「四畳半の私小説を描くことで全宇宙が描けるぐらい、家庭にはありとあらゆることがあると思います」

 第95回は芥川賞作家の吉村萬壱先生をお迎えして、黒木あるじ氏の司会のもと、作品のオリジナリティについての考え方や、生命観、宇宙観にいたるまで、幅広くお話していただきました。

◆真っ先に落とされるのは……/自称傑作ほど実はよくない/作品は捨てないで!

――吉村さんは、徳島の阿波しらさぎ文学賞や、大阪の織田作之助賞(青春賞、U-18賞)の選考委員も務められていらっしゃいますよね。それらの経験も含めて、今回のテキストはいかがでしたか。小説家志望者に対するメッセージなどお聞かせ願えますか。

吉村 小説いうのはね、何を書いてもええと思うんですよ。だから、好きなことを思い切って書いてもらったらそれでええんです。ええんですけど、編集者とか下読みの人が何を真っ先に落とすか聞いたことがあって、それは「おじいちゃんの自慢話」なんです。それから、誰かの完全な真似。村上春樹風、みたいなね(笑)。
 僕も経験があるけど、小説は「うまく書けた!」と思ったときが一番駄目で、それは結局誰かに似てるんです。でもね、最初はそれでもかまわないんです。友人の作家・玄月さんはどんどん偉大な作家の真似をしろというんです。彼もそうしてきたんです。彼が真似をしてきたのはフォークナーですけど。ちょっと偉大過ぎるやろ、みたいな(笑)。
 でもね、彼が言うには、いくら真似しようとしても、フォークナーには絶対になれない。だから、真似をしたところから独自のものが生まれるんですね。そういう方法もある。
 けれども、村上春樹の小説は、真似がしやすく、しかも真似していることがばれやすい、一番危険な領域ですから、絶対に近づかないほうがいいです。

――たしかに、新人賞には流行り廃りがあって、僕より上の世代では村上春樹さんのフォロワーだらけの時代があったらしいんですね。最近は、伊坂幸太郎さんが好きな人がどんどん投稿して来ていた時期もあったと聞いた記憶があります。
 吉村さんのお話で深く頷けたのは「うまく書けた」が一番駄目という部分ですね。僕自身、「これは傑作かもしれんぞ」と思った作品は、読者の反応があまりよろしくなかったことがあります。逆に、ひねって絞りだして、石に刻むようにして書いた、でもそのせいで自信もあまりなかった作品が高く評価されたりします。あれは何なんでしょうね。

吉村 これは若松英輔さんがおっしゃってたんですけど、作家というのは、自分の書いてるものがわからないらしいんですよ。自分が何をやっているのか、わからないままやっている。だから、自己評価ほどあてにならないものはないんです。書き上げて、こんなん全然あかんやんと思ったやつを、しかし捨てないこと。一番いいのは、完成していれば文学賞に送ることですよ。すると下読みや編集者が読んでくれる。自分で駄目だと思っていたのは、今まで読んだどの小説にも似ていなかったからで、読む人が読むと、その作品の革新性を正しく見抜いてくれたりするわけです。

 手前味噌ですけど、僕は『クチュクチュバーン』(文春文庫)というデビュー作を40歳のときに書いて、文學界新人賞に出したんですけど、これは一週間で書いたんです。SFチックな、とても純文学とは思えない、この世の終わりみたいな小説なんですけど、締め切り直前に書き上げて応募したんですね。もうね、自分がこの小説を書いて応募したことすら忘れてしまうぐらい、自分の中ではダメダメやったんです。当時はフロッピーで保存してたんですけど、そのフロッピーすらなくしてしまって。それで、2ヶ月ぐらいして電話がかかってきたんですよ、「最終選考に残りましたから、データを送ってください」いうて。でもフロッピーがあらへん(笑)。すんません、いうて謝って、文字起こししてもらいました。
 そのときに思ったんです。自分で「これは小説ではない」と思うぐらいの作品のほうが、イケてるんちゃうんかと。僕はね、みなさんにこうやってお話するときに、必ず言うのは、絶対に書いたものを捨てないこと。書きかけのものでも捨てない。たとえば、15枚ぐらい書いて嫌になって、ほったらかしにしていたものがあるとしますね。で、30枚の新人賞が、あと3日で締め切りやとする。そうしたら、あと15枚書いたらいけますやんか。
 書いてから2~3年ぐらい経った小説って、自分の作品とは思えないぐらい忘れちゃってて、客観的に読めたりするんですよね。客観的に読むとね、意外といいものもあるんですよ。不思議なことに、未完のものを完成させたい気持ちにもなってくる。これは、プロになってからも通用します。

――僕もそれで何度か窮地を脱しました(笑)。ストックは大事ですよね。

吉村 たとえば、柄じゃないようなものを書いて、10行しか書けなかった作品でも、ぐしゃぐしゃポイじゃなくて、置いておく。それがたとえば200枚の小説になるかもわからないんです。それはね、自分が柄じゃないような切り口から書き始めたからこその成果になるかもわからないんですよ。自分の中から出てきた自分のものですから、他人から取ったものじゃないんですから、存分に利用してやってもらったらええと思います。

◆「いつ書くの? 今でしょ」/生き物で一番偉いのは/宇宙人から見た人類とは

――先ほどの講評にもつながる話ですが、たとえば15枚の作品を30枚なり40枚なりに書き直していくと、視点や考え方も微妙に変わることはありますよね。そのときはうまく書けなかったものが客観的に見えてきたりするし、年齢や経験によっても変わってくるのでは。

吉村 年齢を重ねたからいいものが書ける場合もあるんですけど、たとえば20代のころに書いていたものを、今また書けるかといったら、これは書けないんですよ。いつか書けるようになる、というんじゃなくて、「いつ書くの? 今でしょ」の世界ですよ。今しか書けないものがある。それを今、書けばいい。まあ、言うのは簡単ですけどね。

――なるほど、僕も10年前のデビュー時に書いたものを「いま書け」と言われても難しいような気がします。デビューという言葉でふと思い出したんですが、吉村さんの作品は、デビュー作の「クチュクチュバーン」を筆頭に、『バースト・ゾーン』(ハヤカワ文庫JA)や『怪獣文藝』(メディアファクトリー)に掲載された短篇「別の存在」など、異形というか、人が人の形でなくなる混沌というか、この世の終わりじみた話が多いですよね。

吉村 そうですね。何だろうな、たとえば僕ウサギ飼ってるんですけど、ウサギには今この瞬間しかないんです。未来のこと心配してないし、過去のこと悔やんでないのね。今この瞬間に生きてる。ウサギって本をかじるんですよ。俺は小説を書いていて、本は商売道具みたいなもんやから、かじったらあかんやろ、ってなんぼ言ってもわかんないですね(笑)。あんまり腹立つから頭をぽんと叩くでしょ。叩かれたときはシュンとなるんですけど、次の瞬間にはすり寄ってくる。要するに、犬ほど賢くないのね。記憶が5分しかもたないという説もあるくらいで、15分ぐらい頭を撫でてやっても、5分後には撫でられたこと忘れますから、撫で甲斐がない(笑)。

 これが一般の生物なんやな、と思うんですね。クモっておるでしょ。僕クモが大嫌いなんですけど、認めざるを得ない。なんでかというと、クモの巣をこうやってばーっと破るでしょ。そしたら次に何をやるかというと、クモの巣をまた張り出すんですよ。いや、ここに張ったらまたやられるでしょ、もうちょっと別のところに移すとか考えたらどうや、みたいに思うんですけど、律儀にまた同じようにやる。よう見たら、そのクモの巣がものすごく美しい。このシンプルさが本当の生物の姿なんや、って。
 もっと言うと、生物の中で一番偉いのは植物やと思うんですよ。なぜなら、動物は餌を取るために移動せなあかん。でも植物はまったく移動する必要がない。しかも、土の養分と、太陽の光と、水だけから栄養と酸素を作ってるんです。一番偉いじゃないですか。この世の中、人類がいなくなって300年ぐらい経ったら、地球はもう全部植物ですよ。
 結局何が言いたいかというと、僕ね、最近、太陽の塔の中に入れてもらったんです。一般公開の前に、取材のために入れてもらったんですけど、岡本太郎という人は、人間が全生物の中で一番偉くないと思っていたんですね。あの塔の中には生命の木が立っていて、一番下がアメーバ、原生生物なんですよ。そっから進化していって、アンモナイトとかシーラカンスとか恐竜とか猿とか出てきて、一番上に人類がおるんですけど、一番下のアメーバってね、模型一体がこれぐらい(手を大きく広げる)あるんですよ。上の人類は、これぐらい(手を小さく広げる)しかないんです。人類は万物の霊長とか言うてるけど、本当は全然たいしたことないんやぞ、と岡本太郎は言ってるんですね。
 僕も大賛成です。たとえば宇宙人が地球に来て、人類を見たらどう思うか。人間はね、20世紀の100年間に、人間が人間を1億人以上殺してるんです。戦争やら内戦やら粛清やらで。こんなことをする生物はほかにいないです。しかも自然破壊がすごいでしょ。だからね、地球にやってきた宇宙人は、人類とは共存できないと判断すると思います。恐らく抹殺しようとして攻撃してくるでしょう。ハリウッド映画には、宇宙人が侵略してくるものが少なくありません。たとえば『インデペンデンス・デイ』(1996年米、ローランド・エメリッヒ監督)っていう映画がありましたけど、宇宙からやってきて人類を攻める時点でもう絶対、向こうのほうが強いはずやのに、最後はアメリカ大統領が戦闘機に乗って宇宙船に突っ込んでいって、宇宙船の急所を爆破して「イェー!」ってやるんですよ。ありえへんでしょ。こういう、人類偉いんやぞというお話をね、とにかく破壊したかったですね。

 一番最初に、デビューするより前の36歳のときに、京都大学新聞社新人文学賞という賞を貰いました。「国営巨大浴場の午後」(文春文庫『クチュクチュバーン』所収)という作品なんですけど、要するに宇宙人が攻めてきて、人類をぐしゃぐしゃにして去っていくという話です。ほんで、ものすごく傷ついてしまった、生き残りの人類の一日を描いた作品なんですけど、ラストではまた宇宙人が戻ってくるんですね(笑)。何の救いもないんですけど、選考委員だった数学者の森毅さんと、英文学者の若島正さんが選んでくれたんですね。宇宙人が人間をぐしゃぐしゃにするような話を、一級の知識人が認めるんだ、というのがすごいうれしくて、その後の心の支えになりました。
 人類って何なんだろう、とか、宇宙人から見た人間ってどんなふうに見えてるのかな、というのが、僕のテーマです。

◆四畳半の中に全宇宙がある/「別居のススメ」?/『臣女』と『死の棘』

吉村 僕はね、SFチックな話も好きなんですけど、私小説も好きなんです。貧しくて妻に逃げられて、みたいな話も好んで書きます。四畳半の出来事を通して全宇宙の出来事が描けるぐらい、夫婦とか家族ってありとあらゆることをやっている気がします。表面的には家族の絆とか言いますけど、とくに夫婦なんて他人ですからね、本来、50年も60年もひとつ屋根の下で何事もなく暮らせるわけがないんですよ。
 だから、僕は今、家から歩いて3分ぐらいのところに、仕事場を持ってるんです。この仕事場で寝起きしていて、言うたら別居してるようなもんなんですけど、でも晩御飯は家のほうで食べるし、買い物も一緒に行く。ただ寝るときだけは仕事場のほうに行くんです。なぜなら、僕ら作家って夜中に起きて書くでしょ。夜型やから。でも妻はそうやないから睡眠の邪魔になる。そんで仕事場のほうに移ったんですけど、このぐらいの距離感がね、素晴らしいんですよ。ものすごく仲いいです。

――なぜここで唐突な別居のススメが(笑)。
 さて、家庭と夫婦を描いた作品といえば、『臣女』(徳間文庫)がありますね。これは……僕は本来こういう表現を好まないんですが、「怪作」です。主人公である夫の浮気を疑う奥さんが、どんどん巨大化していって、夫はその世話をするという。……生徒のみなさん、何を言ってるのかわからないという顔をしていますが(笑)。

吉村 要するにね、『死の棘』(新潮文庫)の島尾敏雄という、大好きな作家がいまして。あれは、島尾敏雄が浮気をして、奥さんの島尾ミホにばれて、奥さんは精神を病んで入院してしまうんです。で、島尾敏雄は妻が怖くなって、もう献身的に介護するんです。平蜘蛛のようにはいつくばって、まるで奴隷のように。延々と、妻がいかに私を責め続けるかということが書いてあるんです。でもね、これは本当に素晴らしい純文学やと思います。島尾敏雄は自分に同情しないし、言い訳もしない。ただただ妻の面倒を見る。こういうのを僕も書きたいと思ってね。
 浮気がばれるところまでは、お借りしたんですよ。でも頭がおかしくなるんやったら『死の棘』と同じやから、身体がどんどん大きくなる展開にしようと思って。最終的には5メートルになるんです。メジャーで測りながら「5メートルあったら家から出られへんのちゃうかな」とか考えながら書いたんですけど。
 4メートルぐらいまでは家におったかな。4メートルの女性というのは、ものすごくたくさん食べる。そしてものすごくたくさんウンチをするんですね。それをどう処理するか。近所に知られたらまずい。最初は普通に汲み取り便所に捨ててたんですけど、あまりに多いので汲み取り業者に怪しまれるに違いない、ということで、風呂桶に排泄させて、それを棒でつぶして排水口から外に出すんですけど、うちは大阪のちょっと田舎のほうにあるんでね、排水は側溝に流れるんですよ。するとそれを見つけた近所の小学生が騒ぎ出す、みたいな展開になります。

――設定としてはものすごく突飛なように見えて、社会が抱えている介護の問題へのメタファーにもなっている。それを真正面から「つらいよね」というエクスキューズを持ち出して書くのではなく、あくまで夫と妻の問題として書いている。そのあたりが、島清恋愛文学賞に選ばれた理由でしょうか。

吉村 これが恋愛文学賞を取るとは、夢にも思いませんでしたね。最初はホラー小説を書きたかったんです。この世で最も恐ろしい小説を書いてやろうと。編集者に「吉村さん、この世で一番恐ろしいことって何ですか」って聞かれて、まずひとつは「浮気がばれること」かなと。もうひとつは、身近な人が豹変していく、異形化していくっていうこと。介護の現場ってそうですよね。家族が認知症になったりとか、病気になったりとか。そのふたつを組み合わせたら、この小説になりました。

◆「行き着くところまで行った」作品/小説は煮詰める作業、絵は解放する作業/「人は早く目立とうとするが、それは間違いである」

――では、そろそろ質疑応答に入りたいと思いますが、その前に新刊のお話をうかがいたいと思います。今日、会場で販売している中では『回遊人』(徳間書店)が一番新しいですね。これも夫婦もので、専業作家になって2年経つもののあまり売れずスランプに陥っている小説家が主人公という、読んでいて僕の胃が痛くなるようなシチュエーションです(笑)。彼はとあることから家出するんですが、出奔した先で謎の錠剤を拾い、どうなってもいいやと飲んでみたところ、デビュー前の時代に戻ってしまう……という、いわゆるタイムリープものなんです。ところがそこは吉村萬壱、一筋縄ではいかない。読み終えた後で、幸福とは何か、実存とは何かを考えました。

吉村 良い読者ですね(笑)。

――吉村さんの作品はデビュー作からずっと愛読していますから。他には『虚ろまんてぃっく』(文藝春秋)もいいですね。読み終えると、いい意味で気持ちが沈みます。暗澹たる気分というより、足許がもやもやとぐらつく感じがします。僕の場合、「良いな」と思う小説は読後に決まって価値観がゆらぐんですけど、そんなゆらぎの中でも、非常に上質な価値観の崩壊が味わえます。

吉村 この短編集の中の「家族ゼリー」という小説を書いたときはね、藤野可織さんに「吉村さん、行き着くところまで行きましたね」と言われました。みなさんも、読まないほうがいいかもしれません。あとはね、5月の2日に、絶版になっていた短篇集『ヤイトスエッド』が、徳間文庫から復刊になります。タイトルは「お灸をすえるぞ」という意味の大阪弁なんですけど、これは『虚ろまんてぃっく』よりはまだライトかな。ちょっとは楽しんでもらえると思います。

――それでは、みなさんから質問を募りたいと思います。

女性の受講生 吉村先生は絵もお描きになるとのことですが、小説を書くという創作と、絵を描くという創作はどのようにリンクしているのでしょうか。

吉村 難しい質問やなあ。僕は、小説を書くときは頭の中に映像がなければ書けないんです。どんなシーンでも、具体的な映像を思い浮かべながら書きます。そういう意味ではリンクしてますけど、絵を描くというのと小説を書くというのは、全然違う作業ですね。
 わかりやすく言うと、ラジオを聞きながら小説を書くのは、まず無理です。でも絵を描くときは、なんぼでも聞ける。ラジオでなくても、小説の朗読でも全然大丈夫なんですよ。じゃあ絵はいい加減に描いてるのかというと、手はきちっと仕事するんですよ。あれが不思議でね。たぶん使ってる脳が違うんやと思いますね。
 おしなべて、小説家は早死にですわ。なぜならば、言葉を紡いでいくというのは、ものすごくストレスフルな作業ですから。でも、画家は長生きなんですね。小説家が煮詰めているとすれば、画家っていうのは解放してると思うんですね。小説はこうやって(机に向かってかがむ)書きますが、大きい絵を描くときは全身運動ですしね。
 僕もね、去年あたりから油絵を描いてるんです。展覧会をしたり、グループ展に参加させて貰ったりもしてるんですけど、80歳を越えたら完全に画家になろうかと。早死にしないためにね。瀬戸内先生とかは例外中の例外ですわ。

テキスト提出者 菅弥生さん 作品をハンドリングする力をつけるために、どのようなことを心がければいいのでしょうか。

吉村 普通は、「なに書こう?」っていう感じなんですよ。小説を書こうと思っても、書くことが思いつかない。菅さんの場合は、その段階はもうクリアしてるんじゃないですか。走っていく何かが自分の中にあって、むしろそれを、うまいこと手綱を引き締めて、他人にもわかるような形に持っていくところに課題があるわけでね。すごく幸せな状態にあると思います。
 要するに、初校はもう走り書きで、最後までだーっと書くんです。それを、改めて自分で読んでみたときに「あれ? 意味わかれへん」と思ったら、そこを直す。何段階かに分けたらええと思いますね。一回で全部やってしまおうとしない。ある程度、パン生地やないけど発酵を待つというのかな。発酵せずに腐る場合もあるんですけど、それにこだわっててもしょうがないから、しばらく待って読み返して、アカンと思たらもう次のに行ったほうがいいと思う。いけると思ったら、それを形にしていく作業をしたらいいと思いますね。
 筒井康隆さんがね、下書きしてから清書するというのを、高校生ぐらいのときに知ったんですよ。それまでは、小説家っていうのは、原稿用紙に万年筆で、一発勝負で書くもんやと思い込んでいました。それが、下書きして清書してるってなんや、と思うて、しばらく筒井康隆は読まへんようになったんです。でもね、今ではそれがよくわかる。下書きして、清書したつもりでそれもまた下書きだった、ぐらいの感じです。どんどん減っていくんです。300枚書いたのが50枚ぐらいになっちゃったりする。それを厭わないことですね。300枚が50枚になったとしたら、それは最初から50枚やったんです。
 これは誰の言葉やったかな。カミュの言葉で「人はできるだけ早く目立とうとする。それは間違いである。何度でもやり直さねばならない」というのがあるんです。そういうことでしょうね。

――ということでお送りしてまいりましたが、そろそろ時間的にアウトなようでございますので、本日はこのあたりにしたいと思います。今月の講師は、吉村萬壱先生でした。ありがとうございました。
(場内大拍手)

【講師プロフィール】
◆吉村萬壱(よしむら・まんいち)氏
 1961年、愛媛県松山市生まれ、大阪市育ち。教師のかたわら、2001年に文學界新人賞受賞作「クチュクチュバーン」でデビュー。03年「ハリガネムシ」で第129回芥川賞受賞。「芥川賞の賞味期限は10年しかない」と編集者に言われ、教員を退職し専業作家に。16年、『臣女』で第22回島清恋愛文学賞を受賞する。そのほかの作品に『バースト・ゾーン』『ボラード病』など。独特の作風で純文学とエンターテインメントの垣根を超えた作品を生み出している。今年度より、阿波しらさぎ文学賞選考委員を務める。

●クチュクチュバーン  (文春文庫)  ※文學界新人賞受賞  
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●ハリガネムシ   (文春文庫)   ※芥川賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4167679981/

●臣女   (徳間文庫)  ※島清恋愛文学賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4198941491/

●バーストゾーン  (ハヤカワ文庫JA)
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●ボラード病  (文春文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4167907895/

●虚ろまんてぃっく  (文春e-book)
https://www.amazon.co.jp//dp/B015H33NQM/

●ヤイトスエッド   (徳間文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4198943532/

●独居45   (文藝春秋社)
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●うつぼのひとりごと  「亜紀書房」
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●回游人  (徳間書店)
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●生きていくうえで、かけがえのないこと  (亜紀書房)
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●流しの下のうーちゃん  (文春e-book)
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