想像していた以上の痛みを彼女が抱えていたことに作中で気づいていく。そうなると読者とカオリの気持ちがシンクロしてきて、麻里奈のことがよりいとおしくなるはずなんですね。この子はこんなにいろいろなものを背負っていたのか、気づかなくてごめん、というカオリの「気づき」の物語になっても、面白いのかなと思います。
 あともうひとつ、自覚してしまっていてもったいないな、と思ったのは、姉の樹里が「あの子がわたしのりんごだったのに」と言ってしまうんですけど、まず、りんごに他の果実を甘くしたり、じゃがいもが悪くなるのを抑えたりする効果があるという話が出たときに、樹里はその場に不在です。この知識は誰でも持っているものではないと思うので、樹里が知っていたかどうかわからない状態でここを文章で出してしまうのはもったいないです。この話はアップルハイツ内だけでしておいて、お姉ちゃんが帰宅していくまでの間に、母に何か危害を加えるんじゃないかという決定的な場面を書くと、「これのことだ!」と読者だけがわかって、よりぞっとできると思うんです。
 そんなところをちょっとずつ変えて工夫していただけると、すごくいい小説に生まれ変わるんじゃないかなと思います。時間の関係で、指摘するところを多めに言ってしまったんですけど、読んでいてテキストにマルをつけた、いい表現もたくさんありました。

◆新堂麻弥『クチハカタナナリ』(67枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9902747
 秋希は、子供の部活動に親が干渉しすぎることに疑問を持っていた。次男の卓司は、バレーボール選手としての素質に優れていたが保護者からの妬みが増していき、モンスター奥田と長谷部の攻撃が始まり、子供同士でのいじめも勃発する。
 子供へのいじめをやめてほしいと懇願した、宮園透の母親美奈代が、モンスター二人に追い詰められ、自宅マンションから飛び降りて自殺した。真相は闇に葬られ、一人反発していた秋希は、次のターゲットになり、自分も死のうとする。それを制止したのが卓司だった。そして秋希のためにバレーボール部を辞め、無名の高校に進学した卓司は、長谷部蒼汰からの逆恨みから襲われそうになったところを、バレーボール部員の鳴海大翔と篠田友也に助けてもらう。その縁で、鳴海の母千夏と知り合い、誰にも話せなかった想いを爆発させ、二人は次第に心を通わせていく。             

・講談社 大久保氏の講評

 ママ友の小説っていろいろあって、面白いんですよね。そういう中で部活を選んだのは面白い視点なんですけど、ママ友って子どもなしには存在しないものなんですよね。その割には、子どもの存在感がすごく薄いんです。ママ友の世界を描くために子どもの存在感がなくなってしまっては、元も子もありません。
 それから、学校という組織をあまりにも無能に描いています。警察小説などもそうなんですけど、実在する組織を登場させるのであれば、その人たちを馬鹿にしてはいけないんです。ちゃんと機能するようにしないとリアリティがないし、物語に都合よく動かしてしまうんですね。このぐらい無能に描くのであれば、もうママ友バトルロワイヤルぐらいにしてもいいのでは(笑)。なぜそう思ったかというと、人の死を簡単に扱いすぎているところがあるんです。人を殺すならもっと丁寧に、しっかり殺すようにしてください。

・講談社 丸岡氏の講評

 昨日、仙台の講座で辻村さんがおっしゃった話なんですけど、その物語を必要としている人がいるかどうか、っていうのは大切なことだと思うんです。この作品も、親御さんの立場でも子どもの立場でも、現代の、部活に過剰にかかわらざるを得ない環境に悩んでいる人はいると思うので、もしかしたらそういう人たちの助けになるかもしれないと思って読みました。
 そういう可能性を感じて読み始めると、ちょっともったいないのが、それに対する答えを出せていないことですね。問題はすごく詳細に書かれているんですけど、主人公は何か行動を起こすわけではなくて、モンスターたちは勝手に自滅していく。
 それから、冒頭と最後で、主人公の気持ちが変わっていないのも、小説を通しての問題提起が前に進んでいない印象を受けます。せっかく問題意識があるので、そこは残念なところでした。

・文藝春秋 本川氏の講評

 文章の勢いから、理不尽な目に遭って追い詰められていく主人公の厭な気持ちが伝わってきて、面白いと思いました。一方で、それによって見えてこない部分、わかりにくい部分があったというのも事実で、全体的に、ベタっとした、平坦な印象を受けてしまいました。誰がどこで何をしているのか、状況がよくわからないので混乱してしまいますし、主人公の家族がどんな家族なのかもあまり書かれていない。そこがもったいないと思いました。
 あと、終わり方もやはりもったいないです。主人公がせっかく共に戦えそうな仲間を見つけたのに、そのふたりで行動をすることがない。モンスターたちがみんな勝手に不幸になって小説は終わりますが、あと一歩、じゃあ主人公はどういう行動が起こせたんだろう、というところを描いていただけると、もっとカタルシスがあったのではないかと思います。

・池上氏の講評
 自分のあずかり知らぬところで事件が解決してしまう、というのはやめましょう。読者にとってまったくカタルシスがないし、物語そのものに切実感がない。主人公はもっと汗をかいて、頭と体を使って、問題を解決する。これが一番大切なところです。
 家族が見えないので、ママ友バトルロワイヤルでもいいのではないかと大久保さんがおっしゃいましたが、まったくそのとおりですね。そっちのほうが面白かった。子どもの姿も家族の姿も見えない、見えてくるのはママ友の戦いばかり(笑)。
 この作品の一番の問題点は、場面がありそうでないことですね。冒頭から説明説明また説明で、全部台詞で説明されていく。だからディテールもキャラクターも、家族も見えてこないんですね。そこが問題だと思いました。

・辻村氏の講評

 これはですね、新堂さんの、生の怒りが強すぎる(笑)というのがあります。私も、喜怒哀楽のどの部分で書くかというと、圧倒的に「怒」です。文庫化するときにゲラを読むと、当時の自分に対して「怒ってんなー!」と思うことも多いです。書き終えた当時から3年くらい経って怒りが少しさめているので、「落ち着けよ」みたいな気持ちになることも。怒りって、それぐらい原動力になりますし、その怒りとともにこの67枚を読めるというのは、すごく面白いです。
 ただ、生のままの怒りって、ぶつけられるほうは結構大変なんですよね。私たちが小説に何を求めるかというと、リアリティだと思うんです。リアルを求めているわけではないんです。リアルが見たいなら、「発言小町」とか「Yahoo! 知恵袋」とかを見ればいいんです(笑)。突飛でいびつだけれど、そこにあることは確かにリアルなのかもしれない。でもそれらのことってたいてい小説にならないんです。なぜなら、誰かにとってだけのリアルは、多くの人にとっては感情移入の対象にならないからなんです。みんなが共通してリアリティを感じられるものでなければ、生の感情って受け止めるのがしんどい。ネットどまりになってしまうと思うんです。
 この小説でも、死者まで出てしまっている出来事なのに、一連の流れが全部のっぺり平坦にいきすぎていて、感情移入がなかなかできない。場面ごとに切り取って、どこの部分を一番見せたいのか考えて、演出をすることが必要ですね。全体的に文章がべたっとしてしまっていて改行が少ないんですけど、大事なところでは改行をする。小説って視覚で読むので、どれだけ素晴らしいことが書いてあっても、ひとかたまりに長い段落の中で書かれていると、目が飛ばしてしまうんですよ。この文章を読ませたい、この会話を読ませたい、というのがどこなのか。いまは完全に時系列順なんですけど、そうではないところで、導入部分など、展開にメリハリを考えてほしいと思います。ご自分の感情をそのまま、ネットに吐き出すかわりに書いた小説なのではないか、と編集者や選考委員に思われてしまうと損です。この問題についての怒りや熱はあるけど、次の作品がエンターテインメントとしてこれからも書ける人なのかな、と見られてしまうものだと思ってくださいね。
 リアリティではなくリアルに近すぎるように読めてしまうことの一点として、人数の描写とか、誰と誰が従兄弟だとか、不必要なところを細かく書きすぎていることも挙げられます。それらを書くことに、じゃあどういう意味があるのかということをよく考えてください。意味がなければ、ただ、人間関係がもちゃもちゃして見えるだけになってしまいます。部内で何年生が何人いる、とか、ゲームの結果は1セット目が何点対何点で、と細かく書くのではなくて、「こんなに大人数の部内から一年生なのに抜擢された」とか「大差で負けたのか、僅差で勝ったのか」という読者の興味に答える一文にまとめてほしいと思います。
 かと覚えば、そういうところでは細部のリアルを求める書き方なのに、敵方のお母さんたちの行動が、あまりに紋切型なんですよね。何かと議員の親戚のことを持ち出してきて「教育委員会に言いますから」ですべてを済ますんですけど、いまどきこんな私的なことで教育委員会に圧力をかけるような議員がいたら「週刊誌に言うよ?」と逆に言えば、どうにかなる気もするんです(笑)。現代の読者がどういうものにリアリティを感じるのか、こちらもよく考えてください。実際にどこかの一校だけが頑張った本当の話を書くんじゃなくて、みんなが「学校ってこういう感じだよね」「これぐらいだよね」というさじ加減を、著者の側で見極めていく。それがリアリティを捕まえるということなんだと思います。
 お母さんたちの揉め事って、普通は子どもたちが部活でこんな厭な目に遭って、という子ども同士の揉め事がお母さんたちに波及してくる、ということがママ友関係のいびつさを生んでしまい、子どものことに親が介入しすぎるという問題になってくると思うんですけど、この作品は逆なんですよね。お母さんたちの人間関係がこうなっているから、子どもたちの部活の雰囲気が悪くなって、誰々がいじめに遭う、とか、親の問題が子に波及している。これはかなり異常なことで、その異常性が面白いと思ったからこそ小説の題材にされたと思うんです。だったら、そこをちゃんとスリリングに書きましょう。

 もうひとつ、リアルとリアリティの問題で、どうすればリアリティを持てるか考えたんですが、いくつか、ここの場面を強調して、エピソードとして活かせるようにしなければいけなかったと思うところがありました。最初は、「卓司くんは一年生のくせに、先輩に対して横柄じゃないのかな」と敵方のお母さんから言われるところ。ここで初めて主人公の肉声が出てくるんですが、この段階でもうストーリーが三分の一ほど進んでいる。そこで初めて主人公が喋る、というのは明らかに遅いです。お母さんの揉め事の話であれば、初めての揉め事は原稿用紙5枚以内に出すぐらいの気持ちでいてくださいね。
 思い切ってコミカルな虚構に振り切るにしても、その中の悲喜こもごもにリアリティって反映されるものだし、だからこそ風刺が効いてくるものだと思います。現実に即した感じで書くのであれば、だとしたら、今度は物語に「聖域」を決めてください。お母さんたちの中で、誰までは小説の中で守りたい人なのか、読者に悪く思ってほしくない人は誰までなのか。それを決めて、残りのお母さんたちは、おかしな行動をしてくるモンスターペアレンツで異常な人たちだけれども、この人たちのことだけは読者が感情移入できる存在として守る、という覚悟を決めて書いてほしいんです。そのうえで、物語の「聖域」としてとっておきたい人のことは、異常性を持った人たちとは同じ土俵に上げないでください。「卓司くんは調子に乗ってる」と言われたときに、「いい加減にしてください。なんで親がいがみあうんですか」といきなり返してしまっていますが、こう書くと主人公も同じ土俵で勝負しているように見えてしまう。読者に「物事に介入したい人たちばっかりだ」と思われてしまうと、小説への共感は遠ざかります。良識を見せて防衛しつつ、自分と子供をやんわりと守ろうとするのに、向こうがずっと突っかかってくれば、そこで「こちらはこんなに穏やかに返しているのに、この人おかしいぞ」となって、初めて主人公への共感が生まれるものだと思います。
 同じ土俵で物事に介入したがる人たちばかりだと、何かネット的な、他人のごちゃごちゃだと読者は思ってしまうので、主人公をよく見せたいのであれば、聖域は守るという決意をしていただきたいと思います。

※以上の講評に続き、後半ではデビュー作が書かれるに至った誕生秘話や、憧れの作家との交遊など、池上氏の司会のもとトークショー形式で語っていただきました。その模様は、本サイト内「その人の素顔」にてご覧ください。

【講師プロフィール】
◆辻村深月(つじむら・みづき)氏
 1980年、山梨県笛吹市生まれ。2004年『冷たい校舎の時は止まる』で第31回メフィスト賞を受賞してデビュー。11年『ツナグ』で第32回吉川英治文学新人賞、12年『鍵のない夢を見る』で第147回直木賞、18年『かがみの孤城』で第15回本屋大賞受賞。他に『凍りのくじら』、『名前探しの放課後』、『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』、『オーダーメイド殺人クラブ』、『ハケンアニメ!』、『朝が来る』、『東京會舘とわたし』など著書多数。

●かがみの孤城  (ポプラ社)   ※第15回本屋大賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4591153320/
 
●冷たい校舎の時は止まる (講談社文庫)  ※第31回メフィスト賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4062758229/

●ツナグ   (新潮文庫)    ※第32回吉川英治文学新人賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4101388814/

●鍵のない夢を見る   (文春文庫)   ※第147回直木賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/B010CZB3LC/

●青空と逃げる  (中央公論新社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4120050610/

●凍りのくじら  (講談社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4062762005/

●名前探しの放課後  (講談社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4062767449/

●ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。  (講談社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4062772248/

●オーダーメイド殺人クラブ (集英社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4087453138/

●本日は大安なり   (角川文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4041011825/

●ハケンアニメ! (マガジンハウス文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4838771002/

●朝が来る  (文藝春秋)
https://www.amazon.co.jp//dp/4163902732/

●東京會舘とわたし   (毎日新聞出版)
https://www.amazon.co.jp//dp/4620108219/

● 子どもたちは夜と遊ぶ(講談社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4062760495/

●スロウハイツの神様  (講談社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/B00AJCM2QE/

●盲目的な恋と友情  (新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101388822/

● 噛みあわない会話と、ある過去について (講談社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4065118255/

●家族シアター  (講談社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4062938480/

●島はぼくらと  (講談社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4062934515/

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