「作者の都合はあくまで隠すように。主人公は前面に出てもいいけど、作者は黒子に徹してください」

 12月の講師には、荻原浩(おぎわら・ひろし)氏をお迎えした。
 1956年埼玉県出身。広告代理店勤務、コピーライターを経て、1997年『オロロ畑でつかまえて』で小説すばる新人賞を受賞し小説家デビュー。2005年『明日の記憶』で山本周五郎賞受賞。2014年『二千七百の夏と冬』で山田風太郎賞受賞。2016年には『海の見える理髪店』で直木賞を受賞している。
 講座は冒頭、世話役を務める池上冬樹氏(文芸評論家)がまず講師を紹介して始まった

「今日は荻原浩さんをお招きしました。前回、山形にお招きしたのは10年近く前のことです。その後は、2011年にせんだい文学塾に来ていただいて、東日本大震災の被災地を取材して回ったこともありました。そういった、経験と小説の関係についてどのように書くのかといったことを後半おうかがいしていきたいと思います。今日はよろしくお願いします」

 続いて荻原氏のあいさつ。

「荻原浩です。今日は久しぶりに山形に来て、近くにある文翔館を見学してきました。なかなかいい建物でしたね。この会場に来たのも久しぶりで、前回とは受講生のみなさんもだいぶ入れ替わっているようですが、今日はよろしくお願いします」

 今回のテキストは、小説が3本。
・佐藤良行『二〇〇四年、蒲公英(たんぽぽ)』(80枚)
・山矢千尋『海を渡る女』(46枚)
・河田充恵『いってらっしゃい いってまいります』(12枚)

◆佐藤良行『二〇〇四年、蒲公英』(80枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9110500
 下半身まひの身体障害を負い、車いす生活を送っている「私」は、妻の奈美と二人暮らしをしている。日々の暮らしの中の、奈美のなにげない言葉や仕草から、彼女が子どもを欲していること、しかしその思いを打ち消そうとしているのを察した「私」は泌尿器科に行き、不妊治療の相談をする。しかしそこでの診療に「私」は大きな衝撃を受ける。
 ある夜、「私」と奈美は結婚してから知り合った元山さん一家と行きつけの店で飲むことになる。そこで元山さん夫婦に二人目の子どもができたことを告げられる。しかし夫婦の長女であるあかりちゃんは、友達に「おねえちゃんなんてたいへんだ」という話を聞いてから、姉になることに不安を覚えている。奈美はそんなあかりちゃんの話に真摯に耳を傾け、そして姉になることは確かに大変なことも多いけど、それ以上に楽しくて嬉しくて、きっと生まれてくる弟か妹のことが大好きになれる、あかりちゃんならきっといいお姉ちゃんになれる、とあかりちゃんの不安を打ち消してあげる。
 そのやり取りをずっと聞いていた「私」はその夜、今まで自ら遠ざけ、逃げていたある行動に出る。

※作者の佐藤氏は体調不良のため欠席

・池上氏の講評
 この主人公は、自分の男性機能について深刻な悩みを持っています。それにしては、最初にかかった病院の対応が雑すぎる感じがしますね。良行君の作品は実体験を基にしている部分が大きいのですが、もし実際にそんな対応をされたのだとしても、ここはフィクションにして、そんな町医者じゃなく、ちゃんとした専門の病院に行くようにしないと、読者は疑問を持ってしまうし、主人公の悩みも軽く見えてしまいます。
 主人公の悩みは理解できるのですが、では妻はどうなのか。主人公の心を光らせるのも曇らせるのも、これは妻の反応しだいです。これは夫婦の小説で、ふたりしか出てこないわけですから、もっと奥さんの行為を描くべきでしょう。
 一番の問題点は、主人公や奥さんの気持ちを、台詞で全部説明してしまっているところですね。心情は地の文や台詞で説明してしまうのではなく、行動を描写することで、その気持ちを表現する。そうして初めて、読者に伝わるんです。
 あとね、最後にテーマとかかわるものとしてタンポポ(蒲公英)が出てくる。主人公夫婦の未来を象徴するものとしてタンポポを使っているのだが、タンポポはそんなに健気で美しくはなくて、勝手に増えて増殖していくイメージがある。たぶん良行君はアスファルトのところで生活しているんでしょう。うちなんかはタンポポが増えて増えて、とるのが大変なんですよ(笑)。暴力的なイメージすらある。花のイメージというのは人と環境によって変わるものだから、テーマとして押さえるなら、もっと明確に限定しないといけません。誰もが同じイメージをもっていると勘違いしないこと。

・荻原氏の講評

 ご本人にお会いするのが楽しみだったのですが、今日は欠席とのことで、残念です。この作品は実体験なのか想像なのか、あるいは介護の現場にいる人なのか。どういう人なんだろうと思ったんですが、池上さんから「作者の実体験に近い」と聞きましたので、ご本人といろいろお話がしたかった。今日は、ご本人に話しかけるつもりで講評します。
 まず褒めますと、すごくいいです。少なくとも僕には書けません。実体験に裏打ちされたものはすごくリアルだし強い。特別な作家になれる資質を持っている、と思います。
 まず褒めましたが、そのままでいいということではない。ひとつは、池上さんもおっしゃるように、妻の奈美さんというのはどういう人なのか、伝わってこない。赤ちゃん云々の前に、奈美さんにだって性欲もあるだろうし、そもそも奈美さんはこの主人公のどこが好きなのか。どこで出会ってどう結婚したのか。ほとんど書かなくてもいいんですが、作者がそこをちゃんと理解した上で作っていかないと、ただ男の妄想に都合のいい女になってしまいます。女性の読者から見たら、奈美さんはどう見えるのか。どなたか、佐藤さんに教えてあげたほうがいいかもしれません。
 それから、上手い方なのであえて重箱の隅をつつきますね。人を呼び捨てにするのが苦手な方なのか、「さん」付けがやたら多いんですね。「お母さん」とか「看護師さん」とかはいいとしても、「患者さん」というのは必要ない。主人公も病院に診察に来てる立場で、集まっている人たちに「さん」付けは不自然だと思います。やたら「さん」が多いと、素人くさい印象を与えることになります。
 病院でぞんざいな扱いを受けているのは、そうされることで小説を成り立たせようとしているんだと思います。作者の都合が透けて見えちゃう。ここで医者に親切にされたら困るな、と思っても、主人公の気持ちを考えれば、もっといい病院に行くはずでしょう。作者の都合はあくまで隠すように。主人公は前面に出てもいいけど、作者は黒子に徹してください。

◆山矢千尋『海を渡る女』(46枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9110522
 神奈川県、二宮の海岸に白い女があがった。浮世離れした外見の美しさに忽ち男は我を忘れて夢中になっていく。しかし男は寸前のところで家柄と地位を手放すことが出来ず、やがて女を裏切るようになる。都合のいいところで軽蔑している実父に女の存在を知られ、屋敷では噂が広まってしまう。自分ではどうにも収められなくなった時、女は突然姿をくらませた。するとまた女が恋しくなってきた男の元に、別の海岸で白い女があがったという噂が入る。

・池上氏の講評
 山矢さんは谷崎潤一郎が好きだとうかがいましたが、これはたしかにどう見ても谷崎ですね(笑)。文章はエロティックな部分があっていい。これはなかなか出せるものではありません。
 ただしこの女は男たちにしか見えない、都合のいい幻想でした、というオチはいけない。夢オチ、幻想オチはいけませんよ。ではどうするか。幻想だったかもしれないけど違う、というところに持っていかないといけません。
 あとはね、男が女性を求める物語を描く場合は、肉体とか性欲だけではなく、何か主人公が内面で抱えているものに、応えるものを持った女性を描くんです。男が内面に抱えるものを、成就させてくれる女性。では何を持っているのか、というところまでは考えられていません。この女性が美しくて、日本人ではなくて、そこに惹かれて性欲を感じているだけになっている。それだけではなく、この主人公が持っているもやもやしたものを、この女性が叶えてくれる、この女性といるときだけが幸せである、ということを書かなくては。では、それは何で、なぜなのかを考えてください。そこまで突き詰めて考えないと、小説としては成り立たないし、テーマも見えてこない。主人公の伊吉は何を求めているのか、そこをもっと追求すると、この作品はもっと深いものになるでしょう。

・荻原氏の講評

 妖しくて幻想的な雰囲気は、すごくいいと思います。
 山矢さんにお聞きしたいのですが、時代小説はお読みになりますか?

山矢氏「実は全然読んでないんです。書くときもけっこう苦しかったので、無理があったのかな、と思います」)

 僕も時代小説は自分では書きませんし、あまり読まないので偉そうなことは言えませんが、その僕でも、時代小説としてはあまりに粗が目立ちました。「伊吉」という主人公の名前は武士ではありえないし、冒頭で女のことを「日本語は駄目らしい」と書いていますが、江戸時代に「日本語」という言葉はそぐわない。もちろん、当時の言葉だけを使って書くのは無理ですが、あまりに現代を思わせる言葉づかいは避けたほうがいいでしょう。「建設的」とか、そういう現代的な言葉が入っています。書くときには、最低限の時代小説の知識が必要です。時代小説の専門家でも、考証が間違っているとマニアから批判を受けているらしいです。そんなにきっちりやる必要はないけど、時代小説という土俵に上がるのであれば、そのルールに則って書いたほうがいい。そう書けないなら、やめたほうがいいです。
 妖しい雰囲気を活かすのであれば、無理に時代小説にする必要はありません。あえて言うなら明治時代ぐらいでもいいでしょう。今ではない昔の妖しげな感じと、今にはない価値観は、別に江戸時代でなくても描けます。全体の雰囲気は悪くないけど、正直いって、器としての時代小説は無理だと思います。
 文章は悪くないんだけど、少し硬いですね。いったん平易な文章にしてみたり、音読してひっかかるところは直したほうがいいでしょう。
 ここまで書かないと伝わらないんじゃないか、という不安が垣間見えるところがありますが、大丈夫、わかります。わからないやつはどこまで書いてもわからないんだから、無視していい(笑)。これは自分の愚痴ですね。
 すらすら書けたところこそ疑って、短く決める癖をつけていくと、キレのある文章になります。そこを心がけてください。

◆河田充恵『いってらっしゃい いってまいります』(12枚)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9110562
 前夜の続きのような、夏の明け方。銀杏の葉が黄色くなる、秋の日。女性が身支度をする姿を見つめていた、冬のバスの車内。桜草の姿に幼いころの記憶がよみがえる、朝の通勤路。四季それぞれの朝を「いってらっしゃい」「いってまいります」の言葉でつなげた、4篇からなるエッセイ。

・池上氏の講評
 河田さんは毎回うまいなと思わされるんですが、今回もまた。まず、タイトルで「何だろう」と思わせつつ、日常の、送り出す言葉がアクセントになっていて、季節の移り変わりを非常にうまく描いています。銀杏の木のように動かないものも含まれていて、でも季節の流れを美しく描いている。
 河田さんがうまいのは、視覚でとらえたものを文章として提示して、読者の目にも見えるように描き出していることです。女性の書き手には、わりと視覚より触覚や聴覚のほうに重きを置く傾向があるのですが、河田さんはきちんと目に見えるように書いている。そこが河田さんの特徴であり、一番うまいところですね。ちょっと甘いなというか、もう少し強いものが欲しいところもあるんだけど、でもこの柔らかい季節の流れが伝わってくる感じはとても心地よいし、こういう日々を僕らも送っていることをあらためて喚起させてくれる。自分たちも一緒に経験したような感じが味わえるんですね。
 それと河田さんの作品がいいのはユーモアがあること。変な事務員の話と、それに困っている同僚もユーモラスに捉えられていて、人生の片鱗をのぞかせてくれる。ユーモアが隠し味になっていて、ときにエッセイというよりは散文詩に近い味わいも感じさせる。たいへんいいと思いました。

・荻原氏の講評
 10年前にお邪魔したときは勝手がわからなかったので、「みなさんお上手ですね」みたいなことを言って(笑)、わりと甘めな感じだったんですけど、プロの作家もけっこう出ているレベルの高い講座になっているので、今日は辛めでいこうと思ったんですが、これはうまいですね。情景描写とかはプロの書いた小説でも退屈なことが多くて、読み飛ばしたくなることもありますが、これは本当にうまいです。すごいです。
 勝手に朗読しますが「植木職人が手を入れるにしてはその木は高すぎ、自然の姿にしては、不自然なまでに無駄のない円錐形。辺はひとつの歪みもなく一直線にてっぺんに向かっていた」。これですべてがわかるし、なんで音読したかというと、リズム感がすごくいいんです。みなさんも、音読してみると文章のリズムがよくわかりますよ。すごく素敵な文章だと思います。

 問題はただ一点で、エッセイには新人賞がないんですよね。だから、もし「私は別にそんな気はない」とおっしゃるなら別ですが、何かの形で世間に発表するのであれば、もう少し長くして小説の形にしたほうがいいんじゃないかな。ご本人が、別にプロになる気はないとおっしゃるなら何も言うことはありませんが、僕は、短篇でもいいから小説を書いて、賞に応募してみてほしいと思います。

池上氏「河田さんには、温泉街を舞台にした、幼いころの話がいっぱいあって、それを講座のテキストとして使ってきました。それも面白いんです。河田さん、デビューしたい気持ちはないですか。あるでしょう?」)

河田氏「私は賞味期限を過ぎてから書き始めたので、作家という職業には就けないと思っているんですけど、なんらかの形でお金を取れる文章を書きたいと思っています」)

 河田さん、失礼ですが、今おいくつですか?

河田氏「64歳です」)

 じゃあ、僕と同世代じゃないですか(笑)。

池上氏「昔は60歳以上だと新人賞を取りづらかったんですが、いまはもうそんなことはありません。読者層も高齢化していて、一番本をよく読むのが50~60代になっていますから、同年代の作家が求められているんです。最近は60代でもチャンスがありますから、河田さんも腰を入れて小説を書いて、賞に応募してみるといいでしょう」)

 他にも小説を書かれているのであれば、細かいところも指摘しますね。
 最初のページで「枕元の時計を見る。午前三時。中途半端な時刻である。前の日の続きの夜のようでもあるし、今日という日の明け方のようでもある」と、「である」が続けて出てきますね。「である」というのは文芸の王道で、『吾輩は猫である』以来ずっと、現代でも使われているんですけど、こういう軽いエッセイの場合は、文芸の王道っぽい言葉はあえて避けたほうがいい感じになります。ここではたとえば体言止めにしてみても、リズミカルになるでしょう。「誰も通らぬこの時間を」というのも、もうちょっと柔らかい文章にしたほうがいい。「私はこういう文章が好きなんです」というのなら、単なる見解の相違だと思いますので、これは僕個人の意見として聞いてください。あとは何も言うことはありません。
※以上の講評に続き、後半では文学賞に対するスタンスや、長篇と短篇の書き方の違い、新人作家へのアドバイスなどについて、語っていただきました。その模様は、近日中に本サイト内「その人の素顔」にてアップいたします。

【講師プロフィール】
◆荻原浩(おぎわら・ひろし)氏

1956年、埼玉県大宮市生まれ。コピーライターのかたわら、1997年、初めて書いた長編小説『オロロ畑でつかまえて』で第10回小説すばる新人賞を受賞し小説家デビュー。ミステリの『コールドゲーム』、サラリーマン小説の『神様からひと言』、戦争小説の『僕たちの戦争』を発表後、若年性アルツハイマー病をテーマにした『明日の記憶』で第18回山本周五郎賞受賞(本屋大賞は第2位)。2014年『二千七百の夏と冬』で第5回山田風太郎賞、16年『海の見える理髪店』で第155回直木賞受賞。ユーモア小説からミステリ、ハードボイルド、ファンタジーまで幅広い作風を誇る人気作家である。

オロロ畑でつかまえて (集英社文庫)  ※小説すばる新人賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4087473732/

明日の記憶 (光文社文庫) ※山本周五郎賞受賞 
https://www.amazon.co.jp//dp/4334743315/

二千七百の夏と冬 (双葉文庫) ※山田風太郎賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4575520063/

海の見える理髪店   ※直木賞受賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4087716538/

コールドゲーム (新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101230315/

神様からひと言 (光文社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4334738427/

僕たちの戦争 (双葉文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4575519111/

あの日にドライブ (光文社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4334745822/

四度目の氷河期  (新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101230358/

愛しの座敷わらし  (朝日文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4022646071/

砂の王国   (講談社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4062776863/

ママの狙撃銃  (双葉文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4575519340/

さようならバースディ  (集英社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4087462951/

冷蔵庫を抱きしめて  (新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101230382/

金魚姫  (角川書店)
https://www.amazon.co.jp//dp/4041025281/

月の上の観覧車 (新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101230374/

押入れのちよ (新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/410123034X/

家族写真 (講談社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/B00WSLWE6C/

ハードボイルド・エッグ (双葉文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/B00XOEN5W4/

海馬の尻尾  1月17日発売予定
https://www.amazon.co.jp//dp/4334912044/

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