5月21日

 原稿の締め切りが迫っているのでひと足早く東京へ戻る。戻ってみればまだ五月だというのに、はや東京は真夏日。陽射しの強さに着衣は汗だく。荷物を抱え、へろへろになりながら事務所に戻る。
 ホテルでも新幹線の中でも執筆を続けるが、やはり慣れた机の上で書く方が数段能率が違ってくる。いっそドラえもんでも現れてどこでもドアでも用意してくれんもんかしら。
 原稿が進むには進むが、この原稿は100枚予定。ところが今になっても25枚しか進捗しておらず。理由は十八日からこっち、都内→福山と楽しいことが続いて集中力が途切れているからだ。ツイッターを覗くと同じく「福ミス」に出席した知念さんはそれでも新幹線の車両内でひと仕事終えているとのこと。やっぱり飛ぶ鳥を落とす勢いの作家さんは違うなあ。
 劣等感に苛まれながら執筆し続けるが、それでも予定からは大幅に遅れている。しかも明日からは『どこかでベートーヴェン』文庫版の販促のため名古屋・大阪方面の書店訪問が控えている。また眠れないではないか。うー。

5月22日

 8時30分、東京駅で宝島社のKさんと待ち合わせ。本日は名古屋方面に書店訪問。10時30分、名古屋駅よりスタート
・OVA 名駅店さま
・三省堂書店 名古屋本店さま
・三省堂書店 名古屋高島屋店さま
・星野書店 近鉄パッセ店さま
・こみかるはうす 名古屋駅前店さま
・丸善 名古屋セントラルパーク店さま
・ジュンク堂書店 ロフト名古屋店さま
 ありがとうございました。
 名古屋は地元に近いため、早速地元ネタで書店員さんの笑いを狙う。書店の仕事は毎日が戦争であり、そこにのこのこと作者が顔を出しても邪魔になるだけだ。運良くサイン本を置かせてもらったとしても、サインというのは一種のヨゴレなので売れなければ書店側の買い取りになってしまう。つまり書店側にとっていいことなどほとんどない。そういう事情を知っているので、なるべく書店員さんを笑わせるように努めるのが僕にできる精一杯なのだと心得ている。要は男芸者だ。
 終了後はそのまま大阪へと向かう。新大阪から地下鉄御堂筋線で天王寺へ。
・旭屋書店 梅田地下街店さま
・旭屋書店 天王寺MIO店さま
 ありがとうございました。
 ホテルに飛び込み、ここ数日全く捗らなかった執筆に着手するも、なかなか集中できず。今日一日猛暑日で体力が奪われているせいだろう。本当に、身体が二つ欲しい。

5月23日

 大阪での書店訪問二日目。
・ブックキヨスク 新大阪店さま
・リブロ 新大阪店さま
・ブックスタジオ 新大阪店さま
・紀伊國屋書店 梅田本店さま
・ブックファースト 梅田二階店さま
・MARUZEN&ジュンク堂 梅田店さま
・ブックスタジオ 大阪店さま
・紀伊國屋書店 グランフロント大阪店さま
・旭屋書店 なんばCITY店さま
・ジュンク堂書店 難波店さま
 ありがとうございました。
 訪問した場所はいずれも馴染みの深い場所で、何軒かの書店さんは大阪赴任時代に実際にお客として足を運んだところだ。まさか自分がそこにサイン本を置く羽目になろうとは。
 土地柄だろうか大阪の書店員さんたちは例外なく話し好きで、こちらも負けじと話すために終わる頃にはへろへろになっていた。大阪赴任当時僕はなんばの隣にある大国町というところに住んでいたのだが、大阪人にとってはそれだけで三分は保つエピソード。これに激安スーパー〈玉出〉の話を加えれば、まあ地元あるあるで盛り上がる。三日間の書店訪問で書かせていただいたサイン本は500冊ほどだろうか、それでも指より口が疲れた。
 帰りの新幹線の車内、僕は原稿を書き、Kさんは何かのゲラ原稿に赤を入れている。横目でちらりとゲラ原稿を盗み見ると、これがもう何と言うか読みにくいったらありゃしない。いったい何の原稿なのか聞いてみると、某投稿作品とのこと。投稿作品の特徴と言えばそれまでだが、格調ある文章を作りたいのか改行が少なく、その割に状況も心情も描写されておらず、早い話がただの枚数稼ぎに堕している。Kさんも眉間に皺を寄せているが、もちろんこれは「眉を顰めるような描写」とは似て非なる所以だろう。こうして下手な作品は編集者の気力と若さを奪っていく。

5月24日

 新潮社Tさんより電話。やはりネットに上がっていた写真は著作権の絡みで使用できないため、東京事務所で写真撮影をするとのこと。まだ越して間もない事務所で散らかってはいないのだが、そんなにまでして必要な写真とはとても思えんのだが。
 13時、KADOKAWAのUさんと喫茶店で『蕁草のなる家』のゲラ修正。今回は注文を聞きに来る前に作業が終了。おそらく今までの最短記録ではないだろうか。
 今回の横溝正史ミステリー大賞該当作なしについて、またもや根掘り葉掘り訊く(本当にひどい男だ)。するとUさんも下読み経験者なのだが、下読み段階で「ああ、これは獲るな」と思った作品は大賞を獲ることが多いと言う。つまり圧倒的な作品には下読みも最終選考委員もねじ伏せるだけの力を有しているということであり、言い換えれば今回の同賞は文字数。
 ここから先を断定的に書くとやはり誰かから狙われそうになるので口を濁しておく。いや、実際最近は電車待ちの時、ホームの端に立つことは避けている。よしんば最前列に立たされた時は、後ろから何かされないかと始終振り返って警戒しているくらいだ(ゴルゴ13か)。

5月25日

10時、NHK出版のSさんと『護られなかった者たちへ』初校ゲラ修正。原稿用紙換算700枚超の大部であり、当初はこちらで預かるつもりだったのだが、見ればそれほど付箋が貼っていない。
「この場で片づけてしまいましょうか」
「えっ」
 当惑気味のSさんを尻目に作業開始。結局一時間で作業は終了。
「まさか本日返してもらえるとは思えませんでした」
 新聞連載の時点で一度手が入っているので、今更大幅に代える箇所はない。ただし枚数を減らさなければ単価を下げられないので、削除する部分を考えるだけでよかったのだ。
 校正の方も「○○が〇〇だったのか」と騙されたとのこと。校正者にはミステリー慣れしている人も多いので、そういう人に真相が見抜けなかったのならまあ合格といったところか。それにして生活保護なんて辛気臭いテーマでよくも朝刊連載をさせてくれたものだ。
 13時、新潮社Tさんがカメラマンさんとともに事務所を訪問。文庫のために写真を撮るが、おそらくはこれが新潮社での公式な著者近影になるはずだ。写真の出来がよかったら遺影の候補にしよう。
 14時、人と会う予定が全部消化できたので岐阜に帰ることにする。行ったり来たりを繰り返して大変ですねと言われたが、実はいい気分転換になっていたりするんです。

5月26日

 妻を誘って『インフェルノ』を観賞。映画がさほど好きではない妻だが、ロケ地がほぼ全編に亘ってフィレンツェであるため、「あ、ここ行った行った」とひどく興味深げ。そうか、こういう風にすれば妻を同じ趣味に引きずり込むことができるのか。
 妻と僕に共通の趣味は何もない。それなのに結婚して半世紀も続いている(未だに喧嘩もしたことがない)のは不思議で仕方がないのだが、それでも映画を好きになってくれたら嬉しいので、ここから勧めることにしよう。

5月27日

 本日は妻と『天使と悪魔』を観賞。前日のフィレンツェに続き、こちらは全編バチカン市国がロケ地。僕が物語に没頭していると、妻から色々と質問が入る。ロケ地の風景を見るのに熱心過ぎてストーリーが分からなくなってしまったとのこと。ああ、そういう鑑賞法もあるのだなあ。
 夜半、執筆していると某書店員さんから『作家の加藤元さんが、中山さんが引っ越したのを知ってましたよ』と聞く。加藤さんとはあまり付き合いがなく不思議に思っていると、何と僕の行きつけのあの店に加藤さんがいたとのこと。まさか、そんな近くにいたなんて。世間は何て狭いのだろう。あああっそう言えばあの店には無精ひげのままで顔を出したこともあったではないか。ぎゃああああ。

5月28日

 これはもう本当に僕の不徳の致すところなのだが、今日の段階でまだ締め切りのある原稿を五本も抱えている。未だかつてこれほど遅れたこともなく各出版社からの督促がくる度に寿命を縮めている(でも元々不死身だから大して影響はない)。
 理由は分かっている。月初めに八日間のイタリア旅行と洒落込んだからだ。無論ホテルでも原稿を書いていたが、それでも観光の合間だったから十全に時間を取れた訳ではない。それもこれも旅行前に仕事を全て片づけていかなかった僕が全て悪い。
 ね、謝ったよ? 今ちゃんと謝ったからね? 怒ったら駄目だからね?
 朝日新聞出版「小説トリッパー」連載の『騒がしい楽園』、最終回を何とか脱稿。幼稚園ミステリーの第二弾という体裁だったが、よくもまあこんな組み合わせでミステリーが書けたものだと自画自賛――する間もなく、次の原稿『ふたたび嗤う淑女』に着手。ううう、全然気が休まらん。

5月29日

 五月末日は「このミス」の応募締切日なので、投稿者の皆さんは今日くらいからラストスパートが掛かるのではないか。早くも書き上げた人はじっくり推敲しているだろうし、脱稿以前の人は猛スピードで筆を走らせているはず。
 締切間近に送られてきた投稿作品は推敲されているので力作揃いになる傾向があると言う。これは概ね的を射ているようで歴代の「このミス」大賞受賞者に訊いても、多くの人が締め切り寸前まで粘ったと証言している。そのゆえなのかどうか下読みさんの中には、いっそ受付開始から間もない作品は駄作がほとんどだから送ってこないでほしいとぼやいている方がいるとかいないとか。
 しかしちょっと待ってほしい。下読みさんというのは段ボール箱いっぱいに詰め込まれた駄作の中から二作ないし三作を二次に上げるのが仕事だ。それなら駄作揃いの初期段階に自分の投稿作品を紛れ込ませた方が戦略的に有利ではないだろうか。少なくとも二次まで残るという目標なら、力作揃いの中でしのぎを削るよりはよっぽど楽だと思うのだけれど(もっともそんな地場で二次に上がったとしても、結局は相対評価になるので元々の出来がよくなければ真っ先に落とされてしまう)。
 ここまで読んであることに気づいた常連の投稿者さんがいるかもしれない。つまり、「去年、俺の投稿作品は二次までいった。今年はあれ以上のものが書けた自信がある。それなのに何故今年は一次も通らなかったのだ」と憤慨しているあなただ。多分、そのからくりは右のような事情に起因しているのではないか。意地の悪い言い方になるが、自信作が落とされるのは大抵そういうことであり、本人が思っているほど(以下三十二字抹消。しかもこの項続く)。

5月30日

 昨日の続きになるが、今年は江戸川乱歩賞をはじめ横溝正史ミステリー文学賞などミステリー系の新人賞ならび一般文芸新人賞のいくつかが該当作なしとなった。こういった場合、たとえば今月末締め切りの「このミス」大賞にはこれらの賞で予選落ちしたり最終選考で落ちたりした投稿作品の多くが使い回しとして送られてくることが予想される。付け加えておくけれど、これらメジャーな新人賞の下読みはかぶっていることが多い。仮に同じ下読みにあたった場合は、評価以前に嫌悪されることを覚悟しておいた方がいい。
 僕も七年この業界にいて色んな出版社から色んな話を聞いているので、そうした使い回し作品が他の新人賞を射止めた事例が皆無だとは言わない。ただし、そういう作品で運よくデビューできたとしても、大抵は長続きしない。
 理由は簡単で、デビューした時点で競争相手は現役バリバリの作家さんたちであり、そういうバケモノみたいな作家さんと渡り合おうとすれば、新人は量産を余儀なくされるからだ。むろん量とともに質も備えていなければならないのは当然なのだが、一年に一作なんて悠長に構えていたらまず淘汰される(それ以前に著述で生計が成り立たない)。「自分は〇〇賞受賞作家という肩書だけ欲しい」という人はともかく、物書きで飯を食っていくために応募するのなら、投稿時代から新作で挑戦する癖をつけておかないと後が続かない。
「いや、自分は渾身の一作を大事にしたいのだ」というのは単なる言い訳であって、ただ「小説をあまり書きたくない」ことを別の言葉で誤魔化しているだけではないか。「小説をあまり書きたくない」人間が小説家デビューしたって長続きなんかするはずがない。
 こんなことを書いていると「中山は新人作家を潰しにかかっているのではないか」と邪推する人もいるだろうが(当たってたりして)、デビューしたものの鳴かず飛ばずの新人がどれだけ惨めで辛いものなのか目の当たりにしていると、他人事ながらどうしてもひと言添えたくなってしまうのだ。自分の資質に合っていない仕事を続けるのは本当にしんどいよ。他人事なら放っておけって? うん、まあ、その通りなんだけどさ。

5月31日

 インディアナポリス500マイルで佐藤琢磨さんが優勝。めでたい。ところがその直後、デンバーポストの記者がツイッターで差別的なコメントをしたとして炎上。同記者は謝罪したが結局は解雇処分となった。
 相次ぐ差別発言もいい加減うんざりするが、個人的にもっとうんざりしたのがリテラシーの問題だ。言葉を扱うプロが東西問わず同様の失態を繰り返している。プロ以外ではもっと多く、芸能人やら文化人やら知識人までが毎日のように舌禍事件を引き起こしている。いくら身近にツールがあったとしても、語ってはいけない人間は語ってはいけないのではないか。
 僕がSNSに絶対手を着けないのは、僕は僕自身が一番信用ならないからだ。ツイッターなんぞ始めた日にはきっと二日で炎上する。
 気軽に呟ける、自分を表現できる、あるいは自分を盛ることができる、人と繋がれる、世界が広がる、国境がなくなる――SNSの謳い文句というのはまあこういったところだろうが、そのどれもが僕には不要なものばかりだ。気軽に自分の意見など言いたくもないし、自分を表現するなんてカネを積まれても嫌だし、盛っても意味がないし、見ず知らずの人間と繋がるなんぞ真っ平御免で、世界が拡がり国境がなくなることに諸手を挙げたいとも思わない。「お前は自分の小説に自論を投影できるから、そんなことを言うんだ」という人は作品=作者の意見という半世紀前の文学的常識に縛られている、あまり本を読まない人だろう。今まで三十冊あまりの作品を上梓してきたが、その中に自身の考えを注ぎ込んだものなど皆無に等しい。第一、自身の信条やら信念やらに固執したままでエンタメ小説を量産できると本気で信じているのだろうか。
 この日記をつけ始めたのは忘備録とガス抜きの意味もあるが、もう一つ、小説では語らなかったことを文字にしたらどうなるかを検証してみたかったという目的もある。一年五カ月に亘ってほぼ毎日綴ってきたが、自分の本音なるものがちらちらと顔を覗かせて、これはこれで僕にとっては有益だった。そろそろ内容がマンネリになってきた感もあり、ここでいったん閉じることにする。

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