「小説は誰でも書けるし、何を書いてもいいんです。もっと自由でいいんですけど、でもどうでもいいというものではない。現状・動機・対象により、アドバイスは変わってきます。という話を、これからいたしましょう」

 3月の講師には、京極夏彦(きょうごく・なつひこ)氏をお迎えした。
 1963年北海道生まれ。1994年『姑獲鳥の夏』でデビューし、以後多くのヒット作を次々に発表。ミステリ・ホラー・怪談・妖怪小説など、ジャンルを飛び越えて読者の絶大な支持を得る。現代のエンターテインメント小説を代表する作家のひとりである。
 
 満員の会場に、司会の黒木あるじ氏(本講座出身作家)に先導されて京極氏が入場すると、大きな拍手が起こった。黒木氏のあいさつに続いて京極氏がマイクを取り、講座が始まった。

※今回は特別構成として、第1部ではまず、テキスト講評にさきがけ、京極氏のお話をお届けする。

◆京極氏のお話

 みなさんこんにちは。
 私は、小説家になりたいと思ったことは一度もなく、小説家になるために勉強したことも一度もなく、小説家になってよかったなと思ったことも、一度もありません。したがって、こういう講座等にふさわしい人間ではないので、あまりお引き受けしていないのですが、今回は乞われて出てまいりました。ただ、そういう人間の話すことですから、ほとんど参考にはならないと思います。それはご承知おきください。
 もうひとつ、講評に入る前に言っておきたいことがあるのですが、小説というのはですね、誰でも書けます。字を知っていれば、犬でも書けるかもしれません。年齢とか職業とか学歴とか適性とか、まったく関係ありません。誰でも書けます。和歌や漢詩や、短歌や俳句、そういうものと違って、制約決めごとは一切ありません。何を書いてもいいものですし、どのように書いてもいいものです。ですからやっぱり、誰にでも書けるのです。
「いやいや書きゃいいってもんじゃないだろう」とお考えの方もたくさんいると思いますが、「書きゃいいってもん」なんです。でも小説というのはですね、書いただけでは完成しないんですね。小説は読まれることを前提に書かれるものです。したがって、読む人がいなければ小説は小説として成立しないんです。
茶道というものがありますね。これは、主と客で成立しています。主のほうは、おもてなしをします。客は、もてなされる役をやります。茶席はホストとゲストの契約で成り立っているんですね。客のほうにもてなされる気持ちがなければ、お茶の席は成立しないんです。最近ではですね、三波春夫先生が「お客様は神様です」などという格言を遺してくださったばっかりに、「客のほうが偉い」「お金を払っているのだから、客は神様だ」というような風潮がまかり通っていますけれども、これは間違いですね。お客様はたしかにお金を払ってくださいますが、それと等しい、あるいはそれ以上の品物やサービスを、売るほうは提供しているはずです。売買契約というのは等価交換です。いや、下手をするとお店のほうが損をしていることもあり得ます。お客様は別に偉くないのです。かといって売るほうが偉いわけでもないですよ。これは偉い偉くないの問題ではないんです。売る方と買う方は対等なんですね。
読書というものは、能動的な作業です。読むほうが目で字を追うという作業をしない限り、本は読めないのです。ということはですね、読者のそうした努力がない限り、小説は完成しないということですね。小説というのは、作者と読者の共犯によって成立しているものなんです。
それを踏まえて言います。どんな小説でも、どんな小説でもですよ、読めば面白いんですね。これは間違いないことです。イヤ、そんなことないだろうと思っていますね? 過去に読んだ小説で面白くないものもあったぞ、と思っている方もいらっしゃるでしょう。そうでしょうね。でも、面白くなかったなら、読んだ自分が悪かったと思いましょう。読む方に読み解く力がなかっただけなんです。客として、もてなされる覚悟ができていなかったんですね。読む以上は、面白がって読まなければいけないんです。
さて、先ほど小説は誰でも書けると言いましたけど、これは本当にそうです。そしてどんな人がどんな動機でどんなふうに書いたものでも、ちゃんと読めば面白いんです。それはどうしても信じられないというなら、面白く読める「可能性」があるんだと言い替えましょう。

フランスのラスコー洞窟に、石器時代の壁画がありますね。あれは考古学的な価値以外にも、芸術的な価値があるとされます。芸術として高い評価を得ているわけです。あれ、有史以前のどっかの親爺が描いたんですね。ほんとに親爺かどうかは知りませんが、親爺だとして、描いた親爺は、何百年も何千年も経ってから芸術として賞賛されると思って描いたんでしょうか? 違うでしょうね。まあ、なにか理由があって描いたんでしょうけど、そんな未来の栄光は親爺には考えつかない。見た人が感動したからそうなったんです。勝手に芸術にしたのは見たほうですね。同じことです。誰がいつ、どんなふうに書いたものでも、面白く読もうとする努力さえあれば、だいたい面白いもんなんです。
小説を書かれてる人は、だいぶ気が楽になってきたんじゃないでしょうか。
誰にでも書ける、何を書いてもいい、どんなものでも面白い、面白くないなら読む方が悪いと言っているわけですから、本当ならまあ楽勝ですね。
いや、本当なんですけども、「じゃあ何でもいいじゃん」みたいに考える人が多いかと思いますが、そういうわけにはいかないんですね。
茶会というのは、もてなすほうが主催です。いくらお客さんが飲む気満々でも、お茶は点てられなくては飲めないですね。当然ですが、小説も書かれないと読めないんです。読者と作者は対等な関係にあるんですけれども、それでも作者の「書く」という行為がなければ、この関係は成立しません。
では、小説はなぜ書かれるのか。ラスコー洞窟の親爺はなぜ壁画を描いたのか。そこが今回のお話の肝になります。
ここで、黒木さんにちょっと板書をしていただきます。
(ホワイトボードに線を引いて三分割し、一つめに以下の項目を書き込む)


■現状
 A  小説が書いてみたい
 A´   小説家になりたい
 B  小説を書くのが面白い
 C  なかなか小説家になれない
 D  小説家です

 これは同じようで全然違うんですね。
〈A〉の〈小説が書いてみたい〉という人は、小説を書いたことがない、あるいは今はまだ書けてないと思っている人です。書いていたとしても、それが小説になっているかどうか本人にはわからないという人ですね。
〈B〉は、自分が書いているものは小説だという認識は持っていますね。書くのが面白いというんだから、そうなんでしょう。
〈A´〉が、なぜBの下じゃなくて上にあるのかというと、最近は「小説なんか読んだことがない、もちろん書いたこともないけど小説家になりたい」という人がいっぱいいるからです。「一行も書いたことがない、今後も読む気はないけれど、小説家にはなりたい」そういう人がいるんですね。これ、無謀な感じがしますよね。無謀な感じはしますけれども、さっきも言ったように小説は誰でも書けますから、意外とイケるんです。それで、なっちゃったりする人だっているんです。
〈C〉は、小説をきちんと書いていて、小説家になろうとする努力をしている人です。努力はしていますが、なかなかなれない。いや、小説を書いてるならもう小説家だろとも思うわけですが、じゃあ何になかなかなれないのかというと、職業作家になれないということみたいですね。商業出版ができないということでしょう。ただ、現状、出版形式も多様化していますから、これは「出版社から商品を出す」ということに限った話ではないようです。たとえば自費出版も、同人誌もある。ネット上で発表することもできる。その場合は、たくさんのアクセス数が得られないとか、いい評価が得られないとか、そういうことのようですね。
〈D〉の〈小説家です〉、これはもう自分でそう言っているのですから、他人が口を挿むようなことじゃありません。そうなんでしょう。
だいたい皆さん、どこかに当てはまるものと思います。自分はどこにも当てはまりませんねえ、という方は、ここにはいないと思います。
では次の欄を書き込んでください。今度は「動機」についてです。

■動機
 1 模倣
 2 渇望
 3 自己顕示
 4 承認欲求
 5 生活苦
 6 学究


〈1〉の〈模倣〉、これはパクるという意味ではないですね。好きな作家さんの文体を真似してみたい、同じような表現を使って何か書いてみたい、という人はたくさんいると思いますし、おおむね創作というものは模倣から始まるものでもありますので、これは悪いことではありません。模倣を続けているうちに模倣は模倣でなくなります。真面目に模倣すればするほど、だいたいオリジナルになっちゃいますから、これは問題ないです。真似したい、というのは立派な動機になります。
〈2〉の〈渇望〉は、自分が読みたいものがないから書くという人で、意外にいます。既存の作品の中に、自分の読みたいものがない。こういうものが読みたいのにない。だから書く、ということですね。あるいは、いわゆる二次創作なんかもこれに近いところがあるかもしれません。自分が読んでいる小説のキャラクターに、あんなことやこんなことをさせてみたい、こんな続きを作ってみました、その手の二次創作も、「渇望」という動機に近いかもしれません。
〈3〉の〈自己顕示〉、これは「私はこんな人間です」「アタシってこんな人だし」「儂はこのように生きてきたのじゃ」「僕はこう考える」、とにかく自分を世間に対して知らしめたいという欲求です。自己顕示のために小説を書く、これはちょっとどうか、と思われるかたもいらっしゃるでしょうけど、動機としてはアリでしょう。決していけないことではありません。
〈4〉の〈承認欲求〉。これは3と似ていますけど、ちょっと違います。私はこういう人だ、といって主張するわけではないんですね。認めてもらいたいんです。「いい子だね、よくできたね、やればできる子だね、あなたすごいね、かっこいいね、賢いね、素晴らしいね」と言ってほしいという気持ちですね。この欲求が強すぎるとしくじることが多いわけですけど、どなたでも少しは持っているでしょうから。これもアリです。
〈5〉の〈生活苦〉。これはですね、就職できなくて、堅気の仕事では食えなくて、作家ぐらいしかできる仕事がない、というような人です。これはもう仕事でやっているわけですから、ほかの動機はない。お金がほしいだけですね。
 おおむねこの5つにあてはまるように思いますが、〈6〉のような人もいます。〈学究〉というのはあんまり的を射た言葉ではないんですが、まあこれ、全部今思いついたことなので勘弁してください。これは「文学的実験をしてみたい」とか、「言語や文字を使って新しい表現形式を生み出したい」とか、「芸術的運動の一環」とか、そういう欲求を持っている人です。あまり多くないのかもしれませんが、確実にいらっしゃると思います。
 では次は、もっとわかりやすく「対象」の欄を作りましょう。誰に対して書いているのか、対象としている読者は何者か、という区分です。

■対象
 イ 自分
 ロ 知人
 ハ 同人
 ニ 好意的な読者
 ホ 不特定多数

〈イ〉、これはわかりますね? 自分が良ければいいんです。自分が満足できればかまわない。これは立派なことです。何も悪いことではありません。自分で書くんですから、自分で読んで面白いな、俺スゴイな、と思って完結しちゃう分には、何も問題ないんです。これはアリですね。ただ、自分という読者のハードルは意外に高いんです。思いどおりに書けないというような場合、障害になっているのはほぼこの〈自分〉だったりします。
〈ロ〉の〈知人〉、これは知っている人に向けて書いている、ということですね。顔見知り、友達、お父さんお母さん、兄弟、親戚、となりのおじさん、誰でもいいです。知っている人に向けて書くんですから、リサーチは万全です。その人が喜ぶようなことを書けば、だいたい喜んでくれます。内輪向けだって好い作品は書けますし、普遍性を持たせることも可能ですから、これもOKです。
〈ハ〉の〈同人〉というのは、志や趣味嗜好を同じくしている人に読んでもらいたいということですね。平たく言えば同人誌なんかのことです。これは商業出版とは言えないかもしれませんけれども、少なくとも、自分が知らない人でも、同じ趣味嗜好を持っている人たちであれば、読んでくれる、買ってくれることがあるわけですね。たとえばコミケのようなステージなら商売にもなります。顔も素性も知らなくても、同じようなことを考えたり、同じものが好きだったりする人にとっては充分に商品価値のある作品になる可能性があるわけですから、〈同人〉向けという書き方もアリでしょう。
〈ニ〉の〈好意的な読者〉、これはもう完全に商業出版されて以降に発生する対象、ということになりますね。お金を出して買ってくれた人です。お金を出して買ってくれた人でも、さっき申し上げたように、読み解くことのできない人は一定数います。そういう人は、次は買ってくれません。でも、読み解いてくれた人は、次も買ってくれるかもしれない。つまり、〈好意的な読者〉です。読書という能動的な行為をですね、わざわざお金を払って、買ってまでしてくれる、ありがたい人たち。その人たちに向けて書く。これは大いにアリですね。
 最後の〈ホ〉は、〈不特定多数〉。これは、読書に興味のない人までをも含めて、すべての他者を対象にしています。これは難しいんですね。出版社というのは商売でやっているわけですから、基本的にはこの〈ホ〉が好ましい。そうですね? 読者層の拡大、購買層の拡大、部数の拡大、収益の拡大。これはもう当たり前に目指すべきことでしょう。商売でやっているんですから。しかし、これはかなり難易度が高いわけです。なので、だいたいは〈ニ〉と〈ホ〉の間ぐらいでやっていくことになるでしょうね。

 これらは、どれが良くてどれが悪いということではないんです。こういうふうに分けられます、と言っているだけです。たとえば、さっき言ったようにどんな小説でも面白いわけですから、自分に向けて書いた自分だけの作品であっても、第三者が読んで高く評価をしちゃう場合もあるんです。
 たとえば、「小説が書いてみたい、でも書いたことがないからどうやって書けばいいのかわからない、けど、ちょっと書いてみました」というような作品が、大傑作となる可能性だってあるんです。ラスコー洞窟と一緒です。「ちょっと牛でも描いてみようかな」程度で描かれた絵であってもですね。それを落書きと取るか芸術と取るかは、受け取る側の問題ですから。書くほうがどんな動機を持っていたって、それは関係ないことですね。
 小説に関わっている人は、この3種の分類を組み合わせた、どこかにはあてはまることでしょう。
 なぜこんなアホみたいな分類をしたかというと、この中のどこにあてはまる人なのかで、アドバイスの内容が大きく変わっちゃうからです。「俺は自分が好きだと思うものだけを書きたいんだ」という人に、「お前それじゃ売れないよ」と助言するのはおかしいでしょう。「イヤ別に売りたくないし」と言われるだけですね。一方で、「小説を書くのが面白いんだよ」という人に、「お前ヘタだから書くなよ」と言うのもおかしいでしょう。アドバイスの仕方、あるいは手を入れる部分というのは、この分類のどこにあてはまるかで全然違ってくるはずです。これを一緒くたにしてはいけませんね。どんな素晴しいアドバイスも余計なお世話になっちゃいます。そこはちゃんと整理しないといけませんね。
 いいですか、何度も言いますが、だいたいどんな小説でも面白いんです。面白いんですけども、だいたいどんな小説も、駄目なんです。名作にも傑作にも駄目なところはいっぱいあるんです。つまり駄目だから面白くない、ということはないということですね。
 とある傑作漫画を実写化した某映画作品がありまして、仮に『D』としますが、これが巷の評判が著しく悪い。原作者が試写で怒って帰っちゃったというぐらい大変なことになっているんですが、これがすごい映画で、駄目なんだけど、面白いんですね。この間、拙宅に日本ホラー大賞受賞作家の澤村伊智君が遊びに来まして、「『D』観たことないッスよ」というんで一緒に観賞したんですが、最初から最後まで、休む間もなく大爆笑です。「もう一回観たいッス!」っていうぐらい、面白い映画でしたね。でも正直いって原作ファンの人にはウケが悪かったんですね。映画としてもこりゃどうかと思うところもあるわけですが、というか明らかに駄目なんだけど、面白いかどうかでいうと、面白いんですよ。ツボさえみつければ面白がれるんです。監督はそんなところで面白がる作品じゃないと怒るのかもしれないし、失礼といえばそうなんですけど、そんなことは受け手には関係ないことです。僕らは十二分に楽しんだわけですから。

 どんな作品でもそうなんですけど、作者のたくらみとは違うところでウケるというようなことは頻繁に起こるわけです。血も凍るホラーのつもりで書いたのにBLの名作として受け取られちゃうとか、そういうことはよくあるんですね。読者は勝手なものなんですよ。でも、そうでなくてはいけない。読者はどんな感想を持ってもいいし、感想は一人一人違っているべきです。作者の気持ちが読者に通じることなんか100%ないと思っていただいたほうがいい。「僕はこういう気持ちで書いたんですけどー」なんて叫んでも、絶対に通じないですから。それは間違いないです。それ以前に、作者自身、自分が書いたものに納得できていない場合もあるし、どこが面白いのかわかってないこともあります。よく国語の試験なんかで「作者の気持ちを書け」なんていうのがありますが、あれは作家をプロファイリングしろということではなくて、「僕の考えた作者の気持ち」を書けということなんですね。僕の小説もたまに試験問題になったりしましたが、僕の場合、正解は「面倒くさいなあ」ですね。それでは国語の勉強になりません。
 というわけで、駄目は駄目なんだけど、その駄目は誰にとっての駄目かということなんですね。時に批評家の方が辛辣なことを仰ったりもするわけですが、それはまあ、ただの個人の感想です。また、世の中には「私は読書の達人である」なんていう訳知り顔の人たちがいてですね、「売れるためにはこう書けばいいのだ」「俺の言うことを聞いてれば間違いないのだ」みたいなこと言ったりもするんです。誰とは言いませんが。そういう人たちは得てして「お前の小説はここが駄目だ、あそこが駄目だ、こんなふうに書いちゃいけない」と指摘します。その駄目だ駄目だといわれたところを全部直してしまったがゆえに、まったく面白くなくなってしまった小説を、僕は何作も知っています。駄目なところが面白いというケースはたくさんあるんです。駄目こそ魅力という作品も多いんです。
いいですか、セオリー通りに書かれた小説なんて凡庸きわまりないものですよ。最初に言ったとおり、小説は何を書いても、どのように書いてもいいものです。もっとも自由な文芸の形式なんですから。
たとえばミステリの場合、その昔は、冒頭3頁で人を殺せとか、召使いが犯人じゃ駄目だとか、ごちゃごちゃいろいろと決まってたんですよ。僕は、デビューした時はこれでも一応ミステリ作家の一種だったんですが、でも僕のデビュー作は、冒頭から約3分の1くらいまで、座敷でずーっとしゃべってるだけという変な小説だったわけで、これは普通なら0点ですよね。でも、とりあえず版を重ねて、25年たった今も読んでいただいている。そういう不思議なこともあるんですよ、世の中には。
ただ問題なのは、自らが置かれている状況分析がちゃんとできていない人が多いというところですね。これができていないと、先には進めませんね。自分は何がしたいのか、どうなりたいのか、そこを曖昧にしたままでは、どうしたらいいのかもわかりません。これはつまらないですよ。せっかく小説書こうという気持ちがあるのでしたら、その気持ちが折れないように、もっと自分の思う通りのものが書けるように、自分が対象としている読者も喜べるようにすべきでしょう。アドバイスなり助言なりをもらうためにも、するためにも、状況や思考の整理整頓は大事です。
小説はもっと自由でいいんです。自由でいいんですけど、どうでもいいというものでもないんです。

※以上のお話に続き、第2部では3本のテキストのうち、1本目の講評を取り上げます。

Vol.109 講師:京極夏彦先生 その2
Vol.109 講師:京極夏彦先生 その3
Vol.109 講師:京極夏彦先生 その4
第94回 京極夏彦(作家)×黒木あるじ(作家)対談

【講師プロフィール】
◆京極夏彦(きょうごく・なつひこ)氏
1963年、北海道小樽市生まれ。94年『姑獲鳥の夏』で衝撃的なデビューを飾る。96年『魍魎の匣』で第49回日本推理作家協会賞長編部門、97年『嗤う伊右衛門』で第25回泉鏡花賞、2003年『覘き小平次』で第16回山本周五郎賞、04年『後巷説百物語』で第130回直木賞、11年『西巷説百物語』で第24回柴田錬三郎賞を受賞。その他に『鉄鼠の檻』(97年度本格ミステリーベスト10第1位)『絡新婦の理』(同第2位)等。山田風太郎賞選考委員、世界妖怪協会・世界妖怪会議評議員を務める。

姑獲鳥の夏  (講談社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4062638878/

魍魎の匣  (講談社文庫)  ※第49回日本推理作家協会賞長編部門受賞
https://www.amazon.co.jp/dp/4062646676/

嗤う伊右衛門  (中公文庫)  ※第25回泉鏡花賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/412204376X/

覘き小平次  (中公文庫)  ※第16回山本周五郎賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4122056659/

後巷説百物語   (角川文庫)   ※第130回直木賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4043620047/

西巷説百物語   (角川文庫)   ※第24回柴田錬三郎賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4041007496/

鉄鼠の檻  (講談社文庫)  ※97年度本格ミステリーベスト10第1位
https://www.amazon.co.jp//dp/4062732475/

絡新婦の理  (講談社文庫)   ※97年度本格ミステリーベスト10第2位
https://www.amazon.co.jp//dp/4062735350/

ヒトごろし  (新潮社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4103396121/

虚談(怪BOOKS  幽BOOKS) (角川書店)
https://www.amazon.co.jp//dp/4041057221/

鬼談  (角川文庫)
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書楼弔堂 破暁 (集英社文庫)
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ヒトでなし 金剛界の章  新潮社
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虚実妖怪百物語 序 
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旧談 (角川文庫)
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書楼弔堂 炎昼 
https://www.amazon.co.jp//dp/4087710181/

数えずの井戸 (角川文庫)
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塗仏の宴 宴の支度  (講談社文庫)
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おいぬさま(京極夏彦のえほん 遠野物語 第二期)
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おしらさま(京極夏彦のえほん 遠野物語 第二期)
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ごんげさま(京極夏彦のえほん 遠野物語 第二期)
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