「小説家になったときに、最初に捨てなきゃいけないものは、自己満足なんです。ここは覚悟してください」

 第94回は京極夏彦氏をお迎えして、「プロット」の構造と「あらすじ」との違いや、職業作家としての心構えなどについてお話していただきました。

◆「プロット」と「あらすじ」/プロットの多次元構造/多重構造を読む仕事とは

――というわけで3本のテキスト講評が終わりました。私は司会のはずなんですが、ここまで出番がありませんでした(笑)。

京極 いやいや、板書をしていただいたので、たいへん助かりました。黒木あるじ先生の美しい字を、みなさまの目に焼き付けておいていただきたいものですね(笑)。

――今回は、私もいろいろお話する予定だったのですが、いつもの講座とは、真逆とは言わないまでもかなり違う路線に進んだので、すべて意味がなくなってしまいました。プロットの作り方だとか、いろいろあったのですが。

京極 プロットの問題については、僕も言いたいことがないわけではないですね。
 聞けば一部の編集者は「プロットを見せろ」と、よく言うようですが。で、プロットの段階で可否を判断したりするという。それは……馬鹿なんじゃないか、と思いますけどね。プロットで何がわかるんでしょうか。そもそも、文章で簡単に書けちゃうプロットなんて、設計図でいえばフリーハンドの平面図程度のものですから、何もわかりませんよ。
 あのね、「プロット」と「あらすじ」を間違えている人が多いんです。あらすじはプロットじゃないんですよね。あらすじ、というのはストーリーの短縮でしょう? つまり物語ですよ。プロット、というのは物語の見せ方、構造の問題でしょう? 全然違うじゃないですか。プロットというのは設計図ですよね。百階建てのビルの平面図を見て、完成したビルの善し悪しまでわかるってどんだけ超能力者ですか。立面図すらないんですよ。しかも小説の構造というのは多次元的なものですから、建物の設計図よりうんと複雑です。せめて三次元構造くらいにしないと(両手で縦と横の流れを示す)わかりませんよ。平面に文章で書けちゃうプロットなんて、面白くもなんともないはずです。
 基本的に小説は多次元的な構造を持ったプロットで成立しています。これは紙にぺろっと書けるものではないです。頭の中ではできていても、簡単に出力はできません。三次元にプロジェクションマッピングなんかで示せば多少近くなるかもしれないけど、いちいち作家が「ちょっとそこにプロジェクションマッピングしますから」とか言って編集者に説明しますか? そんな機械を買ってるお金があったら、小説なんか書いてないですし、それでなる程とわかる有能な編集者だったら、たぶんそんなもの見せなくたってわかります。
 現在プロットといわれているのは、複雑な思考過程を簡略化して「こういうものができる予定です」と示す企画書のことのようですね。作品の構想を編集者にプレゼンするわけでしょう。編集者は、作家の企画意図を理解するために、企画書に書かれている以上のことをちゃんと読み取るべきですね。それができなきゃ編集者じゃないですよね。編集者って「編集」する人なわけだから、構造からディテールまでを理解したうえで、効率化したり最適化したりする提案をするのが役割なんじゃないんですかね。
 ところがですね、上がってきたものを見てね、「俺の担当作家は最近ダメなんだよ。中坊男子主人公のハーレムものってさあ、もう去年の流行りだろ、ボツ」なんて、何を言ってるんだお前は、というか。そういうことやってるからラノベは駄目になっちゃったんですよ。

 多次元的なプロットを平面に出力する場合、一番簡単なのは作品にしてしまうことなんだけれども、どうしても紙に書いて出せというのであれば、一作品につき何十、何百ものプロットを書く羽目になりますね。たぶん、執筆の数百倍の時間がかかる。そのうえ、それをマルセル・デュシャンの「大ガラス」のように重ねて見る能力がなければ、総体は理解できないでしょう。しかもレイヤーは何十何百も重なってる。そうやって三次元に落とし込んだところで多重なプロットを総括的に理解するのは難しいんだけど、作品の方はその三次元モデルでさえ表現できないものになっちゃうわけですよ。小説というのは、本当はそういう形ででき上がっているんです。

◆本当の「伏線」/才能なんて「ならせば普通」/編集者と作家のコミュ力

京極 たったひとつの文字が、まったく別な意味を持っている場合もあるんですね。これはストーリーとは関係ないんです。文字の並び自体に意味がある場合もあるんですよ。改行に意味がある場合もある。表層に流れているストーリー以外のストーリーが、裏で進行している場合もある。それは読者に知らしめる必要はないんです。でも、読者がそこに感づく仕掛けを施しておかなければいけない。それが本当の「伏線」ですね。
 ミステリ的な仕掛けだけが伏線じゃないんですよ。たとえば頭からお尻まで、執拗に同じ言葉が繰り返される。その言葉が何を表すかは、そのステージによってまったく違っているわけで、読む方はそこに目をくらまされてしまうんだけど、通読後、無意識のうちに全然違うものが見えてるじゃん、みたいなこともできるわけで。
 これはね、書いてれば考えつくことなんですよ。でも、プロットに書けと言われても絶対に書けないですね。

――作品でしか書けない、ということですか。

京極 そうですね。作品でしか表わせないことです。だから、プロットを書くぐらいなら小説を書いちゃったほうがいいんと思うんですけどね。作品を読ませて、じゃあこの作品のプロットをお前が書いてみろ、と編集者に言ってやればいいんです。「書けません」って言いますから。中にはあらすじすら書けない人もいますからね。
 だいたい僕の小説は、誰もあらすじが書けないんですよ(場内笑)。
 よくね、作品にあらすじをつけてくださいとか言われるじゃないですか。でもね、僕は自分でも書けないから、書かないです。書いたことがない。
 僕はデビューしてから25年、もう四半世紀もこんな商売をしているんですね、恥ずかしげもなく。だけど、この25年の間、取材に行ったこともないし、プロットを書いたこともないです。でもなんとかなるんですよ。「それはお前が特別に変だからだろ」みたいなことを言う人もいるかもしれませんが、そんなことないんですよ。さっきも言いましたけど、小説は誰でも書けるんです。犬でも書ける、って言いましたでしょう? 僕が生き証人です。
 僕はまったく勉強してないんですよ。学歴もないですし、小説の修業なんてまったくしてない。「そりゃ君は才能があったんだろうサ」みたいなことを言う人もいるんだけど、そんなことないです。人間の才能なんてみんな同じようなもんですよ。多少デコボコしているぐらいで、ならせばみんな普通です。
 ……ならせば普通、っていい言葉ですよね(場内笑)。まあ、だいたいおんなじなんですよ。なんとかなるんです。ただ、なんとかなるんだけど、ならないと思っている人が多いだけです。なんとかならないことなんかないです。
 いいですか、編集者は絶対だ、なんてことはないでしょう。でも全部ダメということもない。要は、担当についた編集者と、どれだけきちんとしたコミュニケーションがとれているかという問題なんです。信頼しろとはいいませんが、職分をきっちり分けて、互いにちゃんと仕事できる関係性だけは築かないと。
 昨今ね、編集者不要論的な、不穏な意見を耳にします。小説家より漫画家さんのほうが深刻な状況のようですけど、編集が駄目だ、役に立たない、むしろマイナスという話題が聞こえて来ます。たしかにそうなのかもしれないです。硬直した編集者がマニュアル通りの仕事しかしないというのは、これは困りますね。でも、ナントカとハサミは使いようとも言いますし、世の中役に立たないものなんかないです。基本的には互いにきちんとコミュニケーションがとれていればなんとかなる。作家は一人仕事ですが、一人で作れるのは素材としてのテキストだけ。二人三脚で、あるいはチームワークで、それぞれの職分を弁えてものを作っていくというのが仕事の基本です。商業作家というのは、職業小説家というのはそういうものであるはずです。

◆最低でも4人はパスして出る/京極流執筆モチベーション/〈ニ〉に見せかけた〈ホ〉もできる

京極 私がいいと思ったからいいの、という場合、対象読者は自分だけです。だけど最初に言ったように、そういうものでも、大勢が喜ぶ場合もあるんです。そういう場合もあるし、そうでない場合もある。そうでない場合に喜んでるのは書いたやつだけなんですね。でも、少なくとも職業小説家になったならば、編集者ぐらいは喜ばせないといかん。ファースト読者ですからね。
 いいですか、出版される本というのは、書いた人が読んでいます。編集者が読んでいます。校閲さんが読んでいます。それから、中には読まないで作ってしまう不埒者もいますけど、装幀家も読んでいます。最低4人はパスしている。いいですか、4人のうちひとりでも「これは駄目だ、面白くない」と思ったら、その本はなかなか出せないですよ。ということは、出版されている本を読んで、面白くないなと感じたら読者は、その4人よりも理解力が劣っているか、センスが異なっているかということになるんです。
 そうなんですよ、どんな本であっても、少なくとも作るのに関わっている人は、面白いと思って、あるいは役に立つと思って出しているわけですから。だから、そういう心持ちで読みましょうよ。そういう心持ちで読んでもらえるような作品を書きましょうよ。
 自分だけ嬉しいというので完結するんだったら、別に家にこもって書いて読んでしていればいいんです。楽しいでしょう。自分用小説を書いて満足して、自分で読み返しては「面白いね!」っていうの。ものすごい自己完結で、超幸せですよ。でも、なかなかそうはいきませんね。またここで表を出しますが、

■現状
 A  小説が書いてみたい
 A´   小説家になりたい
 B  小説を書くのが面白い
 C  なかなか小説家になれない
 D  小説家です

■動機
 1 模倣
 2 渇望
 3 自己顕示
 4 承認欲求
 5 生活苦
 6 学究

■対象
 イ 自分
 ロ 知人
 ハ 同人
 ニ 好意的な読者
 ホ 不特定多数

 小説を書く動機には、3の「自己顕示」、4の「承認欲求」がありますから。
 僕の場合はね、2,3,4はほとんどないんです。主に5なんですね。賞とかにも興味はない。もらうとスタッフが喜ぶし、喜んでいるスタッフの顔を見るのが楽しいから、くれるもんはもらいますけど。あと賞金がありますからね。別に、賞はやらないけどお金だけやるよと言われたら、喜んでもらいます。そのほうがいいな(場内笑)。

――そういうことはなかなかないと思いますけれども(笑)。

京極 なかなかないでしょうけどねえ。そういうね、いわゆる名誉欲的なものは僕にはまったくないんです。生活できればいいんです。だから、対象は本来的には〈ホ〉を目指すべきなのに、最近は〈ニ〉でいいよ〈ニ〉で、と言われる。でもね、さっきも言いましたけど、プロットには裏がある。裏の裏もある。裏の裏の裏もある。だから、〈ニ〉に特化したように見せかけて〈ハ〉、実は〈ロ〉なんてこともできるとは思うんですけどね。
 いや、できるんですよ、そんなことはいくらでもできるんです。ファンの人だけが喜ぶような小説を書いたと思わせておいて、それ以外にウケるかも、みたいな。そういう仕掛けをすることは、いくらでもできるはずです。

◆普遍的な娯楽小説に、果敢に挑んでほしい/タイトルは商品名になる/自分を犠牲にして書くということ

京極 だから、果敢に挑んでほしいですね。不特定多数の読者に向けた、普遍的な娯楽小説。デカいですねえ。普遍的な娯楽小説というのは、たぶん翻訳しても面白いです。翻訳して面白いということは、海外でもウケるかもしれない。海外でもウケるということはですね、市場が非常に広くなるということですね。市場が広くなるということは、フトコロも潤うということです。
 いいですか、本当に職業小説家になりたいという人はね、商売でやってるということを忘れないでほしいですね。
 短篇ならいいんですけど、長篇の新人賞に応募される場合は、タイトルがそのまま書名になるわけです。つまり、お菓子でいえば「コアラのマーチ」とか「きのこの山」とかいうのと同じですよ。なのに、お前こういうのはないだろう、みたいなタイトルをつけてくる人が結構いるんです。自覚がないんですね。自分の書いた本が商品になって、いくばくかの対価をいただいて顧客に提供されて、読んでいただくのだという自覚がないんです。ここは、小説家になりたいという〈C〉や〈A´〉の方は、忘れないでいただきたい。
 ときには、〈イ〉つまり読者としての自分を犠牲にしなきゃいけなくなる。自分はちっとも面白いと思わないんだけど、これでいいんだ、ということもある。そうなんですよ。書きたいものがあるから書くんだ、という状態じゃなくなっちゃうことがある。
 というか、僕は別に何も書きたくないんですよ。書きたいものなんかないんです。けれども依頼されるから、書けるものを書くだけなんです。仕事ですから。
 僕の場合は、書いている間は楽しくも面白くもなんともないです。そういう商売なんですよ。いや、疑われるけど本当にそうなんです。もしかしたら、「小説を書くのが面白い」の〈B〉、知人に読ませる〈ロ〉ぐらいで終わらせておくのがね、実は幸せだというケースだって、いっぱいあると思うんですよ。そうでない作家の人もいるんでしょうけど、それは幸福なパターンだと思いますね。
 たとえば、売れてしまえば売れてしまっただけ、その縛りはきつくなりますからね。売れなければどうにもなりませんけど、売れたら、同じように売れるものを書いてくれと言われるんです。そうするとね、〈ニ〉を大事にしましょうとか、今度はでかく〈ホ〉を狙いましょう、とか、そういうことになるわけで、その場合、何を犠牲にするかといったら、〈イ〉あるいは〈ロ〉です。それは自明の理ですね。

――〈ロ〉もですか?

京極 そうですよ。だって、たとえば官能小説として評価されてしまったような場合、いやあお父さんには読ませられないわ(場内笑)、みたいなことになるでしょう。別なケースもありますよ。知ってる人には自分の書いてるものを読まれたくないとか。そういうところで評価されてウケているわけ。でもあなたはウケているんだからそっちで書いてください、と依頼されたら、それは書くでしょう、商売なんだから。この道を選んだんだから仕方ないことです。いつまでも自分の書きたいものを書きたいように書いて、楽しくてしょうがないけど小説家になって儲けたい、なんて思っている人がいるとしたら、たぶんそれは無理です。何かは捨てなければいけないんです。

◆断捨離は思考停止、だけど捨てなきゃいけないものもある/自由闊達に、クオリティを上げつつ書く/きっかけは何でもいい。あなたのきっかけになれればうれしい

京極 あのですね、僕は、断捨離は全否定します。断捨離というのは思考停止ですからね。どんなものでもきちんと整理整頓すれば、格納もできるし陳列もできるんです。ただ捨てるというのは、何も考えてないわけで。整理整頓は人が人である証しで、断捨離はその放棄です。断捨離してはいけません。でも、整理整頓した上で不必要となれば捨てるべきです。人生においては捨てなきゃいけないものもいくつかはあるでしょう。
 職業小説家になって、最初に捨てなきゃいけないものは、自己満足です。ここは覚悟してください。どうしても捨てられないというなら、そりゃもう、ありとあらゆる工夫をしなきゃならない。表面上はわからない形で盛り込むことは可能です。
 ほら、さっき言った通り、プロットは多重構造ですから。できないことはない。そのための整理整頓ですからね。断捨離はいかんというのはそういうことで。でも、結構大変なんですよ、捨てずになんでも持ち続けるというのは。執念と努力と技術と時間がかかりますから、仕事としては非効率的なものになるでしょうね。
 ただ、自己満足の部分を捨ててしまっても、書くこと自体が楽しいという人もいるんですね。私はこんなものが書きたいとか、こんなことがやりたいとか、そういうことは一切思わないけど、書くことが大好きという人が存在するんです。幸せな人ですねえ。それは楽しいでしょう。

――たしかに、そういう方もいらっしゃいますね。

京極 います。わりと勘違いかもとは思いますけどね(場内笑)。
 かくも厳しき部分があるんですけど、ここで先ほどの話に戻ります。
 そうだとしても、小説は誰にでも書けるものですし、何をどう書いても許されるものなんです。こんなふうに書かなきゃいけないとか、これだけは書いちゃいけないとか、これはお約束だからやめましょうとか、そういうのは一切ないです。自由闊達に書いてください。お約束なんかはもう、全然気にする必要はない。そのかわり、自分が目指す方向をきちんと見極めてブラッシュアップしていくという作業は怠ってはいけません。そうやってクオリティを上げていくことこそが、日本の出版文化の繁栄に……最終的にはつながるんですよ黒木さん。

――こ、ここで僕ですか。

京極 わかりますか? 怪談実話ばっかり書いて天狗になってちゃいかんのですよ?

――最近は別なものも書いておりまして(汗)。精進いたします。

京極 私は期待しているんですからね。結構前から期待してるんですけどね、この人はまたね、ものすごい勢いで期待を裏切るんですよ(場内笑)。でもあなたはもう単著も出てるし、今度は怪談実話じゃない、小説誌に連載したものが本になりますよね。そういうステップアップを、まあアップかどうかはわからないけど、アップというと怪談に失礼だとも思うけれども、少なくとも違うフィールドに踏み込んだわけでしょ。こうやって活躍の場をどんどん広げていくというのはね、大事なことですね。
 そのために、何でも糧にしてやろう、「俺は怪談で平山夢明にブンまわし賞をもらってデビューしたけどさ、あいつを踏み台にしてどんどん上へ昇ってやろう。平山を踏み殺してやろう!」みたいな、そういう気持ちでしょ?(場内爆笑)

 いいんです、それで。きっかけは何でもいいんです。どんな小さいことでも足がかりはあるんです。私のような、小説家を目指したこともないつまらない男の駄弁でも、何かのきっかけにはなるかもしれません。これをきっかけにして世の中に出ていったり、作品を書くのが面白くなったり、また、すばらしい作品をものして誰かに評価されることがあれば、たいへんうれしいことです。

――さすが、お話の持っていきかたがうまいですね。

京極 25年もやってるんだから(笑)。

――いつもとはかなり違う、イレギュラーな構成になりましたが、みなさんにはご満足いただける内容になったのではないかと思います。ではそろそろ時間となりました。今日はありがとうございました。
(場内大拍手)

【講師プロフィール】
◆京極夏彦(きょうごく・なつひこ)氏
 1963年、北海道小樽市生まれ。94年『姑獲鳥の夏』で衝撃的なデビューを飾る。96年『魍魎の匣』で第49回日本推理作家協会賞長編部門、97年『嗤う伊右衛門』で第25回泉鏡花賞、2003年『覘き小平次』で第16回山本周五郎賞、04年『後巷説百物語』で第130回直木賞、11年『西巷説百物語』で第24回柴田錬三郎賞を受賞。その他に『鉄鼠の檻』(97年度本格ミステリーベスト10第1位)『絡新婦の理』(同第2位)等。山田風太郎賞選考委員、吉川英治文学新人賞選考委員を務める。おばけ友の会代表代行。

姑獲鳥の夏  (講談社文庫)
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魍魎の匣  (講談社文庫)  ※第49回日本推理作家協会賞長編部門受賞
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嗤う伊右衛門  (中公文庫)  ※第25回泉鏡花賞受賞
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覘き小平次  (中公文庫)  ※第16回山本周五郎賞受賞
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後巷説百物語   (角川文庫)   ※第130回直木賞受賞
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西巷説百物語   (角川文庫)   ※第24回柴田錬三郎賞受賞
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鉄鼠の檻  (講談社文庫)  ※97年度本格ミステリーベスト10第1位
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絡新婦の理  (講談社文庫)   ※97年度本格ミステリーベスト10第2位
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書楼弔堂 炎昼 
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